はてなキーワード: 自罰とは
殴ったら傷害。物を隠したら窃盗。持ちの物に落書きしたら器物破損。それらは単なる犯罪であって,イジメなんかじゃない。
これらの行為がおこなわれても,それが悪い事としてまわりから適切に非難され糾弾され加害者が罰せられれば,肉体的や経済的な被害はあっても,被害者の精神的にはそれほど大きな負荷をもたらさない。
これらの犯罪行為が,集団によって許容され,推奨され,あるいは加害に参加しないことの方が非難されるような状況になったとき,それをイジメという。加害が正当化されるその雰囲気こそがイジメなんだ。
この状況は,被害者の精神を徹底的に破壊する。誰も助けてくれないという絶望。自分の方が悪いのかという歪んだ自罰的思考。他人そのものを信じられなくなり,まともな人間関係も築けなくなる。
ブコメをくりかえすが,見て見ぬふりはいじめてるのと同じじゃない。見て見ぬふりこそがイジメなんだ。
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もともと俺は14歳の時に好きになった女の子のことを20歳になるまで引きずって、その6年で同じ女性に2回告白して2回お断りをいただく位どうしようもない男だった。で、そこから3年経ち、「本当に好きな人と付き合うなんて幻想は捨てよう、とにかく一回彼女を作ろう」と一念発起した。
当時のスペックは大卒、ややブラック気味の会社で働いている、東京住みのサラリーマン。見てくれは背の低さ以外は普通だったと思う。
本に書いてあったことは大体やった。
とにかく「猿山」を作った。猿山というのは、「自分がこの中で一番優れている」と意中の女性に思わせるテクニックのことだ。
町コンや合コンに参加するときは〇〇が趣味ですという名目で集まっている場を選んだ。その〇〇については俺は実力も実績もあったからだ。〇〇だと想像しにくかったら、ここでは便宜上ボルダリングとしておく。
そして「この〇〇一点においては俺はこの中で一番すごいぞ」というのを示した。「あそこのジムの一番難易度高いところまで行ったわ」みたいなやつ。
そうやって他の男をけん制しつつ、なるべく初心そうで純粋に自分に尊敬の目を向けている感じの女性に声をかけた。「××さんは普段どれくらいやってるんですか?」
そこで「いやそんな、増田さんみたいにうまくできないです。興味はあるんですけど~」というような返事が返ってきたら「よかったら一緒にやらん?ああいうのはコツがわかればできるんで、教えますよ」と誘う。
ここで乗ってくれば、だいたい勝ち。
猿山から一人連れ出して二人きりになって、その二人になった時に自分の実力を見せて、そして向こうが登ってるのをアシストしたり応援したりとやって、帰り道に一杯やって「いやーいい汗かきましたね!でも××さんも良い感じでしたよ!」というふうにおだてた結果。
そこに感動はなかった。
一緒にいても楽しくない。セックスも想像していたより気持ちよくなかった。
書いてあることをやっただけなのに、向こうが俺に向けてくる感情はどんどん大きくなり、向こうから「今日は…しないの?」などと聞いてくるようになった。なぜだろう、全然うれしくなかった。
結婚とかそういうことを意識しているような発言も増えていて、俺は空恐ろしいものさえ感じていた。
結局俺は、この時の女性のことを「説明書通りに操作すれば思い通りになるなにか」としか思っておらず、人間扱いしていなかったんだと思う。
人間扱いしていないものから愛情を受け取っても、自分の飢餓感はさっぱり満たされなかった。
これで満たされるのは「俺には彼女がいる」という自尊心だけで、そのちっぽけな自尊心のために相手の人生を奪ってはいけないという最後の良心が働いた結果、
彼女を振った。
人でなしだと自分でも思う。ひどいことをしたのは分かっている。
しかし、どうしようもなく満たされなかったのだ。
「自分が愛されていない」という、生まれたときからずっとあったコンプレックスが、あの子が自分に愛情を向けていることを理解したときに氷解してくれればよかったのに、
「でもこいつは俺の恋愛工学にあっさりひっかかって騙されてる女だ」「この子が向けてる愛情は俺の詐術によるものだ」と思ってしまったために、あらゆることがうまく行かなかった。
あれから3年経つ。あれ以来彼女はいない。作ろうとしたこともない。
「本当の純愛なんてものはない!ロマンチストほどモテない!ブスでもいいから彼女を一度作れ!」
