はてなキーワード: ヒーローとは
また教えてください。
☆今週読んだもの
推理小説を趣味で書くお父さんがその知識を総動員し、娘のために裏組織と戦う話。
今まで読んだミステリ?漫画中でもダントツに面白い。息もつかせぬスピード感と展開。読み終わるまで眠れない。
お父さんがすごすぎて悪漢がかわいそうになるレベル。絵が細密でうまいしキャラの性格に沿った描き分けがいい。
この作の方、推理小説とか書いてないのかな。最新刊読んだら検索してみる。面白い。
【異世界失格】
ハーレムというとそんな都合いい女いるかという気分になるが転生者が太宰治というだけで納得いく。
いやこんな女いるなー。私が間違ってた。絵は綺麗。内容はちょっと薄め。あんまり濃くできない理由はわかる。
同時期に太宰治が転生してると聞き検索して見たけど多分なろう連載小説かな?
こちらは文体から凝ってて読み応えありそう。一緒に読むと2度おいしくていいと思う。
書籍化は川端康成サイドとの折衝にかかってると思うけど難しそうな気はする。
【応天の門】
まだ学生の菅原道真と在原業平が今日の都で起こる問題を解決する推理もの。
大河ドラマの時代考証やってるプロがついてるらしく、挟まれる講釈がためになって面白い。
漫画としての面白さよりなんかこう、知的好奇心で読むと良さそう。エンタメとしては薄味?
絵はざっくりした感じで好みは分かれそう。
幼馴染が都会にでて歌手になるのに利用され、貢いで尽くした挙句捨てられた少女が自分もアイドルになって見返そうとする話。
エキセントリックで体当たりなヒロインが自力で成り上がる姿が清々しい(?)
この作者さん、全作通して普通の王子様を待つ少女漫画なぞ描かないわよ、という気概があって、あんま少女漫画好きじゃなくても楽しく読めてたんだけど、最近はちょっとヒロイン上げが鼻につくような。典型的はわわヒロインになってる気がする。
でも夢小説が大流行だからそういうヒロインの方が世間受けはいいのかもしれない。仕方ない時代の流れ。
【ゴールデンカムイ】
あらすじ書くまでもない人気漫画。
最新刊読んだ。杉本かっこいい。妙に乙女なおっさんなだけではないところをたまには見せてくれる。
敵味方入り乱れすぎて似たような顔のキャラはどこ陣営なのかよくわからんくなってきた。
【ファブル】
なにわ友あれの作者の漫画。前回タイトル間違えててすいません。
殺し屋ファブルがボスの命令で一時休業し、一般社会で一般人として暮らそうとする話。
正体を隠したファブルが悪漢に囚われた美女を救う話で、こういう話を嫌いな人間がいるだろうか、いやいない。
相棒の小悪魔美女が暇つぶしにヤリチン男をうんちに沈める回も楽しい。
宇崎ちゃん献血ポスター騒動でも今ツイッターでやってる戦隊ヒーロー出演女優のグラビアでもそうなんだが
ツイフェミとの対話だの説得だのは全くの無意味、徒労、時間の無駄なんだよね
とっくにやってる人がたくさんいるだろうから今更ではあるんだけど
ツイフェミが叩いてる対象のお問い合わせフォームなりなんなりから直接応援、賛成のコメントを送ってやったほうがずっと効果あるよ
例えば宇崎ちゃんなら具体的に「批判があるみたいですけどコラボポスターとてもいいと思います。批判に負けずコラボ続けてください」というふうに
応援をたくさん送れば賛否両論となって「賛否あるので撤去とかはしません」となる確率が上がるはずだよね
いつからカタカナで呼称されるようになったのかババアには分からない、生理用パンツじゃダメかよ。
妥協できる範囲のヤツには出会えたけど一枚四千円弱のパンツとか嫌すぎる。買ったけど。
極端な話、血みどろになるの前提のパンツなので普通のパンツよりも寿命が短い。衛生面からしてもヨレすぎる前に買い換えるべきだろう。クソのように金がかかる。
月のうち1週間くらいしか使わないけど洗い替えようにイッパイ必要なのでタイミングによっては普通のパンツよりも所持枚数多かったりする。
三枚くらいで良くね?って意見もあると思うが、雨で乾かない事もあるし夜用と昼用は分けたいというか求める機能が違うし何なら部屋着とお出かけ着が違うように昼だって求める機能が違うわけで。拘るタイプならいくらでも拘れる。このへんはブラジャーも一緒であろう。見えてる服よりブラとパンツの方がお高いとかいうクソな状況に成りがちなババアは、クツとジャケットの方がそれでもお高いハズだ、だから大丈夫だ、安心してこのクソ高いパンツをポチれと己に言い聞かせながらネットショップでピンとくるパンツ検索しまくって何時間とか周期的にやりがち。クソすぎる。
