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はてなキーワード: 優等生とは

2018-08-05

anond:20180805131301

無能も平均も優等生も難度の高いことをさせれば失敗して死ぬのは変わらない

しろ優等生を失いたくなくて書類を偽造する可能性を増やし原因不明になる可能性大

ちょっと優秀程度の人出頭数がいっぱいのほうがインフラとして安定する

2018-07-29

anond:20180729142047

男も女も13で性機能撤去すればいいんだ

一部の超優等生けが機能を残し彼らは隔離施設子供を作って一生を過ごす

そこで生まれ子供が今年もまた入学してくる

2018-07-25

anond:20180725230920

アウフヘーベン高校副読本に載ってたろ。

車輪の下は、教科書には載ってなかったなー。優等生が落第するやつだろ。

2018-07-24

anond:20180724143600

お互いに良い関係なら分かるけど、一方的に蔑んできた奴が外面では優等生だとムカつくだろ

今回は何があってスペシャルサンクスで済ませそう

2018-07-21

つまるところ自分は今の状況を望んでたんじゃないか

優等生ではあった。けど勉強が好きなわけではなかった。

真面目で決められた約束事を守ることはできた。

けど誰かに従うことも人と関わる事も好きではなかった。

結婚はしたい、しなければ、と思っていた。

そのくせ先の話はひどく重苦しく全てが責務としてしか感じられなかった。

結婚の話がダメになるたび、落ち込む反面自由になったと感じていた。

今、もはや結婚なんて話もなくなり、週末はぼんやり今日は何をしようかな と思いながら目覚め

予定もないままフラフラと過ごす。

職場の同僚に昔言ったことがあった

「追いまくられるように仕事するのに疲れた。朝会社に来て今日は何をしようかな、って考えられるような余裕のある仕事がしたい」。

同僚は「マジっすか、それって全然仕事がないって事じゃないですか笑」そう言って笑った。バカなこと言ってる、とでも言うように。

その時自分冗談を言ったつもりもなかった。

今朝目が覚めて、まるで予定もない週末

今日は何をしようかなぁと思った。

買い物にも行きたい、大物を洗濯したい、近くのプールにも行ってみたい。

なんの予定もない週末は同情すべき残念な私なのかもしれない。

けど自分はむしろ望んでたのかもしれないなあとちょっと思った。

2018-07-08

anond:20180314063245

20万人と言えば、総人口1.2億人の中の 0.2% にも満たず、500人に一人より少ない。

一学年で3000人と言えば、同学年の総人口100万人の中の 0.3% であり、300人に一人より少ない。

この割合は、超エリートと言うほどではないが、身近な優等生ないし秀才くらいの割合から、まあ、エリートの有力候補くらいに思えばいいのではないだろうか。

私生きてもいいんじゃない

なんか、すごい唐突に「私生きてもいいんじゃないか?」と思えて、明るい未来を描けて、根拠のない自信に溢れて、涙が止まらない。

運動をしたからか、甥(5歳)と二人きりで過ごさせられたことが思いの外楽しかたからか、色々理由はあると思うけど、唐突に「なんか、これから人生なんとかなる気がする!」「楽しい人生を送れる気がする!」という楽観視が出来るようになってる。

今まで「楽しい未来」を想像することがマジで本当にできなくなっていたのだけれど、なんか、漠然と「楽しい未来」が想像できる。帰り道とか、食後とかに幸せ」を感じている未来想像できる!すごい!!「幸せ妄想」ができる!感動!!

私、今まで自分のことをうつではないと思っていたのだけれど、冷静に考えてうつに片足突っ込んでいたのでは?と思う。

・「自分は生きてはいけない人間」「自分ダメ人間で悪い子」「どう頑張っても幸せにならない」「幸せになってはいけない」などと無自覚に考えている

・ゆえに肉、甘味、酒などを接種しない(食べるときは罪悪感を感じながら食べる/食べた後に罪悪感に襲われる)

・何か楽しいことがあったあとは「私には楽しい思いをする資格がないのに…」と罪悪感に襲われる。

・やりたいことが見つからない。食べたいものが分からない。正確に言えば私のなかに色々な願望はあるのだけれど、無意識に私にはそうする資格がないと諦めている

死にたいな、死ぬべきなんじゃないかなと思いつつも死ねないことに絶望している

この辺、全体的にうつの症状では…?

・頑張ることが怖い、しんどい、つらい思いをしたくないと口癖のように言っている→うつは頑張っている人がなるから、頑張っていない私はうつじゃない

という思考回路自分うつ思考全然自覚できていませんでした。上にかいたことも全体的に「今思えばこう考えていた」です。

例えば、母に働けと言われたときに、私は職場上司に出来が悪いと叱られ、同僚に感じが悪いと白い目で見られる妄想しかすることが出来なくて、そんな思いをするくらいなら絶対に働きたくないと思っていたんだけど、今思えばなんか、そんなことなくない?

人を人として扱えない人もそりゃいるけれど、心の優しい人はそれなりにいるし、仮に嫌な目に遭えば、転職すればよくない?

