いとことの会話は平和だ。
お互い一人っ子だったこともあいまり喧嘩することなく仲良く遊んできた。
どら焼きが残り一個だったとき、半分こしよーと二人で割っておいしいねぇとにこにこしながら食べていた。四人兄弟で育った母は小学生と幼稚園生なのに平和すぎて驚いたと言っていた。
いとことの体格差がひどかった。
四歳差であるはずなのに同じ120のパジャマを着ていたことをおぼえてる。今じゃ40cmも違う。
どれだけ大きくても 、四歳下。中身は幼稚園生なのでまだまだ甘えたの時期
ねぇね!抱っこして!といいながら自分よりデカイいとこがにっこにこしながら飛んできたのを覚えてる。骨折れるかと思った。
「知ってるか!きりんの鳴き声きっりーーんって言うんだぜ!」と変なことを教えたこともあった。
少しビビりで後ろをついてきたり、横並びで遊んだりかわいいかわいい弟だった。
全力で遊んで山に繰り出して農作業する私とは反対に室内で遊ぶことを好み構造がどうなってるかわからない折り紙をきっちりしっかりと折っていた。山で遊ぶときは私が教え、折り紙で遊ぶときはいとこが教えてくれた。
ふたり揃ってわりと有名な頭のいいところに進学したが、部活にだけ明け暮れてた私は専門学校に転がり落ちてしまった。それを悔やむわけでは全くないが祖母がうちの孫はふたり揃ってすごいんだぞーと言わなくなったことだけが少し悲しい。叩き上げで平社員からトップにおどりでた人の話ばかりするのが悲しい。残念だったなと同情して励ましてくれるのが悲しい。残念だとは思っていないのに悲しい。悲しいというか単純にメンタルがごりっごりに削れる。
いとこは進学先よく知らないこともあいまって私の卒業時には独学とは思えないほど達筆な字で祝いの書を書いてくれた。私と違って頭も良くて手先が器用でものすごく芸達者なのだ。きっと優しいから知っていたとしても祝ってくれただろう。
お礼に誕生日にガラスペンで書いたお手紙をおくったら喜んでくれた。いとこのように字が綺麗なわけではないけど便箋三枚びっしりこころを込めて書いたから許してもらおう。
母方の親戚同士が不仲になるのもみてきた。その不仲に巻き込まれることもあった。すごく辛かった。だから、でき損ないなねぇねでも不仲になることなくにこにこしながら半分こしてくれたらうれしい。
それでもきっと来年も「じゃーねー!ばいばーい!またあそぼうね!!」と十何年も続けた別れの挨拶をして大きく手をふりながら実家をあとにするのだ。