ところでブラジャーも適当なカップ以上は値段高くなるので毎回クソのような気分になる。布面積多いからか知らないけど、この下品なレース要らねーから同じ値段にしてほしい、あとなんでセクシー系か肌色系ばっかなの?ほどほどに無難でほどほどな価格のヤツが欲しい。せめて肩紐が太くなってるとかホックが三段になってるとか一目で知れる特別感で攻めてきて欲しい、それなら諦めがつく。世の中クソだ。
あと適当なカップ以上は小さく見せるブラとか好みが分かれるタイプのヤツしか置かなくなった良く行くランジェリーショップは移転しろ早急に。その潰した肉はどこに行くの?脇と下に流れるのを阻止すると上にしか逃げ場が無くてメッチャ鳩胸な人みたいになる運命なんだが。谷間の汗疹率が普通のブラの比じゃないし、肉を抑えようと締め付けたら骨まで苦しいし形が不自然だからライン拾う服、具体的にはカチっとめのワイシャツとかシルエットおかしくなる。もうむしろ胸筋たくましい男性みたいになる、肩幅わりと有るタイプだからスカート履いた時のシルエットが納得いかなすぎてムリ。苦しい。コルセットで貧血起こして海にダイブしたアノ映画の美人ごっこでもしろというのか。死ぬわ、一般人なババアにはヒーローが居ないんだぞ、美人の皮もセットで売るとでも?クソが。しかしこの拷問ブラだと既製品のワイシャツが一応着られるようになるのは理解した。要するに需要があるから存在する、だがババアには晒しと何が違うのか分からない。むしろ和装用のブラの方がまだしもシルエットがマシだし苦しくはないし綿100%率が高い。というか和装が特別感無い社会だったらババアは適度に胸を潰して、適当にラフな和装で会社に行く。胸が楽で肩こらないという観点ではラフな和装がいい。
ブラは肩こるんだ。バストの重みを細い肩紐2本で支えてるから、太い紐なら多少は分散するけど紐は紐だし。和装ブラだと寄せて上げるとか固定して支えるとかって方向性じゃなくて、ほどほどに抑えてジャマじゃないようにするっていう感じなので肩にばっかり負担が行かなくて普通のブラよりは肩こらない。でも和装ブラで洋装だとシルエットが美しくは無いので、つくづく美意識が違うんだなー。あと和装だと帯との合わせ技で胸をどうにかしてる感もあると思う。ボタンじゃないので下品じゃない程度にラフな着付けだと動作に合わせて適当に動いてくれて肉が多くても割となんとかなる。シルエットの話するなら和装だと胸潰した方がいいんだろうけど、許容範囲がわりと広いという意味でキッチリ体の線を拾って仕立てる洋装よりも不特定多数に優しい気がする。成人式とかの晴れ着で想像されると優しくないので、あくまでラフな普段着としての和装ね。
和装流行らないだろうか。役所でかりゆしとかのノリで会社でラフな和装でもOKな世の中が来て欲しい。和装と洋装とドッチも居るよ、普通だよ、なテレビ小説的な時代設定の世の中になるといい。
パンツに戻す。
ババアは化繊にかぶれる年頃なのでパンツは綿がいい。レースとかも要らない、かゆい。
昨今だと不織布のマスク被れるとか一部で声も上がっていることと思う。花粉症とか他のアレルギーとかで年中マスクの人種からしたら何を今更っていうヤツ。
また逸れたのでパンツに戻す。
生理用パンツに綿100%は存在するけれども、クロッチ部分がガチすぎる防水布だとムレてムリとか、この防水布が素材によっては羽つきナプキンの粘着が取れなくなったりするのでクソだとか、まあ色々ある。ただでさえイライラする時期にナプキンの粘着べっとりとか、パンツ引き裂きたくなる。というか、クロッチ部分もだけど際にレースとか直に肌にあたるかもしれない部分に化繊を使っておいて綿100%表記とか首をひねるわ、まあ理解はできるけども。細かいアレだと糸も化繊だもんな、縫製によっては被れる。ちっとも綿100%ではない。クソが。
防水布だが。
だって上にナプキン置くじゃん?ナプキンの大きさによっては防水布の部分がピッタリ合うって事も無いけど。
通気性を強調するナプキンの下に通気を拒む防水布が有るってどういうこと?ナプキンずれた時用のセーフティーネットだっつーのはコピーになってたりするけど、現実的にはムリじゃね?ナプキンから漏れたらそれはもう漏れるわ、何ミリだか何センチだかの防水布部分で決壊を防げる程度の量なら綿100%さんが頑張ってくれると思うわ。防水布にしろ綿にしろパンツに血が付いたらパンツ交換した方がいいわ。防水布についた血が拭いたら取れるかっつーと、そうでもないし。出先とかで代えが無かったとしても大差無い気がする。というかケースバイケースすぎて比較できないのでは?つまり個人の好みでいいのでは?そしてババアは防水布が嫌いだ。
なんで後ろ全面防水布にする?
