はてなキーワード: ロココとは
最近はふくよかな人向けのお洋服のブランドも沢山出てきて、選択肢が増えていると思う。
OverEとかHEART CLOSETとか、ニッセンにもグラマーさん向けみたいなのあるよね。
だけど私には服がない。
服屋に買い物に行っても、買う洋服がない。
正確には①自分が着られるサイズ、②自分に似合うデザインと色、③自分が気に入るデザインと色の3つが揃った服がない。
連勤明けの休みを潰して来た病院の待ち時間に書いてるんだ、冗長でごめん。
・20代後半の女
・157㎝、65kgのおデブ
・ブラはデザインによるけど大体H80
この情報だけでも胸のでかいおデブだということはわかると思う。
ついでに骨格ストレートなので首は短くて、手もむちむちで指も短い。
どう頑張っても細く見える要素がそもそもないのだ。
・はっきりした色が最高!薄い色、くすんだ色はNG
・柄は派手であればあるほどよい
・薄い柔らかい布より、固くてしっかりした布
・飾りはデカくて派手な程よい
・首の詰まった服は🙅♀️、襟付きとVネックは🙆♀️
・スカートやパンツはマーメイドやフレアみたいに下が広がっているもの
サイズの縛りに加えてこの条件、もう服を買う気がないだろうというレベル。
この時点でしまむらとHoneys、あとearthとかも消える。
SNSを見てるともちろん骨ストで細くてかわいい子がたくさんいる。
一般的に美しいとされる体型になれないのが骨ストなのかな? と思ったりしている。
もちろん今の自分の体型が肥満だってことは数字でも見た目でも自覚している。
ほな痩せたらええやん、って話でもなくってね。
ハタチくらいのときには50kgの時代もあったけれど、その時にもフリーサイズは着られなかった。
着られたとしてもシルエットは美しくないし、「思ってたんと違う」になってた。
当時それこそニッセングラマーやハトクロでワンピースを買ったりした。
胸はキツくないし、腹回りに余った布がない、腕も動かしにくくなくて快適だった。
友人らには褒められたけど、正直納得はしていなかった。
「なんか違うなあ」がずっとあったからだ。
後々これについては似合わない原因にたどり着いた。
ニッセンの方はお値段相応の生地で、重たい生地が似合う私にはイマイチだったっぽい。
ハトクロのワンピースは自分のPC(パーソナルカラー)が原因だったっぽいなあと判明した。
いつも安定に似合う黒とか紺ばっかりだから…… とチャレンジしたのが良くなかった。
ほんと、白って200色もあんねんから、自分に似合う白を探すん大事やね!!
最初にも書いたように、最近はふくよかな方向けのお洋服が沢山ある。
ほな太ったらええんかいな、と狙ったわけじゃないけれど薬のせいもあり70kgを超えたこともあった。
太ったことで服選べるようになったね、よかったね! ってなるならよかった。
ぜーんぜん選べない。
どうにしろ全部、体の中で一番でかい部分に合わせて服を買うのだから。
トップスは変わらない。
そりゃ体重の増減でバストサイズも変わるし、実際10㎝弱変化はあった。
みんな大好きユニクロを例に挙げるけど、レディースのTシャツの袖と丈短くない?
あと色もなんかパステルっぽいのとか、くすみのある色とかばっかりで、
胸が大きい人向けブランドは胸がサイズアウトで、着られるものが多分もうない。
サイズ表見るたびに着られないことを再認識して悲しくなるので、
おせわになりました。
じゃあふくよかさん向けは?というと、着られはする。
試着して悪くないなって思えば買ってたし、ビッグシルエットのアウターは結構買った。
ただねえ、なんか、妊婦になるんだよね、シルエットが。
痩せてた時からAラインワンピースは妊婦になるから避けてたけど、
ふくよかさん向けはそもそも着丈が長めなことが多い。
それ自体はありがたいけど、自分でウエストマークしないと見た目が妊婦さんになっちゃう。
あとやたら余る背中の布。
まあ背中の布が余るのは大体なんでもそうなんだけど。
その後フォローのように
「ママねえ、お腹に赤ちゃんいた時ねえ、おっぱいおっきくなった!」
そのちびっこには、自分が体験したことから今目の前にあるものと結びつけて考えられて偉い!賢い!
などと、とりあえず褒めたけども。
まあつまり?
