はてなキーワード: バットとは
その時はラブホテルでヤったんだが
相性がよくてなんと二回目会うことになった。
かなり立派なマンション。高給取りなのかもしれん。
部屋で彼と対面。
その時点でお互い興奮しちゃって服を脱ぎ捨てて。
でも何だかそのまま裸でお互いのこと話すことになった。
私はあの日はやさぐれててさ、普段はこんなことしないんだよね~と純情アピールなんかをしていると、彼は言った。
"俺って首締めが趣味なんだよね"
首締め、する人はいるとは聞いていたが実際に出会ったのは初めてだった。
自分は首締めなんかしたこともされたこともなく、興味もそんなになかったので、適当に相槌をかましていた。
彼は首締めが趣味らしく、友達の首の骨がずれるくらいに首を締めてしまい、病院送りにしてしまったらしい。
それを自慢げに語る彼。
いや怖すぎる。
首締められるわ、これ。
怖くなって帰ろうと試みたが、彼は何故か私のことをとても気に入っているらしく、私を放す気はなさそう。
もう逃げるしかない、と思ってた時にいきなりインターホンが鳴った。
というか鳴ったと同時に玄関のドアが開いた。
なんとその彼の母親だった。
まさかの親フラが立った。
すると母親は私の耳元で「早く帰りなさい!!!!!」と叫んできた。母親も怖すぎる。
私が服を着たり荷物を片付けたりしている間、
彼は何をしていたかと言うと
隣の部屋の騒音が気になると言い出してバットで壁を突いていた。本来の意味の壁ドンだな。とか思う余裕もなく、その時は本格的にヤバい早く逃げたいという感情しかなかった。
壁ドンがドンドンドンドン響くなか、私はだらしなく服を着た状態で部屋を飛び出した。
部屋の外には隣人住民たちがいた。
あまりの騒音(壁ドン)に何の騒ぎかと外に出てきていたのだった。
ちゃんと履けていない靴を履き直していると、隣の部屋に住んでるらしき女の人が、
「いつも本当にうるさいんですけどどうなってるんですか?!」
と私に怒鳴り付けてきた。そりゃバットで壁ドンされたら怒るよな。
私はいや知りません部外者なんで、と言い放ちエレベーターに乗った。が、その隣人の女がついてくる。
ずっと私にあの騒音をやめさせて欲しい、いつも困ってるといったことを訴えてくる。正直もう関わり合いたくなかった。
私はエレベーターが着いてすぐに走り出した。確かこのマンションから駅が近かった。私は駅に向かった。こんなに走ったのはいつぶり、というくらい全力疾走した。
さすがに女の人はついてきていなかった。
私は安堵した。駅に到着して家に帰る切符を買っているとなんだか違和感。パッと後ろの方を見ると遠くにさっきの隣人の女がまだ居た。まだ着いてきてた。
本当に何も知りません、彼と会った経緯は…………と赤裸々に全てを告白した。首締めの件も。だから怖いんです。と正直に全てを打ち明けた。
すると隣人の女はビックリしてそうだったの?!と親身に話を聞いてくれた。それは警察に相談した方がいいよね、と言われてさらに怖くなってきた。
全てを話し終えて、本当に怖かったんです、と隣人の女に伝えていると、その女はおもむろに携帯を取り出して電話をし始めた。
「~~~~~っていうことらしいですよ。」
私がワンナイトした男に報告していた。
という夢をガチで見てさ。
起きた時の絶妙なあの感じ、忘れられん。
現在アラフォー。幼少期から大人になるまで次男だというだけでいろいろとひどい目に遭わされてきたので以下に記す。
なお、両親と兄はこれでも兄弟は公平に扱っている、贔屓などしていないの一点張り。
・何も買ってもらったことがない。服はお下がり。制服も学用品も文房具も全部お下がり。バットやグローブ、テレビゲームも全部兄のお下がり。おやつは兄が食べきれなくて残したものだけ。朝と夕の食事も家族の残り物。受験勉強の参考書もお下がり。ジャンプも兄の読み終わったものしか読ませてもらえない。お小遣いはなし。
・お祝いされたことがない。生まれた時から幼稚園に入った時も、七五三も、小学校の入学も、中学校の入学も誕生日も何もお祝いされたことがない。入園入学の時に写真を1枚撮ってもらっただけ。誕生日は「あーはいはいおめでとうー」の一言のみ。生まれてから成人までに撮ってもらった写真は5枚だけ。兄の写真はアルバム3冊分。
