はてなキーワード: 幼稚園とは
お前あっっっさ…
ガラス貼りの政治というのは欧米で進められ広まった政治で既に実績がいくつもあり現在は主流の考え方です
幼稚園児なのは無知なお前だな。質問が低レベルすぎる。そこから説明しなきゃいけないようなバカで無知な幼稚園児は不正について他人に噛み付ける程度の知識量がない。自覚して政治の話を他人にふっかけんな。政治や法の話は知識がありリテラシーの高い者同志でなければ成立しない。
蓮舫が言い出したわけではありません
お前が不正追究につき暇を挙げたことについて、上意見への具体的反論がないんだけど、それつまり明確な理由があったわけではなく、ろくに内容も知らずに適当によくわからないまま言ってたってことでFA?
これもイメージだけで話してるよね
そもそも民主主義・政治の具体的内容や制度をそれぞれ把握してないから適当にイメージだけで仕分けとか言い出すわけ
仕分けよりもその仕分けが必要になった背景である長期政権の裏金ブラックボックス化にはどこも触れないあたりが完全に低IQのB層
バカか?何言ってんだ?
誰かに味方するなってもっての他だよ!
ばーーーーーーーーか!!!!
「ジャーナリズム」ってのは、ジャーナル(新聞)のイズム、報道を職業にする者に必要な精神のこと!!!!
その根幹は、客観報道なの!!!! 批判することがメインじゃなくて、権力に忖度しないことがジャーナリズム!
まずお前は新聞社の仕事をしてるわけじゃないからジャーリズムは要らないし持ってない!
それから、批判だけすることはジャーナリズムではない! 褒めることが真実なら褒めなきゃいけないむしろ!
ジャーナリズムをもって誰かに味方するなってもっての他だよ! 選挙で上位を取るような奴は権力者だから、むしろ蓮舫を批判してこそのジャーナリズムだ!
当然のことながら、知りもしない概念を使って説明を試みするのはジャーナリズムから最も遠い。無知で嘘を広める訳だからな!!!!!!
>都政をガラス
政治に不正があるのは、密室が作られているからだ、とかいう幼稚園児の発想しかないから、お前本気で考えたことないだろうって言うのよ。
その密室はなぜできるのか? 陰謀か? じゃなくて、ただ書類作るのが面倒だからでは? ガラス張りにするって何すること? 公文書は開示されてるわけだが何するの? もっと書類作るの? もっと密室ができるだけでは? 密室が無くすことは可能なの? その密室がなくなったら都政が良くなるの? 動きが遅くなる以外何も起こらない可能性はない? ガラス張りにする以外の方法はないの? それをやることでのマイナスは? 首長の政治ではなく、お前が書類を読みまくるだけのほうがまだそれができるんじゃないの?
そういう一連のことを考えたか? って言ってんの。
蓮舫がそれやりますと言ったことを口ポカンして受け入れただけだよね。お前は。
本来それに興味なんかない。選挙の前はそんなこと考えたことなかった。
あと、特に蓮舫ほか旧民主の場合は、埋蔵金や仕分けで、やりたいことをやらせたら間違いだったりマイナス起こしたりしたことがある。
パリピ孔明に「民草」という言葉が出てきて、 おそらく意味としては 「何の才能もなく平凡だが、毎日を一生懸命に生きてる人々」 みたいな意味なのだろうが、 最近、どうもこの言葉に嵌ってる。
http://blog.livedoor.jp/advantagehigai/archives/66112831.html
という記事を見つけたのだが、ここでは開成と麻布の対比として、 仮に両方とも、10の努力をすると100点をとれるとすると、 開成生は12の努力をして120点をとりにいこうとするが、 一方で麻布生は8の努力をして100点を狙う省エネ戦法で行くのかというと それどころか3の努力で80点を取りに行く精神性があると書いてある。 だから麻布生はトップ(国王)になれないのだ、ということだ。
これは中学受験にも問題があり、 麻布の入試は明確に、3の努力によって80点をとれる子を選抜している。 麻布の入試はよく、対策不能と言われるが、 そういう、ゴリゴリに努力したとてとれない問題を出すことによって、 超地頭キッズを選抜しているのだ。 偏差値では足りてたけど、落ちたという場合、 それはたぶん、地頭が足りなかったのだ。
麻布生はまさに「民草」とは真逆にある存在だ。 それ故に、おれは民草という言葉にハマってるのだと思う。 民草は、12の努力をしても30点しかとれない人たちのことだろう。 ガイジすぎて笑ってしまう。 まさに草だ。