色んな本で何度も見たフレーズだ。
まあでも、確かにあの本には、彼女ができたら幸せになれるとは言ってなかったかもしれないな。だから著者を責めるわけにもいかない。
14歳から20歳まで、一人の女の子に胸が焦がれるほどに恋をした10代の自分のことを思い出す。
ちょっと話しかけられるだけでその日目に映るすべてが虹色に見えた。笑いかけてくれただけで、辛いことをすべて忘れられた。
こちらから話しかけるときは自分でもわかるくらい心臓がバクバク言った。
恋愛工学に手を出して、人を人とも思わないふるまいをして、一人の女性を傷つけてしまった自分の罪は分かっている。
だけど許されるなら、もう一度あの時のように、心の底から誰かに恋してみたい。
・・・・そうなったとして、それで幸せになれるかはわからないけれど。
(追記)
ごめん、初めて反応貰ったからどう言及していいかわからないのだけど、ここに追記という形でも大丈夫だろうか。
それが怖くなった理由。相手が当時30前半位で、子供を作れるタイムリミットみたいな話を出してきたから、ものすごく怖くなった。
自分の無責任さが一番浮き彫りになる部分だったから言及を避けていた、申し訳ない。
沢山の反響を貰って驚いた。いろんな方向に気持ちが動いて、でもなんか、うれしかった。
この話は周りに殆ど相談したことがなかったから、客観的に見た自分の状況がわからずにいたし、自分が自分の殻に引きこもってたことを自覚した。
また恋愛をするかとかはわからない。そもそも今はコロナのこともあって人と出会う場が限られてるからな…
あと俺、2年前までは会社員だったけど今フリーランスになってて、得意なことをバリバリやれて暮らしてるのは楽しいけど、恋愛市場的な意味での価値は落ちてそう。とか、後ろ向きになる部分もあるけど。
でも、一種自罰的を通り越して自堕落に「どうせ俺なんか」ってなってた部分を、これからちょっとずつ直していこうかと思う。適当になってた食生活とか、諸々。
自己肯定感の低さが原因では、といった話もなんとなく腑に落ちた。
>女子側にも色々テクニックはある。こりゃ引っ掛かるわ〜と思えるんだったら引っ掛かる女の子を軽蔑することも無くなるかも。
頂いたこの意見とか目から鱗だった。それは今の俺にとってすごくいい処方箋になると思う。
どうしても、言葉にするとおかしな感じになってしまうけど…今までよりも自分で自分のことを大切にしようと思えた。
皆ありがとう。
この話はメンヘラ二次創作(ポエム)者による二次創作めんど吐瀉物です
二次創作に最初に触れたのが、しょうがくせーの時に実家にあった某ジャンルのBLr18アンソロだった。
正直、オエ、でした。
大事な所を無理やり触られてアンアン喘いでいるキャラクター。アニメ化もされてたので、アニメではこんなことされてないのに、なんでこんな物が存在するんだろう、って嫌悪感しかなかった。
で、その持ち主(10くらい上)が〇〇と××(blcp)ってどう思う?って聞いて来た。××は△△さん(女性)が好きじゃん、って答えたら、その人は、あぁ、ーーちゃんは原作重視なのね、って。
好きな人が同性だろうと異性だろうと相手が好きになってくれるかはどちらにせよって感じじゃんって今なら言葉にできるけど、あの時はどうでもいいじゃん、って言葉にしかできなかった気がする。結局どうでもいいが。それはともかく。
原作重視、ってか、原作しか存在しないじゃん、これが存在してるのがおかしいんじゃん。
ってしょーがくせーの私はなりまして。そのアンソロの持ち主のことも軽蔑しました。
でも成長するにつれて、おかしいものが当たり前のようにあることを知る。
ちょうど自己嫌悪の機運が高まっていた頃。
軽蔑するものを見ないよりは、その軽蔑を自分に向けて自分を貶めたくて、わたしは二次創作を読みあさっていた。
話の隙間にこんなやり取りがあったら。
こんな関係でいてほしい。
二人のえろが見たい。
誰かの欲望が映し出されたものを見ることで、自分がその欲を持っていると錯覚した。本当はそんなこと思ってなくても、気持ち悪い、と自分自身を罵倒し痛めつけられる理由を作った。
そもそも、原作者が死んで長く経つ作品や、アニメ化も原作の二次創作のようなものなんだと大人になってから知ると、二次創作ってわたしがどんなに嫌でも存在するものなんだ…という諦めもあった。
二次創作をし始めたのは、その鏡合わせだった誰かの欲を自分と一体化させてしまった時からだった。