・俺にまったく関心がない。幼稚園の送迎なし。幼稚園の送迎バスも金がかかるからという理由で俺だけなし。徒歩で幼稚園に通園。どんなに怖い目に遭っても、ケガをしても無関心。兄の成績が良くなかったときには塾やら進研ゼミやらなんでもやらせてもらえるのに、俺の成績が悪くなっても「なんでそんなにバカなの。恥さらし。」と罵倒されて終わり。頭に来たので高校と大学は私立に進学したら今の今までずっとごく潰し呼ばわり。浪人は認めない。兄は浪人でも予備校でもなんでも可。
・大人になっても不遇。兄が結婚した時は結婚式の費用、結婚資金に何百万円も支出したのに、俺が結婚した時は、こんな親でも一応報告しないとと思って報告したら「おめでとう」だけ。もちろんお祝いなんてしてもらってない。祖父母のお葬式のときはずっと受付や雑用係。
俺があまりにも不憫でかわいそうとお小遣いをくれたり服を買ってくれるのは東京に住んでいる叔母(母の妹)だけ。しかし、叔母が俺に何かしてくれると「迷惑をかけるな」と母に怒られるわ、「甘やかすな・甘やかしてない」で叔母と母が喧嘩になるわで最悪。
聖地巡礼とは中世ヨーロッパの封建社会においてキリスト教徒のあいだで流行した、キリスト教の聖地であるエルサレムを訪れる宗教的行動である。
転じて、現代においてはアニメや映画などの熱心なファンが、創作物やキャラクター縁の地を訪ね歩く行為を指す言葉として使用されるに至った。
私も昨年度から今をときめくアイドルグループ乃木坂46好きが高じて、(暇を持て余していたことも手伝い)彼女たちが番組のロケで訪れたり雑誌等メディアで紹介したりしていた場所を巡ることが退屈な日常を彩る楽しみの一つとなっている。
大塚の天祖神社やバッティングセンター、千歳船橋の喫茶店ぱおーん、五反田のデニーズ……
思い起こしてみたがそれほど多くはなかった。
それはさておき、この日記(?)で私が考えたいのは「人はなぜ聖地巡礼をするのか」その理由だ。
聖地巡礼には楽しさがある。
思えば私は日本史と世界史も好きなので、歴史上の史跡を巡ることが旅行に行く際の主目的の一つだったりする。映画のロケ地を訪れることもある。
(前提として書き加えておくが、行ったことがない土地を訪れるのが好きな方であると思う。「まだこのへん歩いたことがないから」という理由で6時間ぐらい散歩することがざらにある)
今も『世界史をつくった海賊』(竹田いさみ著)なる本を読んでいて、大航海時代にマゼランに続いて史上二度目の世界一周航海を達成した海賊、フランシス・ドレーク(ワンピースのドレークのモデル)に関する記述を読んで、「彼の航路を船で辿ってみたいなあ」などと空想に耽っていた。
そう、私はフランシス・ドレークの足跡を辿りたいのである。
乃木坂のメンバーが参詣した神社に自分も赴きたいし、バットを振るったバッティングセンターで、彼女らがそうしたように、自分もバットを振るいたいのだ。
そして、「ここに彼らも、自分と同じように立っていたんだ」などと感じたいのである。
この衝動はなんなのだろう。何故、こんなことをしたいと思うのか。
バッティングセンターで行ったバッティングは、それ自体として面白かった。乃木坂のことがなければ、私はバッティングセンターに行きはしなかっただろうが、バッティングの最中は乃木坂のことは忘れて純粋にボールをバットで的確に打ち返すことに集中していたし、それが成功することに喜びを覚えていた。
しかし、やはりその一連の行為には、「メンバーも同じ場所で同じことをした」という事実認識によって特別な意味を付加され、それが私の心に満足感をもたらしている。
私の記憶には、明らかに「ただのバッティング」以上の色が付いて、この思い出が保存されているのだ。
この違いは何に由来するのか。
まず一つ、見逃せない重要な点は「私は乃木坂が好きである」という事実だろう。これは明らかに聖地巡礼の動機に深く関わっている。
私は何も藤田ニコルや西野亮廣の訪れた場所に行きたいとは微塵も思わない。ニコるんはどちらかと言えば好きだが、出演番組をチェックするほどではない。西野に至ってはどちらかと言えば好きではないし、好きではない人間の縁の地を訪ねたい、その足跡に自分の足跡を重ねたいとは思わない。
フランシス・ドレークのことも、まあ好きになりつつある。(暇があれば伝記を読んでもいいかなと思うぐらいには)
では、好きな人なら誰でも聖地巡礼したくなるのかと言えばそんなことはない。身近な友人のことは好きだが、彼らの足跡を辿りたいとは思わない。
