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はてなキーワード: 自罰とは

2020-09-30

わかる。うちも奥さんがほぼ同じ傾向があるんだよ。

個別喧嘩の発端は…こちらに責があることもあれば向こうに責があることもあるし、最初自分我慢して済むならそれでもいいやと思ってたんだけど、やっぱり理不尽な怒りの暴発を難度も経験すると、徐々にこっちの自尊心が削れてくるし、不機嫌の徴候が見えるだけで心理的に身構えてしまうんだよね。無意識のうちに、相手地雷(どこに埋まってるかわからないんだけど)に触れないように立ち回るようになる。そうすると家庭が安心できる場でなくなってしまう。

もともと彼女自身にも、そういう感情的制御ができないことの自覚はあるし、直したいとも思っているんだけど、キレてる最中に「そういう言い方や態度はよくないよ」と意見しても耳に入らない。「どうせ全部私が悪いんでしょ」「はいはい、また私のせいなんだよね」となって会話を打ち切り、刺々しい振る舞い(ドタドタ歩いたりドアを閉めたりモノを乱暴に扱ったり)して、後には不機嫌な空気けが残る。これがなんともやるせない。一定時間が経って落ち着くと、何もなかったように振る舞うか、一応は「ごめんなさい」と言ったりもするんだけど、そういう殺伐とした感情って人の心を痛めつけるんで、お互い何もなかったように振る舞っていても、やっぱりこっちの心は無傷じゃなくて、刺されたり殴られたりした疼きが残る。たぶん相手の心も無傷じゃない。どっちにもいいことがない。

で、子供が生まれ物心がついてきたのを機に、お互いに真正からこの問題に向き合うことにした。子供が親の逆上や不機嫌に萎縮するようになったら誰にとっても不幸だ、というのはお互いの考えが一致していたので。

実はこの「子供との関係」というのが重要で、結論から言うと、彼女毒親母親)に非常に悪い育てられ方をしてきたことが全ての起点になっていた。母親自分から見ての義母は、幼い頃の彼女を蹴ったり殴ったりした。氷点下に近い納戸に数時間閉じ込めるという身体虐待もあったし、ネグレクト罵倒もあった。理由は、折り合いの悪い義祖母に顔立ちが似ていたから、ということもあったようだし、良家同士の見合い婚で専業主婦になった自分にとって「育児成功させ、娘は良家に嫁がせる」ということが唯一かつ至上の役割になっていたこともあったようだ。それほど受験戦争が激しくない地方にあって小さい頃から娘に複数の塾や家庭教師をつけ、成績が思うように伸びなければ「あんたはなんでできないの」「私が恥をかく」と詰め、娘の夏休み自由課題が賞をもらった翌年からは、傾向と対策を踏まえて母親課題制作し、受賞すればそれを周囲に誇るようになった。義母にとって娘は自己付属物であり、自分能力努力を表示する成果物だった。これは娘側の一方的証言ではなく、義母本人がそのことを問い詰められて(娘以上に感情的に)キレたり、逆に緘黙する状況を自分も見ているので、嘘や極端な誇張はないと思う。

そういう母親との間で育った娘である奥さんは、根本のところで自己肯定感がとてつもなく低く、「自分には価値がない」という強迫観念に苛まれていた。彼女は親元から離れたあと、亡父の尽力もあって学歴にはやや不相応な金融総合職につくことができ、廻りの高学歴人達に揉まれながらも持ち前の根性で「コネ入社腰掛けさん」に留まらない営業成果を出し、職場でも多くの同僚に認められるようになった。でも、これは見方を変えると「自分が無価値人間ではない」ということを自らアウトプットや業績評価によって証明し続けなければいけなかったからそうしていたわけで、その「頑張り」は結局は不安強迫観念によってドライブされてたんだよね。背景にそういう動機があって「頑張り続けなければいけない」人がどうなるかというと、最後メンタルヘルスを崩し、拒食症になり、自己都合で退職した。つらい。

その後いろいろあって彼女自分結婚したんだけど、お互いに落ち着いている時に(感情的チャージされてない状況で)この課題について話し合い、時にはネット情報心理学書籍なども参照しながら考えるなかで、激昂の背後にあるのは自己肯定感のなさだということが見えてきた。彼女は成長の過程で「人間能力や実績によってだけ認められるわけではなく、ただ人間であるだけで価値がある」という確信を得てこなかった。母親から与えられたのは条件付きの愛で、条件を満たさなければ存在自体否定された。だから「認められるために頑張る」という所作が身についた。

頑張りの中には「社会的に認められる人格を演じる」ということも入っているから、ソーシャルマナーちゃん実践できる。人当たりはよく、好感度も高い。しかしそれはあくまで「舞台」に立って「頑張り」を発揮して評価を獲得しなければならない状況での話で、身内にはこのルール適用されない。だから親族家族の中に(彼女基準で見て)頑張っていない人(例:私はこんなに頑張ってるのに、あなたは)、彼女の頑張りを認めてくれない人、彼女の頑張りの成果をスポイルする人(例:頑張って片付けたのにまた散らかして)に対しては、時に制御の効かない怒りを感じ、苛烈言葉や行動を直接ぶつけてしまう。自己肯定感が低いから、他者を無条件に肯定できない。自分に課した高いハードルと同じ評価基準相手にも課し、それを満たさな相手を詰る。そういうメカニズムがあるみたいだった。

ついでに言うと、彼女母親にとっては娘自身が「彼女の頑張りをスポイルする人」(一生懸命教育してるのに成果を出さずに「私に恥をかかせる」から)だったので、娘に対してそうした精神身体DVを繰り返していたわけだ。自己肯定感の欠如と感情コントロール欠如という点では似たもの同士だった母親彼女との喧嘩は、ちょっとした言葉尻の棘を捉えて相手を強く咎める(「それどういう意味?」とか「あなたはいっつもそう!」とか)の繰り返しで、なんでもないやりとりがあっという間に激しい罵倒応酬エスカレートしたりする。まさしく言葉の刃で刺し合うがごとくで、たまたまその場に居合わせ自分もぐったりと疲弊し、時にはあまりの情けなさに泣くこともあった。

ともあれ、我々2人は「こんなことが当たり前ではいけない、子供をこういう『こじれ』に巻き込まないようにしよう」ということをスタートにして、まず彼女母親との関係は明らかに機能不全に陥っていること、彼女母親過去も今も彼女自尊感情を蝕んでいること、自尊感情の乏しさが他者への非寛容や感情制御の困難につながっていること、自分母親承認/不承認にかかわらず価値のある人間だし、他人もそうだということなどをひとつひとつ確認していった。彼女最初は「母親はもしかしたら毒親だったのかも」程度の認識だったのが、あまりにも定型的な虐待パターンのど真ん中に自分いたことを知り、自分感情コントロールの難しさが個人資質というより関係病理に起因していることを学んだ。そうすることで、母親との関係も1:1の差しかいではなく、その関係自体第三者として見る視点を手に入れた。自分はそのとき情報考察の手伝いはしたけど、結局それは彼女自身自己探究の道のりだった。

それでどうなったかといえば、状況は明らかに良くなっている。奥さんアンガーマネジメントを少しずつ理解し、実践している。実際にキレる回数は格段に減った。キレてしまった時はそのままにせず、すぐ言葉にして反省するようになった。YOUランゲージを控え、Iランゲージを使って自分希望意志を率直に伝えられるようになった。母親とのやりとりもベタ足の殴り合いをするのではなく、だんだんと「所詮他人しかない、母親とのやりとりで感情的に消耗したくない」という感覚を持てるようになってきている。無駄に険悪になることもないが、母親から近しくしなければいけないという「演技」からちょっと解放された。やっぱり根本的な原因や構造が見えてきたことで、本人の物事の捉え方も変わってくるんだと思う。

…というわけで、うちの場合子供ができた結果、徐々に状況がよくなってきたんだけど、これ「子供が生まれたから良くなった」じゃなくて「子供いるから良くしないといけない」という問題意識を両方が持ったからだと思っている。逆に言えば、元増田場合子供ができなくたって「この状況を放置するのは2人の心理的安全性にとって良くない、2人の関係健康を損ねる」という意識で話し合うことができれば、だんだん建設的な方向に向かえるかもしれないよ。