さて、民草という言葉に最近おれが突然ハマり始めたもう1つの理由はおそらく、 最近になってようやく民草というものの存在に気づいてしまったからだと思う。 何を言ってるかというと、おれは民草の存在を最近まで感じたことがなかった。
おれが通った幼稚園は少し特殊で、その中でもよく遊んでいた子に TくんとNくんがいるが、ともに早稲田と慶応に進学したと聞く。
小学校は公立だが、今思い返すと、「あきらは特別だから」と先生に言われていて、 その時は何のことかわからなかったが、今思うとそういうことだったのだろう。
おれの親は早期教育に反対していて、3年生になるまでは家庭学習は一切しなかった。 そのため、学校の成績はそれほど良くはなく、この前たまたま押入れの中から当時の成績表を見たが、 それはまぁ、ひどいものだった。
3年になると家庭学習も多少やりはじめ、そうすると成績が一瞬でトップクラスになり、 秋には地元の最難関中学受験塾に合格してしまった。 ここの塾に入るための試験はかなり難しく、かなりの子が国立や私立の小学校か、 あるいは低学年向けの講座でゴリゴリに仕上げてきた子だった。 一方でおれは学校の勉強ではトップクラスだったものの 中学受験の勉強はしてなかったので不利だったが、 試験中にすべてその場のノリで解いた。 問題はパズルのようなものが多く、そもそも麻布栄光向きの子を 選抜するための試験だったので、それもおれには向いていたのだと思う。
入塾してからも一気に成績を伸ばし、 4年の秋には四谷大塚の組分けテストがあったが、 ここでも無事C会員に合格。 C会員の世界だと半分くらいは御三家に合格するから、 ざっくりいうとこの時点で麻布や栄光に行けることはほぼ確定した。 その後もそれなりに勉強はしたが、陸上部のキャプテンとして陸上大会に出場したり、 自らミニ四駆部を立ち上げたり、デジモンの転売業をやってボロ儲けしたり、 3以上の努力はしなかった。
結局、無事に麻布中学に進学し、超地頭キッズたちと楽しく6年間過ごした。 その後の大学受験は、高3の時に受けた鼻の手術がまずくエンプティノーズになったために残念ながら破綻したが、 あれがなければやっぱり3の努力で東工大に進学してたと思う。 おれは、東工大で一番になり、MITに交換留学することが夢だったのだ(英語だけはそれなりにやり準一級までとってたのはこのため)。 結局その後京大に行ったが、 やはり民草とは程遠い世界だった。
新卒で入った日立製作所も、周りには修士以上が応募条件なので、 やはりここでも民草には会えなかった。 実のところ、それ以降の職場でも、特殊な場合を除くと全員修士以上だった。
民草に出会ったのはようやく最近のことだ。 修士号もないやつがエンジニアリングをやるということが おれにはどういうことなのかさっぱりわからないのだが、 とにかく、民草学歴であっても、自分なりに創意工夫してエンジニアリングっぽいことをしてる 人たちがこの世には存在するということがようやくわかってきた。
まぁ、存在することはわかったとしても、 どうして彼らが自殺しないのかがよくわからないのだけど。 何が楽しくて生きてるの?
AI以下の低能「AIに政治法学系のこと聞いても嘘が混ざった適当な答えしか返ってこないぞ
https://anond.hatelabo.jp/20240706023024
数日前に↑を投稿した。
思ってた以上にたくさんの方に反応してもらえて、本当にありがたかった。私は自分の家のことを誰かに話したことがほとんどなかったから。
前回の投稿の追記にも書いたが、父と言い争いをした次の日、私はカウンセリングに相談に行った。
そして、カウンセラーに「あなたのお父さんは残念ながら世間一般で言う毒親です」と言われて衝撃を受けた。
コメントでも、父に対し「毒親だ」「まともじゃない」「そんな親からは逃げろ」という意見が見られた。
正直、私は今も自分の父を毒親という言葉で表現していいのかはわからない。
でも、私にとっていい父親ではなかったと、ようやく思えるようになった。
長い間、父がおかしいのか、自分が求めすぎているのか本当にわからなかったのだ。
私と同じように、父から、あるいは母から離れるべきか悩んでいるひとも多いはずだ。
悩んでいる方の参考になるかわからないが、私が生まれるまでの父の人生と、私から見た父と祖母の話をそれぞれ書き出していく。
私には父方の祖父がいない。幼い父と叔母(父の妹)、そして専業主婦だった祖母を置いて、祖父は突然出ていったからだ。そこから祖母は女手ひとりで父と叔母を育てた。私が想像もできないくらい壮絶な生活だったのは確実だと思う。
