2024-07-09

自分の父が毒親だとわかった日

「30年近く同居している祖母精神疾患があると知った日」

https://anond.hatelabo.jp/20240706023024

数日前に↑を投稿した。

思ってた以上にたくさんの方に反応してもらえて、本当にありがたかった。私は自分の家のことを誰かにしたことほとんどなかったから。

前回の投稿追記にも書いたが、父と言い争いをした次の日、私はカウンセリング相談に行った。

そして、カウンセラーに「あなたのお父さんは残念ながら世間一般で言う毒親です」と言われて衝撃を受けた。

コメントでも、父に対し「毒親だ」「まともじゃない」「そんな親からは逃げろ」という意見が見られた。

正直、私は今も自分の父を毒親という言葉表現していいのかはわからない。

でも、私にとっていい父親ではなかったと、ようやく思えるようになった。

長い間、父がおかしいのか、自分が求めすぎているのか本当にわからなかったのだ。

私と同じように、父から、あるいは母から離れるべきか悩んでいるひとも多いはずだ。

悩んでいる方の参考になるかわからないが、私が生まれるまでの父の人生と、私から見た父と祖母の話をそれぞれ書き出していく。

私には父方の祖父がいない。幼い父と叔母(父の妹)、そして専業主婦だった祖母を置いて、祖父は突然出ていったからだ。そこから祖母は女手ひとりで父と叔母を育てた。私が想像もできないくらい壮絶な生活だったのは確実だと思う。

それでも父は猛勉強して、希望していた大学合格し、それなりに知名度のある有名な会社に入った。そして実家を出た。数年後、叔母も実家を出て、祖母一人暮らしになり、このタイミング精神疾患発症し、精神科に3回入院していたようだ。

父はその事実を伏せたまま母と結婚し、その数年後に私が生まれた。その2年後に妹が生まれ、同時に祖母との同居が始まった。

父は定年まで同じ会社で勤め続けた。おかげで私は金銭的に苦労をしたことがない。

父も叔母も祖母も、祖父が出ていったときの話を一度もしたことがない。なぜ私が祖父が出ていったことを知っているかと言うと、父方の祖父がいないことを不思議に思った私が、子どもの頃に母に理由を聞いたからだ。母は言いにくそうにだったが教えてくれた。加えて、「お父さんがいるって本当に幸せことなんだよ」と私に言った。この言葉が、わたしの中で、ひとつ価値観になってしまった。

ここからは私から見た家庭内の話になる。父のことから書いていく。

父が仕事から帰ってきたとき、母は「おかえり」と必ず声をかけていた。でも、「ただいま」を父が返すところは見たことがない。

父は母が作ってくれた食事を美味しいということは一度もなかった。眉を顰め、あまり噛まずに飲み込む。うまく切れていない野菜を箸でつまみあげ、「見てこれ。ひどいね」と笑いながら言うこともあった。母の前で、私や妹に向かって言うのだ。

仕事が忙しくなり、私が寝た後に父が帰ってくるのが当たり前になった時期があった。母が父の分の食事ラップをして、箸を置いて、すぐ食べられるように準備しているところを私は見ていた。私が朝起きても、食事はそのままだった。母はそれを流し台に捨てていた。

家族食事をしているとき、私が箸を落としたり味噌汁をこぼすたび、父はうんざりした顔をして、なにも話さなくなった。母に「なにやってんの!」と怒られることより、自分のせいで父の機嫌が悪くなることのほうがなぜかずっと怖かった。

私は母のことが大好きだった。同じくらい父のことも大好きだった。でもなにより、父に嫌われることが怖かった。

から母はかわいそうじゃない。父は母をそういうふうに扱っていいひとなんだから。母の失敗は笑っていいんだ。そう思っていた。私は切れてない野菜を見つけるたび、父と笑った。母は何も言わなかった。

気づけば、元から会話が少なかった父と母はほとんど話さなくなった。相手用事があるときは、私か妹に伝言を頼むのだ。

喧嘩しちゃったのかなあ」と私は思っていた。それでも、すぐ仲直りするだろうと気にしないようにしていた。

いつしか父と母が話さないことが当たり前になっていた。そしてそれに触れること自体タブーなんだとわかっていた。

学校休みの日、「〇〇(近くの遊園地)に行くぞ!」と突然私と妹に行った。父の行動はいつも突然だった。どれだけ気乗りしなくても、私も妹も何も言わず父について行った。それが一番正しい行動だと思っていたからだ。