恐らくは、その人物との関係性および距離感が聖地巡礼に向かわせしめる大きな引鉄の一つなのだ。
想像するに乃木坂のメンバーでさえ、もし私が直接的に関係性を構築してしまえば、聖地を巡礼したいという衝動はなくなるだろう。
同じ場所を訪れて、同じことをしたいという気持ちの裏にあるのは、「近付きたいが手の届かない者の存在」を少しでも身近に感じたいという欲求なのだ。
友人という生々しい関係は、最早相手をそういう「聖なる存在」にしておかない。
ただし、友人との関係が何らかの理由で解消され、手の届かない存在になった場合はその限りではない。その最も単純な例は「死別」である。死が二人を分かてば、当たり前な存在は当たり前でなくなり、会いたいのに会えない、焦がれ求める対象になる。
そしてその感慨は、対象と同じ空間的座標に立つこと、そこで同じ行為を追体験することで増幅される。ただ、家でスマホをいじりながらその人のことを考えているだけの時間よりも、その人に少し近付けたような気になる。
その対象は人に限らない、作品、ひいてはその世界観全体も対象になりうる。
私は宮崎駿監督の映画が大好きで、監督がハウルを撮り終えた後に数ヶ月間療養し、次回作の『崖の上のポニョ』の構想に繋がった広島県の鞆の浦や、『耳をすませば』の舞台となった聖蹟桜ヶ丘も訪ねているが、ポニョや雫個人をそこまで好きかといえばそんなことはない。
フランシス・ドレークのことは好きになりつつあると言ったが、やはり人物に対しての好意それだけというよりは、世界史的な偉業であるという点の魅力が大きいように思う。俗な言い方をすれば世界一周にロマンを感じるし、楽しそうである(実際は辛いことの連続だろうが)。
しかし、ドレークな先立って世界一周航海を達成したマゼランの足跡を辿りたいと考えたことはないことを踏まえれば、やはりドレークには読書を通して僅かながら彼の功績やエピソードに触れたことにより、マゼランに感じる以上の魅力を感じていること、それが巡礼への衝動を後押ししていることは間違いない。マゼランのことは何も知らない。何も知らないので魅力も感じなければ、より深く知りたいという動機も起こらない。
(どうやら相手のことを「知りたい」と思うには、まず相手のことを知ることが必要らしい。少なくとも私にとっては。難儀なことだ。)
「手の届かない「聖なる存在」である対象をその足跡を辿り行為をお手軽に追体験することで、少しでも身近に感じること」が聖地巡礼の意義であると一旦結論付けてみる。
ここで唐突に「お手軽に」という制限を付け加えたのは、私はバッティングセンターでバッティングをする程度の追体験はしたいが、乃木坂のメンバーが日々の研鑽を重ねたダンスレッスン場で一年間同じレッスンを受けたいかといえば真っ平御免だなということに思い至った。
一年間彼女たちが受けたレッスンと同様のレッスンを受けることは、彼女たちの辛さや頑張りをよりリアルに追体験することになる。追体験としての質は高い。だが時間がかかりすぎる。ダンスよりもやりたいことがあるし、辛そうなので、暇潰しに週二程度通うならチャンスがあればやらなくもないが、それはもう追体験としての価値は薄れて、一年間におよぶダンスレッスンそのものが持つ価値が問われている。(追記:そもそもこれ、巡礼ではなくダンスでは?)そういう意味で1000円分のバッティングには十分その価値があったし、世界一周航海も同様である。(追記:これも巡礼と言えるのか?場所を訪ねる行為に限定するべきだったかもしれない)
聖地巡礼はお手軽でなければならない。言い換えるなら、その行為自体を楽しめないのならやりたくはない。滝行は楽しそうなのでやりたいが、例えば彼女らが受けていた辛い仕打ちを自分も受けたいかというと難しい。
例えばメンバーの誰かが過去にイジメを受けていたとして、それと同様のイジメを受けたいか。これに関しては少し受けたい。マゾヒスティックな願望ではなく、多少なりとも彼女らの苦労を追体験することは彼女らを理解することにつながるからだ。
しかし、紛い物のそれはやはり本当のイジメ体験とは辛さの質が大きく異なるし、よりリアルに状況を再現するために半年間継続してイジメを受けてくださいと言われればお断りする。あくまでもその一部を、私が本当には辛くならない程度に体験することで、辛さに思いを馳せたい、という程度に存在への接近願望は留まる。