シルエットが妊婦になること、似合わないくすみカラーを選ぶことを自分が受容できれば、
別に世の中洋服なんて沢山あるんだから、買える洋服だって増えるのだ。
だけど、世の中にこんなに沢山可愛い服と色々な人に向けたブランドがあるのに、
ただそれが悲しい。
ただ勘違いされたくないのは、別にわたしはわたしの体型嫌いじゃない。
首も手足も太いのは、虎みたいでキュートじゃ〜んって思ったりする。
ヒョウとかチーターよりトラが好きなんだよね!
あとゴテゴテに盛れば盛るほどかわいいなってなるので、全然嫌じゃない。
将来は湯婆婆みたいに全部の指にデケェ指輪つけた婆さんになりたい、絶対わたしに似合う。
Dハロの時期にヴィランズバウンドするでしょ、めっちゃ似合うのよ。
友人には「ハロウィンの時期は輝いてる」とか「スリザリンっていうかアズカバン」とかも言われた。
健康には良くないし痩せよって気はあるのでぼちぼち頑張ってる。
けど結局痩せたところで、痩せてた時期に着たい洋服が着られていたかというと
そんな成功体験ないので「着たい服を着るため!」っていうモチベにはならない。
ダラダラ書いてるうちに診察も終わったし、
何書いてんだかわかんなくなっちゃったな。
もしおんなじような人が居たらそれだけで嬉しいけど、
そういう人がどういうお洋服をどこで買ってるかも知りたい。
とりあえず最近Twitterで見かけた、骨ストの人ってヨーロッパ貴族的なドレス似合うよね〜!
の話を見てて「わかる〜」ってなった。
ロリィタファッション…ではないな。生地がペラペラで1900円かよ、ドンキのコスプレかよって感じ。なんだけど、察するにおじさま達は、ペラペラのコスプレロリしか目にしたことが無いんじゃないだろうか。モノホンのロリィタを間近で見たことがないのではないか。下妻物語も、ロココへの憧れも…抱いたことがなく。もしくは、興味が無いか、もっと粗い解像度でロリータを捉えてるんだろう、と思う。
ローゼンメイデンの服でさえ、ゴスロリじゃないそれはコスプレだと言われてたのに。
でも待って?!まどマギとかさ、魔法少女ものでももう少し生地がふわふわでスカートの膨らみが可愛いじゃん!ロリィタファッションの良さってそこでしょ?※諸説ある
自分が名前をつけるならコスプレ風ピンナップガールとか、アイドルコスチューム風のグラビア写真、だなあ。ビンロウ売りの女の子に似てる。
せっかくテーマは面白そうなのに、よくそのテーマでこんな調理を…!いい牛肉が泣いてますわ…って気持ちになってしまった。炭火で炙れ!茹でるな!マヨかけんな!塩かけろ!
それかロリィタファッションじゃなくてメイド風にしろ!古今東西メイド服は懐が広い。エプロンとカチューシャがあれば概ねメイドを名乗ってもゆるされる!クラシックなメイドじゃないぞ!メイドカフェの方な!メイドさんはエロ方面にも厚い!アダルトな雰囲気を出してもいい!
でもロリィタファッションはエロの対極にいるのよ。不思議の国のアリスもさ…okamaが手掛けた不思議の国のアリスの表紙を見てよ…。
ナボコフのロリータでももうちょいフォトジェニックだよ!!!我が腰の光…我が腰の炎…?舌先がうんたらかんたら、ロ、リー、タ…
いやだめだなあのおっさんは幼い女の子のすらっと伸びた手足に情欲が掻き立てられるとかなんとか描いてたから。
たとえば、AIでロボットを生成して、ガンダム風ですって言われたら怒る人が居るんだろうか。
これは車が好きな子供なら、車の絵を描く時に絶対にミラーを描き忘れないみたいな話だと思うんだよな。
自分も含めてみんな女の子ばかり生成してるけど、戦車とか電車とかモンスターとかみんな生成しないのかね。エロは剣より強し。やっぱり人間を突き動かすのはエロなんだね。
人間の叡智の先がエロ絵生成装置なの、良いの?って思う。ご先祖さんに顔向けできる?え?ご先祖さんも泣いて喜んでる?COMIC快楽天のギャグ漫画か?
