はてなキーワード: グラデーションとは
前提:
・松本は謝って認めたら負け(フワちゃん等)。逆に謝らなかったら普通に芸能界戻れる(篠田麻里子が例)
理由:
事実である場合、松本側が一番怖かったのは、文春がどこまで情報を持っているかわからなかったところ。事実を証明できるものが少しでも出てきたら終わる。
だから、一旦引いて文春がどこまで持っているか確かめた。客観的事実がないことがわかったので、事実でないというスタンスを取って、「●●であれば謝る」と事実認定はしてないので正解。
事実でない場合、「なんで徹底抗戦のポーズとって取り下げた?」という指摘は正しい。事実でないなら、その証明ができなかったから負けだね。負けって言ってる人は、まっちゃんはやってない!悪魔の証明できなかったから負け!って言ってるのかな。(そうは見えないけど)
文春は、売れたら勝ちなので文春も勝ち。
文春の負けの条件は「事実ではない」と証明されることだけど、そうならなかったから勝ち。
女性は何がしたかったかわからないので、不明。あえて言うならタレこんで金もらったから勝ちなんじゃない。刑事告訴してない時点で、客観的事実はそもそもなかった可能性は高いし、松本を痛めつけたかっただけ?であれば、ある程度は勝ちなんじゃない。
馬鹿のために言っておくけど、本件が事実かどうかは論点ではない。現時点で公開されてる情報から事実である/ないを証明できるのは、当事者以外いない。
~~↑完全勝利~~~
~~↑勝利 ↓敗北 ~~ ※グラデーションで人によって勝利条件が変わるライン?
~~~↓完全敗北~~~
人によって勝利条件の認識が異なるので、勝ち負けの意見が分かれるのかも。
反論予想:
・前提が違う。テレビには戻れない。
→それは否定できない。ただ、誰にもわからない現時点では、過去から推測するしかなくて、謝らなかった人の方が戻れてる確率は高い。
まぁ、今後のテレビへの復帰によって変わるんじゃない。スポンサーとかテレビ局とか。シレっと復帰して、適当にイジられて松本憎しの人には最悪な結果になりそうな気がする。
・勝利条件違う
それは意見分かれそう。
視界に入ってない説を無理に補強しようとすな
グラデーションになってるのは当然として、社会がメイクを要求してくる女性と比べて男にとってファッションはそこまで重要性が高くない
「そこらにいる小綺麗なカップル」は男から見るとそれなりの上澄みなんだよ
年に何回か美容院に行って、季節ごとにファストファッションで数点追加して古いのを捨てる、それに加えてファッションやデザインや着飾ることに多少興味があるならいくつか一張羅のアイテムを持ってたり
男の「小綺麗」ってだいたいその程度で
はてなには氷河期世代が非常に多いからバブル世代当事者的なエピソード(特に女性によるもの)って出てこない印象がある。
母の話によると赤文字系がピンクハウスを馬鹿にするようなノリはあったみたい。
(上位赤文字はピンクハウスの存在が視界に入ってない。下位赤文字がピンクハウスを目の敵にする)
ピンクハウスは装飾的で手入れが必要な高級ブランド服なんだけど、
・髪の手入れなしノーセット(ボサボサの、腰まであるようなロングヘア)
・ノーメイク、ボサ眉
ピンクハウスの広告モデルは瘦せていてメイクもしっかりしているのに、実際に着ている人が太っていてノーメイクで髪がボサボサだと「広告とのギャップが凄まじい」ということで嘲笑されていたのかもしれない。
赤文字系ではメイクとヘアスタイルが非常に重要な要素として度々特集されていたのに、ピンクハウス族はフル無視していて全く文化が違った。
ピンクハウス族は「洋服から降りた人」ではなく、服には執着していたからなんともいえない人たちだった。
それから時間が経って、原宿にロリータファッションの人たちがいた時期。2000年代かな。
ロリータ服のモデルや下妻物語の深キョンに寄せようと髪、メイク、体型管理を徹底、非現実的世界観を追求している完璧派と、
・体型管理をしない(ピンクハウス族の露骨な肥満よりはましで、体脂肪率が高そうなインドア特有のゆるんだ体型で必ず足が太い程度)
・髪の手入れなしノーセット(ボサボサではあるけど、ロングヘアは腰までクラスではなく肩下くらい)
