はてなキーワード: 関西とは
特定は簡単だろうがある関西の皮革産業が盛んな地域、正確に言うとその隣の町(挟まれてるとも言える)の会計事務所に勤めていた。
自分は東海地方で生まれ、進学で関西へ、そのまま関西で就職した。なので部落は単なる集落としての意味しかしらず、不勉強なこともあり同和地区の意味も分からなかった。
入社して3年目だったと思う。ある日その地域に登録している税理士がある依頼の為、一斉に税務署に集められた。
その税務署からの依頼は3年待つので正常な申告をするように皮革業者を指導して欲しいというものだった。その地域に住んでいる者にとっては常識らしかったが、皮革業者はまともに申告はしていない。業者は皮革組合に今年度はなめし皮製造業であれば何枚作ったか、裁断などの加工業者も何枚削ったかによって枚数×単価で消費税を納め、所得税はその枚数×単価で売上を決め、あとはいくら払うかを先に決めて、決算書及び申告書を“作文”していた。そのような特権が認められ、当然ながら納税額は10分の1以下という状態だった。
それが何のきっかけはわからないが3年後には正常にするようにと税務署が通達してきた。これは3年後には税務調査に入りますよ、その際不正があれば税法に則って指摘しますよ、という予告を意味していた。実際に3年後に比較的大規模な業者に見せしめ的に税務調査が立て続けに入っていた。
東海地方で生まれた自分にとってはまるで別世界のような出来事であった。聞くところによれば、つい最近まで部落出身者には小中学校においても放課後に特別な授業があり、教室に残されていたらしい。
どのように正常化していったかは長くなるので割愛するが、脱税のおかげで皮革業者はみな大金持ち。その地域の幹線道路沿いの大型店や全国チェーン店の土地の所有者がほとんどその業者の社長だ。(確定申告で分かった)
今日の朝日新聞に出た記事を見ていろいろ思い出してたの書いてみた。
業者の社長の年代は結婚も同和以外の地区では難しかったらしいが、息子の代では大分薄れてきていたらしい。その会計事務所を5年前に退職したが、今はより薄れてきているではないだろうか。
関西の方の知り合いが突然「リライフなんたらの認定資格を取って、コーチング事業を始めたので悩みとかあったら相談してね!今ならコーチングセッションが1時間3000円のお試し料金だから!」と言って来た。
そこまで仲良いわけでもないし、意味がわからないので無視してたんだけど、最近やっとわかった。
こいつは怪しい宗教にハマったんだ。
つまり、「仲間」「夢」「ポジティブ」とか言う単語を使って人を集め洗脳して、セミナー料金と言う名のお布施を集める。こいつはいいカモになるとなれば、認定資格という名の位をあげてそいつにさらに布教をさせる。やってることはまんま宗教。いわゆる自己啓発セミナーってやつだ。
「愛される人間になるキラハピセミナー 参加費5000円」とか言われても俺はドン引きなんだけど、本人達はすげえ真面目にやってる。コーチングって怖い。
Twitterで「もし京都が東京だったらマップ」が回ってきた。
私も「こことあそこって雰囲気似てるなぁ」と感じることはあるし、それを見事に可視化した力作だと思う。
しかし。
これでは片手落ちと言わざるを得ないのだ。
私が主張したいのは結論から言うと、「京都も大阪も単体では都市として不完全である」ということ。
別に東京を模範にすべきだとか基準として正しい、と言いたいわけではない。そもそも何が悲しいて関東なんかにあてはめられなあかんねん。都市の構造として歪なのが京都と大阪なのだ、と言いたいのである。
普通、その地方の一番の難関校——つまり研究機関として多大な影響力を持っている大学——は、東京の東大、仙台の東北大、九州の九大といった風に地方の最大都市に置かれている。博物館や美術館に関しては、大規模なものは関東なら東京にしかない。都市としてのブランド力も抜けている。北海道と言えば札幌、東海地方なら名古屋、それぞれ明らかに同地方の他都市に比べて影響力がある。また、経済の中心地も同じ都市に存在する。札幌も東京も名古屋も福岡も金融センターを持っており、本社機能・支社機能をそこに置いている会社が多い。
最難関校は言わずもがな京大であり、東大と共に日本の双璧を担っている。国立博物館や国立近代美術館も京都にあり都市のブランド力は日本中を見回しても別格である。大阪があまり良くないイメージを持たれるのとは対称的だ。
(大証は無くなったが)近畿一円の金融センターは大阪に集約されているし、本社機能、関西支社の本部は大阪が圧倒的に多い。また大阪は芸能も盛んであり、テレビによる発信力が大阪にはある。京都の放送局は独立放送局のKBS京都だけである。
そう、京都と大阪は他地方では一つの都市が担っているはずの機能を分担して持っているのだ。アカデミアや権威的な部分は京都へ。商業的、経済的な部分は大阪へ。普通ならその全てを受け持つ都市が地方ごとに存在しているのに、近畿だけは二分されている。