いや、わかるよ、ナプキンがずれた時のセーフティーネットなんでしょ?先に上げた理由でクソすぎる。
世の中にはパンツからはみ出るんじゃね?っていう巨大なナプキンも存在するしパンツ型のナプキンも存在する。
ババアは多い日はパンツ型を愛用している。パンツ型、化繊には違いないけど防水布とは比べ物にならない肌あたり。とにかく防水!な防水布と、吸収して漏らさない!なナプキンと同じコンセプトであろうパンツ型ナプキンでは方向性が違うからだろうな。まあ、このへんは好みで探せばいいと思う。
漏れない事よりも肌が被れない事の方がババアには大事だ。パジャマもシーツも洗えば落ちる場合が多いけど、一度被れたら治るまでずっと痒い、痛い。
布団やマットレスに染みるのが心配ならパンツじゃなくて布団の方に防水っぽいシートを敷けばいい。腰回りだけでいいんだから、赤ちゃんのおねしょ対策用品とかでもいいし何ならバスタオル重ねて敷いとけば、わりとタオルが頑張る。
防水布アリガテーなパンツばっかりなのは需要があるって事なんだろうか。売れないものは作りたくないだろう、それは分かる。でも本当に生理パンツにおける防水布ってそんなに有り難いんだろうか。ババアはむしろクソだと思ってるが。
ナプキンじゃなくてタンポンとカップ型のシリコンのやつにすりゃいいじゃんって意見はババアは受け付けない。
どれもメリットとデメリットがあって、タンポンもカップ型シリコンもババアには合わない。化繊が被れるので、ナプキンだってメーカーによってはムリだし、粘膜に直越触れるとなるとコットンのタンポンでもムリだし、シリコンもムリだ。モノによるとしか言えないので自分で人体実験する気にはならない。
斬新な異能力思いついた
助走をつければつけるほど、そのあとに繰り出すパンチの威力が跳ね上がる
実は助走の判定がガバガバで、途中で止まろうが食事しようが寝てようが走った距離が助走判定になる
知らない人のために解説するとヒーリングっどプリキュアは2020年度のプリキュアだ。
地球を癒やし“お手当て”してきた
【ビョーゲンズ】の襲撃にあって
このピンチを救うため、
パートナーを探しにやって来た!
と書かれている。
ふざけた話だと思わないか?
じゃあ聞かせてもらうが、その「病気」って状態はどう定義されているんだ?
じゃあ人間の子供の身長が伸びたりしたらそれも「病気」なのか?
えっ、違う?それはおかしいなあ。
結局の所、「人類にとって都合がいい状態≒地球が健康」という身勝手な定義が根底にあるだけなんだろ。
自分たちに都合がいい環境を維持しようとする行為を「お手当」と呼ぶらしい。
酷いものだ。
家畜に調教を施すような気持ちで、地球さんをお手当してくださっておられますか伝説の戦士プリキュア様は。
はぁ~~~~~マジでな、自分の都合のためにやってるだけのことをさも相手のためみたいに言ってんじゃねえよ。
カルト宗教の信者が信仰を押し売りするような気持ちで、地球で一番強いヒーローやるのはマジで勘弁してくれ。
もっと普遍的で一般的な道徳観に基づいて淡々と目の前の悪魔的災厄を暴力で解決していくスタイルでいいじゃん。
アンパンマンみたいなもんだよ。
なんでわざわざ「自分たち人類にとって住みよい状態こそが、地球にとっても健康な状態なんだ」っていう無根拠な自然環境保護論とセットにしちゃうかなあ。
人類にとっての良し悪しなんて、地球にとっては完全に無関係だからね。
たとえば、虫歯菌にとって理想の口内環境は歯磨きしてなくて砂糖まみれの状態が放置されている環境だけど、その状態が人間にとっても理想的かと言えば、別にそうじゃないから(まあ個人差はあるのかも知れんが)。
その環境の表面に寄生しているだけに過ぎないって自覚した上で、その都合を押し付けていくだけならまだ目を瞑るけど、それが相手のためにもなるとまで言い出すのはマジで簡便な。
追加
そういうのが居ないのが現実だと思うんだ。
へっぽこが居るからダメ、という描写ではなく、普通程度の善良さを持つ人間が大半でも、腐っていく絶望が見たい。
制度や組織が丸ごとダメだから救いはない、というフィクションは無いよね?
こういうあり得ない超常現象でも無い限り現実は変わらなさそう、という絶望。
検察や司法制度の闇にも切り込んで欲しいので、冤罪転生を繰り返す中で「問題は警察だけでは無かった」みたいにしてシーズン2だな。
追加ここまで
ネタを思い付いたので、誰か実現してくれ。
冤罪で人生を潰された人の呪いで、その人をムショに送り込んだ平凡な刑事が、冤罪の始まりから、ムショを出るまで転生を繰り返す物語。
主人公の平凡な刑事は、悪人ではないが、すごく良い人ではない。共感しやすいように、ちょっと良い人、ぐらいが望ましい。
ある朝、玄関を叩く音に目覚めて、ドアを開けると知らない刑事がいて、逮捕される。
よく見ると部屋も自分の部屋じゃないし、なんだこれ?みたいな。
取り調べでは、昨今話題のクズ警察の密室取り調べテンプレのオンパレード。
留置所では布団の畳み方が1cmおかしい、とかで布団を没収されるみたいな嫌がらせをされる。
この辺のネタは元刑事とか、警察の闇を追ってる作家とかに協力を依頼して、リアルに描写してくれ。
ネタが少ないと、転生を繰り返せないので、頑張ってくれ。
特に悪人でもない刑事が無実の人の人生を潰す理由も理解可能になるように取材頑張ってくれ。
俺にはなぜ刑事がそんな事をするのか理解できてないので書けない。
なぜ逮捕される瞬間にテレビカメラが立ち合えるのか、とかもマスコミと警察の関係の闇というネタになると思うから盛り込んで欲しい。
ずっと冤罪で逮捕されるのを繰り返すだけだと面白くないので、その輪廻を抜ける方法を探る事をメインストーリーとして描写して欲しい。
例えば、ムショから出る時に、冤罪にされようとしてる人が居なければ輪廻から抜けられる、と気が付いて、その為には冤罪を減らせば良いと考え、ムショから出る時に強く「冤罪で人生を潰された人達で協力して制度を変えよう」と念じれば、自分が抜けた後の人に想いが残り、そのように動き始める、みたいな?
