はてなキーワード: 日経コンピュータとは
https://anond.hatelabo.jp/20140426234812 の続き
今年38歳。
小中くらいはさしたる努力もせずにクラスでトップクラスの成績。
なんとか通学できるか、って距離まで伸ばしても圏内には進学先の高校は5,6校。
商業科や工業科、水産科なんかもあって、大学進学の可能性が残る普通科があるのは2校程度。
そのうち1校に入ったものの、ガクガクと成績は落ちていった。赤点をなんとか回避、ってことも何度か。
Jリーグが始まったのがこの頃か。
大学進学の可能性が残るという表現を使ったけど、田舎の学校なんでレベルは低い。
平均の偏差値は50切ってたと思う。
同学年でMARCHに入れるのが5人以下、早慶は数年に一人いるかも、くらい。
低成績の俺は地方の私大にしか受からず、親に頼み込んで浪人させてもらった。
条件は予備校の寮に入ること。ほぼ軟禁生活。泣いて嫌がったけど仕方なかった。
当時田舎者にはあこがれだった渋谷のタワレコに平日昼間から行って、 TK の新譜を試聴したな。
高校の頃からそうだけど、「勉強法の勉強」は好きで、あの方法で勉強すれば俺の成績は上がる、って謎な自信だけもっていて、でも勉強はしない。
明日やれることは今日やらない。よって数学的帰納法により、受験日まで勉強しない。
本当にダメ人間だった。
メタ勉強だけは好きってのは10年前にライフハックにハマったのと、今思えば同じ根っこだったんだろうな。
そんな訳で一浪しても入れたのは偏差値50アンダーの私立理系大。Fランク。最近はGランクまであるんだっけ?
成績不良じゃないくて出席日数不足ってところがつくづくダメだな。
ただ、振り返ってみてこの頃ラッキーだったのが2つある。
1つはコンピュータサイエンスの教官が実力主義者で、当時の第二種情報処理技術者、今の基本情報処理技術者試験に合格すれば単位をやるって人だった。
ちょうどインターネットが普及し始めて、テレホタイムになると同時にISDNで繋いでいた時期。
コンピュータの勉強は面白くて、出席外で単位とれるならと合格できた。ここで基礎を固められたのはラッキーだった。
もう1つは留年したせいで一般教養科目を余計に取れる余裕ができたこと。
心理学の少人数上級版で、自分でテーマを決めて教授と毎回議論できるってクラスだった。
就活に備えた自己分析を、心理学者とサシでできたのはラッキーだった。(ドラッカーのプロフェッショナルの条件を読めたのもこの頃だったな)
で、就職活動。2002年卒、有効求人倍率 0.54 倍。世はまさに大氷河期時代。日韓共催ワールドカップの頃。
周りや就活相談室の(ストレートな分、俺より有利な奴の)を聞くと、数十名の小規模企業に入るひと、地元に戻って地元の会社に入るひとも多かった。
このままだとヤバいなと、底辺だなと(当時は今のような使われ方をしていなかった言葉だけど)思った。
どうするか。資格もあったせいで業界は IT 、特に SI が有利だろうと思った。
計算機室でCOMPUTER WORLDを読み耽けり、大学の図書館で日経コンピュータのバックナンバー2年分を通読して業界を知った。
そして採ったのは某国産コンピュータメーカー1社のグループ会社に絞る集中戦略。
親会社の企業研究(成り立ち、歴史、挫折、チャレンジ)を深めれば子会社はいくらでも応用が効くし、心理学者と深めた自己分析と付きあわせて「あなたと出会えた私」のストーリーをでっちあげれば、志望動機も入社後の目指す姿も十分語れた。
このストーリーの説得力と、新人研修で取らせることの多い資格を既に持っていることがあれば、自分のスペックをある程度カバーできるだろうと思った。
これはうまくハマって、そのグループ会社では全戦全勝、本体でも最終面接まではいった。落ちたけど。
自分が出た大学では「誰もが知っている名前のついた会社に(子会社とはいえ)入れる奴」はレアで、まして一浪一留でってのは劇レアだった。
待遇は親会社と同一で、初年度、24歳で年収300万円くらい。
でもトレーナーとソリが合わず(今に思えば子供じみた理由だ)、転職。
就活の時にはコンサルなんて職種が世にあることを知らなかったけど、
たまたま募集してたITに強い外資コンサルに移って26歳年収400万。
国内限定学歴を揶揄する人もたまに見るけど、ボストン採用の同期とか普通にいたな。
そこでのコンサルスキルと海外経験のおかげで別のコンサルに移って28歳年収750万。貯金が1000万超えたのもこの頃。
タイミングが超ラッキーで、この直後にリーマンショックがあった。こんな大幅年収アップの転職案件はすぐになくなった。
35歳くらいで外資ベンダーに転職して年収1000万円超えて、38の今は1200万円。
年齢で見た年収は社内の平均からは下がるようだけど、まぁ十分満足してる。
株とETFで4000万円くらい持ってる。
金融資産の半分くらいは100年に一度の株の大バーゲン(リーマンショック)の時に買った株のおかげ。