いろんな話を書いた。いろんな人に読まれた。褒めてもらった。嬉しい、という振りをした。rの付くものを書いて、拙いと言われることに吐き気がし始めた時には、もう夢を見る時間が終わりかけていた。二次創作は現実逃避と自分を殺すための方法だった。
今、それが剥がれかけているのは果たしていいことなのか。こうして増田に投げている時点で捨てられてそうかはお察しなんだけど。
作者が作ってないなら、全部違う。
好き、が勝手と結びつけられるみたいに、みんなその感情さえあれば自分の欲望を押し付けていいと思っている。わたしが自罰という欲を見出したみたいに。
それを楽しいと思ってやれる人は好きにしたらいいと思う。ただ私にとって二次創作は、誰かの欲の借り物、自分を殺す方法だった、んだなぁってだけの話でした。
それぞれ人には問題があるのだが、いやしかし、何かが基準に達しない人というか。
何かの対応が良くない形というか。
他人への対応というよりも、先ず第一に自身への対応こそが良くない。
痛みを誤魔化すのは誤まった姿勢に陥りやすく、恐れで動くのは異常な拒絶になりやすく。
自分の魂を損なっていく。
今このときに、傷ついたとして怒ったとして、でも自分の願いを損なわない在り方。
実際は、愚かゆえに、自分を損なっていると気づかないことばかりかもしれない。
考えているうちに、後ろ向きになっていく。
誰かに迷惑をかけないように孤立していく、それはもう自分が傷つきたくないから。
それは再び傷つきたくないゆえに苦しむ自傷行為で。愚かしくて。
自尊心が低いので、自罰的行為で、今ここにある苦しみを解決しようとする。
親はいたって普通の育て方をしてくれたとは思うんだけど、やたらめったら「自分は世間のヒエラルキーの中で下の下の人間であり、ルールを最大限守らねばならない」という気持ちが強い。自分でも嫌になるけど、どうしてもそう考えてしまう。
コロナでGoToとかで出かけるのは対策に留意した上で奨励されているのはわかるけど、「みんなはいいかもしれないけど、自分自身は万が一無自覚感染とかしてたらまずいし、外出は許されない」と考えてしまう。「自分ごときが〇〇をやるのはおこがましい」という考えが常に脳髄の底のほうを流れ続けているような気がする。
限定品が残り少なかったら誰か欲しい人がいるだろうと思って買わなかったり、道路で渡ろうとした横断歩道に車がやってきたら先に通したり、そういう日常のささいなことにも常に「自分は一番下、他の人たちが何もかもにおいて優先されるべき」が無意識に存在して選択してきたように感じる。
こんな考え方ばかりでは人生終わるまでコロナも終わらなくて死ぬまでどこにも出かけられないような気がしてきたので、価値観を変えないといけないとは思うんだが、染み付いていて思うように変えられない。
似たような考え方の人インターネッツにいるのかな。もしかして症状の名前?とかついてるのかなとか最近ちょっと知りたくなっている。
私:都内の外資系に勤務。トータルの年収は800万円ぐらい。貯金は数百万円程度。
妻:今年の4月まで派遣社員。年収300万円いかないぐらい。4月から鬱病が発症して休職、6月には退職して治療に専念中。
今の妻とは去年春から付き合い始めて、去年秋に同棲開始、今年夏に結婚した。
今年の4月から妻が鬱病になり、とりあえず休息してもらわないとダメだなと思った。
なので、仕事も家事もしなくていい、とりあえず休んでほしい、やりたいことだけをやってほしい、お金がかかるものなら、私に言ってくれれば払うと伝えた。
最初の方は、「せめて家事をしないと申し訳ない」とか言って色々やってくれてたんだけど、実際は相当負担だったらしく「やっぱりやりたくない」と言われ、「やっぱそうだよね」と受け入れてそれ以降は私が家事をやってた。
妻はほとんど貯金がなく、傷病手当だけが唯一の収入源だった。(毎月申請しなきゃいけないけど、手続きが面倒で2ヶ月ぐらい申請してなかったぽいけど)
生活費は全額私が支払い、それとは別に毎月5万円は妻に渡してた。(生活用品の購入分も含む)
こんな感じで、できるだけ妻に負担をかけないよう私なりにサポートしてたつもりではあったんだけど、妻からしたらサポートどころか、逆に精神的に追い詰められてる気分になってたらしい。