キリスト教徒だってエルサレムには行きたくても、ゴルゴダの丘の上で十字架に磔にされたいかと言えばそんなことはないだろう。ごっこ程度にはやってみたいが、それはごっこ遊び自体が楽しさを持つからである。高所に磔にされて「こえ~」などと言ってるのは楽しいが、手足を本当に釘で打ち付けられるのはたまったものではない。(追記:これも巡礼の話ではなくなっている気がするが、でも巡礼先で対象が何かしてたら同じことやりたいよなあ。(追追記:でもやらなくても巡礼は成立するからやっぱりおかしいね。はい。))
体験の総体として楽しくないならやりたくない。少なくとも私は。この「楽しく」は何も笑顔になったり、興奮したりするといった類の楽しさである必要はない。
心地よい感情が動きがあればよい。
郷愁に浸るとか、感慨に耽けるとか、今風に言えばエモさがあってもよい。「泣く」ことによる感情の発露も、人間にとっては快感であるので、ここで述べる「楽しさ」に含まれる。
いや、違うな。
上に述べたエモさは体験そのものに由来する(既出の例をとればバッティング行為によって引き起こされた)感情ではなく、「行為を追体験している」という事実に付随する感情の動きだ。そこは切り分けるべきだろう。
例えば「同じ場所に立つ」ことも、聖地巡礼に伴う追体験行為の一形態だが「立つ行為そのもの」には特に何の楽しみもない。(立っているだけで楽しい場所もあるが、必ずしもその必要はない)(追記:この例の方が純粋な巡礼っぽい)
先例のイジメのように行為自体は許容範囲であれば不快であっても構わない。これは個人差があるし、対象に対する思い入れの深さによっても許容範囲が変わってきそうだが。
「追体験行為を包含する巡礼行為」が総体として満足感をもたらす体験であればよい。(追記:「巡礼が追体験を包含する」よりも「巡礼に追体験が付随する(ことがある)」が正しい)
距離も重要な要素だ。ここで言及する距離とは、対象との関係性としての距離ではなく、その聖地との物理的距離感である。
遠ければ遠いほど、巡礼を達成した際の体験価値は高い。エルサレムが近所の公園にあったら巡礼の有難みも霞むだろう。
私は電車移動含めて一時間もあれば十分である。しかし、ここまで書いて想像してみたが、家の隣にあった昔馴染みのなんでもない祠が実は家康が足繁く通った祠であったと発覚すれば、そこにはそれなりの感慨が生まれるように思える。巡礼と呼ぶにはあまりにも短距離だし、巡礼としての価値は希薄化するものの、完全に失われることはない。いや、とはいえやはり価値の減少は免れないな。
遠ければ遠いほどいい、というものでもない気がするが。例えば、乃木坂のメンバーが訪れた場所の比較として、私の現在地から大塚のバッティングセンターとパリの街角にあるカフェとの物理的距離には圧倒的な差があるが(もちろんパリの方が遠い)、パリのカフェを訪れた際の感慨がバッティングセンターに比べてそれほど深いかといえば、あまり変わらないような気がする。
これは、「パリ旅行のついで」にカフェを訪れるのか、「乃木坂のメンバーが訪れたカフェを主目的に」パリを訪れるのか、物理的距離を越えんとする直接的な動機がどちらにあるのかによっても異なりそうだが、メンバーが通った小学校とか、生まれ育った地域ぐらいの重要地ならともかく、たかだかロケで立ち寄っただけのカフェを目的に渡仏する気にはならない。
いや前者でも渡仏する気にはならないが、(追記:というかメンバーの母校って言うほど感慨深いか?その頃のメンバーが好きな訳ではないし……)するにしてもそれはやはりそもそもパリ自体が好きで巡礼を抜きにしてもパリに行きたいからであって、パリの一地域を訪ね歩く行為そのものに乃木坂とは無関係に楽しみを見出している。その意味で巡礼行為は「ついで感」が否めない。(追記:「むしろ行きたくない場所への巡礼」を考えてみようと思ったが、思いつかなかった。(追追記:日焼けと車酔いに弱いのでそれらが伴う場所には積極的に行きたくない。苦労した分、到達時の達成感はありそうだが、それは聖地が持つ意味とはやはり無関係。目的地に至る行程に由来する価値を抜きにした純粋な巡礼価値は何によって決まるのか。))
これはもしかしたら聖地巡礼も、エルサレム旅行そのものに少なからず体験としての楽しみが含まれていた可能性もあるが、中世を生きる農民の長旅の過酷さや宗教に対する敬虔さはとても無知蒙昧な私の想像のおよぶところではないので、お叱りを受ける前にこの説は引っ込めておく。