同じことを手書きのイラストでやったら、「ロリータ風」でも、そういうコンセプトなのねえ…で終わった気がする。
生成AIは、絵を描くよりもずっと自分の趣味嗜好があらわになるから、自分はそれが怖い。巨乳好きなんだな、太もも好きなんだな、とか。
で、やっぱり使う人間のセンスが大事なんだなと思ったよ。目をみはるようなイラストを生成出来るような人もいれば、パットしないハンコ絵を量産してる人もいる。手書きのイラストもそうだけど…。
あとなんかエロ要らない場面でもエロいのってノイズじゃないか?エロい気分の時はいいよ。でもトゥギャッターのえっちなバナーとか嫌なわけよ。例えば、交通安全のポスターがウッフン水着美女だったら、いやここは未開の地かよ…ってなるわけよ。
すみません、、、、、、また石をひっくり返してワラジムシをいじめてしまいました。
でもいいよ…いい牛肉を茹でこぼしてマヨをかけるそれもまたあなたの人生…表現の自由…これがマイライフ…まだ始めたばかりの新しいニュー・ドーン
微妙に午前中予定で埋まってしまってあっと言う間に過ぎ去ってしまったわ走馬灯のように。
走馬灯の使い方合ってるのかしら?
よく分からないけど、
流れゆく時間の年月の早さを表現する方法のどちらかだと思うので、
だいたいはイキフンで合ってると思うわ。
忙しいときに限って
もうどうにもこうにもならないわ。
ホラ貝はしっかり集めてガチャ最低でも回したいし
まるまるフェス中をスプラトゥーン3で過ごすのも俳人まっしぐらで一句詠みたいほどよ。
あー
時間が欲しいわーって思いつつ
練り出していいのはカラシかワサビチューブかって相場が決まっているところだし。
そうそうそうよ!
やっぱりどう足掻いても
結局さ
やっぱりここはリズム的に意識してリズムを作らないと行けないって事だし、
ああ、
もどかしいわ。
この時間のなさの切なさが。
忙しいことは良いことかなとも言うけど、
心をなくしてはいけないわよね。
名言出たっぽいけど、
どっかで見聞きした受け売りよ。
心をなくすって
具体的にはどういったことかしら?って思うけど、
そう言った答えが見付からないそもそもとして最初から心がないのかも知れないわ。
だから忙しいのよ。
なんかたらい回しだわ。
うふふ。
頭使ってる証拠なのかしら?
よく分かんないけど
これやったっけ?って出来てる時ってない?
ないか、ないわよね。
そうそう
飲ま飲まイェーイ!だわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
心の熱いハートの煮えたぎる心の和太鼓を打ち鳴らしたくなるほどの
ついに!ついに!
ついにこの季節がこの季節がやってきたわよ!
本域で歌うイヨマンテで熊が本当に倒せそうなほど、
私もこの戦いに挑むべきべきく、
なかなか溶けない固いめの餡は、
箸を弾くほど餡!
アンカケマンテの歌!待って熱いって!
ほっぺに熱々のおでんをくっつけられぐらいに
結構出演者ミュージカル俳優がそろう今回のエールの俳優陣に交じっての歌担当だったのに、
まあ最終的にはあんかけ中華なんて私の敵じゃないほどペロリと平らげちゃうんだかんね!
大盛りとなると別だけど、
寒くなってきてやっとあんかけ中華の季節が来ましたね!って言うと、
お姉さん曰く、
笑顔で返されたわ。
こんな身近にあんかけ中華のプロが存在しただなんて知らなかったわ的な灯台もと暗し暗い岬では足もと気を付けてあるいてね!って言いたいところよ。
そのお姉さんが凄くプロってるところは、
まかない食べているというメンタルの強さがまた逞しさを醸し出しているのよね。
こないだなんか席がないからって、
私が顔なじみか知らないけど、
相席ってなんか店員さんとお昼一緒に食べているみたいで、
それはそれで楽しかったし、
まあそんなこんなしてたわけでこんな時間というところで今日は締めくくりの獅子舞にしたいところよ。
うふふ。
ハムタマゴサンドすらなかったこの世紀末の北斗の拳の世界観なサンドイッチの棚にはレタスサンドしかなく、
って言っても、
朝温まりたいので、
生姜湯のレシピを調べずに夏作って置いた乾燥スライス生姜お手製のやつね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
ただいまーのあとは
って語尾にハートマークが付いて見えそうな勢いで小保方さん級の人が言ったか言わなかったとか世間が騒いるようね。
その会社の株価がバク鰻上がりノボリだって世間の巷の港の噂だってヨーコが言ってたわ。
でもあれってさ、
僕らが生まれるずっとずっと前にはもう
アポロ宇宙船は月に行ってきて帰って地球に帰還海上着水したとき、
イソジンで船体消毒したって言うのに。
だってさ
イソジンには勝てなかったってことよ。
さあ想像してごらん、みんながただ今を生きているって。
もうさ物は言い様って感じじゃない。
こうなったら、
関係ないけど、
そう?似てないか。
あのさ、
私凄いキャッチーなフレーズで心をぐっとつかまれた言葉があるの。
でも
ドキがムネムネしない?
