はてなキーワード: 生産者とは
統一地方選挙っていわれても数年に一回だからもう、なんの選挙だかこちとら忘れてるのよ。
実際投票所ではどういった枠で何枠投票するかをどこも説明してないの
先週は知事と道府県議会って調べて調べてなんとかわかったよ。それぞれの枠に一票いれましたよ。
今週のやつ、めちゃ候補者いるじゃないか。2人か3人に入れれるの?1人しか入れれないの?一人に偏ったらどうするのよ、定数をめぐってジャンケンで決めるのかよ。
逆にこれだけいて、調べて1人しか入れれなかったら、モチベーション下がるよね。
これくらいの単純な疑問について、「市議 選挙 何人」とかで検索したけど全然解決できないの。どこも選挙結果とか投票日の案内ばっかり。
そもそもこういう選挙でこういうことを行ってくれる人を決めて、当日はこういう投票の方法で一票入れてくださいってわかりやすく説明してほしい。
こういうときこそいかがでしたかブログ勢の力のみせどころでしょーよ。数年に一回だから検索需要がない?民主主義が続く限り需要は途絶えないじゃん。
私は、名もなき1人のオタクである。最近ある悩みで苦しんでいるので、整理するためにここへ記そうと思う。長いぞ。
私は普段、アニメ、イラスト、漫画、ノベル、ゲーム、音楽、動画、等など様々なオタク的コンテンツを楽しんでいる。が、それらを自分で作ることが出来ないのだ。当たり前のことのように思うかもしれないが、私はそこに強いコンプレックスを感じている。
コンテンツには絶対に作り手がいる。そりゃそうだ。作る人がいなければ、何も生まれない。
さらに、オタクの世界には「ファンアート(二次創作)」という文化がある。自分はこれが好きですよ、とハマっている作品のキャラクターを描いたり、そのキャラの登場する小説を書いたり、動画を作ったりすることだ。オタクをしていると、それらを目にする機会がとても多い。上手い下手はともかく、全てのオタクが何らかの創作活動をしているのではないかと思ってしまう程度には多い。オタクは、オタクが生み出したものを目にする機会が途轍もなく多いのだ。
だが私は、絵も満足に描けなければ、小説も書けないし、音楽が作れるわけでもないし、何も生み出せない生産性のないオタクだ。
自分なりに考えてみた。
魅力的なコンテンツがあって、それを好きなオタクのコミュニティがあって、そのコミュニティは大抵絵や小説が描/書ける人間で構成されていた。少なくとも私の周りではそうだった。(オタク友達を求めて入った部活が美術部や文芸部だったからね)
生産が出来なければ、オタクの輪にはまず入れない。友達ができない。
私もオタクであるはずなのに、何一つ生み出すことが出来ない。ただ消費するだけの存在。世の人々(私の目に映るオタクたち)が当たり前のようにやっていること(創作活動)が、私にはできない。技術力も、才能もない。今更頑張る勇気もない。
素晴らしいものを見て、聴いて、私も同じことが出来たらどんなに素敵だろうかと夢想するだけの日々だ。
絵を描いたり、小説を書いたり、音楽を作れたり、動画を作れたり、立体物を作れたり、作品の考察を発表したり、そういう生産者側への憧れが非常に強く、消費するだけのオタクに価値はないと本気で考えているのに、どこまで行っても結局消費者でしかない不甲斐ない自分。
最近ではどんなに良い創作物を見ても、罪悪感と劣等感ばかりが己の中に積もり、楽しめない。
コンテンツに深くハマっていくほどその裏にある作者の存在を意識せざるを得なくなる。生産者の才能への嫉妬、生産の努力すらしようとしない自分への苛立ち。
だんだんと、オタクコンテンツを見ること自体がしんどくなる。しかし私の趣味はそれしかない。
幼い頃からパンピの持て囃す流行のアーティスト、アイドル、ドラマ、スポーツetc…には唾を吐いて生きてきたのだ。今更手のひらを返して推すことはできない。
こんな私だが、創作的な活動をしてみたいと手を出したことはある。
漫画を初めて読んだ小学3年生の頃から絵は描き続けているし、ライトノベルにハマった高学年の頃から数年間小説の執筆にトライもした。
ボカロが流行っていた中学時代、楽曲制作に憧れてギターやピアノを始めた。DTMの勉強もそれなりにした。
MMD等のCG動画にハマった頃は動画も作ってみたし、3Dキャラクターのモデリングにも挑戦した。
拙いシステムとクソみたいなシナリオとゴミのような立ち絵で、自作のゲームを作ったことだってあるのだ。
しかし何一つ、満足に完成させることはできなかった。自分で納得のできるものは作れなかった。納得ができるクオリティになるまで粘り強く努力をするだけの忍耐力もなかった。
軽率に何かに挑戦し、すぐに諦めるダメな自分。結局無産な凡人のまま。
才能のある人が羨ましいと喚きながら、努力をしない自分から目を背け続けている。
オタクとして生きていくのがつらい。でもオタク以外の生き方を知らない。オタクっぽくない話はできない。
絵描きは絵描きしか相手にしないという話が一時期Twitterで話題になったように、生産者でなければオタク友達はできないように思う。(大抵のオタクは創作活動をしているという前提)(その前提が間違っている可能性には気がつかないふりをしている)
この状況を打開できる策はまだ思いついていない。
なにもかも諦めて消費者として一生を終えるしかないんだろうか?