警察を美化しない創作物はテレビでは決して扱ってくれないけど、今ならアマプラやネトフリなんかもあるし、面白ければ必ず日の目を見ると思う。頑張ってアニメ化まで持っていってくれ。
ジョジョアニメを見ていて思うのだが、初代ジョジョは実家が太いけど、その後のジョジョはスピワゴ財団に助けられる部分が多いよな。
杜王町内でのことも調査だのなんだのは財団が手伝ってくれてるよな。承りと仗助だけの力じゃない。
ジョルノだってチームに入って組織の金を使いながら組織を潰して再構築するんだから、己の才覚だけで戦った訳じゃないしな。
主人公や仲間の実力・才能だけでなく、経済的バックアップがあって成り立つ話って現実的だよな。
そして虚しい気もするよ。
彼等ほどの人間であっても、金は必要っていう。それも相当な資金力が…。
巨悪と立ち向かうにはお金持ちじゃないと無理っていう。ヒーローは金持ちの道楽じゃないと出来ない。
考えてみれば特撮系だって色んな設備だの活動だのはお金かかるもんな。主人公達は働いたりしてるけど。足りないよね。
雇われ…。
よく知らないけど、海外のヒーローだってバットマンとか超金持ちだよな。マーベルのヒーローはどうなの?
ついでに言えば、悪の方は基本的に金持ってるよな。性質上。貧乏な悪なんて居ねえよ。
あーあー。
疲れるなー。
ビッグヒーロー6とかそうだしズートピアも普通にマジョリティぽいやついくらでもいたろ。
マジョリティならではの苦しみをトピックにしてる例を挙げたらそれはニッチだっていう。マジョリティだけじゃないと納得いかんって言ってるようにしか聞こえないんだが
最近、アンパンマンのマーチが仏教的だとかアンパンマンの思想は釈迦を表してるだとかよく見かけるようになりました。ちょっと前はアンパンマンはキリスト教だ!っていう話も上がったりしてました。
分かるけど・・・うーんって言う気持ちもあります。その、うーんっていう気持ちの理由を今回はつらつら書きたいと思ってます。
※私は仏教に関してはそんなにあかるくないです。どちらかと言うとキリスト教の方にはあかるいのですが、それもその宗教を実際に信仰している方ほど完璧、という訳ではありません。ですので、そのような方がお読みになった際は「これは違うぞ!」と思うところもあるかなと思いますが、どうかお許しください。
ちょっと前に、「やなせたかしはクリスチャンだった!」という話があがってました。しかし、色々解析すると仏教徒なのでは?という反論があり、結果クリスチャンでは無いのでは?となっていたような気がします。
しかし、宗教は本来タブーな話で誰が何を信じてようとそこには踏み込むべき話題ではないので、自身が明言したり、それ以外の人間に分かるほど「熱心な仏教徒」だったり「熱心なキリスト教徒」だったなら話は別ですが、そういう訳では無いのに「作者は仏教徒だから、仏教が関連しているんだ!」とか言うのはステレオタイプかなと思います。
わかりやすい熱心な仏教徒の話を上げますと、宮沢賢治とかですかね。彼は熱心な仏教徒でありながら、キリスト教にも興味関心を持っていたそうです。なので、作品にもそれが存分に生かされてる、というのは納得のいく話しです。
対して、やなせたかしさん自身は「私は仏教徒の家系に生まれです」とかは言ってないし、周りの人物も「彼は熱心な仏教徒だった」とは言ってないわけです。キリスト教に関しても一緒です。そりゃ、今と違って家系が仏教なら仏教の教えを信じるとか、キリスト教ならキリスト教の教えを信じる家系だった可能性もあるので、そうなるとやなせさん自身の作品にも生かされてる可能性はあります。自身が信じてきたものが作品に無意識的に反映されるものですので、有り得なくはないです。でも、断言ができるものでは無い、ということだけは事実です。
2.アンパンマンができた経緯
アンパンマンはやなせたかしさんの正義が込められたヒーローです。
やなせさんは戦時中、兵隊として敵国と戦っていました。その時に怪我などよりも、飢えが1番苦しいということが分かったそうです。それがアンパンマンの顔がアンパンである理由でもあります。
国に帰ってきた時に、今まで正義だと信じてきた「敵国を倒すこと」が間違いであると、叩きつけられます。その時に、やなせさんは「正義と悪なんて、ある日突然、逆転するんだ」と実感したそうです。
戦後、アメリカなどから多くのヒーロー達が輸入されてきました。そのヒーロー達は皆、設定された悪役を倒すだけ、当時日本に多くいたような困ってる人やお腹を空かせてる子供達には目もくれず、ただ悪役を倒すだけだ、でもそれは違うのではないかと感じたそうです。
以上の経験から、やなせさんが正義の味方、ヒーローを作ろうと思った時に悪役を倒すだけではなく、困ってる人やお腹を空かせてる人に手を差し伸べるヒーローを描きたいという思いで、アンパンマンが出来たそうです。やなせさんは「逆転しない正義は献身と愛だ。それは難しいことに聞こえるようだけど、簡単に言えば、お腹を空かせてる人にパンを差し出すこと」と述べてます。(一字一句覚えているとは言いきれませんが、印象的だったので覚えていた言葉です)