・ノーメイク、ボサ眉
こういう子たちが3~4人で原宿に来て、お互いを可愛い可愛いと褒めあったりしていた。
完璧派のロリータ族に「デブロリ」とか言われていた。「デブに着られるなんて可愛いお洋服が可哀想、可愛いお洋服をデザインした人が可哀想」などのイタコ芸もしっかり観測できた。
デブロリ、芋ロリの系譜がノーメイクアクシーズ同人女としてネットで叩かれるようになったのを記憶してる。
Twitterの流行とも一致するかな、「ノーメイクアクシーズ族あるあるイラスト」みたいなものがバズるようになった。
ピンクハウスより、デブロリより、クセが強い要素はかなり薄まったけど、それでもやっぱ芋として叩かれてたな。
同人イベントで芋同士可愛いと褒めあう駄サイクルは相変わらずやってたのかなと思う。
2020年代の装飾的ファッションは、ノーメイクアクシーズを叩くバズイラスト等の流れもあって芋がかなり消えたように思う。
装飾的で女性的モチーフをガン盛りした服装ジャンルについては、
・ぴえん系
・ホス狂系
など、髪・メイク・体型が管理されている人が目立つようになった。
以前のピンクハウス→デブロリ→ノーメイクアクシーズのような「アンバランス層」の行き先は、
・鑑賞者への転向:容姿に全体的にコストをかけない選択をしてバランスを調整、美術展などで見られる
結論としては装飾的な服と手つかずのその他というバランスが極端に悪い層は現在では減少傾向にあり(原因はTwitterの揶揄イラスト)、
特にノーメイクアクシーズ以降、そうした層は姿を消しつつあるんじゃないかと思う。
全女性がバブルの赤文字系や完璧派ロリータみたいに全部に気合を入れるなんてことは不可能なので、
高コストでバランスを取る派と、低コストでバランスを取る派に分かれ、その間はグラデーションになっているのでは。
あと男性のオタクの状況になってくると、バランスの問題どころではないんだよね。
基本的な衛生管理の問題(洗っていないギトギト髪、衣服の臭い)、あとは撮り鉄の迷惑行為とか、他害について言われるようになってきてレイヤーが下がる。
2010年代に「木こり」と揶揄された男子大学生の量産型ファッション、2020年代にコムドットのコピペみたいな若い男性が増えたことなど、
しかし撮り鉄やカードショップ激臭オタクみたいな話題のほうが、どうもネット上では人気を獲得しやすいように思う。
量産型ファッションの男性はTikTokやインスタなど視覚優位SNSにいて、はてなにいる人には存在が見えていないんじゃないかと思う。
多分、量産型男子のファッションブランド具体例とか出しても誰も分からないだろうね。
「成人の初デートでサイゼはちょっと…」で炎上したり、激臭オタクを嫌がるのも「いじめ」扱いするくらい男性はハードルが低くてこう、驚く。
文字系のインターネットに居ついている男性の多くは、服・髪・体型のすべての水準が最底辺のレベルでバランスが保たれており、それを「資本主義への勝利」と認識しているのだろうなと思う。
目がかすんできた。読書してると細かい漢詩が読めず集中が途切れる。体力が落ちた。腰が痛い。
だから、今から何かを得よう、新しい能力を手に入れるというのは無理だろうなという気がしている。
会社の同期の様子を見てると、出世するやつ、出世してなくても自分のポジションを確立してるやつなど。皆何かしら居場所がある。
俺は何もない。中途半端。雑用ばかりしてきたから頼られるような能力もない。もちろん出世もしない。絵に描いたような使えないおじさんだ。
価値観も邪魔している。小さいころから年功序列というものを教え込まれてきた。年長者は偉くて尊敬されるべき、だが優秀な後輩の躍進を前にそんなものは屈辱の原動力にしかならない。
反論もあるだろう。そんなことはない、45歳でも元気だし毎日成長し続けているという人はたくさんいるだろう。
世の中にはグラデーションがあり、できるやつもできないやつもいる。俺は45で無理だと思った人間という話だ。
この先何を楽しみにどうやって生きたらいいかわからない。かと言ってそう簡単に人生を終わらせる事が出来ないのも知っている。
結局進むも地獄、立ち止まるも地獄なら進むしかないということなのか。自分は壊れかけだが壊れてしまわないといいなと思っている。