さっきも書いたけど、うちの場合は、彼女病理というより関係病理だった。だから時間はかかったけど、こじれた関係を解きほぐすことが解決の糸口になった。元増田奥さんが同じかどうかわからないけど、参考になったらうれしい。お互いがんばろう。

anond:20200928211140

2020-09-29

anond:20200929104822

切れたので分けました

・このように私は研究職向いていないのではないか就活は①にすべきでは?と思うのだが、ただ、両親や教授就職課のお兄さんは、このまま理系就職した方がいいよって言うんです。

・母は、私がさっき挙げた研究職向いていないと思う要素のほとんどは、別に他の職種でも必要能力なのだから別にあなたはどの職種も向いていないのよ。そもそも働くのが向いていないのよ、でも就職しなきゃいけないの、と言うの。

・私は高学歴なのか?まあ一般にはそうなのだろうな。学歴足切りはされない学歴だとは思う。そりゃ東大とか偏差値的に上はいるけどね。

この大学に行きたくても入れない人は沢山いるんだよ、は色んな人に言われた。

就活を始めてインターンとかで他の学生所属を聞いて、エッ、優秀な化学系の大学って日本全国にめちゃくちゃあるじゃん!私その中じゃめちゃくちゃちっぽけじゃん!マジムリ!と思った記憶はある。狭い研究室の中で井の中の蛙をやれていた頃は幸せだったなぁ、とも当時思った。

まあ私の大学も、そのめちゃくちゃある優秀な化学系の大学ひとつではあるのだろう。

理系就職しないとしてじゃあどこに行きたいの?特に希望無いんでしょ?とも母に言われた。それはそう。大卒平均(できたらうちの大学卒業生無難金額くらい)は稼ぎたい、とはふわっと希望している。化学系の研究開発以外で何の業界があるのかどんな職種があるのかもよく知らない。知らない幸せがあるとM1の時は思っていた(就活視野を広げない言い訳とも言う)。あーあと敢えて言えば文系就職としてもいわゆる人気な業種は怖い。知り合いにいないのでよく知らないが、金融とか商社とかコンサルとかその辺ね。

就職課の人に言わせれば自己分析が足りないのだろうな。自己分析自己PR全然かけなくて1月かに発狂しながら作った。

・あれかしら、本当に退学しないまでも、第二新卒就職するつもりで少し就活するのはありだと思うの。下を知るべきかしら。

そういえば大学受験で病んだのも下を知らなかったのはあるかもな、と思っている。ハナクソほじってても入れそうな大学なんてひとつも知らなかった、高校の知り合いで、私がハナクソほじってても入れそうな大学に入っている人をかけらも知らなかった。

3年生の時に、今の学力そのままで受験になったとして入れそうな大学はどこですかと聞いたとき怒って教えてくれなかった塾の先生は少し恨んでいる。逆恨みだが。

高校受験別に病まなかったのは、私がまだ世間を知らずにぽやぽやしていたか理想が上がらなかったのが大きいと思うが、下を十分知っていたのもあるのかもしれない。楽に入れる滑り止めが沢山あったのもある。

んーただ受験就活を同様に考えるのは危険かなぁ

嗚呼やだやだ忘れてた「大学受験もっと勉強すればよかったな病」を思い出しちゃった

でもね、しょーじき大学受験ちっとも勉強しなかったし、浪人生ときセンター前2週間くらいしかまともに勉強しなかった記憶あるけど、それでもうっかりそこそこの大学に滑り込んでしまったじゃん。それが悪い意味成功体験にはなってると思う。あの時なんとかなったんだから今回もなんとかなるんじゃね?みたいな。

・院進学はほぼ即決で決めたが、就活したくないから、文系就職絶対病むから、院進をすればきっと就活楽勝だろう、は理由の半分くらいであった。もう半分は、内部進学します!と言わないと教授研究室に入れてくれなさそうだったのと、実験レポートは好きだったのはある。

この手の、結論先延ばしにしたいというモラトリアム思考でここまで来てしまう、勉強はできる人ってありがちだと思うのよね。ほら見た?ちょっと前に私が書いた理想キャリアプランもさ、結論先延ばしにしていると思わない?

・これ思いつきなんだけど、自信が無いのって有機化学ができないと思っているからかな?もう一度勉強したら自信がつくかしら?院試もう一度解いてみる?失くしたと思うから誰かから借りてやらなければならない。

あーでもこれは躁による無謀な思いつきな気がする。怖いな。

・というか今絶対躁入っているのよね、どうしよう、自己管理ができない。昨日の夜も興奮して眠れなくてこの追記を書いていたら筆が滑って朝になってしまった。

トラバ返信でもしたように、やる気が出るときと出ないとき乖離が激しくて、私は勝手に躁鬱のケがあると思っているのですが、頑張れる時期は馬鹿みたいに頑張れて徹夜休日実験早出残業も厭わないでできるのですが、できない時期は御覧のとおり引きこもる、というかんじで、高校時代から苦しんでいる。

一時期ラミクタールに手を出したが、就活で不利になるかな、というのと、平日ラボを休んで病院に行くのが嫌だったのと、お前のそれは薬じゃなおんねーよと友人に言われて2週間でやめた。

・今までの文章を読んでいただけたら分かるかと思いますが、私はどうにも理屈っぽくて、特に自己を語ると理屈っぽくなり、行動に移すまでにものすごく腰が重いという悪い癖があります。あまりよくない性格だろうなと思うので、改善出来たらいいのにな、とは思っています。やらない理由を探すのが得意で困ってしまます

この理屈っぽさを研究でも生かせればよかったのでしょうが、残念ながらあまり生きることはなく、見切り発車で実験をかけて失敗することが多いです。

それから自分選択責任を取るのが怖くて、つい逃げの言葉を使いがちなのもよくないと思っています。うっかり、とりあえず、などの副詞をよく使いますが、責任を逃れたい意識がにじみ出る言葉だな、と思って本当はあまり使いたくありません。

それから、私は自罰的で自己批判的である、との評価は人からよく貰います。そのこと自体はそんなに悪いことだと思わないで生きてきましたが、自己PRがかけらも書けないのが本気で困っています

それからもしかして謙遜と私の自己批判は違うのでは…?」みたいな思いが少しあります

・私はこれまで相談室のようなサービスを使うのにものすごく罪悪感があって、いや、今でもあるのですが、まあこんな状態なら使う権利があるだろう、と思って使うことにします。コロナ渦で登校する学生が激減して空きは多いそうです。

・いや、罪悪感と言うより、敢えて露悪的に書けば、「手のかからないいい子でいたかった」という話だと思う。これはB4になったばかりの時にめちゃくちゃ思って病んだが、もう教授迷惑をかけることは気にしないことにした。

本気でだらだら書いてしまいました。これだから女の話はつまらないと言われるのです。

と言うことで就職課に相談に行こうと思います

たすけて、いけるんじゃない?と思うときと「もうだめだおしまいだ」と思うときが交互に訪れている。

2020-09-28

自己評価他者評価

ビジネス書教育YouTuber動画ほとんどは他人コンテンツ安易模倣であり間違えた情報を発信していることが多い。自分はそういうものを見たときに嫌な気持ちになるが、人によってはおもしろかった、役に立ったなどとコメント欄感想を書き込む人もいる。価値観個人差があることは分かっているつもりだがその光景を目の当たりにすると自分評価の仕方を過信しては行けないと思うようになった。

特に自分という存在に対する自分評価自己評価)には気をつけたい。自分のことを無知無能で愚かな人間であるという思いから抜け出せずにいるが広い社会には自分のことを好意的評価してくれる人がいるかもしれない。完璧主義自罰的な性格簡単には修正できないが少しだけ自分に優しくしようと思う。