これを理解していない人々は京都にも大阪にも多い。というかほとんどの人は理解していないからこそ大阪は「単体で」(国による優遇のある)東京と張り合おうとして負けたのだろう。
この地図は、その分担された都市・京都を東京に当てはめている。
もちろん試みとしては非常に面白いが、前述の通り京都は単体で成り立っているわけではなく大阪とセットで初めて語ることが出来るのであり(逆も然り)、東京のような、あるいは名古屋や福岡のような「地方の核としての全ての機能を受け持つ」都市ではないのだから、「片割れ」に「全体」を無理やり当てはめても何の意味も無いのだ。
京都と大阪を合わせて初めて東京と比較可能な都市になる。単体で比べても真の姿は見えない歪な都市。
だから、梅田は新宿であり、難波は渋谷であり、四条河原町は池袋、京都駅は上野、新大阪は品川であるというのならまだしっくりくるのではないかと思う。その間に多摩(両府下)が挟まっている。池袋が埼玉県民に支えられているのと同様に、京都の繁華街は京都人だけでなく山科or京都駅で地下鉄に乗り換える滋賀県民に大いに支えられている。
この特殊な構造は歴史的な要因があって出来上がっている。発展の為にはトップダウンが最も効率的で、地方の核都市への一極集中はそういう点では良かったのだろうし、実際九州も東海も地方全体としては人口が減少しているにも関わらず福岡や名古屋にはまだまだ勢いがある。それは全ての核となる機能をそこに集めているからこそ可能なのであり、近畿が日本で唯一不可能なことなのだ。叫ばれて久しい関西経済の地盤沈下は、大阪の権威不足も一因だろう。
だが、この近畿の特殊な形にも良い点はある。多様な価値観を容認できる、いや、せざるを得ないということだ。仮に大阪が札幌や東京や名古屋と同様に全ての機能を担っていたとしたら、大阪の経済自体はここまで停滞していなかったかもしれないが、大阪的価値観が絶対であるという姿勢がテレビ局などのメディアを通して関西一円に広まり、関西の文化は全くつまらないものになってしまっていたはずだ。
関西経済の発展には、京都と大阪がセットで初めて機能するということを理解しているリーダーが必要であり、またそれに応じた施策が必要になる。それが大阪の政治を握るおおさか維新の会なのかはたまた別の政治勢力なのかは分からないが、このことを肝に銘じて政治を行ってほしいと思う。
大阪は言わずと知れた関西最大の都市であり、奈良や京都と並んで歴史のある土地だが、
「大阪出身の偉人といえば?」と言われると意外に思い浮かばない。
しかし「大阪を代表する偉人は福沢諭吉です」というのもなぁ、という感じがする。
江戸時代、元禄文化からは井原西鶴や竹本義太夫などが思い浮かぶが、どうもパンチが足りない。
有名人の宝庫である戦国時代でも、有名なエピソードといえば大阪冬の陣・夏の陣くらいのもので、
もちろん豊臣秀吉も真田幸村も大阪の生まれではないし、秀頼では駄目だ。
戦国時代では他に、顕如、荒木村重、高山右近など…いずれも知名度が致命的に欠けている。
千利休!
これは良い線なのではないだろうか。
茶道の大成者であり、豊臣秀吉を通して戦国史にも多大な影響を与えた。
楠木正成!
ビッグネームだ。
戦前の大楠公ageの反動で最近は影が薄い気もするが、それでも知名度は高かろう。
日本史的には超有名人だが一般的な知名度はどうか。それとやはり出生地不明。
というか河内源氏は河内を捨てて鎌倉なんぞに行きやがったからな。
ということになるのではないか。
最近でこそネットでデータ比較して右翼のほうが学歴も所得も高いとかいう話も見るようになったけど
俺は昔から右翼のほうが高学歴じゃないかなって思ってたんだよね
これから書くことは感覚でしかなく、根拠は俺がそう思うからでしかないんだけど
なんでそう思うかって、知ってる東大生そのほか高学歴な連中がみんな右翼的だったから
京都大学とか関西方面の大学、あるいは地方の旧帝大や国立医学部がどうなってるのかは知らないけどね
でもよくよく考えると当然なんだよね
とはいえ、そこはまぁ高学歴ですから、表向きけっこういい感じに隠すんですよええ
でもまぁ2ちゃんねるとか見てくださいよ
これが国とかになったのが右翼だとしたら、高学歴なひとこそ大好きでしょうねきっと
国際競争でかつにはとかほんといろいろなんか
http://anond.hatelabo.jp/20151201143130
メールを受け取った私がまっさきに行ったのは、ムダ毛周りの処理であった。
風呂には入り終わっていたし、施術の前にも入ることになっていると言うが、毛については自宅で処理をしていくほうが賢明だろう。
忘れちゃいけない脇の下も処理。
どこをどれだけどうされるかはわからない。
施術者をげんなりさせる要素はひとつでも減らしておきたいではないか。