ちなみに胸焼けしそうって意味で言ってるんじゃないのよ。
胸がドキドキするってこと!
説明させないで!
でも、
こればっかりは今週の私の一言キャッチザハートフレーズ優勝候補間違いないわ。
大判!って。
考えた人凄いなーって感心しちゃったわ。
牛乳に相談しようって一体何を相談したら良いのか分からなくて、
とにかく凄い自信なの!
その大判に秘めた凄い自信を感じつつ
目が欲しちゃってるから
きっとこれ大盛り頼んでもお腹いっぱいにすぐなっちゃうパターンだわって。
だいたいはご飯の量が増えるんだけど、
ご飯いらないの。
具の部分を大盛りにしてくれてご飯の量は変わらなくて良いから、
だから大盛りにも2種類あっていいと思うんだ。
肉などの具が大盛りのパターンと
そしたらなんか無駄がない感じがしない?
うふふ。
久しぶりのタマゴサンドはやっぱりいつも私を優しく迎え入れてくれるわ。
優しさに包まれて!
最近忙しくて遅かったときはもう手抜きのルイボスティーウォーラー。
と言うかお茶っ葉入れて冷やしてOKなのでずぼらウォーラーだわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
先週金曜に劇場公開された、ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝を見に行った。
やはり京アニは凄い。
正直、TVアニメ本放送当時から本作品の話そのものはあんまり好きじゃなかったし、それは今も変わらない。
それでも、見れば目が潤む程度には感動してしまう。
それくらい絵の表現がヤバい。絵とその動きだけでここまで胸に迫るのか!と見るたびに驚愕する。
そんな極上の絵を、声優の演技とBGMが更に盛り立てるところが、まさにこれ以上ないくらい、正しいアニメをやっている感じ。
これは本作品のみならず、響け!ユーフォニアムや氷菓、古くは涼宮ハルヒの憂鬱を見たときも思ったことだ。
それで、帰宅してから久しぶりに本作品のことを少し調べ回った。
そしたら円盤収録(後にネット配信開始)の特別エピソードとして、時系列的に4話と5話の間に位置する番外編があるというではないか。
あんまり好きな作品じゃなかったので本放送終了後は完全放置していて、そんなの全然知らなかったよ。
そして、そんな重要すぎる話を後で公開するなよと思わされた。
というのも、4話と5話の間は時間的に数ヶ月、つまりほぼ季節1つぶん空いているのだ。
そして4話のヴァイオレットは本当に良くも悪くも「ロボットみたいなお人形」感がまだまだ半端ないキャラだった。
それが5話では若き王族の男女の恋を取り持つという、相当に高度な仕事を「随分と手慣れた感じで」こなす、プロの顔を持ち合わせるくらいになっていたと。
「おいおいこれ本当に同じキャラクターかよ、大きく成長したのは間違いないけど、その成長の過程をすっ飛ばしてどうすんだ」
と、我ながら相当に不快な気分になったというか、結構憤慨したのだ。
最も気になるというか、少なからず応援する的な感情移入をしてしまうところだし。
そしてこの「成長を見せなかった」件が、今の今まで本作品をあまり好きになれなかった一番の理由なわけで(もちろんそれだけじゃないけど)。
ともかく、それでついさっきその「番外編」を見終わり、当時覚えた嫌悪感がようやく氷解した。
これまた感動的エピソードで、例によって目頭が熱くなったし。
もうね、絵だけで胸に迫るんだよマジで(大事なことなので2回言いました)。
でも、今後こういう後出しは勘弁してもらえますかね、京アニさん?