どうなんだろうね。
ちなみに今私はバーチャルYouTuberにハマっている。
好きになったものに軽々しく手を出す癖だけは治らないので、自分で描いた立ち絵を動かして、ボイチェンを使って美少女ライバーごっこをしようとしている。
ナチュラルは植物とかキノコとか自然のものでぶっ飛べるやつ、ケミカルはLSDやMDMA、覚醒剤など科学的に合成されたり精製されたもの。
一般的にケミカルの方が効果は強烈。そもそもぶっ飛ぶために人が作り出しものだから当然。クラブとかレイブでよく使われる。
一方、ナチュラルは精神的な方向に進みやすい。スピリチュアル系。これにハマると「ケミカル」を敵視し始める。ドラッグ界のヴィーガン。
高木沙耶を見ればわかると思う。へんぴな場所で自然と共生しようみたいなことをやり始める。そしてインドに行く。
ナチュラルとケミカルの別の呼び方。ナチュラル=温かい、ケミカル=冷たい
脱法ドラッグ < 大麻 < MDMA < LSD <= 覚醒剤 < コカイン
世界的に合法化の流れ。ただの雑草なので栽培が容易。農作物と一緒なので品種改良が盛んに行われている。
世界では大麻の「品評会」がある。生産者が自慢の大麻を持ち寄って評論家がランク付けします。米(コメ)と同じ。
アメリカで大麻ビジネスが流行っているのはこの流れ。質を向上させてブランド化して販売しようとしてます。
コシヒカリとかササニシキみたいなもん。中には芸能人が自分のロゴ入れてブランド化してたり。アパレルみたいな感じ。
ビートルズは大麻、LSDなどからインスピレーションを受けてるのでCDは回収すべき。
◯◯から25分分けてもらえ
これはポプテピから生まれたもんだったと思うけど、同じ内容を2周したポプテピをいじったのと
体感3分みたいな体感時間が早いアニメに対して、「ポプテピから一周分時間を分けてもらえ」という感じで使われた。
まぁ今は単純に出来の良さを対比してるものになってる感じあるけど
これ実際に体感時間が早い出来の良いものに対して使われることもあるんだけど
実際の時間が3分とか5分とかのアニメに対しても体感5分とか使われたりする。テンプレをいじったテンプレ
お前らには何が見えてるんだ
これはテンプレに対するテンプレで、映像違う特殊EDなのに、普段のEDと同じテンプレ使ったりすると言われる
個人的に最初に見たのはふらいんぐうぃっちのOPだけど、むっちゃでかでかと監督の名前が現れて、
しかも作中キャラがその監督の名前をアピールするポーズを取ってたのをいじったもの
合わせて「生産者表示」とかもあったけど、こっちはテンプレというほど広まってる感じはない。
これはアニメOPに合わせて、前述の「お前らには~」が良く使われてる
テンプレには「は?」とか「きららジャンプ」とか「なんか書いとけ」とか「さっき聞いた」とかあるし、もっと狭い界隈の中のさらに狭い界隈で通じるネタもいっぱいあるな
ずっと好きでいるみたいなこと、気軽に言うなよ。信じちゃったじゃん。
信じちゃったから、あなたのこと、嘘つきって思っちゃったじゃん。」
以上の、この記事のまさに核心と言える部分の4文。増田お前...一度好きになったものはずっと同じ熱量で好きでいろと、本気で言っているのか?自分もそうしているのか?増田には前ジャンルがないのか?前ジャンルの作品も同じペースで生産し続けているのか?もしそうだとしたら、いつか許容量超えしないか?つまり、増田の望みを叶えることは、物理的に無理なんじゃないか?って言いたい。
小さい頃から好きだった食べ物を死ぬまで変わらずに好きで、なおかつ同じ生産者にコンスタントに金を落とし続けるなどの「(増田にとって)信頼感ある」行動まで必要で、それができる人間以外は増田にとってはみんな「嘘つき」なのか。いやもうこの世の全員が嘘つきだし、増田にとっては「信頼できない存在」なんだな。
他人の好きな物が変わり、その行動が変わったことに対して、誠意?などの倫理観まで踏み込んだ感情をいだくというのは、実年齢(想像)と噛み合っていない精神性を感じる。
自分の好きな人が、自分のために好きなことをしてくれなくなった。