でも伊勢参りとかは楽しそうだよね。明日(もはや夜が明けたので今日なんだが)近所のブックオフで聖地巡礼事情に関する本でも漁ってみよう。
眠いし目も疲れたので「過去の自分への巡礼」とかまだ考えたいことはあったが、このへんにしておく。
おやすみなさい。
何故なら「イエスウィーキャン」が流行語になったのは2008年の事だからである。
2013年流行語「今でしょ!」を2013年発売のシングル「ハロウィンと夜の物語」に使用していたのは皆の記憶にも新しいはずだ。
という事は逆説的にこれは2008年の事なんだよ。
冒頭の冥王アレンジがこの説を補強してくれている。(Moira発売は2008年)
そう考えてみるとパッケージの左方後方に控えている少年がひぐらしのなく頃にの前原圭一リスペクトに見えてきたな……バットにオヤシロ……(ひぐらしアニメは2007年)
なんて、俺が話したいのはコレじゃないんだ。
これ、本当にRevo氏が書いてる?
って疑問に思ってさ。
だってそうだろ。いきなり病名出す?
実りを得られる世界では...
集め《陶酔》(ゆめのなか)に踊れたか...
くらい書いてくれそうじゃないか。
それを《病名》の一言で片付けられてしまったら、「彼女は《病名》なのだな」という感想以外は特に考える必要がない。
何通りか解釈が出来て、そうでないと思えばそうではないと思うことが出来る。
そんな歌詞が売りだった気がするんだ。
かつてレニーの《病名》をローランが予想したように。
暗闇を照らすまでに、何年経っているんだろう。
俺はこれをSound Horizon 10周年である2014年と仮定した。
そうそう、グラサン繋がりでゴーストライター募集してたアレだよ。
歌詞の《らしくなさ》、採用条件の《グラサンに衝撃を与える楽曲を生み出せるか否か》は曲に関してであって歌詞については不問という解釈、備考欄にある《制作して頂いた楽曲は【Revo】名義で発表いたします。》!!!
ああ、暴論だよ。だって赤の他人が書いたものを「陛下の思し召しだ」ってありがたがっているなんて、信じたくないもんな。
狼欒神社の《否定する》の読みが《すくう》だったのが面白いと思ったんだ。
救ってくれよ。
高校三年の夏、僕のバットは空気を切り裂いて、放られたボールはキャッチャーミットに吸い込まれた。
ストライクのちぎれるようなアンパイアの声とともに蝉の音が滲んだ。僕への代打は見送られた結果だ。
イーロン・マスクという男がいる。
彼は何度となくテスト飛行を繰り返して、スペースXプロジェクトにて火星への夢を見上げる訓練をしていた。
そんな言い方は君たちを混乱させるだけかもしれないね。
見えない草の匂い、球場の太鼓の音、きっと小さい粒になって眼差しを向ける彼女だった人。
イーロンのロケットが墜落した。
2020年12月のことだ。ロケットはバットに当たるわけじゃない。空振りもない。
だけどもロケットは大きな成層圏に拒否されておずおずと地球に舞い戻って消えてしまった。
イーロンはそれを大きな一歩と称賛した。
僕が土を持って帰った夏が今乗るロケットの窓に重なる。
甲子園、土はどこまでも黒く、絶望の彼岸へと続いているように見えた。
僕の首は重たく、空を見あげることができなかった。
フォークと判断した指先からの白い楕円は、吸い込まれるように拾われて運ばれてしまった。
その後気落ちした僕は彼女の声も耳に入らず、疎遠になり別れてしまった。
全てが灰色になってゆく中でごく普通に就職した。コンビニで惣菜を買うようにだ。
痛みも和らぎ始めた頃、何かを始めようと笑顔で前を向く男を見た。
時代はインターネット全盛期だった。僕らの味わった暗闇もスマートフォンで見ることができる。
くたびれた僕の中で若芽が透き通る空に伸びてゆくように感じた。
JAXAに勢いで電話し、メールも打った。僕の人生がここから変わってゆくような気がした。
周囲の人間はお前の歳で宇宙を目指すのは自殺行為だとか、何も達成したことがないのだろうとか、成功するやつは若くして成功してる、イーロンだってそうだろう、とたしなめてきた。
全てが耳に入らなかった。僕はあのときの打球を思い描いていた。
こんなに努力できたんだと思い、自信がついてくる。
気づけばイーロンに肩を抱きしめられていた。ロケットの前でだ!