さて、以下は与太話というかオタの我田引水的薀蓄。
後出しはNGでも、そもそもこういう「たった数ヶ月の間に、一体何があったんだ」的展開そのものは、個人的感覚として特に嘘くさいとは思っていなかったりする。
史実では、かの天才モーツァルトが、フランスのロココ趣味にかぶれまくっていた20歳の年に作曲した、全5曲のヴァイオリン協奏曲の話が、まさにこんな感じなのだ。
具体的には初夏に書かれた第2番のわずか数ヶ月後、初秋に書かれた第3番が前作から驚異的な進歩を遂げたことは、今でも評論家達の「天才のなせる業」という絶賛の対象となっていたり。
まだ第一部終わっていないけど、近作での不満点がすべて解消されたことに感動したので書く。
FEは暁の女神を最後に十年以上ずっと携帯機でリリースされてきた。その評価は概ね、SLGパートは練りこまれており携帯機の狭い画面でも遊びやすいUI、プレイをじゃ生しないゲームリズムではあるが、絵(グラフィック)とストーリーがいまいちというものであった。携帯機のスペック上どうしてもキャラクターモデルを用いたシーンは人形劇のようにチープになり、結果的に没入感が得られなかったのが原因だと思う。おそらくハードウェアの性能が足かせとなって製作陣が表現したい品質に達していないかったのだろう。しかし今、ようやくハードウェアの足かせが外れて携帯機で培ってきた遊びやすさと据え置き機のスペックを十分に生かしたストーリー表現を手に入れたのだ。
まだストーリの先、いつものFEのように悪竜を倒すのかトラキアのように人間の戦争になるのか、は分からないけどゲームの節々から作り込みが伝わってきて期待大である。つまるところついにストーリーに期待できるぞということだ。
FEというと歯ごたえのある難易度、パーマネントデス、そしてそれらの要素を盛り上げる魅力的な登場人物という評価であった。
古くは、話すコマンドによる会話とボスとの掛け合い、支援システム以後は支援レベル毎の仲間内での会話。このコミュニケーションスタイルは代を重ねる毎にキャラクターを掘り下げる方向へ発展していった。ただ、if(Echoesやっていない)あたりになると、コミュニケーション有りきの幕間パートとなっており、王道シリアスなストーリーとその幕間が乖離していた。例えばifではストーリーでどんな衝撃的な展開があっても(次元の間という設定の)拠点は平和そのものであり、仲間達も遊んだり風呂を楽しんだりしており呑気なものであった(個人的にこのマイキャッスルおよび子供世代による外伝というフォーマットは失敗していたと思う)。
つまりストーリー展開に対してキャラクターコミュニケーションの側面が機能不全を起こしていた。
だがしかし本作では学園という箱庭を極めて精密に作り上げることで、この不整合を完璧に解消したように感じる。主人公はクラスの担任であり、仲間は生徒や同僚である。彼らが週末の時間を各々好きなように過ごしているのは当然であり、話をしたり、お茶に誘うのも普通の学園生活で不自然さはない。例えばある食いしん坊筋肉バカは食堂や訓練場におり、動物好きで信仰にすがる少女は厩舎や聖堂で見かける(どのクラスを選んだのかバレバレの例)。キャラクターが自由に動ける空間を用意したことはキャラクターの掘り下げの面で素晴らしい決断だと思う。
個人的にハードウェアの性能向上により一番恩恵を受けた部分は世界観だと思う。今までFEはSLGパートがメインで、章の合間にストーリーが挟まるという感覚であった。魅力的なキャラクター達による群像劇というストーリーは一定の面白さはあったのだが、やはり世界は語られるものであり読むものであった。
しかし、学園という箱庭世界を用意し、プレイヤー自らその世界の要素へインタラクションをすることで、世界観に対する理解をぐんと深めることができるようになった。例えば今まで設定資料はメニューからただ読むだけであったが、本作では書庫まで足を運んでプレイヤーの分身が本を手に取る必要がある。例えば学園の様々なところで生徒や先生達が己が時間を過ごしているのを近くから遠くから眺め、話しかけることができる。世界観への没入度の深化により、魅力的なキャラクター達とストーリーの間を埋めることに成功したのが一番の改善点だと感じている。
実はこの路線はifのマイキャッスルですでにチャレンジされていた。しかしハードの制約があり中途半端なものになってしまっていた(自室に招くとか恥ずかしいしハラスメントだし…)。学園というしっかりとストーリーに裏付けされた舞台を与え、ハードウェアの性能を生かしてリッチな箱庭体験を用意する。それができて初めてストーリーとキャラクターの両輪が回り始めたのだ。
共同開発のコーエーの力かは分からないが、本作はとにかくテキストの語彙が格調高い。貴女、貴君などいわゆる古風(田舎風やロココ風の風)な言葉遣いではなく、本当に古い言い回しを多用する。三十年近く生きてきてそれなりに言葉を知っているつもりだったが「疾(と)く」はフルボイスで読まれるまで分からなかった。また言葉の使い分けも見事で、例えば三人の学級長だと歴史ある帝国の次期皇帝である皇女はそれはそれは帝王学を納めた口調であり、騎士の国の次期国王は力強く青年らしいが高潔な言葉遣いで、つかみ所のない同盟連邦の嫡子はくだけた話ぶりである。(歴史ゲームとか昔の小説でしかないような単語や読みが多くて、声優さん大変だったんだろうなーって思った。)
この確かな語彙に裏付けされた会話は、普段はテキスト速度をノーウェイにしてばしばし読み飛ばす自分も、つい自動送りで全部聞いてしまう魅力がある。
いまのところ全てのピースが完全に合致しているFEだと感じている。気になる点としては釣り用の餌が全然手に入らないところ。散策する毎に駆けずり回って餌を集めている。釣りがしたいよ。
お気に入りのキャラクターは、鼻持ちならない貴族で行動言動すべてが面白い愛されキャラのローレンツくん(ウォッチ対象)と青い長髪を持ちペガサスナイトまったなしの薄幸少女マリアンヌ(推し)です。
「私の好きな作品が評価されない世界は間違っている」と言わんばかりだが、
同人女はごく狭いコミュニティの独自ルールに染まりがちである。
そのうえ「文字書き」は幼い頃から一人きりで小説を読んできているためか余計に独善的なきらいがある。
いったい何が間違っているのか?
