はてなキーワード: 浪人とは
たぶんこれが現代の日本社会で最も周囲にアレコレ無神経なおせっかいを言われず、こじらせ系にならずに済むルート。
しかし一見平凡な女の幸せに見せて、ものすごく難しいルート。1回目の人生では入り口すら見つけられない人多数。
とにかくハードモード。人生3周目じゃないとクリアできそうもない。
高校生くらいの年齢の時からこのルートを目指して計画的に行動しているか、ものすごい強運が要る。実際はここに書ききれないほど多くの条件、つまり人格や個人的理由、感情やタイミングなどが加わってくる。そういう個々人の事情をすべてをまるっと無視して「これが女の幸せでしょ」とひとくくりに言われてしまうのは、さらっと受けながすにはなかなかに重たいのだ。心が弱っている時には特に堪える。
補足:
上記は私が直接言われたこと、私の女友達から聞いた愚痴、結婚出産育児系の掲示板で散見された情報を元に独断と偏見を持って書いた内容です。
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ブコメを受けての追記です:
夜中に書きなぐった文章が起きたらホッテントリ入りしていたのでギャー!となりました。色々な角度から多くのコメントを頂き、ありがとうございます。
ちなみにお察しの通り、ほぼ何一つ、私自身はこのルートを攻略できていません。
「世間体ばかり気にして大丈夫か?」「幸せとは」というコメントも頂きましたが、あくまでこれは「世間の言う通りにしたらこうなる」というシミュレーションです。理想通りに結婚しても、離婚分岐ルートも往々にしてあるので、ライフプラン、本当に難しいですよね。
「恋愛至上主義♪ワタシの結婚」「バリキャリ!高学歴女性のための結婚」「人生1回きりだもン!好きなことやって楽しむぞ結婚★」「困難を乗り越え運命の国際結婚」などひとりひとりの人生と価値観で、数えきれないルートがありますし、幸せとは自分の尺度でしか測れないと思っています。が、世間の言葉を受け流すにしても、さらっとかわせるコミュ力とメンタルの強さは一朝一夕には身につかないものです。傷つきながら僕らは大人になるのです。
それにしても、ブコメ欄でいろいろな方のご意見や人生を垣間見れました。ありがとうございました。
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ちなみに、あまりに無理ゲーなので、こじらせまくって1年ほど前にひとり結婚式をやったのでした。
ごめんなさい。
過去を整理する。
今ではそこそこブラックすぎない会社に拾われて人生つまらないなりにあまり苦しくなく生きられている。
あまり苦しくない人生というものに、それなりに満足できているのは一度それなりに苦しんだからだろう。
ストレス耐性のある人間からすれば全然余裕だったんだろうが、生まれつき精神構造が弱かった自分にとっては十分に苦しい時間を過ごした。
あれより下もきっとあるんだろうが自分が知ってる中で一番下があれだ。
あれより下がきっとあるだろうから必死にそこから逃げ出そうとして、その結果中退の道を選んだとも言えるだろう。
ろくにやってなかった。
緩やかに限界に近づいていた。
毎週やってくるレポート提出日におびえていた。
土日に図書館に行ってレポートを書くための資料を集めて、それでちゃんと準備をしているのに全く進まないレポートに苛立っていた。
何を書けばいいのか本当に分からなかった。
今思えば当たり前の事を書けばよかったんだと思う。
自分は出来の悪い学生だと認めて凄く基本的な事、誤差の計算の話とか実験の教科書に既に書いてあることの焼き直しとか、装置のもっと細かい説明を百科事典から丸写ししていればよかったのだろう。
呆れられるだろうが、何もしないよりはマシだ。
それか、他人のレポートを借りて少しだけ言葉や計算を変えて丸写しするかだ。
あの頃の自分は阿呆な癖にプライドだけは高く、そういう事はできなかった。