この辺りの「献身と愛」がキリスト教的に引っかかるのかなと思います。キリスト教も献身を大事にしていますから・・・。
その、やなせさんの考える逆転しない正義を体現してるのがアンパンマンだというわけです。
ちなみに初めにできたアンパンマンはパンを作り、戦争下でお腹を空かせる人々に敵味方関係なく、空を飛んでパンを届けるふくよかで到底イケメンとは言えないおじさんだったそうです。彼はいつものようにパンを届けている時に、砲弾に当たり、命を落とすという最期を迎えます。そのようなおじさんの姿から、土台は一緒ですが、アンパンの顔をしてお腹を空かせてる子供にアンパンを与えるヒーローに変わり、今のアンパンマンが出来ました。
3.やなせさんの考える正義の味方について
正義の味方はかっこよくないというのがやなせさんの考えです。だから、アンパンマンもどこか情けない感じですよね。顔が濡れたり、歪めば力は出ない。彼自身、顔をよく分け与えてますが、それをやってもやはり弱くなります。それはやなせさんが考える正義を行うものは必ず傷つくというのが体現されてるからだそうです。だから、アンパンマンは人を助ける時に弱くなる。マントがちぎれて飛べなくなることもあるし、命を落としたこともあります。(明確な死の描写はないものの、映画では2回ほど死んでいると思います。いのちの星のドーリィという映画では確実に命を落としてます)
それでも困ってる人を助けるためには身を投げ出す自己犠牲の考えがどこか仏教を感じるところなのかもしれないですね。
アンパンマンは作中にこんなことを言ってました。
「初めて人を助けた時に心が暖かくなって。その時わかったんだ。なんのために生まれてきたのか。何をして生きていくのか。何が僕の幸せなのかってことも」(いのちの星のドーリィ参照)
彼自身が困ってる人を助けることが自分の幸せだと答えています。仏教の自己犠牲って他者の利益を得るためにやるものだけど、自分の幸せまで含んでいたかな・・・という疑問を感じたりしてます。キリスト教でも自己犠牲は出てきますね。宗教で、割と自己犠牲は取り上げられているので、そこでアンパンマンの生き様に引っかかるのかもしれないな〜と感じました。
4.バイキンマンについて
やなせさんはアンパンマンという物語に本当の悪役はいないと言っています。前述の通り、やなせさんは悪役を倒すヒーロー達に疑問を覚えていました。なので、バイキンマンは悪役という物語に出てくる少しの毒として存在はしていますが、どこか抜けてるというか悪役にしては可愛げがあるのが印象的です。
加えて、バイキンマンとアンパンマンは2人が一緒にいることでバランスがとれてる状態で、どちらが欠けてもダメだと言っています。
だから、バイキンマンも何故かアンパンマンにとどめを刺す時にさっさと倒せばいいのに毎回隙を作るし、アンパンマンもバイキンマンのことをパンチひとつで許します。
それでもバイキンマンは「アンパンマンを倒すこと」が目的なので(もちろん、腹が減れば人からパンを奪うし、ドキンちゃんのワガママに付き合わされる時もあります)、アンパンマンを倒すためにメカを作ったり、パン工場自体をどこか変なところに移動しようとしたりと工夫を凝らしています。ちなみにアンパンマンの方はどうかと言うと、アンパンマンはみんなのことが大好き(映画の勇気の花がひらくときを参照)で、みんなと仲良くしたいので、バイキンマンとも仲良くしたいし、バイキンマンがお腹を空かせていたら普通に顔をあげる男です。なんて言うすれ違いでしょうか・・・。
余談ですが、アニメ第1話ではアンパンマンは襲ってきたバイキンマンをジャムおじさんとバタコさんと共に洗剤の入った水の中に突っ込んでいました。下手したらアニメ1話でバイキンマン死す!って状態だったのに、バイキンマンは小さくなりながらもしぶとく生き延びて今に至ります。昔の方が彼は容赦ないです。
4.さいごに
長くなりましたが、つらつらと書きました。
別に仏教と結びつけるな!とかキリスト教と結びつけるな!とは言いません。それは1つの考察だとは思います。ただ、「アンパンマンは仏教と関係がある!」とか「アンパンマンはキリスト教に沿っている!」と断言するのには少し違うのでは?という気持ちでした。
この文章は、「やなせさんの正義の考え方とかは彼自身が生きて得た境地で、それがアンパンマンに生かされてるんだな」と思っている1ファンの考察です。これが正しいという訳では無いです。なんせ、考察なんてファンの想像の域を出ないですので。
なので、あまり真に受けず、なるほどそうなんだ〜と軽く受け取っていただければ幸いです。
