2022-07-04

私が「親ガチャ」「毒親」という言葉を嫌う理由

ここ最近SNSネットニュース上では「親ガチャ」「毒親」という言葉流行しているが、自分はどうもこれらの言葉が好きにはなれないでいる。

いや、正確には「言葉自体」が嫌いなのではなく、「その言葉を使うことを無条件に肯定する人間や風潮」が嫌いなのであろう。

その嫌悪感は、「親の言うことは無条件に正しい」「産んでくれたことに感謝しろ」「みんな大変なんだ、自己責任だ」といった無根拠精神論根性論によるものではないということは、初めに強調しておきたい。

どうも、インターネット上ではこれらの言葉に反感を抱く者は、上記のような精神論を振りかざしていると、誤解により、若しくは意図的レッテルを貼られ、

無理解大人である」とカテゴライズされることを免れないようだが、せめてもの抵抗として、ここにその旨を記しておこう。

さて、私が「毒親」「親ガチャ」を不快に思う理由は、主に以下の3点にまとめられる。

1.本来問題矮小化することに繋がる

2.無条件な肯定により健全精神的成長を阻害する

3.非論理的属人的論法に持ち込まれやす

この3点について、それぞれ考えを述べていきたい。

1. 本来問題矮小化することに繋がる

毒親」「親ガチャ(外れ)」の定義は非常に曖昧だ。

精神的、身体的、性的虐待をしている、経済的に困窮している、近所とトラブルを起こす、アルコール中毒である自身の進路や恋愛への過干渉、単に性格が合わない等々、

その問題の大小を問わずに使える点で、便利な言葉であろう。

しかしながら、その言葉意味の含有する領域があまりに広いことにより、非情カジュアル意味合い

(具体的には、自分意見を聞き入れてくれないといった、思春期にはありふれたような悩み)でも使うことができてしまう。

この言葉使用者目線で言えば、自らの具体的な悩みを抽象的で使用やす概念を指す言葉に置き換えているので、

当然自らの状況が「毒親」「親ガチャ」に該当するのである確信を持てている状態となる。一方で、この言葉を見る者からは、

毒親」「親ガチャ」といった抽象的な概念を指す言葉から発言者の具体的な悩みを推し量ることは難しい。

こういった「発信者」と「受信者」の理解に隔たりが生まれることは、良い状況を生まない。

信者は深刻なSOSのつもりであっても、受信者は「カジュアル意味合いで使っている者との区別がつかず、無条件に肯定し難い」のである

この問題は、単なる親との不和を指す言葉として「毒親」「親ガチャ」を使う話者が増えれば増えるほど、深刻化していくだろう。

では、そういった発信者と受信者のすれ違いを解消するには、どのような方法を用いればよいのか。

私は単に、それぞれの問題に相応しい言葉を使うべきだと考える。

虐待虐待貧困貧困、我儘は我儘なのであって、それ以上でも以下でもない。

果たして、「親から虐待を受けているから早く家を出ていきたい」「貧困のツケを子供に払わせるような親を恨んでいる」といった趣旨発言に対して、

冒頭のような「親は悪くない/自己責任だ」と心無い言葉を浴びせる者が、そう多くいるだろうか。

たとえ同じ悩みについて語っていたのであっても、「毒親」「親ガチャ」と表現するより、遥かに信者にはその深刻さが伝わるだろう。

毒親」「親ガチャ」の言葉定義曖昧さに起因するカジュアルな響きは、「万引き」「いじめ」といった言葉において指摘されているような、問題矮小化という欠点を抱えている。

いじめ万引きは、その加害者責任者が使うことによる問題矮小化を指摘されているので、正確にはやや性質が異なることは承知しているが、毒親、親ガチャ被害者自らがそれに類似した矮小化を招いていると言える。)