ーーー

基本的に悲観的な考えが頭を占めている時は、楽観的な思考はどこかに行くし、そもそも自分が悲観的だと自覚できていない。

理想は悲観的な私と楽観的な私が同じくらいの分量で話し合う脳内だろう。

でも、今はなんだかすっごい躁モードな気がするから、はやく落ち着きたい。後でガタがきそう。

おそらく私はゼロヒャク思考が強めなので、鬱モードになったときに「躁モードの時と同じだけ頑張れない私」が許せなくて、いっそなにもしないということをしてしまいがちなのだけれど、「必要最低限頑張れた私」「そこそこ頑張れた私」を認めてあげるところからはじめるべきでは。「100点以外は0点と同じ」という思考ではなく、「60点もとれた私偉い!すごい!」という思考にするべき。あと、躁鬱の概念すごく便利。「今私は鬱モードから」と全力馬力を出せない自分を許せる。というか「全力馬力は躁モードの私だから本来の実力ではない」と言い替えた方が私にとってよいかも。私はおそらく躁うつ双極性障害)ではないのだけれど、そのスペクトラム上にはいると思う。

ーーー

ねえ、もしかして私「頑張らなくても"良い"」んじゃない?頑張っているかどうかで、私の良し悪しとか、変わらなくない?

別に頑張る必要がないわけじゃなくて、頑張ろうが頑張らなかろうが私は私なんじゃない?「私」に頑張るか頑張らないかなんて、関係ないんじゃない?

今はまだ半信半疑で「本当に頑張らない私も私としてしまっていいのか?」と思っているけれど、頑張っている私も私だし、頑張っていない私も私なのでは?頑張っていない私を否定する必要はないんじゃない?むしろ否定していると、先に進めないんじゃない?

そう思えると私は随分生きやすくなるなあと思うのだけれど、どうだろう、本当にそんなことおもっちゃっていいの?大丈夫?後で取り返しのつかないことにならない?取り返しつかなくなったその時に考えればいいのかな。本当に大丈夫

頑張ろうが頑張らなかろうが私は私だからこそ、思う存分頑張ることができるのよ。

必要最低限頑張るで十分なんじゃない???

ーーー

優等生でありたい願望を捨てるんだよ!!!

優等生であろうがなかろうが、完璧であろうがなかろうが、私は私だからこそ、思う存分優等生を目指せるんだよ。

私、自分のことをたいして頑張れる人ではないし、完璧主義者ではないし、優等生でもないという評価だったのだけれど、自分でそういう評価をするということは、その実自分が誰よりも優等生完璧で頑張れる人に憧れ、なりたいと思っているということなのでは?そんなものになる必要、なくない!?

人間は失敗する生き物なんだよ。失敗した自分否定しないで受け入れて。失敗しても成功しても、私は私、どっちでも同じなのよ。で、どっちでも同じなら、成功した方が嬉しいよね。

「頑張らなくても"良い"」の対偶を書くなら「頑張らないは"悪"ではない」でしょ?(厳密には違うけどこの際気にしない)頑張らないことは悪いことじゃないんだよ。頑張らない子は悪い子ではないんだよ。頑張ろうが頑張らなかろうが、みんな等しく「子」なのよ。

私、たぶん頑張ろうが頑張らなかろうが幸せになるわ!そんな気がする!頑張ろうが頑張らなかろうが私の未来はそんな変わらない気がする!

頑張るのと、頑張らないのとで、未来が一緒なのであれば、頑張った方がいい、と思えるメンタル継続していきたい。なんか、気を抜くと「なら頑張らない方がよくな~い?」とか言いそう。

しかしながら!頑張るかどうかに私の良し悪しは関係ないのだから、「頑張らない」を選択しても、良いのだ!

これで、良いのだ~~~!!!

anond:20180707212225

アカデミック文脈で言うと「反近代」て奴な

西洋近代科学文明限界を迎えつつある

から精神世界に目を向けようとか

アジア土着宗教を再評価とかそんなの

しかタイミング的に、欧米は衰退して日本バブル期に向かう時期だった

ほんで東洋的、前近代的ものを持ちあげるインテリとかが注目され出した

その代表格がオウムを一時持ちあげてた中沢新一なんだが

中沢場合は「チベット仏教修行してきた」と自称しつつも

端的に言えば学者センセイの修行まねっこごっこだった

ところが、そのうち本物の出家修行集団オウム真理教が出てきた

内心じゃ中沢には麻原への嫉妬があったのかも知れない

そのコンプレックスごまかすため麻原を持ちあげてたフシを感じる

あれだよ、学校で不良の方が優等生よりモテてるのを見て

ずっとコンプレックスを持ってた優等生

安全から「じつは私もワルに惹かれるんです」とか言う感覚

してみると1970~80年代オカルトブーム自体、正統教養説得力を失って

しろ正統から逸脱した物に無理やり本物を見いだそうするというか

「こっちこそ本物、それがわかってる俺エラい」ってな

ポジショントーク材料になってたような気が

2018-07-03

趣味の一環として「バッド・ジーニアス」を翻訳して気付いたこ

ここ数日増田趣味の一環としての翻訳の話を書いているうちに、いいニュースが飛び込んできた。

昨年現地で公開され、昨年の現地映画売上No.1になった「ฉลาดเกมส์โกง」こと「Bad Genius」が「バッド・ジーニアス 危険天才たち」という邦題9月から映画館公開されることが発表されたのだ。しか日本語版を作っているのがDVD販売に実績のあるマクザムなので、おそらくDVD販売もされるだろう。それなりに話題になる割にはさっぱり日本語版DVDが発売されないこの国の日本語版映画ラインナップへの小さな積み重ねだ。

http://maxam.jp/badgenius/

もちろん現地DVDは公開の半年後くらいに発売されたので自分も発売とほぼ同時に早速海外通販個人輸入し、2ヶ月ほどかけて翻訳した。そのとき留意点を元に、9月に公開される映画字幕チェックポイントを挙げておこうと思う。なお、以下の内容に予告編の内容を超える致命的なネタバレはいれていないつもりだ。