その時期にセールワゴンにしがみつくだけの定期定額収入があったのも、またラッキーだったな。
転職活動では、卒業したFラン大学と一浪一留は何の問題にもならかった。
そんな感じ。
基本、世は学歴社会ではあると思う。
でも自分が対峙するフィールドでどういう力学が働くかを理解して、持ってるカードを限られたターンの中で増やし、切っていくだけだ。
自分が好きなタイミングで職を選べるのは、2つ目の外資コンサルであらゆる「ビジネスの知的基礎体力」を身につけさせてもらえたおかげだと思う。
自分が学歴とは不釣り合いな場所にいられるのは、ここに、大学を出てからのラッキーたちに、集約されると思う。
でも、それでも「大卒である」ことだけは一定程度以上の会社では最低条件、前提条件だった。
大手コンピューターメーカーの大ベテランの中には、時代的に高卒の人もいたし、高卒工場勤務から叩き上げで働いている人もいたけれど、もうそれはない。
今の勤め先も入社時にはbachelor以上の英文成績証明書が必須だ。
俺はラッキーだけで現状があるとは思っていない。
ただ、ラッキーに加えて必要だったのは、俺の場合は「Fランだろうが大卒」というチケットそれ自体ではなく、浪人と留年の学費と生活費を捻出してくれた両親だったと思う。
父は企業奨学金で日東駒専クラスに通い、卒業後に職業選択の自由はなかった。意に添わない異動も俺たち子供のために受けいれてくれた。
母は家が貧しく、家族に反対されながら働きながら自費で通信制の高校の卒業資格を得た。
そのことを身をもって知り、身をもって子に示し、ダメな俺が大学を出るまで支えてくれた両親こそ、俺が今の俺であるために必要だったと思う。
繰り返すが、学歴は強力ではあっても、いくつかあるカードの一枚に過ぎないと思ってる。
俺は馬鹿でダメな人間だったから「Fラン一浪一留」なんて貧弱なカードしか得られなかった。
でもそれも、そんなカードも、両親が必死になって繋いで手渡してくれた大切なカードだった。
その大切な一枚を活かせるような生き方ができて本当によかったと思ってる。
そろそろ俺が浪人する許しを請うた時の親の年齢に、俺がなる。
あの頃の両親のようにありたいと、そうあるための今の収入と資産だと思う。
読んでくれてありがとう。
きっと、日経新聞嫁といってきた方は、「さっさとSEだけできる人から脱却して、マネジメント側/仕事取ってくる側/仕事作る側に移行してね!そっちがバラ色だから」という親心で言ったと思われ。
現行のままのSEの未来とかを予想してんじゃないかな。将来部下抱えて仕事取ってくる/作る側にはいると、日経程度の他業界の流行り/動き/常識を普段から知ってることが大前提で、もうかってる他業種のどこからどうやってSEの仕事取ってくるかの才覚が求められるし、上司としても誰かを仕事取ってくる役割に抜擢しようにも、現状にて全くそういった話ができない人を抜擢はできんわな...これは歳を重ねるとじわじわ効いてくるで。実感わかないようなら、経営コンサルの本とか乱読するのも良いんじゃないかな...経営者がお金だしてくれる(仕事くれる)方面は、実はどういった方向かというのが判ると、日経新聞は未だコスパからみて捨てたもんじゃないかも。
結局は幹部社員の話のネタか今後の活動指針を決めるに当たってのネタ集めに過ぎない。
新入社員の頃から両方読めと言われてきたが、現場だと本当に役に立たない。
一般的なシステム開発をするに当たって、現行のシステムの流行だとかどこどこが買収してシェアトップだとか知っててもリソースの無駄だから。
現行システムのマニュアル=お客様の業務を知る為の資料>読みやすい資料を作る為の技術書>オライリー>>>(超えられない壁)>>>>日経新聞、日経コンピュータ
デブサミ2014に行ってきた。
うすうす感じてはいたことだが、エンプラ系受託SI業界とWeb系業界での差が開いている。ということを肌身で実感することができた。
会場を見渡しても受託SI系の参加率は低いように思われる。
Twitterを見てると、「有給とってデブサミ」という人が多いようだ。
これは、いわゆる受託SIの人たちには、
・デブサミに参加しても日頃の業務とかけ離れすぎていて得るものがない
・受託SIで働くSEの人たちには、デブサミで話されているようなことは興味がない
・興味を持っていたとしても、メーカー主催の研修とかと異なり、上司が参加を許可してくれない
のいずれかではないかと勝手に思う。
そんな中、初日の会場で盛り上がっていたのは、DeNAの新人研修に関する講演だ。
そんな中、初日の会場で盛り上がっていたのは、DeNAの新人研修に関する講演だ。
【13-A-4】新卒エンジニア研修ですべきことできること(関口亮一〔ディー・エヌ・エー〕)
https://speakerdeck.com/ryopeko/devsumi2014-dena-bootcamp2014
講演によると、DeNAは2013年に70名の新卒採用をしたらしい。