この窓の外に見える小さな蜘蛛の渦や大きなアフリカ大陸や、僕の青春が詰まった島国や、全てが蒼いんだ。
ロケットの噴砂音が聞こえなくなった。管制塔の通信が耳元に響いてくる。
管制塔から拍手と歓声が聞こえる。そして緊張した声で彼らの仕事が再開される。
僕の夢は宇宙間を飛んだんだ。
宇宙間を、飛んだんだ。
了
https://b.hatena.ne.jp/entry/4695336495910429090/comment/naga_yamas
か
のどっちかだと思うんだけど、めちゃくちゃムカつく。なんで自分は動物じゃないとナチュラルに思っちゃってんだ?????
自分はいわゆる動物園みたいな荒れた公立中学で楽しく過ごしてた側なんだけど、人間様からしたら野蛮な動物なんですかね。その線、どこで引いてんの?中学時代の偏差値?現在の年収?社会的ステータス?
人間様の世界では「高級な人間」と「底辺の動物」の二種類なのかもしらんが、こちとら動物だって普段は人間様に混じって働いて収入得ておまんま食って何食わぬ顔して人間様とビジネスの話したり談笑して過ごしてるわけ
動物の俺は千代田区のど真ん中でウンコ座りして呟くんすわ it's a true world. 狂ってる?それ褒め言葉ね
「公立中学も荒れた所ばかりじゃない、まともな学校もある」みたいなフォロー?もあるけど完全に的外れ
それは線引きを変えただけじゃん まともな公立中学に通ってたヤツらは人間様で、荒れた公立中学にいたのは動物だってか??
「おまえは動物じゃない」みたいに言われてもそれは違うからね 俺は"動物園"が肌に合ってたから動物なの。
まあ人間様はご自由に高尚な生活を送られればいいんじゃないですかね。我々動物には触らないでくださいねペッペッ
>> そこで何人もの人間の人生ぶっ壊したあとに食う飯は旨いか? <<
いや何で俺が何人もの人間の人生をぶっ壊したことになってんの?
トラバにも答えてるけど俺は草食ってドラミングして過ごしていただけ。別に人間様にウンコ投げつけたりはしてない
それで人生ぶっ壊されたとか言われても責任とれんし悪いけど知らんわとしか…
そりゃ多少騒がしかったりはしたかもしれんけど、(ここはポジショントークをする場なので全力で責任転嫁するが)それはその場に適応しただけだから。環境要因。
これブコメしたヤツは動物園中学校で楽しく過ごしてた奴は皆トゲついた肩パットして改造バイクで校舎内に乗り入れてクギバットで窓ガラス割ってたに違いないとか思ってるのかもしらんけど、そんなヤツようおらんわ
同じく、はてなぁ~には「荒れてた中学出身だけど爪に火を灯して苦学し都会にでてビッグになりました」みたいな、「赤貧だったので給食のサバの油を集めて明かりを灯し参考書を読みました」みたいなストーリーがウケるのかもしらんけど、地元から出たヤツもそんなヤツだけじゃねえ~から。あと勉強したいならサバは食えよ。DHAとEPAが入ってるからね
>> 動物名乗るってことは自分で線引きしてるんじゃん <<
いや昨日までは俺も人間だと思ってたの!!!俺もお前も人間の仲間たちだと思ってたの!!!
