はてなキーワード: 折り紙とは
5歳になる娘はここ1か月、手紙を書くことに没頭している。食事とyoutubeを見る以外はすべて手紙をしたためることに時間を費やしている。
手紙の送り先は幼稚園のクラスメイト、先生、同じマンションの友達、習い事の友達や先生、祖父母、祖父母の飼っている猫、最近は炭次郎やねずこにも書いている。
最初は折り紙の裏に書いていたが、それがA4コピー紙になり、今は100均で見つけたお気に入りの便箋に書いている。
幼稚園の運動会でもらった鉛筆を使って今日の出来事や空想の世界、相手への思いなどを幼い文体でつづっている。
字や内容は年相応のものだが彼女は文字というコミュニケーションツールを使って自分の考えや気持ちを表現するのが大好きなんだろう。
彼女は言葉をしゃべるのが人より遅かったし、今でも苦手だ。口頭で私と話すときの彼女の姿は英語で会議をしているときの私を連想させる。
その彼女が見つけた気持ちのいいコミュニケーションツールが手紙だ。自分の想いや考えを自分のペースで考え表現する。
手紙というツールを使うまでは彼女はヒトに自分の気持ちを伝え、共感してもらえることの喜びを十分に感じられなかったのかもしれない。本当に親として申し訳ない。
だが彼女は得たのだ。自分なりの表現方法を。親としてはこの技能を伸ばして将来は、なんて考えていない。別に将来のことなんてどうだっていい。
いまこの瞬間彼女が考えていることを書きたいことを書いてほしい。そう思いながら私は彼女が書き損じた紙をきれいに伸ばして日付を入れスキャンする。
同じ制服を着て機械的に物事を教えて、その内容はその後の人生で全く役に立つことは無い。
金太郎あめを増産して、単純労働者を量産する政府のシステムなので義務教育の意味が無いっていう奴がいたんだけど、どうしたもんかな。
「小数点の勉強」とか「因数分解」とかその後の人生で全く必要ない事を勉強して無駄だっていう奴は、大概勉強できずに成績が悪い奴なんだよなぁ。経験上。
それで自分の子供をあえてフリースクールに通わせているのは、そちらの家庭の事情で教育方針だろうからとやかく言うつもりはないけれど。
分数の四則演算なんて役に立たないとか言う考えをもったなら、それは答えを導き出すためにどのようなプロセスを辿っていくかを身につけるための訓練なんだよと諭してはいる。
勉強することだけではなく、どのように課題や問題を解決できるか思考することが出来るかの土台部分が義務教育で基礎教育なんだし、藪から棒に義務教育の無駄を声高に主張しなくてもと思う。
ごくごく普通の一般企業に、正社員でそこそこ長く務めてきました。
学生時代から「子ども」が好きで、子どもに関わる仕事がしたいなーと思い続けて、貯金も少し貯まったし、よし、長年の想いとして子どもに関わる「保育士の」資格を取ろうと、仕事しながら勉強してなんとか資格を手にすることができました。学校で学ばなくても、資格のための試験があるので、それを受験して取得しました(思ってたよりも、はるかに大変だった。。。。)
勉強は、子どもに関する専門知識は広い範囲に及んでいて、心理学から生理学、発達、医療、食事、睡眠、あそび、音楽(ピアノ弾けないから大変だった。。。)といったことから、親へのカウンセラー的な心構え・姿勢まで、すごく幅広い範囲の勉強が必要でした。やっぱり子どもの教育とか、いのちとかに関わるって、かなりの専門性や知識が求められるんだなーと実感しました。
で、ここからが本題です。
「よし、思い切って転職しよう!」とおもって、知人や友人をたどって保育所の勤務やお給料をリサーチしたり、ボランティアや見学で体験してもたんですが、これが信じられないくらい大変です。企業務めからすると 「え!うそでしょ!?これ、訴えられたら絶対勝ち目なくない?」 と思いましたよ。。。。。一般企業で働いてきた感覚からしたら、もう信じられないくらいの待遇で。。。。朝は早いし、休めない。工作のための作業や下準備は、持ち帰りで自宅で仕込み。画用紙とか折り紙とか紙コップとか、素材は自腹。。。。 昼休みも実質ありません。 子どもにご飯食べさせて、寝かしつけて、持ってきたお弁当食べながら保護者への連絡帳書いて。。。。これは残業じゃない? 風邪をひいても休めない。 親からクレームの電話や怒鳴り込みがあると、子どもを見ながらも、心はボロボロで集中力が。。。。。