それでも父は猛勉強して、希望していた大学に合格し、それなりに知名度のある有名な会社に入った。そして実家を出た。数年後、叔母も実家を出て、祖母は一人暮らしになり、このタイミングで精神疾患を発症し、精神科に3回入院していたようだ。
父はその事実を伏せたまま母と結婚し、その数年後に私が生まれた。その2年後に妹が生まれ、同時に祖母との同居が始まった。
父は定年まで同じ会社で勤め続けた。おかげで私は金銭的に苦労をしたことがない。
父も叔母も祖母も、祖父が出ていったときの話を一度もしたことがない。なぜ私が祖父が出ていったことを知っているかと言うと、父方の祖父がいないことを不思議に思った私が、子どもの頃に母に理由を聞いたからだ。母は言いにくそうにだったが教えてくれた。加えて、「お父さんがいるって本当に幸せなことなんだよ」と私に言った。この言葉が、わたしの中で、ひとつの価値観になってしまった。
ここからは私から見た家庭内の話になる。父のことから書いていく。
父が仕事から帰ってきたとき、母は「おかえり」と必ず声をかけていた。でも、「ただいま」を父が返すところは見たことがない。
父は母が作ってくれた食事を美味しいということは一度もなかった。眉を顰め、あまり噛まずに飲み込む。うまく切れていない野菜を箸でつまみあげ、「見てこれ。ひどいね」と笑いながら言うこともあった。母の前で、私や妹に向かって言うのだ。
仕事が忙しくなり、私が寝た後に父が帰ってくるのが当たり前になった時期があった。母が父の分の食事にラップをして、箸を置いて、すぐ食べられるように準備しているところを私は見ていた。私が朝起きても、食事はそのままだった。母はそれを流し台に捨てていた。
家族で食事をしているとき、私が箸を落としたり味噌汁をこぼすたび、父はうんざりした顔をして、なにも話さなくなった。母に「なにやってんの!」と怒られることより、自分のせいで父の機嫌が悪くなることのほうがなぜかずっと怖かった。
私は母のことが大好きだった。同じくらい父のことも大好きだった。でもなにより、父に嫌われることが怖かった。
だから母はかわいそうじゃない。父は母をそういうふうに扱っていいひとなんだから。母の失敗は笑っていいんだ。そう思っていた。私は切れてない野菜を見つけるたび、父と笑った。母は何も言わなかった。
気づけば、元から会話が少なかった父と母はほとんど話さなくなった。相手に用事があるときは、私か妹に伝言を頼むのだ。
「喧嘩しちゃったのかなあ」と私は思っていた。それでも、すぐ仲直りするだろうと気にしないようにしていた。
いつしか父と母が話さないことが当たり前になっていた。そしてそれに触れること自体タブーなんだとわかっていた。
学校が休みの日、「〇〇(近くの遊園地)に行くぞ!」と突然私と妹に行った。父の行動はいつも突然だった。どれだけ気乗りしなくても、私も妹も何も言わず父について行った。それが一番正しい行動だと思っていたからだ。
でも、その日はどうしても行きたくなかった。家で友達から借りた漫画を読むのを楽しみにしていたからだ。
「行きたくない。家にいる」と返すと父は「行ったら楽しいぞ。行こう」と眉を顰めつつ言った。少し怖かったが「読みたい漫画があるから」と返した。「そんなんいつでも読める。行くぞ」うんざりした口調で父は言った。どれだけ駄々をこねても、私が泣き出しても、父は全く引かなかった。私は諦めて遊園地に行った。
父は私を楽しませようとしているんじゃなくて、"休日に娘を遊園地に連れていった"という事実がほしかったんだと気づいたのはもっと後のことだった。
中学生になると流石に父との会話は減ったが、それでも父が好きだった。正直、父の振る舞いに違和感を感じていた。信頼はできなかった。父の行動を真似るのはやめた。でも父に勉強を教えてもらうのも好きだった。そして、まだ父が怖かった。
そんな家で育った私が友達の家に初めて泊まった日、衝撃の連続だった。たぶん、私が中3か高1の時だったと思う。
その日、友達のお父さんは先に夕食を済ませ、夜勤に行く準備をしていた。夜にお仕事するひともいるんだなあと思っていたら、お父さんがお母さんに「たぶんいつもより遅くなる」と話しかけた。お母さんが「ならお腹空くやろうから朝ごはん多く用意しとくわ」と答えていた(多分こんな感じの会話だった)。
友達のお母さんが私と友達に準備してくれた食事を食べていると、友達が「このおかずめっちゃ好きやねん!」と私に言った。友達のお母さんは「いつもそれ言うから今日は多めに作ったよ」と笑いながら言った。
え?お母さんの食事って、おいしいって感じるもの?そしてそれを伝えるもの?