でも動物園とか言われたからえっ俺って動物だったの?!ってびっくりして出た遠吠えがこの増田
なんかここ数日のはてな見てると「エリート」「低学歴」の二項対立に持ち込もうとしてるんだか知らんけどさ、
この世の中なんてだいたいグラデーションなんだし、大半のヤツはエリートでも低学歴でもなくて人間だか動物だかわからんバーバリアンなわけじゃん。
タイトルそのままの話
多分これが一番楽だと思います
ローストビーフってデパ地下のお惣菜として売られているものを見ると非常に高価だが、自分で作ると比較的安く幸せが手に入るのだ。
作るのも非常に簡単だし、一度作ってしまえば、カレーに載せたりつまみにしたり、丼にしたりと意外とアレンジ(?)もできるので本当におすすめしたい。
・ブロック肉(400~500g)
・塩
・胡椒
・炊飯器
https://www.imcjpn.co.jp/product/a/001_001.html
まずは大きめのスーパーの牛肉売り場で400gから500gほどの塊肉を購入する。立方体に近い形状の方が焼きやすいのでオススメ。
ステーキ肉の近くに置いてあり、大抵パッケージにローストビーフ用と書かれているのであまり迷うことはない。500gが1000円ほどであれば妥当な価格帯。
部位は定番のもも肉も十分美味しいが、個人的にはランプがオススメ。ただしあまり置いていない。
ちなみに「おつとめ品」として値引きされている塊肉を買っても美味しさは大きく変わらない。遠慮なくおつとめ品を買う。
肉をバットやサランラップの上に置く。全体に 塩、胡椒、にんにく(後はお好みでハーブなど)をすり込む。表面にすり込むだけなので自分が思う適量の2倍かけても味は濃くならないので遠慮なく多めに使う。もし味が濃くても薄くてもうまいのであまり心配はいらない。
この時100均で購入した使い捨てのビニール手袋などを使えば手が汚れることもない。
ちなみに切れ込みを入れてニンニクを差し込むというやり方もあるが、衛生上おすすめしない。表面に付着している雑菌が肉の内部に入ってしまう恐れがある。
その後肉を常温に戻すためキッチンの隅などにラップをしてそのまま置いておく。冷たいまま焼き始めると火が通らず痛い目を見るのであせらない。
約30分ほどおけば常温に戻るし、夏場だとしても雑菌の繁殖もそこまで進まない。
事前準備としてお湯を沸かし、炊飯器に入れ保温モードにしておく。
そしてフライパンを中火で熱して油をしく。十分に温まったら肉を置き各面を約1分中火で加熱する。焦げ臭い匂いがする場合もあるが、大抵ハーブなどが焦げているだけなので気にせず加熱する。
6面すべて焼くので、合計約6分加熱を終えたら表面に赤い部分がないことを確認して食品用ポリ袋に入れ、なるべく空気が入らないように縛る。
事前にお湯を張ってあった保温モードの炊飯器に入れ、約40分放置する。
このとき肉が水面から顔を出すようであれば、平皿などのおもしを上からのせて熱が行き渡るようにする。また、蓋を閉じたときお湯が炊飯器から溢れないように注意する。
ここでそのまま食べてもいいが、大量の肉汁があふれるため我慢して冷蔵庫で冷やすのがオススメ。
8年間ずっと子供部屋おじさんをやっているベテランの子供部屋おじさんがいる。
最近むきだしのバットを持って深夜に徘徊し、コンビニにもむき出しのバットを持って入店した結果、通報されて警察に連行されていた。それをわざわざtogetterでセルフまとめして叩かれていた。叩かれた後のツイートにも反省の色が見られずなかば無敵の人と化している。また最近は本垢と別にサブ垢を作り、サブ垢でつぶやいたことを本垢で褒めたり本垢のつぶやきをサブ垢で引用リツイートするなど、一人脳内お人形ごっこをするようになっている。はた目から見ると完全に精神を病んでいる。
ベテラン子供部屋おじさんは以前はブログをやっておりはてなではちょっと名の知られた存在であると自称していたが今年は3月以降11記事しか更新がない実質更新停止状態になっている。togetterでセルフまとめでマンガ紹介をやっていたがこれも6月以降ほぼ更新なし。たまに更新しても異常者扱いされるだけになっている。最近はエロブログをやっているらしいがほとんどの記事はPV数が50から100程度しかなく反応は皆無。インターネットにしか居場所がない子供部屋おじさんはインターネットでもつながりを絶たれてしまいリアルだけでなくネットでも子供部屋おじさんになってしまった。
