もはや定番になっている若者の〇〇離れシリーズだけど、不良離れ、暴力団離れ、覚せい剤離れといった「良い」離れもあるようだ。
なぜだろうと思い原因を調べてたら、次のような記事を見つけた。(少し前の記事だが)
http://president.jp/articles/-/23887
この記事によると、学校での体罰が禁止されたりして大人がソフトになったから子供もソフトになったという。
はたしてそうだろうか。
子供がソフトになったら指導する大人もソフトに対応可能になったともいえるので、これではどっちが原因でどっちが結果かわからない。
そんな事よりも自分には中高生へのSNSの普及のほうが因果関係が強いように思える。
(SNSの普及率と非行率の比較グラフを出すようなことは面倒なのでしないが。)
非行に走る子供たちは、勉強やスポーツなどで学校社会で評価されていないケースが多い。そういう子供たちこそ他者とのつながりを強く求めている。同じような境遇の仲間が必要だ。
SNSのない時代では、その強いニーズに応えるためそこら中に不良グループが自然発生していたのだ。
勉強やスポーツ以外で評価される自分たちの社会。悪くて凶暴な事がむしろ評価の対象になる社会。集まることによって凶暴性はより強まり、子供たちはより「悪く」なる。悪い奴がモテる対象になり恋愛を謳歌する。真面目な優等生は恋愛市場ではむしろ弱者だった。
一方、現代ではSNSが普及しているので学校に居場所を感じられない子供も他者とのつながりを感じやすいので不良グループは作られにくい。「悪い」ことが評価されることもなければ、モテることもない。むしろ「悪い」事をみつけたらSNSで徹底的に叩いて炎上させる。
勉強やスポーツができる優等生がモテを独占しているので、「デキの悪い子」が恋愛市場で活躍するチャンスは少ない。
「不良が減ったのはとてもいいことですね」
という単純な一言で片付けるような事ではないように思える。例えば少子化の問題を考えるのなら、「モテ」が優等生に一極集中しているのは大問題だ。一夫一婦制であるかぎり成立カップルが激減するからだ。「デキの悪い」子供たちも恋愛して子供を作る機会が多かった時代の方がよっぽど健全だ。
もっと言えば学生時代の評価が一生付きまとい「身分制度」のようになってしまっているとも言える。再チャレンジ可能じゃない。デキが悪かった子供がずっとそれを引きずって発散する場所もない社会がいいとは思えない。
「悪い」事は、そんなに悪いことだろうか??
不良がはやらないからだと思うけど、最近の偏差値の低い高校の子たちはただ元気がないらしいね