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参考文献的なもの(興味がありましたら見てください)
【本】
【映画】
いのちの星のドーリィ
※これらはやなせさんがご存命の時で、監修を受けていると思いますので参考にあげさせていただきます。いのちの星のドーリィは「なんのために生まれて、何をして生きるのか」がテーマで子供向けにしてはかなり壮大です。
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【追記】
色々とコメントがついてたりしてましたので、読みました。なるほどと思ったりしてます。
一つ、信者様という言葉を訂正し「信仰している方」という風にしました。決して揶揄っていた訳ではなかったのですが、揶揄っているように見えてしまったようでしたので、訂正しました。
「アンパンマンはアンパンマンという宗教」というのは納得してしまいました。幼児はアンパンマンが目に入るとすぐに見つけますからね・・・。
自己犠牲については、仏教にあかるくなかったのもあって色々と漁っている時に、仏教にもそういう考えがあるというのが分かったので、書きました。でも私もあまり印象はなく、どちらかと言うとキリスト教のイメージが強いかな、と思ってます。
キリストのパンの話が元になってるのでは?という話ですが、やなせさん自身が著書で書いていたのですが、アンパンを選択した理由が「アンパンは手軽に手にできて、あんこがぎっしり入っていて甘く、食べるとすぐに元気になれる(おそらく、糖分摂取できるという意味でしょう)」ということらしいのですので、キリスト教の話が元になってると断定は出来ないなと思ってます。
アメコミは勧善懲悪の話ではないという件については、私自身、その時代のものがどういうものだったのか分からないのですが、やなせさん自身の目には、ああいうようにうつったそうです。(『わたしが正義について語るなら』参照)
バイキンマンとアンパンマンの関係性に関しては、私もアニメの流れは「勧善懲悪の流れだなあ」と感じたりしてます。最近のアンパンマンはバイキンマンが悪役に回らず誰かを図らずも助ける立場に回ったりもしてますが、やはりアンパンマンにアンパンチを食らってバイキン城に戻るのが大半だったり、食らう前に退散したりしてます。
この話に関しては、深く入り込めるほどまだ、2人の関係性について飲み込みが足りないので、これ以上書けないです。申し訳ないです。
色々な視点を見ることが出来て良かったです。
本来ならブログにでも書いた方が良いのかもしれないが、まだ少しだが怖いのだ。
常に偽って生きてきたが故に己の内心を吐露するのに慣れていないのもある。
故にこれはただの日記に過ぎない。
1
けれど仕事をしながらであると、どうしても時間が足りない。計算すると自分が死ぬまでにどれだけの行いをできるのかと考えた。
故に常に触るとなるならば、やはり仕事にするのが一番だと思った。また自主学習は限界があるだろうとも思った。
今の仕事は長くやってきたし、安定のみを取るならばモデラーの道をとるなんて馬鹿げた行いだ。
だって今までのキャリアを捨てる事になる。無論の事、安全策はとってある。
けして会社を辞めていくわけじゃない。
少なくとも現在の会社を辞めるならば何処かに就職してからになるだろう。
「ただずっと触っていたい」「やりたい」
そんな気持ちだけでやるなんていうのは愚かな行いになる筈だ。
現在の職は機械加工を行っているが故に、図面をみて脳内で組み立てるなどのイメージ力とかは使えるだろう。
しかしながら、世間的には違う業種だ。けして現在の職業が評価される事はないだろう。
それを考えると僕の武器は少ない。
僕の持てる武器は社畜として身を捧げるやり方と今の仕事で培った胆力ぐらいである。
けれど、やる事を決めた。
2
決めたが、やはり不安は大きい。
どうしたって知らない世界に飛び込む形になる。
胸の内からここで辞めといた方がいいのではないかという声が聞こえてくる。
想像にすぎない不安があった。やらなければできないという理性的な面は解っていても、自分ができるのかと考えた時に出来ないのではないかという不安が圧し掛かる。心臓が痛くなる。
それに僕の家は、誰かが支えてくれる訳では無かった。
詳しい事は省くけれど、親兄弟の金の無心を受けて自分が学校に行くための金を使い込まれている。
総額でいうならば利息含めて1000万近い。正確には越えているのだが、思い返すだけで涙が出るので正確な数字はもう考えたくない。
自分が失敗したり、間違えたりするのであるならば、まだ納得ができた。それはただ自分の力量が足りないだけにすぎない。
けれどこれらは己が使い込んだ訳ではなかった。
けれど僕が「返して」という話をした時に返って来た言葉は「お金貸して」だった。
だから色々と諦めていた。崖の上に立ったこともある。どう計算しても首が回らないからだ。