ムダ毛を刈りつつもメールのやり取りを数回行い、1時間後に最寄りの駅で待ち合わせ、ということになった。
そこから車でラブホ(ファッションホテルという呼び方はいまだに馴染めないものを感じる)へ向かい、めくるめく春の世界へ、というわけだ。
殺されるかもしれないと少しだけ思ったので、ノートPCをつけたままにし、マッサージ店のサイトを開いておいた。
そしてふと思い立ち、はてなのアカウントを作り、今から出かける旨を書き記した。
リアルの身分をトレースされないため、バッグの中には必要最小限のカードしか入れていない財布と、がっちりロックしたスマホと、部屋の鍵、ミンティアだけをぶち込む。
そしてコンビニへ向かい、ホテル代込みのゆとりを持った予算3万円をキャッシングする。
性のためにこんなにもお金を使うのははじめてだ。
(ちなみに、今までのエロへの最大支払い額は、官能ドラマ的なものを聴くダイヤルQ2に払った8000円程度である)
「はじめて」。
駅に向かうバスの中でしみじみ思う。
本当に好きな女の子とヤレるか、というのはお金の問題ではないかもしれないが、好みの容姿の若い女の子に中出し、くらいであればソープで10万も払えばイケるのではないだろうか。
私の定番オカズAV(しかもサンプルを使っている有様だ)「しろうと関西援交」など、ピチピチ女子高生2名を一気に買い、ひとりに挿入しつつももうひとりにアナル舐めをさせるという幸せそうなことを当たり前のようにやっている。
しかし、アーイグイグ~~とうめく映像の中の彼はとても気持ちが良さそうだし(その声が大変にヌケるのだ)、あれがリアルな援交なのだとしても、きっと1人につき5万も払ってはいないように思う。
羨ましい。
私も若い女にチンポをハメてみたい。
処女を優しく、かつ荒々しく奪い、キツいマンコに耐えきれず中出しなどしてみたい。
私にそれをしたあの親指チンポの彼のように(中出しではなかったが)。
若い童貞ならどうだろう?
お金を払えば買うところまでは行けるかもしれない。
ただ、買った男の子が私に勃起してくれなくては全く意味がなくなってしまう。
ホストなどでもそれは同じことだ。
「私に欲情して」というようなことを書いた作家は誰だっただろう。
まったくもってそれなのだ。
私が好いた誰かに欲情されて、イかされたい。
だって私が触れてきたエロメディアの女性達はそうだったのだから。
好いた誰か、は諦めた。
欲情される、なんてこの年齢と顔と体ではおこがましい。
イかされたい、が最後の砦といえた。
待ち合わせの駅に着くと、少しだけ雨が降り始めていた。
「到着したらメールします」と知らされていたが、メールはまだ来ない。
手持ち無沙汰に、普段のようにTwitterを、LINEを見て、何気ないツイートや、返信をする。
ここで「今から回春マッサージしてくるよ」と入力したら私の何かが変わるだろうか。
最後の彼には連絡してみようかな。
思わなくもなかった。
そこにメールが届く。
「自販機の前に着きました」
小さくて丸っこい車がそこに待っていた。
車内はよく見えない。
「あ……トウヤマです」
メールで名乗った偽名を告げる。
思い切ってその丸っこい車のシートに身を委ねた。
なぜマッサージを呼ぶことにしたのか、その経緯などを話した気がする。
おそらく私は饒舌だった。
オッサンも饒舌であった。
そう、回春マッサージの施術者は、おそらく50代くらいであろうオッサンであった。
小柄、メガネ。不潔そうではないが清潔とも言い切れない。
私が「今日の予約がダメなら縁がなかったと諦めるつもりだった」と告げると、たまたま今日に限って「通常の」マッサージの常連からドタキャンがあったため受けたのだと言われた。
日頃から「持ってる女」だと自負していたが(ならなんでイケないのか?きっとそれは多分、別問題だ)ここでそれを発揮するとは思わなんだ。
車は、オッサン推薦のホテルに滑り込む。
うっすらと見覚えのあるホテルであった。
週の頭にしては混みあっているそのホテルに、空室は3つしかなかった。
5000円代の部屋は安いのか高いのか。
今まで数多のラブホに入ってきたが、値段はあまり意識せず部屋を選ばせてもらっていたなぁと申し訳ない気持ちになりつつ、もちろん選んだのは安い部屋である。
小さなエレベーターに乗り込むとき、少し身体がこわばるのを感じた。最後の彼に、よくエレベーターでキスをされていたからだ。
しかし当たり前のことだが、オッサンが私にキスなんぞするわけがない。
自分の警戒心に苦笑しつつ部屋に入る。
激しい既視感が駆け抜けた。
この部屋、入ったことがある。
厳密に言えば全く同じ部屋ではないかもしれない。フロアが違うかもしれない。
でもこの内装は見覚えがあった。
最後の彼と1度来たことがある。
この部屋でしたセックスも思い出せる。