その事実を「好きな人」の精神的欠陥のせいだ、と罵る感覚は、多くの人が幼児期〜児童期に折り合いをつける類の精神的葛藤だと思う。増田が小三くらい(この世界での滞在がまだ10年)だったらこの記事は最もだな、がんばれ!と思うが、文体からおそらく18歳以上と思われるし、いいかげん分別をもった思考をしてほしい。
「超お気に入りのお菓子の販売が終了した。メーカーは全然違う味で、似たような見た目の商品を販売しそれが大ヒット。私の大好きなお菓子は販売終了にしたくせに。メーカーが憎い。今までの宣伝や製造はなんだったの。一度作り始めたものは私のために永遠に作れ。メーカーは嘘つきだ。」商業製品と同人作品の違いは大きいが、同じ製品を何十年も作り続けることは本当に難しい。ミルキーとか森永のキャラメル、カプリコ、チョコモナカジャンボ、ガリガリ君、そういった錚々たるラインナップしか思い浮かばない。
そんな恐ろしいほどの数の支持と企業努力の果てに生産され続ける製品と、いち同人作家の生み出すいちカップリングの創作物との次元の違いを考えれば、増田の望む「半永久的なカップリング愛」というのは、そもそも無理な話であることがわからないか?
あと、個人的に気になった点だが、増田はその神と同じカップリングで創作していたんだよね?同じカップリングものとして、尊敬する神をフォローするのはふつうのことだし、そこから交流が始まって、神のAB熱を刺激することで、神とABとの関係もまた変わったのではないかと思うとすごく勿体ない。そこまで神に期待するなら、読み専ならともかく、書き手であるならさっさと好意を表明して、物理的な囲い込みをダメ元でも試みるべき。
なんの努力もしないで相手を嘘つき呼ばわりするって、そうとう危険な思想だと思う。増田は自分をやべぇやつと認識しているようだが、「やべぇ」の内訳をしっかり把握して、矯正したほうがいいと思う。そんな幼稚なクソデカ感情をかかえて生きていて、友達や職場から弾かれていないか?とか勘繰ってしまう。同人活動における自分の異常な(少なくとも平均からかなり外れた)感覚や行動を材料にして、人間としての成長に繋がる自省をしてみることを強く願う。
ダイエットがなかなか進まなくてやけっぱちになってたときに、間違ってお弁当を床に落としてしまった時に偶然気がついたライフハック。
まだ半分も手を付けてないにも関わらずお弁当は空中で半回転して見事に食べ物の面から落ちた。
「こりゃもう食べられないわねー」と仕方なくお弁当をゴミ箱に捨てることにしたのだけど、捨てた途端にさっきまでの食べたい欲求がすーっと消えていくのがわかった。
今までそれは空腹だと思っていたものは、実は眼の前の食べ物が食べられるものだとわかっているから食べたいと感じていた欲求なのであって、それが一度ゴミ箱に捨てることで「もう食べられないもの」に変わってしまえば、その欲求は消すことができることに気づいたのだ。
それからというもの、最初のうちは本でも読みながらゆっくりとよく噛んで食べて、半分程度手を付けたあたりで中身がひっくり返るようにしてゴミ箱に捨てるようにしている。
確かに満足感は足りないけど、かと言って焦がれるような空腹感が続くわけでもない。
それならば最初から少なく買えばいいと思ったよ。捨てるの良くない。
だけど、それはそれで、買う時に少ないとこれで足りるのだろうかという不安のほうが勝ってしまい、ついつい余計に買ってしまうことのほうが多くなってしまった。
だったらこれなら満足しそうだなというお弁当を買っておいて、残して捨てるほうが結果的に沢山食べないでも大丈夫だった。
わたし一人ぐらいお弁当の半分を捨てたところで環境問題になんてなんの影響もない。やせるまでだから許して!って地球さんと生産者さんに誤りながら捨ててる。
いまのところ体重も順調に減っている。
ついでに、帰り道にこれでもかと誘惑をかけてくるお惣菜屋さんとかも、お財布の中身を想像して「買える!」と思った時点で負けだということがわかった。
お弁当と一緒で、それが自分は食べることができると頭で理解してしまうから。
誘惑に耐えて家まで帰ってパジャマに着替えてしまえば、再び準備を整えて買いに出ることのほうが億劫になってしまうのであきらめが付く!