2020-09-08

anond:20200907223020

ムカついたってのは傷ついたんだよな

傷ついた結果、他罰的になるか、自罰的になるか

他罰的な人間は「自分は傷ついたりしない」と思いがちだし

他罰なうえ、攻撃することで解消する輩は、自分は楽に生きてると勘違いする

愚連隊暴走族チーマーカラーギャング半グレ、総括してDQNとも呼ばれるが

こういう人間に顕著な傾向

総じて心が弱いんだろうな

から、外に転嫁しないと生きていけない

他者と調整することができない無能暴力解決する

これを行えない人間で、かつうまく立ち回れない奴は、自身に抱え込むことになる

「うまく生きる」のは本当に大変で

自分を出せる楽な居場所として自分にあったミュニティに属するのが手っ取り早い解決

BLでも、エロゲでも、SNSでも何でもいいけどね

2020-09-07

「この漫画女の子を見て…」のつぶやきがタチ悪い理由

「この漫画女の子を見て、失礼な子だと感じたならばそれこそがジェンダーバイアスです。」https://togetter.com/li/1587929 が、タチの悪いプロパガンダである件。

〈目次〉

 1「お、若い女の子だ。どれ教えてやろう」について

 2「せっかく教えてやろうとしてるんだ 女らしく素直に聞け」について

 3「ハイ ミソ男決定~」について

 4まとめ

これは、いくつかの点で非常に問題のある漫画です。

1「お、若い女の子だ。どれ教えてやろう」について

・これは登場する男性氏「おっさん」の内心の語りであって、「女の子」は知る由もないはずです。にも関わらず、ただ「ぺらぺら」と話し始めた男性氏に対して「お?マンスプか?」と反応しています。これは、性別、年齢からくる偏見に過ぎません。同年配、同性になら、同じことをされても「マンスプ」とは反応しなかったでしょう。

・おまけに、彼女は初対面の相手に「オッサン」と声に出して呼んでいます男性氏が「女の子」にどのように声掛けしたかはかかれていませんが、もし「そこの小娘」みたいな侮蔑的な声掛けをしたとしたら、漫画の設定上これを省略することは考えられませんから普通の呼びかけであったと考えるのが妥当でしょう。ならば、「女の子」の反応は普通に言って大変「失礼」な行為であり、明白な年齢差別であり、この「女の子」は差別思想の持主だと断定せざるを得ません。はっきり言えば、年齢差別、そして、性差別者(ミサンドリスト)の疑いがあります

そもそもこの男性氏ですが、見も知らぬ「若い女の子」に偉そうぶって「教えてやろう」とする高齢男性、という設定が、大変奇妙に感じられます。私の知る限り、こういうケースで「ぺらぺら」と得意そうにしゃべる人は、相手が「自分よりその道に詳しくなさそう」と思えば、性別や年齢に関わらずマウントを取ってくる方が一般的です。実際問題として、それなりの地位もある高齢男性普通見知らぬ年下女性に気軽に声をかけたりしないものです。それでも声をかける人は、「若い女の子に偉そうぶりたい」から声をかけるのではなく、単に「ワンチャンあるかも」というスケベ根性で声をかけているに過ぎないわけで、そういう人は、初手から偉そぶったりしません。つまり、この男性氏のキャラクターは「想像で作り上げられた存在」であり、これはいわゆる案山子論法における案山子の疑いがあります

2「せっかく教えてやろうとしてるんだ 女らしく素直に聞け」について

・これも大変不自然です。「女の子」の反応とこの発言を絡めれば、男性氏は「マンスプレイニング」という言葉を知り、かつ、その略語すら理解し得たということになるでしょう。高齢男性にしてはなかなかフェミニズム文脈をよく理解しています。そんな人が、このような行為に出たり、このような発言をする明らかなミサンドリストに、このような定型的な怒り言葉を投げつけるでしょうか? 大変不自然です。きわめて「案山子」的です。

特に「女らしく素直に聞け」という言葉が極めて不自然です。「オッサン」呼ばわりは無視して「素直に聞かない」部分に怒っているのですか? ふつうは「その口のききかたはナンダ!」でしょう。

・こう言うと、おそらく「よくある反応を定型的に描いただけで、こういう風に内心思って似たような行動をする男性が多い、ということを言うための漫画表現です」といった返しが想定されますしかし、それは卑怯な言い分です。なぜなら、読者は、この一連の流れを見た上で「この『女の子』側に同調できなければ、あなたジェンダーバイアスの持主だ」とあらかじめ縛られているからです。つまり、この漫画をこのままの形で受け取り、かつ「女の子」を肯定するよう強いられた上で、改めて「案山子」を殴る「ミサンドリスト」の芝居を見せられているわけですよ。そういう縛り方をしないで見せているのならば、まだ「よくあるプロパガンダ漫画だ」で済むでしょう。しかし、一見相手自由判断を委ねるように見せかけながら、実は、戯画によって結論を縛っているというのは、広告手法としても割と下劣なやり方です。少なくとも、まともなフェミニストなら取るべき方法ではありません。

3「ハイ ミソ男決定~」について

・この場面、「オッサン」呼ばわりに続いて、「女の子」は「ミソ男」という、おそらく蔑称を使って、目線を合わさず相手にしないことを明白にして、明らかに相手煽りにいっています。ここまで、男性氏の方は、なるほどナチュラル男性上位な思想をもっていたのかもしれませんが、「女の子」の煽りによって逆上するまでは社会的に見て不正な態度を取っていたわけではありません。つまり客観的に見れば「煽ったのは明らかに女の子』の方」なのです。この漫画は、そう描かれているのです。つまり作者は、この「女の子」を十分「失礼」な人間として描いています。なぜだか分かりますか? それは、女の子を「失礼だ」と感じる人が多い方が、「自分ジェンダーバイアスの持主なのか…」と自罰的に反省する人が増えるからです。実際、Twitterの反応を見れば分かりますが、男性陣が、こぞって「男性無礼だ」云々と滑稽なほどに反応しています。彼らには、この「女の子」の失礼さが見えないのでしょうか?……いやいや、そんな訳はありませんね。事実は逆で、彼らは実は「女の子を『失礼だ』と感じてしまった」ので、それがバレないように「正解」とされる振舞いを行っているだけなのです。そして、それこそが作者の狙いなのです。実に悪質なプロパガンダです。再度言いますが、この「女の子」が「失礼」だというのは、普通の受け取りであり、ジェンダーバイアスの持主であるか否かとは無関係です。そして、それは描き手が一番よく分かっているのです。

4まとめ

以上述べてきたとおり、

・「女の子」を「失礼な人間」として描きながら、「『失礼』と感じた人は差別主義者」という落とし穴を設定して、読み手誘導している点

・登場する高齢男性があからさまな「案山子であるのに、誘導していることを伏せつつ読み手に「一見自由判断」を促している点

この2点が特にこの漫画と合わせた該当のつぶやきを悪質なものにしているポイントです。

更に言うと、ツイ主の「男女格差を示すジェンダーギャップ指数では日本は153か国中121位でした。」という付け加えもまた、権威に基づいて自分の主張を正しいものと思わせようとする心理的誘導手法であり、これまた悪質です。

以上述べたようなことを、ツイ主はおそらく分かった上で、十分その効果理解して用いている……おそらく、その結果としてフェミニズムへの同調者が増えればよい、というおそらくはツイ主なりの善意判断で行っているのだと思いますが、そういう詐欺手法で人を集める行為は、長い目で見れば逆効果です。こういう詐欺手法は、人間性への信頼を欠いたものであり、人間性への信頼を欠いた手法で人を集める運動が、人類をよい方向へと導くことなどおよそ期待できないでしょう。

ツイ主は、十分このことを説明し、謝罪した上、該当のツイを撤回すべきだと私は思います。そして、続々と賛同ツイートをしている方々は、自分悪質商法被害者にならないよう、ご注意された方がよろしいかと存じます

2020-09-01

anond:20200901100008

この増田みたいに身内嫌悪拗らせて砂かけするのいかにもオタクの悪い部分という感じで

見ていて恥ずかしくなるんだよな 共感性羞恥?(?)



