はてなキーワード: 経済的とは
もちろんそうなる可能性もあるが、それでもやった方がマシという判断もあり得るさ。経済的な負担の方が大きくなってもやはりお祭りはやるという判断が下されたりするようにね。
津久井やまゆり園、カリタス、新幹線放火事件、京アニ、小田急サラダ油と京王線ジョーカー。
ここ5年くらいの間に変な事件が相次いで起きたけど、どれも「無敵の人」が犯人だった。
そして昨日の安倍さんの襲撃事件が起きたことで、もう見て見ぬふりは出来なくなった。
とは言っても、では「無敵の人を出さない」ためにはどうするのか、を考えると答えは出ないけど。
日本将棋連盟から分裂する形でLSPAが結成された。これは従来の女流棋士たちが運営に不満を持ち起ち上げた独自組織である。
従って現在、女流棋士には、日本将棋連盟所属の女流棋士と、LSPA所属の女流棋士がいる。米長会長の時に、すったもんだがあって分裂したのだが、今はLSPA所属の女流棋士も、日本将棋連盟が主催する女流棋戦には参加できることになっている。
里見香奈は、女流四冠なのだが、年収は1500万円くらいだ。正棋士(事実上、現在は=男性棋士)ならば四冠ならば年収は1億越えてもおかしくはないので、差がありますね、とは言えるが、タイトルを持っていない正棋士と比較すれば菅井竜也八段(A級棋士、竜王戦1組、昨年度銀河戦優勝者、王位獲得経験あり)と同程度の年収である。
里見香奈がいかに強かろうとも、日本将棋連盟の正棋士と比べれば棋力では40位から50位相当くらいなので、棋力でソートするのであれば、女性優遇されていると言える。里見香奈がもし男だったら、女流棋戦には当然、参加できないので、年収600万円程度だっただろう。
その女流棋戦も、日本将棋連盟が主催すればこそ、スポンサーを見つけることが出来るのであり、日本将棋連盟のブランドは、男性棋士たちの棋力に負うているので、女流棋士が男性棋士に経済的にも寄生している構造自体はある。
人生100年時代における結婚と家族 特 集 ~家族の姿の変化と課題にどう向き合うか~
https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/r04/zentai/pdf/r04_tokusyu.pdf
っていう、統計好きにはたまらない資料100ページ超えよくばりセット
気になった所まとめ
5ページ目
注目したいのは20代までは結構差はないこと、30代から差がすごい
9ページ目
このグラフ好き
初婚件数減りすぎ(39万件)
これって結婚という制度から離れてるのか、恋愛や共同生活から離れてるのかわからんね
11ページ目
好き
未婚者増えたけど既婚者のほうが多いよね、というのがよくわかる
不詳ってなに?
13ページ目
好き、でも見づらい
いずれ越しそう
ところでこどおじはどこに該当するの?
サザエさん型の家族はもう7.7%爺婆が孫と暮らせる確率低すぎワロタ
16ページ目あたり
こんな指標があるんだ〜
結構生きるよね
女90男85と見ておけばいいか
18ページ目
意外と主婦多くね??
ちょっと意外だけど、昭和60年代でも、共働き718万世帯もある
20ページ目
このグラフ嫌い
まず女性に限ってること
それにしてもフルタイム働いてる妻が20〜30%しかいないのすごいな
25〜34歳が一番少ないから、ここでそもそも正社員ルートから脱落してるのがよく分かる
22ページ目
これ好き
未婚女性の年収を知りたかった、それによって問題が性別にあるのか子育てにあるのかが分かる
400万円以上40〜44歳でみてみるか
・既婚女性 15%くらい
・未婚女性 25%くらい
・既婚男性 65%くらい
・未婚男性 38%くらい
未婚男性と未婚女性はかなり条件が近いと思うんだけど、13ポイントくらいの差がある
これは確実な性差だと思う
既婚女性と未婚女性でも10ポイントくらいの差があるから、性の問題と子の問題は同じくらい存在しているのかも?しらんけど
40〜44歳、既婚女性の年収100万円未満 → 33%くらい
こうみるとやっぱり男性が稼ぐべきという風潮は残ってるんだなと
30〜34歳でも大差はない
これ多分だけど、男性の方が歳上である件数が多いからってのもありそう
25ページ目
夫の稼ぎが悪いほど妻も働いてるのでは?的な統計
夫が200万未満でも妻が働いてないケースが結構あるのが闇深いんだけど、これ逆に資産家なのか?
300万円代なら大体妻が働いている率70%
1500万円以上でも妻が働いてる率56%(30代なら40%)
悲報:1000万円の夫を捕まえても専業主婦に慣れる確率は半分以下
26ページ目
30年で1.5倍っていうんだから全然増えてない、国民性かね?