これで手取りが13万、主任レベルでも17、8万。。。。 ちょっと、ちょっと!これはおかしい、無理。 これは無理です!おかしくないですか? やりがいや喜びもあるんだろうけど、いわゆる「生存バイアス」しかない世界です。生き残った化物のみがルールを強いる世界になってますよ。。。。 一般企業だったら、こういう状況は「パワハラ」とか「モラハラ」とか「ブラック企業」とかいわれると思いますよ。。。。。 ありえない状態が「あたりまえ」になってるんじゃないでしょうか、保育の世界は。。。 現役の保育士さんごめんなさい、そして本当にありがとう、おつかれさま。 自分がその立場に立ってみるまで、保育士さんのつらさがわからなかったです。
政治家のみなさん、お願いですから保育士さんを大事にしてあげてください。 これから先を担う子どもたち・若い親世代とつながって、「最前線で責任を持つ」ひとたちの扱いがこれでは、子育て施策や保育は絶望的ですよ。。。。 日本しね!といわれても仕方がないです。これは、本当に由々しき問題です。 保育士さん負けないで!
https://anond.hatelabo.jp/20140426234812 の続き
Togetterで話題になってたシンゴジでもペパクラ開発者でも折り紙でも有名な三谷先生とか、
立体の伸び縮みする布をCGでどう表現するかって、まだまだ問題がないわけでもない分野ではないだろうか
MMDとかで風も吹いてないのに髪や布がビヨンビヨンしたり、足がスカートを突き抜けたり、
安易な拘束問題の解き方だったり、衝突判定が面倒だったりするわけで、
その辺は服関係のメーカーさんとかは色々な技術とかCADがあったりするんだろうけど
型紙はペパクラとはまた違ってくるし
でも、もうその辺の論文とかだいぶ前からあったし、もうどっかにそういうのあるんだろうなあ
↓こういうツイートさぁ…
レターパックは折って立体的にしてもいいらしいのでどの形が一番容積が大きくなるのか理論値を求めてみました。
結果、ピローボックス型最強。
https://twitter.com/jmitani/status/1330033345359646725?s=21
折り紙作家らしく、たぶん単純な好奇心と探究心なんだろうけど。
前にもハガキの住所はどこまで省略しても届くのか、みたいなのがネットで話題になってたけど、郵便局員としては本当困る。
リプ欄にはスダチをレターパックで送ったら潰れずにちゃんと届いた、っていうリプがついててため息が止まらない。
あと、潰れてたらスダチ汁がほかの郵便物を汚損してた可能性あるよね。
そうならないように、それを配達したどっかの局員がめちゃめちゃ気を遣ったんだと思うよ。
500円の送料をいかに有効に使えるか、っていう事を無邪気に楽しんでるのかもしれないけど、ほんとやめて…想像して、もっと。
お刺身とかだけをナマモノっていうんじゃないの、常温で傷む食品はダメなんだよ。
で、こういう愚痴を吐露すると、そんな事を出来るようにしてるのは日本郵便なんだから、それを最大限に有効活用して何が悪いんですか?そんな仕様にしてるのが悪いんじゃないか?ってボコボコにされるんだよね…今のネットは。
一世を風靡した「おそ松さん」というアニメをご存じだろうか。赤塚不二夫のおそ松くんがベースだが、キャラ設定等はほぼアニオリだ。
個性的なむつごのキャラと不条理ギャグ、そこはかとなくインモラルで下品、だがどこかおしゃれな作風(個人的な意見です)に人気が爆発した。
深夜アニメにも関わらず子供にも人気で、放送が始まった2015~2016年ころは社会現象とまで呼ばれるくらいの人気だった。同人界隈も盛り上がった。
しかし、現在第3期が放送されているのにいまいち盛り上がりにかけているように感じる。
5年も経てばこんなもんかと思うが、2年前の二期、昨年放映した映画のときはまだ、もうちょっと盛り上がっていたように思う。
Twitterの検索欄に「おそ松さん」と打つとサジェストに「つまらない」と出てくる始末。
何が原因なのだろうか、他の人の感想や意見を見ながらまとめてみた。
これはしょうがない。
そして今季はダイ大や金カム2期、ヒプマイ、呪術廻戦、ひぐらし、夜叉姫等、同時期に期待値が高く話題をさらうアニメが多すぎるのも原因だ。