それでいて自分の出来の悪さには半分気づいていたので、その後ろめたさから教授に相談することも出来ないでいた。
ただ完成しないレポートとにらみ合いながら、そのままでいると無力感で気が狂いそうだからとラジオを聞いたり横目にテレビを見ながら部屋の周りをぐるぐるしてばかりいた。
朝の6時までそんなことを続けてから、12時間眠って夕方の6時に起きて、5分ほど布団の上であぐらをかいてから大学をサボってしまったことにふと気づいたりしていた。
実際は友達が少ないからと昼休みになるたび図書館に行って学習まんがを読んで過ごしているうちに無意識に勉強をしていたんだと思う。
それでも勉強が人より出来るのは間違いがなかったので親は自分に妙な期待をしたらしく私立中学に行くことを勧めてきた。
その頃の自分は「いい子」だったので親がそう言った以上は逆らうこともなく、素直に塾に通い、素直に人より多く勉強をして、気づいたらそこそこの私立に入っていた。
今覚えばこの時点で覚悟を決めておくべきだったんだろう。
自分は運動も出来なければコミュニケーションも上手く取れなくて、それでいて賢くもないと。
ダラダラと過ごすうちに最初は中間だった成績は下の下まで落ちていった。
今思えば、自分は小学校の頃にちゃんと勉強をする癖を付けそこねたんだろう。
勉強は暇つぶしの範囲でしかしなかったし、テストの大部分は学習まんがで覚えた知識を応用してどうにかしていた。
嫌々ながらも机に向かって問題を熱心に解くことは少なく、宿題も面倒になると適当に埋めて終わらせていた。
算数の問題(今覚えば公務員試験の数的処理によくにていた)を解くのはパズルみたいで好きだった。
だけど単純計算は嫌いで、よくケアレスミスをするのは知っていたのに全然トレーニングをしようとはしなかった。
そうして面倒くさがって勉強しない癖を付けたままダラダラと中学高校時代を過ごし、大学受験シーズンを迎えた。
分からないことが多すぎた。
英語の基礎はなっちゃいないし、数学も積分の問題を解いているのに微分がそもそもろくに理解できていなかった。
社会化の知識は小学校で止まっていたし、かろうじて理科はどうにかなると思ったらこれも中学校で止まっていた。
自分は勉強しなくても勉強が出来るはずだという感覚を未だに捨てきれなかった自分は混乱した。
何から手を付ければいいのか分からなくてとりあえず周りに合わせて受験生がやるような問題を解こうとした。
手も足も出なかった。
中間テスト前に毎回丸暗記して何とか赤点を回避していた知識は反復不足でほぼ全てが抜け落ちていた。
高校1年の問題どころか、中学2年程度のレベルでも怪しい所が無数に合った。
まず何をすればいいのか。
それを誰に相談すればいいのか。
その答えも出せないまま刻々と時はすぎて、気づけば滑り止めも受からないまま高校時代は終わった。
塾には行っていた気がするのだが、基本的な部分で躓きまくっているのをどうすればいいのかが分からなくなり、誰に相談するでもなく自主休講を繰り返していた事だけは覚えている。
相談すれば真摯に対応してくれていたのかも知れないが、あの頃の自分はプライドと疑心暗鬼が心の中で手を組んでこんな奴らに相談しても馬鹿にされた挙句にはぐらかされるだけだぞと完全に思い込んでいた。
浪人生になった春。
新しい塾に入ることにした。
そこは前に通っていた塾よりもレベルが低く、自分が通っていた高校の名前を出したらすぐに上のクラスに入れてもらえた。
自分の今の実力は非常に低いから不安なので一応テストを受けたいと申し出た。
いくらもう1年時間があって同級生には高校3年生もいるとはいえ、こんな問題も解けない奴はヤバいだろうと感じた。
今思えばここで油断したのかも知れない。
勉強をしない生活が基本となっていた自分は、隙あらばサボろうとしていたのをよく覚えている。
最初のうちは授業にはちゃんと出ていたが、いつの間にか加速度的にレベルの高くなる内容に振り落とされ、気づけば足が遠のいた。