母子家庭の平均給与 200万円(正規雇用の場合305万円) 闇深
27ページ目
同居人あり40%くらい、親が27%くらい
20代以下が30%くらい
30ページ目
貧困度が高すぎる
32ページ目
エグい
33ページ目
俺のことか
え、逆に寂しくない人すごくね?
あと既婚者でも寂しい人多いんだけどそれは
挨拶をする程度以下
半分ずつ分担派は年々増えている(男女とも)
最近は50%くらい
一方で「妻に丸投げ」派は案外減っていないし
「夫が多くやる」派は極小
どちらかというと「妻100%」が「妻+外部サービス+夫」になった感じ
まあでも徐々に良くなってきてると思うよ
42ページ
日本やべーって話だけど、韓国も似てるので個人的には地域性だと思う
43ページ目
妻が夫の両親の介護の面倒をみなくなってきている
44ページ目
1位 息子
2位 夫
45ページ目
明治時代のほうが高かったという話
48ページ目
これも似た話
49ページ目
僕はなしです
なんだかんだ言って7割以上はよろしくやってんじゃんね、ならいいじゃん
前にどっかで書いたけど
自然にパートナーが出来るのが1/3、マッチングアプリとか使ってパートナー作れるのが1/3、それ以外が1/3みたいな感じだ
50ページ目
未婚女性は0人という人が24%しかいないから、喪女はだいぶレアだと思われる
未婚男性は0人という人が37%いるので、そこそこ居る
あと1人っていうのをどこまでカウントしてるのかも気になるけどね
51ページ
ほんぺん
案外少ない
どういう・・・?
減ってないw
こちらも減ってない
20代で全部決まってるんやなって
53ページ
なかまやで
この人達が出来るだけでだいぶ違うと思う
いい人が居ない、縛られたくない が多い
58ページ目
案外多いね
60代男性 42.5%
案外少ないね
せやろな
65ページ
そこそこいるね
81ページ
俺は興味ないけど該当者はありそうなネタ
85ページ
これ面白い
「男性は外で働き、女性は家事をするべきだ」の賛成が男女で一致している
反対は女性の方が少し多いけど、思いの外男女で価値観は一致している
つまり男性が無理やりやらせているというよりは社会的にそういう空気になってるんだよね
これを変えようとする人らは大変だろうよ
ただ「仕事をセーブしたくない」と思ってる女性は男性より2割くらい多いっぽい
86ページ
これも面白い
「女性が◯◯すべきだ」って思ってる人、60代でも3割前後と少ないんだけど
89ページ
94ページ
これ好き、なかなか出てこない情報
100人未満 48%
数百人規模 27%
1000人以上 25%
100人未満 36%
数百人規模 31%
1000人以上 32%
なるほどなぁ
99ページ
女性の社会活躍だとか言って女性だからと上司に据えたり管理職に据えたり特別枠に据えたりするの、あれむしろ性差別的じゃないの
女性の発想云々でそういうことするならそれは間違いだと思う。女性の発想じゃなくてその人の発想が素晴らしいだけ。
ここ最近、SNSやネットニュース上では「親ガチャ」「毒親」という言葉が流行しているが、自分はどうもこれらの言葉が好きにはなれないでいる。
いや、正確には「言葉自体」が嫌いなのではなく、「その言葉を使うことを無条件に肯定する人間や風潮」が嫌いなのであろう。
その嫌悪感は、「親の言うことは無条件に正しい」「産んでくれたことに感謝しろ」「みんな大変なんだ、自己責任だ」といった無根拠な精神論、根性論によるものではないということは、初めに強調しておきたい。
どうも、インターネット上ではこれらの言葉に反感を抱く者は、上記のような精神論を振りかざしていると、誤解により、若しくは意図的にレッテルを貼られ、
「無理解な大人である」とカテゴライズされることを免れないようだが、せめてもの抵抗として、ここにその旨を記しておこう。
さて、私が「毒親」「親ガチャ」を不快に思う理由は、主に以下の3点にまとめられる。
この3点について、それぞれ考えを述べていきたい。
(精神的、身体的、性的)虐待をしている、経済的に困窮している、近所とトラブルを起こす、アルコール中毒者である、自身の進路や恋愛への過干渉、単に性格が合わない等々、
しかしながら、その言葉の意味の含有する領域があまりに広いことにより、非情にカジュアルな意味合い