友達の家の全てが衝撃だった。
私の家のお父さんって、もしかしてひどいお父さんなんじゃないか。
私って、ひどい娘なんじゃないか。
ずっと感じていた違和感の正体がわかった気がした。
そしてモラハラ、という言葉を知ったとき、まさにお父さんじゃんと思った。
それから、父との関係は一気に悪くなった。勉強でわからないところがあっても父に聞かなくなった。あまり顔を合わせたくなくなった。
父が突然態度が変わった私に困惑するのを感じた。まあ反抗期なんだろうと納得しようとしていたのもわかった。
私が直接父に不満を言うことはなかった。
父にはお父さんがいないんだから。父の方が私より辛かったんだ。そして、"父"を知らないんだから、父親が下手なのも当然だと思っていた。
父が友人とどこかに出かけることは見たことがなかった。会社の人と飲みに行くこともほとんどなかった。
父には友人がいないことにも気付いていた。だから私のように自分以外の家庭を知るきっかけもなかったんだろうと、私は自分を納得させて生きてきた。
自分の父親を大事にできない自分こそ、"娘"が下手なんだと思う気持ちが強かった。
それでも父への違和感は日に日に強くなっていった。
こうして私は父を避けて生きるようになる。
正直、祖母との思い出はほとんどない。私が幼稚園の頃、オセロを相手をしてくれたことくらいだ。
一日中妄想や独り言を呟き、自分で作った変な歌を大声で歌い、一人二役で会話をする。 部屋に監視カメラがついていると言ったり、テレビから電磁波が出てると大騒ぎしたり、好きな野球選手と結婚することになったから出て行くと言い出したり。皇室に手作りの人形を送りつけ、返送されることもあった。そして母や親戚と揉め事を起こす。それが私が知っている祖母の全てだ。
様子がおかしくなっていく過程を見ていたら、病気になったのかと疑うこともできたかもしれない。
でもまともな祖母を見たことがなかった。だから、祖母は生まれた時からこういうひとなんだと思っていた。
祖母が普通じゃないかもしれないと思ったのは、私が高校生の頃だ。
クラスで友達数人とお昼を食べていると、友達の1人が「最近おじいちゃんがボケてきててさ、ご飯食べたばっかりなのに食べてない!って言うんよね。認知症の人ってほんまにそう言うんやってびっくりした」と笑いながら話していた。別の1人が、うちはひいおばあちゃんがボケちゃって〜と笑っていた。
それを聞いた私は、点と点が繋がったように感じた。
みんなのおばあちゃんよりちょっと早いけど、私のおばあちゃんのあの行動は、認知症だったのか!と本気で思ったのだ。
祖母のことは、今まで誰にも話したことがなかった。でも、認知症だったんだ。それなら話せる!と私も笑いながら友達に言った。
「うちのおばあちゃんも、なんかテレビから電磁波が出てるとか、部屋に監視カメラがついてるとか、会ったこともない好きな野球選手と結婚するから出て行くとか言うんだよね」と。
空気が変わるのを感じた。みんなが一気に警戒するのがわかった。「いや、それ、ボケとかじゃないんじゃない?病院に行ったほうがいいような…」と1人が遠慮がちに言った。周りも同意するように頷いた。そしてすぐに違う話になった。
今なら笑えるが、当時の私にとっては本当に恥ずかしい出来事だった。やっぱり祖母は普通じゃないんだ。それがわからなかった自分も普通じゃないんだ。死にたくなった。それから誰にも祖母の話はしなかった。
私が部屋で寝ていると、深夜にドンドンドンドン!と凄まじい勢いでノックする音で目が覚めた。
「〇〇ちゃん!〇〇ちゃん!」と部屋の外から祖母が私を呼ぶ声が聞こえた。
私が「もうなに!?」と声を荒げて扉を開けると、「なにかあったか?なあ、なにかあったか?」と、祖母は虚な目で縋るように私に聞いた。
祖母には何かが聞こえたんだろう。何かが見えたのかもしれない。でも私には何も聞こえてないし見えてない。私は「なにも起きてない!もうほんとにやめて!」と怒鳴って部屋を閉めた。部屋の外から祖母がなにかブツブツ呟く声が聞こえた。布団を被って目を瞑った。しばらくすると、祖母が諦めて自分の部屋に戻って行く音が聞こえた。
次の日、祖母が「昨日は悪かったなあ」と涙を浮かべて私に謝ってきた。勘弁して欲しかった。泣きたいのは私だと言ってやりたかった。私は祖母を無視してその場を離れた。
部屋に戻った祖母が大声で歌ってるのが聞こえてきた。「〇〇さんお願いしまーす!〇〇さんと結婚しまーす!ひとりで〇〇さんのところに行きまーす!」と何度も何度も繰り返していた。
祖母がずっとずっと不気味だった。
でも病気なのか、もとからそういうひとなのか、私には本当に長い間わからなかった。
祖母が早く死んだらいいのに。