調べたら色々と出てくる。 GPIF、過去最大のマイナス運用14.8兆円 株安響く=18年10─12月期実績 | ロイターとか。
こういうニュースを機に、積立金とかに加えて公的年金制度そのものへのよくある誤解に対して何とかしたいなとおもったので簡潔にできるだけわかりやすいように書く。
不正確な点については指摘してください。
現在の日本の年金制度は賦課方式といって、現役の人が引退した人の給付を負担して高齢になったら現役世代から給付を受けるという制度になっている。
この説明は正しい。ただこの説明は少子高齢化に伴って、3人の現役で1人を支える騎馬戦方式から一人が一人を支える肩車方式になり、現役世代は高い負担を強いられる一方で、今の現役世代が引退するころには現在の給付額よりも少ない額しかもらえない…というイメージを我々に与える。
ところが、世の中にはもう一つ、こんなことは起こらない年金のやり方がある。積立方式である。これは、現役の時の掛金を一人一人ずつについて積み立てて、それを運用してある程度増やしたものを老後に給付してもらうという方式である。この方式は自分の老後を自分で支えるから、騎馬戦だの肩車だのと言った問題は起こらない。解決である。
と言いたいところだが、これには落とし穴がある。
年金はなんのために受給するのか。それは多くの人にとって老後だろうが現役だろうが必要となってくる衣食住に加えて医療などの生産物を手に入れるためであると思う。ではそれは誰が供給するのか?
それはまあ考えなくてもわかると思うが、あなたが年金を受給するときの現役世代に他ならない。少子高齢化が避けられないなら彼らによる供給量は当然今の水準より小さくなる。当たり前だ。生産者世代自体がシュリンクしていくのだから。つまり、社会全体が取り合うパイが小さくなっているのだから当然現在より貨幣価値は下がる。ということはお金を積み立てておいて、2,30年前といった時期からお金を蓄えて将来の生産物への請求権を確保したつもりでいてもこれでは全然ダメになるだろうことは予想がつく。結局のところ、年金としていくら支給されようとその時代の生産物を確保できなければ意味がないのである(また、このことは現代の日本において、“若いうちに老後のための費用を貯蓄して自らの老後に備えるべき”という人口に膾炙した考え方も実は誤解である事を示しているのは注意に値する)。
つまり、年金制度において一番重要となるのはその時代における生産物。これを心に刻んでほしい。
積立方式は生産物という観点から見ると問題があるのがわかった。現在の日本のみならず多くの先進国で行われている賦課方式ではこれは問題にならないことがその制度から明らかだろう。
では冒頭にあげたようなニュースにでてきたような積立金はどうだろう?ちなみに、現在の積立金の総額はおよそ2,3年分(正確な数値は忘れた。別にここではさして重要でない)の給付を賄える額である。そして今後100年において年金給付の1年分になるまで積立金を使う事になっている(厚生労働省の公的年金の財政検証のページを見てほしい)。今後やっていけなくなるから積立金を切り崩すと言ってたコメントを見た気がしたがそれは単なる知識不足によるものである。
ここで重要となるのはこの今後100年分の給付における積立金の割合はたったの10%程度であるという事実である。これは調べればいくらでもエビデンスが出てくる。何を言いたいかというと、年金制度において積立金は貯金ではなく、単なるバッファーとしての役割を持つものなのである。つまり年金制度の維持という観点からみると、積立金の運用成績による短期での増減は全体から見てあまり大きな問題ではなく、一番重要となるのは掛金の増大をもたらす賃金の上昇および、社会の生産物を増やす人的な資本の増大なのである。