一緒にサッカーを観た帰り。デブの私がレンタル衣装を無理やり着て、制服プレイをした部屋である。
………つくづく「持ってる女」だな、私。
一気に覚悟が固まった。
冷蔵庫からサービスの水ペットボトルを取り出し、ひとくち飲む。
車の振動でまたマンコが濡れていた。
下着はつけておいて下さい。
そう言われたのでガウンの下にはブラジャーとパンツをつけてあった。
ベッドにうつぶせになるように促すオッサンに従い、ラブホの大きなベッドに横になる。
他の女性専用マッサージはどうなのかわからないが、このオッサンの手法は普通のマッサージを施したのちの性感マッサージなのだという。
罪悪感が軽減される、いいシステムだと思った。
例えば誰かにオッサンと一緒にいる場面を見られたとしても、あくまで「普通のマッサージにお金を払いました」、という顔ができなくもない。
で、オッサンのマッサージは上手かった。流石にこちらが本業だけある。
特に良かったのが二の腕のマッサージ。二の腕なんて揉まれたことがなかったが、存外に疲れていたのだとしみじみわかった。
相変わらず二人とも饒舌だった。
それと、オッサンのスンスンという鼻すすりが気になった。
寝てもいいですよと言われたがそんなもったいないことはできない。
気持ちいいことをされているあいだは気持ちよさを全力で感じていたいのだ。
今まで行ったマッサージ屋の話、高速バスの話、最後の彼によくマッサージをされたが正直いつも痛かったという話など、美容院でもマッサージ屋でも「黙ってやって欲しい、ほっといて欲しい」と思う私なのに、よく喋ったと思う。
なのに、1度でいいから人に触られてイキたかったからあなたを呼んだのです、ということはどうしても口に出せなかった。
いっぽう、オッサンはスンスンとよく鼻をすすった。
「普通の」マッサージからだんだんと、尻たぶを揉み、横乳に触れ……というものに切り替わってきた。
来たか。
マッサージでほぐれた身体ではあるが、内心の緊張は隠しきれない。
うつぶせのまましばらく触れられていると、鼻をスンスンさせながら、オッサンの手が太ももをそっとひらく。
下着の上からつうっ……と、マンコをなぞられた。
舌!?
そう思うほどの繊細な触れ方にまず驚いた。
AVを見ていても、パンツ越しにマンコを触るシーンとマンコにパンツをくい込ませるシーンはイラつきながら飛ばす私が、少し感じてしまったことに衝撃を受ける。
舌のような指がマンコを這う。パンツの上からだからこそのもどかしさが襲ってくる。
これは、気持ちがいい。
うっとりとかよりも、驚きが先に立った。
オッサンはうつぶせの私に対してどうポジショニングしているのか、よくわからない。顔にタオルをかけられているからである。
オッサンの姿勢を想像してしまい気が逸れるが、「身体を起こして下さい」と言われてぼんやりそれに従った。
ベッドに座ったオッサンに身体を預け、もたれかかる。
オッサンは後ろから私の乳をそっと触る。
もともと胸は私の性感帯である。心地よさを感じて目をぎゅっと閉じて感覚を味わう。
オッサンが私の手をそっと握ったのである。
本当に申し訳ない。こんなデブスババアの体なんて触りたくないだろう。万券もらったって、ボランティア同然だ、そうわかっている。
オッサンは汚くはないし無臭である。マッサージもうまい。マンコを上手に触ってもくれた。
でも、手は握られたくなかったのだ。
なんとまあお綺麗なことである。
「娼婦だけど唇は許さないの」の逆バージョンだ。「男は買うけど手は握らないで」。
そっと、オッサンの手がブラのホックに触れる。やりにくそうに肩ひもを落とし、ガウンを脱がす。
直接触れられると声が抑えられないほどの感度の乳首なのに(ブラ越しでも机などに擦れると感じてしまうことがある)、その時はオッサンの手つきにあまり興奮を感じなかった。
このまま冷めてしまうのだろうか。
ふたたびうつぶせになるように促される。
今度はパンツを脱がされて、指で直にマンコを触られた。
普通のマッサージの時から思っていたが、オッサンの指はすべすべしている。
すべすべの指が私のマンコのぬめりを掬い、縦に撫でる。これは気持ちがいい。マッサージされている時から、気持ちいい部分では声を上げていたので、その延長で私は声を出した。
クリトリスを撫でられる。うつぶせのままで触れられたことは多分ない。変な感覚だがイヤではなかった。イケそうかと言われたらまだまだ遠いが、気持ちがいいので声を上げる。何度もそこを擦られる。
そこにまた不快感が襲う。
オッサンの指がマンコに侵入したのだ。
電マを友としているくらいだ、私はクリトリス至上主義、マンコの中には何ら感動を感じない人間である。
AVの激しい手マン、その果ての潮吹きには憤りすら感じる人間である。
そういう意味での怒りなのか。
手を握られた時の感情と同種の怒りなのか。
そういえばNG行為的なことは全く確認されなかったなとふと思う。
指入れないでください、と言っておけばよかった。