だんだんと思考のゆがみが大きくなり、インターネットでも他人とまともにコミュニケーションができなくなりいよいよ末期症状。twitterのTLを見ても1か月近く他者とのリプライのやり取りが全くなく、誰ともつながっていない孤立状態。ひたすら野球実況をしているだけで1か月ほぼ誰ともしゃべっておらず、会話に飢えすぎた結果ついに自分と自分で会話することに。
そんな人間でも第二の低能先生のように他者を罵倒して回る人にならず、自分と自分で会話をすることで自我を維持。承認欲求に飢えていたとはいえ。年がら年中他者を罵倒しついには殺人を犯した低能先生はやはり極悪な人間であり同情の余地は一切ない。
なお @vdeohEc44PamcuI 5時間前
一番怖いのは、通報云々とかバットむき出しじゃなくて。こんだけコメントで批判されても「俺は普通で善人でマナーや常識を知ってる」ってスタンスを崩さないことでしょ。
sekiryo @sekiryo 2時間前
三沢君の悪い所は毎度自分に自信を持ちすぎで客観的視点が皆無な所で、俺は害意が無いから大丈夫と自分の都合だけ過信し警察を呼ばれ、警察がダメと判断した箇所の多くは聞き流し、多くの人間にも深夜にバット抜き身で持ち歩かずケース買えと苦情を言われている問題を深く捉えていないという 酔っ払い+警察+棘民の3つ全てダメ出しされてるのに自分の行動を一切疑わない所だぞ…
増田の検索の仕方わからないからリンクはれないけど青 才の人はこの前増田で話題になってた人生無理な人そのものっぽいので素人が安易にアドバイスとかちょっかい出さない方がいい。さっさと良い精神病院案内した方がいい。
久々に見たと思ったら相変わらずを通り越して危ないことをやっていた
https://togetter.com/li/1630899
深夜に木製バットを何も隠さずに剝き身のまま持ち歩く
「バットケースを買いましょうよ」って結論に落ち着きましたが、バットケースって高いんですよ…
一番安くても1000円。
平均的なやつで2000円
イチローがメジャーに浸透させたような金属のケース型のやつだと1〜2万円。
なんで酔っ払いに通報されるのを避けるために1000円払わなあかんのや
ただ、これ悩ましいのは、野球経験者が「安全な持ち方と配慮した時間で素振りしたりバット持ったりしてる」って言っても、未経験者はわかんないんですよね。
自分でその経緯をtogetterでまとめて同情を得ようとする
思惑に反して周りの人からさんざんツッコまれるがやはり反省なし
わざわざ自分でtogetterでまとめたせいで批判されたのに「抑圧されたインターネット」などと意味不明なインターネット批判を行う
コンビニでプロテイン買ったことがツッコミどころになってるから少し事情書いとくか。/時間を選んで素振りしてる性質上、「夏・秋には素振りしようとしても雨」みたいなのが続いて継続してプロテイン使うのが難しかったからコンビニで買うようになったんや…
プロテインはまとめ買いした方が安いってのはわかるけども、そこまで負荷をかけて追い込む事が多くなかったらコンビニで飲料のやつを買ったほうが普段牛乳や豆乳飲まない人間からすると、絶対値は低いんや…。安いからって何でもかんでも業務用スーパーで買う人おらんでしょ?そういう感覚
あとは、「バットケースの1000円が高い」ってのも「何も悪い事してないのに、【誤解されない自衛】で1000円払うのは高い」って話ね。別に世の中は酔っ払いに絡まれるかどうかを基準で回ってるわけじゃないし、そのために法律ってものがあるわけで。(本当に違法なら今頃留置所)
あと、ぼくがこのまとめをわざわざ警察から帰ってきてげっそりしながら作った理由だけども…【通報するやつが正しいわけでも、時代だからって法律で許されてることまで抑圧するのが正しいわけでもないでしょ】って感じたから書いてる。…まぁ、抑圧されたインターネットが皮肉にもそういう流れだったわけですが
まだまだ言いたいこと山盛りだけど、『ここが伝わってないのは、さすがに嫌だ』と思うことは伝えたからあとはご自由にどうぞ。(酔ってるかどうか関係なしに)話そうとしても伝わらん人に誠心誠意対応するほどぼくも暇ではないんで