しかも人ではなく、他人の金の使い方である以上、僕がどう頑張っても意味がない。
故に大きな後ろ盾がある身ではない。
だから今回のも凄く考えた。
……金は、かかる。どうしてもかかる。これは仕方がない事である。だからそれはいい。
けれど、一番の不安要素が解消できないと、どうにもならない。
諦めようと初めは思った。
もう自分の大切な物を壊すのは慣れていた。
そもそも僕には一番大切な物は既にない。
だから今回も壊してやるかと思った。
けれど、久しぶりに熱を感じた楽しさだった。
これを諦めたら、きっと一生後悔するだろうというのが何となく分った。
それでも色々と踏ん切りがつかなかった。
僕は頭で分かっていても、勇気が欲しいと思っていても、色々と言い訳をしていた。
実際、疲れていたというのもある。
今のままではどうにもならないという予測がついたというのもある。
延々と悩んでいた時にこの言葉を想い返した。
誰の言葉だったのかは僕はもう覚えてない。もしかしたらネット小説かもしれない。
だから、勇者にはなれない。ロトにはなれないし、キャップにもなれない。もとよりそんな身の丈以上のは欲しいなんて思わない。
けれど、自分で半歩を踏み出すのは出来るかもしれない。
だから少しずつ、これならばできそうというのを地道にやった。
無様さを晒しもした。
またこの行いは自分でバラバラにした見たくない過去を見る行為で、正直に言うのであるならば、それだけで辛かった。
もっと早く、こうすれば良かったのかもしれないと何度も……本当に何度も思った。
けれど過去のあの経験がなければ今のこうした行為はできなかっただろうと思うから、何とも複雑だと思う。
3
これから先、きっと僕は大変になる。
先ず経験が足りないし、ずっと勉強する事になる。少なくとも色々やらなくはいけない事が山ほどあるはずだ。
それに未来において就職やら業界で生きていけるとは確約されていない。
成長速度による不安もある。けれどやらないといけない。やらなければどうにもならないのはもう分かっている。
なので、たとえ大体の事が三歩進んで二歩下がるような行いであり、遅々と進まなくてもやる必要がある。
僕にできるのは、ただ己の過去と今を比べて少し少し進めているのを見ながら、地道に前に体を引きずる事しかできない。
それに会社の事もある。
そこもまた色々とあるだろう。
会社には恩がある。けしてホワイトとはいえないけれど、今ままで僕が生きてこれたのは会社が仕事を取ってきてくれて、僕を雇ってくれて、給料を払ってくれたからだ。
そういった世話をしてくれた人達を僕はこれから裏切る事になる。
別に会社の人達とそれ程仲が良かった訳でもない。けれども嫌いかと言われたらそれも違う。
だけど自分の大切なものを裏切るのは、もう嫌だった。絶対に後悔するのが分かっている。
でもできれば、禍根なく辞めたいというか、そうなればいいなのとは思う。
これはやってみなければ分からない。
無理ならば無理で、ぶつかるしかないのかなとも考えている。
4
ただただ不安と恐怖で押しつぶされそうな、矮小な自分を支えるだけの勇気でいい。
半歩だけ進めるだけの、勇気が欲しい。
「主人公が最強でない作品の方が多数だ」という意見多数。大変ごもっとも
スポーツ漫画じゃ大抵結局は主人公が甲子園みたいなので優勝する
しかし劇中の甲子園や天下一武闘会的なものに出ても優勝しないレベル
あるいは
そういうイメージ
挙げられた例でカメレオンはすごく納得感があった
違うんじゃねという気がしたけど、俺の書き方が悪かった
読み返すとかなりツッコミ所が多い条件設定だわ、すまん
(芳文社きらら系みたいな競争要素がない作品はそもそも考慮対象外)
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劇中で単純な戦闘力とかでは主人公より強いことが明白なキャラがいるのに
主人公にちゃんと主人公としての存在感がある作品に惹かれるのだが
なかなかそういうものを見かけない
・
連載の長期化で強くなりすぎると面白くなくなる
・
コードギアスでのルルーシュは単純な戦闘能力では主人公は二流以下だが
禁書目録では一方通行をはじめ単純な戦闘力では上条より強い奴が
ごろごろいるが、上条はあらゆる能力をチャラにするというチート性で
存在感を示している
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そういうのとはちょっと違って
二流以下の奴が二流以下なりに頑張って存在感を示してるのが見たいんだ
明らかに主人公のマサオよりサムライダーである沢村の方が格好いい
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そういう「凡人だけどヒーロー」って作品ってもうちょっとないものか?