そう思うこともあった。
そんなことを考える自分が情けなかった。
気付けば、私は祖母のことを見えないもののように振る舞うようになっていた。それが一番楽だったからだ。
もちろん書いたことが全てではない。
でもなぜか今は思い出せない。
私は、気づくまで30年近くかかった。
過去最多の56人が立候補した都知事選は投票率60.62%(前回55.00%)で小池氏が291万8015票で圧勝、続いて石丸氏は165万8363票を集め、蓮舫氏は128万3262票の3位に終わった。
人口約2万6千人の安芸高田市の首長を辞し、500倍以上の人口約1400万人を擁する首都東京に乗り込んだ知名度もない男が、強烈な旋風を巻き起こした。
さぞや地元で実績を残して絶大な人気を誇り、「後継者」がすんなり当選を決めたのかと思いきや、当選したのは反石丸色を前面に打ち出した元郵便局長の無所属新人、藤本悦志氏(51)だった。
市議会で数少ない「石丸派」として路線継承を訴えた前市議の熊高昌三氏(70)は2000票以上差をつけられ、次点にとどまった。藤本氏は昨年11月末に立候補を表明、「石丸氏は市議会や市民との対話も少なく、その手法は対立と分断を招いた」と訴えていただけに、石丸市政の落とした影は思いのほか色濃かったようだ。
♯1で報じたように、地元の公立中高を経て京都大学経済学部に進学、卒業後は三菱東京UFJ銀行に入行、ニューヨーク駐在員も経験した石丸氏は2020年7月に突如、安芸高田市長選に立候補して当選。
華々しいキャリアの凱旋は救世主感に満ちていたが、他者を寄せ付けない攻撃的な一面が次第に表面化し、その摩擦と軋轢で広島の小都市は疲弊した。現職の安芸高田市議は今回の都知事選の結果を含めた一連の経緯をこう分析した。
「危うく東京都民も騙されるとこだったから、小池さんが3選してよかったって思いますわ。石丸さんが掲げる政治再建や財政再建は、よく聞くと中身もほとんどないんだけど、人気取りだけは上手いからね。
安芸高田市長選の時もそうでしたけど、『よし、わしらが手伝ってやる』と名乗り出た地域のおじさんたちの手を『選挙カーも応援もいらない。1人でやる』と払いのけ、駐車場にイスを並べて演説ばっかりしてましたよ。それで『このニューヨーク帰りの若者は何かやってくれそう』という期待感であっという間に人気者になりました。
今回の都知事選でも小池さんや蓮舫さんは政治の話ばかりでしょうから、そんな中で『石丸ちゅうんは面白い』と思われて人気は出たんでしょう。でも、あれが当選してたら、きっと東京でもとんでもないことしてましたよ」
「これまでより市政は間違いなくよくなると思う」
「今回、当選した藤本さんは『市議会や市民との対話が大事』と言い続けている人で、議会と激しく対立ばかりしていた前任者と比べたら、わしらも大歓迎です。
結局、市民も石丸市政はダメだって気づいたって事ですわ。人気取りで市長になったものの、やったことは自分の意見を押し通すだけ。
彼が議会の反対を押し切って進めてきた認定こども園の問題も、藤本新市長は方針を改めるそうなので期待しています。この問題は吉田町(旧高田郡吉田町)内にある保育所や幼稚園の立地場所に土砂崩れの危険性があり、別の地区に移転の必要があるとされたことに起因します。
普通なら町内のなるべく他の場所に移設しようと考えようもんですが、石丸さんは『校区をまたいで移設する』と言い出した」
「そんな地域であれば、まずは計画書を持って地元の人や私立保育園に説明すべきだと議会は主張したんだけど、石丸氏は『予算使って計画書なんて作っても反対されたらお金をドブに捨てるようなもんでしょ』でしたからね。
その移設計画に関しても藤本新市長はまずは吉田町の中で土地探しから始めようという方針です。議会と市長も、対立ではなく対話できる関係の方がいいでしょう。今まで異常だったことがようやく平常に戻っていけそうです」
「そりゃあもう選挙で藤本さんが市長に選ばれたんだからそれが民意なんでしょう。市民が石丸市政の継続を望んでいれば、後継者である熊高さんが当選したはずですから。
石丸は結局のところ、4年間何の実績もなく安芸高田市をガタガタにするだけして、このままじゃ次の選挙は無理だと思って東京に逃げていったわけでしょう。
彼は地方議会の特色である二元代表制をまったく重んじることなく、とにかく自分の好き勝手で物事を進めるだけの独裁者でしたから。
そのパワハラぶりについて今、こと細かに言うつもりはありませんが、議会で議員をアホ呼ばわりしたり、私自身も高圧的な物言いをされたことがありますよ。
こうして『対立』を選んだ前任者に対し、新市長の藤本さんは『対話』を重視すると言っているので、これまでより市政は間違いなくよくなると思うし、またよくしていかないといけません。