中等教育が6年制だ。

日本だと6・3・3制と言われて中等教育中学高校の2つに別れているのだけれど、向こうの中等教育は6年制だ。中高一貫教育をやっている学校も多く1年生から6年生までが同じ学び舎にいることもしばしばある。もちろん進学率が上がったとは言え義務教育中学3年までなのは日本と一緒なので全てが中高一貫教育校ばかりではないけれど、高校の学年が中学からの通しで数えられるのは同じだ。「バッド・ジーニアス」は高校3年間(+入学時の中学3年のエピソードが少し)の話なので、場面紹介字幕には「4年生」「5年生」等出るし本人自身がそう話す場面もある。それを日本語でどう表現するかはとても興味深い。

通学手段昼ごはん

主人公は高1に進級する際に転入試験を受ける。成績的には合格なのだが本人が入学を渋るという不思議なシーンが登場する。入学を渋るのは決して裕福ではない家庭の事情心配してのことなのだが、ここに通学手段と昼食内容の見積もりが登場する。映画館で読みきれない内容なのでこれはぜひDVDを入手してゆっくり眺めてもいいシーンだが字幕フォローするか迷うセリフとして「バイクタクシー」と「カレーがけご飯2色がけ」が出る。どちらも主人公几帳面さというか細かさを表現するセリフで、前者は最寄り駅から自宅まで歩いて通うことはないという現地事情も含まれているし、後者は現地で屋台メシを食べたことがあるならピンとくる定番メニューでもある。おそらく商業字幕ではどちらも簡略化もしくは省略されると思う。

成績表

日本だと大体のところは5段階評価だろうか。最高が5、最低が1。評定平均はこれを平均する。向こうでは5段階かどうかはわからないが最高点は4だ。だから評定平均4.0は日本語で言うところのオール5にあたる。学校の成績が主な話題になる映画のため評定平均の話は頻発する。自分野良字幕では4.0(最高得点)とカッコ書きしたが、商業字幕ではおそらくオール5、のような表現になるのではと思う。そこで気になるのは最高点ではなく中途半端な生徒の中途半端な点数だ。1点下駄を履かせて表現するのか、そのままの点数にするのか。ここは個人的に注目したい。

校歌

サスペンス色あふれるサウンドトラックの中に1曲、フォークギター伴奏されたナツメロっぽい曲が流れる特に字幕でも歌詞を紹介されなかったしここの歌詞まで字幕化はされないのだろうけど、本家映画制作会社が歌詞を全てTweetしているのを読んだら、架空学校校歌だったらしい。個人的に訳してみたい。

http://twitter.com/gdh559/status/865161419796299776

ครูพี่ลิน

ครู(クルー)は「先生」、พี่(ピー)はこの間も書いたが「先輩」、ลิน(リン)は主人公の名だ。後置修飾なので直訳すれば「リン先輩先生」となるのだが字面で見てもバランスが悪い。自分字幕では「リン大先生」と訳したが、もっといい意訳があるような気がする。この言葉主人公連呼されて気分がよくなる言葉なのだ男性だったら「リン老師」とでもするんだけど女子高校生老師は似合わなそうだし。

マークシート試験

日本試験選択肢がア、イ、ウ、エになるように、向こうの国のマークシートはก ข ค งが使われる。予告編を見ればわかるが、この部分はしれっとA B C Dに読み替えられているし、自分もここはそうしたのだけれど、これカタカナ書きすると、コー、コー、コー、ンゴーなのだ。現地のアルファベット最初から4つ分とはいえ、これを採用した当時の教育関係者勇気に感動した。ちなみに他の映画でもよく試験のシーンは出てくるのだけど、学校普通定期試験でもマークシートは当たり前らしい。だからカンニングやすいとも言えるのだろうけど。

外食の分類

緊張で昼食のラーメンを吐いてしまった男の子が「サーモン食べ放題に行こうか」と誘われて「僕は外食は嫌いだ」と返すシーンがある。カップラーメンでもなければラーメン外食のような気がするが、もしかしたら家の近所で食べるものに関しては外食に分類されないのかもしれない。自分誤訳可能性も含めてここは自分でも見てどう訳するのか興味がある。

子供名前のついた家業

金持ちの息子パットが誘った「家」は、PATTON HOTEL貧乏優等生バンク帰宅したのは「น้องแบงค์(ノーン・バンク)ランドリー」ノーンは「後輩」を意味する敬称だというのは以前書いたとおり。もちろんこれは舞台となった国の貧富の差を如実に現したシーンなのだけど、特に前者が「息子の名前をつけた」ということを字幕で示せるかどうか。示さなくても話の筋は通るし、アルファベットで書かれているか無視してもいいんだけど。

ชื่อเล่น(チューレン)と本名

映画の中ではほとんどชื่อเล่น(チューレン)で会話がなされる。チューレンとはニックネームのことで、今回の場合主人公本名リンラダー、チューレンはリン、と名前の一部を使ったチューレンなので訳してもそれほど違和感はないのだが、劇中で1人チョイ役なのに名前が2通り出てくる人が出てくる。違っていても話の筋はわかるからと言っているとおりに訳すのか、話がわかりやすいよう同じ訳語統一するのか、興味深い。

LINEグループ

途中でうさぎコニースタンプ露出することからも分かる通り、オンラインコミュニケーション手段LINEである集団不正を募るのに既存LINEグループに話を持ちかけるのだが、こういう場面で「LINE」という言葉が出てくるのかどうか非常に興味深い。もともとのセリフでもLINEとは言っていないので無理にLINEと言う必要はないのだ。そのまま「受験友達は30人いるよ」で問題ないしね。ただ、LINELINEでもおま国動画アプリLINE TV」はスポンサードか何かでスタッフロールに出現する。通信手段LINEなのはそのせいかもしれない。

