はてなキーワード: 教育学とは
黒人、白人もアジア人も自分で自傷して他の人種に傷付けられたって騒ぐだけ騒いで解決した気になって悪化してるンゴ
最近日本にもそういう輩が増えてきて日本がアメリカのメンヘラ仲間になりつつある
アメリカってヤンデレも含まれてて嫌いだけど好きって言いながら銃撃つし
アメリカって平等を意識しすぎて馬鹿になって、生徒が頭悪いと先生の給料下げるから問題をもっと簡単に解けるようにしてる
だから生徒はちゃんと教育学べてないし、先生は先生でおかしい事を受け入れないとクビ
しかもちゃんとした教育は人種で変に分けるから黒人は頭悪い学校ばっかりだ
一般の白人が悪いわけでもなくて、上層の金持ち白人達が悪いのに黒人は教育をちゃんと受けられないから学力が低い
それを他の国の人は詳しく知らないからアメリカの問題は上層の金持ち白人達が見せている情報しかない
日本人は人種に関係なく日本に外から来た人はみんな「外国人」だし
そこに人種的意味はなくて「外の国の人」だから外国人は「外国人」でいる事を誇れる
たまに外国人が何か許せなくて差別する日本人もいるけど、人種というより「外国人」って言葉の中で嫌いなんだと思う
今は昔よりも外国の血が入ってたり、そのままの外国人でも平等に日本人社会の中でそれなりの教育が受けられる
もちろんその背景には沢山の日本育ちの外国人や混血の人達が日本人に気持ちを教えたからなんだけど
アメリカやアメリカの影響が強い国は「人種」で聞いて「人種」で否定する
そもそもアメリカは「人種」と「文化」の言葉の距離がありすぎる
国、歴史、考え、見た目、自分の心の性格などそういう意味含めで一般的に日本人は理解してる
だから「文化」を受け入れる事は「人種」も認める事に繋がるって理解してる
アメリカは「人種」は遺伝的な「見た目」だけ、「文化」は国、歴史だけ
ただ「人種」の意味なのにアメリカ人はそこに悪い意味を入れ込んでしまった
本当に意味わからないけど、ずさんな教育システムだからこんな意味不明な思考になる
皆まともな教育を受けられないから自分を安心させるまともな考えが出来ない
小さい頃に何でそういわれるのかを理解出来なくて解決に導けなかった
そういう大人がいっぱいいて意味わからん事を沢山悩みまくってる
学力の低下は問題を解決する能力を下げて何かの原因を責任転換をさせる
グローバル化してきて日本人が日本人としての意識が薄れてくると
アメリカの二の舞になりそうだ
そんな風に考えたい気持ちも分かるけど、教育学的に考えれば、そのモデルが正しい保証はない。
たとえば偏差値による階層化が進んだ地域の高校を例にとれば、ある中学校から上位1/3がA校、中位1/3B校、かい1/3がC校ときれいに分かれて進学するとする(塾などの指導で実質これに近いことは起きる)。では、A校は優等生だらけ、B校は普通の子だらけ、C校は不良だらけになるか? …と言えば、そうはならないんだな。面白いことに、どの学校でも、それなりの割合の優等生、それなりの割合の普通の子、それなりの割合の手のかかる子……と分布する。B校にもC校にも、「その学校なりの優等生」は必ずいるし、A校にも必ず「手のかかる子」はいる。
つまり、学校におけるいい子悪い子というのは、かなりな程度、社会的に生み出されるポジションに左右されるということなのだ。考えてみれば分かるが、全員を混ぜていたら、B校で優等生になるはずだった子、C校で優等生となるはずだった子には、ずーーーっと光が当たる機会はなかっただろう。逆に、A校で手がかかるようになった子も、C校に行っていれば「開校以来の天才」として持ち上げられたかもしれない。
「じゃあA校に行かせる理由なんてねーじゃん」となるかというと、これはそうではなくて、多くの親は漠然と、もう一つの影響である「競争効果」に期待しているのだ。つまり、一般的に言って「競争」は、競い合いにふさわしい相手によってその効果が高まる。「とても敵わねええええ」という相手に競争心を発揮できるのはメンタルお化けくらいであって、普通の人は競争そんな風に考えたい気持ちも分かるけど、教育学的に考えれば、そのモデルが正しい保証はない。