ネームバリューではおそ松さんもそれらの作品に負けていないのだが、
世間では鬼滅映画で賑わい、pixivはツイステ創作で溢れているので時期もちょっと悪かったかもしれない。
一期、二期、映画とずっと務めていたキャラクターデザインの人が降板し新しい人になった。
急な絵柄の変化に戸惑いを隠せない人も多かったはずだ。松ファンなら、明らかに違うのが分かる。新しい人が悪いとは言わない。しかし顔も体系も違うのだ。
でもまあ、その人がすべて本編作画の指揮をとっているわけではないし、その人はベテランなのでアニメーションがうまい。本編にはさほど影響はないように見える。
そもそも松のフォルムは難しく、アニメーターによって作画のブレがひどいのだ。
コマ送りして見ると作画崩壊なんてこともしょっちゅうある。4~5頭身でムーミンのようなフォルムなので他のアニメと比べると多少の作画崩壊は目立たない。というか、動けば問題はない。
なんか全体的に暗い。
・新キャラ登場でこれまで当たり前だったギャグ要素にケチがついていく。(チビ太のチビは蔑称とか、デカパンの格好はわいせつ物陳列だとか何とか…。そもそもチビが蔑称ならシコ松も蔑称だしトト子に対するうんこ評価も侮蔑なのになぜつっこまない。ガバガバAIか?)AIに対してはむつごの誰かが面白くツッコめばギャグになるが、誰もツッコまないので放置されている。多分伏線だからこの不穏さは最後までとっておくんだろうがこれがいつまでも続くとなると……。
・スタバァでうんこしたりチンコぶるんぶるんさせて弟に迫ったりしていた一松が三期は打って変わって折り紙折ってラジオごっこする陰キャなだけの人に。
・一期で結婚したサブキャラ・橋本にゃーが突如離婚してシングルマザー化。アイドルであるトト子ちゃんももう後がないと言われ自身の年齢を気にしている様子。生活費稼がなきゃいけないにゃーと後がないトト子は一期からやってきたアイドルをやめて女子プロレスラーに…。(オチでギャグにしているがすごく重いです…)
・友人の結婚式に出て落ち込む等、むつごの年齢を感じさせる会話。
三期は、「パロデギャグ+本編軸ギャグ+シリアス本編軸(AI絡み)」の構成でやっていくのだろうか。
4話の「カップ麺を食べたいがために奮闘するむつごの話」のように、明るく楽しい話もあるが、正直見ていて陰鬱な話の方が多い。
三期の新しい取り組みとして、1話完結ではなく続き物を試みているのだが、それが今のところシリアスで楽しくない。
このシリアス風味のAI日常パートや妙にリアルを感じさせる重い設定がずっと続くと思うとなかなかしんどいものがある。たぶん1期2期と同じく24話で特大シリアスをやって最終話で大爆破オチなのだろうが……。
リアルで考えれば6人全員ハタチ過ぎてニートなのはもともとキツい設定なんだから、アニメの中くらい楽しく明るく馬鹿やってるニートでいてほしい。(そもそも赤塚不二夫のむつごを「将来はバカでニート」という設定にしたのはおそ松さん公式なのに、今更むつごに自虐させていかにダメかを描くのは正直言ってよくわからない。1期は20代前半だが3期は20代後半になっているので、そういう時間の経過を書きたいのだろうか)
まだ序盤なので今後に期待したいが、5話まですべてこうなので不安が拭えない人もいるのだろう。
1期にも2期にもシリアス回はあってそのたび良い意味でも悪い意味でも話題にはなってきたが、それはたまにあるから良いものではないだろうか。
「また笑おう」がキャッチコピーのはずなのに、シリアスとのバランスがおかしいので笑えないことになっている。
ギャグアニメを見ている人がギャグアニメへ期待することは、安心して笑えるということだ。笑いたいときに妙にリアルなキツさを突きつけられると視聴者の心も疲弊する。
どこかで見たような話が多い。
既視感。これは単純に、二期以降ひとりの脚本家がすべてひとりで書いているのでネタ切れなのではないだろうか。
一期は他の脚本家もいて、交代で書いていたが二期から何故かひとりで書いている。
ドラマCDやフェス松さんを合わせれば現在の脚本家が作った話はゆうに40話を超えるので、ネタ切れも仕方ないのかもしれない。