GAT/PAT

日本で言うセンター試験アルファベットからと言って、これをそのままGAT/PATと書かれてもほとんどの人はわからない。何か別の言葉に意訳する必要があるのだけど、そのまま「センター試験」になるだろうか、「大学入試共通テスト」のような一般的名称になるだろうか。

三菱事務鉛筆9800(硬度2B)

別に字幕とは関係ないのだけれど、4902778999042というJANコード(いわゆるバーコード)が出てくるシーンがある。この番号を調べると上記鉛筆がヒットする。直前にペプシコーラの缶がプロダクトプレイスメントされているのだけど、たぶん三菱鉛筆プロダクトプレイスメントではないと思う。ついでに言うとペプシ撤退したのでペプシコーラプロダクトプレイスメントではない可能性が高い。

正直印刷

โรงพิมพ์(ローンピム、印刷所)ซื่อตรง(スートロン、正直)พานิช(パーニット人名)。つまり「パーニットの正直印刷所」という施設が出てくる。何に使われる施設かと言うと、カンニングアイテム印刷に使われる施設なのだ。あまり皮肉Twitterでも少し話題になった。โรงพิมพ์ซื่อตรงพานิชで検索してみるとそれがわかるかもしれない。別にその皮肉がわからなくてもストーリー把握に問題はないため字幕では無視されるかもしれない。

0840126470

謎の電話番号(0840126470)から電話がかかってくるのだが、この電話番号が誰の電話番号であるかは事前に写り込んでいるシーンがある。そこに電話番号を書いている理由を訳さないと、携帯電話番号の形式も違うわけで何の数字だかわからないのだけど、そこまで訳すだろうか。それとも前後のシーンから誰が電話しているかはわかるだろうと訳さないだろうか。

EDGE

携帯電話電波の規格。日本ではLTE(4G)の前は3G、その前はPDCとかcdmaOneとかだった。彼の国ではEDGEだった。そんなに日本で有名な話ではないので、トラブル3G電波が入らなくなるシーンをそのまま「エッジ」と訳しても伝わらないだろう。ここはどう訳すだろうか。

LCC

主人公シドニーから帰ってきた空港LCC専用空港だったりする。劇中で航空機が出てくるシーンはないのだが、なぜか自分の頭にはエアアジアが思い浮かんだ。調べてみると当該の空港からシドニーに行くにはエアアジアが一番安いらしい。とは言え直行便エアアジアを含めて1つもない。別にどうでもいいのだが細かいところが気になってしまうのは良くない性格だ。勘弁していただきたい。

ジャップサヨクの駄目なとこその2

 

俺もここや5chではよくネトウヨ相手に「生まれてくるな」とか「お前の母親は腹を痛めて産廃を垂れ流しただけ」とかよく煽るが、

これは匿名の場であることを考慮して相手に心の傷を負わせることを第一義としてにやってることにすぎない。

まり「とにかく今、悪を止める」ための必要悪として行ってるだけの意図的暴力行為だ。

匿名無責任相手に出来ることなんてこれぐらいだからだ。

これが正義の行いだなんて思ったことはない。

ところがツイサヨとかマジでこれほど「口汚く」さえなければ人格攻撃でも何でも正しくて意味のある行いだと思い込んでる節がある。

顕名アカウント優等生ぶった口調で「あなた人間失格です」なんて杉田水脈に送りつけて、

なんか「正しいことを言ってやった」的空気を醸し出してる。

お前らマジかと。

優等生」的に振る舞うのが好きなジャップサヨクは本気で小学校の半イジメ的学級会から成長してないだけな節がある。

単なる感情論をぶつけるだけの人格攻撃でもお上ぶってさえいれば許される、程度の倫理観しかない。

安倍の完全な違法行為を「こういうのが一番『嫌われる』行いですね」なんて感情論非難してなんになるのか。

まだシバキ隊等の方が開き直って必要悪を行っているだけ自分が見えている。

これは『サヨク』に限らず日本人根本的にこの程度の「学級会マナー」で生きているからではあるのだが、

ジャップサヨクがそこから抜け出せず「感情」でなく「真理」の追究に専心する知性を持ち得ないのであれば、

やはりジャップサヨクには力も存在意義もないだろう。

未来永劫。

壊すべきはその学級会センスのものなのに。

2018-07-01

今日今日とてツイッターサヨク

学校の体育の授業では何も教えてくれなかったから体育が嫌いだった。

 大人になってジムに通うと運動は好きになった」とか言って体育への恨みをぶつけている

でも俺に言わせればそれ「小学生のころは苦手だった算数大人になってから教科書を読み直すと簡単で吃驚」というのと変わらない

こいつの肩書きを見ると弁護士

「頭のいい自分の『苦手』は勉強のできない連中のそれとは原因が違うものに違いない」というおごりがあるんだろう

から平然と自分の『苦手』だけを学校システムのせいにする

日本の『優等生』って所詮このレベル

たまたま『お勉強』にチューンが合ってただけで地頭が良いわけではない勘違い根クラ馬鹿

こんなのが調子こいて万能感滾らせて的外れ評論ごっこしてるのがネトサヨ

己を知らなさではネトウヨにも劣る

日本を変えられるはずがない

2018-06-21

anond:20180621092811

最近優等生のいい子ちゃん発言が目立つな。

それは正論かもしれないけどそれを盾に罵詈雑言並べるほど偉くない者としてはもうちょっと穏便にいこうじゃないかささやか提案したい。

26歳、未だに初恋の子が夢に出てきて辛い

自分には高校生の頃から10年近く付き合ってる彼女がいる。

高校生でつきあって、大学就職と、楽しいことも辛いことも一緒に経験してきた。

今では同棲していて、自分相手もまわりもそのうち結婚するだろうと思っている。

彼女のことはとても大事だと思ってるし、彼女以外と結婚も考えられない。

でもたったひとつこの気持ちが揺らぐときがある。

小学生の時好きだった初恋女の子が夢に出てくるときだ。

の子は気が強く大人びていて、学級委員になるような優等生タイプだった。図書館に通いよく本を読んでいた。自分のあまり知らない世界をたくさん知ってる彼女にとても教養を感じていた。自分でも本を書いていたようで、それを見つけてからかったら、今までにないほどにらまれたこともあった。