○選シリーズも下火になってきたところで投下するよ。
元ネタ1:
https://anond.hatelabo.jp/20241012181121
元ネタ2:
https://anond.hatelabo.jp/20241026213447
最初はファミコンだけで10選を作ろうとしたけど、方針を変えた。なぜならファミコンの初期にはアーケードからの移植作が多く、それらはどちらかというとアーケード作品として評価すべきだからだ。
ついでに他のハードも含め、80年代以前のコンピュータゲームすべての中から選出することにした。なおシリーズ物は一作のみとする。ゲーム史のカンブリア紀におけるレジェンド級の作品を見て行こう。
(追記)
コメントでの指摘を受け、ポートピアのジャンルをグラフィックアドベンチャーに修正。
アメリカのアタリ社が開発し、世界で初めて商業的に大ヒットをしたゲーム。コンピュータゲームが一大産業として成立する道を開拓し、これをきっかけとしてアメリカでアタリの時代が花開くことになる。
日本では翌年にタイトーとセガがポンのコピー品を作り、これが日本初のゲームとなった。
アタリのヒット作第二弾。いわゆるブロック崩し。これのリメイク版にあたるのがアルカノイドで、現代に至るまで古典的なゲームの一つとして知られている。
日本ではタイトーとナムコが正規のライセンスを持って生産していたが、それ以外にも日本の多数のメーカーがこれを模倣したようなゲームを作り、のちに日本のゲーム産業が花開くきっかけとなった。
いまでは有名なメーカーが、正規のライセンスもなしにコピー品を作っていたという、大らかな時代でもあった。後にタイトーが、これをもとにスペースインベーダーを作ることになる。
初の日本のメーカーによるオリジナルの大ヒット作であり、日本で初めて社会現象を巻き起こしたゲーム。それまでゲームに縁のなかった日本のお茶の間にまで、コンピュータゲームを知らしめた作品。
日本のアーケード史上最大のヒット作といわれ、喫茶店やスナックのテーブルがこのゲームのテーブル型筐体に置き換えられるほどだったという。
数が減るごとに動きが速くなる敵、敵がこちらを攻撃してくる緊張感、たまに出現して撃ち落とすとボーナスの入るUFOなどアドレナリンの分泌を促す仕掛けが満載で、ゲームの面白さの本質が詰まっている。
単独のゲームソフトではないが、シリーズまとめてランクインとする。
初の大ヒットした携帯ゲーム機で、特に低年齢層を中心に爆発的にヒットした。当時のゲームセンターは不良の溜まり場で子供には出入りしにくく、据え置きの家庭用ゲーム機もあったが値段が高く、
そんな中で比較的安く買えてどこでも手軽に遊べるゲーム&ウオッチは子供向けのゲーム機としてうってつけであった。
横井軍平の代表作の一つであり、シャープと提携して電卓の技術で作られた玩具。この横井軍平とシャープのタッグは、のちにゲームボーイを生み出すことになる。
ナムコの躍進のきっかけとなった作品にして、日本のアーケードの大ヒット作第二弾。
敵の種類ごとに異なる思考アルゴリズム、敵との強弱関係を逆転させるパワーエサ、緊張を緩めるコーヒーブレイクなどゲームを飽きさせない工夫が随所に施され、その工夫の数々は多くのクリエイターに影響を与えた。
日本のみならずアメリカでも大ヒットを飛ばし、日本のゲームが世界で通用することを知らしめた。80年代のゲームの中心地がアメリカから日本に移っていく、その象徴となる作品。
ウルティマと共に、すべてのコンピュータRPGの始祖と言っていい作品。もともと机上で行われていたTRPGであるD&Dをコンピュータ上に移植するというアプローチで生まれた、他のゲームとはだいぶ出自の異なる作品。
ゲームシステムの多くはD&Dに由来しているが、移動画面と戦闘画面の切り替えによって進めるゲーム進行、コマンドを選ぶことで進める戦闘システムなどコンピュータRPGの基本的なシステムが完成されており、
ウルティマと共に、後のドラクエやFFに大きな影響を与えた。堀井雄二も坂口博信もこのゲームをやり込んだという。
スペースインベーダー、ギャラガと続くシューティングゲームの系譜を完成させた作品。これ以降に出たすべての縦シューは、このゲームの子孫である。