たとえば偏差値による階層化が進んだ地域の高校を例にとれば、ある中学校から上位1/3がA校、中位1/3B校、かい1/3がC校ときれいに分かれて進学するとする(塾などの指導で実質これに近いことは起きる)。では、A校は優等生だらけ、B校は普通の子だらけ、C校は不良だらけになるか? …と言えば、そうはならないんだな。面白いことに、どの学校でも、それなりの割合の優等生、それなりの割合の普通の子、それなりの割合の手のかかる子……と分布する。B校にもC校にも、「その学校なりの優等生」は必ずいるし、A校にも必ず「手のかかる子」はいる。つまり、学校におけるいい子悪い子というのは、かなりな程度、社会的に生み出されるポジションに左右されるということなのだ。考えてみれば分かるが、全員を混ぜていたら、B校で優等生になるはずだった子、C校で優等生となるはずだった子には、ずーーーっと光が当たる機会はなかっただろう。逆に、A校で手がかかるようになった子も、C校に行っていれば「開校以来の天才」として持ち上げられたかもしれない。(※)
まして、今回の場合選別が行われているのは小学校入学時点である。正直なところ、その国立以外の2中学校で問題が起きるのは、やはりそれらの中学校が作り出してきた指導体制、学風といったものが大きく影響していると思う。あるいは「どうせ俺らは公立…」的な意識を作り出してきた地域全体の問題ではないか。
(※)
「じゃあA校に行かせる理由なんてねーじゃん」となるかというと、これはそうではなくて、多くの親は漠然と、もう一つの影響である「競争効果」に期待しているのだ。つまり、一般的に言って「競争」は、競い合いにふさわしい相手によってその効果が高まる。「とても敵わねええええ」という相手に競争心を発揮できるのはメンタルお化けくらいであって、普通の人は競争心を失うし、雑魚ばかり相手にしてもそれは同じだ。一般的に言えば、やはりA校の力をもった子はA校に行くのが一番「伸びる」。
Twitter上では、アンチリベラル勢が、「サンデルが俺らに追いついた」と声を大きくしている。
確かに最近のアンチリベラル勢は、学歴などの能力主義に基づく格差や階層について、リベラル勢が当然視し、懐疑の念すら持たないことを批判してきた。
だが、能力主義批判そのものは、教育学や障害者についての社会学のなかで、数十年前から行われてきたことだ。
能力主義で検索すると、それらの書籍や論文がいくつもヒットする。
だから能力主義批判は、実はオールドな左翼的言説であるとすら言える。
しかし、ヘイトスピーチに対抗する過程で、リベラル勢が、国籍や民族や人種についての差別は差別だが、学歴は持って生まれたものではなく後から変えられるので、学歴差別は差別ではない、との理論を採用した。
前提として、以下を読みました。
1. 元記事 https://nuc.hatenadiary.org/entry/2021/03/31
2. chokudaiさんの返信 https://chokudai.hatenablog.com/entry/2021/04/01/115755
3. nucさんの謝罪(?) https://nuc.hatenadiary.org/entry/2021/04/02
ふだんはインターネットのあれこれについてROM専ですが教育と教育倫理に携わる者の端くれとして3の記事に対し、このような方が教育を大声でかたることの危険を感じたため筆をとった次第です。
私は教員→ソフトウェアエンジニアとして数社→公教育ではないとある教育機関で勤務、といった経歴にあり、大学で学ぶ程度の教育学と小中高領域の教育に関しては多少通じています。ちなみに務めた会社にGoogleは含まれず、競技プログラミングについてはソフトウェアエンジニア時代にちょっとかじった程度で歴史やコミュニティに詳しいわけではありません。
1の記事についても賛同・異論含めていろいろあるのですが、そちらは各個論点についての意見が異なる程度の話ですので割愛します。なお、両者の知り合いでもないので通りすがりによるネットの怪文書程度の位置づけで結構です。
いきなり教育の話から逸れて恐縮ですが、謝罪慣れしていない方がやりがちな失敗がいくつもあり、謝罪文として看過できない点をいくつか指摘します。
教育哲学・児童心理などを学んだり活用する立場にある私にとって、トラブル対応や謝罪について考え実践する機会は山程あるのでその経験から思ったことでもあります。