男子人気はあったと思うんだけど、気が強く男子ともよくケンカしてたから、「あいはいいや〜、こえ〜し」みたいな感じで少し敬遠されてる節もあった。

自分はその子のことが好きだったけど、好きだから付き合うなんて発想もまだなく、ただその子のことを意識していただけだ。

中学進学。

の子結構裕福な家庭で頭も良かったので中高一貫私立にいってしまった。

そして自分はそのまま公立中に進学した。

それっきりだ。

お別れだっていうのは前々から言葉ではわかっていた。でも実際に中学生になって、本当にあの子とすれ違うことすらなくなってしまった。

そうして、自分気持ちに気付いた。

の子が好きだったのだ。

それからはずっと、悶々とした日々を過ごした。

の子は、自分の知らない私立中高一貫世界で、自分の知らない人たちと、自分の知らない経験をしてる。

かたや自分はというと、あの子がいない、ぽっかり穴の空いた世界毎日を過ごしてる。

会いに行くなんて勇気はなかった。

ただの小学同級生が会いたいから会いにきた、なんてキモいに決まってる。

からただ、その子の家の近くを通るたびにすれ違いを期待していた。

高校に進学しても、ずっと思い焦がれていた。

同じ街に住んでいれば、いつか会うこともあるかもしれないと思っていたけど、結局ただの一度もなかった。

中学3年間まるまる会わなかったのに、いきなり会いに行くなんて不自然だ。そんな勇気自分にはなかった。

大学生になって、県外の大学に進学した。もう万が一にもすれ違うことはないと思うと、この思いはますます強くなった。

この頃丁度Facebook流行った。

恐る恐る検索をかけると、でてきた。

死ぬほど可愛かった。ドキドキした。

あの頃の面影を残したまま大人に成長した彼女がいた。

彼女も他県の大学に進学していた。

今は大学生だ。お金時間もある。

会いに行けるんじゃないか

彼女を思う度にそう考えたけど、結局、会いに行くことはなかった。

そんな勇気はなかった。

ひとつ、チャンスだとおもっていることがあった。

成人式だ。

会えなくなった中学生のときから、このタイミングだけは絶対あえると楽しみにしていた。

の子は遅れてやってきた。

一目見たときドキッとした。

いる。

やっと会えた。

でも結局、なにも言えなかった。話しかけることすらできなかった。

何年も待ちわびた成人式で、昔と同じように何も出来なかった。

自然に話すことのできる最後のチャンスを棒に振った。

そこから、この思いはこじれた。

とにかく好きだ、と言いたかった。

好きだった、でも良い。

気持ちが大きくなりすぎて、別に付き合いたいわけじゃなく、この気持ちを吐き出したかった。

それくらい辛かった。

よく夢を見るようになった。

の子がでてくる夢。

いつも偶然の再会から始まる。

決まったパターンだ。

勇気を出して話しかけてみると、自分のことを覚えてくれている。

「あの頃好きだったんたんだよね」

しかけるとき以上の勇気を持ってそう言った。

ずっと言いたかたことが言えた。すごい満足感、充足感を覚える。

すると、はにかみながら、

「あたしもだったよ」

そう返ってくる。

その瞬間の幸せさったらない。

これより幸せな瞬間は、自分人生にはないってくらいだ。

そこからお互いの彼氏彼女の目を盗み、逢瀬を重ねる。

ただおしゃべりするだけなのに、馬鹿みたいに幸せな夢。

そして幸せ絶頂の中ふと目が覚める。

当然となりにあの子はいないし、会うことすらも叶わない。

さすがに普段は、なにもその子のことを考えていない。

なのに半年に一度、一年に一度その夢を見るたびに、その子のことを引きずってるんだってことを意識させられる。

夢の最中あんなに幸せなんだから

夢が終わると、吐きそうになる程気持ち悪くなるんだから

もう自分リアル彼女の姿をまったく知らない。どんな性格になっているのか、なにやってるのかもわからない。

自分の中の理想通りに成長した、存在しない幻想彼女がいつもいっとき幸福と、莫大な虚無感を運んでくる。

そんな女は存在しないし、実際会えたとしてもなにもかもが違うだろう。

歳を重ねるほどに、袋小路に迷い込んでいる。

どうやったって今更なこの気持ち

どうして忘れた頃に、またこんな夢を見せるんだ。

今日は一日中このことを考えていた。

もう疲れた

昨日、夢を見てる最中は本当に幸せでいっぱいだった。

でも現実には、もうあの子出会うこともないだろう。

あの夢を見ながら、死にたかった。




[追記]

思った以上に反響いただいていて嬉しいです。

ありがとうございます

実はこれ一カ月以上前に書いたものなんですがさすがにキモいかなと思ったのと、冷静じゃなかったんで寝かしておいたものです。

一カ月たってみてもなおキモいですが、まぁそのときの本当の気持ちだし埋もれさせとくのももったいないなと思って投稿しました。

本当に普段全然未練なんてなくて、彼女ともうまくいっているし、とても大切に思っています。この件も「自分が好きだと言えなかったから叶わなかった初恋」として、良い思い出に昇華できてると思います