どこであんなに差がついたのかとその頃の自分は悩んでいたが、答えは明白である。
日々の反復学習だ。
予習も復讐もロクにせずに授業に出るだけでは大学受験レベルの問題が解けるようにはならないおつむの作りをしていると高校時代に散々味合わされたはずなのに、半年もしないうちにそれを忘れてしまっていたらしい。
そうして勉強をする癖を付けることが出来ないまま、二回目の大学受験を迎えた。
滑り止めには受かった。
「こんな所行ったら終わり」だとすら思わず「こんな所に行く自分が想像できない」滑り止めだった。
他の試験会場で味合わされた絶望感がそこの試験の時だけなかったのを覚えている。
同時に「こんなに簡単ならきっと逆に競争が熾烈化してギリギリの戦いになるだろう」なんて考えていた。
そうして勉強する癖も、自分のイメージする大学生にふさわしい知識も、自分のイメージする大学生にふさわしい学習環境も、何一つ手にすることがないままに大学生編が始まるのであった。
もう一年浪人して心を入れ替えておけばよかったのかも知れないと今は思う。
二浪したら人生の終わりの始まりだとその頃の自分や両親は思っていたが、その程度で終わるなら大学を中退したらどうなってしまうと思っていたんだろうか。
大学に入った頃の自分はまだ自分がそこの学生である事を実感できないでいた。
結局一度も心の中で認めていなかったのかも知れない。
周りの学生も教師も皆馬鹿に思えたし、そんな連中とつるまなきゃいけない自分自身の馬鹿さ加減にも日々絶望していた。
心の半分ぐらいがずっと灰色だった。
浪人時代に失敗したから大学に入ったらちゃんと勉強を頑張ろう!
そう思って友達付き合いやサークル活動を控えて勉強に打ち込もうとした。
駄目だった。
ただ予習・復讐を忘却曲線に合わせてやるだけの事が出来なかった。
だから勉強もできないしサークルにも入ってないし友達もいない救いようのない学生が出来た。
そうしてその救いようのないクズは日々レポートに苦しみながらクズ故のプライドの高さと自己肯定感の低さから来る多方面への遠慮から誰にも頼れずにいた。
そうして自分は大学2年の後半辺りから少しずつおかしくなり始め、就活シーズンの頃にはすっかり頭が駄目になっていた。
誰からも自分は必要とされないだろうという不安から就職活動に踏み切ることも出来ず、だからといってなにもしないのも不安だからとか公務員試験の勉強を始めた。
公務員試験の勉強と、普段の授業と、実験レポートと、卒業論文、その4つにグルグルと毎日追われていた。
授業の実験はなくなったが研究室に妙なやる気があったのでそれに似たことをよくやらされた。
何かをすると他の何かが頭をよぎった。
勉強もしなくちゃいけないし、レポートも書かなくちゃいけない、卒業論文も進める必要がある、面接の準備もしておいた方がいいのだろう、授業の宿題もちゃんとやらなければ……
パニックだった。
計画を立てて物事を実行に移す。
自分にかけていたのはその習慣だったのだ。
今にして見ると簡単な事だ。
だけど自分はまだそのことに気づいていなかった。
だから机に向かって何かに取り組んでは、すぐ別の何かが気になってフラフラしては精神をすり減らしていた。
気晴らしのために遊ぼうとしても色々な事が気になって遊べなかった。
眠ることは生理的に必要不可欠なのでこれなら許される気がした。
悪い夢を見ることが多かったけれどもそれが一番疲れが取れた。
寝ている間の半分は夢すら見ていないからだろう。
実験レポートの内容は相変わらず酷いもので、教授にチェックを受けるたびに皆の前で叱られた。
あるときには呼び出しを受けて教授から2時間にわたり叱責を受けたこともあった。
回りでパソコンに向かっていた同級生・上級生が憐れむような、何か理解できない生き物を見るかのような目でこちらを見ていたのを覚えている。
そうして気づけば研究室へ行くのが嫌になり、卒業論文も進まなくなった。