また初めて隠れキャラを採用した作品として知られ、ゲームにおける「隠し要素」の祖ともいえる。
グレーのグラデーションで描かれた光沢のある敵のデザイン、航空写真のような森、海、道の風景は、真っ黒な背景に簡素なグラフィックのゲームが多かった時代に圧倒的なクオリティを誇っていた。
何度でも繰り返し遊びたくなる仕掛け、背景の物語の神秘性と相まって、多くの人を熱狂させた。
説明不要、宮本茂の生み出したゲーム黎明期の最高傑作の一つである。
その画期性はググればいくらでも出てくるのだが、改めて分析しても同時代の中で突出した存在である。
どこまでも広がる世界の解放感、至るところに隠されたアイテムやボーナスステージ、操作に習熟するごとに感じられる上達の喜び、初心者が楽しみながら悔しがりながら上達できるレベルデザイン、
どこを取ってもオーパーツのようなゲームであり、いまだにゲームの古典的教科書の一つである。
アーケードからの移植作が多かった時代に、この作品は「ファミコンでしか遊べない大ヒット作」であり、これ以降ゲームの主戦場はアーケードから家庭内に移ることになる。(ゲームセンターに風営法が適用されたことも影響している。)
ウィザードリィやウルティマを元に、日本人にはとっつきにくかったRPGを日本人向けに大幅にアレンジして生まれた作品。
これ以前にも日本のメーカーからRPGはいくらか出されていたが、ドラクエの爆発的ヒットを元に、日本独自のRPG=JRPGの市場が開拓されることになる。
とっつきにくい要素を排除するために、元のTRPGにあったリアリティを大きく削ぎ落したりしているため、当時のTRPG界隈などからは批判も受けたようであるが、そうでもしなければこのゲームが国民的作品になることはなかっただろう。
反面、そのあまりにも日本向けに特化しすぎたアレンジが仇となり、海外展開にはあまり成功していない。
ドラクエが生み出した(時におかしな)JRPGの「定番」「お約束」は数知れない。その影響はゲームだけに留まらず、西洋ファンタジーを題材とした漫画やラノベ等にもおよび、今日に至るまでその影響を与え続けている。
宮本茂の最高傑作第二弾。スーパーマリオとはまた違った方向性で世界の広さを表現した、知恵と工夫と探索のゲーム。
このシリーズは極めて神がかったバランスの上に成り立っており、簡単に模倣できる作品ではないため、直接のフォロワーとなる作品はあまり現れてはいない。
しかしゼルダシリーズの魂とでも呼ぶべき、閃きと発見の楽しさは形を変えて多くのゲームに受け継がれている。それはダンジョンの中のちょっとしたパズルや謎解きだったり、アイテムの入手によって切り拓く道だったりするだろう。
近年のインディーズ市場において、ゼルダシリーズから影響を受けたようなゲームが多数見られることからもその影響力の大きさが伺える。
◆◆◆
以上、10選終わり。
以降は選外となった作品。
世界初のコンピュータゲームと呼ばれるものの一つ。オシロスコープとアナログ機器で作られたゲームであり、正確にはコンピュータゲームと言えるのかも分からない。
研究所の見学者に大評判だったが、その後忘れ去られ、後のゲームには影響を与えていないという。時代を先取りしすぎた作品。
学生サークルが開発し、商業的に成功した作品。いわば同人ゲームの草分けのようなものである点に着目したい。アマチュアが作ったゲームで初めてヒットした作品といっていいのではないか。
ローグライクと呼ばれるジャンルの始祖となった作品。D&Dから影響を受けて作られた探索ゲームであり、実はウィザードリィ、ウルティマよりも古く、最古のコンピュータRPGの一つに数えてもいいかもしれない。
コンピュータRPGの始祖の一つで、ウィザードリィと共に後のドラクエやFFに大きな影響を与えた。2D見下ろし型のフィールドマップは、このゲームが元祖である。
正直10選に入れたかったが、宮本茂多すぎやろと思って外すことにした。
宮本茂の初のヒット作にして、後に世界的大スターとなるマリオのデビュー作。コンパクトな画面に詰め込まれたジャンプアクションで、後のスーパーマリオにつながるようなアイディアが、すでに多数詰め込まれている。