悪質な行為をする人にはマナーが悪いねって逐一注意するだけでいいことだ。それはオタク以外の集団でも同じだし、不必要自罰的になって主語(目的語)大きくして長々と書くことじゃない。

2020-08-30

[] 166

友達に、すごく自罰的・自虐的言動をするやつがいて。

一緒にゲームしてて、嫌だなと思う時がある。

面白くない自虐は、見ている方も気分良くはならない。

自分世界に入ってしまったりすると、自分自虐的物言いをしてしまうことが全然あるので、ってかこの日記でよくやってきたことなので、そこは反省したい。

8月最後土曜日は、自室の改造を進めたり韓ドラを見たり友達ゲームしてりしていた。

モニターアームを買ったが、机が広く使えて良い。同時にサウンドバーを買った(ディスプレイ付属スピーカーは音質が良くないらしい)ら、思いの外デカくて、机をはみ出した。

どうせ一人暮らしするしと、これまで現在住んでいる実家の自室環境投資することは避けてきたが、やはり買い物して環境が良くなると気分が良い。

観葉植物も買ったので、届くのが楽しみである

おやすみなさい。

2020-08-27

オタク」への自罰意識が強い高齢オタクってなんでああなっちゃったの?

10代だと自認が「オタク」の人間過半数なんだが、、、

2020-08-26

anond:20200826154216

あと、認知の歪みってのは自罰的だったりネガティブ思考のくせがついてるのでは?(これが精神トラブルの原因の1つとされてて、カウンセリングとかはこれを改善しようって目的が含まれる)ってだけの話だからあなたがまともだとかまともじゃないとか変とか変じゃないとかそういう話ではないからね

2020-08-13

anond:20200813233433

違わないが、社会はそれを罰しないので、それを自罰するお前の強い使命感が勝手に重めの足枷としてお前の足を引きずっている

2020-07-27

あなたの「死にたい」はどこから

日本人が口癖のように言う『死にたい」は、正確に翻訳すると『ハワイ行きたい』くらいの意味になる」

などという不埒ジョークTwitterでバズったのはいつのことだっただろうか。

あの時、「我々の高尚な希死念慮ハワイ如きで解消されるものか」と怒り狂った人間と、即座に会社を辞めて航空券を予約した人間と、どちらが多かったのだろうか。

なんにせよ言葉は可塑的だ。

同じ語でも文脈シチュエーション・なんなら話者にすら応じて無限に語義を変える。

大学を出て、人に文章を見せたり、逆に他人文章を読む機会が増えた今、それをひしひしと感じる。

あなたにとって○○と言う語は××的な意味を持つのしょうが辞書的には違います

あなたの言う○○を正確に定義しないと話が進まない」

なんて、我々は常に言葉意味を巡って対立するし、いつまで経っても話が進まない。

漢字意味からして、○○という言葉は〜」

などと宣う輩も少なくないが、漢字から語義が定義できるなら「豆腐」が食えるわけねーだろバカ

前置きが長くなった。要するに、言葉空虚で、我々は常に言葉の向こう側にある意味を察して生きている。

あるいは、我々はこんな小さな脳味噌に格納できるなけなしの語彙に、無限とも言える感情機微を無理やり詰め込んでいるのかもしれない。

ならば、我々が口癖のように言う「死にたい」も、その例外ではないはずだ。

死にたい」なんて短絡な語彙に、我々の高尚な希死念慮が収まるものか。

字面こそ同じであれ、そこには千差万別の剥き出しのゲンナマの感情が、千差万別の「死にたい」がある。

そもそも、死んだことのない人間が「死にたい」と思うとき、「死」そのものを渇望しているわけがない。

願望には期待がある。我々が未知のものに期待を抱く時、それは空想で、うち大抵は的外れな期待である

夏の東北涼しいだろうな、みたいな。かつて仙台楽天が夏にデーゲームをやって、えげつない数の熱中症患者を出したらしい。

話が逸れた。

我々が死に対して抱く願望はなんだろう。少なくとも「死」そのものではない。(よほど知的好奇心がない限りは)知らないものを求めるわけがないのだ。

私の「死にたい」は、突き詰めれば「自己の再構築への欲求・転生への欲求」であった。

自分が置かれた立場シチュエーションに全く不満のない私が「死にたい」と思う時、それは「状況に対応できない、愚鈍自分へのフラストレーション」であった。

自分という存在リセットすることで、あらゆる困難に立ち向かう「理想自分」が生まれるのではないか、という淡い希望を抱いていたのだ。

ハワイの例も、考えれ見れば「あらゆる責任放棄・直面した現実からの逃避」の言い換えだったのかもしれない。

また、私の友人は死にたい理由について「自罰であると答えた。「罪を背負う私は、罰として痛みを負うべきだと思っていた」と。

死ぬことが罰か。裏を返せば、死を望む彼女にとって、生こそ褒美だったとも言えるかもしれない。こればかりは本人にしかからない。

「汚れつちまつた悲しみは 倦怠のうちに死を夢む」

というのはかの有名な中原中也の詩の一節であるが、彼は死ぬことでその「汚れ」を綺麗さっぱり洗い流したかったのだろうか。

なんにせよ、死を知らない我々が死を望むとき、その望みの本質は、「死」そのもの以外のどこかにあるはずだ。

あなたが「死にたい」と呟く時、望むものは「死」そのものではないかもしれない。

あなたの「死にたい」の本性は何ですか?

2020-07-26

anond:20200726041756

べつにいいじゃないか

そんなことに自罰的になるなよ

私のようにどっちか片方を死なせてしまったり、酷い目に遭わせるのが好きな嗜好に比べれば健全だよ

フィクションなんて多かれ少なかれ、どこかしら邪悪欲望でできているものだよ

2020-07-07

anond:20200707174328

文章全体通してわかることは根がネガティブからネガティブな回答を思い浮かべるけど、ネガティブな回答がTPOに即してないことをその場で理解するくらい頭の回転がはやいから転げ回ってるんだと思う

難しいことを考えすぎてるから、自省と自罰的な態度を自分にとっちゃってるんだと思う

自分自分、褒めてもらって嬉しかたこととかを文字に書いて、目につくところにでも貼って、何事もポジティブに言い換える癖をつけたらすぐに悩まなくて済む様になると思うよ

2020-07-03

anond:20200703193938

自分に厳しい人間は、他人にも厳しくなりがちであるもっと正しく言えば、他人に厳しくする免罪符として、自分を縛っている場合がある。「私は○○してあげたのに、向こうは何も返してくれない」と悲しくなるのはわかるが、そもそも向こうは○○してくれることをこちらに要求したのか? 見返りを約束したのか? と自問を忘れてはならない。

ほんっっっっっと、これなああああ

あいう人らは別に自分に厳しいんじゃないの

誰よりも他罰的で攻撃的で、それを正当化するために自罰ポーズを取ってるだけなの

から自罰ポーズあくまで前置きで、本題はその後の気に食わない奴へのヘイト誘導しかない

「私が悪いんですぅ~;;」とか言って涙流しながら、「こう言えばみんなあいつを叩いてくれるかな~」って指の隙間からチラチラしてやがるのがミエミエなあのムーブ

めっちゃイラつく

おけけパワー中島人間関係に対価システムを持ち込むオタク

 最近、おけけパワー中島(以下おパ島)という概念が新たに出来た。

 初出は2020年6月7日投稿された真田氏漫画秀才字書きと天才字書きの話です」に出てくる、主人公が崇拝レベルで慕う神字書きと仲のいい相互フォロワーハンドルネームなのだが、多くの同人界隈にそれぞれのおパ島(概念)がいるようで、漫画に感銘を受けた声と、同人オタクの怨毒と悲鳴とともに一気に広まった。

 どの悲鳴も新鮮かつ悲痛なものであり、お気持ち文が好きな人には是非ともツイッター検索をかけて苦酸っぱさを味わってほしい。

”おパ島にはなれないから、文を極める”という危険

 私が「秀才字書きと天才字書きの話です」と続編「神字書きがジャンル移動する話」を読んで思ったのは、「七瀬の思う人間関係と綾城、おパ島の人間関係が綺麗に事故ってるなあ」だった。

 おパ島ツイートでおもに悲鳴を上げているのは、ほとんどが七瀬サイドの人間である。私もその一人だ。

 七瀬サイドに共通する価値観、それは(こと創作において)人間関係を対価システム(相手に対価を与えることで関係性の維持をしようとする行い。造語)で考えすぎているということだ。ここでいう対価は「持ちうる実力が等しいか相手への献身交流メリットを感じてもらおうとする」こととする。神と親しくするには神に次ぐ力を手に入れるか、はたまた敬虔信徒でないと許されないと自縄自縛してしまうのだ。