でも、この夢を見るタイミングだけ、猛烈に上に書いたような気持ちに襲われるんです。

きっともうどうやっても叶わないことがわかっているからなんでしょうね。

これさすがにキモいって自覚はあるので誰にも話したことなかったんですけど、こういう気持ちを吐き出せて、さらに反応まで返ってくる、ここって良いところだなと思います

みなさん本当にありがとうございます

心にに荒波がたつのはこの夢を見たときだけ。

ただ、夢を見ないように祈るばかりです。

それにしても、これだけ反響あるなんてやっぱりよっぽどキモいんですね。

生活で誰にも話さなくて本当よかった。。。

2018-06-20

大麻って合法化されたら「大麻やらない優等生ぃ~

アメリカの学園ドラマ見てたら100割絶対そう

吸わない自由などない恐怖社会が待ってる

2018-06-18

物語主人公正義であり、善である

そんな事は誰も言ってないのに何故か世の中にはそう思い込んで作品を鑑賞するバカがどこにでもいやがるから困っちまうぜ

国語の授業ってのはそういうバカを躾けるためにあるんじゃねえのか?

主人公がど悪党最後には死刑にされて世間的にはハッピーエンドだけど主人公けがいつまでもグチグチ言い訳言い続けて不幸と言い張るようなクソ胸糞悪い話でも毎年2作品ずつ読ませりゃ少しはマシになりそうなもんだがな

そういう事をちゃんとやれよな

教育ってのはよお

バカ人間に変えるためのものだぜ

人間優等生に変えるのなんざ二の次なんだよ

少なくとも初等教育ってのはそういうもんだよ

2018-06-17

anond:20180617123955

俺は、終始

優等生ポンコツより

勉強時間は少なくて結果は良い

という話しかしていないのだが、

何が言いたいの?

anond:20180616170531

優等生テスト前に言う「私ぜんぜん勉強してないの!」

2018-06-14

クズこそが好かれ、幸せになる

「憎まれっ子世に憚る」という言葉はつくづく本当だと思う。

クズとか加害者って奴はコミュ力があって好かれるし器用だし出世するんだよ。

器用なクズ相手を傷つけまいとビクビクする不器用な善人と違い、平気で相手からかっていじって傷つけて人気者になれる。損得勘定が働くから自分にとって重大な人物に嫌われることはしない。

ターゲットにするのは自分より圧倒的に立場の弱い弱者弱者泣き寝入りか、訴えられても味方や後ろ盾がたくさんある。

安全な弱い者いじめ楽しい。だからクズは明るくていつも笑っている。明るくて笑っている人を良い人とみなして世間は寄ってくるからますます人気者になる。

一方、被害者は暗くなって歪み、益々嫌われ日陰者になる。事情を知らないクズの味方には「○○に楯突くなんてひどい奴」と言われ、事情を知れば知ったで嘘つき呼ばわりされるかクズに加担していじめられるかだ。

最近でも、山口達也という人気者の国民アイドルJKを襲った時「ハニトラだ!山口可哀想JKどうかしてる!」というファンによる被害者叩きが溢れた。高畑裕太の時も同様。

社会的地位の高い人物痴漢をした時「相手生活地位があるから」と被害者弁護士に訴えを取り下げさせられた、というのもよく聞く話だ。

クラスの人気者で教師にも好かれる優等生陰湿いじめ社会的地位が高く家では良き父親である男が性犯罪、非常によくある話。

よく「女は優しくて誠実な男よりもクズ男を好む!」といわれるが、そんなのは氷山の一角に過ぎない。正確には、「男も女もクズが大好き」なんだよ。

公正世界仮説なんてクソだし、クズ幸せになれる世の中なんだなと思うよ。

2018-06-12

責任取れないなら子供産むなよ

例の件。

ブコメでは、「生産者責任」「PL法」というブコメを叩いて満足してる優等生の模範解答が多いが、実際のところ「親は成人した子供殺人について一切の責任を取る必要はない」のだろうか?

発達障害だったから本人に責任能力が低かったとして、親がその責任負担する仕組みは必要ではないか

事実この国は、介護老人が徘徊して事故を起こす、挙げ句死ねば、管理を怠った家族損害賠償が及ぶ国ではないか

まあどのみちあの家族民事賠償家族粉々。もともとボロボロらしいけどな。

2018-06-11

私はハグプリの正しさが少し怖かった

ネットでも割と話題になっているのでなんとなく知っている人が多いと思うが、今年のプリキュアはとりわけ出来が良い。

ベテラン佐藤順一監督がこれまでのキャリアを全部ぶち込んで全力で殴りに来ているような出来の良さである

ため息が出るほど感心してしま優等生ぶりである

ストーリーセリフキャラクター造形に関して、よく練られているというか、あらゆるツッコミを想定して作られているような盤石ぶりを感じた。

あらゆることに対して相当な配慮がなされている作品だと感じた。

しかし、それ故に私は少しその「正しさ」が怖かった。

そして、最新話で、その恐れていたことが表面化してしまった。

吉見リタがファッションショーテーマに「女の子だってヒーローになれる!」を掲げた時、私は「こんなにわかやすメッセージ性を掲げてしまって大丈夫?」とかなり不安になった。

もうこの時点で、放映後にはジェンダー論点から語る人がたくさん出てくるのが想像できて、いやになった。

そして、アンリに対してはなが「いいんだよ!男の子だってお姫様になれる!」と言ったとき、ああ、この回は「そっち」に持ってかれちゃうな、と思った。

どういうことかというと、

私が恐れていたのはこの三つである

一つ目。

この回では、「女の子だってヒーローになれる」「男の子だってお姫様になれる」という二つの言葉によって、「ジェンダー」という特定テーマばかりが強調されてしまっている。