加えて指摘しておきたいのが年金の未納の問題である。これまでの説明からある程度分かるとは思うが、年金は貯金ではなくて保険なのである。保険では当然ながら掛金を支払わない人には保険金は支払われない。年金でも同様となる。つまり、未納分による保険料の分は当然、バッファーの役割を果たす現在の積立金から支払われるが、その未納者が給付を受ける年齢になっても給付分は支払う必要がなく、“浮く”ので結局未納分を取り返せることになるのである。なので未納によって保険料を支払っている人の年金が破たんすることはない。だから、年金を多く支払っているであろうはてなのメインユーザーの皆さん、安心してください。
もちろん、今の年金制度が完璧なのかと言われれば当然そんなことはないし、課題は山積している。ただ、現在の多くの人々が持っていると感じている年金制度に対する誤解を解きたいと思ってこの文章を書いた。
確かにそのとおりだ。消費者として、正しいと思うものを選び、そこにお金が行き着くように行動するのは重要なことだと思う。
しかし、お金を払うだけが消費者にできることでもないような気がした。
そんな中、星野源さんのPop Virusを聴いた。MVも見た。
とにかく怖い曲だった。
「そう君の手の平 美しくクルクル返ったんだ」という歌詞がある。MVでは、この歌詞に合わせて源さんが手の平をくるっとひっくり返すジェスチャーをしていた。
これって、恋ダンスのブームに対して「手のひら返し」をした世の中に対して歌ってるんじゃないか? と感じた。
ものすごく怖い、恨みのような切実な感情でこちらを揺さぶってくるのに、源さんの視線は私を交わることがない、と絶望的に分かってしまう曲だった。
それはまるで、恋ダンスブームのときに、多くの人が「星野源」という存在を見ていなかったように。世間が「星野源」を消費したように。あの頃、舞台の上で、カメラの前で、誰とも視線が合わなかったんじゃないだろうか。
カロリーゼロ! という曲がネットで話題になっていると聞いた。
カロリー、あるよ。
食べたものも、見たものも、使ったものも、楽しんだものにも、全部に質量がある。吐いて捨てるガムじゃないんだ。
生産者になるのは無理でも、せめて「消化」はできないかと思う。
咀嚼して、私の血肉にできるはずだ。
めっちゃ売れてんな!
こんなもんだろうか
あと、管理者の管理が行き届いていないのではないかという疑惑、食品工場と違い、衛生問題が発覚しても廃業や改善がされないようなパターンではないのかという疑念
ねんどあそびの延長として作らせている授産施設(あ、今こう言わないんだっけ)がある…いや、あっただと思いたい、のが効いてるのだろうか
実際問題としては人間の身体は意外と頑丈だし人体分泌物や構成物なんて焼成できる温度で焼けばだいたいなんとかなるんだけどな(我々は屋台で飛び交う唾やフケで死んだりはしない)。それ言っちゃうと台無しだよね
※※※※※※※※
読解力にハンディキャップのある人が数人いるのは日常のことだけど、スターついてるトップブコメが軒並みハンディキャップってどういうことだよ。
tetsuya_m 母親が気の毒。コシヒカリやあきたこまちも物凄いリソースをかけて作られた物なのに何を言ってるのか不明だし
chikoshootchikoshoot 母親が不憫すぎる。
murasakizarumurasakizaru 家計の範囲で食事作り頑張る母親に毎食「マズイ」アピールするのが「戦争」って認識なのか、、許されるの幼児のイヤイヤ期までだろ
morimariimorimarii まずこの人の学生時代の行為は母親にも生産者にも最低な行為だと思うし個人的には米を等級ではなく銘柄で評価する人は信用しないようにしている
母を泣かせてしまったあと憑き物が落ちたように大人しくなったって言ってるんだから、
自分でも異常な行為だった。母にひどいことをしてしまった。って思ってることが読み取れないの?
なおかつそのストーリー自体は話の枕で、北海道のコメのまずさと内地のコメのうまさの違いを誇張して表現しているだけだということも理解できないの?