一方でなんの実績もない石丸氏が知名度抜群の蓮舫さんをおさえて2位になった都知事選に関しても、東京都民の『民意』なんだと思います」
その都民の民意が反映された都知事選後の民放各社の選挙特番で、石丸氏はコメンテーターやアナウンサーの質問をはぐらかしたり逆質問でキレてみせる様子がSNSなどで拡散され、パワハラ体質が早くも懸念されている。
今後は「まだ決めていない」としながら国政転身について「選択肢としては当然考えます。例えば衆院選広島1区。岸田首相の選挙区です」と述べるなど、強気キャラにも拍車がかかったようだ。驕る平家は久しからず。どうぞご随意に。
https://news.yahoo.co.jp/articles/742c4dea089b23506482ee3bccf5a568cc58b0b2
なるほどなあ
https://anond.hatelabo.jp/20240708105059
血のつながりはないし会ったこともない親戚だけど、幼稚園で内田有紀さんと結婚の約束をしてた人がいたのを思い出した。
その人はオーストラリアに留学中ということでスタッフが取材に行くと、夏休みなので日本に帰ってますと言われ日本にとんぼ返りという茶番を挟みつつ、ついに親戚が登場かと思ったら、実は音声さんのふりをして最初からずっとスタジオにいましたというオチだった。
6歳年長なんだけどさ
夕方の公園、同年代の子はもういない、友達も全員帰宅、でもまだ自分は遊び足りない
そこに果敢に「一緒に遊ぼ」しにいったのよ。
女の子たちは以前からよく見かける子達なんだが、かなりお育ちが悪いグループ、
いつも傍若無人に遊んでる
息子のモテモテ人生もここまで、社会舐めんなよ、大人の現実世界の洗礼を受け挫折するが良いさ、と静観
息子が名前を名乗ると名前いじりされた、それでも一緒に遊ぼうと頑張ったが
(ちなみに女子たちは近くに居る俺が父親との認識は無い、目線も向けなかったので)
まぁそうなるだろなw泣いてこっち来るだろな、なんてフォローしようかと待っていたが、
彼は20mほど離れた木の上に登って背を向けていじけ始めた
結局女子たちは慰めに行った、しかしすぐには許さない、女子たちの自責の念を醸成させ謝罪させ、そこから完全に主導権を握って4人で遊び始めた。すげぇぇぇぇぇぇぇぇ
それ計算してやってる?
普通なら俺のところに泣いて来るよね?
ともかく女子たちを散々振り回して遊び、
自己中鬼ごっこ、自己中だるまさんがころんだ、自己中水鉄砲のフルセット
女子たちは門限を相当超過していたようで「やっべぇマジ叱られるーーー」と絶叫しながら帰っていった。
息子は「あー楽しかった」だぜ。こえぇよwwww
※最初ブラック勤務云々ってタイトルにしてたが、ブラック関係ない話になったのでタイトル変更した
専業主婦が辛すぎたので現在はフリーランスになった。今は夫にほとんどの家事育児やってもらってる
もともと社畜だったから、「これなら育児とかぬるゲーだろうな」って思って結婚&出産した。
効率良く家事をすれば良い…と思っていたが、よりよい子育て環境の代償に効率を捨てなきゃいけないことが多いね。
料理中、子供が「ママ包丁で何切ってるの?手伝いたい!」と言えば、
「じゃあ、手を洗ってきてね。」と言ってやる。
急いでテレビを消してやる。(お手伝い中に子供がテレビに気を取られると危ないので)
まな板の周りに置いておいた調味料類を脇にどかしてやる。(子供が肘で倒したりするのを防ぐため)
「脇のとこにあるでしょ」と言ってやる。
「ないー!」
見に行くと、踏み台の上に手拭きタオルが一枚落ちており、それで踏み台がないと思ったようだった。
子供の甘えん坊モードが発動して「ママ〜石鹸が出ない〜」と言うので、ハンドソープに手をかざして出してやる。
※手をかざすと出るタイプのハンドソープだが、子供の手で反応しないことがある
昼間は調べる事が多い…。虫とりと虫の育て方とピアノの引き方と、小学校入学に向けて子供部屋を新設するための家具選び、これらを子供の自主性を促しながら計画している。
それと別に、先日街でストリート手品を見かけて、子供が手品をやりたいと言っているので、教えるために必死で手品を覚えている。
太鼓の達人もやりたい!と言っているので、おうち太鼓のDIYについても調べている。(ゲーセンにあるような太鼓を自宅で再現することができるらしい。)
ご近所迷惑にならないように、防音パネルを買ってきて、小さい防音スペースを作ってやって、そこで太鼓の達人をやらせてあげたいな。
いや、それ以前に野球やサッカーを習わせるべきか…?近所にいくつもサッカー教室がある。どう選ぼう?