(具体的には、自分の意見を聞き入れてくれないといった、思春期にはありふれたような悩み)でも使うことができてしまう。
この言葉の使用者の目線で言えば、自らの具体的な悩みを抽象的で使用しやすい概念を指す言葉に置き換えているので、
当然自らの状況が「毒親」「親ガチャ」に該当するのであると確信を持てている状態となる。一方で、この言葉を見る者からは、
「毒親」「親ガチャ」といった抽象的な概念を指す言葉から、発言者の具体的な悩みを推し量ることは難しい。
こういった「発信者」と「受信者」の理解に隔たりが生まれることは、良い状況を生まない。
発信者は深刻なSOSのつもりであっても、受信者は「カジュアルな意味合いで使っている者との区別がつかず、無条件に肯定し難い」のである。
この問題は、単なる親との不和を指す言葉として「毒親」「親ガチャ」を使う話者が増えれば増えるほど、深刻化していくだろう。
では、そういった発信者と受信者のすれ違いを解消するには、どのような方法を用いればよいのか。
私は単に、それぞれの問題に相応しい言葉を使うべきだと考える。
虐待は虐待、貧困は貧困、我儘は我儘なのであって、それ以上でも以下でもない。
果たして、「親から虐待を受けているから早く家を出ていきたい」「貧困のツケを子供に払わせるような親を恨んでいる」といった趣旨の発言に対して、
冒頭のような「親は悪くない/自己責任だ」と心無い言葉を浴びせる者が、そう多くいるだろうか。
たとえ同じ悩みについて語っていたのであっても、「毒親」「親ガチャ」と表現するより、遥かに受信者にはその深刻さが伝わるだろう。
「毒親」「親ガチャ」の言葉の定義の曖昧さに起因するカジュアルな響きは、「万引き」「いじめ」といった言葉において指摘されているような、問題の矮小化という欠点を抱えている。
(いじめや万引きは、その加害者や責任者が使うことによる問題の矮小化を指摘されているので、正確にはやや性質が異なることは承知しているが、毒親、親ガチャは被害者自らがそれに類似した矮小化を招いていると言える。)
自分の悩み、心の叫びを誰かに聞いてほしいのであれば、より正確に、相手にそれが伝わる言葉を用いることも一つの工夫であろう。
「毒親」「親ガチャ」といったサーチに引っ掛かりやすい、目につきやすい言葉を用いて形容することで、より多くの人の目に触れる可能性は高まるというメリットも確かに存在する。
よってその言葉自体を使うことを非推奨するわけではないが、用いる場合も自らの具体的な悩みを併記する方が、真剣に捉えてくれる人は多いはずだ。
これは、「毒親」「親ガチャ」を使用する側の問題ではなく、「受信者」の、更に言えば「大人」の責任の問題だ。
「毒親」「親ガチャ」を使うことは何も悪くない、どんどん使うべきだ、批判者は恵まれているだけだ、こういった無条件な肯定は、同世代の共感からくるものとは限らない。
自分が虐待などに苦しんだ、などの経験を持つ「善意の」大人からも多く寄せられている。
しかし私には、どうも「嫌ならやめよう、逃げよう」論と同様に、自らが責任を持たなくて済むのを良いことに、軽々しく注目を浴びたいだけの者や、
「毒親」「親ガチャ」といった言葉の存在を社会問題に繋げたい者といった、「悪意ある」大人が多分に含まれているように思えてならない。
(思えてならない、というのは正確ではないかもしれない。実際にそういった趣旨の発信を観測したことや、発信者のbioおよび過去の発信を観察した結果などから鑑みるに、上記の大人が一定以上の確率で紛れ込んでいるのが事実だ。)
1で述べた通り、「毒親」「親ガチャ」は曖昧な言葉で、本来は「虐待」「貧困」などといった深刻な問題から、単に思春期特有の不和なども含まれている。
そこに新たな社会問題が生まれたのではなく、「元々そこにあった問題が別の呼称をされている」に過ぎない。
もし社会的な問題が新たに生じているのだとすれば、青少年がSNSを使用する機会が増えたことにより、そういった「無責任な大人や唆したい大人」の意見へ触れる機会も、必然的に増えてしまったことこそが問題だ。
(無論、SNSの繋がりによって救われる人も多い。SNSそのものが青少年に悪影響である、と主張するつもりは全くない)
本来であれば、後から思い返して「自分が若かったな」で済む話を、周囲や社会へ責任を転嫁するような、拗らせてしまった人が量産されることは、自分は望ましくないと考える。