 人間関係に対価システムを持ち込むこと自体は悪くないのだが、度が過ぎれば問題となる。だいたいの場合、まず真っ先にメンタルがやられてしまう。

 現に七瀬は、「もっと上手くなりたい 綾城さんに興味を持ってもらえるくらいの字書きになりたい」が段々と、「フォロバされないし自分作品へのコメントもない(興味を持ってもらえていないと判断できる)=自分の実力が足りないのだろう」と考えるようになり、最終的に「おパ島の感想ワンパターンなのに興味を持ってもらえてる=自分の実力はおパ島に負けてしまレベルの乏しさである」と思うまでに至ってしまった(そもそも七瀬はおパ島の作品ちゃんと読んだことがあるのか疑問だが、仮に読んでいたなら感性正反対だったか袈裟まで憎かったのだろう)。

 最終的に七瀬は綾城をブロックしようとまで決意するも、イベントで本を出すというツイートに負け、足を運び、実は認知されていたことを知って(そのうえ誉め言葉までもらって)感情が爆発……と終わる。

 神に認知されていた、自分作品が神に刺さった。これは紛れもなくハッピーエンドだろう。そのうえで最後に七瀬にひとつ言いたい。カウンセリングに行け。

努力方向性と対価システム

 七瀬サイドの人間は、まず基本的陰キャである。そしてコミュ障気質メンヘラだ。遠慮深く自罰的で、自分の低さを保つため、少しでも秀でたところのある人は、雲上人にしたがる。神と親しくなりたい場合、友人としての交流ではなく、相手の持ちうる才と肩を並べか献身することで距離を縮めようとする。神の作品はすべて拝み、ふぁぼりつし、匿名感想も送る。作品を愛しているのは勿論のこと、それが対価のひとつになるからだ。

 しかし綾城サイドはそうではなく、基本的に居心地の良い、話して楽しい人と交流する。才能はあればもちろん喜ぶだろうが、文才がいきなり枯渇しても、変わらず交流し続けるだろう。七瀬サイドが枯渇したらば、「相手につり合えない」という気負いから、ひっそりと疎遠の道を選ぶ。

 この人間関係に対する価値観のすれ違いを解消しないと、一部のおパ島に敵意を隠し切れない人が毒マロを送ったりしてしまう。幸運にも七瀬友川はそうはしなかったが。

 あくまストイック彼女らは、いつか綾城とグランド対峙するため、動体視力を鍛え日々素振りをし、強打者になるまで至った。しかし不幸にも、綾城と相互になるために必要技能サッカーであった。

 創作界隈では、作品と作者への好悪は分けて考えるべし、という戒めがある。綾城が七瀬にフォロバしないのもおそらくはこれだ。綾城が七瀬に向ける感情嫌悪レベルまで行かないだろうが、人間としての興味が薄いのは確実である。七瀬→→→→→→→→→→→→(←←)綾城ぐらいの温度差があるだろう。

 自分に厳しい人間は、他人にも厳しくなりがちであるもっと正しく言えば、他人に厳しくする免罪符として、自分を縛っている場合がある。「私は○○してあげたのに、向こうは何も返してくれない」と悲しくなるのはわかるが、そもそも向こうは○○してくれることをこちらに要求したのか? 見返りを約束したのか? と自問を忘れてはならない。

 「神字書きになれば相互になれる」という考えは綾城との関係を対価第一で考えてる証拠であって、神字書きである綾城はおそらくそういうメンヘラを何人も相手してきたのだろう。対価システム持ち同士なら事故にならないが、綾城はそうではない。結果事故る。

 つまり、綾城が何を書こうが肯定してくれるし特定ジャンルに縛り付けようとせず、良いものは素直にほめたたえ、地雷薄めのおパ島と仲良し続けるのは当然のことなのだ。つらい。

最後

綾城さんをktgにはめたのは私なので感謝してもええんやツイート死ぬほどむかついたし、私なら確実にブロックする。陽キャオタクの誇張した物まねしたみたいな不快感があった。あそこで怒りを飲み込み攻撃うつらなかった友川はすごいと思う。


追記

 定期的にツイッターで「日常ツイートを控えろと要求する匿名メッセージは、アカウント乗っ取りたい奇人仕業である」という啓蒙バズるが、私は半分近くは七瀬サイドの人間が送っているのだと考えている(残りの5はアンチ、1は奇人)。なぜなら七瀬サイドには、見える形での他者との交流否が応でも気になってしまうから

 神とたたえる創作者には自分理想から外れてほしくないという欲求は、七瀬サイドの人間が抱きがちである。神には自分が認めたと才能の持ち主とのみ交流してほしいし、自分と同程度かそれ以下(に見える)の存在は歯牙にもかけないでほしい。なぜなら、これほど恋い慕って対価を払っている私が、歯牙にもかけられていないのだから、と。

 酸っぱいぶどうをするのは個人自由だが、木登りのできる他の狐の足を引っ張ったり、ぶどうの実りを妨害するまで至っては、個人問題では収まらない。跳躍力のない狐は、「神もおパ島も自分とは違う価値観・考え方の持ち主である」という自他の区別が付けられるまで、臍を噛み続けるしかないのだ。つらい。

補足

 幸いにもたくさんの方が見てくれていたので補足。「七瀬が本当に綾城と親しくなりたいなら、匿名をやめてメッセージを送ればいいのではないか」という感想散見されるが、私の解釈では、七瀬→綾城はあくまで憧れであり、そこまで親しくなりたいとは思っていないだろう。信仰は遠きにありて清いものなので、自分含め普通人間が近寄るのは解釈違いなのだ(ファンクラブの抜け駆け禁止や、百合に挟まる男を殺す男のようなもの解釈してもらってもいい)。

 また、綾城が求めるのが有能なメンヘラではなく気の置けない相手というのを理解したとして、その気の置けない相手になるために七瀬が行うのはやはり、研鑽という名の献身だ。本能的におパ島になれないことはわかってるからこそ、”小説で”有能さをアピールするしかない。そしてフォローは返らない。

 七瀬サイドの人間がなぜ先に実力アピールにいそしむのかというと、上にも軽く書いたが、生育環境の影響が大きいだろう。自己肯定感のない人間は、特技や相手の苦手な分野をカバーして、恩人・利用価値のある存在になろうとする。見捨てられ不安が強いための行動なのだが、出しゃばりすぎたりマウントに見えてしまい、結果距離を取られてしまいがちだ。

 仮に七瀬が綾城と相互になったとして、フォロー解除されないためにひたすら小説練習をするだろうし、おパ島のリプライには相変わらずむかつくし、おパ島と同じツイートに話しかけたとき、どうしても生まれしまう扱いの差をリプライから敏感に感じ取って病むと思われる。七瀬の地獄はこれからだ。つらい。

補足その2

■七瀬サイドの人間はなぜ対価システムに至るのか(おけけパワー中島)

https://anond.hatelabo.jp/20200704211736

対価システムについて、若干掘り下げたものである科学的な根拠などはほぼないため、眉唾程度にとらえてもらえるとありがたい。

2020-06-18

anond:20200618144108

これって思うに、政治的思想的なスタンスの話ではないんじゃないかな。考え方の癖みたいなもので、たとえば何らかのトラブルがあった時に、「わたしは悪くない、あいつのせいだ!」と反応しやす他責的な思考パターンと「ここに原因があったかもしれない、次は気をつけよう…」ってなる自罰的な思考パターンがあるように。

自分たち」という範囲の設定と、「何がよいか、わるいか」の判断基準が人によってずれていることによって、自分たち(これが世界全体だったり、自国だったり、自分だけだったりする)への反応の仕方が異なっているというか。

2020-06-02

ジェンダー自罰他罰共依存エコーチェンバー

フェミニズムメンズリブジェンダーDV問題言及しようとしたり観察していると

他罰的な人と自罰的な人が罪悪感を通して共依存的な関係に陥ったり

他罰的な人と他罰的な人がエコーチェンバーに陥ったり

自罰的な人と自罰的な人が遠慮しあって対話できていない

そんなのばかり見てしまっている

まずは自分の罪悪感とその投影である怒りをメタ的に見ないと激しい感情の動きや感情操作しようとする人たちに飲み込まれ養分にされるだけだ

2020-05-26

素直にやればいいのに無駄自罰的なところが出てくるのは、抑圧された過去でもあるのか?

