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はてなキーワード: 自罰とは

2021-02-11

anond:20210211102552

「女は自罰的」じゃなくて「女は自罰ポーズを取れば気に食わないものヘイト誘導できて、誰かが代わりに殴ってくれる」だけ

2021-02-08

自罰的過ぎて嫌になることがある

自分に原因があるか探して

それでもなかった時は、これは天罰だとか、前世の行いが悪かったんだとか

そう言う発想になる

どこまでも自分が悪いと言う結論しかならない

2021-02-04

anond:20210204112801

全然自罰的じゃないじゃんwwwww

Yahoo検索するだけで(BLカップリング名入れてなくても)BLエロなんかわんさか出てくる。

みんなが自罰的になったらこんなもの出てこない。

自罰的と言いつつ自分達に甘々だよ。

anond:20210204113813

自罰的なんじゃなくて

女は自罰ポーズ取りさえすれば殴りたい奴にヘイト誘導できるからそうしてるだけだから

野次馬自分の代わりにそいつを殴ってくれるから、己の攻撃から目をそらしつつ目的を達成できる

別に腐に限った話でもねえし

anond:20210204112215

気の持ちようというか、自分がどういう存在なのかというメンタリティが男女カプ派の人と腐女子だと全然違う

腐女子は抑圧的・自罰的になりすぎ

そこの意識を変えていかないと、若い子に抑圧が再生産され続けていくから本当に良くないと思う

anond:20210204015818

そうよ、自分元増田さんじゃないけれども、

ココロのなかで殴ってるのだったらまだいいのかな、

良いとは思えないんだけど、自罰なのは私も同じ。

自罰なのは、人を傷つけるよりましだけど、暗いし建設的じゃないので、明るくいきたいです。できれば。

元気出るほうに持って行ってください。気持ちを。

2020-12-09

anond:20201209020228

家族が亡くなって膨大なストレスに晒されてんだから過度に自罰的になるのやめとけ。

精神が落ち着くんなら煙草ぐらいなんぼでも吸え。ストレスだって寿命は縮むんだから禁煙しなきゃとか吸ったかダメだとか自分を責めるのをとりあえずやめろ。

タバコ依存性めちゃ強だから自力禁煙なんてたいがい平均以上に強いモチベーションや忍耐力を持ち合わせた人間しかできない。多大なストレスがかかってタバコに手を出してしまった人間ができるようなことではない。禁煙したいなら禁煙外来に行き、ニコチンパッチを買え。

とりあえず休んで、落ち着いたら禁煙とか考えることを勧める。あと運動かいいらしいよ。

2020-11-26

メンヘラ二次創作に向ける吐瀉

この話はメンヘラ二次創作(ポエム)者による二次創作めんど吐瀉物です

二次創作最初に触れたのが、しょうがくせーの時に実家にあった某ジャンルのBLr18アンソロだった。

正直、オエ、でした。

大事な所を無理やり触られてアンアン喘いでいるキャラクターアニメ化もされてたので、アニメではこんなことされてないのに、なんでこんな物が存在するんだろう、って嫌悪感しかなかった。

で、その持ち主(10くらい上)が〇〇と××(blcp)ってどう思う?って聞いて来た。××は△△さん(女性)が好きじゃん、って答えたら、その人は、あぁ、ーーちゃん原作重視なのね、って。

別に同性愛かにはなんとも思わなかった。

好きな人が同性だろうと異性だろうと相手が好きになってくれるかはどちらにせよって感じじゃんって今なら言葉にできるけど、あの時はどうでもいいじゃん、って言葉しかできなかった気がする。結局どうでもいいが。それはともかく。 

原作重視、ってか、原作しか存在しないじゃん、これが存在してるのがおかしいんじゃん。

ってしょーがくせーの私はなりまして。そのアンソロの持ち主のことも軽蔑しました。

でも成長するにつれて、おかしものが当たり前のようにあることを知る。

ちょうど自己嫌悪の機運が高まっていた頃。

軽蔑するものを見ないよりは、その軽蔑自分に向けて自分を貶めたくて、わたし二次創作を読みあさっていた。

話の隙間にこんなやり取りがあったら。

こんな関係でいてほしい。

二人のえろが見たい。

誰かの欲望が映し出されたものを見ることで、自分がその欲を持っていると錯覚した。本当はそんなこと思ってなくても、気持ち悪い、と自分自身を罵倒し痛めつけられる理由を作った。

そもそも原作者が死んで長く経つ作品や、アニメ化原作二次創作のようなものなんだと大人になってから知ると、二次創作ってわたしがどんなに嫌でも存在するものなんだ…という諦めもあった。

二次創作をし始めたのは、その鏡合わせだった誰かの欲を自分と一体化させてしまった時からだった。

いろんな話を書いた。いろんな人に読まれた。褒めてもらった。嬉しい、という振りをした。rの付くものを書いて、拙いと言われることに吐き気がし始めた時には、もう夢を見る時間が終わりかけていた。二次創作現実逃避自分を殺すための方法だった。

今、それが剥がれかけているのは果たしていいことなのか。こうして増田に投げている時点で捨てられてそうかはお察しなんだけど。

溢れかえるキャラたちの皮を被せた男性向けのようなえろも、

どんなに話がプロのように上手いcp無関係ないものでも。

作者が作ってないなら、全部違う。

誰かの欲望の形でしかない。

好き、が勝手と結びつけられるみたいに、みんなその感情さえあれば自分欲望押し付けていいと思っている。わたし自罰という欲を見出したみたいに。

それを楽しいと思ってやれる人は好きにしたらいいと思う。ただ私にとって二次創作は、誰かの欲の借り物、自分を殺す方法だった、んだなぁってだけの話でした。

2020-10-24

人間的に問題がある。

それぞれ人には問題があるのだが、いやしかし、何かが基準に達しない人というか。

何かの対応が良くない形というか。

他人への対応というよりも、先ず第一自身への対応こそが良くない。

自身が伸びやかに自然に、痛みなく恐れなく振る舞えない形。

痛みを誤魔化すのは誤まった姿勢に陥りやすく、恐れで動くのは異常な拒絶になりやすく。

自分の魂を損なっていく。

願いは、死ぬときに思い出しても後悔の無い振る舞い。

今このときに、傷ついたとして怒ったとして、でも自分の願いを損なわない在り方。

実際は、愚かゆえに、自分を損なっていると気づかないことばかりかもしれない。

考えているうちに、後ろ向きになっていく。

かに迷惑をかけないように孤立していく、それはもう自分が傷つきたくないから。

それは再び傷つきたくないゆえに苦しむ自傷行為で。愚かしくて。

自尊心が低いので、自罰行為で、今ここにある苦しみを解決しようとする。

そう、自尊心が奪われ減らされ削られ殺されきった、あの時から、苦しみに苦しみを重ねて苦しみから逃れようと始めた苦しみ。

そういえば、自分勘違いしたのだなぁ。盛大に。

2020-10-23

自罰感情が強いのどうしたらいいのか

はいたって普通の育て方をしてくれたとは思うんだけど、やたらめったら「自分世間ヒエラルキーの中で下の下の人間であり、ルールを最大限守らねばならない」という気持ちが強い。自分でも嫌になるけど、どうしてもそう考えてしまう。