北海道の米うまくなりすぎワロタwwwww こんな寒いところでwwwwうまい米つくるとかwwwww農家の人ヤバスギwwwww 米がまずけりゃ塩とかスパイスとかwwwwwかければいいのにwwwwwかければいいのにwwwww すごいとか通りこしてwwwwwもう怖いwwwww作れって言われたらwwwww兵器でも作りそうwwwww とにかくおまいらはもっと北海道の農家のすごさを知るべきだと思います
くらいの感じだろ。リソースを何に集中すべきか、っていう問題提起もちょっとはあるかもしれんけど。
あなたたちは
じょーじ・わしんとんは、おとうさんがだいじにしていたさくらのきをきってしまいましたが、しょうじきにはなしたのでゆるしてもらえました
っていうおはなしを聞いて、父親が不憫。ワシントンは父親にも植木屋にも最低な行為をした。一生斧研いでろクソ野郎。っていうのか。
言いそうだな。言いそうだ。
可視化されただけなのかもしれないが、文章を読む力が日本人から失われているように感じる出来事が多い。
半年かけて30万文字くらい書いたんだが、文章が稚拙過ぎることに加え、なろう受けするテーマじゃないことに今更気づき、そっとSSDから削除した。
なろうではポイントが全て。ポイント稼げずに日間載れないんだったら創作活動やめろ。ってとあるなろう出身の作家が言ってた。
ブックマーク数はアニメのDVD売上枚数みたいなものだとも言ってたな。1万枚売れれば大ヒットだが
100枚行かなかったら売りスレでお笑いネタにされる。なろうでもブックマーク100以下は底辺と評されているが、アニメDVDの売上に読み替えれば頷ける話だと思う。
軽はずみでなろうに手を出そうとしている奴がいたら、自分の創作心を捨ててでもテンプレ物(異世界、追放、悪役令嬢)を書いて、毎日投稿して、グレーゾーンな裏工作ができるか問うと良い。
そこまで苦痛な思いをして数百時間かけて1円にもならなくても後悔しないという奴だけが、書くことを許される。それが小説になろうだ。
時間とメンタルをドブに捨てる覚悟のないやつはコンテンツの生産者にならずに、消費者に徹すれば良い。消費者にでいる限り金も払わずひたすら文句を垂れ流すことを許されるのだから。
フェイク野郎でも偽物でも凡人でもワナビでもなんでもいいんだけど、つまり世の中の大半のお前らの為に今日は文章を書く。これは仕事や趣味や生産やら表現やらその他あれこれに応用の効くやつだから一度読んでおいても損はないはずだ。これは本物になりたいけれど本物になれない、お前のようなどうしようもないボンクラの為に書いているので心して読むように。
こんなものを読んでいるお前のことだから、結果を出したい評価されたいと死ぬほど思っていながら現状はどうせさえねえし腐ってるし、そんな自分が嫌だけれどそんな状況から抜け出せずにいるんだろう。そんなお前がまずすべきことは、全力で負けてくることだ。全力で負けてない奴は、自分に言い訳を残している状況だ。「自分だって全力でやれば」とかなんだかんだ言って死ぬまでやらないクソ野郎だ。可能性なんか残らないくらいに、もしかしての一発逆転も不可能なくらい徹底的に負けてこい。そもそも「あいつは天才だから」とか「才能が」とか言い訳をする奴はだいたい全力で負けてない。いわゆる天才と言われる奴と同じだけ努力をして負けてからしかその言い訳はしちゃいけない。それどころか全力で負けるにはそれでもまだぬるい。天才の10倍やってみて、10倍以上の差を付けられて負けろ。実力に見合っていないそのクソの役にも立たないプライドを捨てろ。そこがお前のスタートラインだ。どうやら100倍以上の差がある、ということをまずは体で受け入れろ。そこからようやく凡人の戦いが始まる。
天才には、本物には、俺たちが持ち得ない狂気が存在する。あいつらはA=CどころかA=Fくらいのところに、ノータイムで、感覚で、息をするように簡単に辿り着く。俺たちには決して真似ができない。狂気を持ち得ない俺たちフェイク野郎の唯一の武器は理性だ。この誰もが持ち得る当たり前の頼りない、その理性だけがお前の頼れる唯一の武器だ。それだけを頼りにお前はやっていくしかない。A=Fだと天才は一息で結論を出すが、俺たちは地道にやっていくしかない。A=B,B=C,C=Dというように拙い理性で繋いで行け。俺たちは飛べない。一歩一歩地面を踏みしめて、一歩一歩確かめながら歩いていけ。そこがお前の強みだ。本物がなにも考えずに超えていく壁を、お前は本物なら超えていくはずだと考えて、理性で超えていけ。本物を真に理解できるのは本物だけだ。大丈夫だ、壁を超えることで、お前は壁を超えることができた人間として評価される。