あいにく私はこういう時(たとえば、飲食店でオーダーミスをされた時、たとえば、ネイルサロン側のミスで2時間待たされるハメになった時)、強く出ることができない人間だ。
そんな女だが、もちろんここでニコニコ笑いはしない。今日はイキにきたのだ。払う金の単位も違う。静かな抵抗として、クリトリスを触られていたときは自然に上げていた声をむっつりと潜めて、オッサンの手マンを批難した。
手マンはそれほど激しいものではなかった。入り口をクイクイ、指先をヌプッ、その程度だ。鼻をほじるのと何ら大差はない。
それでもさっきまでの気持ちよさは飛び散り、まさかこのまま手マンで終わるつもりじゃないだろうな?という暗雲が脳裏によぎる。
私の温度が明らかに下がったことに気がついたのか、オッサンが「足がむくんでましたから、オイルマッサージしておきましょうか」と囁く。私はそれを承諾した。
オイルをぽたぽたと体に垂らされるのは実に官能的だった。
「Oh」もしくは「Ah」という表記が相応しいだろう。
背中から腰にかけてを指でソフトに撫でられると、くすぐったさに声が出た。
まずはうつぶせた背中側を。肩、ふくらはぎ、足の裏。オイルで滑ることによってオッサンのマッサージ技は数割増に心地よく感じられた。
イカなかった。イカなかった。けどまぁ、クッソ高いマッサージを買ったと思えば……そう落としどころを見つけかけた時、鼻をすすりながら、オッサンの手が再びマンコに忍び寄った。
オイルでぬるついた指が再びマンコに侵入する。
うつぶせのマンコに人差し指と中指を入れているため、ケツの穴に親指が当たるのが大変に邪魔くさい。気が散る。つくづく私はクリトリスだけを触ってほしいのだと思い知る。オッサンは人差し指に中指を絡ませるアレでもってマンコを攻めはじめる。チンコ脳特有のアレである。イクぜ!俺の指技!と思っているのかもしれない。大変に迷惑であるのであれを言い出した奴は終身刑を食らうべきだと多くの女が思っているはずのアレ。Gスポットがあると信じている(あるのだとは思うが私にはそれはガンダーラでしかない)男のユートピア、Gスポット手マン。ゼイ・セイ・イット・ワズ・イン・ヴァギナ。
もちろん私は無言である。
痛みすら感じて枕に顔を埋め、黙り込んだ。
オッサンは指技が通用しないことに焦りを感じたのか、鼻をすすりながら、私に体を仰向けるように指示した。
オイルでぬるついた乳輪を、オッサンの指がこねくりまわす。
オッサンがどうやら指のみしか使わないものと読み、言い出さなかったが、心の奥底では激しく乳首を吸われ、噛まれることを望んですらいた。
大きく声をあげる私に安堵したのか、オッサンは鼻をすすりながら再度、マンコに指をのばす。
もう同じなので省略するが、手マンに対して私は無言を貫いた。
反応するのはクリトリスにのみ。そう決めて黙り込むと、オッサンはようやく察してくれたようだ、指でクリトリスを撫で始める。
電マほどの安定感がないことに対する、嬉しくない焦燥。
ああ。
親指チンポの彼の苛立ち、今ならわかる。
愕然とした。
でも、だけど仕方ないじゃないか。はじめて私をイカせたのは電マ、私を一番多くイカせたのは電マ、文句を言わず、何も求めず、私がデブでもブスでもババアでも、黙って奉仕してくれるけなげな電マ。
電マじゃなきゃ、多分。だれとしても同じだ。
私は人とのセックスでイクことが、多分できない。
マジかー。
今、こうやって赤の他人にクリトリスをなぶられながら、こんなことに気がつかなくたっていいじゃないか。
こうなったら意地でもイってやる。
中イキじゃなくていい。クリイキでいい、でいい、というかそれが私のイキ様だ。いつも通りイッてやる。オッサンは2時間14,000円の、ちょっとテンポの狂った電マである。本来業務であるマッサージはうまい、単なる電マである。
オッサンは鼻をすすりながらクリトリスに集中している。私はタオルで顔を隠されているのを良いことに(それでも恥じらい、ためらいはあった)自分の胸をわしづかみにした。
ぬるついた胸は自分で触っても最高にエロい感触で、乳首を撫でると腰が浮いた。
左右の乳首とクリトリス。ここだけ触られれば十分なことを再認識する。いつものように足をピンと伸ばせば、オッサンの手ももうマンコには侵入できないだろう。私は3点の快楽に集中した。何分経っただろう、多分5分はなかったと思う。イキそうになる。ここでやめたら許さねぇ!という気持ちと、マンコに指入れるなよ!という気持ちを込めて声を大きめに上げる。
「スンスン(鼻)」
「イクゥゥウゥ!!」
イッた!!!!
ここで私によぎった喜びは「他人の指でイッた」ということに対してのものではなかった。
そういう、とてもがめつい喜びだった。
快感の度合いで言えば、ダラダラ1時間くらいクリトリスを電マで刺激したあとに味わう本イキのほうが断然上だと言えた。
それでも。イッたのだ!!!