コロナGoToとかで出かけるのは対策留意した上で奨励されているのはわかるけど、「みんなはいいかもしれないけど、自分自身は万が一無自覚感染とかしてたらまずいし、外出は許されない」と考えてしまう。「自分ときが〇〇をやるのはおこがましい」という考えが常に脳髄の底のほうを流れ続けているような気がする。

限定品が残り少なかったら誰か欲しい人がいるだろうと思って買わなかったり、道路で渡ろうとした横断歩道に車がやってきたら先に通したり、そういう日常のささいなことにも常に「自分は一番下、他の人たちが何もかもにおいて優先されるべき」が無意識存在して選択してきたように感じる。

こんな考え方ばかりでは人生終わるまでコロナも終わらなくて死ぬまでどこにも出かけられないような気がしてきたので、価値観を変えないといけないとは思うんだが、染み付いていて思うように変えられない。

似たような考え方の人インターネッツにいるのかな。もしかして症状の名前?とかついてるのかなとか最近ちょっと知りたくなっている。

2020-10-13

鬱病の妻を支えてたつもりが離婚を切り出され慰謝料請求された話

まずは私たち夫婦スペックを書いておく。

私:都内外資系に勤務。トータルの年収は800万円ぐらい。貯金は数百万円程度。

妻:今年の4月まで派遣社員年収300万円いかないぐらい。4月から鬱病発症して休職6月には退職して治療に専念中。

今の妻とは去年春から付き合い始めて、去年秋に同棲開始、今年夏に結婚した。

今年の4月から妻が鬱病になり、とりあえず休息してもらわないとダメだなと思った。

なので、仕事家事もしなくていい、とりあえず休んでほしい、やりたいことだけをやってほしい、お金がかかるものなら、私に言ってくれれば払うと伝えた。

最初の方は、「せめて家事をしないと申し訳ない」とか言って色々やってくれてたんだけど、実際は相当負担だったらしく「やっぱりやりたくない」と言われ、「やっぱそうだよね」と受け入れてそれ以降は私が家事をやってた。

妻はほとんど貯金がなく、傷病手当けが唯一の収入源だった。(毎月申請しなきゃいけないけど、手続きが面倒で2ヶ月ぐらい申請してなかったぽいけど)

生活費は全額私が支払い、それとは別に毎月5万円は妻に渡してた。(生活用品の購入分も含む)

こんな感じで、できるだけ妻に負担をかけないよう私なりにサポートしてたつもりではあったんだけど、妻からしたらサポートどころか、逆に精神的に追い詰められてる気分になってたらしい。

私は共感能力が低く、相手がなにを考えてるのか察することができない。だから相手質問して考えを探っていこうとするんだけど、それが相当キツかったらしい。「なんでそう感じるのか」「なんでそう考えたのか」って私が質問しまくるので、妻自身が言いたいことが言えないと。質問するのはいいことだという考えが根付いてたから、妻のその意見にハッとさせられた。以降は気をつけるようにしてるけどなかなか改善できない。というか、質問すること以外で相手を知る術を持ってない。

あと、妻にかなり甘えてしまっていた。すぐ不機嫌になって態度に出したり、ちょっと何か言われたらすぐ家を出ていこうとしたりした。

3回ぐらい、壁にモノを投げるという行為もしてしまった。そういうことをするたびに妻はしっかり話し合って、解決しようとしてくれた。その妻の優しさに甘えきってしまってた。まるで小さな子供母親に甘えるみたいに。

恐らくアダルトチルドレンの傾向があるから、そこは今カウンセリングコーチング改善しようとしてる。少なくともモノを投げる行為は金輪際しないと誓ったし、抑えられてる。けど、その事実が妻の心に深い傷を残してしまった。

あと、日中の過ごし方もまずかった。私は今年2月から在宅勤務になったんだけど、私がオンラインミーティングしてるときに気を遣わなきゃいけないのが苦痛だったぽい。結構高性能なノイズキャンセリングイヤホン買って渡したんだけど「なんで私が我慢しなきゃいけないんだ」って言われて拒否された。1LDKで2部屋しかいから、妻が寝てる時はリビングで、妻が起きてきたら寝室で仕事するようにしてみてもやっぱり話し声が聞こえるのがキツいと言われた。結局、私が個室のネットカフェに出向くようになった。

妻はHSP体質らしく、五感がかなり繊細らしい。それと鬱が相まって、私の言動が相当キツいと感じていたらしい。

あと、鬱病になってしばらくしてから、妻はスピリチュアル方面にハマっていってた。自分には大天使がついてるとか、今この部屋に白天狗がいるとか、言うようになってた。スピリチュアル系の動画を見せられ、動画で言ってる内容を理解できたかどうかよく問い詰められた。

妻は、そういう世界の素晴らしさを私に理解してほしかったみたいだけど、私は大天使も白天狗も見えないか理解しきれなかった。

こんな感じで、妻からは、私の言動によってどれだけ辛い思いをしているのかを都度言われ、それに対して何とか解決しようと試みてはいたんだけど、なかなか改善できてなかった。

そして、9月のある日、遂に、もう離婚したいと切り出された。とっくの昔に限界を迎えてるし、私があまりに幼稚すぎて、結婚相手として見られないと。そもそもそんなに好きじゃなかったけど付き合ってと言われたから付き合ったとか、自分よりも家事レベルが上の人じゃないと嫌だと思ってたとか、いろいろ前提を覆されることを言われてもの凄いショックを受けた。

ひどく動揺してしまい、1分でも早く家から出たいと思って、その場ですぐ14日分のホテルを予約し、荷物をまとめて今度は本当に家を出てしまった。

家を出ている間の生活費として、結構まとまったお金を妻の口座に振り込んだ。

そこからどうなったか。妻は人が変わったように散財し始めた。

スキンケア用品、服、スピリチュアルグッズ、健康グッズを買いあさり出会い系で男を漁ったり、ホストにも何回か通ったらしい。占いにも行きまくってた。

SNS投稿や妻からの報告で散財状況を知ってかなり心配になったけど、それでストレスが発散できてるならいいかなぐらいに思ってた。

私がホテルから帰ってきて、改めて話し合ってもやっぱり離婚したいという意志は変わっていないと言われた。私も諦めて離婚届にサインした。

から現在は支払い能力がないから、当面の生活費としてまとまったお金が欲しいと言われ、まあ渡してもいいかなと思ってた。

ただ、離婚が決まって、それぞれが別々に生きていくとなった後も妻の散財はひどくなる一方だった。鬱病になる前からそれほど収入の多くなかった妻が、鬱病回復して再就職したとしても収入が激増するとは考えられない。完全に私からの援助を前提にしたお金の使い方をしていた。

