はてなキーワード: エントリーとは
てなのがあったので、やってみる。
ニュース解説系増田の中でもかなりブクマを伸ばしたエントリ。内容もさることながら文が上手い。この増田には時々でいいからまたこの分野のニュースの解説を書いてほしい。
ショートショート。増田に創作は案外少ないが、清涼な印象を残した一編……だったと記憶していたのだが、今読み返してみたらちょっとどろっとした感じあるな。だけどそれもまたよい。
増田本人の障害をカムアウトするエントリなのだけど、なんか妙にあっけらかんとしてて前向きなのが逆に救われる印象。
プリンプリン物語を例にサブカルチュアのアーカイヴの意義を説く、はてならしい好エントリ。
ばかばかしいことを真面目にやるエントリは意外と少ないが、その中で心に残った一編。男ってばかねえ(主語の大きい個人の感想です)。
今年の夏の一大トピックだった新国立競技場について、設計と積算の観点から一言。こういう視点がひとつあるといろいろ応用が利きそうに思う。
同増田には「列管理の難しさとコツ」という四桁ブクマの名エントリがあったが、これはその続編。トラバがないのでもしかすると読んでない人もいるかと思いこちらをとりあげた。コミュニケーション力と文章力を併せ持つ逸材で、またなにか書いてほしい。
わずか21文字で400以上のブクマを稼いだ怪物エントリ。一文字あたり実に22ブクマである。割ってどうするんだという話だが。元増田からのこれは天才としか言いようがない。ブコメも面白かった。
仮称浮世絵増田。昨年いきなり浮世絵に目覚め、時々浮世絵エントリを投下していく人。詳しい人から見てどうなのかは判断できないが、知識のない身で読むと単純に面白いし、なにより楽しそうなのがとてもいい。トラバ先にも同増田の別記事があるのでそちらもどうぞ。
短いが心に響くスポーツ賛歌。文体もよくて、読点の代わりにカンマを使っているのが独特の乾いた印象を残す。今読み返しても最後から二段落目で涙が出そうになる。
以上です。
最近、何をしても満たされなていると感じない
休みの日はゲームしてネットサーフィンしてゴロゴロしてればそれだけで幸せだったのに、今はただ惰性でゲームしてネットサーフィンして、やることないから寝てるだけ
昔好きだった本も今は大して面白く無い
というか本自体読まなくなった
趣味もないし夢もない
夢がないので目標もない
入学当初は今の専攻に興味があったが今は熱が冷めてしまっている
毎日決められた時間に大学に行き、決められた時間にバイトに行く
それをただ繰り返してるだけ
別にやりたいこともないしやり残したこともないから明日地球がなくなったって構わない
というか、なくなってほしい
今までどおりの自分を演じている
みんな戸建。
Zさん:近所数件ともめている人。配偶者あり。有職者。
1台は近所が出入りする様子がすべて見える。Zさんいわく、これは本物。
Aさん宅のリビングが丸見えになるカメラもあれば、Bさん宅の台所を向いているのもあれば、Cさんの玄関を向いているものもある。
境界線ギリギリに駐車し、ミラーをたたまない為、ミラーがDさんの家の敷地に入っている。
車庫のセンター付き外灯はZさんが納得しないお宅には苦情が入る。
子供を自転車に乗せ運転中のEさんの脇スレスレをZさんの車、Eさん道路外に落ちそうになる。
Fさんのお子さんの脇スレスレを猛スピードでバックするZさんの車。
Zさんが在宅しかつGさんが出かけたり帰宅する→Zさんの車のエンジンがかかるかキーの開錠・施錠による操作音。
平日の夜、Hさん宅が全員帰宅するまで、Zさん宅の2階の窓はカーテンを閉めず照明がついている。毎日。
土日祝の夜、Hさん宅が全員帰宅するまで、Zさん宅の2階の窓はカーテンを閉めず照明がついており、1階はカーテンを閉めるもシャッターが開いている。
Zさんの在宅時、周辺でちょっとした工事(1時間もかからないものでも)でも挨拶等をしないと苦情。
Zさん周辺の家は子供を遊ばせると苦情がくる。自宅の庭でも苦情がくる。
Iさんが自宅の庭で子供を遊ばせる→じっとこっちを見ている。かつ苦情。
育成会のラジオ体操がZさんの家からそう離れてない公園で行われる→苦情。町内に大きい公園がなく、隣の町にて行われる。
Jさんが市役所に相談する→相談しただろうという紙がポストに入る。
Kさんが自治会関係で苦情をいう→こっちはお金を払っているんだ、文句を言うなという。役員は病気だからとやらない。
苦情は、ほとんどその家の旦那さんがいないときに奥さんに言う。
もう10年ぐらいになるのか。
増田はもう疲れた。毎日毎日釣り記事を書いて、ブコメを貰うことを唯一の生き甲斐としていた。けれど、ホッテントリ入りしても、はてなブックマークのトップ画面を飾っても、私の承認欲求が完全に満たされることはなかった。だから増田をやめることができない。
1ブクマつくと、脳の奥底に電流が走り、コーヒーを3杯飲んだあとのような恍惚感がほんのりと浮かび上がる。2ブクマつくとほろ酔い状態となり、心地良い酩酊感に包まれる。3ブクマつくと身体が火照ってきて、もう理性で感覚を抑え付けられない。10ブクマを超えたあたりでエクスタシーに到達する。麻薬と同じようなもので、増田がやめられない。