将来への不安から勉強にも身が入らず単位も不足し、文句なしの留年でその年は終わった。
入る前から死にかけている生きの悪い学生なんてどこも取るはずがないだろうなと今でも思う。
次の年度が始まっても、院生に上がった元同級生や下級生、そしてあの教授たちと顔を合わせると思うと研究室には行く気になれなかった。
研究室を変えたらどうだという話もあったが、どうせたらい回しにされた人間しかやってこないようなもっと酷い研究室に送られるのだと思い拒否した。
今覚えば分が悪くとも賭けに出た方がマシだったろう。
ギリギリの精神を「もうすぐこの状態から抜け出せる」という希望で何とか繋いでいたのが逃亡からの留年という形で切れてしまったこともあり、次の年度は完全に駄目だった。
日々の多くを家に引きこもって過ごしていた。
毎日死ぬことばかり考えていしたし、もうすぐ死ぬのなら今頑張っても無駄だなとふて寝ばかりしていた。
何かを頑張る気にもならなかったし、かといって遊ぶ気にもならなかった。
ただ毎日を死んだ目で寝て過ごした。
段々寝ようとしても寝れなくなっていったが、グルグルと頭のなかで過去や妄想を反芻しながら布団の中で目を閉じている方が起きて何かやるよりかはマシなので眠りもせずに布団の中で過ごした。
そしてその日々の中で、こんなことを続けていたもどうにもならないと思い、自分は中退を決意した。
決意の方向が間違っていたような気もするし、実際もうあの頃の自分はどうやっても大学を卒業できなかった気もする。
生活を見直し、人生を見直し、行動を見直し、とにかく気持ちがどうこうよりも前に日々をどう生きるかを前向きに組み立てなおしていれば可能性はあったのかも知れない。
だけどあの頃の自分は1人でそれが出来る状態にはなく、それを助けてくれる人間も周りには居なかった。
両親は自分の人生で忙しかったし、大学は腐ったみかんの相手なんてする気はなかった。
サイコパスは4%もいるらしい。25人に1人だ。そのことを知った俺は、あー俺の親ってサイコパスだったんだなーとすんなりと思えた。
昔からちょっと変だなと思っていた。感情の機敏に疎いというか、母のことを泣かせてもしらんぷりだし、俺と仲良くしようなんて素振りも見せなかったし。でもまあ昭和生まれの父親なんてどこもこんなもんだろと思ってた。
それにしたってさすがにヤバすぎだろ、と思ったのは最近。
ウチには半ひきこもり半浪人の妹(18)がいるんだが、その妹を養子に出すと言い出したのだ。おいおいちょっと待ってくれよ、と思っている間に母が決死の演説をしたらしく、しぶしぶ家から追い出しに変わっていた。今から思えばむしろ養子に出したほうが妹にとっても幸せだったんじゃないかと思うんだが、まあそれはそれとして、とにかく、俺は親父のことが信じられなかった。
妹は仮面浪人中で塾に通っているが最近は家に引きこもっている。話を聞いてみると、「よい大学に行け」という幼少期からの親父の刷り込みのせいで仮面浪人をしているらしく、本人はそもそも大学にはあんまり行きたくないらしい。そんな健気な妹に対してほんの3ヶ月人生に迷ってるだけでウチの名字を名乗らせるなとわめき散らす親父はマジモンのキチガイなんじゃないかと思った。だが親父は昭和生まれの頑固者だ。妹への愛情がネジ曲がってそんな言葉になってしまった可能性もある、いやそのはずだ。そう信じ、親父に聞いてみた。
「なあなんで妹を家から追い出すなんて言ったんだよ」
「俺が嫌だからだ」
「なんで嫌なんだよ」
「あいつは穀潰しだろ。俺は俺の財産があんな怠け者に食いつぶされるのが嫌なんだよ」
「身内としての愛情とかはないわけ?」
「昔は好きだったよ。だった、だけどな」
「…………」
サイコパスは、自分の物が損なわれることが普通の人よりかなり嫌らしい。普通の人は、それを愛情だ、と勘違いすることが多いんじゃないだろうか。なぜかって、俺がその一員だったからだ。