私は共感能力が低く、相手がなにを考えてるのか察することができない。だから、相手に質問して考えを探っていこうとするんだけど、それが相当キツかったらしい。「なんでそう感じるのか」「なんでそう考えたのか」って私が質問しまくるので、妻自身が言いたいことが言えないと。質問するのはいいことだという考えが根付いてたから、妻のその意見にハッとさせられた。以降は気をつけるようにしてるけどなかなか改善できない。というか、質問すること以外で相手を知る術を持ってない。
あと、妻にかなり甘えてしまっていた。すぐ不機嫌になって態度に出したり、ちょっと何か言われたらすぐ家を出ていこうとしたりした。
3回ぐらい、壁にモノを投げるという行為もしてしまった。そういうことをするたびに妻はしっかり話し合って、解決しようとしてくれた。その妻の優しさに甘えきってしまってた。まるで小さな子供が母親に甘えるみたいに。
恐らくアダルトチルドレンの傾向があるから、そこは今カウンセリングとコーチングで改善しようとしてる。少なくともモノを投げる行為は金輪際しないと誓ったし、抑えられてる。けど、その事実が妻の心に深い傷を残してしまった。
あと、日中の過ごし方もまずかった。私は今年2月から在宅勤務になったんだけど、私がオンラインミーティングしてるときに気を遣わなきゃいけないのが苦痛だったぽい。結構高性能なノイズキャンセリングイヤホン買って渡したんだけど「なんで私が我慢しなきゃいけないんだ」って言われて拒否された。1LDKで2部屋しかないから、妻が寝てる時はリビングで、妻が起きてきたら寝室で仕事するようにしてみてもやっぱり話し声が聞こえるのがキツいと言われた。結局、私が個室のネットカフェに出向くようになった。
妻はHSP体質らしく、五感がかなり繊細らしい。それと鬱が相まって、私の言動が相当キツいと感じていたらしい。
あと、鬱病になってしばらくしてから、妻はスピリチュアルな方面にハマっていってた。自分には大天使がついてるとか、今この部屋に白天狗がいるとか、言うようになってた。スピリチュアル系の動画を見せられ、動画で言ってる内容を理解できたかどうかよく問い詰められた。
妻は、そういう世界の素晴らしさを私に理解してほしかったみたいだけど、私は大天使も白天狗も見えないから理解しきれなかった。
こんな感じで、妻からは、私の言動によってどれだけ辛い思いをしているのかを都度言われ、それに対して何とか解決しようと試みてはいたんだけど、なかなか改善できてなかった。
そして、9月のある日、遂に、もう離婚したいと切り出された。とっくの昔に限界を迎えてるし、私があまりに幼稚すぎて、結婚相手として見られないと。そもそもそんなに好きじゃなかったけど付き合ってと言われたから付き合ったとか、自分よりも家事のレベルが上の人じゃないと嫌だと思ってたとか、いろいろ前提を覆されることを言われてもの凄いショックを受けた。
ひどく動揺してしまい、1分でも早く家から出たいと思って、その場ですぐ14日分のホテルを予約し、荷物をまとめて今度は本当に家を出てしまった。
家を出ている間の生活費として、結構まとまったお金を妻の口座に振り込んだ。
スキンケア用品、服、スピリチュアルグッズ、健康グッズを買いあさり、出会い系で男を漁ったり、ホストにも何回か通ったらしい。占いにも行きまくってた。
SNSの投稿や妻からの報告で散財状況を知ってかなり心配になったけど、それでストレスが発散できてるならいいかなぐらいに思ってた。
私がホテルから帰ってきて、改めて話し合ってもやっぱり離婚したいという意志は変わっていないと言われた。私も諦めて離婚届にサインした。
妻から、現在は支払い能力がないから、当面の生活費としてまとまったお金が欲しいと言われ、まあ渡してもいいかなと思ってた。
ただ、離婚が決まって、それぞれが別々に生きていくとなった後も妻の散財はひどくなる一方だった。鬱病になる前からそれほど収入の多くなかった妻が、鬱病が回復して再就職したとしても収入が激増するとは考えられない。完全に私からの援助を前提にしたお金の使い方をしていた。
と、ここまで書いてきた話を、信頼できる友達に打ち明けたところ、「普通に、もっと怒っていいだろ?」と言われた。私の自罰意識が強すぎて、すべての責任が自分にあるから、何をされてもしょうがないと思ってる節がある。もちろんモノを投げるなどの幼稚な行為は良くないから改善していくべきだと思うけど、だからと言って全面的に自分だけか悪いと感じる必要はないんじゃないかと。コーチングの先生からも同じようなことを言われた。
そこで、あれ、もしかして私だけが悪いわけではないのか…?と気づき始めた。