私は大学生の頃、就職活動にことごとく失敗した。内定が得られないままに卒業した、社会の負け組だった。そんなとき、ふと増田に足を運んだ。愚痴を書き込むと、ブックマーカーと呼ばれる人たちが私の側にやってきて「良い文章だ」と褒めてくれた。砂漠に一滴の水が零れ落ちるように、私の心は初めて承認されることの悦びを知った。
もっと、もっとだ。ブックマーカーの人たちに褒めてもらいたい。無職の私は、就職活動もそっちのけで増田投稿に熱中した。渾身の力を入れて書いた記事は、そのときは目に触れなくても、後から必ず増田ウォッチャーの人たちが拾ってくれ、人気記事に入ることができた。
私は今までにエントリーシートや履歴書を何枚も何枚も何百枚も書いた。100社以上にエントリーしたが、誰も私に目を向けてはくれなかった。けれど、増田は違う。増田に書いた文字は、みんなが見てくれている。増田こそが私の生きる道なのだ。悟ったんだ。私は清々しい開放感に包まれて、世界に自分のすべてが受け入れられたかのような気持ちになった。
そう宣言した日。
母は眉間に刻まれた悲壮なシワを両手で隠して、さめざめと泣いた。隣で聞いていた父は腕組みをしながら「そうか、それがお前の決めた道なら、俺は止めない。だが絶対に諦めるなよ。お前が増田プロになる日までは、うちの敷居を跨がせない」と厳かに言った。
私は家を追い出され、野に放たれた。はじめは何もかもが自由で、新鮮だった。私は誰にも縛られず、何を書いても許された。私は毎日毎日増田を書き続け、ブクマを積み上げていった。
それから1年が経った。なんだ、この虚しい気持ちは。自分が今まで努力してきた日々が、何もかも無意味に感じられた。見下していたはてなブロガーの人はAdSenseで月10万円を稼ぎ、すっかりプロブロガーとして独立している。対して私は1円足りとも稼げていない。結局のところ、私はなんのキャリアビジョンもなく「プロ増田」という甘い妄想、キラキラとした夢、幻想と承認欲求に衝き動かされて、3歳児が野原を駆けまわるようにふらふらと遊んでいただけなのだ。
Twiterのプロフ欄には「フリーランス」と声高々に書いていたし、増田プロとしてのポートフォリオサイトも構築した。Facebookに「俺は増田プロになったんだぜ」と書き込むと、イイネがたくさんついた。今までまったく友好のなかったフレンドから「増田さんはすごいですね! 会社の枠組みに収まらない人だとは思ってましたが、まさか増田プロになるとは! 今度一緒に飲みましょう」と、下心満載のメッセージが届いた。
高校では一言も口を聞いてくれなかった同級生から次々とフレンド申請が送られてくる。承認待ちリストには、かつて私が片思いした女性も含まれていた。違うのだ、私はいま「増田プロ」の虚しさに打ち震えているのだ。私が欲しているのは、ブクマでもはてなスターでもない。
ありのままの自分を認めてくれる、たった一言。愛情に飢えていたのだった。私はもう増田プロを騙るのをやめる。騙って語って偏っていくのをオシマイにする。惜しまずにお仕舞いとしてお終いの姉妹丼にするのだ。
私は自分のほんとうの気持ちに気がついた。私が今まで増田をやっていたのは、愛して愛されたかったから。だからもっと私を愛して、私だけを見て、私だけを褒めて、私だけにブクマをつけて、私だけにスターをつけて、私だけを承認して、私だけに顔を見せて、私だけに声を聴かせて、私だけに寄り添って、私だけに命を捧げて、私だけの愛を受け止めて、私だけの言葉を聴いて、私だけに抱かれて、私だけに快楽を頂戴、私だけの愛人になって、私だけの恋人になって、私だけの私だけに私だけ私に私私私私私、愛して。
久々にプレイして、改めて「なんとFXは恐ろしい魔物なんだ」と痛感した。
プレッシャーと先の見えなさに耐え切れなくなり、FXから足を洗い、それなりの職についてまあまあの人生を送っている。
足を洗ったとはいえ、仕事柄マーケットの動きは抑えているからだ。
これは・・・くる!
そう思って貯蓄の大半を慌てて証券会社にぶち込み、朝からトレードに励んだ。
結果は40万負けたあと、130万の儲け。
他のどんなギャンブルもこれほどの全能感を与えてはくれない。
なぜならばパチンコや競馬と違って、FXは自己決定権の余地が限りなく高い。
一瞬一瞬どこでもエントリーできるし、降りることも出来る。
プログラムで最初から勝つ台・負ける台が決まっているわけでもない。
そして破壊力も凄まじい。
パチンコで数万勝ち負けしたなどという話を聞くと、口では「すゴいッス!」など言っているが、腹の中では笑ってしまう。
証拠金の規模にもよるが、FXは1日で20万の変動などザラだからだ。
一瞬一瞬の自分の行動に全てが託されているがゆえの勝った時の全能感。
勝ち方も負け方も一般的なギャンブルとは比較にならないレベル。
なんとスリリング・なんと魅力的なんだろうか!