更に、フリーランスで働いてるので自分の仕事もスキルアップのための勉強も必要になってくるし、持病と歯医者で月に3〜4回通院している。いいお医者さんの病院は、待つことが多いので4時間くらい潰れる計算をしている。
待ち時間には、クレジットカードの明細や銀行の入出金、携帯代のチェックなど、金融機関やモバイル決済で入出金を全チェックしている
6歳年長なんだけどさ
会話も達者だし勘所がいいのかコミュ力が異常に高い
ホストかよ
じゃねぇよボケ
俺なら即答おままごとですよ
ホス狂いかよ、振れ、捨てろ、切れ、クソ男に見切りをつけろ
あぁそういえば昔は仲良かったな、みたいな
今がチートタイムなのわかってる?与えられたリソースを最大有効に使えと
ともかくだ
そういう心意気がまったくねぇのよ、6歳だから当たり前だけど
一応、20代前半にデートとキスと乳揉みは済ませるも、セックスはできなかった。強迫性障害による性病恐怖症でセックスに踏み出せずこの歳になってしまったのだ。だけど俺は、女体を抱きたくて仕方ない。
思えば性の目覚めは早く、幼稚園の頃だった。男女共用のトイレで同級生の女子を下から覗こうとした(見えず失敗)。下級生が昇降口でおしっこ漏らして先生にシャワーで洗われていた時に、シャワー室の扉が開いていて外から偶然見えたマンスジに衝撃。校庭でマンスジの絵を描いて自分の受けた衝撃がいかにすごかったかを友達に力説した。
小学校では、銭湯で男湯に入ってくる女児の裸に興味津々。4年か5年で精通してからは銭湯で見た女児の裸でオナニーした。
中2の頃、近所の水遊び場のある公園に行ってファミ通を読むフリしながら裸で遊んでる女児を観察し、家でオナニーした。もちろんロリコンではないので人並みに同級生の女子の裸を妄想してオナニーする方が圧倒的に多かった。高校からは男子校で、さらにプライベートなネット環境を手に入れたので延々とエロ動画を漁っていた。
そして、23歳の時、友達とナンパした一個上の女の子と初デート。そして初キス&乳揉み。手を繋いだ時の、手汗のベタつきと、舌まで入れたキスのあったかいぬめりと、服の中に手を入れてまさぐった生乳の柔らかさと乳首のコリコリした手触りは今でも覚えている。もちろんセックスしたかった。当たり前だ。こちとら5歳から女体に興味津々だったのだから。でも、強迫性障害からくる性病恐怖が突然頭をもたげて断念。なんならキスしたことすら不安になりその場から逃走。それから、重度の性病恐怖症になった。
でも今だって女体にむしゃぶりつきたいと思う。しかしそれはできないので素人系AVを観て男優に自分を完全に投影させて毎日妄想セックスに励んでいる。このところ性欲が以前よりも増していて、セックスの欲望がとまらない。それは20代のうちに若い子の味を知りたいという焦りでもあると思う。
ちょっと前までは30歳童貞になってもいいと思っていた。「いっちょ魔法使いになってやるか!w」なんて仲間内でネタにしたりもした。だけど、俺は30歳まで童貞なんて嫌だ。魔法なんて使えなくてもいい。30歳童貞になったら、「二度と戻っては来ない20代」にセックスできなかったことを一生後悔するだろう。
性病恐怖症を乗り越えて、人間に与えられた快楽の園へ入りたい。だから俺は、この残された一年という時間の中で覚悟を決めるつもりだ。
俺みたいな悩みで童貞こじらせてる奴もいるということを知っておいてほしい。
両親はガキが死ぬかもしれないって思わないんだよな
保育園や幼稚園や学校で通園通学してたら交通事故で死ぬかもしれないって思わないのって馬鹿だよな
他人に自分の子供を預けて育てたら万が一でもそういうことが起こるって考えてない馬鹿両親
なんでこいつらって学ばないんだろうな
こんにゃくゼリーもそうだが悪いのは見守ってばかった両親ども
いやー滑稽だわ
自分のガキが死ぬ可能性を考慮してから産んでないとか馬鹿だなぁ
悲しいことが起きるかもしれないのに
ガキが死んでようやく気づく馬鹿両親
これで身震いするほど嬉しくなる
常に不幸になる恐れを意識して生きなかった罰
ウクライナもパレスチナもウイグルもみんなみんな苦しんで今日を生きるのに精一杯
こんなクズな親はガキが死んでも当然だろ
父親「オラァー!しょうごをいじめた奴でてこい!ぶっこ◯したる!!!」
母親「くのやろう!戦争じゃボケェーボケェー!ぶっこ🌲すぞ!」
祖母母「血も涙もないんかあんたら!血の海に変えてもええねんぞ!」
祖父父「永久欠番だ!お前ら孫をいじめた奴の人生は永久欠番だ!」
俺は学園の頂点にたった
だがその天下も長く続くことはなかった