鬱病患者への接し方は誰にとっても難しいものだから気に病む必要はない。生活費をすべて負担し、働きながら家事も引き受けてる時点でかなり頑張っている。そこから更に離婚後の生活費まで払う必要ないのでは?とアドバイスされ、確かにそこまでやる義務はないなと感じてきた。
むしろ、妻の言動の方がアダルトチルドレンぽい、妻があまりにも求めすぎなのではないかとも言われた。妻からはずっと、私が幼稚で人間性に問題があると言われ続けてきたけど、実は妻も大して差はなかったのかもしれない。
そうやって友達に話を聞いてもらって、離婚後の生活費はやっぱり払わなくていいかもしれないと考えが切り替わってきたその日の夜。妻はどこかに出かけていたんだけど、深夜にいきなり「今ホストにいる。今すぐ飲み代として10万円振り込んでほしい」と電話してきた。
少しも悪びれることなくそんなことを言ってきて、怒りで頭がどうにかなりそうだった。
とりあえず10万円振り込んで、今後一切お金は渡さないと伝えた。
すると妻は裁判起こして慰謝料請求すると言い出した。もう裁判でも何でもしてくれって感じ。
この1ヶ月ぐらいで別人のように豹変してしまった妻に対して、もう未練も何もない。必要以上に自分を責めず、今回得られた教訓を活かして生きていこうと思う。
私:都内の外資系に勤務。トータルの年収は800万円ぐらい。貯金は数百万円程度。
夫:今年の4月まで派遣社員。年収300万円いかないぐらい。4月から鬱病が発症して休職、6月には退職して治療に専念中。
今の夫とは去年春から付き合い始めて、去年秋に同棲開始、今年夏に結婚した。
今年の4月から夫が鬱病になり、とりあえず休息してもらわないとダメだなと思った。
なので、仕事も家事もしなくていい、とりあえず休んでほしい、やりたいことだけをやってほしい、お金がかかるものなら、私に言ってくれれば払うと伝えた。
最初の方は、「せめて家事をしないと申し訳ない」とか言って色々やってくれてたんだけど、実際は相当負担だったらしく「やっぱりやりたくない」と言われ、「やっぱそうだよね」と受け入れてそれ以降は私が家事をやってた。
夫はほとんど貯金がなく、傷病手当だけが唯一の収入源だった。(毎月申請しなきゃいけないけど、手続きが面倒で2ヶ月ぐらい申請してなかったぽいけど)
生活費は全額私が支払い、それとは別に毎月5万円は夫に渡してた。(生活用品の購入分も含む)
こんな感じで、できるだけ夫に負担をかけないよう私なりにサポートしてたつもりではあったんだけど、夫からしたらサポートどころか、逆に精神的に追い詰められてる気分になってたらしい。
私は共感能力が低く、相手がなにを考えてるのか察することができない。だから、相手に質問して考えを探っていこうとするんだけど、それが相当キツかったらしい。「なんでそう感じるのか」「なんでそう考えたのか」って私が質問しまくるから、夫自身が言いたいことが言えないと。質問するのはいいことだという考えが根付いてたから、夫のその意見にハッとさせられた。以降は気をつけるようにしてるけどなかなか改善できない。というか、質問すること以外で相手を知る術を持ってない。
あと、夫にかなり甘えてしまっていた。すぐ不機嫌になって態度に出したり、ちょっと何か言われたらすぐ家を出ていこうとしたりした。
3回ぐらい、壁にモノを投げるという行為もしてしまった。そういうことをするたびに夫はしっかり話し合って、解決しようとしてくれた。その夫の優しさに甘えきってしまってた。まるで小さな子供が母親に甘えるみたいに。
恐らくアダルトチルドレンの傾向があるから、そこは今カウンセリングとコーチングで改善しようとしてる。少なくともモノを投げる行為は金輪際しないと誓ったし、抑えられてる。けど、その事実が夫の心に深い傷を残してしまった。
あと、日中の過ごし方もまずかった。私は今年2月から在宅勤務になったんだけど、私がオンラインミーティングしてるときに気を遣わなきゃいけないのが苦痛だったぽい。結構高性能なノイズキャンセリングイヤホン買って渡したんだけど「なんで俺が我慢しなきゃいけないんだ」って言われて拒否された。1LDKで2部屋しかないから、夫が寝てる時はリビングで、夫が起きてきたら寝室で仕事するようにしてみてもやっぱり話し声が聞こえるのがキツいと言われた。結局、私が個室のネットカフェに出向くようになった。
夫はHSP体質らしく、五感がかなり繊細らしい。それと鬱が相まって、私の言動が相当キツいと感じていたらしい。