グラフィックアドベンチャーの傑作で、堀井雄二の原点。原作はPC版だが、どちらかというとファミコン版の方に着目したい。
コマンドを選んで進めるというファミコン版のスタイルはドラクエの原点ともいえ、このゲームの開発で得た知見はドラクエの開発に大いに影響したことだろう。
最も知られているのはゲームボーイ版だが、最初に作ったのは旧ソ連の科学者である。
ゲームボーイ版の方は「ゲームボーイ史上、もっとも重要なゲーム10選」に選出されているのでこちらはあえて原作をチョイス。純粋なパズルでこれだけ人を没頭させるものは他にないだろう。
光栄の歴史シミュレーションゲーム。この2年前に「信長の野望」が発売されており、歴史シミュレーションゲームとして最初にヒットしたのはそちらであるが、俺は三國志の方を評価したい。
これは歴史のifを楽しむゲームであり、人材登用のシステムによって史実では敵だった人物を部下にするなどして、夢のドリームチームを組むという楽しみ方ができる。
歴史を題材としたゲームでありながら歴史を大胆に改変してもいいという発想が大きな魅力につながり、こうした発想は現在の歴史物のゲームにも影響を与えている。
世界初の体感型ゲームにして、セガの体感ゲームシリーズ第一弾。バイク型の筐体にまたがり、身体を傾けて操作するバイクレースゲーム。
ゲームの主戦場がアーケードからファミコンに移る中で、そのアーケードでしか実現不可能な臨場感が注目された。こうした大規模なギミックは、後にアーケードが復権する鍵の一つとなる。
ドラクエ以前の日本のRPGで大きくヒットした作品。日本のPCゲームで最も売れた作品とされ、ファミコンともアーケードとも異なるPCゲーム市場を先導した。
コナミを代表するシリーズの一つとなった作品。任天堂のメトロイドと合わせ、メトロイドヴァニアと呼ばれるジャンルを形成しフォロワーが多数現れている影響力を評価したい。
セガの体感ゲームシリーズの一つで、リアル系ドライブゲームの元祖。車を運転すること自体の楽しさに焦点を当てたゲームで、ドライブの楽しさが存分に盛り込まれている。
スクウェアの本領が発揮されるのは90年代だと思うのでここに入れるかも迷ったが、初代が売れなければスクウェアが潰れていた、という点で重要な作品。
https://x.com/tdrlj/status/1850503470396436650?t=xz3vK2IUQUheuaaaJ00plw&s=19
これ見て思ったんだが、色鉛筆とか水彩とか厚塗りとか、グラデーション・ぼかしとかの境界が曖昧になる特性を持つタイプのイラストはもうAIと見分けつかんかもね
恐らく増田と政治的な観点が被るであろう「リベラル」を自認する中高年だが、増田の着眼点には共感する(現代のB層はいて、彼らは小泉政権時代のB層とは異なる)が、B層の定義の解像度が少し低いように思われる。
※インターネットの言説に洗脳されがちなのは、ネットリテラシーが低い層(年齢が高く、学歴が低いほど多いが、あまりに学歴が低いとネットへのアクセス自体をしないので逆に少なくなる)
※デジタルネイティブ世代はリテラシーが高く、知識水準が高い層ほどネット言論にそれほど左右されない
当たりの認識かと。
結論として
※小泉政権時代のB層と、増田がいう新B層は、それほど異なる存在ではない
※ただし年代によるグラデーションがある(低学歴層ががっつり新B層と重なるのは30代ぐらい。団塊以上(70代後半以上)ではむしろ高学歴ほど新B層になりやすい(この世代の低学歴(非大卒を想定)はインターネットにアクセスできない)
※今の20歳前後(2005年頃の生まれ)あたりを境に新B層は激減していく
メディアリテラシーが低い層は一定比率でいるので、B層に類する人間は未来になってもどの世代にもいるとは思うが、今のB層向けの戦略が上手くいく世代はこれから減っていくのではないだろうか。
↓コレ
日本アニメはいつになったらババアを若く描かないようになるんだろうな。
https://togetter.com/li/2452697
美容とか化粧品が安価なものでも高品質化する前の社会をベースにしたアニメにでてくる母親キャラの影響受け過ぎじゃないか?