しかし、物語特定メッセージを伝えるだけのものではないはずで、あらゆる側面を持っているはずである

この回はシリーズの第19話であり、当然それまでのお話と地続きの物語であるわけで、そのテーマ以外のあらゆる側面が存在するはずである

例えば、佐藤順一監督ツイッター言及していた、えみるとルールーの関係

この二人の、「ふたりプリキュアになる」という目標につながっていく感情の動きがこの回では描かれていた。

他にも、正人のトゲパワワをもとに作られたオシマイダーに対し、アンリが「君も苦しいんだね」「自分を愛して」と言ったこと。

一言では片づけられないような正人の苦しみが存在していること。

そして、「自分を愛する」という言葉に対し、ルールーが反応していたことにも、ジェンダーテーマ以外の側面が感じられる。

別にジェンダー的なメッセージは、お話の一つの側面に過ぎないわけで、その一つの側面のみで作品が語られてしまうのは、正直残念である

二つ目

ジェンダー」というテーマが独り歩きし、キャラクターに、そのテーマ対応する「役割」が付されてしまっている。

代表的な例が、えみるの兄、正人だ。

彼は「ジェンダー」的な観点でいえば、いわゆるステレオタイプな古い価値観を持った人間として見られるように描かれている。

だがしかしキャラクターは、物語を動かすための「装置」ではない。

否定されるべき古い価値観メタファーとして彼が見られてしまうのは、非常に残念である

キャラクターは、特定役割のために存在しているのではなく、あらゆる側面を持った生きものである

兄としてえみるに向ける感情一言で片づけられないものであるだろうし、ただ「男の子らしさ・女の子らしさ」の価値観に縛られているからそれを逸脱するアンリを敵視したのだと断言することも出来ない。

彼には彼の物語というもの存在していて、この回における彼の言動は、その結果でしかない。

また、「女の子だってヒーローになれる」を掲げたファッションデザイナー吉見リタにしても、単にこの回のために用意されたキャラというわけではない。

かつて彼女は、園児の泣き声で集中力乱れるから保育園クレームを入れ、その時のトゲパワワがオシマイダーの素体に利用されたことがある。

さらに、前回ではアイデアが浮かばないスランプのトゲパワワで再びオシマイダーの素体にされている。

そんな彼女が、今回のファッションショーでこういうテーマを掲げるようになった経緯についても、小さいながらも物語があるのだと想像できる。

特定テーマに対する「役割」という考え方では、人間的な深みがオミットされてしまうし、作品世界観を狭めてしまう。

最後に、「正論」をぶつけることで生じる様々なことについて。

私は典型的優柔不断で、断定するのが怖いタイプ人間である

それが原因なのか、今回登場したような、「人の心を縛るな!」等のメッセージ性がはっきりとした強い言葉が苦手だ。

彼女たちの言葉は正しい。しかし、正しいことを断言することで切ってしまう何かもある。

アンリというキャラクターが初登場時どうであったかを思い出してほしい。

彼は自分がいいと思ったもの、正しいと思ったことに対して真っ直ぐに行動する人間で、それは今回の話でも同様であった。

しかし、かつてアンリは、自分の信じる正しさでもって、ほまれをはなたちから引き離そうとしたことがある。

はなに正論をぶつけて傷つけてしまたこともある。

アンリは間違ってはいなかったが、その正しさで別の何かを切ってしまった。

ツイッターでよく「正論相手論破する漫画」を見るが、それに感覚としては近い。

正論をはっきりと示すということは、何かを正すことになる。

まり、正される「何か」が産まれしまう。

皮肉にも、今回アンリが放った言葉がそれを代弁している。

「僕は君のために僕を変えることはできない」

これは正人が、自分価値観に合うようにアンリを変えさせたかたこからくる言葉と捉えられるが、逆であっても同じことが言えるのだ。

正しさをもって他人価値観否定することは、「人を変えさせる」行為であり、攻撃的側面を持つのだ。

から、今回、メッセージ性がはっきりしすぎている言葉が出てきたとき、その正しさが、何かを攻撃することになるのではないか、と思ったのである

それが正しいのだとしても、それは自分にとっては少し怖いことでもあった。

まとまりのない文章だが、以上である

2018-06-10

産後鬱→虐待になりそうになった話

虐待ニュースが後をたたない昨今。

私も子どもを持つ前は「虐待なんてあり得ない!!」と思ってたし、不妊治療中は「そんな親ではなく私のところに産まれてくれば良かったのに…」と泣いたこともあった。

数年の不妊治療を経て念願の第一子を授かり出産したあと、精神的に不安定になり(今思えば産後鬱)、子ども危害を加えようとする寸前までいった話を載せます

虐待はもちろん親が悪いけれど、でも、母親一方的に攻めるだけでは、虐待根本解決できないんじゃないかな、という提言


前述した通り、望みに望んだ子ども出産した私。

でも、初めての育児想像以上に大変で、出産後数ヶ月は泣きまくっていた。

マニュアル人間な私は、妊娠から育児書を読み漁り育児に備えていたが、まあ育児書通りに育児が進むわけではない…と、今なら普通に思えるけど、当時の私は、ずっと努力優等生人生を送っていたのもあり、何でこんなに育児書通りにやってるのにその通りにならないの!?パニック連続だった。

どんなに頑張っても母乳が出ない!

どんなに頑張っても泣き止ませられない!寝させられない!