達成感に包まれている私の太ももを、オッサンはそっと撫で、終わりですよ感を醸し出す。
おいおい、それじゃあ私がすっげぇ汚ねぇみたいじゃねーか、とは思ったが、実際汚らしい外見のマンコなので文句は言えない。
「あ〜〜〜〜、損した」
オッサンに14,000円を支払い、ホテルの部屋代を精算して、再び車に乗り込む。
どこそこのうどん屋が移転したとか、チェーンのマッサージ屋はテクニックがどうとか、そんな話で帰路は終わったと思う。
自宅にほど近い、さっき3万円キャッシングしたコンビニまで送ってもらうことにした。
「いいですよ、そういうの大歓迎」
なにが歓迎かよくわからないけど、オッサンはコンビニにするっと車を入れた。
「ボクここでタバコ1本吸うんでね。コンビニ出たら知らん顔して帰っちゃってください」
そう言ってオッサンは、さっき私のマンコの中に入れた指でタバコを取り出した。
その代わり心がずしんと重かった。
「汚れてしまった」みたいな後悔ではない。
万単位の出費に値する快楽が得られなかったことへの後悔、というか、失望であった。
それでも私には電マがあるじゃないか、という安心感と。
コンビニを出る。オッサンの車はまだあった。コーヒーのひとつも渡してあげるべきかと思ったけれど、他人のふりがスマートだろう、もうお金は払ったのだから。
シャカシャカとコンビニ袋を鳴らしながらアパートの階段を上る。
鍵をひねって、「ただいま」と言う瞬間、私はとてつもない多幸感に包まれる。
部屋に帰ればいつでも、電マが私を待っているのだから。
そう心から思えた夜だった。
僕が上京したいと思うようになった原体験は中学時代にあると思う
当時オタクの世界に浸かり始めた僕の住んでいた地域では民法が2局、フジと日テレしか映らなかった(今もケーブルテレビに加入しない限り2局のままだが)
当然深夜アニメなんてまったく観れないので
書店で取り寄せてもらっていた月刊のアニメ雑誌の中にある「○○アニメ化!」なんて記事は遠い世界のものだと諦めていた
今のようにネット上で気軽にアニメが見れるサービスは普及していなかった、もしくはあっても知らなかったし、我が家はスカパーにも入っていなかった
そんな日々を送る中購読しているアニメ雑誌のひとつの記事が目に飛び込んだ
やったぞ!フジテレビならうちの県でも映る!
もうかれこれ15年くらい前の話になので正確に覚えてはいないが
そのアニメは別に原作が好きだったわけでもないし、内容に興味があったわけでもない
アニメ雑誌やネットで話題になっているあのキャラやこのキャラの「現物」を見ることができなかった僕にとって、そのフジテレビ系列てで放送する深夜アニメは、(オタク)社会と自分を繋ぐ蜘蛛の糸のような儚い希望だったのだ
で、迎えた放送当日
だいたい予想つくと思うけど
新聞のテレビ欄に載ってなかったのを「アニメだから載せないんだろう」と超解釈して夜更かししていた僕の目の前に突きつけられたのは
その後「いや…全国の小学生が夢中になったポケモンやデジモンですら再放送しかやってなかったじゃないか…きっと一週遅れでやるに違いない」
そしてうちの県ではこのアニメはやらないんだと気づいた時僕に残ったのは強烈な憎しみだった
うちの県で放送してくれないフジテレビ?アニメ会社?側に対する憎しみもあったが
それ以上にフジテレビの電波に乗って確かに来ているはずのアニメをあえてカットする地元に対しての憎しみが強かった(現実的にはそんな単純な理屈ではないが当時の僕にはそう感じられた)
そう言われている気がした
その反面簡単にオタクコンテンツを浴びるように触れることができる東京には
僕みたいなキモヲタでも存在を許される場所として強烈な憧れを抱くようになった
あのときの想いは、見きれないほどの深夜アニメが放送されている東京や関西に住んでも、ネットでアニメ見放題の時代になっても、そしてなんだかんだで地元に戻ってきてアニメなんかまったく観なくなった今でも残っている
アニメの経済効果が無視できなくなり、町おこしアニメなんか作ってアニメに媚びたり
放送してないアニメの映画が田舎ではまずありえないほどの観客動員数を記録しブッチギリで映画ランキング一位をとっていたりするのをみて
「ざまあみろ」
という気分になっている
(そもそも15年前だったら県内の映画館では例のアイドル映画は放映されることはなかっただろう)
…とまあ長くなったけど
橋・松「はいどーも〜」
橋「いやー今日もたくさんのお客さんに来ていただいて」
松「はい」
橋「最前列のお客さんなんかもう端から口パク口パク一人飛ばして口パクと」
松「いやいや」
松「よしなさい」
橋「まあ僕らこうして漫才してるわけですが」
松「ええ」
橋「まだまだ支持率が低いんでね」