親父は昔、俺が交通事故にあったときに相手に怒り散らしていたが(俺はそれに少し感動していた、今思うとかなりアホだが)、それは自分の所有物だったからだ。今は所有物ではないから、これだけ冷酷な判断が下せるんだ。
到底普通の人間にできることじゃない。人間は、なんだかんだいって、どうしようもない愛情とか引きずってもしかたない感情に振り回されてしまうものだと思う。親父にはそれがないんだ。元々欠落しているんだ。愛情とか、罪悪感とか、そういうのが。
サイコパスは頭がいいので、通常の人間の仕草をよく勉強する。出世など自分の利益になることを第一に考えるため、外面はかなりいい。他のサイコパスの例に漏れず、親父も幼少期は万引きなどを繰り返していたらしいが、今や中企業の大社長様だ。ここまで上り詰める間にも、上司に媚を売ったりなんだりしてたんだろう。サイコパスってのは、感情はたしかに無いが、コミュ力が無いってわけじゃない。愛情とか罪悪感とか利益を出すことに邪魔な感情だけが存在しないロボットみたいなもん、なんだろう。きっと。
今、図書館のアレコレで不登校がちょっと話題になっている。それに関連して「親の理解が云々」なんて文面もチラホラ見る。そんな文章糞食らえだ。俺の親父はどんな文章を見たって何にも感じないだろう。
今存在しているサイコパスは、そのほとんどが結婚しているはずだ。「一人前の男は子どもを持っている」のが常識であるうちは、当然のように子どもを持つだろう。そんで俺の家みたいな家庭をどんどん作る。母が泣いてようが妹が苦しんでようがしらんぷりだ。罪悪感も共感もないんだからそりゃ当然だよな。
サイコパスは4%いるらしい。それが多いと思うか少ないと思うかは人によるだろう。多くのサイコパスは、日常生活に紛れて、普通の人間として暮らしている。俺の親父みたいに。
結果を確認して、今まで考えたこともなかった民間企業の就活に切り替えることを決意した。
2年の時からずっと公務員試験の勉強をしてきた。とある職種に憧れ目指していた。大学受験の時以上に時間をかけて対策してきた。時間をかけて勉強したのに落ちる奴、とりわけ面接落ちする奴はダサいと思っていた。実際、筆記試験は上位で通った。それなのに、あの20分の面接でその全てが粉砕された。
倍率2倍の公務員の面接にさえ受からなかったのだしおまけに就活対策も全くしていないので、そう上手くいくはずがないと思う。今まで勉強してきたものを捨てて一から始めることへの恐怖感もある。しかし、惰性で浪人しても自分の本質は変わらず来年また面接で落ちるだけの話であろうからやるしかない
この辺はオケ
続かないのは夜勤当直アリの仕事で、そういうのでなければ続きます
例えば同じく田舎に多い介護なんかも看護師免許持ってりゃ給料が全然違うし日中だけ勤務も可能だったり
あと離職率の高さはいつでも就職できる故に嫌な事があったらすぐ辞めてしまうってのも
田舎の一般男性と比べれば看護師は偉くなくても高収入です。そして高収入でも文化的に結婚する人が多いです。したくない女性は都会に逃げます
「県庁勤め」が前者二つに並ぶのはおかしいです、というか県庁が存在するなら県庁所在地だろうがそれ田舎じゃねえよ
そもそも田舎は男性もろくな大学出ちゃいません、というか大卒かどうかよりコネの方が重要だったり
田舎女性が都会に出て来た場合、水商売系のバイトをするのが多いのではないでしょうか。
逆に言えば何の学歴もスキルも無くても水商売で食えるから女性の方が都会に逃げやすい。
増田は県庁所在地くらいの所を前提としているみたいだけど、その割に言ってる事はもっと田舎でないと当てはまらない事も含まれていておかしい。
知ったのは20代後半。一人暮らしするときに保証人(親)の年収書く欄があって聞いた。
増田と違っていたのは、高収入だったこと。2000万円だって言われた。
でも生活は増田より地味。三人兄弟で自転車は1台だったし、車も1台(高級車とかでもない)
お寿司とか店屋物はたまに。(来客時とか、1日出かけた後で帰り遅くなった時とか)