俺はバイク事故に巻き込まれて今も後遺症のせいで歩くのがしんどい
人生ってのはな
旧姓で事件が報道されたときは夫の指名も職業も情報がでてきたが
離婚して苗字が変わってからはいくら検索しても夫の名前も職業もわからなくなっている
おそらく事件後も夫は事件前と変わらず仕事を続けているんだろうな
遠矢姫華の顔写真が一枚も流出しないこと、報道されないことが奇妙すぎる
おそらく夫はもうあの家には住んでいないのだろう
もう一度繰り返すが遠矢姫華の顔の写真が全く表にでないことが奇妙すぎる
事件のネットニュースが複数でたが、そのニュースが削除されるスピードが異常に早い
衝撃的なニュースなのに申し訳程度に、控えめに報道されて、ネットニュースもできる限り削除をして、人々がこの事件を忘れるように仕向けているみたいだ
この事件に執着している、ずっと記憶にとどめている人間は少ないだろう
この事件よりも池袋の母子自動車事故死や河本千奈ちゃんが幼稚園バスに置き去りにされてなくなってしまった事件のほうが人々の記憶にずっとずっと残り続けていくのだろう
もし殺された三姉妹の写真がニュースに載れば、「こんなかわいい子供たちを殺したのか」と世間の人々は遠矢姫華に対して怒りがわいただろう
被害者の娘たちの写真が報道されなかった効果もあり、この事件は遠矢姫華に同情する人たちがたくさんいた。裁判員、裁判官も含め
死刑にならなかったのは裁判関係者が遠矢姫華に同情したからだろう
父親、義母のほうが悪者になり、遠矢姫華に同情する人たちがたくさんいた
自分達が育児に苦労しているから「大変だったんだねつらかったんだね」と遠矢姫華に同情する
ふざけるな
本当に大変でつらい思いをしたのは、最愛の母親に最期に裏切られた娘たちだ
本当に衝動的な殺人なら遠矢姫華はなりふり構わず素手で三人殺している。
まず一番簡単に殺せる三女の首を絞めて、その後三女は生き返ったのに二度も三女を絞殺してとどめをさし
次女はスマホで画像を見せて、そこに意識を集中させてその隙に首を絞めて殺し、
長女は絞殺するときに長女の長い髪が邪魔になるからと長女の髪をわざわざ縛っている
苦しむ娘たちの顔をみないようにわざわざ後ろから絞殺している。
繰り返すが、本当に衝動的な殺人ならなりふり構わず娘たちに馬乗りになって正面から殺している。
殺す前にパンケーキを与えたのは、娘たちを殺すための儀式のようなものだ
遠矢姫華には彼女なりの殺人の美学(被害者の苦しむ顔を見ないために必ず背後から殺す。殺す難易度が低い順に三女、次女、長女の順番に一人ずつ殺す等)がある。パンケーキを買い与えたのは娘たちを殺す前の気持ち悪い儀式をするために過ぎない
遠矢姫華は自分の育児が自分の理想に及ばなかったからという身勝手な理由で三姉妹を殺している。
完璧主義な性格と報道されているが、ただのこだわりの強い人である。
これだけの事件を起こしておきながら、顔写真の一枚もリークされず、卒業アルバムすら流出せず、
ある企業の担当者が「履歴書をPCで作成して、PDF形式でメールに添付」という応募方法で求人募集をしたら「自称PC・オフィス使えます系の応募が全滅して負担が減った」のだという。
それぞれの投稿に対し、Xユーザーからの感想として「事前の実技試験としてありかも」「これだけで大きなフィルタリングになるのか」と納得する声がほとんどだった。
企業側としては、業務でパソコンやOffice系ソフトを使うためにこのような条件にしたという。それまでは実際に使いこなせない応募者や採用者がいて苦労していたことが伺える。
元投稿者は「PCとかめんどくさい!と思うならお互いのためにも他の会社でいい」「覚えるぞという気持ちがあればいい、仕事探しているけど何も学びたくないという方だけは…」とも述べており、採用活動におけるマッチングの大切さや、正直に利用経験を伝えることの重要性が感じられる話だった。
若い世代はパソコンが使えない?
採用側の声についてはこんな話もある。人を雇う時に「『パソコン使える人』とすると60%くらいが脱落、特定のソフトの利用経験まで含めるともっと減る」と述べたXユーザーの投稿が話題になった。
実はパソコンが使えない人、そもそもパソコンを持っていない人は決して珍しくない。その理由がわかる一例として、幼稚園でPTA活動をしているXユーザーが「パソコンは使えないですがスマホなら」と言われて戸惑ったという投稿を紹介しよう。
投稿によると「パソコンが使えない」と言ったお母さんたちは20代〜30代だという。これに対して別のユーザーから「パソコンが使える世代はほとんど今の30代後半から40代だけ」という指摘が上がった。