個人的には助っ人脚本家を雇うか、ネタ出しのアドバイザーみたいな人を入れるかした方が良い気がする。そして監督や脚本家に意見を言える人物も必要なのではないだろうか。
制作チームを気の合う人だけで固めるとどうしても内輪ウケになってしまい、視聴者との壁ができることがある。特に二期は視聴者が不快になるような下ネタが多めで賛否両論だった。(もちろん二期も面白い話はある)
衝突しない程度のストッパーはある程度重要だし、「ひとりで決め過ぎない」ということも、続編物語を作るうえでは大切だと思う。
「むつごを使ったコントを見ている気分になる」といった意見を見た。
むつごじゃなければできないギャグ、そのキャラじゃなければできないネタがもっとあれば盛り上がるのかもしれない。
※追記 6話はついに過去に出したドラマCDをそのまま映像化してしまった。本当にネタ切れなのかもしれない。
出番の差、扱いの差がわりと露骨でうんざりしている人が多いようだ。
そういえばイヤミも1話以降出てないな…。
不憫なのはトド松とカラ松、たまにチョロ松で、全体的に空気なおそ松。暴れん坊フィジカルな一松と十四松の構図は二期から同じだ。
一松と十四松はあまり痛い目に遭わない代わりに下品な下ネタ担当な気もしたが、三期はそれすらなくなってしまった気がする。(一話で食糞する十四松は面白かったけど)
一期二期は大ボケ担当だった十四松だが、映画と三期ではわりとまともなツッコミキャラとなってきたのではないだろうか。十四松の新しいキャラクターを模索しているような気もする。
一松に関しては前述したように唐突な下ネタやキレ芸、カラ松に対する理不尽な暴力等のトリッキーさがなくなり、出番は多いのになんとなく影の薄いキャラになってしまった。
ひとりだけAIに靡かず不信感を募らせたり不穏な空気を出したりと、わざとキーキャラとして置いているように見えるが、そろそろ一松の持ち味であるヤバい奴感を出してほしいところだ。
十四松をツッコミキャラ・チョロ松をボケキャラとしてギャップをつけて昇華したように、ポジショニングの変化も多少はあった方が飽きがこず面白いかもしれない。
あとコンビの差(このキャラはあのキャラとばかり絡んでるな…というもの)。二期以降、そういう格差に気を使っているのは感じるが三期はどうなるのだろうか。一ファン的には、推しはいろんなキャラと絡んでほしいのだ。
これはアニメ本編と関係ないことだが、A推しの人が、「最近A+Bのコンビグッズばかり出て萎える」と言っていた。相手を固定されるよりは、さまざまなキャラとの版権、グッズが見たいのだろう。
おそ松さん公式ツイッターによる広報の変化。三期からは、ファンを意識した企画が多い気がする。
放送が決まってから放送3話目くらいまでの企画やコラボについて調べてみた。
【二期】
おそま通信
カウントダウン(一人ずつ)
日替わり松(一人ずつ)
新衣装むつご紹介(一人ずつ)
松セレクション発売
しま松開始(おそ松さんの牧場ゲーム、しかし1年持たずに終了した)
東京ガールズコレクション 2017
6つ子がアプリにおじゃましま〜つ(さまざまなアプリとコラボ)
【三期】
絵描き歌
救出作戦(イヤミにむつごが攫われたというていで、救出を呟くとキャラクターのボイス付きのリプライが貰える)
新衣装公開(全員ひとまとめ)
キャラクター紹介(一人ずつ)
また笑おうハッシュタグ感想キャンペーン(ツイで再放送の感想を呟いてもらうキャンペーン)
クラウドファンディングで新聞に公告を掲載(これは松公式が企画したというよりもクラファン会社が持ち掛けたらしいが)
集えよ同胞!NEET応援プロジェクト!(ファンから歌声を募って主題歌のCDに収録する企画)
2期も別にそこまですごい企画を出しているというわけではないが、3期は明らかに、「こうじゃないだろ感」がぬぐえない企画が多い。すごくお金をかけているのは感じる。
塗り絵や絵描き歌は幼児用(?)なのに、肝心のアニメの中身は暗くて子供ウケするような話ではない。そもそも今でも松を見ている層は大人の女のオタクが大半だ。
そして、むつごが結婚式を祝ってくれるブライダルコラボをしているのに、5話のアレ(知り合いの結婚式帰りのむつごが将来を憂いながらトボトボと歩いて帰るだけの話)はまずいのでは……? あれを見て呼ぼうと思う人がはたしているのだろうか?