と、ここまで書いてきた話を、信頼できる友達に打ち明けたところ、「普通にもっと怒っていいだろ?」と言われた。私の自罰意識が強すぎて、すべての責任自分にあるから、何をされてもしょうがないと思ってる節がある。もちろんモノを投げるなどの幼稚な行為は良くないか改善していくべきだと思うけど、だからと言って全面的自分だけか悪いと感じる必要はないんじゃないかと。コーチング先生からも同じようなことを言われた。

そこで、あれ、もしかして私だけが悪いわけではないのか…?と気づき始めた。

鬱病患者への接し方は誰にとっても難しいものから気に病む必要はない。生活費をすべて負担し、働きながら家事も引き受けてる時点でかなり頑張っている。そこから更に離婚後の生活費まで払う必要ないのでは?とアドバイスされ、確かにそこまでやる義務はないなと感じてきた。

しろ、妻の言動の方がアダルトチルドレンぽい、妻があまりにも求めすぎなのではないかとも言われた。妻からはずっと、私が幼稚で人間性問題があると言われ続けてきたけど、実は妻も大して差はなかったのかもしれない。

そうやって友達に話を聞いてもらって、離婚後の生活費はやっぱり払わなくていいかもしれないと考えが切り替わってきたその日の夜。妻はどこかに出かけていたんだけど、深夜にいきなり「今ホストにいる。今すぐ飲み代として10万円振り込んでほしい」と電話してきた。

少しも悪びれることなくそんなことを言ってきて、怒りで頭がどうにかなりそうだった。

とりあえず10万円振り込んで、今後一切お金は渡さないと伝えた。

すると妻は裁判起こして慰謝料請求すると言い出した。もう裁判でも何でもしてくれって感じ。

この1ヶ月ぐらいで別人のように豹変してしまった妻に対して、もう未練も何もない。必要以上に自分を責めず、今回得られた教訓を活かして生きていこうと思う。

2020-10-12

鬱病の夫を支えてたつもりが離婚を切り出され慰謝料請求された話

まずは私たち夫婦スペックを書いておく。

私:都内外資系に勤務。トータルの年収は800万円ぐらい。貯金は数百万円程度。

夫:今年の4月まで派遣社員年収300万円いかないぐらい。4月から鬱病発症して休職6月には退職して治療に専念中。

今の夫とは去年春から付き合い始めて、去年秋に同棲開始、今年夏に結婚した。

今年の4月から夫が鬱病になり、とりあえず休息してもらわないとダメだなと思った。

なので、仕事家事もしなくていい、とりあえず休んでほしい、やりたいことだけをやってほしい、お金がかかるものなら、私に言ってくれれば払うと伝えた。

最初の方は、「せめて家事をしないと申し訳ない」とか言って色々やってくれてたんだけど、実際は相当負担だったらしく「やっぱりやりたくない」と言われ、「やっぱそうだよね」と受け入れてそれ以降は私が家事をやってた。

夫はほとんど貯金がなく、傷病手当けが唯一の収入源だった。(毎月申請しなきゃいけないけど、手続きが面倒で2ヶ月ぐらい申請してなかったぽいけど)

生活費は全額私が支払い、それとは別に毎月5万円は夫に渡してた。(生活用品の購入分も含む)

こんな感じで、できるだけ夫に負担をかけないよう私なりにサポートしてたつもりではあったんだけど、夫からしたらサポートどころか、逆に精神的に追い詰められてる気分になってたらしい。

私は共感能力が低く、相手がなにを考えてるのか察することができない。だから相手質問して考えを探っていこうとするんだけど、それが相当キツかったらしい。「なんでそう感じるのか」「なんでそう考えたのか」って私が質問しまくるから、夫自身が言いたいことが言えないと。質問するのはいいことだという考えが根付いてたから、夫のその意見にハッとさせられた。以降は気をつけるようにしてるけどなかなか改善できない。というか、質問すること以外で相手を知る術を持ってない。

あと、夫にかなり甘えてしまっていた。すぐ不機嫌になって態度に出したり、ちょっと何か言われたらすぐ家を出ていこうとしたりした。

3回ぐらい、壁にモノを投げるという行為もしてしまった。そういうことをするたびに夫はしっかり話し合って、解決しようとしてくれた。その夫の優しさに甘えきってしまってた。まるで小さな子供母親に甘えるみたいに。

恐らくアダルトチルドレンの傾向があるから、そこは今カウンセリングコーチング改善しようとしてる。少なくともモノを投げる行為は金輪際しないと誓ったし、抑えられてる。けど、その事実が夫の心に深い傷を残してしまった。

あと、日中の過ごし方もまずかった。私は今年2月から在宅勤務になったんだけど、私がオンラインミーティングしてるときに気を遣わなきゃいけないのが苦痛だったぽい。結構高性能なノイズキャンセリングイヤホン買って渡したんだけど「なんで俺が我慢しなきゃいけないんだ」って言われて拒否された。1LDKで2部屋しかいから、夫が寝てる時はリビングで、夫が起きてきたら寝室で仕事するようにしてみてもやっぱり話し声が聞こえるのがキツいと言われた。結局、私が個室のネットカフェに出向くようになった。

夫はHSP体質らしく、五感がかなり繊細らしい。それと鬱が相まって、私の言動が相当キツいと感じていたらしい。

あと、鬱病になってしばらくしてから、夫はスピリチュアル方面にハマっていってた。自分には大天使がついてるとか、今この部屋に白天狗がいるとか、言うようになってた。スピリチュアル系の動画を見せられ、動画で言ってる内容を理解できたかどうかよく問い詰められた。

夫は、そういう世界の素晴らしさを私に理解してほしかったみたいだけど、私は大天使も白天狗も見えないか理解しきれなかった。

こんな感じで、夫からは、私の言動によってどれだけ辛い思いをしているのかを都度言われ、それに対して何とか解決しようと試みてはいたんだけど、なかなか改善できてなかった。

そして、9月のある日、遂に、もう離婚したいと切り出された。とっくの昔に限界を迎えてるし、私があまりに幼稚すぎて、結婚相手として見られないと。そもそもそんなに好きじゃなかったけど付き合ってと言われたから付き合ったとか、自分よりも家事レベルが上の人じゃないと嫌だと思ってたとか、いろいろ前提を覆されることを言われてもの凄いショックを受けた。