でも、その日はどうしても行きたくなかった。家で友達から借りた漫画を読むのを楽しみにしていたからだ。

行きたくない。家にいる」と返すと父は「行ったら楽しいぞ。行こう」と眉を顰めつつ言った。少し怖かったが「読みたい漫画があるから」と返した。「そんなんいつでも読める。行くぞ」うんざりした口調で父は言った。どれだけ駄々をこねても、私が泣き出しても、父は全く引かなかった。私は諦めて遊園地に行った。

父は私を楽しませようとしているんじゃなくて、"休日に娘を遊園地に連れていった"という事実がほしかったんだと気づいたのはもっと後のことだった。

中学生になると流石に父との会話は減ったが、それでも父が好きだった。正直、父の振る舞いに違和感を感じていた。信頼はできなかった。父の行動を真似るのはやめた。でも父に勉強を教えてもらうのも好きだった。そして、まだ父が怖かった。

そんな家で育った私が友達の家に初めて泊まった日、衝撃の連続だった。たぶん、私が中3か高1の時だったと思う。

その日、友達のお父さんは先に夕食を済ませ、夜勤に行く準備をしていた。夜にお仕事するひともいるんだなあと思っていたら、お父さんがお母さんに「たぶんいつもより遅くなる」と話しかけた。お母さんが「ならお腹空くやろうから朝ごはん多く用意しとくわ」と答えていた(多分こんな感じの会話だった)。

え?お父さんとお母さんってこんなに普通に話すもの

友達のお母さんが私と友達に準備してくれた食事を食べていると、友達が「このおかずめっちゃ好きやねん!」と私に言った。友達のお母さんは「いつもそれ言うから今日は多めに作ったよ」と笑いながら言った。

え?お母さんの食事って、おいしいって感じるもの?そしてそれを伝えるもの

友達の家の全てが衝撃だった。

私の家のお父さんって、もしかしてひどいお父さんなんじゃないか

私って、ひどい娘なんじゃないか

ずっと感じていた違和感の正体がわかった気がした。

そしてモラハラ、という言葉を知ったとき、まさにお父さんじゃんと思った。

それから、父との関係は一気に悪くなった。勉強でわからないところがあっても父に聞かなくなった。あまり顔を合わせたくなくなった。

父が突然態度が変わった私に困惑するのを感じた。まあ反抗期なんだろうと納得しようとしていたのもわかった。

私が直接父に不満を言うことはなかった。

父にはお父さんがいないんだから。父の方が私より辛かったんだ。そして、"父"を知らないんだから父親が下手なのも当然だと思っていた。

父が友人とどこかに出かけることは見たことがなかった。会社の人と飲みに行くこともほとんどなかった。

父には友人がいないことにも気付いていた。だから私のように自分以外の家庭を知るきっかけもなかったんだろうと、私は自分を納得させて生きてきた。

自分父親大事にできない自分こそ、"娘"が下手なんだと思う気持ちが強かった。

それでも父への違和感は日に日に強くなっていった。

こうして私は父を避けて生きるようになる。

ここから祖母の話になる。

正直、祖母との思い出はほとんどない。私が幼稚園の頃、オセロ相手をしてくれたことくらいだ。

日中妄想独り言を呟き、自分で作った変な歌を大声で歌い、一人二役で会話をする。 部屋に監視カメラがついていると言ったり、テレビから電磁波が出てると大騒ぎしたり、好きな野球選手結婚することになったから出て行くと言い出したり。皇室手作り人形を送りつけ、返送されることもあった。そして母や親戚と揉め事を起こす。それが私が知っている祖母の全てだ。

様子がおかしくなっていく過程を見ていたら、病気になったのかと疑うこともできたかもしれない。

でもまともな祖母を見たことがなかった。だから祖母は生まれた時からこういうひとなんだと思っていた。

祖母普通じゃないかもしれないと思ったのは、私が高校生の頃だ。

クラス友達数人とお昼を食べていると、友達の1人が「最近おじいちゃんボケてきててさ、ご飯食べたばっかりなのに食べてない!って言うんよね。認知症の人ってほんまにそう言うんやってびっくりした」と笑いながら話していた。別の1人が、うちはひいおばあちゃんボケちゃって〜と笑っていた。