2020-04-04

在宅勤務が始まり、いまが人生で1番幸せな春

零細企業社員。昼食は公園弁当派。

職場転々としているから春は毎年違う公園で桜を見る。

去年は池袋で桜を眺め、来年自分はどこにいるか考えながら、ぼんやり米をほうばっていた。

それがまさか在宅勤務になって、マンションの桜を見ながら弁当を食べてるとは思わなかった。

マンションの桜はいつも子供が遊んでいる広場に咲いていてやや近寄り難く、いつも気がついたら散っている存在だった。

在宅勤務の昼休憩は12からと決まっている。チャットで休憩に入りますと伝えるのもルール

いつもの弁当箱じゃなくて、洗いやすいタッパーに米と昨日の残りの春巻きと卵焼きだけつめて階段を降りると、マンション広場にはそこそこ人がいた。みんなそれなりの距離を保っている。

年代夫婦はシートを敷いてお弁当を広げ、老夫婦はベンチに座ってパンを食べて、子供母親サッカーをしていた。

のどかだった。牧歌的という言葉が頭をよぎった。

わたしも空いていたベンチに座って、秒で作った雑弁当を食べ始めた。見た目は最悪だけど美味しい。

こんな真っ昼間から、後ろめたさもなく、堂々と当たり前にマンション敷地内にいるのに不思議気持ちになった。

桜を楽しみながらタッパーの中身を食べて、お茶を忘れたことに気がついて部屋に戻った。

お茶を淹れたあとはベランダに出た。

さっきまでいた広場を見下ろすと、サッカーをしていた子供母親の輪に父親が増えていた。平日の昼間から家族3人でサッカー父親も在宅勤務で昼休みなのだろうか。いい光景だ。

父親経験者なのかボールを蹴るのがうまかった。

少し昼寝をして、チャットで戻りましたと言ってまた仕事に取り掛かった。

在宅勤務になってパワハラめいてる上司への緊張と萎縮がなくなった。画面に資料が映ると声だけになって圧が減る。バンバンと机を叩くマウスの音が聞こえないか資料に集中できる。資料が映ってない時は上司ウインドウを小さくしてしまえばよかった。小さい画面の中で動く上司はいかつい顔をしていても怖くない。愉快。

仕事が終わった後は、凝り固まった体をどうにかしたくて、そして少しでも運動不足が解消されるように沢山の家事をする。

食器を洗い、ご飯を作り、ルンバクイックルワイパーかけて、洗濯トイレ掃除をする。 

今まで平日夜に家事をすることなんてほとんどなかった。かろうじて弁当箱だけ洗って他は放置していた。

常に洗い物が溜まってるシンク空っぽだと誇らしい。

ご飯を作り出すと匂いにつられたパートナーが、休憩がてら部屋から出てくる。

一緒にごはんを作ったり、やることがなければ他の家事をしてくれる。

パートナーは週の半分は会社に泊まり、もう半分は終電という働き方をしている激務の人だった。平日はおろか、土日でも会えない期間があった。

それが4月になった途端、突然今までの倍以上の時間を一緒に過ごせるようになった。

昨日は引っ越し2年目にしてはじめて魚を焼いた。魚焼きグリルの使い方がわからなくて二人で調べながら頑張った。

冷蔵庫をあけて食材がぎっしり詰まってる光景もはじめてでわくわくする。今まではコンビニマクド外食だった。

パートナー集中力が切れて深夜休憩にはいタイミングで、少し歩いて二人でスーパーに行く。

米や肉や野菜お菓子を買った。

年末に買った米3キロがようやく無くなった。元々少なくなってたけど毎日食べてるとあっという間で驚いた。

肉や野菜エコバッグに詰める。腐らすことなく干からびさせることなく使い切れる確信を持てて嬉しい。満ち足りた気持ちで帰り道を歩いた。米は重いから交代で持って、Amazon使えばよかったのになんで買ったんだと笑った。多分ふたりともこの非日常に浮かれていた。

すっかりコートのいらない気温になっている。

夜桜が綺麗だった。

月も霞がかって風情があった。自然の美しさをそのまめ受け止められる心の余裕がある。 

夜桜を見上げながらずっとこんな生活をしてみたかったと気がついた。

夢が叶った気分でいる。

実際に似たような生活をしていた期間もあったけど、それは無職の時はだった。焦燥感自罰感情自暴自棄だった。

いねいな生活ってこういうのを言うのかな。心のゆとりをもって生活する日々がこんなに幸せなんて知らなかった。

状況が悪化したら心のゆとりなんて無くなるかもしれない。自分や大切な人が死ぬかもしれない、この局面を乗り越えても不況がきて失業するかもしれない。

それでもこの先こんな幸せな春は二度とこないから書き記したかった。

大変な人もいて不謹慎から匿名で書いた。

匿名ダイアリー日記を書くページ前のクイズは妙にマニアックなのがあって面白かった。

2020-04-01

コロナ限界風俗嬢(ご指摘について補足)

こんばんは。

田舎ホテルホテルを行ったり来たりしながら春をひさいでいるアラサー女です。

 

みなさん、どうですか? コロナは。

 

私は今のところリピーターお客様に支えていただいてなんとか影響のない状態です。

しかし増える待機嬢やインターネット上での接客サービス業従事者へ対する批判誹謗中傷の数々。

 

お客様には「できる限りの予防はしてるけど」「どうしようもないね」「早く収まってほしいね~」 なんて笑いながらも内心不安でいっぱいです。

 

私はとても体が弱い体質です。

というのも、数年前営業職をしていたとき過労とストレス溶連菌感染症をこじらせて肺炎に罹ってから

慢性扁桃炎を患い、少しでも無理をするとすぐに40℃前後発熱で1週間寝込みます

週3~4日、厳しく体調を管理しながらならなんとか働ける、という状態です。

なので普通の週5日9時5時の仕事は到底できません。

 

私には頼れる親類がおらず、どうやっても自活をしなければなりません。

しか育児放棄虐待自殺未遂を繰り返す母と、母からDVに重度鬱で人間不信の父と崩壊した家庭で育ち

高校入学と同時に一人暮らしを始めた私は、15歳から働き続けそれでも学費を払えず高校中退学歴資格もありません。

田舎では車も手放せない。ようやく住み慣れた独り住まい外聞もある。多重債務があるため債務整理などすれば将来にも影響が出る。

 

そこで選んだのが仕事量の自由が効き、小日数で生活費を賄える風俗業でした。

 

なんとか暮らしながら、債務を返済できる。

あと2年くらい騙しだましやっていけば、風俗嬢として消費期限が来る前に完済できるかも。

そしたら生活が楽になるから資格を取って普通仕事でも暮らせるかも。

きっと結婚なんかできないけど、やれるところまでやってみよう。

 

どうにかなる。どうにかなる。悩んでも変わらないことは諦めて、今できることをやろう。

 

新型コロナウイルス

その言葉を聞いたのはそんなことを考えていた矢先のことでした。

隣国から始まった対岸の火事がどんどん火の粉を上げて迫って来る。

 

自粛で誰もお客様が来なくなったら?もしかしたら、お店が休業になってしまうかも。

そしたら、家もなくなる。ご飯も食べられない。2ヶ月と持たずに死んでしまう。

不安であらゆることを調べました。

 

傷病手当? 休業手当?

給与明細存在しない。給与が減ったことを証明できない。

債務整理

10年以内の借金は利息以外減額できない。信用情報に傷が残る。数年内に買い換えなければいけないのに車のローンが組めなくなったらどうしよう。

もしもの時の生活命綱としてクレジットカードを全て失うわけにはいかない。

生活保護?

親類に居場所を知られたくない。まだ20代から支給は難しい。ただでさえ国民健康保険が滞納がちだ。市役所には行き辛い。

アルコール依存症じみていた時期はあるが、意地を張って心療内科にもかかったことがない。

かかりつけの耳鼻咽喉科以外に病院歴や労働ができないことを証明できるものがない。

今は絶縁して生活保護の母。年金暮らしの父。障害手帳持ちの姉。家族には絶対に頼れない。

もしかして、詰んでる?