昭和50年代位までは生活が豊かになる事が優先で、美容品の品質が上がるのもう少し後だし、その頃の近所の友達の母親は、うるせえババァのイメージなんだろけど。
前世紀の話だよね。
ヘアケアやヘアカラーも普通にするから30代どころか40〜50代でも髪ツヤツヤにしてるし、基礎化粧品やメイクもよくなってるからおばちゃんくさいおばちゃんやってる人の方が珍しいよね。
服とかも、ユニクロとかコモディディ化したデザインのものは、あんまり世代関係なくみんな着てるし。
20代前半と50代後半の二人が並べは明確に違うだろうけど、間のどこかに明確なラインがあるかというと世代論的な記号の区分は無くなっていてグラデーション的な変化だと思うし、個体差の方が大きいよね。
https://nordot.app/1218201804401328949
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/nordot.app/1218201804401328949
けど、どの問題でもそうだけど賛否のグラデーションがあると思いません?
2.賛成だけど、それを元に投票行動を決めるほどではない
3.どっちでもいいけどどちらかと言われたら賛成
4.どっちでもいいけどどちらかと言われたら反対
5.反対だけど、それを元に投票行動を決めるほどではない
というカンジになりません?
推測だけど、多分自民党支持者の28.0%の反対者の中には6の人が結構いるだろうし、逆に1の人なんてほぼいないはずですよね。
そうなると、1の人の数が6の人の数より多くて、かつ1の人が自民党が翻意することで6の人よりも自民党に投票するようになるなら自民党は夫婦別姓を推し進めるインセンティブがあるけど、そうじゃないなら夫婦別姓を推し進めるインセンティブがないですよね。
結局、夫婦別姓が進まないのは国民全体で2~6の人が多くて、とどのつまり「どうでもいい」と思ってるからなんじゃないかなあ。
ゼルダの伝説知恵のかりもので「カリモノ」をかりた回数順で並び替えると
ベッドが1位!
今作のゼルダの世界の謎は全てベッドで解決出来ると言うことを証明できそう!
つーぐらい強めなベッド万能感マジウケるってところで、
いやもはや逆で
謎解きは強引に解決で無理矢理なカリモノの置き方で進めて進行している?って言ったところかしら?
これで正解していいの?って笑うぐらい。
あと、
普通ストーリーの進み具合で行けるマップいけないマップ地方や街や村ってあるじゃない。
ある程度話が進まないと行けない場所。
あれも最初から無視してほぼ全土ハイラルのマップはストーリーの進行状況関係なく踏破できるの。
そして、
初めてきたような演出が入るので、
ちょっとの高さの崖も登れないじゃない。
でも今作は「カリモノ」の力で
山も高さや何かが減るゲージも関係なくどんな高さの山でもとりあえず登頂できるの。
だからあのスパイダーマン登りができる蜘蛛の「カリモノ」さえあればハイラル全土はもう全部ほぼ行けちゃうわけなのよね。
この土地の先には何があるんだろう?って変な楽しい冒険感もあったりして、
あと、
トゲトゲの「カリモノ」もあって、
あれ動かないけれど私にとっては万能すぎて
敵の頭上に落してもよし、
敵の周りに置いて動きを封じてもよし
ホールドしてそれで殴りに行ってもよし!
と三拍子揃っている万能さ!
変に戦いに行く「カリモノ」よりも強いって感じ。
あと敵を直に燃やすとか。
案外そういった方法の方が戦うより地味に強かったりする気がするわ。
だから
最初剣や弓で倒そうとするとなんか変に勿体ないような気がして、
まずはなんとか「カリモノ」でボス倒せないか?って変な縛りの拘りが出始めてきたらすっかりもうゼルダの伝説かりものの世界にどっぷりってところよ。
あと、
前も言ったかも知れない鴨鹿だけど、
ピクミンって私ピクミンを派遣するのが人として酷い扱いをピクミンにしている感じがして切なくなるからあのゲームできないんだけど、
この「カリモノ」に関しては
遠慮無くじゃんじゃん出して「カリモノ」の銅鑼をじゃんじゃん文字通り鳴らして景気よく号令を出せるので
敵の体力ゲージもなくって、
あとどのぐらいで倒せるのかしら?ってのが全然分からないのよね。
これも良く考えてあるのかしら?