それを聞いた私は、点と点が繋がったように感じた。

みんなのおばあちゃんよりちょっと早いけど、私のおばあちゃんのあの行動は、認知症だったのか!と本気で思ったのだ。

祖母のことは、今まで誰にも話したことがなかった。でも、認知症だったんだ。それなら話せる!と私も笑いながら友達に言った。

「うちのおばあちゃんも、なんかテレビから電磁波が出てるとか、部屋に監視カメラがついてるとか、会ったこともない好きな野球選手結婚するから出て行くとか言うんだよね」と。

空気が変わるのを感じた。みんなが一気に警戒するのがわかった。「いや、それ、ボケとかじゃないんじゃない?病院に行ったほうがいいような…」と1人が遠慮がちに言った。周りも同意するように頷いた。そしてすぐに違う話になった。

今なら笑えるが、当時の私にとっては本当に恥ずかしい出来事だった。やっぱり祖母普通じゃないんだ。それがわからなかった自分普通じゃないんだ。死にたくなった。それから誰にも祖母の話はしなかった。

私が部屋で寝ていると、深夜にドンドンドンドン!と凄まじい勢いでノックする音で目が覚めた。

「〇〇ちゃん!〇〇ちゃん!」と部屋の外から祖母が私を呼ぶ声が聞こえた。

私が「もうなに!?」と声を荒げて扉を開けると、「なにかあったか?なあ、なにかあったか?」と、祖母は虚な目で縋るように私に聞いた。

祖母には何かが聞こえたんだろう。何かが見えたのかもしれない。でも私には何も聞こえてないし見えてない。私は「なにも起きてない!もうほんとにやめて!」と怒鳴って部屋を閉めた。部屋の外から祖母がなにかブツブツ呟く声が聞こえた。布団を被って目を瞑った。しばらくすると、祖母が諦めて自分の部屋に戻って行く音が聞こえた。

次の日、祖母が「昨日は悪かったなあ」と涙を浮かべて私に謝ってきた。勘弁して欲しかった。泣きたいのは私だと言ってやりたかった。私は祖母無視してその場を離れた。

部屋に戻った祖母が大声で歌ってるのが聞こえてきた。「〇〇さんお願いしまーす!〇〇さんと結婚しまーす!ひとりで〇〇さんのところに行きまーす!」と何度も何度も繰り返していた。

こんなことは日常茶飯事だった。

祖母がずっとずっと不気味だった。

でも病気なのか、もとからそういうひとなのか、私には本当に長い間わからなかった。

祖母が早く死んだらいいのに。

そしたらこの家ももう少しはまともだったかもしれないのに。

そう思うこともあった。

そんなことを考える自分が情けなかった。

気付けば、私は祖母のことを見えないもののように振る舞うようになっていた。それが一番楽だったからだ。

これが私から見た父と祖母だ。

もちろん書いたことが全てではない。

父や祖母から愛情を感じることもあったような気がする。

でもなぜか今は思い出せない。

父も祖母も、普通じゃなかった。

私は、気づくまで30年近くかかった。

記事への反応 -
  • 10年以上冷戦状態だった父親と喧嘩した。ら、タイトル通りのことを知ることになった。今後振り返ったときに実際に起こったことだけを認識できるよう残しとく。ただの喧嘩の記録。 ...

    • 「30年近く同居している祖母に精神疾患があると知った日」 https://anond.hatelabo.jp/20240706023024 数日前に↑を投稿した。 思ってた以上にたくさんの方に反応してもらえて、本当にありがたか...

      • 父親はまともじゃない家庭で育ったからモラハラモンスターなんやな どんな経緯があろうとモンスターはモンスターや さっさと処理するのが正解やで あと、おまえもまともじゃない家...

        • 父親は単に父親のいない家庭で育っただけ。 祖母が統合失調症であろう病になったのは父と叔母が出ていってから。

      • お母さんと一緒に逃げろという意見もあるけど、 お母さんは成人で、自分で選んで自分の意思でそこにいるんだということは忘れない方がいい。 そのような成育環境に増田氏姉妹を置い...

      • 祖母も父も相手するにはしんどい相手だけど、そうなった原因(育ち、病院)が察せられるからこそ、より辛いな せめて祖母が薬とか治療で少しでも良くなるといいなと思うよ 関係者...