知らない方が幸せだったのか?
おそらくイエス。
俺にとってFXとは、知恵の実だった。
ギャンブル中毒という病気にかかってまで、アドレナリンを全快に出したいのだ。
これからも俺は時に勝ち、時に負けて、たまには断末魔コピペでも見て気を引き締めながら、死ぬまで市場に搾り取られていくのだろう。
あーあ。
最近たまに増田をブクマしようとすると「3」という謎のオススメタグが現れるのでなんだこれ、とは思ってた。
pomirenagusinさんだった。
http://b.hatena.ne.jp/pomirenagusin/3/
どうなってんだ。1でも2でもなく3。しかも「3ゲット」でもなく「3」。
新手のbotだろうか。たまにミスってる(非公開ブクマをカウントしてない?)のかわいい。
いつからつけてるんだろ、と思って遡って見てみると
「これは2ブクマで終わるような増田じゃない」っていうエントリーから。
しかし、pomirenagusinさんにとって実は非公開じゃない最初のブクマ。
すごい、なにこれ。
興味深すぎ。
決めつけて、優位に立ちたがるその姿勢が気に入らない。
心の中で思うのはどうぞって思うけどわざわざアウトプットしなくていいから。
むしろ、しないほうがよほど親切であり、配慮のできる「頭のいい人」だと思う。
「頭悪い人嫌い、あの人頭悪い等々の文言=私は配慮ができない無能で~す」と言っているようなものだと、変換して考えると
「ああ、この人も、あの人もそうなのか…。」とがっかりする。
もっとも、こんな内容のエントリーを残している私自身も配慮のできない無能なのだが…。
個別に噛みついたりエアリプしてる人は、周りにこういう考えの人もいるかもしれないことを頭のどこかに置いておいたほうがええで
今日、↑記事を擁護する、「高くて旨いのは当たり前とか言っている~」の記事を読んだ。
内容はここでは於く。
で、興味を持って、「150万」の方を読んで驚いた。
コメントしてるのはごく一部で、大体は無言ブクマ。興味あるからブクマしてるんだろう。
あとは、元記事の矛盾(本文の「月5万」とタイトル「年間150万」にはならない)、
その他、普通に「行ってみたいかも」「この店はね云々」みたいな言及。
で、上手いなあと思うのは、擁護のほうね。
「『高ければ旨いに決まってる』とかいうしみったれた貧乏人どもに、
本当に高級な店の値段は正当な理由があってついていることを教えてやるよ」
っていう。
キラキラOLに反感をもって悪意のあるコメントを書き込みまくっているはてなー共、
なんて存在してないのにね。
うっかり騙されてアクセスしてしまったじゃないか。うまい手法だと思った。
宅配ピザで店が遠いのはわりと致命的だと思った。
アニメアイコンの童貞キモヲタ(アルゴン@Argon0126)が、顔は不細工だけどリア充でカースト上位のミスコン女(まりか)に去年4月の京大熊野寮の新歓の時に、一人だけ「君は無理」と鍋をよそってもらえなかったことを根に持ち、1年半後の今、女がミスコンにエントリーする時期を狙ってツイッター上で悪口を書いて炎上を誘発した。
キモヲタはネット上では有名なオタクでツイッターのフォロワー数も多く、すぐに拡散し炎上。ミスコン女を社会的に抹殺したかったキモヲタはミスコン女を叩くネット世論に快感をおぼえていたが、今度はキモヲタ自身の個人情報が晒されるという不測の事態が起きる。
その個人情報から同じ寮に住む奴らに身バレし、「非リアの極み、超絶ネット弁慶、あだ名は小学生、不潔」と暴露され、素性が明らかになるにつれて、次第にネット上でも「私怨で炎上させてネットで叩かせようとする男もキモイ」と叩かれるようになる。
よくある激務エントリー。
残業時間100時間というものがどの程度なのか想像がつかなかったのですが、
たぶん、コンスタントに100時間以上の残業を続けてきていました。
そりゃー、身体もおかしくなるよなー。なんて、人ごとのように笑ってしまいました。
(当たり前のように生理はとまる。便秘薬がないと排便ができなくなる。汗をかかない。などなど)
ようやく激務生活から脱出する覚悟を決めたので激務生活で学んだことをまとめておきたいと思います。
仕事に楽しみを見いだせないと、1日12時間以上も会社にいられません。発狂します。
どんなに辛くても、学べることがある・成長できているという実感があって、
気合いと根性と体力で乗りきれるうちは、仕事ってなんて楽しいんだ!という気持ちで満たされます。
例えば移動中に仕事の段取りを考えたり、新しいアイディアを考えたり、仕事に役立つであろう知識を本やネットで貪ることも、苦になりませんでした。
一般的な企業には、「アフター5」とまではいかないまでも、「アフター7」なんて概念があったりして、仕事後に友人と会って食事を楽しむ機会を、その気になれば週に何回か得られるのでは?