喩えるなら「ルネサンス絵画だけが正しい絵画だ」と主張しているのが彼女らなのだ。
ゴシックもバロックもロココも印象派もキュビズムもダダイズムも
すべて「下手だ」「間違っている」「真の絵画ではない」と切り捨てながら、
「どうして漫画のようなリアリティのない白黒の絵ばかりが評価されるのだろう」と嘆いている。
「ルネサンス絵画の写実的な美しさと鮮やかな色遣いを理解できないなんて」と。
いや、絵画のことであれば、彼女らも「さまざまな評価軸があるのだ」ということを理解できるだろう。
しかし小説のことになると途端に「正しい表現」「あるべき小説」に囚われてしまう。
新潮社のトマス・ピンチョン全小説の『V.』を読み返していたら、ちょっと気になる箇所があって、これは原文ではどうなってんだろうと、図書館で原書を借りてきてみました。そしたら、あれ、もしかしてこれ、この翻訳ひどい?
というわけで、原文と翻訳を照らし合わせたうちで、これはいくらなんでもという箇所を以下で検証していきます。
この段落はニューヨークの下水道に巣食うワニを狩るパトロール隊として雇われているプロフェインという男が第五章で書かれたワニ狩りのことを回想しているというところです。訳文とそれに対応する原文を引用していきます。訳文の引用は『V.』上巻の217,218頁から。
フェアリング神父の教区を抜けてイースト・リヴァー近くまで、独りで追っていったワニのことを、プロフェインは振り返ってみた。
He thought back to the one he'd chased solo almost to the East River, through Fairing's Parish.
「抜けて」とありますが、第五章を読めばわかるようにプロフェインは教区を抜けていません。ここのthroughは「~の間を通って」の意でしょう。
ちなみにフェアリング神父は下水道でネズミにキリスト教を布教しようとしていた人物です。
そいつは、みずから歩をゆるめて追いつかせ、自分から求めるように撃たれていった。なにか取り決めでもあったのか。プロフェインが酔っぱらってか欲情してか、頭がポワンとしていたとき、ワニの足跡だらけの泥の上で、契約を交わしたのか?
It had lagged, let him catch up. Had been looking for it. It occurred to him that somewhere--when he was drunk, too horny to think straight, tired--he'd signed a contract above the paw-prints of what were now alligator ghosts.
「なにか取り決めでもあったのか」という訳文に対応する箇所がない。
これに対応するらしき原文はこのあと出てくるのですが、なぜここに置かれているのかわかりません。それ以外にも問題がありますが、それは後述。
It occurred to him thatが訳されていない。
tiredが訳されてない。
of what were now alligator ghostsが訳されていない。
この段落ではこのalligator ghostsなるものがどういう存在なのか、このあと縷々綴られていくので、これを落としてしまうのはちょっと。ここは訳すなら「今や幽霊であるワニたちが、かつてそうであった存在の」となるのでしょうか。あまり自信はないですが。
プロフェインはワニに死を与える、ワニは彼に職を与える、それでイーヴン、恨みっこなしと。
Almost as if there had been this agreement, a covenant, Profane giving death, the alligators giving him employment: tit for tat.