(「じゃあ『悪い大人』の狙いを嘯くお前の狙いは何なのだ」と聞かれたら、自分の幸福を守るためです。単に拗らせた他責性の強い人が社会に出てこられると迷惑なので。
ついでにその人自身も拗らせない方が幸せだとは思っていますし、正確な言葉でSOSを求める人が増えた方が、社会全体の利益に繋がるとも考えていますが。)
これも言葉を使う若者というより、それに付随する議論で生じる「悪い大人」の話に近い。
冒頭で述べた通り、「毒親」「親ガチャ」へ不快感を示す人は、その論の内容について考慮されることなく、「無理解な大人」のレッテルを貼られることが多い。
加えて言うと、「あなたは恵まれた家庭環境(親ガチャ当たり)だから恵まれない人の気持ちはわからない」というレッテル貼りを、非常によく見かける。
この論は全く筋が通っておらず、安易に社会の分断を加速させる、極めて悪質極まりないものであると私は考える。
何故ならば、「毒親」「親ガチャ」否定派の家庭環境についてはどう頑張っても想像の域を出ることはなく、属人的な論法でありながら「人」の部分を故意に都合よく歪めているからだ。
このやり口には一欠片ほどの正当性もない。
「毒親」「親ガチャ」という言葉へ好意的な者の家庭環境が、批判的な者よりも劣悪だったという根拠は何一つない。そもそも家庭環境そのものに対する評価が極めて多様なベクトルからなされるものであり、単なる比較がしづらい。
更に言うならば、「『毒親』『親ガチャ』批判派には人の気持ちがわからない」論者は、この点を最大限悪意的に利用し(または思慮深くないためか)、他者の家庭環境をジャッジしている。
親ガチャ批判派「自分も貧乏だったけど…」→虐待されてないだけマシ
親ガチャ批判派「自分も虐待されていたけど…」→裕福なだけマシ
といった具合である。彼らは相手によってゴールポストをずらすことで、自分たちが相手よりも恵まれていないことを強調する。繰り返すが、そこに根拠は何一つないのである。
先ほど、家庭環境については想像の域を出ない、と記したが、珍しくこの点についてある程度確度がある情報が世に出ているにも関わらず、誤った「ジャッジ」がなされた例もある。
昨年、某男性アイドルが「親ガチャ」という言葉に難色を示した件について、多くのネットユーザーが「お前は恵まれていただけだ」「アイドルになれる時点で親ガチャ当たり」
しかし、当該アイドルは幼少時に父親から身体的虐待を受けていた事実をカミングアウトしており、ニュースにもなっている。
虐待を行い、我が子に恐怖を植え付ける父親を、どういった基準で判断すれば「親ガチャ当たり」なのだろうか。全くもって理解に苦しむ。
「毒親」「親ガチャ」といった言葉を無条件に肯定する者の中には、勝手な想像で同情し、勝手な想像で批判する、
真の意味で他者の心に寄り添うだけの器量を持たない人間が多くいるということが、あの一件だけでも証明されたと言っていいだろう。
家庭環境について想像の域を出ないことは、「毒親」「親ガチャ」を使う人に対しての批判にも当てはまる。だから私は、「毒親、親ガチャは甘え」と、使用者そのものを批判するつもりはないのである。
ただ、「その言葉が多用され、繰り返し無条件な肯定をされると、社会は少し良くない方向に進む」と考え、非推奨しているに過ぎない。
・最後に
以上、3点にまとめて私の意見を述べてきた。
おそらく、「こうやって書くお前自身親ガチャ当たりなんだろ」と、全く内容を理解しているとは思えないコメントや反応も来るかもしれない。(そもそも誰にも反応されないかもしれない)
属人的な話をしたところで正当性が担保されるとは考えていないため、私自身については語る必要はないと思っているが、やや長めの文章を読めない人のために、家庭環境のうち、あまりよろしくなかったと感じている点を一応書くことにする。
私の両親は治療を要するレベルのアルコール中毒者で、父は酒を飲むと理不尽に怒るため、家の中で遭遇しないようにしていました。
母は酒を飲むと暴力へのハードルが著しく下がる方だったので、対処に苦労しました。今の関係性は身バレを少しでも防ぎたいので書かないことにします。
今回の文章を通して、それぞれの立場の人に伝えたかったことを簡単にまとめて、締めくくりたいと思う。
然るべきところ(学校や児童相談所)へ相談しましょう。インターネットで愚痴をこぼすことで発散するのも、それはそれでいいと思いますが、