超絶激務が日常化している企業では、19時からの会議なんて当たり前。会議後に議事録をまとめて翌日の打ち合わせの資料作成を始めたりします。
20時以降は取引先から電話もこないし、快適〜♪などとメリットさえ感じたりして。
そしてよくある話ですが、平日の睡眠不足を解消すべく、休日は寝だめしがち。起きたら夕方なんてザラ。
休日出勤がいつ発生するかわからないから、土日の予定を組むのも億劫になりました。
※要領良く立ち回れる人は、日曜は絶対に出勤しないで済むように調整がデキるんだと思います。仕事ができない人や、仕事を優先しなきゃ!なんて真面目脳な人は、休日出勤の罠にはまりがちです。
私の場合、仕事以外の事柄に対する自信がどんどん減少していきました。
美容院に行く時間がないから、買い物に行く時間がないから、化粧する時間がないから、外見に対する自信がなくなりました。
不規則な生活が続いたため肌荒れやむくみも慢性化し、同じく外見に対する自信がなくなりました。
同世代の女の子がSNSに手料理の写真をアップしているのを横目に、自分は自炊する時間がない(そもそもスーパーが開いていない)という引け目を感じ、女子力というものについての自信がなくなりました。
まれに合コンに行っても、相手が公務員で18時には帰宅するなんて知ってしまったら、あまりの生活リズムの差に「住む世界が違う…」と引け目を感じ、恋愛に対しても自信を失いました。
万が一、相手が自分に好意を持ってくれていたとしても、こんなに仕事ばかりしている自分は嫌われる…と勝手に被害妄想を抱き、恋愛に対してかなり消極的になりました。
そもそも恋愛に対して消極的なので、結婚なんて夢のまた夢だったんですが、別の観点から。
職場の同僚の男性は既婚者も多かったのですが、当然同じように激務なので、帰宅時間が遅かったです。
門限が朝の5時なんていうトンデモ男子も存在しました。(奥さんが仕事に行く前には帰って来いというパターン。)
そんな生活を当たり前のように何年も続けている男性が多く存在しました。
そういう男性ばかりを見ているから、男の人ってみんなこうなのか的なある種の洗脳みたいな感覚に陥りました。そんなはず、ないのにね。
自分の夫もこうだったらいやだなという思い。
それから、仕事とかこつけて浮気やら風俗やらをこっそり楽しむ人が多かった。
いつも浮気しているわけではなくて、8割はガチで仕事で深夜、たまの2割が浮気。みたいにうまく立ちまわる器用な男性を目の当たりにして、男の人は平気で嘘をつける生物なんだと学びました。
※もちろんこんなのはきっと少数派だとおもいます。でも、会社に属していた時は井の中の蛙状態だから、判断できなかった。
ゆっくり湯船に浸かって、
寝る前に好きな小説を読み進めて、
こんな生活に憧れます。こんな時間を毎日過ごせるとしたら、すごい贅沢だと思います。平日も自分の趣味の時間をとれるなんて、考えられない。
自分が仕事をしている間、同世代の一般的な社会人が一体何をして過ごしているのかがわからない、という事実に気づいた時、とても怖くなりました。
自分でご飯をつくる時間なんてないし、そもそもスーパーが開いていないのは前述の通り。
会社の近くに家庭的な定食屋があるのですが、ランチはたいてい14時までなので、間に合わないことが多いです。
夜は帰宅が深夜になることがほとんどなので、夕方にお菓子やカロリーメイトで済ませてしまう。
だから、たまに食べる家庭的な手料理(友達が作ってくれたり、実家のごはんだったり)のおいしさに心底感動できるようになりました。
平日無理なら、土日に料理すればいいじゃん!とたまに思い立ってやったりしてましたが、いかんせん一人暮らしなので、土日に作ったお惣菜を次の1週間で消化できないんですね。弁当にしろとか色々方法はあると思いますが根っからのズボラ体質なんだと思います。
昔は料理大好きだったのですが、激務で時間と心のゆとりがなくなると、料理に費やす時間を無駄だと感じるようになったことも大きな変化でした。調味料とか揃えても使い切れずに賞味期限がきてしまうので、スーパーで出来合いの惣菜を買ったほうがコスパもいいし、早くて楽、という考え方から抜け出せなくなりました。
激務で肌はボロボロ、運動する時間も気力もないと、どんどん衰えていく肉体。
エステに行けば、寝っ転がっているだけでピカピカになれるので、どんどんハマりました。
運動と違って表面コーティングみたいなものだから、効果は一時的なんですけどね。
美容院も、行きさえすればいい気分になるんですが、2時間鏡を見ていなきゃいけないことに苦痛を感じて足が遠のきがちでした。
激務に慣れてくると、失敗しても死ぬわけじゃない。命をとられるわけじゃない。というギリギリすぎる自己肯定思考で乗り切るようになりました。
徹夜明けの朝日の美しさや、何十時間ぶりにベッドに横になる快感。
例えば温泉に入って「ふ〜極楽極楽」という生きていてよかった感とは正反対の、「地獄から抜けた」的な生きていてよかった感はしばしば味わいました。
食欲がなくても、肌がボロボロでも、命はとられなかったという安心感を日常のなかで感じていました。異常だったと思います。
過労死って本当にあるんだ、と感じました。
幸い、自分の身近に過労死をする人はいませんでしたが、激務が続くと、座っているのに謎の動悸が止まらなかったり、揺れてないのに「あれ?地震?」と感じたり、ずっと自分の携帯の着信音の空耳に悩まされたりと、身体の異変はたくさん感じました。
中でも一番怖いと思ったのは、自分の脳がきゅーっと萎縮しているような感覚の頭痛に襲われること。徹夜が数日続くと確実に発症してました。
この頭痛を体験してようやく、あ、死ぬな。と危機感を覚えました。
達成感の大きな仕事、やりがいは実際にあった。だから激務でも乗りきれていました。
でも30も過ぎて、踏ん張りがきかなくなって、ようやくこの現実から逃げてもいいんだと思えるようになりました。
やっと恋愛に対しても前向きになってきました。
でも、私はもう妊娠できないかもしれない。
このエントリーを読んで、どうしても萌え絵フォビアについて言いたくなったことがあります
http://anond.hatelabo.jp/20151203015340
それは「一部の女性は母親、特に娘のいる母親になると、一部の萌え絵を嫌いになる」ということです
うちの母と友人がそれでした
しかも彼女らはギャルゲーなどソフトな男性向けコンテンツも楽しむような元オタクです
親になってから子供を傷つけそうな大人、例えばロリコンを許せなくなった
吾妻ひでおの描く女の子は子供に見えるので、吾妻ひでおのエッチな漫画がロリコン漫画に見えるようになった
だから吾妻ひでおの漫画、ひいては頭身の低い幼児体型の萌え絵が嫌いになった
例えば、まどマギの頭身と体型はアウト、けいおんの頭身と体型はセーフ
また、頭身があっても10代の女性キャラが男性に媚びるような描写やパンチラにはドン引きする
例えばけいおんだと、あざといけど小動物的なかわいさが目立つうんたんはセーフ、萌え萌えキュンはアウト
ジブリアニメだと、男性に媚びない思い出ぽろぽろはセーフでパンチラだらけの魔女宅はアウト
友人は、子供が生まれても「かわいい」「ほっこりする」と言って非オタの旦那に隠れて萌えアニメを見ていた
ある日2ちゃんねるのまとめサイトを見ていて、10代のキャラに欲情する男たちの存在を再確認した
しかし学園ものの萌えアニメを見ながら「うちの娘もいつか学生になるのか」と感慨にふけっていたところ、そのキャラを性的な目で見る男たちを思い出した
そして自分の娘も男性から性的な目で見られる可能性にも気づいた
それ以来、10代の萌えキャラが好きな男たちと成長した娘を性的な目で見る男を重ねてしまい、萌えアニメを楽しめなくなった
母も友人もオタクでしたが、母になったがゆえに萌え絵フォビアになりました
初めに断っておくが、これは無課金であることを誇るような内容の話ではない。
むしろ、無課金ユーザーは損ばかりであるということを主体とする文章だということをご承知いただきたいと思う。
さて、頭から自慢話になってしまうが、私は世間的にはある程度知られているであろう私立の中学、高校、大学を出ている。
学校での成績は並以下だったが、幸運にも各受験には大失敗をすることなく、キャリアをこつこつと組み立ててきた。
そのような私が、数学の楽しさに出会ったのが大学4年生のことだった。研究室の誰もが知らなかったような事実をゼミで発表し、教授に褒められたのだ。
ハマってしまうと止まらない性格の私は、「堅物教授に褒められる」という快感をふたたび味わうため、数学に熱中する。
残念ながら大学の成績はお世辞にも良いとは言えなく、おかげで推薦が取れなかったため、外部受験扱いで大学院に合格を果たした。私にとって大学院はそこまでして入りたったものだったのだ。
あの頃までは、まあまあな人生だったと思う。
私がソーシャルゲームに出会ったのは、そんな大学院の修士1年のことだった。
我が子に最低でも「院卒」という肩書きが付くことを手放しで喜んだ親からスマートフォンをプレゼントしてもらった、その矢先のことだ。
修士2年の先輩から「これ面白いよ」と紹介されたソシャゲ。「紹介した人もされた人も特典があるからやってみて」と。
具体名は敢えて挙げないが、まあネットユーザーなら知っているタイトルだと思う。確か当時はCMもやっていたハズだ。
ここから先にいくつか具体的な内容が書かれていくので、それでピンと来る方はいるだろう。ただ特定ゲームの中傷がこのエントリーの目的ではないので、詮索などは避けていただければ幸いである。
私は、それに熱中する。
ちょっと前まで数学に熱中していた私は、今度はその小さな箱から発せられるきらびやかな世界に大いにハマっていく。
気が付けば、大学院をやめていた。
家族は私に落胆した。当然だろう、「院卒」どころかこれでは「中退」の肩書きだ。
恐らく読者の方も落胆しているだろう。私も自分に落胆した。
その頃私のデータはある程度のレベルまで上がってきており、その後開催されるゲーム内イベントも目白押しだった。私は今後のイベントのことを考え、完璧な計画を立てた。
例えば、魔力。これは人間で言うところのいわゆる体力のようなものに相当し、クエストを行うことによって消費し、ほっとくと回復する。基本的には、どのソシャゲもこのシステムが採用されている。