単刀直入に言えば
BL作品って一部の、それこそ本当にジェンダーや生き方の問題に切り込んだ作品やフリーダムな感じの話を除くと、基本的に属性や展開が決まってることが多いんだよね
そういう話は展開が容易に分かるけど楽しく読める
こういうものを例に出すのは恐れ多いんだけど、なんだろう、展開の分かっている水戸黄門を楽しみに見るみたいな感じだと思う、たぶん
あるいは歌舞伎とか
キャラクターの「役」が、「悪代官」「ヒーロー」「お調子者」「ヒロイン」に分かれていて、必ず仇討ちをする、みたいな
受けとか攻めってたぶんBLっていうフィクションにおける型、つまり装置であって、キャラクター自体がその型と同化して作られているものだと思う(まあ二次創作の妄想は知らんけど)
受け攻め撤廃を改変するっていう意見に反対の声が多いのはそういうところにあるんじゃないかな
そのことについて「キャラクターを人間扱いしないなんておかしい」と捉えるか「BL作品はたいてい日常とは切り離された紙芝居みたいな世界観なんだから現実を持ってきてもしゃあない」と捉えるかは人それぞれだと思うけどね
真ん中ヒロインとは私が勝手に作った造語である。これは、複数の女の子キャラが出てくる女児向けアニメにおけるメインヒロインのことだ。
イメージカラーはピンク。集合絵では必ず真ん中にいる。作中でヒーローとの恋愛もある。複数いるキャラの中で1番可愛くて人気な立ち位置のキャラである。
もちろん私も女児の頃、このメインヒロインに憧れを抱いていた。幼稚園で○○ごっこをするともなればメインヒロインの役をやりたがった。けれど私は1度もその役をやることができなかった。
私がメインヒロインをやりたい!と手をあげれば必ずこう言われるのだ。
そう、私は背が低かった。今でも身長は150cmに届かない程だ。
確かにメインヒロインはチビではなかった。高過ぎず低過ぎず、真ん中の身長だった。
代わりに身長の低いキャラをやった。背の高い友達は背の高いキャラをやった。
私と友達の真ん中でメインヒロインの決めゼリフを言う友達が羨ましかった。
それから何年も経ったが、シリーズ化して続く女児向けアニメをたまに見ることがある。
作中には小さいキャラも大きいキャラもいるけれど、メインヒロインは平均身長の女の子。きっとこれはこの先も変わらないのだろう。
探してみれば小さいキャラや大きいキャラがメインヒロインのアニメもあるのかもしれない。ならそのアニメでごっこ遊びをすればいいと言われるかもしれないが、○○ごっこをしていた頃はあの時放映されていた○○こそが全てだった。その世界しか知らなかったのだ。私も友達も。だから他のアニメがどうとかは関係ないのだ。
こんな日記を書いておいてアレだが、今後メインヒロインを小さい子にしろ!大きい子にしろ!などと言うつもりはない。これは私が真ん中ヒロインになりたかったけどなれなかった、というただの独り言だから。
あの頃は「チビだから」と言われて納得して諦めた真ん中ヒロインだが、今の私だったら「チビだけど1番可愛いのは私だから」と言って役を分捕るくらいはするだろうな。
おわり
最近、縋るように好きになったゴミクズのおかげで自分の気持ちが分かってきたので、ここに書き留める。
共感は特にいらないので、こういうゴミ人間もいるんだなって感じで、軽く見てほしい。
恐らく、今から5年ほど前…の15歳の時だろうか。
それ以前の事はほとんど覚えていない。
母親は殴る人だった。
私は飯を食わなかった。
それを見て母親は殴ってきた。蹴られて、ごめんなさい許して食べるからと言う私を、ハッキリ覚えている。
殴られて思ったのは、
親に殴られる悲しさと、怒りだけ。
それを慰めてくれる人は誰もいない。
だから心に悲しさを押し込めて、何もかもを考えない様に、引き篭もることにした。
親や周りが入れようとする普通の檻なんて知らない。他人の事なんてどうでもいい。ただ自分の為に好き勝手に生きる。それに何の疑問も抱かずに。
勿論、周りからはちょっと変な奴として扱われた。でもいじめられる事は無かったし、それなりに楽しく生きていた気がする。
(今となっては幼少期にお前が私を閉じ込めたからこのゴミクズとしか思わないが…)
初めて疑問を持った。
私が生きる意味って何だろう。
異常なら生きる意味はないのでは?
そこで今度は逆に今まで生きていた衝動を押し込めて、眠っていた私が代わりに生きる事にした。普通の檻に入る為に。
15年間生きていた、乱暴で衝動で革新的で、変化を恐れず他人を気にせず自分の為に生きる衝動性。
もし他人を殴っていいなら喜んで殴るし、
殺せるなら喜んで殺すだろう。
血の赤を見てみたい。
今楽しそうに(私?彼?)と話している君をナイフで裂いたらどんな顔をしてくれるだろう?どこを切れば温かさに触れられるだろうか。
親に殴られていて反撃できなかった弱い(衝動性を私と言えばいいのか、彼と言えばいいのか、わからない)が、少しでも強くなれるだろうか?
小さい頃は魚を釣っては内臓を掻き出す事に喜びを感じていたし、ミミズを引きちぎりそれでも個々に動く姿を見て悦に浸っていたのを、覚えている。
…いや…そんな奴が生きていて良いはずがない。
好き勝手な衝動を抑える理性となった私は、俗に言うやさしい、普通の…つまらない人間だ。
窮屈な世を生きる為とはいえ、衝動性を、弱い私が抑えられるはずがない。
気付いたらあらぬことを喋っていた。
気付いたら他人を傷つけていた。
気付いたら他人を泣かせていた。
親から受けた傷のせいで
法に縛られているおかげで
他人を殴る事は無かったが。
第一印象でやさしいと見られていた人たちから向けられる視線は、
辛い?悲しい?
いや嬉しかった。
やさしい私は本当の私ではない。
それに気付いて貰えることが、他人を傷つけられたという実感が、何よりも嬉しかった。
周りの人間は、優しい私だけを求めてくる。
親も誰も、他人を傷つけたい好きに生きたい衝動性、もう一人の(彼?私?)を認めてはくれない。
それでも今まで私の代わりに暴れて、怒って、守ってくれた、たった1人の私のヒーロー。
出来ることなら好きな事をさせてあげたい。
好きに暴れさせてあげたい。
こんなゴミでも認めてほしい。
生きていていい許しが欲しい。