公式HPによると、2013年3月末時点の社員数は、「連結:2,108名(単体:935名)」とあるから
70名の採用は、単体では7%(ざっくり10%)にあたる増員をかけている、ということになる。
http://dena.com/company/overview.html
思い返せば、2000年頃の受託SI業界は、成長しているところは70-100名くらいの
成長する業界に人は集まる。単純にそういうことかもしれないけど、ITを志す人たちの
就職先は受託SIだけではなく、DeNAやGreeやCookPadのようなWebで
サービスを提供している会社も当然だけど視野に入っている。ということだし、逆にいう
とそれだけ「単なる受託SI」には関心が薄くなっている。ということなのだろう。
そんなことを考えていたら、日経コンピュータの記事が目に飛び込んできた。
「悪弊を絶つ 2015年問題がIT業界に迫る覚悟 (2014年2月6日号)
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NC/20140131/533803/?ST=NC
ここでいう「2015年問題」は2015年にやってくるといわれるIT受託業務の集中、すなわち
「マイナンバー制度」「みずほ銀行のシステム刷新」にかかわる大規模需要で慢性的
これだけ受託SIとWeb系の差が開いているにも関わらず、受託SIではまだまだ人不足の
状態が続くと、受託SI側には「まだ大丈夫」という意識が働き、本当の意味での改革
が進まないと思われる。いわゆる「ユデガエル」状態だ。
日経コンピュータの記事では処方箋というか、こうした受託SIから早々に脱却した企業
2chで幾つかスレ立ってて、パッケージビジネスの困難とかがブログで語られていたりもするけど、増田では話題にならないのな。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20080425/300145/
日経コンピュータは5月1日号で、スルガ銀行-日本IBM裁判の行方などを探る緊急特集を組む。誌面では訴状を基に、「追加費用」や「到底受け入れられない」提案の詳細、両社が交わした契約の内容について取り上げる予定だ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080307-OYT1T00002.htm
関係者によると、スルガ銀行は2004年9月、銀行業務全般にかかわる基幹システムを刷新するため日本IBMとシステムの開発契約を結び、開発費用の一部はすでに日本IBMに支払っている。ところが、新システムの稼働を予定していた08年1月を過ぎても稼働のめどは立っておらず、開発費用も当初の予定額より膨らんだため、支払った費用の返還などを裁判で争うことにしたという。
http://bizboard.nikkeibp.co.jp/kijiken/summary/20070115/NC0669H_904967a.html
静岡県の地方銀行であるスルガ銀行は、2008年1月を予定していた新勘定系システムの全面刷新を延期する。国内で稼働実績がなかったパッケージを採用したが、設計・開発作業が難航した。開発を担当する日本IBMと共同で、プロジェクト・チームを再編。要件定義を見直して再度開発を進めている。
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1204851634/456
04年末プロジェクトスタート
05年秋になっても要件定義が終わらず
06年3月膨らみ過ぎた仕様を削り込み、要件定義からやり直し
06年10月要件定義完了、設計・開発着手
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/higayasuo/20080307/1204856428
成功と失敗の違いは、パッケージにどれだけ合わせる気があったかじゃないのかなぁと予想します。ある程度作りこまれたものに、手を入れるのは大変だからです。
これは、同じことがフレームワークにも言えます。機能満載のフレームワークにシステムをあわせてもらえるなら成功しやすい。でも、客がフレームワークなんか関係無しに仕様を決めてくる場合は、かなり苦労するということです。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://nakagami.blog.so-net.ne.jp/2008-03-07%23comments
2005年9月から半年ほど、富士山麓のスルガ銀行コンピュータセンターに勤務していた、経験者の1人です。
今回の事件は、予想通りの結果で、別に驚くほどの事件ではないと感じています。
要件定義の段階から、成功するはずがないと、疑問視する担当者は周囲に多くいました。
今回の提訴の結果が、どうなるかは分かりませんが、私なりに推察出来る背景を列記してみます。