松「そらまあしゃあないがな」
松「ええですな」
橋「まずはこの僕の隣に立ってる人、最高の相方ですわ」
松「いやいや照れるがな」
松「松?」
松「松?」
橋「ほんで僕の名前は橋に下と書いて」
橋「誰がやねんまだ誰も殺してへんわ」
橋「そのうちね。言うてる場合か。まあホンマ頑張っていかなあかんなー言うてるんですけど」
松「ええ」
橋「まだまだこの国は変えなあかんことが多い」
松「そうですなあ」
橋「たとえば少子化ね」
松「あーこれ深刻やがな」
松「愛人囲ったりね」
橋「多少疲れててもあの手この手で興奮して頑張るべきなんです」
橋「ってワシやないかい! でもまあ子供が増えるだけでもあかんのですわ」
松「教育をせんとね」
橋「これからは知識よりも日本の伝統と文化、まずこれを教えるべきやと」
松「そらええことですわ」
橋「それワシやないかい! まあそんなこんなで大阪も荒みまくって犯罪が多い」
松「これホンマ大変ですわ」
橋「なかでも多いのが詐欺ね」
松「ああ〜けしからん!」
橋「って全部ワシやないかい! きみホンマに僕のこと尊敬してる?」
松「当たり前やがな。一生ついて行きますがな」
橋「ほならええけどやな」
松「その代わり出世の方、頼むで」
橋「まかしとき。まあそのうち国政を牛耳ってやな」
松「うんうん」
橋「僕がキングメーカーになるわけや」
松「そしたら僕を総理大臣にしてや」
橋「お安い御用やがな。ほなちょっと指名の練習でもしよか」
松「ええなええな」
橋「内閣総理大臣」
松「はい!」
橋「松あきら君!」
橋・松「どうも、ありがとうございました〜」
「中山優馬 Chapter 1 歌おうぜ!踊ろうぜ!YOLOぜ!TOUR」DVD/Blu-rayが期間限定・完全生産限定で発売されるにあたって。
どこにも公開してなかった当時の感想を、残しておこうかと、思って。
去る5/2、私はTDCで中山優馬くんの初ソロツアー「YOLOぜ!」を観ました。
年相応の色気と、自分の美しさを自覚した魅せ方ができるようになっていて。
たくさんたくさんインプットして、それをエンターテイメントとして昇華してアウトプットできるようになったんだなあと感じる演出と表現力でした。
2年間のクリエを経たからこそのクオリティだなあ、と。思いました。
自分のやりたいことが思い切りできている充実感にあふれた表情は、どんな瞬間を切り取っても、強く美しく輝いていました。
優馬くんが優馬くんという市場価値をつくりだすために屋良くんの力は絶対に必要だったと思います。優馬くんには、必要だった。
NYCで一緒だった山田くん、知念くんはもとよりJUMPには裕翔くん、圭人くんがいて、ジャニーズWESTには流星くん、ABC-Zの橋本くん、SexyZoneの健人くん、
錚々たる同い年が乱立しているなかで、中山優馬という価値を生み出すには絶対に必要だったブレーンだったんだな…と思いながら。
ソロで、NYCでもなければ関西でもなく「中山優馬」という名前で新しい、ジャニーズの、王道を、作り、そしてその道に戻るために。
明るい照明のなかで踊る水の帰る場所をみて涙がでました。
悲劇を背負わされる自分のキャラクターをエンターテイメントとして昇華した姿です。
音楽はロックで、照明は明るい。プレゾンとも違って、強く生き抜く水の帰る場所でした。
悲劇的な美しさだけで終わらない真の強さを持てたことに感動した。
関西曲を当時から着ている衣装をきてパフォーマンスする優馬くんをみて、
ああ、彼にとっての正統派のアイドル時代ってきっとこの時代なんだな…って思うことばかりでした。
あの頃の君のこともすきだけど、何より、今、今の君がすきだよ!って心の底から言えるなって思える瞬間でした。
後ろのスクリーンに頼りなくはかなげに同じ曲を歌ってた当時の君の映像を流すなんてずるいよ。
「アイドル」な自分の一部、優馬くんのアイデンティティなんだってことはよくわかった。
妙なこだわりも感じなかったし、とはいえやらなきゃいけないという義務感でもないと思う。
ただ純粋に自分でやってて楽しいんだろうなって。楽しい想い出が染みてる曲なんだろう、と感じました。
関西ジュニアがバンバンやロマンティックや強引オンをやっているとき、優馬くんは会場の一体感をながめて、感じていた。
関西ジュニアのコーナーだから、っていう気持ちなのかもしれないし、自分がメインであおるっていう気がないのかもしれない。
でもいつもそうだったな、って。
現ウエストのメンバーと一緒にやるときにこの歌を優馬くんも一緒に歌うことも何回かあったけど、
いつも優馬くんは会場を下から上までながめて嬉しそうに楽しそうに自分は煽ることを忘れて眺めてたなーって。