ある「カリモノ」がめちゃ体力を削る凄い攻撃力のものだとバレると、
それに偏っちゃうので、
それを無くしいろいろなカリモノを使って倒し方を編み出して欲しいのために
ワザと敵の体力ゲージが表示されないのかしら?って推測なの。
なんとなくそう思うわ。
プレイヤーに感覚でこの「カリモノ」は強い弱いってのを分からせてってなのかしらね。
とりあえず、
だから序盤に出てくるコウモリのカリモノも数出せば攻撃回数が増えるので
とはいえ、
ベッドの「カリモノ」回数は圧倒的な1位で
ベッドも拘りがあって3種類あるのもウケるわ。
効果は同じなのに効き目が違うのよ。
ベッドの使い分けも腕の見せどころなの!
ややこしいでしょ?
今思ったら今作のゼルダって何にも困ってないのよね。
それが単純に簡単かっていうわけでもなく
謎解きは考えるのは難しいけれど、
そんな謎ももちろんあるし。
消耗品を消耗させたくないっていうなんか武器節約しようみたいなそういうところもないところも困らないところかしら。
剣を使うのを序盤ケチりまくって進めるじゃないすぐ無くなっちゃうので!
まあゼルダの伝説ブレスオブザワイルドの方のようなそんな涙ぐましい苦労がないところも爽快な感じね。
あと迷う森もあって
そこ行ってみたけどたぶん全部森探索できてないわ。
森だけは攻略何があるか見付けるのが森だけに深く隠されているものがある安直に解けない謎が、
そこだけは謎だわ。
もう剣もってるからマスターソードがあるわけではなさそうだしね。
森だけに謎だわ。
うふふ。
ヒーコーのみにしました。
でもまだ大丈夫ね。
ミルクも付け加えたいところだけど
ミルク買い忘れちゃった!
デトックスウォーターは1回ボトルを取り替えてたくさん作れるようにした水出しルイボスティーウォーラーだけど、
ホッツルイボスティーウォーラーでもいいかもしれない季節の移ろいを感じずにはいられないわよね。
まあごくごく飲んだけれど。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
10年くらい前からダラダラとハナクソみたいな絵を描いていた。ケータママのイラストがよく話題になっているが、ワイの画力も正直それと大差はない。太い線を使っているだけ「ゆるい絵」のくくりにギリ入れてもらえる、くらいのレベルである。
別にソレで良かった。ソレで良かったんだけど、二年前くらいかな。とあるキッカケでそうも言っていられなくなった。
友人に「お前もこれを見習えば?」と言われた。示されたのはあるVtuberの動画である。大量の同業者の顔を模写して上達を目指す企画が完結して大きな話題になっていた。
そのVtuberは最初上手とは言えない絵を描いていたのだが(それでもワイよりは上手いっす。ごめんなさい)、最終的には元絵とパット見の印象は変わらないくらいのクオリティになっていた。
タイトルに復讐と書いているがそのVtuberに対して恨みがあるわけではない。彼のことは本当に凄いと思う。
しかし、あそこまでの上達を制作中含めリアルタイムで見せられると「続けていれば誰でも上手くなる」という考えを持つヤツが出てくる。その友人のことである。
趣味というからには少しは上達しろ。好きこそものの上手なれと言うだろう。要約すればそのようなことを言われた。
冒頭に「ワイは向上心がまるで無い」などと書いたが、昔は違った。なんぼなんでもちょっとは上手くなろうとしたことくらいある。しかし、それは無理と悟ったから、好き勝手に描いているのである。
だからワイははっきりと言った。上達なんて適正ありきのものだって。
世間は簡単に言う。自分の改善点を見つけてそれを直していけば上手くなると。
どこから直せば良いのか分からないなら一つ一つ分解していけば良いと。
それが出来ないならまずは楽しく続けていこう。そうすれば分かるようになってくると。
ワイはその3つ目でずっと止まっている。目がいつまで経っても役立たず。一生モヤの中にいる。
だが、そんなことを言ったところで「それは努力が足りていないから」で一掃された。この主張はあまりにも強すぎる。
彼にとって努力とは成果に結びつくまでの過程であり、努力を評価することは成果を評価することと同義である。成果が出ていなければ努力不足。成果に直接結びつかないことはただの徒労。
その定義付けにある種の合理性があるのは否定しない。間違った方向に頑張ったところでそれは徒労だし、ある程度の量が必要なのも分かる。
ただ、成果を左右するファクターは努力だけではないという視点が欠如している。
だが、そんなことを言ったところで「それは努力が足りていない人の考え」と一掃された。この主張はあまりにも強すぎる。
これを読んでいる人の中には彼と同じような努力至上主義の人間も多数いることだろう。同じことを繰り返すが、適正ない奴がなにやってもダメなんだよ。
いや、分かるよ、結局自分でどうにか出来る変数は努力しかないという主張も、成功している人は皆努力していることも。
それは分かったうえで、やっぱり適正がないとダメだ。才能があってこその努力だ。個体差の有無を認めてなぜ適性の有無を認めない?
