2024-07-11

民草

パリピ孔明に「民草」という言葉が出てきて、 おそらく意味としては 「何の才能もなく平凡だが、毎日一生懸命に生きてる人々」 みたいな意味なのだろうが、 最近、どうもこの言葉に嵌ってる。

三村財務官の母校が麻布であることを調査する際に

麻布生が「日本国王」になれない理由1

http://blog.livedoor.jp/advantagehigai/archives/66112831.html

という記事を見つけたのだが、ここでは開成麻布の対比として、 仮に両方とも、10努力をすると100点をとれるとすると、 開成生は12努力をして120点をとりにいこうとするが、 一方で麻布生は8の努力をして100点を狙う省エネ戦法で行くのかというと それどころか3の努力で80点を取りに行く精神性があると書いてある。 だから麻布生はトップ国王)になれないのだ、ということだ。

これは中学受験にも問題があり、 麻布入試は明確に、3の努力によって80点をとれる子を選抜している。 麻布入試はよく、対策不能と言われるが、 そういう、ゴリゴリ努力したとてとれない問題を出すことによって、 超地頭キッズ選抜しているのだ。 偏差値では足りてたけど、落ちたという場合、 それはたぶん、地頭が足りなかったのだ。

麻布生はまさに「民草」とは真逆にある存在だ。 それ故に、おれは民草という言葉にハマってるのだと思う。 民草は、12努力をしても30点しかとれない人たちのことだろう。 ガイジすぎて笑ってしまう。 まさに草だ。

さて、民草という言葉最近おれが突然ハマり始めたもう1つの理由はおそらく、 最近になってようやく民草というもの存在に気づいてしまたからだと思う。 何を言ってるかというと、おれは民草の存在最近まで感じたことがなかった。

おれが通った幼稚園は少し特殊で、その中でもよく遊んでいた子に TくんとNくんがいるが、ともに早稲田慶応に進学したと聞く。

小学校公立だが、今思い返すと、「あきら特別から」と先生に言われていて、 その時は何のことかわからなかったが、今思うとそういうことだったのだろう。

おれの親は早期教育に反対していて、3年生になるまでは家庭学習は一切しなかった。 そのため、学校の成績はそれほど良くはなく、この前たまたま押入れの中から当時の成績表を見たが、 それはまぁ、ひどいものだった。

3年になると家庭学習も多少やりはじめ、そうすると成績が一瞬でトップクラスになり、 秋には地元の最難関中学受験塾に合格してしまった。 ここの塾に入るための試験はかなり難しく、かなりの子国立私立小学校か、 あるいは低学年向けの講座でゴリゴリに仕上げてきた子だった。 一方でおれは学校勉強ではトップクラスだったもの中学受験勉強はしてなかったので不利だったが、 試験中にすべてその場のノリで解いた。 問題パズルのようなものが多く、そもそも麻布栄光向きの子選抜するための試験だったので、それもおれには向いていたのだと思う。

入塾してからも一気に成績を伸ばし、 4年の秋には四谷大塚の組分けテストがあったが、 ここでも無事C会員に合格。 C会員の世界だと半分くらいは御三家合格するから、 ざっくりいうとこの時点で麻布栄光に行けることはほぼ確定した。 その後もそれなりに勉強はしたが、陸上部キャプテンとして陸上大会に出場したり、 自らミニ四駆部を立ち上げたり、デジモン転売業をやってボロ儲けしたり、 3以上の努力はしなかった。

結局、無事に麻布中学に進学し、超地頭キッズたちと楽しく6年間過ごした。 その後の大学受験は、高3の時に受けた鼻の手術がまずくエンプティノーズになったために残念ながら破綻したが、 あれがなければやっぱり3の努力東工大に進学してたと思う。 おれは、東工大で一番になり、MIT交換留学することが夢だったのだ(英語だけはそれなりにやり準一級までとってたのはこのため)。 結局その後京大に行ったが、 やはり民草とは程遠い世界だった。

新卒で入った日立製作所も、周りには修士以上が応募条件なので、 やはりここでも民草には会えなかった。 実のところ、それ以降の職場でも、特殊場合を除くと全員修士以上だった。

民草に出会ったのはようやく最近のことだ。 修士号もないやつがエンジニアリングをやるということが おれにはどういうことなのかさっぱりわからないのだが、 とにかく、民草学歴であっても、自分なりに創意工夫してエンジニアリングっぽいことをしてる 人たちがこの世には存在するということがようやくわかってきた。

まぁ、存在することはわかったとしても、 どうして彼らが自殺しないのかがよくわからないのだけど。 何が楽しくて生きてるの?

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