オリックスでのコンサートや過去2年のクリエを思い出すとき、ほんとうにパフォーマンスだけで勝負してきたなと。
もっとコントやMCやゲームみたいなものがあるのかと思っていました。
笑いや遊びにに逃げずに、中山優馬というエンターテイメントを提示してきたこと、ほんとうに嬉しく、そして感動しました。
「もっとすごいライブを、もっとすごい自分を、みせたいとおもいます。」
「僕には自信がある」
「今日の日を忘れずにいよう」
出来過ぎたセットリストです。
赤が似合うオトコになったなーと、想いながら。
でもやっぱり青色の衣装を着ているとなんかしっくりきちゃったりもして。
それはわたしがNYCというグループで青を担当していた優馬くんがすきだったからでしょうか。
優馬くんは「ジャニーズ」の「王道」の「アイドル」でいることを諦めてしまったのかと、思ったときもありました。でもそうではなかった。
時間はかかったけど、優馬くんは「ジャニーズ」の「王道」の「アイドル」としてTDCのステージに自分で自分を立たせたんだなあと、そんなことを感じるコンサートでした。
ジャニーズの謎のイリュージョンをみたとき、泣きながら笑ってしまいました。優馬くん、君もたいがいジャニーズだね!って。
自分のパフォーマンスでたくさんのひとに元気や勇気を与えられる人というのは、まさしく、アイドルだと、思います。
「これからもみなさんに元気、勇気、根気(?)いろいろ届けられるように頑張りたいと思いますのでこれからも宜しくお願いします」
わたしが知ってる優馬くんはそんなこと言わなかった。言う人じゃなかった。
ほんとうに大人になったし、強くなったし、「中山優馬」という道を、切り拓いて、
ひとつこうやって「ソロツアー」としてカタチにして興行を行えるようになったこと、ほんとうにほんとうに嬉しく思います。
中山優馬というアイドルが提示してくれるエンターテイメントが好きだなって。ウソいつわりなく心の底から今なら言える。
朴裕河‘ 慰安婦支援者に訴えられて THE HUFFINGTON POST 日本語版
それでも慰安婦問題を解決しなければいけない理由 | 朴 裕河 THE HUFFINGTON POST 日本語版
慰安婦問題から「日韓ともに売春差別への自覚を」 朴裕河教授に聞く THE HUFFINGTON POST 日本語版
【転換期の日本から】――今ふたたび「慰安婦」問題を考える[1]-[13] - 朴裕河|WEBRONZA - 朝日新聞社
「帝国の慰安婦」書籍の出版等禁止及び接近禁止の仮処分決定 - 東アジアの永遠平和のために
『帝国の慰安婦』名誉毀損対象の引用目録と日本語版の表現 - 東アジアの永遠平和のために
日本軍「慰安婦」被害者の名誉毀損事件の捜査結果(ソウル東部地方検察庁 2015 . 11. 18 報道資料) - 東アジアの永遠平和のために
日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク 朴裕河『帝国の慰安婦』
慰安婦ではなく慰安所の問題、明白な国家犯罪 - 東アジアの永遠平和のために
【「帝国の慰安婦」書評】感情の混乱と錯綜:「慰安婦」に対する誤ったふるい分け - 東アジアの永遠平和のために
鄭栄桓氏による朴裕河『帝国の慰安婦』書評まとめ - 東アジアの永遠平和のために
「慰安婦」問題をめぐる報道を再検証する会: 『帝国の慰安婦』における「性奴隷」概念について
和解という名の暴力 ─ 朴裕河『和解のために』批判(徐京植) - 東アジアの永遠平和のために
従軍慰安婦問題を巡る常識と言論空間 | 木村幹 THE HUFFINGTON POST 日本語版
[ニュース分析] 『帝国の慰安婦』論争第2ラウンド(1/3) (2/3) (3/3) : 政治 : ハンギョレ
『帝国の慰安婦』を巡る起訴について立場表明 私は元慰安婦の名誉を毀損していません。 | 朴 裕河
帝国の慰安婦:在宅起訴の朴教授との一問一答 「起訴はちょっと予想外」 - 毎日新聞
『帝国の慰安婦』の朴裕河教授「被害女性を『売春婦扱い』したことない」(1)(2)(3) | Joongang Ilbo | 中央日報
ナヌムの家「『帝国の慰安婦』起訴批判、被害女性の苦痛知らない」=韓国 (1)(2) | Joongang Ilbo | 中央日報
「帝国の慰安婦」朴裕河教授の在宅起訴に学者ら54人抗議声明(全文)THE HUFFINGTON POST 日本語版
『帝国の慰安婦』著者の起訴に韓国知識人が反対声明 : 政治 : ハンギョレ
[インタビュー]「ハルモニたちが告訴した...弾圧とは言えない」 : 国際 : ハンギョレ
朴裕河氏の在宅起訴問題について――『ハンギョレ』インタビューの補足 : 日朝国交「正常化」と植民地支配責任