ゲーム機、あるにはあったけど、ソフトは年に数本(誕生日かクリスマス)というか、親におもちゃ類買ってもらえるのって誕生日とクリスマスだけだったよ。
本だけは(漫画以外ね)言えば買ってもらえたけどさ。
お年玉は10万以上もらったけど、使うのに制限があって、結局貯金(親がとったりはしなかった)
お小遣いだって少なめ。ほぼ毎日親に100円とかもらってる子いたんだけど、うちは月に500円。
教育費はかけてくれた。中学から私立だったし、進路決めるのが遅くて大学受験時は浪人もした。
大学には当然行くものという家で、というか小中高大って同程度に行くもんだと思ってたんだよな。
高校は結構、みんな行くもんだ、と思ってるでしょ?そんな感じ。
レベルについては特に言われず。でも食っていけるようにならなければという意識があって、職業につながる学部に行った。
買い物は、ローン組んだことない。車はもちろん、不動産購入でも。
子供に見えないところでお金使ってたんだなって今にして思うよ。収入高い方とはまったく思ってなかった。
良い大学行って、何したいの? とりあえず良い大学に行くことだけが目的になってない? 浪人で受験勉強って抑圧されてツラいから、大学行くだけが目標なんだったら学力上げれないと思う。大学行ってどうするとか、起業してどうするとか、目標考え直してみたほうがいい。良い大学に行くっていう以上の具体的なイメージを作るべき。親だって、大学行かせるために働いてるんじゃなくて、やりたいこと応援するつもりで頑張ってくれてるんじゃないの?
大学行ったって、留年する人もいれば、卒業出来ない人もいるし、就活でどこにもひっかからない人だっているんだから。だらだらとゆっくり使える時間を作れるなら、もう少し自分のことを考えてみてもいいと思う。
「良い大学レール」に乗るのが人生の目標なら、良い大学に入れるまでだらだらと受験勉強こなすだけでもいいけど、それ以外のレールを自分でひいていけないなら、今回やりすごせても、また次にレールから外れそうになったときに同じようなこと言うだけだと思う。
ずっと安全なレールに乗ってたいだけなんだったら、人の倍でも勉強して良い大学入れば。起業なんかよりそれが一番楽な生き方出来るよ。
浪人の時点で「いきなり」もクソもないだろ。
もし浪人して入るのが東洋大レベルでも、それ以下でも、大学には行っとくといいよ。
分かってるだろうし、大きなお世話だけど、考えこじらせて引きこもりになった人とか見たから、念の為に書いておきます。
お体お大事に。
今さ、浪人してるんだけどさ、親に予備校に行って自習室で勉強するフリをして家でパソコンいじってる。
親は俺の予備校代を稼ぐために仕事に行ってるのに、俺はクーラーの効いた部屋でcomicLOを読んで、プリパラの音楽を聴いて、録画しておいたデレマスを見たりしている。
昨日の午前は予備校の自習室にいた。でも調子が悪いとか理由付けて午後は一人でカラオケに行った。
俺って本当にクズだわ~
現役時代は東洋大しか受からなかったのに「筑波大に行く」とか言っちゃってるし、チューターに「現実見ろ」って言われると思ったらヤツは本気で応援しちゃってるし、カーチャンは親戚中に言いふらすし…
(父親は単身赴任)
そりゃあ良い大学に行きたいんだけどさ、無理ですよ。偏差値は50チョットしかないもん。
大学の過去問を見たけど、割と得意な数学でさえイミガワカラナイ。
あー、俺だって東大京大とか行って「ヘンな会社を作りたい」とか言っちゃって、起業しちゃったりするような人生が歩みたいよ。
さて、どこでレールを踏み外したのでしょうか
ただ、履歴を通じて少し無理があるなと思ったのは、「戦争直後」の部分で、説明のとおりとすると、終戦直後にGHQとの交渉に乗り出すことができるようなストーリーが描けないってことだ。いくらひそひそやってた連中の尻尾を握ってたとしても、そんな(自分の弱みを握る)存在に、彼らがGHQとの交渉を任せるか?