ここで明るいニュースだ。いわゆる本物は、天才は、滅多にいない。業界や分野にもよるだろうが一流と評価されている上位10%の人々がいたとしたら、せいぜいその中で本物は1〜3%くらいだ。一流の残りの7〜9%は本物ではない、お前と同じ偽物だ。必死で本物に挑んで負けたお前にならわかるだろう。お前みたいなコンプレックスまみれで、自信がないけどそんな自分を曝け出すことすら怖くて、自分のことは棚に上げて人の悪いところにばかり目がいってしまうお前になら気づけるはずだ。あいつらもお前と同じ人種だ。ここでもう一つの明るいニュース、だいたいにおいて評価する側、つまり客は素人だ。お前と同じ完全に本物でも天才でもない、当たり前のつまらない人間だ。これも本物には持ち得ないお前の強みだ。人と違わない自分を恥じるな。人と同じものを好きな自分でいい。自らの大衆性、俗物であることはとても大きな武器になる。大衆は天才を真には理解できないが、俗物でフェイク野郎のお前のことは大衆は理解できる。仲間だからだ。お前がうまいと思う料理はだいたいみんなもうまいと思うし、お前がいいと思うものはだいたいみんなもいいと思うんだ。そこも大きな足掛りになる。
本物ではないのに一流と評価されている人がいる一方、お前はただのワナビ、意識とプライドだけ高いフェイク野郎だ。そこの違いは単純で、要は偽物として出来が悪いからだ。これからお前がしていくことは、偽物として精度を上げていくこと、それだけでいい。一流とされる人たちでもお前は偽物と気付けたはずだ。そこに違和感を感じることができたはずだ。そういった違和感を、間違いを、一つ一つ潰して本物らしくなっていけ。本物ムーブをできないお前は一つ一つ覚えてやっていくしかない。本屋のビジネス書コーナーの新刊の内容を見てみろ。どこかで聞いたことがあるようなことばかりしか書いていない。あいつらも本物の言葉を学んでそれっぽいことを言っているだけで、少なくとも本を出せるくらいの評価をされている。つまりはそういうことだ。偽物として一番の評価を目指せ。最終的にはお前が偽物だと気付けるのは本物だけになる状況を目指せ。そうなるともうお前は世間から見たら立派な本物だ。偽物には、フェイク野郎には、それなりの戦い方がある。
お前がフェイク野郎と言われるのは単純に精度が低いから、という話をした。しかし誰だって最初は下手くそだしにわかだし新参だし初心者だ。その時にお前が取るべき姿勢だが、あくまで謙虚に誠実に、真摯でなくてはならない。あれこれ言ってくる外野にではない。お前が評価されたいそのなにかに対してだ。周りに何か言われた時にビッグマウスを叩いて結果を見せるというやり方には憧れるのはわかる。でもお前は凡人だし偽物だ。そんな逆境を跳ね返せる力もない。全力で負けた時に無駄なプライドもしっかり捨てられたはずだ。本物じゃないお前がギャラリーを敵に回すのは得策じゃない。それは全てを黙らせる実力を持っている者だけに許されることだ。あくまで謙虚にやっていくしかない。お前はどうせ性格が悪いから世の中の大半は馬鹿だと思っているだろう。その通りだ。俺もお前も馬鹿だ。馬鹿のくせに馬鹿に馬鹿にされて怒るのはあまり得策ではない。叩かれた時の立ち回りで評価を上げろ。馬鹿なお前だからこそ馬鹿の気持ちがわかる。馬鹿の気持ちも馬鹿にしかわからない。お前の強みはわかりやすさだ。お前は馬鹿で凡人だから、お前の作るものは基本的にわかりやすい。大丈夫だ、やれるはずだ。
ここまで言っても、ここまでのことがわかってもできない奴もいるだろう。できない奴が大半だろう。頭では理解できても理性的に動けずにそのままなんにもならないまま終わっていくだろう。お前にもひょっとしたらお前にしかない才能があって、お前のまま輝けるステージがあるかもしれないな、確かにそれは否定できないし、そんな物語は魅力的だ。それでも現状から判断するとらお前が輝きたいステージと輝けるステージは別の可能性が高い。見つけるのはなかなか大変そうだ、人生をかけて見つけることができるといいな。そんなお前に一つの提案なんだが、本物にはなれない、どこまでいってもなにも生み出せない消費者のお前にも、いいお客さんになることはできる。ここまであれこれやったり考えたりしたお前には本物のことが理解できるはずだ。本物も天才も、客が、ギャラリーがいないと成立しない。消費者がいないと生産者もいないようなもんだ。何者にもなれなかったお前にも、1番の客になることはできる。この場合の1番とは1番お金を使う、みたいなことではない。1番本物の気持ちを理解して寄り添える、誠実な客ということだ。本物は、天才は、常に孤独だ。理解してくれる消費者は心からの支えだ。偽物で何も生み出せなかったお前も、本物を支えることができる。消費者のお前の消費活動も込みでの本物の生産活動だ。誠実な客として本物を支える幸せもある。ここまであれこれ悩んできたお前は好きなものに誠実に向き合う幸せを噛みしめることができるはずだ。