このゲームの場合は魔力は5分に1だけ回復するのだが、クエストを始めるとまたタイマーが回復する前の5分前からに戻される。つまりどういうことかというと、「残り2分で1回復」と表示されているときにクエストを始めると、そこまでに消費された3分間がムダになってしまうのだ。「残り1秒」のときにクエストを始めてしまってはもう目が当てられない。あと1秒で回復できたところを、みすみす魔力1だけムダにしてしまうのだから。
そういう感じで、当時の私は自分に「魔力消費は残り時間4分30秒以上のときのみ」「余計なガチャ(戦力となる精霊が手に入る)は引かない」「魔力が全快するので、レベルアップは確実にゼロにしてから」「クリスタル(いわゆるゲーム内のお金、課金者はこれを現実世界のお金で買っている)は100個になるまで手を付けない」など、いくつかのルールを課してプレイしていった。
当時の私は、大学院中退の原因はソシャゲだけではない、教授とソリが合わなかったからだ、と思っていた。
いま振り返ると、あの1年は一日中ベッドでゴロゴロしながらレベルアップと魔力消費の作業を繰り返している姿しか思い出せない。そんなことをしているくらいならパワポのひとつやふたつ作って発表しろよと、当時の私に強く叱責したい。したいが、もう時は取り戻せない。
そんなこんなでフリーター生活をしながら仕事のようにソシャゲをしていた私だが、もちろん熱中している以上、確実に飽きるときは来る。
しかしここら辺が企業努力の素晴らしいところで、あの手この手でバージョンアップを仕掛けて我々ユーザーを手放さなかった。大型アップデートを執拗に仕掛けてきたのだ。
中でも印象深かったのが、魔力関連のアプデだ。これまでは5分で1回復のところを、なんと3分で1回復にします!というものだった。
さすがにこれには参ってしまった。もはやソシャゲを遊びではなく生業の類いのものとしてプレイしていた私にとって、魔力の消費は仕事の一貫だった。当時の私の魔力マックス値は140ほど。つまりひとたび魔力を空にしてしまえば、半日ほど放置できたのだ。
それがこのアップデートにより、最長でも7時間で私のスマホに全回復の通知が表れることとなる。これは言い換えれば、どんなに長くても7時間しか寝られないということだ。
土日寝溜め派の私にとってこれほどツラいことはない。この日から、0時に一旦魔力を使いきったら素早く6時30分に目覚ましを掛けて寝、目覚ましの音で起きたら素早く魔力消費。そのまま二度寝する…という生活が始まった。
こうなると仕事のときも大変だ。就業時間が基本的に9時間を超える仕事に就いている関係上、ソシャゲをする時間を作らないと魔力が最大値を超えて溢れ出ていってしまう。魔力マックスのまま1時間が経ってしまえば、イコール魔力20の損失なのだ。
よって、休憩時間は仕事よりもっと大事な「仕事」の時間となる。すぐさま松屋に駆け込み、1時間を掛けて魔力消費。
しかし同僚が松屋に入ってこようものなら「やあ最近どうよ」なんて世間話をしなければならないため、皆がご飯を摂らない16時とか17時にしれっとスマホ片手に出ていって昼休憩を取るのが日課となっていった。
このようなソシャゲに縛られるような生活スタンスは、すべて「自分のような無課金人間でも、課金者に勝つことは可能なのだ」という理念を現実にする為に編み出したものだ。
そのせいで一時は上司との飲み会の際ですらケータイを片時も離さずプレイしていたくらいだから、いま思うととんでもない。
それが、つい先日。
ガチャ1回当たりのクリスタル消費が少なくなるキャンペーンが始まった。それを20回ほど引いてみたところ、大ハズレも大ハズレ。今期間の目玉となっている新精霊どころか、「まあギリギリ使えるだろう」というレベルの精霊ですら一体たりとも出て来なかった。
それで、私の中で何かがプツンと切れてしまった。
それ以来、このソシャゲは一回も起動していない。
いつかはやめるときが来るだろうと思っていたが、こんなにあっさりやめることになるとは思っていなかった。
無課金だからこそのドライさなのだろうか。ケータイが7ギガ制限を超えてロード時間がいつもの倍以上になっていたのもあるかもしれない。
何にせよ、後腐れないとはこのことなのだろうなと、我ながら感心してしまった。
私がソーシャルゲームをやめてから数日が経つが、本当に時間が増えた。
本を読む、ほどよくゲーム(ソシャゲではなく)を嗜む、資格の為に勉強をする。もちろんこのエントリーを書く時間だってそうだ。
ソシャゲをやっていたらいまごろ、そろそろ寝るかいやしかし魔力がなどとぶつくさ言いながらソフトを起動している頃だろう。
ところで、ソシャゲをやっているこの数年間、どうも語彙力が落ちた気がしている。
後輩に仕事の説明をするときなどに、うまく伝わらないのだ。自分でもしどろもどろになっているのが分かるほどに、イメージの言語化、アウトプットがうまく行かなくなっている。
ソシャゲ特有の単純作業ゆえまったく左脳を使っていなかった障害だと、いまになって思う。それまでは読書が趣味のひとつだったのだが、この2年間はというと一冊も読んでいない。移動時間はすべてスマホと向き合っていたせいだ。
本を読むことの大切さが身に沁みて分かった。