本当に困っているなら、より正確な表現を用いた方が、真剣に聞いてくれる人は多いはずです。あと、悪意ある大人の、わかりやすいけど破綻しているような話には気を付けましょう。
その不快感の理由を言語化しないと、単なる無理解な大人と映ります。
深刻な悩みを抱えているかもしれない人へ、心無い言葉を浴びせるのは絶対にやめましょう。
本当に心配なら、言葉に不快感を示す人を煽ったり、無条件な肯定をするのでなく、
相談を呼びかける、貧困解決や、虐待防止運動をするNPOなどへの寄付をする(又は呼びかける)など、もっと当事者たちのためになることがあると思います。
私も昔は専業主婦に憧れたよ。
母親もそうだったしね。仕事だって全然好きじゃないし全然無能タイプ社員だし。
でも今や共働きが当たり前じゃん。百人並みの顔面と何にも秀でない能力をもって専業主婦にはなれないんだよな。そこの現実はしっかり理解してるわけ。
でも、というかだから、それでも頑張って色んな修羅場抜けてきたら小賢しさばかりが育っちゃって結婚とか恋愛とか損得で考えるようになってしまった。
私は女なので、ある程度生活の保証をしてくれる相手でないと結婚して一緒の家に住むなんてこと嫌だもんな。
相手の親や兄弟、親族と無難に付き合ったり、家事して、仕事も行って、一応女として夫を立てたりしてさ。
体調悪いときも今なら一緒に暮らしてる犬が散歩つれてけー!でワンワン言ってても無視して2時間くらい寝てたりしてもあいつら後で恨んだり気分害してグヂグヂ引きずったりしないしすげー楽。
でも夫/妻は人間だからある程度まともな態度で体調不良とかもちゃんと人前に出せる機嫌で弁明しなきゃいけなくてそういうの考えると「だりぃ~」ってなっちゃう。
私は帰ってきて服をハンガーにかけるのがものすごく苦痛なんだけど、実家にいるときは制服でボーッとしてると母が「シワになる!なんで帰ってきたらすぐ脱がない?そしてハンガーにかけられない?」としかられまくっていたが、やっぱり即脱いでハンガーにかけることができない。でも私は会社じゃ普通の服とかメイクとか好きな人と思われてるっぽいし、脱いだ服を即ハンガーにかけない、ベッドの上に寝るまで平置きしてもそこまでしわくちゃにならない。一人暮らしってそういうさじ加減が全部自分基準である意味ワガママ放題できて虫が湧かない程度の汚部屋も自分が納得してりゃ人が不快に思うとかそういうの考えなくて済むから自己肯定感むやみに下がらなくていいし、正直コスパのいいライフハックなんだよな。そこに気がついちゃうと人と住むのとかもうごめんだもん。
病気になったりしたらどうしようって思うけどそれ以上に今の楽さを捨てられん。
全部折半か6:4くらいで気ィ使いながら人と一緒に住むためにリスクとるのとかダルすぎる。
よほど好きって気持ちが強ければ出来るのかもしれないけど、今までの人生での自分の恋愛スタイル見てたら自分がそういう情熱的なタイプじゃないのわかってるし。
なんでこんな愚痴っぽいこと書こうと思ったかと言うと、さっき実家の母と電話したら、知り合い(男)が結婚したんだけど、もう二~三ヶ月ずっとその男の子の方がご飯作ってるんだって。とか言うわけよ。
んで、あー、ね。みたいな感じに相づち打ちつつ一人暮らし長いと男の人も料理上手だしね。とか言ってたの。
母親は「嘆かわしいね~」みたいなノリなわけ。でも遅く帰ってくることとかあったら仕方ないよね~っていうと、奥さんの方がいっつも遅くて作らざるを得ないみたいよって話になってきた。
いや、そりゃ当たり前っつうかその知り合いの男の子も全部納得済みでやってんじゃない??って思ったんだけど、私の母は前述した通りずーっと専業主婦で彼女の世界では家事は女がするもので、働きに出てて家事出来ないのは怠慢、みたいな価値観で生きてるわけ。
一世代でこの断絶よ。その知り合いの子の母親もうちの母と同世代。(かといってうちの母のように今現在の夫婦の在り方のオーソドックスについてどのくらい理解があるのかは実のところよくわからない。そこに言及しないことは申し訳ない。)
実家に帰って、何気なくこういうこと親に言われるとその知り合いの子も「そっかー、やっぱ俺って可哀想かも。うちの嫁っていい嫁じゃないかも」とか思っちゃうかもしれねーんだよな。
そりゃ育ってきた環境で、自分の身近な母親って存在だよ?影響されても誰が責められる?
私は何もミサンドリーな事を言いたい訳じゃないのをわかってほしい。
結婚ってかなりハードモードだなって、現在を生きてて肌感覚で感じるわけ。
親との常識の差、経済的な余裕のなさ。そして一人暮らしというのが普通に精神的に楽すぎるということ。
そんな私にも、ごく普通の金はないけど一緒にいてそこそこ楽しい彼氏がいるけど、この人と結婚して働きながら嫁業できるかと聞かれると「無理」なんだよな~
最初に書いたように中途半端に小賢しい人間になっちゃったからもう愛してるの言葉だけで強くなれる気はしないんだよな。
彼氏とセックスしてるより寝っ転がってスマホでYouTube見ながら誰に気つかうことなく屁でもぶちかましてる方が幸せで気持ちいいんだよな~
10年前はたしかにこんな感じじゃなかったけど、この極度に高度化した社会で戦ってるとそんなラブロマンス的な慈味みたいなものをありがたく味わえる感覚なくしてくわ。
それでもこれも私が戦って得てきた経験みたいなもんだし、じゃあ10年前の弱々のセンシティブな自分に戻りたいかっていうと死んでもやなんだよなぁ。
難しいなぁ…正しく我唯足知ってことしたたいけど、もう頑張りたくないし、もう頑張れるキャパシティもないんだ。
幸せになるために頑張ってたはずなんだけどなー。
おはようさん。元増田やけどワイは法曹なんで日本法の22週が生存可能性(母体保護法2条2項)を基準にしとることは知っとるで。2行目で「生存可能性」書いとるのもそういうことや。
日本法は中絶をリプロダクティブライツとは位置付けとらんから、日本法と違う考え方する人がどう考えるかわからんから聞いとるんや。
(母体保護法14条1項)に限って指定医師による中絶が可能とされとる。
つまり日本法では、中絶はリプロダクティブライツなんやのうて、母体と胎児の生命身体を天秤にかけた上で、単独生存できない22週未満に限り前者を優先しとるんよ。
ただし実際には、「経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれ」を極めて緩く解することで、事実上、堕胎が自由に行われているっちゅう状況や。(法律で「著しく」出てきたら本来かなり厳しい要件やけど、世間の運用では石油王でも健康を害するくらい経済的に厳しいことにしとる。)
まぁせやから条文を無視して現状の運用だけを見れば、堕胎で母親と胎児の生命を天秤にかけてるなんて意識は無くなるから、堕胎が親の権利だという認識が広まってもしゃーない面はあるわな。
せやけどそんな現状でも22週制限はきっちり守られとる。
22週制限は、リプロダクティブライツ「ではない」、胎児の生命の要保護性を認めるいう前提から導かれた制約やけん、リプロダクティブライツ論者がどう考えるのかよう分からんのよ。
自由とかそういう話の前に
統計の数字にはっきり表れてる経済的不利益と、性的な犯罪被害立場をその性別に生まれたというだけでひたすら背負わせられてるのを
読み書きができる人間が多い大半の国がどうにかすべきと一斉にいってて
スポーツは別に、誰かの尊厳を傷つけて快楽を満たす文化じゃないんだわ
誰かの尊厳を傷つけて快楽を確保する文化は、性的じゃなくても、等しく風当たりきついよね?
そういうものが存在して、需要があって、供給する人間がいてもしかたないけど
まず現実の虐待が極端に発生率が低くなり軽蔑されるものになり(間違っても武勇伝や若気の至りや冗談だよで済まされず)
社会全体で「それは頭おかしい」って言ってもらえる状況を作って欲しいんだよね。
現実の男性が痴漢やレイプ被害にあう頻度ってどれくらい低いの?
せめて女の被害がそれと同等の「滅多に無いこと」になれば
誰も噛み付いたりしなくなるよ
エロい絵を嗜む自由叫ぶ前に、一人でも痴漢捕まえたり、そういうのは最低だって憤ってくれ
自分の母、妻、娘、妹、なんでもいい身内の大事な女性がそれをされたときもツイッターでフェミ叩き優先する?
自分にとって大事な人間が、入試で点数削られて夢を邪魔されたことが判明した時に、フェミ叩く?さすがにしないんじゃない?
順番が逆なんだよ
https://president.jp/articles/-/53726
「高SES家庭と低SES家庭で最も顕著な差は、親が子に話しかける「量」だったのだ。」
「調査期間中、高SES家庭の親は1時間に平均して487語の発話をしたが、低SES家庭は平均して176語にとどまった。じつに3倍の差である。
その結果は如実に現れた。
子が3歳になった時点で、高SES家庭の子は平均して1時間に310語の発話をしたが、低SES家庭の子は約半分の168語に。語彙力を測ると、前者の子は1116語、後者はやはり約半分の525語であった。」
この研究によれば子供の高SES(社会的・経済的ステータス)家庭ほどよく子供に話しかけていて、その結果が子のIQに反映されているって事らしいけれど
これが正しいとしたら、早くから子供を保育園に預け、両親揃って仕事に励むよりも
片親を専業主婦(若しくは主夫)にし、子供に話しかけさせるようにした方が子供の教育には有意義、って事になっちゃわない?
いわゆる『三歳児神話』は根拠の無い『神話』などではなく、子供の成長に与える影響としては正しかったって事にならない?
「一方で、話しかける人は親ではなくてもいいようだ。保母さんや保育士でも同様の効果がある。」
とはいうけれど、保育園だと親と違って赤ん坊一人一人に意識を向けて頻繁に話しかけるとか無理そうだし…
やっぱり子供が小さいうちには親がつきっきりで面倒をみていた方がいいって事にならない?
近代自由主義は、自己と他者の自由を尊重する社会的公正を指向する思想体系のことをいう。レッセフェール(自由放任)を基本原理とする古典的自由主義や自由至上主義とは異なり、それが人々の自由をかえって阻害するという考え方が根底にある。現代において個人の自由で独立した選択を実質的に保障し、極度の貧富差における経済的隷属や個人の社会的自由を侵害する偏見や差別などを防ぐためには(中略)、政府や地域社会による積極的な介入も必要であるという考えに基づく。
私の感覚では、感情で契約を反故にすることはごくありふれていて、自然な現象です。あまりにもありふれているため、異常とは言えないと思います。特に出産というイベントの特殊性、生理的なメカニズムを思えば、法的・経済的には非合理的とも思える判断は十分に予想されることです。処罰されてでもわが子を抱きたい、あるいは手放したいという強力な感情を異常と判定する法制度は、適当ではないという気もします。不適当な契約は法的に効力を持たないこともあります。
また、帝王切開手術で出産した場合も、肉体が出産を認識する場合が多くあります。子に会わなければ、やがて喪失感だけが発生すると想像されます。心理的な苦悩以外にも、侵襲による負荷も大変なものです。苦悩を癒す方法があるのか、代理母として適格な属性があるのかなど、具体的な事例を示して頂く必要があると思います。
私が思うことは、大切なのは生まれてくる子どもの幸福ということです。そのことも、ぜひお考えがあればお聞かせいただければと思います。
おやすみ。
お金を儲ける事に遠慮してしまいます。自分でもおかしいと思っているのですが、自分が得をすればどこかの誰かが損をしているのではないかと考えてしまいます。こういう考え方をなんとか払拭できないものでしょうか。 個人的に仕事で稼げるチャンスがあったのですが上記の理由によりフイにしてしまい、同僚からも馬鹿にされる始末です。欲がないというか金銭的に裕福になる事に怖さも感じます(これは自分でもよく理解できない感情です)。必要最低限の収入があればよしと思っているのですが、そうは言っても自分から稼ぐチャンスを避けるのは異常だと気付きました。具体的に言いますと、お金は無限に沸いてくるものではないから、自分が大金を手にすると、どこかの誰かが貧乏になるのではないかと思い躊躇してしまいます。こんな考え方を改めるためにアドバイスを下さい、お願いします。
A.
富という物は、増える物なのだよ。そのメカニズムを説明いたしましょう。
たとえば、世界に二人(A君とB君)しか人間がいないとしよう。そして、1万円札が1枚だけあるとしよう。この時点では、世界全体の富の合計金額は、たったの1万円ということになる。
最初、A君が1万円札を持っていたとしよう。B君はそれが欲しかったので、A君のために家を作ってあげて、A君に1万円で売ってあげた。その結果、今度はB君が1万円札の所有者となった。A君の手からは1万円札が失われたが、かわりに家が残った。この時点で世界全体の富の合計金額は2万円ということになります。(1万円札+1万円相当の家)
次に、A君くんは、ふたたび1万円札が欲しいと思い、B君のために家を作ってあげてB君に1万円で売ってあげた。その結果、今度はA君は1万円札と家の所有者となった。B君の手からは1万円札が失われたが、かわりに家が残った。この時点で世界全体の富の合計金額は3万円ということになります。(1万円札+1万円相当の家が2軒)
こうして、A君とB君との間を1万円札が行ったり来たりするたびに、A君とB君の手元には、様々な不動産や価値ある品物が増えていった。(つまり世界全体の富の合計金額が増えていった)
やがて、二人は良い考えを思いついた。お互いに価値ある財物をたくさん所有するようになったので、それらを担保として1万円札をもっとたくさん作ろうと。(10万円相当の財物を担保に1万円札を10枚作るということ)
その結果、もっと多くのお金が二人の間を行き来するようになり、もっとたくさんの財物が生産されるようになった。
以上です。設定にやや無理がありますが、原理は真実です。世の中の各人が「お金が欲しい!」と思い、お互いに努力し、生産し、サービスを提供し、つまりは経済活動をすればするほど、世の中全体の価値ある品物・価値あるサービス・財産、つまり富は増えていくのです。
要するに、あなたがお金を儲ければ儲けるほど、世の中全体も豊かになっていくのです。あなたがお金を儲けたということは、それに相当するだけの価値を誰かに提供したと言うことでしょう? つまり「A君に作ってあげた家」を創造したと言うことでしょう?
あなたは儲ければならない。なぜならば、それが世の中全体を豊かにすることに直結しているのだから。
たとえば、今中国が急速に経済成長し、国全体の富が急激に増えているのは、先ほどのA君・B君の営みを10億人規模で(それこそ血眼になって)やっているからです。つまり、多くの人々が「お金を儲けよう!」と必死で頑張ると、世の中の富は無限に増えるのです。
今の日本が経済的に縮んで(つまり貧乏になって)いっている理由は、多くの人々が「お金を儲けよう」としなくなったからです。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1165573141
https://b.hatena.ne.jp/entry/detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1165573141
「世の中の理不尽さ」や「不都合な真実」を強調して、それでどうするの?(読書メモ:『ただしさに殺されないために』)
https://davitrice.hatenadiary.jp/entry/2022/06/17
ブログよりもはてな匿名ダイアリー派なのだが、あちらでも非モテを専門に扱う書き手がいて、はてなブログランキングの増田部門を席捲することがある。
非モテ(性淘汰ネタ)に限らず、能力主義の方だと出生ガチャで人生はほぼ決まってるとか、あのフェミニストが気持ち悪いとか、半出生主義とか、ジメジメとした暗いネタは勘弁してほしい。居たたまれない気持ちになる。彼ら彼女らはブコメ欄でキズを舐め合ってるんだろ。
何も解決しないじゃないか。いや、キズを舐め合うのが必要なのは間違いないけど、著名ブロガーがそればかりやってるのを見ると悲しい気分になる。
勝つのが難しくても、負けるのがみっともなくても、戦い続けていることが一番大事だ。やり続けてさえいれば、いつかは弱い自分を肯定できる時もくる。
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20220616/1655367972/123531
当日記のタイトルなんだけど、もしかしてシロクマ先生はモテない経験を何度もしたんじゃないか、と邪推するようになった。
本人的に「まだ40代半ばだし、精神科医だし、お金持ってるし、サブカルに詳しいし、恋愛いけるっしょ」と思っていたら、若い子にアタックして撃沈を何度も繰り返した挙句が、ブログ投稿の性淘汰ネタの不穏さに現れてるんじゃないだろうか。いや、あくまで邪推なんだけど。
これを読んでる人で、もしシロクマ先生やメロンダウトの人が、最近よくSNSその他で発表してる意見を積極的に読みたくなっているのだとしたら、それは貴方が精神的に低いレベルに落ち込んでいる証ではないか――と、一度もバズったことのない一増田は感じる。
ファンの人がいたら申し訳ない。批判が多いようであれば当日記は削除します。ごめんね。
【余談】
参考までに、女の人生はイージーモードなんて言うヤツがいるけど、とんだ間違いだ。
モテる男の人生も生まれた瞬間に勝ちみたいな論点もあるけど、やはり誤っている。
女性は可哀そうな存在だと思う ※人並にモテると思われる女性の話。女の人生は難しい。
https://anond.hatelabo.jp/20210402211311
女性の瞳を見ることができない ※異常なほどにモテる男性の話。オチが衝撃だった。
https://anond.hatelabo.jp/20220502214152
男性も女性も人生の難易度は同じだ。経済的に見ても、恋愛的に見ても。
女の子は、自分からアタックができないわけだろう。基本的には。男の方から来るのを待つしかない。
でも、いい男が声をかけてきたとして、次は自分を幸せにできるかを見極めないといけない。誰にでもコナをかけてる奴だとしたら最悪だ。
さらに彼氏ができても、その見極めが正しいかわかるまでに時間がかかる。その頃には取り返しがつかなくなっている可能性もある。
男も女も、恋愛は辛いんだよ。人生には、色んな葛藤とか、解決できないこととか、あることのために別の何かを諦めないといけない状況がいくつもあって、そういう制限こそが人間が生きるうえでの本質なんだよ。
いつも葛藤があって、あるモノを得ようとしたら別のナニカを失ってる。人はそういう状況に苦悶しながら、常に何かを選び続けて、自分を制御しながら生きていく。そういうゲームを生きている。
偉そうになってしまってすまんな。