あと、鬱病になってしばらくしてから、夫はスピリチュアルな方面にハマっていってた。自分には大天使がついてるとか、今この部屋に白天狗がいるとか、言うようになってた。スピリチュアル系の動画を見せられ、動画で言ってる内容を理解できたかどうかよく問い詰められた。
夫は、そういう世界の素晴らしさを私に理解してほしかったみたいだけど、私は大天使も白天狗も見えないから理解しきれなかった。
こんな感じで、夫からは、私の言動によってどれだけ辛い思いをしているのかを都度言われ、それに対して何とか解決しようと試みてはいたんだけど、なかなか改善できてなかった。
そして、9月のある日、遂に、もう離婚したいと切り出された。とっくの昔に限界を迎えてるし、私があまりに幼稚すぎて、結婚相手として見られないと。そもそもそんなに好きじゃなかったけど付き合ってと言われたから付き合ったとか、自分よりも家事のレベルが上の人じゃないと嫌だと思ってたとか、いろいろ前提を覆されることを言われてもの凄いショックを受けた。
ひどく動揺してしまい、1分でも早く家から出たいと思って、その場ですぐ14日分のホテルを予約し、荷物をまとめて今度は本当に家を出てしまった。
家を出ている間の生活費として、結構まとまったお金を夫の口座に振り込んだ。
スキンケア用品、服、スピリチュアルグッズ、健康グッズを買いあさり、風俗やメンズエステにも何回か通ったらしい。占いにも行きまくってた。
SNSの投稿や夫からの報告で散財状況を知ってかなり心配になったけど、それでストレスが発散できてるならいいかなぐらいに思ってた。
私がホテルから帰ってきて、改めて話し合ってもやっぱり離婚したいという意志は変わっていないと言われた。私も諦めて離婚届にサインした。
夫から、現在は支払い能力がないから、当面の生活費としてまとまったお金が欲しいと言われ、まあ渡してもいいかなと思ってた。
ただ、離婚が決まって、それぞれが別々に生きていくとなった後も夫の散財はひどくなる一方だった。鬱病になる前からそれほど収入の多くなかった夫が、鬱病が回復して再就職したとしても収入が激増するとは考えられない。完全に私からの援助を前提にしたお金の使い方をしていた。
と、ここまで書いてきた話を、信頼できる友達に打ち明けたところ、「普通に、もっと怒ってよくない?」と言われた。私の自罰意識が強すぎて、すべての責任が自分にあるから、何をされてもしょうがないと思ってる節がある。もちろんモノを投げるなどの幼稚な行為は良くないから改善していくべきだと思うけど、だからと言って全面的に自分だけか悪いと感じる必要はないんじゃないかと。コーチングの先生からも同じようなことを言われた。
そこで、あれ、もしかして私だけが悪いわけではないのか…?と気づき始めた。
鬱病患者への接し方は誰にとっても難しいものだから気に病む必要はない。生活費をすべて負担し、働きながら家事も引き受けてる時点でかなり頑張っている。そこから更に離婚後の生活費まで払う必要ないのでは?とアドバイスされ、確かにそこまでやる義務はないなと感じてきた。
むしろ、夫の言動の方がアダルトチルドレンぽい、夫があまりにも求めすぎなのではないかとも言われた。夫からはずっと、私が幼稚で人間性に問題があると言われ続けてきたけど、実は夫も大して差はなかったのかもしれない。
そうやって友達に話を聞いてもらって、離婚後の生活費はやっぱり払わなくていいかもしれないと考えが切り替わってきたその日の夜。夫はどこかに出かけていたんだけど、深夜にいきなり「今お店にいる。今すぐ飲み代として10万円振り込んでほしい」と電話してきた。
少しも悪びれることなくそんなことを言ってきて、怒りで頭がどうにかなりそうだった。
とりあえず10万円振り込んで、今後一切お金は渡さないと伝えた。
すると夫は裁判起こして慰謝料請求すると言い出した。もう裁判でも何でもしてくれって感じ。
この1ヶ月ぐらいで別人のように豹変してしまった夫に対して、もう未練も何もない。必要以上に自分を責めず、今回得られた教訓を活かして生きていこうと思う。
私も仕事が立て込んでいた時、ぐらついた時があった。
しかし、クリニックにいったところで、ゴールが見えないし、薬の副作用も気になる
ニュースでは、クリニックを増やして気軽に行けるように、と言っていた。
それもいいだろう
けれども、どうしたら、自分のメンタルをコントロールできるか、悪くなる前に、こうなれば危ないと教えてあげることも大事ではないだろうか
一人で抱え込む状態
生活習慣の乱れ