自分の悩み、心の叫びを誰かに聞いてほしいのであれば、より正確に、相手にそれが伝わる言葉を用いることも一つの工夫であろう。

毒親」「親ガチャ」といったサーチに引っ掛かりやすい、目につきやす言葉を用いて形容することで、より多くの人の目に触れる可能性は高まるというメリットも確かに存在する。

よってその言葉自体を使うことを非推奨するわけではないが、用いる場合も自らの具体的な悩みを併記する方が、真剣に捉えてくれる人は多いはずだ。

2.無条件な肯定により健全精神的成長を阻害する

これは、「毒親」「親ガチャ」を使用する側の問題ではなく、「受信者」の、更に言えば「大人」の責任問題だ。

毒親」「親ガチャ」を使うことは何も悪くない、どんどん使うべきだ、批判者は恵まれているだけだ、こういった無条件な肯定は、同世代共感からくるものとは限らない。

自分虐待などに苦しんだ、などの経験を持つ「善意の」大人からも多く寄せられている。

しかし私には、どうも「嫌ならやめよう、逃げよう」論と同様に、自らが責任を持たなくて済むのを良いことに、軽々しく注目を浴びたいだけの者や、

毒親」「親ガチャ」といった言葉存在社会問題に繋げたい者といった、「悪意ある」大人が多分に含まれているように思えてならない。

(思えてならない、というのは正確ではないかもしれない。実際にそういった趣旨の発信を観測したことや、発信者のbioおよび過去の発信を観察した結果などから鑑みるに、上記大人一定以上の確率で紛れ込んでいるのが事実だ。)

1で述べた通り、「毒親」「親ガチャ」は曖昧言葉で、本来は「虐待」「貧困」などといった深刻な問題から、単に思春期特有不和なども含まれている。

そこに新たな社会問題が生まれたのではなく、「元々そこにあった問題が別の呼称をされている」に過ぎない。

もし社会的問題が新たに生じているのだとすれば、青少年SNS使用する機会が増えたことにより、そういった「無責任大人や唆したい大人」の意見へ触れる機会も、必然的に増えてしまたことこそが問題だ。

(無論、SNSの繋がりによって救われる人も多い。SNSのもの青少年に悪影響である、と主張するつもりは全くない)

本来であれば、後から思い返して「自分が若かったな」で済む話を、周囲や社会責任転嫁するような、拗らせてしまった人が量産されることは、自分は望ましくないと考える。

(「じゃあ『悪い大人』の狙いを嘯くお前の狙いは何なのだ」と聞かれたら、自分幸福を守るためです。単に拗らせた他責性の強い人が社会に出てこられると迷惑なので。

ついでにその人自身も拗らせない方が幸せだとは思っていますし、正確な言葉でSOSを求める人が増えた方が、社会全体の利益に繋がるとも考えていますが。)


3.非論理的属人的論法に持ち込まれやす

これも言葉を使う若者というより、それに付随する議論で生じる「悪い大人」の話に近い。

冒頭で述べた通り、「毒親」「親ガチャ」へ不快感を示す人は、その論の内容について考慮されることなく、「無理解大人」のレッテルを貼られることが多い。

加えて言うと、「あなたは恵まれた家庭環境(親ガチャ当たり)だからまれない人の気持ちはわからない」というレッテル貼りを、非常によく見かける。

この論は全く筋が通っておらず、安易社会の分断を加速させる、極めて悪質極まりないものであると私は考える。

何故ならば、「毒親」「親ガチャ否定派の家庭環境についてはどう頑張っても想像の域を出ることはなく、属人的論法でありながら「人」の部分を故意に都合よく歪めているからだ。

このやり口には一欠片ほどの正当性もない。

毒親」「親ガチャ」という言葉好意的な者の家庭環境が、批判的な者よりも劣悪だったという根拠は何一つない。そもそも家庭環境のものに対する評価が極めて多様なベクトルからなされるものであり、単なる比較しづらい。

更に言うならば、「『毒親』『親ガチャ批判派には人の気持ちがわからない」論者は、この点を最大限悪意的に利用し(または思慮深くないためか)、他者の家庭環境ジャッジしている。

ガチャ批判派「自分貧乏だったけど…」→虐待されてないだけマシ

ガチャ批判派「自分虐待されていたけど…」→裕福なだけマシ

といった具合である。彼らは相手によってゴールポストをずらすことで、自分たちが相手よりも恵まれていないことを強調する。繰り返すが、そこに根拠は何一つないのである

先ほど、家庭環境については想像の域を出ない、と記したが、珍しくこの点についてある程度確度がある情報が世に出ているにも関わらず、誤った「ジャッジ」がなされた例もある。

昨年、某男性アイドルが「親ガチャ」という言葉に難色を示した件について、多くのネットユーザーが「お前は恵まれていただけだ」「アイドルになれる時点で親ガチャ当たり」

と、当該のアイドルについて勝手想像を基に批判を行った。

しかし、当該アイドルは幼少時に父親から身体虐待を受けていた事実カミングアウトしており、ニュースにもなっている。

虐待を行い、我が子に恐怖を植え付ける父親を、どういった基準判断すれば「親ガチャ当たり」なのだろうか。全くもって理解に苦しむ。

毒親」「親ガチャ」といった言葉を無条件に肯定する者の中には、勝手想像で同情し、勝手想像批判する、

真の意味他者の心に寄り添うだけの器量を持たない人間が多くいるということが、あの一件だけでも証明されたと言っていいだろう。

家庭環境について想像の域を出ないことは、「毒親」「親ガチャ」を使う人に対しての批判にも当てはまる。だから私は、「毒親、親ガチャは甘え」と、使用者のもの批判するつもりはないのである

ただ、「その言葉が多用され、繰り返し無条件な肯定をされると、社会は少し良くない方向に進む」と考え、非推奨しているに過ぎない。

最後

以上、3点にまとめて私の意見を述べてきた。

おそらく、「こうやって書くお前自身ガチャ当たりなんだろ」と、全く内容を理解しているとは思えないコメントや反応も来るかもしれない。(そもそも誰にも反応されないかもしれない)

属人的な話をしたところで正当性担保されるとは考えていないため、私自身については語る必要はないと思っているが、やや長めの文章を読めない人のために、家庭環境のうち、あまりよろしくなかったと感じている点を一応書くことにする。

私の両親は治療を要するレベルアルコール中毒者で、父は酒を飲むと理不尽に怒るため、家の中で遭遇しないようにしていました。

母は酒を飲むと暴力へのハードルが著しく下がる方だったので、対処に苦労しました。今の関係性は身バレを少しでも防ぎたいので書かないことにします。

今回の文章を通して、それぞれの立場の人に伝えたかたことを簡単にまとめて、締めくくりたいと思う。

・家庭環境に悩む青少年

然るべきところ(学校児童相談所)へ相談しましょう。インターネット愚痴をこぼすことで発散するのも、それはそれでいいと思いますが、

本当に困っているなら、より正確な表現を用いた方が、真剣に聞いてくれる人は多いはずです。あと、悪意ある大人の、わかりやすいけど破綻しているような話には気を付けましょう。

・「毒親」「親ガチャ」が苦手だと言う人へ

その不快感の理由言語化しないと、単なる無理解大人と映ります

深刻な悩みを抱えているかもしれない人へ、心無い言葉を浴びせるのは絶対にやめましょう。

自分経験から、家庭環境に恵まれない青少年心配する人へ

本当に心配なら、言葉不快感を示す人を煽ったり、無条件な肯定をするのでなく、

相談を呼びかける、貧困解決や、虐待防止運動をするNPOなどへの寄付をする(又は呼びかける)など、もっと当事者たちのためになることがあると思います

・ただのバズりたい無責任大人と、自分のような拗らせたい大人再生産したがる人へ

頼むからインターネットやめてくれ。青少年の悩みはお前らの玩具じゃないんだよ。

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