      • 久しぶりに長文ちゃんと読んだわ。 文章がちゃんとしてるのと、設定にリアルがあったからだな。 マジレスするとおばあちゃんは狐憑きってやつだからお祓いいけ。 それでも直らなけ...

    • 人んちの話なのにうんざりする おつかれ。

    • こどもっぽ~い

    • >「何十年も問題なかったやろ。こんなふうになったのはここ数年の話やろ」 隣のホッテントリ、インティマシーコーディネーターと同じ構図だ

    • 母子で逃げて見捨てるか今からでも治療・服薬を再開するかの2択だと思う 長年の無治療は予後が悪いがそれでも自宅で看るのは無理だからせめて服薬はしてもらう必要がある 本人の病...

    • 治せる薬ないんだし 飲まないんだろうし 実際連れてっても無駄は無駄では? いやほんと一生入れるのにはもっと重度なならんとだし。

      • 体が元気ならグループホーム勧められるかもね 私も義理のおばが入ってる 精神障害者向けのグループホームへ入居する際は、「精神障害者保健福祉手帳」を所有し、障害支援区分1〜6...

    • 幸せになるって難しいよね。 そこから動いて安らかな暮らしを自分からつかみ取りに行く。 流されたり自分に同情してても前に進まない。 親の人生と自分の人生は地続きではない。 今...

    • 自分の肉親が気が狂うということの衝撃が想像できるだろうか. 気違いの息子として生きることの重さがわかるだろうか. おれにはわかる. あまりにも辛い. お父さんはずっと耐えきた. お...

      • 家族の大半が精神疾患や発達障害を患ってるんで「そんなもんやろ」という感想しかない。

      • 気違いの息子として生きることから逃げて妻と子に押し付けてきただけじゃん

    • 父親も追い込まれてるだけやろ。 追い込まれて余裕のない人間は優しくできない。 社会から追い込まれながら働いて金を稼いできた父親に対する態度がそれか? まあ、いまは男女平等...

    • カウンセラーの人の言う通り、もう今すぐ母とあなたでそこを出るべき。 祖母の診察とかどうでもいい。実子がどうでもいいと思ってることをあなたが気にする必要はない。聞き流せば...

    • 生まれた時からまたは物心ついた時からそうであるものって、それが客観的にみて普通ではないものでも、たとえそれが他の家庭ではそうではないということを知った後でも、普通では...

    • 毒親判定が出たところで、その言葉を作った書籍「毒になる親」をお勧めする。増田ははからずもこの本で勧められている方法(毒親と直接対峙する)を一部実践できたように見えるが。 ...

    • 読んだ 壮絶だった

    • よくある話。 祖母が統合失調症で認知症、家族は介護疲れ。 父は普通の人だが、祖母の影響でカサンドラ症候群のきらいがあるようだ。 娘は病院に行かせることに固執しているが、無...

      • これ読んでゾッとした 血縁の責任って怖い けど元増田母が離婚して、元増田が母方につけばどうなの?それでもやっぱり血縁だから祖母のメンテ義務がある感じ?

      • 介護エアプ乙 血族だろうがソーシャルワーカーと医療者の使い方次第でどうにでもなるわそんなもん 民間でもこういうケースで上手いこと逃げさせるサービス出てきてるしな

      • 病院に行けというのは、父親に対してお前が実母の現実と向き合えと言ってるのだ

    • ボケると変な被害妄想言い出すよな

    • もう祖母の世話全部父親にさせて母親とあんたは関わるのやめたら? なんなら母親離婚して2人で住んだ方がええやろ そこまで父親が適当な対応するなら被害被ってるあんたらが我慢す...

    • なんで父も含めてみんな中卒の独身アラサー女子みたいな喋り方するわけ?

    • うちもおんなじ感じだった。 祖母が脳卒中で半身不随と認知症で要介護5になった。 父が在宅介護するといったのに介護は母に任せて家に帰らず毎日飲み歩いていた父。 夫婦喧嘩や母が...

      • とんでもない事をしていた過去を美化するのは毒親の基本ムーブやで そんで子供や身内が離れていくと 「あんなにしてやったのに子供は薄情だ、私は哀れな被害者」 って被害者ポジと...

    • 本来赤の他人である義母に叩かれて夫から欺かれても我慢して惨めに生きるなんて母親は哀れだな こういう結婚生活に我慢しなくても良くなったんだからいい時代だよ今は

    • クソ親父やだーー!って思った

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん