人並みに友達はできる。仕事上の付き合いも人並みにはするし、SNSで知り合い、今では学生時代以上の友達になったといえる人も増えた。特段コミュ障というわけでもなく、陰キャだけど陽キャの人たちとも付き合えていたので、これまでは何も感じずに過ごせていた。
だけど、一人二人…と深い付き合い、親友のような関係の相手が増えるにつれて、『これ以上踏み込みたくない、踏み込んでほしくない。』という心のガードが極端に働くようになってしまった。
あるタイミングまでは普通に会話もしているし冗談も言い合えるんだけど、ひとたび相手から好意(友達…というより親友や恋人に向けるそれ)を向けられたり、友達→別の友達に向けられている好意を見ると自分にもそれが向き、深い仲になった頃に裏切られてしまうのではないか、あるいは喧嘩別れをしてつらい思いをすることになるのではないかと怯んで、竦んで、相手のことが怖くなってしまう。信じられなくなってしまう。
だけど、決して好意を向けられたくないと心の底から思っているわけではない。むしろ好意を向けてもらえることは嬉しいことだと思っている自分もいる。全くもって矛盾した考えだ、頭がおかしいと自分でも思う。
そんな失礼千万で傲慢な自分が嫌いで嫌いで、何度も治そうと努力した。いままで約束は受け身だったが、自分から遊びに誘うようにした。SNSでも予防線を張らずに積極的に話すようになった。自分から相手に親友だと思っている、これからも仲良くしたいという想いを積極的に伝えるようにしてみた。
だけど、やっぱりある時ふと電池が切れたように駄目になってしまった。親友たちのことを再び怖いと思ってしまった。毎日のようにしていたチャットをすっぽかした。そんな傲慢な私を「どうしたの?」「何かあったの?」と心配してくれていて、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。心配してくれることに有り難くも感じる。だけれどどうしてもその気持ちを信じられない。
森山直太朗氏の『生きてることが辛いなら』の中にこんな歌詞がある。「生きてることが辛いなら いっそ小さく●ねばいい 恋人と親は悲しむが 三日と経てば元通り」。なるほど、どんなに親しい人でも三日あれば忘れ去られてしまうのならば、いっそこの想いを抱えたまま、忘れてもらえるように友人たちの前からいなくなった方が良いのだろう、そんな風に考えてしまう。どうせ薄い繋がりだ。【アカウント削除】をワンクリックするだけで消えてしまう、そんな儚い友情だ。こんなことを思っているのに、その自分を処刑するボタンを押せない弱い自分がいる。
こんなことは増田にしか書けない。家族にも、医者にも、友人にも、永遠に理解されることはないとすら思っている。そんな風に他人を信じられない、傲慢な自分が嫌いだ。同情が欲しいのではない。こんな想いをこの世界の誰かが抱いている、そんなことが少しでも誰かの記憶に残れば、あるいはこの世界に私と同じ気持ちを抱いている人がいるんだと思って安心してくれる人がいれば嬉しいと思う。
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あるいはこの世界に私と同じ気持ちを抱いている人がいるんだと思って安心してくれる人がいれば嬉しいと思う。 スポーツ選手とかで「感動を与えたい」とかいうやつと同じで、こう...
女オタっぽい自分語りお気持ち表明やめろ。 ここは、おまえが共感して貰える場所じゃない。
女オタっぽい自分語りお気持ち表明やめろ。 ここは、おまえが共感して貰える場所じゃない。
ここは匿名ダイアリー 自由な表現が可能な場だよ
雪だるま作ってバットで殴って壊せ!!
増田へ あなたは、普通の人です。
×自分が嫌い ○自己愛が強すぎて等身大の自分自身を受け入れられない
ここまで極端なものではないが、自分も親友に対して怖い、裏切られたくないみたいな感情が強いので気持ちはわかる。 俺の場合は自分が嫌いが先に来るから少し違うかもしれんが。 ...
どっちみちこんなウジウジした内容なら総叩きだろ
正しい存在に生まれたかった
わかるよ。