 

働かなきゃ。どんなに批判されても、誰も私におまんまを食わせてくれるわけじゃない。

私に帰る場所をくれるわけじゃない。私を今すぐ殺してくれるわけじゃない。

 

私よりきっと聡明社会性があって正しく上出来な人間の皆様には読むに値しないと思いますが、

以下、私が見かけた中で予想されるコメントを置いておきますのでコピペしてご活用ください。

 

「3行でまとめて」「読みづらい」「楽して稼ごうとした罰」「自分のことしか考えてない」

「つまり自業自得ってこと?」「風俗なんかやるんだからそのくらい覚悟しろ」「肉便器人間ヅラするな」「家族や大切な人のことを考えて」

「金に目が眩んだ人間の末路」「危機感なさすぎ」「日本から出ていけ」「勇気を持って」

悲劇のヒロイン」「甘えんな」「こういうやつが撒き散らすんだな」「みんな我慢してる」「感染元のバカ女」「ヒステリー乙」




明日もご来店を心よりお待ち申し上げております

2020/4/8

たくさんの反応をいただいていて驚きました。

ご指摘のあった点について、いくつか補足します。

多重債務って?

→主にクレジットカードなど数社で合計200万円ほどです。

18歳頃から自動車免許取得の費用と車の購入代金、車検賃貸契約更新体調不良時の薬代など生活費補填したりストーカー被害で急遽引越しをした時の負債が積もりに積もった形です。

扁桃腺取らないの?

かかりつけ医から提案はありましたが、扁桃腺が埋没型といわれる形状らしく手術に10万円前後入院日数10~14日、その後2ヶ月程度声が出ない場合もあるらしく生活費を含めた60万円ほどの費用が用意出来ない為です。

納税について

現在の在籍店に入店する際に住民票を渡し一応の雇用契約を結んでいること、オーナー曰く会社として会計士が付いており源泉徴収として給与から10%を引かれていること、一度給与明細を欲しいとお願いしたが断られたこからまり深追いするとまずいだろうな、と思い在籍店に一任しています

年金免除申請をしていますが、住民税は納めています

母のDVについて

→掘り下げる所でもないかなと思いましたが、母は一度火がつくと小学生の娘相手にも包丁を振り回したりストーブに突き飛ばす、暴力を振るって寝ている父に火をつけるなど度が過ぎたDVを行う人でした。

父は生真面目で仕事一筋な人で、そんな母の行動を自分がうまく支えてやれないせいだと自罰的になり重い鬱になっていきました。男女問わずDV死ねクソカスと思います

私の文章について

幼稚園+小中6年不登校でしたが、本を読んだり書いたりすることが好きで高校中退するまでは作文の賞をいただいた事もありました。

一応は普通社会人としての経験10年以上ありますので、見苦しい文章でなければいいのですが…

本当に風俗嬢?

山間の街でデリヘル2年生です。

退職前は数年間営業職でちょっとした管理職などもしていました。

結婚について

→今まで多忙のため男性とまともにお付き合いしたことがなく、家庭環境のせいか付き合いが長くなれば私も母のように豹変してしまうのだろうか?まともに育たなかった私がまともに子供を育てられるわけがない、という思いもあり結婚するという選択肢がありませんでした。

隠すにしても明かすにしても風俗嬢とまともにお付き合いしてくださる男性が居られるとも思いません。

どこではてなを知って書くことにしたか

Twitterをやっているオタクなのでお気持ち表明的なことをする場なんだな、という認識存在を知っていました。書くことにしたのは酩酊した深夜のテンションです。

コピペコメント群について

→すべて爆サイなどで実際にあるコメントです。

これが100%の世論とは思いませんが、75%くらいの方は根底にこのような認識があるのではないかと思っています

こういった場であれこれと自分語りを言及するのは蛇足しかないと思うのですが、真摯アドバイスをくださる方が多く居られるので誠意として、また私では思い至らなかった方法をご教授いただけると思い補足させていただきました。

ご容赦ください。

2020-03-16

文章力がないわけじゃなかった(たぶん)

anond:20190806181023

以前この増田を書いた者なんだけど、転職したら文章の書き方で理解不能な指摘を受けることがほぼなくなった。

指摘自体はたまにあるけど、納得感あるものばかりだ。報告書など「よく書けている」と言ってもらえることも多い。

前と書き方が変わっている感じもしないし(というか変えようにも指摘された理由理解できてなかったし)、なんなら最近過去を振り払うように好きなように書いているので、前の会社が育ててくれたからだとは思えない。

いかけていた文章への自己肯定感もようやく戻ってきた。「ライティングの講習受けたら?」とまで言われたけどあの会社独特の文章構成には効果がなかったと思う。やっぱり「読みやす文章が違う」のが問題だったと思っている。

理解に苦しむ指摘が多いと感じるとき自分能力不足ではなく環境が合ってない可能性も視野に入れるべきだと思った。指摘を受けるとつい自罰的になってしまうけれど、全部が全部自分のせいってわけでもないよね。

2020-03-15

anond:20200307205801

元増田ストラテラを使うようになって、もうすぐ一ヶ月になろうとしている。

しかし使う前と比べて、不注意が改善したどころか、人格が変わってしまったと感じている。


かにおっちょこちょいで、しかも何かにつけて焦りまくる言動は激減した。

それでも妙なミスは思い出したように起こすが、全て冷静に対処できるというか、「焦る」というリアクション消滅してしまった。

まり、何かにつけて必要以上に深刻に受け取り、そして怖がる傾向が無くなったわけだ。

それが、予想もしない内面の変化を引き起こしつつある。


ちなみに今の仕事カウンターパートナチュラルボーンパワハラ気質というか、口汚い言動衝動的に出るタイプなのだが、我ながらそんなやつ相手結構うまくやれている。

以前の自分なら考えられなかったというか、3日でギブアップしていただろう。

そういうキツい言動をいちいち真面目に受け止め、どんどん凹んで自滅していたと思う。

それが今はなんというか「冷静にムカついている」だけで済んでいるのだ。

具体的には言われた瞬間カチンと来ても、30分もしないうちに気にならなくなってしまう。

別に「気にしない」とか自己暗示をかけているわけでもなく、「自然に気にならなくなってしまう」のである

そんな調子なので、もしムカつくことだらけの一日でイライラが極限に達したときも、夕方同僚に少し愚痴って、次の日には何事もなかったようにリセットするようになった。

上司にそれを言ったら「お前それだけですげーわ」と心底感心され、激賞されてしまった。


とまあこう書くと、なんだかいい事ずくめのように見えるかもしれない。

だって、確実に「一人前の戦う男」に心が組み変わっていっているのだから

でもそれって、要はふてぶてしくなったって話でしょ?

もっと言うなら、今まで自罰的だった部分がどんどん他罰的に変わっていっているわけだし。

実際、最近は何かにつけていやらしい笑いを浮かべつつ「めんどくせー」「だっせ」「ムカつく」「マジクッソ」と思いながら過ごすようになった。

もともと上品だったかどうかはともかく、こりゃまた我ながら随分下品になったもんだと驚いている。

しかも、多動は改善したけど自閉の部分は据え置き。

そうなると、もし自分言動が原因で相手が傷ついても「そんなので傷つくほうが悪い」と思うようになるまで、あと一歩じゃん。

まり定職に就けている引きこもり」が「我が道を行くウェイ系俺様野郎」になるだけ?というわけで結構ヤバい気がしている。

そもそも「戦う」というスタンス本質的に汚さを含んでいる。

クリーンファイター」という単語が何故あるかといえば、不敵だけど紳士淑女な人間なんてレアキャラからだろう。

とはいえ、昔には絶対戻りたくないので、「戦うために不要もの」をこれ以上捨ててしまわないよう注意するしかなさそうである


それにしても、たった25mgのカプセルが、ここまで生活を変えるとは思わなかった。

クスリで変わった人生」は他人事じゃなかったという。

2020-03-03

筋トレ一種自傷行為

筋トレは痛く辛く苦しい。他罰的な人より、自罰的な人の方が長く続く。

筋トレ筋肉が付くことにより、皆が興味を持って関わってくれる。自分身体の変貌。

女の場合マッチョ偏見があるので、肌を傷つける方向になってしまう。

マッチョへの偏見をなくして、女もマッチョになろう。正しいダイエットを覚える事で、拒食症もつながりにくくなる。

2020-02-06

孤独栄光

吐き出させて下さい。

私は産まれて30余年、常に独りでした。

別に孤児でもなければ、天涯孤独でもありません。話し相手は少ないながらもどの年齢でもいたし、いじめを受けたわけではありません。

それでも私は、どうしようもなく孤独でした。どこで誰と何をしていても、自分が何物とも繋がっていないような感覚ばかりがありました。

理由は何とでもこじつけられる気がします。望まれて産まれたとは到底信じられない家庭環境遺伝的、精神的欠陥。それらを覆せなかった自分の弱さ。

…思い出せる昔の記憶は、階下から響く両親の罵り合い、私が男でありながら腰を振る兄。視線ひとつくれず、仏頂面で鬱陶しそうな顔で過ごす母。家事をろくにしない母への憎しみを私にぶつける父。