Almost as if there had been this agreement, a covenantが訳されていない。
上に出てきた「なにか取り決めでもあったのか」が訳文なのかもしれないけど、this agreement, a covenantとわざわざ言い直して二回言っているのを「取り決め」の一語にまとめるのはどうなんですか。しかもcovenantなんて「(神との)聖約」という強い意味の語なのに。そんな語がワニ相手に使われているというのがこの文のミソだと思うのですが。うーん。
プロフェインにワニは必要だが、ワニはなぜプロフェインが必要だったのか。その原始的な脳の回路に、記憶と理解が生じていたのか。子供のころ自分たちはただの消費財で、財布やハンドバッグになった両親や親戚のおじさん、おばさんたちと一緒に、世界中のデパートで、あらゆるガラクタと一緒に陳列されていたことを覚えていたのか。
He needed them and if they needed him at all it was because in some prehistoric circuit of the alligator brain they knew that as babies they'd been only another consumer-object, along with the wallets and pocketbooks of what might have been parents or kin, and all the junk of the world's Macy's.
息の長い原文を切って日本語として不自然じゃないようにしているのでしょうが、かえって意味のつながりが見えにくくなっているような。
おかげで分かりづらい。これでは「必要だったのか」「生じていたのか」「覚えていたのか」と三つの疑問文がただ並列されているように見える。せめて「生じていたのか」「覚えていたのか」を「生じていたからなのか」「覚えていたからなのか」にした方が良いのでは。
the world's Macy'sを「世界中のデパート」としているのは明らかに誤訳です。メイシーズは基本的にアメリカにしか展開していないようですし、なによりもこの挿話の元になった都市伝説はニューヨークのメイシーズで、ペット用に売られた赤ちゃんワニがトイレに流されて下水道で成長していたというものだったわけです。なのでthe world'sはここでは「ここらの界隈の」みたいな意味ではないでしょうか。
あと英語の仮定法を日本語の疑問文で訳すというのは翻訳のテクニックとしてアリなのでしょうか。いや、アリならアリで全然いいんですけど。ただの素人なのでよくわかりません。
トイレを通って、地下の世界に流れてきたのは緊張の中の束の間の平和に――いずれは子供の、見かけだけ動きのあるオモチャに戻っていくしかない、それまでの借り物の時間に――すぎなかったのだろうか?
And the soul's passage down the toilet and into the underworld was only a temporary peace-in-tension, borrowed time till they would have to return to being falsely animated kids' toys.
トイレにジャバーっと流されて下水道に流れ着くという事態を「魂の道行き」なんて大げさな言い方をしているのが、面白いところなのになんで訳されていないのか。あとダッシュをいれて「――いずれは子供の(中略)借り物の時間に――」と挿入するくらいなら原文の語順通りに訳したほうがわかりやすいように思えます。
もちろん自分から望んでのことではない。望みは、もとの自分たちの暮らしにある。それを叶える完璧な形は死ぬことだ。死んで、ネズミ職人の歯によってロココ様式の死骸になることしかない。そしてそのまま、教区の聖なる水に浸食され、あの日、あのワニの墓場を明るく満たした光のような燐光を発する、アンティークな骨細工になっていくしかない。
Of course they wouldn't like it. Would want to go back to what they'd been; and the most perfect shape of that was dead--what else?--to be gnawed into exquisite rococo by rat-artisans, eroded to an antique bone-finish by the holy water of the Parish, tinted to phosphorescence by whatever had made that one alligator's sepulchre so bright that night.