ツイッターでも荒れていた4コマ大募集企画、通称コンテ松さんについても話そう。
ファンが4コマ形式のコンテを書いて応募すると、その中から採用された作品がショートアニメになってDVDの特典につくという。
素人の作品がアニメ化する夢のような企画だが、裏を返せばファンの妄想が公式になるということだ。しかも円盤の特典なので、これによって「円盤買えない」と嘆く人もわりといた。
さらに応募は匿名ではなく、応募した人のツイッターIDがサイトに掲載される仕組みなので、過去に何を描いているのか、どのキャラの腐女子なのか等を掘られる人も出た。地獄絵図。
Twitterでも賛否両論だが、円盤特典が賛否両論な時点で商法としては失敗しているような気がする。
個人的には今までにない取り組みなので期待をしたいが、否定的な人の意見も分かる。
今まではファンを意識したようなネタはあまりなく、むしろ2期1話ではファンを小馬鹿にしている始末だが、今期からはファンに寄っているような気がする。その姿勢に戸惑いを隠せない松ファンもちらほら見えた。
三期が始まる前、制作陣が雑誌で言っていた「新しい試み」はことごとく効果を得ていないように感じる。
1期第1巻の円盤(BD、DVD)の初動売上は79,108枚。
深夜アニメなら1万を超えれば大成功の部類だ。1期1巻の売上が化け物だったため2期の落ち込みっぷりは各場所で揶揄われるが、数字だけ見れば十分成功している。
ちなみに映画の興行収入は6億~7億円くらい(127スクリーンで、二期から1年の月日を経てのこの数字はまずまずではないだろうか)
しかし公式サイトで行われた「666666人に届け!キャンペーン」も、動員数は535269人でストップし、最後のトド松にだけ色がつかず終わった。(10万人達成ごとにキャラクターに色がついていく仕組みだった)
別にアニメは売上がすべてではないが、売上が著しくないと4期はない。
通常アニメは1巻で5000枚売れれば続編の可能性が見えてくると聞く。「おそ松さん」はわりと金がかかるアニメなので、4期を期待するなら7000~1万枚の売上は欲しいところだ。
極論ってのは、たとえ相手が極論を言ってる状況で正面からぶつけても対消滅して0になったりはしない。
「相手が沢山人を殺していて、放っておいたら沢山殺すので、結局死ぬ人数は減っているから殺人数的には実質マイナスだしなんの問題もねえだろ」みたいな感じのことをな……今のはてなーは平気で言うんだよ。
そしてそれにコレでもかってほどのスターが集まる。
これでスターが集まる構造ってのは、2つあって、1つは日頃抑圧されていた部分に合致するコメントが来たからスターを入れるパターン。
もう1つは、表立って自分がその意見を言いたくはないから、口の軽いやつを神輿にして自分は安全な所からその意見を実際に口にしたらどうなるか観察したいから馬鹿をおだてるためのスターを入れるパターン。
スターってのは社会的な価値としてはゴミと一緒だが本人にしたら価値がある。
そんなわけだから、承認に植えている人はスターを投げられると次々に極論を口にするようになる。
でも極論を口にするのはヤバイことだって内心では気づいているので、自分への言い訳が始まる。
それは得てして「相手のやってることと差し引きすれば、トータルではバランスが取れるだろ?」だ。
「極論が夜に広まるとヤバイから、逆方向からの極論によって、対消滅させる。俺は世の中に間違った考えが広まるのを防いだので、正しいのだ」
いいや、間違った極論が1つから2つになって、自体を悪化させただけだぜ。
こんなのは岡目八目で見れば、分からねえはずがないほどに明確なのだが、承認に酔ってしまうと全くソレが見えなくなる。
お前ら、一度落ち着け。
極論は逆張りであっても使うな。
使うにしても伝家の宝刀をチラ見せする感じで抑えろ。
ソイツを抜いたらお前の魂まで腐り果てるぞ
いとことの会話は平和だ。