記憶にある唯一の母の声は、休日の朝に朝食をせがんだときに聞いた、「風邪ひいたから」という子供でも分かるような嘘。塩ごはん牛乳ごはんなどという手料理も、それが普通だと信じたかった。

両親は自分問題だけで手一杯で、明らかに私を愛していなかったが、それでも奇妙なバランスの上で形を保っていた。だから消極的にも期待していた。いつか両親が真っ直ぐな愛情と関心を私に向けてくれることに。だから耐えるように、道化を演じてみたり問題を起こさないよう強く自分を抑え込む術を自然と身に付けていった。

同級生達とは、関わる度に違和感を感じていた。彼らから発せられる、家族からの温かい愛情やそれに基づく自信めいたものを感じるのが辛く、眩しく、何より悔しかった。私もそうありたいと願い同じように振る舞うのだが、自分を偽った罰なのか、常に自分の中にヘドロのような憎しみが募り、それがとき漏れだしては、私の人間関係破綻させていった。

…ある日、母が消えた。言葉ひとつも、書き置きも無く、突然と。だが何の感情も湧かず、涙も流れなかった。幼心に予想と覚悟はしていたのだろう。そうして、孤独と共に生きるというテーマが課せられた気がした。…それからは、忍耐から麻痺が生きる手段だった。

家はまるで会社のように感じた。父という経営者の下、勉強という仕事の対価に衣食住という報酬を得るような環境。己を律しきれず感情を顕にすれば、待っているのはクビ、つまり死ぬこと。逃げ出す勇気も、自分環境を変える強さも無かった。経を淡々と読み上げるような修験者のように、無痛のうちに日々が流れていった。

不幸にも中途半端事務処理能力が高かったのか、大学入学できた。大学理系で、物理を専攻する学部だった。今にして思えば私はそれそのものには興味は無く、ただただ盲信できる唯一無二の真実を、家族自己内面ではなく、外側の世界に求めていたのかも知れない。

契機はすぐに訪れた。その頃の私は誰の、何の助けも無く生きることに歪んだプライドを懸けており、独りの力で講義をこなそうとしていた。しかし当然のように挫折した。当然のように孤立した。

ある朝、いつもと同じように無痛のまま大学へ向かおうとしたが、体が動かず、講義をサボった。その日からぷっつりと糸が切れたように、大学に行けなくなった。

そしてそのまま2年間引きこもった。無痛という手段も通じないと分かってしまった私には、生きるために何をすればいいのか分からなくなってしまった。しかし罪悪感以上に、解放感と、呪縛から逃れたような安心感があった。そして同時に、いよいよプライドも生きる理由も意欲も自負も、全て失った。

兆候はあったがその頃から急激に死に惹かれるようになった。自分事故病気でいきなり死ぬ妄想をしたり、楽に死ねるという情報から練炭と七輪を買い、日常的に自傷をし、着々と死に近付いていった。流れる血と生々しい傷に、不気味なほど安堵と溜飲が下がる思いを感じた。堆積した恨みの攻撃性の解消と、自罰感情と、ボロボロ精神投影先を見出せる行為だった。それゆえ日々エスカレートし、あるとき刃が大きな血管を切った。噴水のように噴き出す血を眺めながら、まだ死ぬ準備が整っていなかったため、止血の処置をした。特に感慨は無かった。ああ…あのまま放っておけば死ねるんだ…と、妙に冷静になっていた。

そこから、少し何かが変わった。本当に死の一歩手前にまで陥っても、やっぱり私に救いの手は差し伸べられず、また自分の力で生き残ってしまった、と思うと、諦めを通り越した何かが芽生えた。自分は生きることも死ぬこともできない、苦しみ抜いて幽鬼のように漂うのだろう。歪んだ悟りのような暗い閃きを覚え、そこから自傷は少なくなっていった。そこから記憶ほとんど無い。大学へ行かず引きこもっていることがばれ、地元へ戻った。また無痛から忍耐の日々へ逆戻りした。挫折経験したが再起を図る息子を演じつつも、心の底では誰かが殺してくれることを願うばかりだった。

そしてまた不幸にも、さほど時間は掛から定職に就いた。待っていたのは、学生時代より遥かに開いていた周囲との差。普通の人々が青春友情愛情経験している間に自分したことといえば、暗闇の中でもがき蠢いていただけ。真の孤独は人と人の間にあるという言葉通り、人に近付く度に遠く感じた。

しかしそんな生活もそれなりの期間が経てば慣れていった。相変わらず人間の振りをするような不自然な過ごし方であったが、歳を重ねた恩恵なのか、排斥に対するヒリヒリとした警戒心、切迫感は和らいでいった。多様性容認する組織だったからかも知れない。孤独は続いていたが、別種の孤独を抱えた年上の人々との関わりが、私の乾いた傷口を薄く濡らした。

そんな積み重ねから、ようやく初めて「人間」というもの形の一端に触れられた気がした。同時に、自分家系の歪さを思い知らされた。そして、ようやく家系が受け継いできた負の連鎖に気が付いた。

狡猾さと傲慢さ。口では愛を語り、家族を意のままに操作し、自分理想を叶えるための道具としようとする悪辣さ。その邪悪気質を、互いに感じ取っているからこそ罵り合い、また山彦のように帰ってゆき自分をも傷付ける。そんな不毛なやり取りをしながらも、本当は誰よりも自分が得をしたい、愛されたいと思っているからこそ離れられない。その矛盾混沌の中で、私の家系は奇妙な内臓のようにぐぎゅるぐぎゅると腐って混ざりあっていた。

私は先月、家族と絶縁した。帰省しない私に業を煮やし職場に押し掛けてきたとき、従わぬ者に実力行使をする傲慢さに、どうやらこの人達とは一生分かり合えないらしいと確信した。

いよいよ社会的にも孤独になったが、さしたる感慨も無かった。きっとこれもどこかで予想と覚悟を済ませていたのだろう。私の手元には、いつの間にか独りで生きるには充分な資金があったのも、このことを予見していたからのような気さえする。

今になって思う。私は無意識のうちに、生きるための最善を選択していた。代償や失ったものは多いが、今では孤独も不幸も憎しみも、その先にある役割天命のようなものを果たすためだと感じるようになった。両親や神の寵愛を受けて産まれた者と、孤独に魅入れられように産まれる者もいる。そうしてその中間中庸となり、人々の生き方基準が出来上がる。そういう仕組みなのかも知れないと、ぼんやりと考える。

相変わらず生きる理由も意欲も無いが、自分が生き続けることには何らかの意味があるから、こうして結果的に死んでいないのだと思う。人生のどの段階でも、死のイメージといつか自分は人を殺すだろうという直感があった。人生のどの段階でも、自分解放して周囲を巻き込んで破滅することはできた。だがその度にそれを踏み留ませてきた何かを知ることが、目下の関心だ。天寿を全うする気はさらさら無いが、何らかの答えを得るまでは生きてみようと思う。それをもし得られたとき孤独意味と真の栄光を手に入れられると信じて。

…長くなりました。ここまで見ていただいてありがとうございます

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