to go back to what they'd beenが「もとの自分たちの暮らしにある」でいいんでしょうか。このあとに続く文に則して意味をとるなら「暮らし」では変では? それに原文はto go backなのに「帰る」という意味が訳文から感じとれないです。
さて、ここから先が問題です。ここは第六章の中で非常に重要な段落の中でも、さらに重要な一文だと思うのですが、まともに訳されていなくて頭をかかえました。
まず、ダッシュで囲まれたwhat else?が訳されていない。
「しかない」という形で間接的に訳されていると言えるかもしれませんが、それでもこれを落とす理由にはなりません。
exquisiteが訳されていない。
tinted toが訳されていない。
by whatever以後の節を「燐光」にかけて訳していますが、これは英文解釈的に無理なのではないでしょうか。また、そのせいなのか原文の語順がぐちゃぐちゃにされてしまっています。なぜeroded to an antique bone-finishとひとまとまりなっているのを千切って「浸食され」と「アンティークな骨細工」をかけ離れたところに置いているのでしょうか。
原文を素直に読めば、ワニは死後、gnawed-齧られてrococo-ロココ彫刻になって、そのロココ彫刻がeroded-浸食されてan antique bone-finish-骨仕上げのアンティークになり(bone-finishというのは妙な言い方ですが、matte finish-つや消し仕上げをもじったような表現だととりました)、そのアンティークがtinted-染められてphosphorescence-燐光になると読めます。
つまりワニの死後、時間の経過によってワニがどのように変貌していくかの推移を追うことができるように読めるわけです。しかし翻訳ではそのように読むことはほぼ不可能です。
さらにこの段落の一番最後に来るのは原文ではwhatever had made that one alligator's sepulchre so bright that nightなわけで、ここに意味上の大きな負荷がかかっていると思えるのですが翻訳では「燐光」の前に置かれて目立ちません。
これでは、4コママンガのコマの順序を入れ替えてしまったために、オチの意味がわからなくなっているようなものです。
ここのところをわたしなりに試しに訳してみたので、ここに置いておきます。
そして、その望みの最も完璧な形とは死ぬこと――他に何があろう?――であって、そうして工匠ネズミに齧られて精妙なるロココ彫刻とされ、教区の聖なる水に浸食されて骨仕上げのアンティークになり、何ものかに染められて澄んだ緑色の燐光と化すのであり、そしてその何ものかこそ、あの晩、あのワニの地下埋葬所をあんなにも輝かしく光らせていたのだ。
(phosphorescenceという単語を見ていたら、どうしても『宝石の国』のフォスフォフィライトの顔がチラついてしまったので「澄んだ緑色の燐光」としてしまいました)
とにかく第六章にはここ以外にも訳されていない語、節、文がたくさん出てきます。他にも誤訳、誤訳とは言いにくいけどおかしい訳もままあります。誤訳ではなくてもあまり使われない珍しい単語が使われていたり、凝った表現がされていたりするところが、平易な分かりやすい、いいかえれば、ありきたりでつまらない日本語になっていたりします。
いったいなんでこんなことになっているのでしょうか。ピンチョンが好きでこの『V.』も何度も繰り返し読んできたというのに、今まで読んできたものは何だったのかという気分で、ショックが大きいです。
共訳者の一人、佐藤氏は何十年もピンチョンの研究、翻訳をされてきた人で、こんな訳をするとは思えないのですが。それとも、このころ『重力の虹』の翻訳に集中していて実は『V.』にはあまり関わっていなかったとか? しかしもうひとりの小山氏もイギリスの大学院に留学して英語の著作もある人だそうですし。学生に下訳させて、ろくに直さずに出版したとか? まさか。
ただ原文を横において検討したのは第六章だけなので他の章はちゃんとしている可能性はあります。わたしの英語力では全文チェックするなんてとうてい無理なので、誰か英語を読むのが苦ではなくて、現代アメリカ文学に詳しい人に『V.』全編の翻訳をチェックしてみてほしいです。
手首の内側に傷があると、
なんか心に傷を負ってる系かと思われちゃうけど、
気が付いたら手首の内側すりむいてるわ。
たぶんどっかで段ボールの角に当たって引っかかったのが傷になったのよ。
だからぜんぜん心になんか傷を負ってないわっ!
昨日さ、
夜のスーパーに行って買い物してきたんだけど、
なんかブラッと見て、
これが買いたいと言うわけでもなかったんだけど、
なんとなく心の欲するものがなくて、
なんだかモヤモヤとした感じで買い物を終えた感じだわ。
何買うんだったっけ?って
買い忘れてるわけでもないし、
かと言って買うものは買ってるんだけどなぁ。
なんかスカッとお買いものしたーって感じがなかったのがイルカだわ!
なんかなごり惜しさ残しつつ
スーパーを出たんだけどね。
石けん買ったでしょ?
シャンプーも買ったでしょ?
ヨーグルトも買ったでしょ?
だいたいこう言うのってスーパーを出た瞬間ぐらいに思い出したりするんだけど
なんだか思い当たる節がないわ。
また思い出したら
書くわねってきっと最近料理してないことのストレスが溜まりまくってるのよねきっと。
たぶんそれだわ!
あとうんと辛いベリーホットのスパイスカレーも食べてないからよきっと。
たぶん原因はそれだわ、
うふふ。
食べようと思って買ってきて食べるの忘れちゃって寝たのを妬んだわ。
昨日なんか珍しい柑橘系買ったんだけど、
たぶん以前にも買ったことがあって、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!