お互い一人っ子だったこともあいまり喧嘩することなく仲良く遊んできた。
どら焼きが残り一個だったとき、半分こしよーと二人で割っておいしいねぇとにこにこしながら食べていた。四人兄弟で育った母は小学生と幼稚園生なのに平和すぎて驚いたと言っていた。
いとことの体格差がひどかった。
四歳差であるはずなのに同じ120のパジャマを着ていたことをおぼえてる。今じゃ40cmも違う。
どれだけ大きくても 、四歳下。中身は幼稚園生なのでまだまだ甘えたの時期
ねぇね!抱っこして!といいながら自分よりデカイいとこがにっこにこしながら飛んできたのを覚えてる。骨折れるかと思った。
「知ってるか!きりんの鳴き声きっりーーんって言うんだぜ!」と変なことを教えたこともあった。
少しビビりで後ろをついてきたり、横並びで遊んだりかわいいかわいい弟だった。
全力で遊んで山に繰り出して農作業する私とは反対に室内で遊ぶことを好み構造がどうなってるかわからない折り紙をきっちりしっかりと折っていた。山で遊ぶときは私が教え、折り紙で遊ぶときはいとこが教えてくれた。
ふたり揃ってわりと有名な頭のいいところに進学したが、部活にだけ明け暮れてた私は専門学校に転がり落ちてしまった。それを悔やむわけでは全くないが祖母がうちの孫はふたり揃ってすごいんだぞーと言わなくなったことだけが少し悲しい。叩き上げで平社員からトップにおどりでた人の話ばかりするのが悲しい。残念だったなと同情して励ましてくれるのが悲しい。残念だとは思っていないのに悲しい。悲しいというか単純にメンタルがごりっごりに削れる。
いとこは進学先よく知らないこともあいまって私の卒業時には独学とは思えないほど達筆な字で祝いの書を書いてくれた。私と違って頭も良くて手先が器用でものすごく芸達者なのだ。きっと優しいから知っていたとしても祝ってくれただろう。
お礼に誕生日にガラスペンで書いたお手紙をおくったら喜んでくれた。いとこのように字が綺麗なわけではないけど便箋三枚びっしりこころを込めて書いたから許してもらおう。
母方の親戚同士が不仲になるのもみてきた。その不仲に巻き込まれることもあった。すごく辛かった。だから、でき損ないなねぇねでも不仲になることなくにこにこしながら半分こしてくれたらうれしい。
それでもきっと来年も「じゃーねー!ばいばーい!またあそぼうね!!」と十何年も続けた別れの挨拶をして大きく手をふりながら実家をあとにするのだ。
某有名SNSで折り紙の作品をアップしているので、必然的に他の人の作品も見ることになるが、めちゃめちゃ手のかかりそうな作品をどんどんアップして来る人を見ると、「何だこいつは?」と思う。この「おかしい」は褒め言葉でもあるが、「何でそこまで手間かけて作るかなぁ」という呆れた気持ちも含まれている。
だいたい30枚のユニット(パーツ)を折って組み立ててくす玉にするぐらいは可愛い方で、巨大な紙を使って切り目も入れずにやたらリアルな動物を折り上げる人もいれば、本物のようなバラの花を折ってしかもそれを花束のように何輪も作る人がいる。あと、アジサイ折りといって幾何学的な折り目が美しいが、やたらと難易度が高そうな作品を作る人もいる。
30枚のユニットによるくす玉は私も若い頃作ったことがあるが、歳をとったら目が疲れやすくなり、根性もなくなってきて「何となく気持ちと作り方は分かるけど無理」になってしまった。巨大折り紙によるリアルな動物なんて挑戦する気にもなれない。本屋に本物のようなバラの作り方を書いた本が置いてあったので、立ち読みしてみたが、あまりに複雑な折り線に頭痛がして買わずに棚に戻してしまった。
海外在住で手の込んだ作品を作る人はどうもそれを生業にしているようだが、出典を明らかにして誰かが考えた折り紙を模倣している日本人はおそらくアマチュアである。何でアマチュアでこれだけの折り紙を作る暇があるのか、あるいは作品を売って金にする術があるのかよく分からない。とにかく寝ている時間と食べている時間以外折り紙をしていないと、こういう作品はできないんじゃないかと思う。