こうなると人はメンタルのバランスを崩すと、もうすでに原因はいくつもわかっているのに、どうしてそれが起こりかねない社会構造を放置して、ダメになった時の対応を強化するのだろうか
予防するほうが効果があり、楽なのに
患者が増えている、というのは、医療機関にかかる人数が増えたというだけであり、純粋に患者が増えているのか?というのはわからないけれど
個別の喧嘩の発端は…こちらに責があることもあれば向こうに責があることもあるし、最初は自分が我慢して済むならそれでもいいやと思ってたんだけど、やっぱり理不尽な怒りの暴発を難度も経験すると、徐々にこっちの自尊心が削れてくるし、不機嫌の徴候が見えるだけで心理的に身構えてしまうんだよね。無意識のうちに、相手の地雷(どこに埋まってるかわからないんだけど)に触れないように立ち回るようになる。そうすると家庭が安心できる場でなくなってしまう。
もともと彼女自身にも、そういう感情的制御ができないことの自覚はあるし、直したいとも思っているんだけど、キレてる最中に「そういう言い方や態度はよくないよ」と意見しても耳に入らない。「どうせ全部私が悪いんでしょ」「はいはい、また私のせいなんだよね」となって会話を打ち切り、刺々しい振る舞い(ドタドタ歩いたりドアを閉めたりモノを乱暴に扱ったり)して、後には不機嫌な空気だけが残る。これがなんともやるせない。一定時間が経って落ち着くと、何もなかったように振る舞うか、一応は「ごめんなさい」と言ったりもするんだけど、そういう殺伐とした感情って人の心を痛めつけるんで、お互い何もなかったように振る舞っていても、やっぱりこっちの心は無傷じゃなくて、刺されたり殴られたりした疼きが残る。たぶん相手の心も無傷じゃない。どっちにもいいことがない。
で、子供が生まれて物心がついてきたのを機に、お互いに真正面からこの問題に向き合うことにした。子供が親の逆上や不機嫌に萎縮するようになったら誰にとっても不幸だ、というのはお互いの考えが一致していたので。
実はこの「子供との関係」というのが重要で、結論から言うと、彼女が毒親(母親)に非常に悪い育てられ方をしてきたことが全ての起点になっていた。母親、自分から見ての義母は、幼い頃の彼女を蹴ったり殴ったりした。氷点下に近い納戸に数時間閉じ込めるという身体的虐待もあったし、ネグレクトも罵倒もあった。理由は、折り合いの悪い義祖母に顔立ちが似ていたから、ということもあったようだし、良家同士の見合い婚で専業主婦になった自分にとって「育児を成功させ、娘は良家に嫁がせる」ということが唯一かつ至上の役割になっていたこともあったようだ。それほど受験戦争が激しくない地方にあって小さい頃から娘に複数の塾や家庭教師をつけ、成績が思うように伸びなければ「あんたはなんでできないの」「私が恥をかく」と詰め、娘の夏休みの自由課題が賞をもらった翌年からは、傾向と対策を踏まえて母親が課題を制作し、受賞すればそれを周囲に誇るようになった。義母にとって娘は自己の付属物であり、自分の能力と努力を表示する成果物だった。これは娘側の一方的証言ではなく、義母本人がそのことを問い詰められて(娘以上に感情的に)キレたり、逆に緘黙する状況を自分も見ているので、嘘や極端な誇張はないと思う。
そういう母親との間で育った娘である奥さんは、根本のところで自己肯定感がとてつもなく低く、「自分には価値がない」という強迫観念に苛まれていた。彼女は親元から離れたあと、亡父の尽力もあって学歴にはやや不相応な金融総合職につくことができ、廻りの高学歴の人達に揉まれながらも持ち前の根性で「コネ入社の腰掛けさん」に留まらない営業成果を出し、職場でも多くの同僚に認められるようになった。でも、これは見方を変えると「自分が無価値な人間ではない」ということを自らアウトプットや業績評価によって証明し続けなければいけなかったからそうしていたわけで、その「頑張り」は結局は不安と強迫観念によってドライブされてたんだよね。背景にそういう動機があって「頑張り続けなければいけない」人がどうなるかというと、最後はメンタルヘルスを崩し、拒食症になり、自己都合で退職した。つらい。
その後いろいろあって彼女は自分と結婚したんだけど、お互いに落ち着いている時に(感情的にチャージされてない状況で)この課題について話し合い、時にはネットの情報や心理学の書籍なども参照しながら考えるなかで、激昂の背後にあるのは自己肯定感のなさだということが見えてきた。彼女は成長の過程で「人間は能力や実績によってだけ認められるわけではなく、ただ人間であるだけで価値がある」という確信を得てこなかった。母親から与えられたのは条件付きの愛で、条件を満たさなければ存在自体を否定された。だから「認められるために頑張る」という所作が身についた。