というわけで、内務省を辞めた後、公式には語られていないが、鷲津は引き続き権力と何らかの形でつながっていたと考える方が妥当だと思うんだが、どうだろう?
戦争中は目立たない、しかし、戦後にGHQとの交渉に乗り出すメインストリーム…具体的には、親米派とうたわれた一派だ。地下ではそことつながり、表向きは浪人をしつつ、裏の関わりはずっとキープしていたと考える方が、戦後すぐの活躍には説明をつけやすいのではないかな。名家出身だろう、という推測は、のちの彼の派手好みな生活の様子からもうかがわれるけれども、こういう地下の地縁血縁的ネットワークとのつながりを考える上でも生きてくると思う。
名家出身で卓越した能力をもち、戦前から権力の近くにありながら、戦時中に突然隠棲し、しかし戦後すぐにGHQの交渉にも再登場し卓越した交渉力を見せつけて、しかし政治の中枢には残らず民間で莫大な財を築いた…ダンディでパワフルな日本人離れした人間。そんな漫画みてーな奴いるわけねーだろ、設定が非現実的すぎるぜ、という人は、ぜひ白洲次郎のことを調べてみるとよいと思う。
「エイジハラスメント」というタイトルだけ聞いて、年齢差別を真面目に扱った佳作なんだろうな、
原作では主人公は三十代女性なのにドラマでは22歳に変えられて
「若くて美しいヒロインが男性社員にちやほやされるので年上の女性社員から嫉妬していじめらる」に改悪って…
目玉ポーンとなったよ。
どこをどうしたらそんな改悪が出来るんだ?
若い美人がちやほやされる事の一体どこがエイジハラスメントなのか。
低視聴率はセンスが古いとかじゃなくて、原作をまるっきり改悪したからじゃないの?
貧困問題を描いた作品の主人公を金持ちにするとか、黒人差別問題を描いた作品の主人公を黒人から白人に改変するとかなみのクソ改悪じゃん。
年齢差別って女性だけじゃなく男性にも起こりうる問題だし(新卒至上主義とか留年や浪人差別とか転職35歳限界説とか)
ちゃんと扱えば良作になっただろうにどうしてそんな酷い事になってしまったんだ
http://anond.hatelabo.jp/20150704181823#tb
を読んで自分のかつての廃人っぷりがよみがえってきたので書く。
県内で1番の進学校にいたものの、いまだに続いて驚きの某MMOにどハマりする。
総合レベルランキングに回復役のプリーストながら50位以内に入る。
無謀にも難関大学志望だったので、当然落ちる。
落ちた際に、装備をリスクのある強化を繰り返し、壊して、
【大学時代 前期:】
自分で言うのもなんだが、遊戯王でかなり強くなり世界大会で優勝した。
コナミの本社にも呼ばれて表彰される予定だったが、ジャンプに掲載される
可能性があるとのことで、大学デビューを果たしていた自分はゲームおたく
属性を隠すために断った。
世界大会は決勝戦で、相手が将棋で言う投了をした前代未聞の事件が起きたので
やってた人は知ってると思う。
遊戯王は、家のPCが新バージョンに対応できなくなったため辞めた。
【大学時代 後期:】
MMOをやりこんだため、ちまちまとレベル上げをするゲームが好きだったのだが、
FPSに手を出す。
暇な学部だったこともあり、1日平均4時間、夏休み1ヶ月1度も家に出ないまま
プレイし続けることもあった。(実家暮らしだったため衣食住には困らなかった
大学を出て就職もしている兄弟が等身大抱き枕に嵌まった。抱き枕の裸体に恍惚としている日記メモを家族が見つけたことで発覚した。本人にはまだ何も言っていない。