ひどく動揺してしまい、1分でも早く家から出たいと思って、その場ですぐ14日分のホテルを予約し、荷物をまとめて今度は本当に家を出てしまった。

家を出ている間の生活費として、結構まとまったお金を夫の口座に振り込んだ。

そこからどうなったか。夫は人が変わったように散財し始めた。

スキンケア用品、服、スピリチュアルグッズ、健康グッズを買いあさり風俗メンズエステにも何回か通ったらしい。占いにも行きまくってた。

SNS投稿や夫からの報告で散財状況を知ってかなり心配になったけど、それでストレスが発散できてるならいいかなぐらいに思ってた。

私がホテルから帰ってきて、改めて話し合ってもやっぱり離婚したいという意志は変わっていないと言われた。私も諦めて離婚届にサインした。

から現在は支払い能力がないから、当面の生活費としてまとまったお金が欲しいと言われ、まあ渡してもいいかなと思ってた。

ただ、離婚が決まって、それぞれが別々に生きていくとなった後も夫の散財はひどくなる一方だった。鬱病になる前からそれほど収入の多くなかった夫が、鬱病回復して再就職したとしても収入が激増するとは考えられない。完全に私からの援助を前提にしたお金の使い方をしていた。

と、ここまで書いてきた話を、信頼できる友達に打ち明けたところ、「普通にもっと怒ってよくない?」と言われた。私の自罰意識が強すぎて、すべての責任自分にあるから、何をされてもしょうがないと思ってる節がある。もちろんモノを投げるなどの幼稚な行為は良くないか改善していくべきだと思うけど、だからと言って全面的自分だけか悪いと感じる必要はないんじゃないかと。コーチング先生からも同じようなことを言われた。

そこで、あれ、もしかして私だけが悪いわけではないのか…?と気づき始めた。

鬱病患者への接し方は誰にとっても難しいものから気に病む必要はない。生活費をすべて負担し、働きながら家事も引き受けてる時点でかなり頑張っている。そこから更に離婚後の生活費まで払う必要ないのでは?とアドバイスされ、確かにそこまでやる義務はないなと感じてきた。

しろ、夫の言動の方がアダルトチルドレンぽい、夫があまりにも求めすぎなのではないかとも言われた。夫からはずっと、私が幼稚で人間性問題があると言われ続けてきたけど、実は夫も大して差はなかったのかもしれない。

そうやって友達に話を聞いてもらって、離婚後の生活費はやっぱり払わなくていいかもしれないと考えが切り替わってきたその日の夜。夫はどこかに出かけていたんだけど、深夜にいきなり「今お店にいる。今すぐ飲み代として10万円振り込んでほしい」と電話してきた。

少しも悪びれることなくそんなことを言ってきて、怒りで頭がどうにかなりそうだった。

とりあえず10万円振り込んで、今後一切お金は渡さないと伝えた。

すると夫は裁判起こして慰謝料請求すると言い出した。もう裁判でも何でもしてくれって感じ。

この1ヶ月ぐらいで別人のように豹変してしまった夫に対して、もう未練も何もない。必要以上に自分を責めず、今回得られた教訓を活かして生きていこうと思う。

2020-10-11

コロナ精神疾患が増えているらしい

ニュースによると、病院にかかっている人も多いらしい。

私も仕事が立て込んでいた時、ぐらついた時があった。

しかし、クリニックにいったところで、ゴールが見えないし、薬の副作用も気になる

あも、まだ周りの目も暖かいものとは到底言えない

ニュースでは、クリニックを増やして気軽に行けるように、と言っていた。

それもいいだろう

けれども、どうしたら、自分メンタルコントロールできるか、悪くなる前に、こうなれば危ないと教えてあげることも大事ではないだろうか

うつ適応障害なら例えば、

一人で抱え込む状態

生活習慣の乱れ

どうしてできないんだ!という自罰的な感情

激務から逃げてもいいという気持ち

こうなると人はメンタルバランスを崩すと、もうすでに原因はいくつもわかっているのに、どうしてそれが起こりかねない社会構造放置して、ダメになった時の対応を強化するのだろうか

相談ではなく、セルフケアでいい

予防するほうが効果があり、楽なのに

患者が増えている、というのは、医療機関にかかる人数が増えたというだけであり、純粋患者が増えているのか?というのはわからないけれど

2020-09-30

わかる。うちも奥さんがほぼ同じ傾向があるんだよ。

個別喧嘩の発端は…こちらに責があることもあれば向こうに責があることもあるし、最初自分我慢して済むならそれでもいいやと思ってたんだけど、やっぱり理不尽な怒りの暴発を難度も経験すると、徐々にこっちの自尊心が削れてくるし、不機嫌の徴候が見えるだけで心理的に身構えてしまうんだよね。無意識のうちに、相手地雷(どこに埋まってるかわからないんだけど)に触れないように立ち回るようになる。そうすると家庭が安心できる場でなくなってしまう。

もともと彼女自身にも、そういう感情的制御ができないことの自覚はあるし、直したいとも思っているんだけど、キレてる最中に「そういう言い方や態度はよくないよ」と意見しても耳に入らない。「どうせ全部私が悪いんでしょ」「はいはい、また私のせいなんだよね」となって会話を打ち切り、刺々しい振る舞い(ドタドタ歩いたりドアを閉めたりモノを乱暴に扱ったり)して、後には不機嫌な空気けが残る。これがなんともやるせない。一定時間が経って落ち着くと、何もなかったように振る舞うか、一応は「ごめんなさい」と言ったりもするんだけど、そういう殺伐とした感情って人の心を痛めつけるんで、お互い何もなかったように振る舞っていても、やっぱりこっちの心は無傷じゃなくて、刺されたり殴られたりした疼きが残る。たぶん相手の心も無傷じゃない。どっちにもいいことがない。

で、子供が生まれ物心がついてきたのを機に、お互いに真正からこの問題に向き合うことにした。子供が親の逆上や不機嫌に萎縮するようになったら誰にとっても不幸だ、というのはお互いの考えが一致していたので。

実はこの「子供との関係」というのが重要で、結論から言うと、彼女毒親母親)に非常に悪い育てられ方をしてきたことが全ての起点になっていた。母親自分から見ての義母は、幼い頃の彼女を蹴ったり殴ったりした。氷点下に近い納戸に数時間閉じ込めるという身体虐待もあったし、ネグレクト罵倒もあった。理由は、折り合いの悪い義祖母に顔立ちが似ていたから、ということもあったようだし、良家同士の見合い婚で専業主婦になった自分にとって「育児成功させ、娘は良家に嫁がせる」ということが唯一かつ至上の役割になっていたこともあったようだ。それほど受験戦争が激しくない地方にあって小さい頃から娘に複数の塾や家庭教師をつけ、成績が思うように伸びなければ「あんたはなんでできないの」「私が恥をかく」と詰め、娘の夏休み自由課題が賞をもらった翌年からは、傾向と対策を踏まえて母親課題制作し、受賞すればそれを周囲に誇るようになった。義母にとって娘は自己付属物であり、自分能力努力を表示する成果物だった。これは娘側の一方的証言ではなく、義母本人がそのことを問い詰められて(娘以上に感情的に)キレたり、逆に緘黙する状況を自分も見ているので、嘘や極端な誇張はないと思う。

そういう母親との間で育った娘である奥さんは、根本のところで自己肯定感がとてつもなく低く、「自分には価値がない」という強迫観念に苛まれていた。彼女は親元から離れたあと、亡父の尽力もあって学歴にはやや不相応な金融総合職につくことができ、廻りの高学歴人達に揉まれながらも持ち前の根性で「コネ入社腰掛けさん」に留まらない営業成果を出し、職場でも多くの同僚に認められるようになった。でも、これは見方を変えると「自分が無価値人間ではない」ということを自らアウトプットや業績評価によって証明し続けなければいけなかったからそうしていたわけで、その「頑張り」は結局は不安強迫観念によってドライブされてたんだよね。背景にそういう動機があって「頑張り続けなければいけない」人がどうなるかというと、最後メンタルヘルスを崩し、拒食症になり、自己都合で退職した。つらい。

その後いろいろあって彼女自分結婚したんだけど、お互いに落ち着いている時に(感情的チャージされてない状況で)この課題について話し合い、時にはネット情報心理学書籍なども参照しながら考えるなかで、激昂の背後にあるのは自己肯定感のなさだということが見えてきた。彼女は成長の過程で「人間能力や実績によってだけ認められるわけではなく、ただ人間であるだけで価値がある」という確信を得てこなかった。母親から与えられたのは条件付きの愛で、条件を満たさなければ存在自体否定された。だから「認められるために頑張る」という所作が身についた。

頑張りの中には「社会的に認められる人格を演じる」ということも入っているから、ソーシャルマナーちゃん実践できる。人当たりはよく、好感度も高い。しかしそれはあくまで「舞台」に立って「頑張り」を発揮して評価を獲得しなければならない状況での話で、身内にはこのルール適用されない。だから親族家族の中に(彼女基準で見て)頑張っていない人(例:私はこんなに頑張ってるのに、あなたは)、彼女の頑張りを認めてくれない人、彼女の頑張りの成果をスポイルする人(例:頑張って片付けたのにまた散らかして)に対しては、時に制御の効かない怒りを感じ、苛烈言葉や行動を直接ぶつけてしまう。自己肯定感が低いから、他者を無条件に肯定できない。自分に課した高いハードルと同じ評価基準相手にも課し、それを満たさな相手を詰る。そういうメカニズムがあるみたいだった。

ついでに言うと、彼女母親にとっては娘自身が「彼女の頑張りをスポイルする人」(一生懸命教育してるのに成果を出さずに「私に恥をかかせる」から)だったので、娘に対してそうした精神身体DVを繰り返していたわけだ。自己肯定感の欠如と感情コントロール欠如という点では似たもの同士だった母親彼女との喧嘩は、ちょっとした言葉尻の棘を捉えて相手を強く咎める(「それどういう意味?」とか「あなたはいっつもそう!」とか)の繰り返しで、なんでもないやりとりがあっという間に激しい罵倒応酬エスカレートしたりする。まさしく言葉の刃で刺し合うがごとくで、たまたまその場に居合わせ自分もぐったりと疲弊し、時にはあまりの情けなさに泣くこともあった。

ともあれ、我々2人は「こんなことが当たり前ではいけない、子供をこういう『こじれ』に巻き込まないようにしよう」ということをスタートにして、まず彼女母親との関係は明らかに機能不全に陥っていること、彼女母親過去も今も彼女自尊感情を蝕んでいること、自尊感情の乏しさが他者への非寛容や感情制御の困難につながっていること、自分母親承認/不承認にかかわらず価値のある人間だし、他人もそうだということなどをひとつひとつ確認していった。彼女最初は「母親はもしかしたら毒親だったのかも」程度の認識だったのが、あまりにも定型的な虐待パターンのど真ん中に自分いたことを知り、自分感情コントロールの難しさが個人資質というより関係病理に起因していることを学んだ。そうすることで、母親との関係も1:1の差しかいではなく、その関係自体第三者として見る視点を手に入れた。自分はそのとき情報考察の手伝いはしたけど、結局それは彼女自身自己探究の道のりだった。

それでどうなったかといえば、状況は明らかに良くなっている。奥さんアンガーマネジメントを少しずつ理解し、実践している。実際にキレる回数は格段に減った。キレてしまった時はそのままにせず、すぐ言葉にして反省するようになった。YOUランゲージを控え、Iランゲージを使って自分希望意志を率直に伝えられるようになった。母親とのやりとりもベタ足の殴り合いをするのではなく、だんだんと「所詮他人しかない、母親とのやりとりで感情的に消耗したくない」という感覚を持てるようになってきている。無駄に険悪になることもないが、母親から近しくしなければいけないという「演技」からちょっと解放された。やっぱり根本的な原因や構造が見えてきたことで、本人の物事の捉え方も変わってくるんだと思う。

…というわけで、うちの場合子供ができた結果、徐々に状況がよくなってきたんだけど、これ「子供が生まれたから良くなった」じゃなくて「子供いるから良くしないといけない」という問題意識を両方が持ったからだと思っている。逆に言えば、元増田場合子供ができなくたって「この状況を放置するのは2人の心理的安全性にとって良くない、2人の関係健康を損ねる」という意識で話し合うことができれば、だんだん建設的な方向に向かえるかもしれないよ。

さっきも書いたけど、うちの場合は、彼女病理というより関係病理だった。だから時間はかかったけど、こじれた関係を解きほぐすことが解決の糸口になった。元増田奥さんが同じかどうかわからないけど、参考になったらうれしい。お互いがんばろう。

anond:20200928211140

2020-09-29

anond:20200929104822

切れたので分けました

・このように私は研究職向いていないのではないか就活は①にすべきでは?と思うのだが、ただ、両親や教授就職課のお兄さんは、このまま理系就職した方がいいよって言うんです。

・母は、私がさっき挙げた研究職向いていないと思う要素のほとんどは、別に他の職種でも必要能力なのだから別にあなたはどの職種も向いていないのよ。そもそも働くのが向いていないのよ、でも就職しなきゃいけないの、と言うの。

・私は高学歴なのか?まあ一般にはそうなのだろうな。学歴足切りはされない学歴だとは思う。そりゃ東大とか偏差値的に上はいるけどね。

この大学に行きたくても入れない人は沢山いるんだよ、は色んな人に言われた。

就活を始めてインターンとかで他の学生所属を聞いて、エッ、優秀な化学系の大学って日本全国にめちゃくちゃあるじゃん!私その中じゃめちゃくちゃちっぽけじゃん!マジムリ!と思った記憶はある。狭い研究室の中で井の中の蛙をやれていた頃は幸せだったなぁ、とも当時思った。

まあ私の大学も、そのめちゃくちゃある優秀な化学系の大学ひとつではあるのだろう。

理系就職しないとしてじゃあどこに行きたいの?特に希望無いんでしょ?とも母に言われた。それはそう。大卒平均(できたらうちの大学卒業生無難金額くらい)は稼ぎたい、とはふわっと希望している。化学系の研究開発以外で何の業界があるのかどんな職種があるのかもよく知らない。知らない幸せがあるとM1の時は思っていた(就活視野を広げない言い訳とも言う)。あーあと敢えて言えば文系就職としてもいわゆる人気な業種は怖い。知り合いにいないのでよく知らないが、金融とか商社とかコンサルとかその辺ね。

就職課の人に言わせれば自己分析が足りないのだろうな。自己分析自己PR全然かけなくて1月かに発狂しながら作った。

・あれかしら、本当に退学しないまでも、第二新卒就職するつもりで少し就活するのはありだと思うの。下を知るべきかしら。

そういえば大学受験で病んだのも下を知らなかったのはあるかもな、と思っている。ハナクソほじってても入れそうな大学なんてひとつも知らなかった、高校の知り合いで、私がハナクソほじってても入れそうな大学に入っている人をかけらも知らなかった。

3年生の時に、今の学力そのままで受験になったとして入れそうな大学はどこですかと聞いたとき怒って教えてくれなかった塾の先生は少し恨んでいる。逆恨みだが。

高校受験別に病まなかったのは、私がまだ世間を知らずにぽやぽやしていたか理想が上がらなかったのが大きいと思うが、下を十分知っていたのもあるのかもしれない。楽に入れる滑り止めが沢山あったのもある。

んーただ受験就活を同様に考えるのは危険かなぁ

嗚呼やだやだ忘れてた「大学受験もっと勉強すればよかったな病」を思い出しちゃった

でもね、しょーじき大学受験ちっとも勉強しなかったし、浪人生ときセンター前2週間くらいしかまともに勉強しなかった記憶あるけど、それでもうっかりそこそこの大学に滑り込んでしまったじゃん。それが悪い意味成功体験にはなってると思う。あの時なんとかなったんだから今回もなんとかなるんじゃね?みたいな。

・院進学はほぼ即決で決めたが、就活したくないから、文系就職絶対病むから、院進をすればきっと就活楽勝だろう、は理由の半分くらいであった。もう半分は、内部進学します!と言わないと教授研究室に入れてくれなさそうだったのと、実験レポートは好きだったのはある。

この手の、結論先延ばしにしたいというモラトリアム思考でここまで来てしまう、勉強はできる人ってありがちだと思うのよね。ほら見た?ちょっと前に私が書いた理想キャリアプランもさ、結論先延ばしにしていると思わない?

・これ思いつきなんだけど、自信が無いのって有機化学ができないと思っているからかな?もう一度勉強したら自信がつくかしら?院試もう一度解いてみる?失くしたと思うから誰かから借りてやらなければならない。

あーでもこれは躁による無謀な思いつきな気がする。怖いな。

・というか今絶対躁入っているのよね、どうしよう、自己管理ができない。昨日の夜も興奮して眠れなくてこの追記を書いていたら筆が滑って朝になってしまった。

トラバ返信でもしたように、やる気が出るときと出ないとき乖離が激しくて、私は勝手に躁鬱のケがあると思っているのですが、頑張れる時期は馬鹿みたいに頑張れて徹夜休日実験早出残業も厭わないでできるのですが、できない時期は御覧のとおり引きこもる、というかんじで、高校時代から苦しんでいる。

一時期ラミクタールに手を出したが、就活で不利になるかな、というのと、平日ラボを休んで病院に行くのが嫌だったのと、お前のそれは薬じゃなおんねーよと友人に言われて2週間でやめた。

・今までの文章を読んでいただけたら分かるかと思いますが、私はどうにも理屈っぽくて、特に自己を語ると理屈っぽくなり、行動に移すまでにものすごく腰が重いという悪い癖があります。あまりよくない性格だろうなと思うので、改善出来たらいいのにな、とは思っています。やらない理由を探すのが得意で困ってしまます

この理屈っぽさを研究でも生かせればよかったのでしょうが、残念ながらあまり生きることはなく、見切り発車で実験をかけて失敗することが多いです。

それから自分選択責任を取るのが怖くて、つい逃げの言葉を使いがちなのもよくないと思っています。うっかり、とりあえず、などの副詞をよく使いますが、責任を逃れたい意識がにじみ出る言葉だな、と思って本当はあまり使いたくありません。

それから、私は自罰的で自己批判的である、との評価は人からよく貰います。そのこと自体はそんなに悪いことだと思わないで生きてきましたが、自己PRがかけらも書けないのが本気で困っています

それからもしかして謙遜と私の自己批判は違うのでは…?」みたいな思いが少しあります

・私はこれまで相談室のようなサービスを使うのにものすごく罪悪感があって、いや、今でもあるのですが、まあこんな状態なら使う権利があるだろう、と思って使うことにします。コロナ渦で登校する学生が激減して空きは多いそうです。

・いや、罪悪感と言うより、敢えて露悪的に書けば、「手のかからないいい子でいたかった」という話だと思う。これはB4になったばかりの時にめちゃくちゃ思って病んだが、もう教授迷惑をかけることは気にしないことにした。

本気でだらだら書いてしまいました。これだから女の話はつまらないと言われるのです。

と言うことで就職課に相談に行こうと思います

たすけて、いけるんじゃない?と思うときと「もうだめだおしまいだ」と思うときが交互に訪れている。

2020-09-28

自己評価他者評価

ビジネス書教育YouTuber動画ほとんどは他人コンテンツ安易模倣であり間違えた情報を発信していることが多い。自分はそういうものを見たときに嫌な気持ちになるが、人によってはおもしろかった、役に立ったなどとコメント欄感想を書き込む人もいる。価値観個人差があることは分かっているつもりだがその光景を目の当たりにすると自分評価の仕方を過信しては行けないと思うようになった。

特に自分という存在に対する自分評価自己評価)には気をつけたい。自分のことを無知無能で愚かな人間であるという思いから抜け出せずにいるが広い社会には自分のことを好意的評価してくれる人がいるかもしれない。完璧主義自罰的な性格簡単には修正できないが少しだけ自分に優しくしようと思う。

2020-09-08

anond:20200907223020

ムカついたってのは傷ついたんだよな

傷ついた結果、他罰的になるか、自罰的になるか

他罰的な人間は「自分は傷ついたりしない」と思いがちだし

他罰なうえ、攻撃することで解消する輩は、自分は楽に生きてると勘違いする

愚連隊暴走族チーマーカラーギャング半グレ、総括してDQNとも呼ばれるが

こういう人間に顕著な傾向

総じて心が弱いんだろうな

から、外に転嫁しないと生きていけない

他者と調整することができない無能暴力解決する

これを行えない人間で、かつうまく立ち回れない奴は、自身に抱え込むことになる

「うまく生きる」のは本当に大変で

自分を出せる楽な居場所として自分にあったミュニティに属するのが手っ取り早い解決

BLでも、エロゲでも、SNSでも何でもいいけどね

2020-09-07

「この漫画女の子を見て…」のつぶやきがタチ悪い理由

「この漫画女の子を見て、失礼な子だと感じたならばそれこそがジェンダーバイアスです。」https://togetter.com/li/1587929 が、タチの悪いプロパガンダである件。

〈目次〉

 1「お、若い女の子だ。どれ教えてやろう」について

 2「せっかく教えてやろうとしてるんだ 女らしく素直に聞け」について

 3「ハイ ミソ男決定~」について

 4まとめ

これは、いくつかの点で非常に問題のある漫画です。

1「お、若い女の子だ。どれ教えてやろう」について

・これは登場する男性氏「おっさん」の内心の語りであって、「女の子」は知る由もないはずです。にも関わらず、ただ「ぺらぺら」と話し始めた男性氏に対して「お?マンスプか?」と反応しています。これは、性別、年齢からくる偏見に過ぎません。同年配、同性になら、同じことをされても「マンスプ」とは反応しなかったでしょう。

・おまけに、彼女は初対面の相手に「オッサン」と声に出して呼んでいます男性氏が「女の子」にどのように声掛けしたかはかかれていませんが、もし「そこの小娘」みたいな侮蔑的な声掛けをしたとしたら、漫画の設定上これを省略することは考えられませんから普通の呼びかけであったと考えるのが妥当でしょう。ならば、「女の子」の反応は普通に言って大変「失礼」な行為であり、明白な年齢差別であり、この「女の子」は差別思想の持主だと断定せざるを得ません。はっきり言えば、年齢差別、そして、性差別者(ミサンドリスト)の疑いがあります

そもそもこの男性氏ですが、見も知らぬ「若い女の子」に偉そうぶって「教えてやろう」とする高齢男性、という設定が、大変奇妙に感じられます。私の知る限り、こういうケースで「ぺらぺら」と得意そうにしゃべる人は、相手が「自分よりその道に詳しくなさそう」と思えば、性別や年齢に関わらずマウントを取ってくる方が一般的です。実際問題として、それなりの地位もある高齢男性普通見知らぬ年下女性に気軽に声をかけたりしないものです。それでも声をかける人は、「若い女の子に偉そうぶりたい」から声をかけるのではなく、単に「ワンチャンあるかも」というスケベ根性で声をかけているに過ぎないわけで、そういう人は、初手から偉そぶったりしません。つまり、この男性氏のキャラクターは「想像で作り上げられた存在」であり、これはいわゆる案山子論法における案山子の疑いがあります

2「せっかく教えてやろうとしてるんだ 女らしく素直に聞け」について

・これも大変不自然です。「女の子」の反応とこの発言を絡めれば、男性氏は「マンスプレイニング」という言葉を知り、かつ、その略語すら理解し得たということになるでしょう。高齢男性にしてはなかなかフェミニズム文脈をよく理解しています。そんな人が、このような行為に出たり、このような発言をする明らかなミサンドリストに、このような定型的な怒り言葉を投げつけるでしょうか? 大変不自然です。きわめて「案山子」的です。

特に「女らしく素直に聞け」という言葉が極めて不自然です。「オッサン」呼ばわりは無視して「素直に聞かない」部分に怒っているのですか? ふつうは「その口のききかたはナンダ!」でしょう。

・こう言うと、おそらく「よくある反応を定型的に描いただけで、こういう風に内心思って似たような行動をする男性が多い、ということを言うための漫画表現です」といった返しが想定されますしかし、それは卑怯な言い分です。なぜなら、読者は、この一連の流れを見た上で「この『女の子』側に同調できなければ、あなたジェンダーバイアスの持主だ」とあらかじめ縛られているからです。つまり、この漫画をこのままの形で受け取り、かつ「女の子」を肯定するよう強いられた上で、改めて「案山子」を殴る「ミサンドリスト」の芝居を見せられているわけですよ。そういう縛り方をしないで見せているのならば、まだ「よくあるプロパガンダ漫画だ」で済むでしょう。しかし、一見相手自由判断を委ねるように見せかけながら、実は、戯画によって結論を縛っているというのは、広告手法としても割と下劣なやり方です。少なくとも、まともなフェミニストなら取るべき方法ではありません。

3「ハイ ミソ男決定~」について

・この場面、「オッサン」呼ばわりに続いて、「女の子」は「ミソ男」という、おそらく蔑称を使って、目線を合わさず相手にしないことを明白にして、明らかに相手煽りにいっています。ここまで、男性氏の方は、なるほどナチュラル男性上位な思想をもっていたのかもしれませんが、「女の子」の煽りによって逆上するまでは社会的に見て不正な態度を取っていたわけではありません。つまり客観的に見れば「煽ったのは明らかに女の子』の方」なのです。この漫画は、そう描かれているのです。つまり作者は、この「女の子」を十分「失礼」な人間として描いています。なぜだか分かりますか? それは、女の子を「失礼だ」と感じる人が多い方が、「自分ジェンダーバイアスの持主なのか…」と自罰的に反省する人が増えるからです。実際、Twitterの反応を見れば分かりますが、男性陣が、こぞって「男性無礼だ」云々と滑稽なほどに反応しています。彼らには、この「女の子」の失礼さが見えないのでしょうか?……いやいや、そんな訳はありませんね。事実は逆で、彼らは実は「女の子を『失礼だ』と感じてしまった」ので、それがバレないように「正解」とされる振舞いを行っているだけなのです。そして、それこそが作者の狙いなのです。実に悪質なプロパガンダです。再度言いますが、この「女の子」が「失礼」だというのは、普通の受け取りであり、ジェンダーバイアスの持主であるか否かとは無関係です。そして、それは描き手が一番よく分かっているのです。

4まとめ

以上述べてきたとおり、

・「女の子」を「失礼な人間」として描きながら、「『失礼』と感じた人は差別主義者」という落とし穴を設定して、読み手誘導している点

・登場する高齢男性があからさまな「案山子であるのに、誘導していることを伏せつつ読み手に「一見自由判断」を促している点

この2点が特にこの漫画と合わせた該当のつぶやきを悪質なものにしているポイントです。

更に言うと、ツイ主の「男女格差を示すジェンダーギャップ指数では日本は153か国中121位でした。」という付け加えもまた、権威に基づいて自分の主張を正しいものと思わせようとする心理的誘導手法であり、これまた悪質です。

以上述べたようなことを、ツイ主はおそらく分かった上で、十分その効果理解して用いている……おそらく、その結果としてフェミニズムへの同調者が増えればよい、というおそらくはツイ主なりの善意判断で行っているのだと思いますが、そういう詐欺手法で人を集める行為は、長い目で見れば逆効果です。こういう詐欺手法は、人間性への信頼を欠いたものであり、人間性への信頼を欠いた手法で人を集める運動が、人類をよい方向へと導くことなどおよそ期待できないでしょう。

ツイ主は、十分このことを説明し、謝罪した上、該当のツイを撤回すべきだと私は思います。そして、続々と賛同ツイートをしている方々は、自分悪質商法被害者にならないよう、ご注意された方がよろしいかと存じます

2020-09-01

anond:20200901100008

この増田みたいに身内嫌悪拗らせて砂かけするのいかにもオタクの悪い部分という感じで

見ていて恥ずかしくなるんだよな 共感性羞恥?(?)



悪質な行為をする人にはマナーが悪いねって逐一注意するだけでいいことだ。それはオタク以外の集団でも同じだし、不必要自罰的になって主語(目的語)大きくして長々と書くことじゃない。

2020-08-30

[] 166

友達に、すごく自罰的・自虐的言動をするやつがいて。

一緒にゲームしてて、嫌だなと思う時がある。

面白くない自虐は、見ている方も気分良くはならない。

自分世界に入ってしまったりすると、自分自虐的物言いをしてしまうことが全然あるので、ってかこの日記でよくやってきたことなので、そこは反省したい。

8月最後土曜日は、自室の改造を進めたり韓ドラを見たり友達ゲームしてりしていた。

モニターアームを買ったが、机が広く使えて良い。同時にサウンドバーを買った(ディスプレイ付属スピーカーは音質が良くないらしい)ら、思いの外デカくて、机をはみ出した。

どうせ一人暮らしするしと、これまで現在住んでいる実家の自室環境投資することは避けてきたが、やはり買い物して環境が良くなると気分が良い。

観葉植物も買ったので、届くのが楽しみである

おやすみなさい。

2020-08-27

オタク」への自罰意識が強い高齢オタクってなんでああなっちゃったの?

10代だと自認が「オタク」の人間過半数なんだが、、、

2020-08-26

anond:20200826154216

あと、認知の歪みってのは自罰的だったりネガティブ思考のくせがついてるのでは?(これが精神トラブルの原因の1つとされてて、カウンセリングとかはこれを改善しようって目的が含まれる)ってだけの話だからあなたがまともだとかまともじゃないとか変とか変じゃないとかそういう話ではないからね

2020-08-13

anond:20200813233433

違わないが、社会はそれを罰しないので、それを自罰するお前の強い使命感が勝手に重めの足枷としてお前の足を引きずっている

2020-07-27

あなたの「死にたい」はどこから

日本人が口癖のように言う『死にたい」は、正確に翻訳すると『ハワイ行きたい』くらいの意味になる」

などという不埒ジョークTwitterでバズったのはいつのことだっただろうか。

あの時、「我々の高尚な希死念慮ハワイ如きで解消されるものか」と怒り狂った人間と、即座に会社を辞めて航空券を予約した人間と、どちらが多かったのだろうか。

なんにせよ言葉は可塑的だ。

同じ語でも文脈シチュエーション・なんなら話者にすら応じて無限に語義を変える。

大学を出て、人に文章を見せたり、逆に他人文章を読む機会が増えた今、それをひしひしと感じる。

あなたにとって○○と言う語は××的な意味を持つのしょうが辞書的には違います

あなたの言う○○を正確に定義しないと話が進まない」

なんて、我々は常に言葉意味を巡って対立するし、いつまで経っても話が進まない。

漢字意味からして、○○という言葉は〜」

などと宣う輩も少なくないが、漢字から語義が定義できるなら「豆腐」が食えるわけねーだろバカ

前置きが長くなった。要するに、言葉空虚で、我々は常に言葉の向こう側にある意味を察して生きている。

あるいは、我々はこんな小さな脳味噌に格納できるなけなしの語彙に、無限とも言える感情機微を無理やり詰め込んでいるのかもしれない。

ならば、我々が口癖のように言う「死にたい」も、その例外ではないはずだ。

死にたい」なんて短絡な語彙に、我々の高尚な希死念慮が収まるものか。

字面こそ同じであれ、そこには千差万別の剥き出しのゲンナマの感情が、千差万別の「死にたい」がある。

そもそも、死んだことのない人間が「死にたい」と思うとき、「死」そのものを渇望しているわけがない。

願望には期待がある。我々が未知のものに期待を抱く時、それは空想で、うち大抵は的外れな期待である

夏の東北涼しいだろうな、みたいな。かつて仙台楽天が夏にデーゲームをやって、えげつない数の熱中症患者を出したらしい。

話が逸れた。

我々が死に対して抱く願望はなんだろう。少なくとも「死」そのものではない。(よほど知的好奇心がない限りは)知らないものを求めるわけがないのだ。

私の「死にたい」は、突き詰めれば「自己の再構築への欲求・転生への欲求」であった。

自分が置かれた立場シチュエーションに全く不満のない私が「死にたい」と思う時、それは「状況に対応できない、愚鈍自分へのフラストレーション」であった。

自分という存在リセットすることで、あらゆる困難に立ち向かう「理想自分」が生まれるのではないか、という淡い希望を抱いていたのだ。

ハワイの例も、考えれ見れば「あらゆる責任放棄・直面した現実からの逃避」の言い換えだったのかもしれない。

また、私の友人は死にたい理由について「自罰であると答えた。「罪を背負う私は、罰として痛みを負うべきだと思っていた」と。

死ぬことが罰か。裏を返せば、死を望む彼女にとって、生こそ褒美だったとも言えるかもしれない。こればかりは本人にしかからない。

「汚れつちまつた悲しみは 倦怠のうちに死を夢む」

というのはかの有名な中原中也の詩の一節であるが、彼は死ぬことでその「汚れ」を綺麗さっぱり洗い流したかったのだろうか。

なんにせよ、死を知らない我々が死を望むとき、その望みの本質は、「死」そのもの以外のどこかにあるはずだ。

あなたが「死にたい」と呟く時、望むものは「死」そのものではないかもしれない。

あなたの「死にたい」の本性は何ですか?

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