私も先述しているが、無課金者はよく「重課金者には負けたくない」という旨の文言を吐く。しかしこれを実際に体現しようということになると大変だ。
するとどうなるか。私のように他のものに掛ける時間を犠牲にして打ち込むしかなくなるのだ。
お金は、遣えばなくなる。だが同時に、増やせもする。消費したお金は、お小遣い、アルバイト、仕事などでいくらでも取り戻せる。
だが時間は、取り戻せない。時間とは、全人類に平等に与えられた唯一無二の存在だ。1年 経てば必ずみんなひとつ歳を取る。そして、その時間は返ってこない。例外はない。
しかし、「時間」としては返ってこないが、「成果」としては返ってくる。それは高校3年生であれば大学の合格通知だろうし、社会人であれば頑張った分だけの給料アップだ。私の場合は、およそ80のレベルアップと図鑑3000体コンプリート達成報酬だった。なんと馬鹿げたことだろうか。
そんな当たり前のことを、無課金で課金者に勝とうとする人たちは忘れている。確実に、忘れている。
そしてもっと残念なことに、課金者に負けたくないと願う無課金者の努力はほぼ報われない。それを私は身を以て知った。
私自身、このゲームの中では無課金者としては恐らくトップクラスの実力者だっただろうと思う。それほどまでに綿密に計画を練って、このゲームに取り組んできた。
しかしそれでもクリアできないクエストは存在したし、全国大会ではほとんど最上位には入賞できなかった。
このことは、覚えていてほしい。
ここまで自分の人生を書いてきたが、そんな私のことをクソ人間と罵る方もいるだろう。その意見に関してはまったくの同意だ。なので、別に構わない。
しかし、私と同じことを考え、私と同じようにソシャゲを「仕事」にしている人間は、数多くいるハズだ。
そのような人々に私はひとつだけ伝えたい。
時間は取り戻せない。
いやしかし、まだ遅くはないはずだ。
時間をムダにするな。
私の現状を知っている人から「これお前のこと?」と連絡が来ました。Twitterで。
こういうのを書くなら匿名掲示板的なところだろうと思い立ち、初めて匿名ダイアリーとやらに投下してみたのが一昨日の夜のこと。それが反響を呼んでいるとのことで、嬉しいやら申し訳ないやら恥ずかしいやら、なんだか複雑な心境です。
反応を各所でさらっと確認したのですが、これだけ多くの方に読んでいただけるとは思っていなかったのもあり、確かに言葉足らずだったなと反省する箇所が多々あります。なので、後れ馳せながらここに補足させていただきたいと思います。
匿名ダイアリーって追記とか普通していいものなのだろうか。追記するときはタイトル変えちゃっていいのだろうか。本文と追記でちょっと文体変えて書いちゃってるけどニセモノだと疑われたりしないだろうか。
まず、いろいろ拝見させていただいて最も目についたのは、単純に「長い」という感想でした。
しかし、これに関してはごもっともだと思います。実はこの点に関しては初めから狙っていまして、非常に端的な結論をさらに際立たせる為に、敢えて長文にしています。
自分の「本丸は外堀をしっかり埋めてから攻めたい」という性格上、これ以外の表現法が思い付きませんでした。
またこれに付随して「当たり前のことしか書いてない」「上から目線かよ」的なご意見も多かったです。誤解を生んでしまったことをお詫び致します。
ですが、そう受け取られた読者の方は恐らく例外なく、時間の大切さをちゃんと知っている方なのだろうと思います。
私はそのようなことですら知らなかったため、これに気付いたときにはカルチャーショックに近い衝撃を受けました。
それを誰かに伝えたくて書いたのが、本稿です。そして、伝わる方はきっといると願っています。
それと、別にソシャゲは悪だの無課金者は被害者だのと論じたいのではありません。それだけは決して違います。
物事は適度に楽しむのが一番なのではないか、ということが言いたかったのです。
ただ同時に、我が身を犠牲にして何かに没頭することは悪いことではない、とも考えています。
この2つの事柄は矛盾するようでしていないと思っています。ちゃんとした答えは自分の中でも出せてはいないのですが。何か良い答えがあれば、教えていただけると嬉しいです。
最後に、ちょこちょことエントリー内の矛盾点をご指摘なさる方。そのような指摘があるとは夢にも思っていませんでした。正直驚いています、洞察眼に感服です。
おっしゃる通りでして、実はわざと小さな嘘や脚色を少しずつ混ぜています。もちろん、身バレを恐れてのことです(でもTwitterであっさり見つかってしまいましたが…具体的すぎたか…)。
そういうワケなので、これ以上の詮索などはなさらないよう、いま一度よろしくお願いいたします。
ではご飯が炊けた音がしたので、この辺で失礼いたします。
http://anond.hatelabo.jp/20150311221236
を書いた後、結局母親と一緒に夜逃げっぽく実家に戻って、バイトもしつつ浪人して大学いけりゃなって感じで難しいけど思ったりしています。