頑張りの中には「社会的に認められる人格を演じる」ということも入っているから、ソーシャルマナーはちゃんと実践できる。人当たりはよく、好感度も高い。しかしそれはあくまで「舞台」に立って「頑張り」を発揮して評価を獲得しなければならない状況での話で、身内にはこのルールが適用されない。だから親族や家族の中に(彼女の基準で見て)頑張っていない人(例:私はこんなに頑張ってるのに、あなたは)、彼女の頑張りを認めてくれない人、彼女の頑張りの成果をスポイルする人(例:頑張って片付けたのにまた散らかして)に対しては、時に制御の効かない怒りを感じ、苛烈な言葉や行動を直接ぶつけてしまう。自己肯定感が低いから、他者を無条件に肯定できない。自分に課した高いハードルと同じ評価基準を相手にも課し、それを満たさない相手を詰る。そういうメカニズムがあるみたいだった。
ついでに言うと、彼女の母親にとっては娘自身が「彼女の頑張りをスポイルする人」(一生懸命教育してるのに成果を出さずに「私に恥をかかせる」から)だったので、娘に対してそうした精神的身体的DVを繰り返していたわけだ。自己肯定感の欠如と感情のコントロール欠如という点では似たもの同士だった母親と彼女との喧嘩は、ちょっとした言葉尻の棘を捉えて相手を強く咎める(「それどういう意味?」とか「あなたはいっつもそう!」とか)の繰り返しで、なんでもないやりとりがあっという間に激しい罵倒の応酬にエスカレートしたりする。まさしく言葉の刃で刺し合うがごとくで、たまたまその場に居合わせた自分もぐったりと疲弊し、時にはあまりの情けなさに泣くこともあった。
ともあれ、我々2人は「こんなことが当たり前ではいけない、子供をこういう『こじれ』に巻き込まないようにしよう」ということをスタートにして、まず彼女と母親との関係は明らかに機能不全に陥っていること、彼女の母親が過去も今も彼女の自尊感情を蝕んでいること、自尊感情の乏しさが他者への非寛容や感情制御の困難につながっていること、自分は母親の承認/不承認にかかわらず価値のある人間だし、他人もそうだということなどをひとつひとつ確認していった。彼女は最初は「母親はもしかしたら毒親だったのかも」程度の認識だったのが、あまりにも定型的な虐待のパターンのど真ん中に自分がいたことを知り、自分の感情コントロールの難しさが個人の資質というより関係の病理に起因していることを学んだ。そうすることで、母親との関係も1:1の差し向かいではなく、その関係自体を第三者として見る視点を手に入れた。自分はそのときに情報や考察の手伝いはしたけど、結局それは彼女自身の自己探究の道のりだった。
それでどうなったかといえば、状況は明らかに良くなっている。奥さんはアンガーマネジメントを少しずつ理解し、実践している。実際にキレる回数は格段に減った。キレてしまった時はそのままにせず、すぐ言葉にして反省するようになった。YOUランゲージを控え、Iランゲージを使って自分の希望や意志を率直に伝えられるようになった。母親とのやりとりもベタ足の殴り合いをするのではなく、だんだんと「所詮は他人でしかない、母親とのやりとりで感情的に消耗したくない」という感覚を持てるようになってきている。無駄に険悪になることもないが、母親だから近しくしなければいけないという「演技」からもちょっと解放された。やっぱり根本的な原因や構造が見えてきたことで、本人の物事の捉え方も変わってくるんだと思う。
…というわけで、うちの場合は子供ができた結果、徐々に状況がよくなってきたんだけど、これ「子供が生まれたから良くなった」じゃなくて「子供がいるから良くしないといけない」という問題意識を両方が持ったからだと思っている。逆に言えば、元増田の場合、子供ができなくたって「この状況を放置するのは2人の心理的安全性にとって良くない、2人の関係の健康を損ねる」という意識で話し合うことができれば、だんだんと建設的な方向に向かえるかもしれないよ。
さっきも書いたけど、うちの場合は、彼女の病理というより関係の病理だった。だから時間はかかったけど、こじれた関係を解きほぐすことが解決の糸口になった。元増田の奥さんが同じかどうかわからないけど、参考になったらうれしい。お互いがんばろう。