だが、そんなことを言ったところで「それは本当の努力を知らないから」と一掃されることだろう。
自分の適性の無さなんて、成果に必要な努力量のはるか手前で分かるもんだと思うんだがね。
だからワイはめちゃくちゃに努力をして多少の成果を出したところで「お前の主張を実践したが、こんな釣り合わないことさせるもんじゃねぇぞ。軽率に努力不足なんていうもんじゃない」と言ってやらなければならない。
バカが。
それで二年くらい真面目に絵の練習をしている。上達はほとんど感じない。
さいとうなおき先生の動画とか見てみたら?とか言われるけど、ありゃ画力の使い方の話が主で画力がないやつには関係ない。三ヶ月上達法もレベルが高すぎる。模写して「ここの座標がズレてるね」なら重ねたら分かるが、絵柄再現して別の絵を描いて改善点を見つけるだと…?
実際試してみたが、全然意味が分からなくて挫折した。税金に似た三重県を描いて税金との違いを述べろと言われている気分である。他の練習法だって大体そう。
ハナクソがダンゴムシになるための方法を探しているのにウサギがトラになる方法しか出てこない。
それでも一応それなりに課題を見つけて改善するというのをやってはいる。先ほど「ほとんど」上達していないと言ったが、僅かな成果はあった。
ただ知っていれば誰でも出来るようなことである。片目を瞑ると狂いにくくなるとか、下から上に線を描くのはやめたほうがいいとか、ひと晩寝かせたほうがいいとか、線画の色を変えてみようとか、その程度のもの。
個人のさじ加減が必要な項目はまるで出来ていない。線の強弱をつけてもガタガタの線になるだけだし、薄弱な根拠でグラデーションをつけてもそれはただのムラである。
実に困ったものだ。
座標のズレのような客観的な評価ではなく、各々の主観的な評価で改善していかなければならない項目が多すぎる。良いものを良いと判断できる目がワイにはない。
焼まゆる先生の目を肥やす云々の話の重要性は感じながらも、一向に目が肥えない。
いやいや、頭でっかちになってアウトプットが足りてないんじゃないの?と思ったそこのあなた!それは分からんでもない。
が、今週一ペースで絵を完成させているけど、正直これ以上はすぐには増やせない。なぜなら、修正にめちゃくちゃ時間がかかるからである。
右目が大きいかもな。左右反転で確かめてみよう。今度は(元の)左目が大きく見えるな。
こんなことをずっとやっている。
そのレベルで見る目がない。
仕上がりを気にせず量だけ重ねた時期もあったが、それだと何も発見がないので何も得られていない。反復練習は再現性を高めるためのものなんだろうなーって思った。
ずっと1人で練習していると、自分の絵に見慣れてうまくなったと錯覚することがある。そういうときはTwitterに載せたり、人に見せたりする。そして現実を知るのである。
絵は人に見せていかないと上手くならないとよく言われているが、人に見られている時点でもうそれはそこそこ上手いのである。
まず当然だがTwitterに載せてもまず見向きもされない。タグつけたりコミュニティに載せたりしてインプこそあるものの、エンゲージは非常に少ない。
そして知り合いに見せても「頑張ってるね」しか言われない(前述の友人とはもう連絡をとっていない)。感想をもらっておいて失礼かもしれないが、ワイもよく分からない愚痴の相槌に対してそのセリフを吐くので、多分その類なんだろうと思っている。要するに見ていない・聞いていないときの返事ってことだ。
こんな風に、穴の空いたバケツを使って種を植えていない植木鉢に水やりをしている。もう限界だ。
もう正直モチベがつきかけているというか、なんかどうでもよくなってきたというか、心が弱くなってきて、でも絶対絵垢で愚痴を吐きたくなくて、カッとなってここまで書いた。
俺は一体何をしているんだ。
それでも俺は努力不足なんだろうか。別にイラストレーター目指してるとかじゃなくて、ただ単に、人並のまともな絵が描けるようになりたいだけなんだが。