んでもって聞きたいのは、「マルチ商法」って儲かるんですかね?ていうことで。ここ数か月で知ったのが、父親はけっこうな借金をどうやら抱えてたっぽく、実家に逃げたあと父親充てにとどいた借金の催促状をすごい見たので、これ返すために父親がマルチに嵌ってしまったのかねみたいなことを考えてしまうんですよ。前の家にいた時も電話とかが普通に止まっていてその辺が当時はピンと来なかったけど、要は金がなかったよってことなんだなあと。
前のエントリーで父親が怖いみたいなことを書いたけど、父親がその借金を返すために頑張ってマルチ商法をしていたんだろうか。まあ結果から言えばダメっぽかったんだけどさ。
ボットでも人気エントリーや特定ジャンル追うやつは有益な使い方もできるんだが、
1つとかなら自称情報発信者かなって理解もできるんだが増えすぎ。なにかの予兆かなと思える。
傾向としては、
・現時点で2000以下のブクマ数かつお気に入りとお気に入られ数が少ない新規アカウントっぽい。
・Twitter連携しているが連携先Twitterもほぼ新規アカウントで他プライベートな事が書いてない。
・ブックマークした時間がほぼまとめて区切りごとにブックマークしてる。RSSフィードを見るとわかりFirefoxのRSSプレビューが簡単。
・珍しくアイコンが変えてあったりする。
・新旧両方のブクマページを使っている。
・なぜか今までそのはてなカテゴリにいなかったのに突如出没してる。
特に最後の人気エントリーとかでなく特定カテゴリの新着見てる人だと、
いきなり湧いてきたように感じるのでわかると思う。
追記
ちょっと書き方がわかりづらかったようなので補足。
特定カテゴリばっかり見てる人がその新しいアカウントに気づきやすいのであって、
なので有益なジャンルボットじゃなくて新着にも沸き、カテゴリ関係なく出てくる感じなの。
http://b.hatena.ne.jp/entry/271311936
http://b.hatena.ne.jp/entry/271761858
http://b.hatena.ne.jp/entry/271435969
http://b.hatena.ne.jp/entry/271438086
http://b.hatena.ne.jp/entry/271664394
見慣れない気になる人のブクマ一覧ページRSSでブクマ時間わかるからボットだとは思う。
上のURLで上げた怪しいアカウント4名は、エントリーページRSSを見るとほぼ同時刻にブクマしている。
ここから先は過去の話で関係ないけどこういうのもあった。もう活動してないっぽいけど。
http://b.hatena.ne.jp/entry/241296681
http://b.hatena.ne.jp/entry/241778739
http://b.hatena.ne.jp/entry/241933557
http://b.hatena.ne.jp/entry/242102650
俺、お気に入り対象決めるのに、昨日の自分がブクマしたエントリーページ見直す癖あるから気づきやすいんよ。
これはある種嫉妬ではあるが「暗黙のルール」を破ってPVをかせぐのはいかがなものかというもの。
「暗黙のルール」が正しいとは言えないが。
特にブックマークをするより見るほうに重きを置いている人の不満。
さらに言うと新着エントリーをRSS登録してしまうようなはてぶジャンキーだ。
新着エントリをRSS登録するとガンガン互助会ブログが流れてくる。
人気エントリだけ見るようなライトな利用者やお気に入りとかその他のツールを使ってカスタマイズする人とは比にならないほど互助会の影響を受けることとなる。
たくさん流れてくるブログが毎度同じメンツで同じような肯定的なブクマされているとそれはストレスがたまる。
ブックマークを見るというよりはブログの延長線上で使っているはてなブロガーはいまいちこの感覚がわからないのかもしれない。
はてなブログがはてなブログ以外よりも新着エントリに上がりやすい状況というのははてなからすれば必要なことではあるだろう。
だがはてなブログをはてなブックマークにより集客しやすくし、はてなブログ人気を高めるということは、ある種はてなブックユーザーにしわ寄せが行くことを許容しているとも言えないだろうか。
はてなブックマークを見ることに重きを置いている人は別にはてなブログに限定せずに面白い記事を見たいはずだ。
はてなのサービスにハテブがつきやすいのは今に始まったことではない。
しかしその度合いが強くなってきたら反発は強くなる。
特定のサイトを非表示にできる機能が銀の弾丸といえそうだが難しいのだろうか。
その方面に明るくないのでわからないが技術的というよりリソース的な問題なのだろうか。
ユーザーごとに異なるページを生成するのはなんだか負荷がかかりそうだし。
互助会をしていてもそのうち効果が弱くなるとか、実は新着エントリにのってもPVはあまり増えないとかアフィリエイトも儲からない、だから放っておいてもよいのではという意見もたまに見かけるが、それはブロガーとして互助会を見ている意見だなと思う。
はてなブックマーク閲覧者の立場から見るとそのブログが新着入りの恩恵を受けていなくてもはてなブックマークのRSSには毎日流れてくるという状況が問題なのだ。
まあやり方は違うけど目的は達成できると思うよ。