「友達と旅行に行ってくる」と言い留守にしていた期間と即売会イベント日程を照合してみたところ、交通費数万のイベントに何度か出ているようだった。
イベントの内容は、「俺の嫁を探せ」系で、ネットに載っている限りの情報では違法性はなさそうだった。
ただ、人の弱みにつけこんで金を集めているのだとしたら実に巧妙だと思った。金額も、ネットで見る限りの情報では法外ではないし、細々と騙して食っているのだとしたら上手いやり方かもしれない。
そして困っているのは、販売元や絵師の名前が、検索できないような(他に有名になっている同名称がある、特殊記号を使っている)名前になっていたことだ。
そういうことをするというのは後ろめたい何かがあるのだろうとは思うのだけど、家族としてどう対応すればいいのか分からない。
兄弟は、20を越えているというのに親に叱られれば怒り喚いて部屋に閉じこもるような人間(なお自分は話しかけても無視されるのが10年近く続いている状態→以前ケンカした際に言われたことを信じるなら、自分だけ浪人しないで良い大学に入ったことが気に入らないらしい)なので、腰を据えて話をすることができないのが問題である。家族の知る限りでは学生時代の親しい友人もいないようなので、話を聞いてくれそうな人も近くには見つからない(だからこそ抱き枕にはまったのだろう、とも思った)。
他の事象に置き換えて考えてみると、
当人の好きなようにさせてやれば とも思った。
「稼げる」ってのがどのくらいなのかによるけど、30前に400万とかなら楽に狙えるし、もっと上の600とか800とかも結構いるじゃん。
他に30前に400稼げるのはなんだろう。
公務員も地方じゃ難しそうだし(福利厚生はいいけど)、あとは看護師とか医者、弁護士あたり?
安定して稼げるね。
大学を出て就職もしている兄弟が自己啓発セミナーに嵌まった。講師を心酔している日記メモを家族が見つけたことで発覚した。本人にはまだ何も言っていない。
「友達と旅行に行ってくる」と言い留守にしていた期間とセミナー日程を照合してみたところ、参加費数万のセミナーに何度か出ているようだった。
セミナーの内容は、「みんな幸せになれる」系で、ネットに載っている限りの情報では違法性はなさそうだった。
ただ、人の弱みにつけこんで金を集めているのだとしたら実に巧妙だと思った。金額も、ネットで見る限りの情報では法外ではないし、細々と騙して食っているのだとしたら上手いやり方かもしれない。
そして困っているのは、セミナーや講師の名前が、検索できないような(他に有名になっている同名称がある、特殊記号を使っている)名前になっていたことだ。
そういうことをするというのは後ろめたい何かがあるのだろうとは思うのだけど、家族としてどう対応すればいいのか分からない。
兄弟は、20を越えているというのに親に叱られれば怒り喚いて部屋に閉じこもるような人間(なお自分は話しかけても無視されるのが10年近く続いている状態→以前ケンカした際に言われたことを信じるなら、自分だけ浪人しないで良い大学に入ったことが気に入らないらしい)なので、腰を据えて話をすることができないのが問題である。家族の知る限りでは学生時代の親しい友人もいないようなので、話を聞いてくれそうな人も近くには見つからない(だからこそセミナーに行ったのだろう、とも思った)。