たぶん折り紙作成に命をかけている人々はここを見る暇がないと思うが、もしこの文章を見る機会があったらどうやってそこまでの作品を折る時間を捻出しているのか教えてほしい。
ほかの方からも同様のアドバイスをいただきましたが、それを実行すると本当に誰にも見てもらえなくなってしまうので、それはそれで寂しいのです。マイペースで疲れない程度に折って投稿するのと、「私の折り紙を見て!」ばかりではなく、人さまの作品を見て楽しむ方向を大事にするのが良いかと思っています。言うは易し、行うは難しなのですが。
本当におっしゃる通りです。歳とともに目も肩も腕もガタが来ています。折り紙は比較的軽い作業だと思いますが、何かに追われるようにして折ると疲れます。なるべく無理のないペースでやっていきたいです。
自分より折り紙が上手い人がいるのは重々承知しています。「#折り紙」というタグ付けの投稿をフォローしているので、自分が折っているものよりずっと手のかかる作品をハイペースでアップして来る人が沢山いてびっくりします。あまりにも沢山投稿する人を見ると、あの人は一日のうち何時間を折り紙に費やしているのか不思議でたまりません。
幸い私と同じジャンルの折り紙をやっている人は数が少ないうえに投稿ペースがゆるいので、その人たちに見せるつもりでやるとちょうど良いのかなと思います。他人と比べるから辛くなるのは事実ですが、たぶん止められないと思います。とりあえず無理のないペースで折るようにしたいです。
アドバイス有難うございます。Twitterは鍵垢になっており、気が向いたときに好き勝手につぶやく仕様にしてあります。ほとんど人との交流は生まれませんが、何を書いても炎上とは無縁の状態です。
ほとんど誰も見てくれないブログのアカウントもあります。アクセス分析機能もついていますが、めったに更新しないうえにたまに更新してもだらだらとつまらないことを書くだけなので、アクセス数はほぼゼロです。
両者を組み合わせれば追われるように折り紙を折る必要はないのですが、誰も見てくれないのを分かっていて作るのも悲しいものがあります。結局自己顕示欲や承認欲求を捨てられないのです。
問題のSNSはかの有名なInstagramです。「インスタ蝿」などと揶揄されるだけあって、その中毒性には恐ろしいものがあります。無理に高級ブランド品を買ったり高級レストランに行って経済力を見せびらかすような写真をアップするようなスタイルではなく、テーマを折り紙にしたのは我ながら正解だったと思います。
限られた人にしか見せないようにした方が無駄に疲労しなくて済むと思いますが、現状では「見てほしい」「イイネ!が欲しい」という欲求に勝てません。私はもうすぐ50歳になるオバさんなので、あまりハイペースで折り紙を折ると目が疲れたり肩や腕に疲労が来ます。たぶん完全には止められないと思いますが、なるべく身体に負担の来ないペースでやりたいものです。
優しいお言葉を有難うございます(^^) ここでこんなに優しい共感のコメントをいただけるとは思っていませんでした。「自分の作品を見てほしい」「イイネ!」が欲しいという欲求と、「こんなもので承認欲求を満たそうとしてはいけない」という気持ちの闘いなんですよね。
以前は放置しがちのアカウントだったのですが、折り紙の写真をアップして「#折り紙」とか「#origami」とかタグ付けしておくと、見ず知らずの折り紙好きな人(海外の人を含む)が見てくれて、「イイネ!」をくれた人の投稿を見に行くと、自分では折らないタイプの素敵な作品がアップされていて、足抜けできない状態です。自分の制作ペースを落として人さまの作品を楽しむのを中心にした方が精神衛生に良いと思いますが、上手い人の作品を見ると「私も何か作ってアップしたい」ってなってしまうのです。基本的には飽きっぽいタイプなので、自分が飽きるのを待つのが一番早いかもです。