そして、旦那と同居の義両親によって更に追い詰められることに。

同居の義両親には「母乳が出ないのは栄養が足りない、餅を食え」←母乳神話に更にプレッシャー、「そんなにすぐ抱いたらダメよー」←今は亡き抱き癖論に更に追い込まれ

唯一の味方であるはずの旦那は、当時仕事の繁忙期もありイライラMAX夜泣きすると「うるさいから部屋を出てけ!」と言われる←今ならバカ旦那に言い返せるけど、その時は(泣かせる私が悪いんだ、迷惑かけないようにしなきゃ)と更に自分自身を責めた

想像していた"子どものいる生活"とは真逆で、毎日がとにかく辛かった。

そんなある晩のこと。

昨夜も夜通し夜泣きでほぼ一睡も寝られず、翌朝には義母に「昨日も良く泣いてたわね~、抱き癖が(以下略母乳ミルクじゃあやっぱり母乳の方が(以下略)」と言われたその夜も夜泣きが酷く、横で寝ている旦那が舌打ちする中、私はこれ以上泣かせまいと必死に抱っこしていた。

抱っこすると泣き止む→下ろすと背中スイッチが入りギャン泣き→抱っこすると泣き止む→下ろすと背中スイッチが(以下略

せめてもと、壁に寄りかかり座っての抱っこを試みるも、あえなく撃沈。

抱っこゆらゆらしか通用しない状態が続き、昼間の義母の話、イライラする旦那の顔が浮かんで数時間

ふと、ある考えが頭をよぎった。

ベランダから落とせば泣き止むんじゃない?」

ベランダから落とせばどうなるかとか、そこまでは考えられなかった。

パンが無ければケーキを食べればいいじゃない、的なノリでそう思った。

ただ、泣き止ませられる!という一点での解決方法が思いつき、目の前がパァッと明るくなった感覚は今でも覚えている。

この状況を打開する、たった唯一の解決法が見つかったと。希望の光だと。

数秒後、(いやいやいや、死んじゃうよ!!ダメダメ!!)と我に返り自分思考回路のヤバさに気付き、このあとめちゃくちゃ旦那を叩き起こした。ストレスや抱えてたものを泣きわめきながら吐き出したった。

旦那はこの時初めて私が悩んでいたことを知ったようだ(おせーよ)。

そのときの子もも、今ではすっかりお兄ちゃんになり、もうすぐ小学生になる。

当たり前だけど、あのとき閃いた名案(その瞬間はそう思っていた)を実行にうつしていたら、今の幸せはなかったと思うとゾッとする。

親を非難するのは簡単だけど、そうなる前に親へ手を差し伸べることが出来ればいいな、してあげて欲しいな、という話でした。

もちろん、虐待ダメ絶対

2018-06-08

パヨク安倍が悪いことにして自分たちの罪をごまかしてる

首相だの医師免許だの公務員だの派遣だの無職だのの身分制をいちど廃して国の保有する全財産人口で等分すべき

愛国心を言うなら全員一律の報酬世界優等生は貢献できる名誉が何よりですと言えよ

2018-05-30

不良の減少の原因はSNS

もはや定番になっている若者の〇〇離れシリーズだけど、不良離れ、暴力団離れ、覚せい剤離れといった「良い」離れもあるようだ。

なぜだろうと思い原因を調べてたら、次のような記事を見つけた。(少し前の記事だが)

なぜ"不良の中学生"はモテなくなったのか

http://president.jp/articles/-/23887

この記事によると、学校での体罰禁止されたりして大人ソフトになったか子供ソフトになったという。

はたしてそうだろうか。

子供ソフトになったら指導する大人ソフト対応可能になったともいえるので、これではどっちが原因でどっちが結果かわからない。

そんな事よりも自分には中高生へのSNSの普及のほうが因果関係が強いように思える。

(SNSの普及率と非行率の比較グラフを出すようなことは面倒なのでしないが。)

非行に走る子供たちは、勉強スポーツなどで学校社会評価されていないケースが多い。そういう子供たちこそ他者とのつながりを強く求めている。同じような境遇の仲間が必要だ。

SNSのない時代では、その強いニーズに応えるためそこら中に不良グループ自然発生していたのだ。

勉強スポーツ以外で評価される自分たちの社会。悪くて凶暴な事がむしろ評価対象になる社会。集まることによって凶暴性はより強まり子供たちはより「悪く」なる。悪い奴がモテ対象になり恋愛謳歌する。真面目な優等生恋愛市場ではむしろ弱者だった。

一方、現代ではSNSが普及しているので学校に居場所を感じられない子供他者とのつながりを感じやすいので不良グループは作られにくい。「悪い」ことが評価されることもなければ、モテることもない。むしろ「悪い」事をみつけたらSNSで徹底的に叩いて炎上させる。

勉強スポーツができる優等生モテを独占しているので、「デキの悪い子」が恋愛市場活躍するチャンスは少ない。

「不良が減ったのはとてもいいことですね」

という単純な一言で片付けるような事ではないように思える。例えば少子化問題を考えるのなら、「モテ」が優等生一極集中しているのは大問題だ。一夫一婦制であるかぎり成立カップルが激減するからだ。「デキの悪い」子供たちも恋愛して子供を作る機会が多かった時代の方がよっぽど健全だ。

もっと言えば学生時代評価が一生付きまとい「身分制度」のようになってしまっているとも言える。再チャレンジ可能じゃない。デキが悪かった子供がずっとそれを引きずって発散する場所もない社会がいいとは思えない。

「悪い」事は、そんなに悪いことだろうか??

多少の悪さを許容する社会のほうが自分はよっぽど面白いと思うのだ。

はてな民は不良が嫌いそうだから叩かれそうだな・・・

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