最後に少しだけ綺麗事を書く。ここまで書いても結局響く人には響くだろうけど、結局はほとんどなんにも変わらないだろう。それでも俺は凡人のフェイク野郎の偽物の、お前たちのことを愛おしく思う。何も生み出せずに悔しく思いを抱えて生きているお前たちに少しだけ綺麗事を言う。何も生み出せないお前の何者にもなれなかった人生も、立派な物語でお前の生み出したものだ。それを少なくとも、お前だけは消費しているはずだ。お前はお前の為だけの生産者でも消費者でもある。他の誰にも誇れることではないが、お前自身には誇れることではある。1人でこっそり胸を張ってもいいとは思うし、そんな生き方を俺は美しいと思う。俺もお前もちっとも冴えねえしどうしようもないし日の目も見ずに評価もされないけど、それでも明日もなんとかやっていこうな。おしまい。
国の役目として、国民に対して政府しかできないデカイサービスを提供することと、国全体の金の量、金の回転を整え、景気を整える役割がある。
国がどんどん紙幣を作れば、紙幣の価値がどんどん下がっていく。ものに対して紙幣の値段が下がるということは物の値段が上がる。これがインフレ。
今日本はデフレ。それが故にインフレ気味にしたほうがいい。というので、金の量の増加をいう人間もいる、その一環で、政府が紙幣を多く刷るとか、借金して景気を支えろという話になる。
けど、デフレインフレは加減問題なので、過度のインフレは良くない。よって、税金で回収しながらでないとならない。
国全体で、資金の需要(資金不足、借金)と供給(資金余剰、貯蓄)は一致する。
端的に言うと、日本全体の貯蓄と、日本全体の借金は同額なんよ。
国が貨幣を作るということは、それはなにか国の財産を買ったり、公共事業をしたりして市中に出ていく。
なので、政府が貨幣を作って何かを買うのと、国中から借金して何かを買うのはあまり変わらない。貨幣も政府の借金と言える。ただ、強引に金の量を増やせるかぐらいで。
物の値段が上がるのは、物の生産者に対して物の需要が大きい時に起きる。わかりやすい例を言えばレアチケットに対するヤフオクでの争奪戦。
生産者に対して需要が大きいということは、生産者側としてもさらに生産を増やせば売れるということ、儲かるということ。この状態では少しずつ物の値段が上がっていく状態。
経済の規模は金の量×金の回転数でも表される。
金の回転数というのは、金を受け取って消費するか、金を借りてきて消費、設備投資、住宅投資をするか。何らかの金を回す行為。
金の回転数の指標となる貨幣の流通速度は数十年間ひたすら低下していってる。
金の量×金の回転数なもので、金の量を紙幣を作って経済規模を伸ばすのも一つ。また、政府の支出も金の回転数の一つではある。
一方何かの拍子で金の回転数が増加すれば、急激なインフレになる火種ともなってる。
一番問題なのは溜め込んで金の回転数を落とす富裕層、企業。だけど、今経済政策として新自由主義ベースでやってる。
なお、1950−1980年台は、高累進課税や高い法人税で強引に税金でとっていた。ケインズ主義という。新自由主義は、それを批判して生まれた。
新自由主義は国民生活に深入りせず自由にすれば良くなるという思想。
だけど、金の回転数をあげるには彼らの行動を変えないとならない。この矛盾が故に、金の量を増やしたが金の回転数については自己矛盾を起こして身動きができなくなってる。
それから、新自由主義は財政均衡にしないとならないという呪縛にとらわれている。
けど、資金の需要と供給は一致するから、企業が借金しないのなら、家計の貯蓄分政府が借金しないと不景気に落ち込む。
よって、バランス問題なので、景気を上げないとならないのは事実。鍵となるのは金の量と金の回転数。
だが、金の量をバカバカ増やすのは不安。かと言って金の回転数をどうやってあげたらいいか(新自由主義の基では)わからん。
だから、貨幣を新たに作るのは、とどのつまり政府が借金するのとあんまり変わらないんだけど、金の量が増えるという副作用がある。突然急激なインフレになるのが怖いから金の量増やす一辺倒は嫌という感じでしょうか。
まあ、金の回転数にメスいれんとどうしようもない領域ではあるとは思う。