他人のためを思ってやったことが相手に対して失礼だったとき、傷つけたとわかったとき、「そんなつもりはなかった」と言い放つことがどれほどひどいことか、私は見てきました。
ハラスメントやそれらにまつわる謝罪で最も悪手の1つです。間違えた側にできるのは一切の言い訳なく謝ることです。
https://note.com/tm88817/n/ne5025239f31a から私が肝要と思っている節を引用しました。
この文章がタイトルに示されるような謝罪文であるならば、この一点においてすでに重大な間違いを犯しています。
余談ながら、謝罪の本質を中学生ぐらいの子どもにそのように教える機会があります。経験上、成績がよく普段は問題を起こさないが内実プライドが高く誤り慣れていない子どもは「そんなつもりはなかった」「相手が勘違いした」といった言い訳をする傾向にあります。私の個人的な体感ですので一般化はできませんが。
これについては、意図せず失礼なことを書いたとお詫びしたいと思うと同時に少し背景の説明と本来の意図をご説明させてください。
先述と同様です。失礼なことを書いたと自覚しているなら本来の意図の説明は不要です。
背景と意図を説明するのは「自分に過失がないと確信しており、誤解を解くために誠意を尽くす」場合です。過失が誰にもなくても誤解やすれ違いというのは生まれるものですから、そのときは真摯に伝え直すのみです。
私は、このけんちょんさんのために仕方ないと思って記事を書いたのですよ。本当に面倒で書きたくなくて、他に書くものもあり、ツイッターで書こうかなと宣言して自分を鼓舞までしたのに、2ヶ月以上かかりました。
nucさんがchokudaiさんを不快にさせる文章を書いたことについて謝るために、矛先を向けさせるような形で第三者を巻き込む必要もなければ、あなたの事情を説明する必要もありません。
また、自分を鼓舞までして2ヶ月以上かけて書いた事実があったとして、謝罪を受けた側に何の意味があるでしょうか。過失を避けるように努力したのであれば法的にも情状酌量の余地はありますが、「努力をしてやったことだから引き起こしたことの罪が軽くなる」、なんてことはないのではないでしょうか。
言いたいことはたくさんあるのですが、「教育者として避けてもらいたいこと」に焦点を絞ります。
結論だけ言うと、これだけの悪手を悪意なく行う人に、教育者として後進の育成に関わってほしくないと感じました。成功者だけでなく被害者が生み出されることを危惧しています。直接指導でなくとも、技術力を活かして別の形で関わって頂くこともできるのではないでしょうか。
そりゃそうじゃないですか、「競技プログラミングをする」という表現は当時はなくて、「プログラミングコンテストに出る」と言っていたわけです。だから、競技プログラミングといえば、自分たちが大学生の頃の集まりを指すわけです。
発端となった1の記事では田舎初段といった言葉を用い、まさにそのことをご自身で説いておられたかと思うのです。
特に後者の「競技プログラミングといえば、自分たちが大学生の頃の集まりを指す」は少なくとも私にはまったく自明ではありません。ある程度客観性を持った事実なのかどうかを確認するためGoogleで「競技プログラミング」について検索をかけてもnucさんと同じ解釈を見つけることはできませんでした。
5歳くらい歳が離れると一部の言葉が通じなくなることがあるのは、少し前に「アンチ」という言葉で強く実感したことがあります。これもそうなのでしょう。
唐突に、。穿った見方をすれば、今回のコミュニケーションの失敗の原因を年齢差に帰しており、自身には過失がないといった主張に読み取れます。
歳が離れると一部の言葉が通じなくなることは、年の離れた相手の教育に携わっていればどうやってもわかることです。
ですがこれを理由にしてこちらから対話を閉じたり、「言ってもわからないだろう」といった態度をとるような方に教育を声高に語っていただきなくないです。
私がかつてドラゴン桜に対して抱いた印象を思い起こさせます。東大に入るのは「かんたん」、かんたんには但し書きのカッコが付きます。
ただし適切な素地があり適切な対策を十分かつ継続的に行えた場合、です。場合によっては家庭からの適切なサポート、障害やハンディキャップを持っていないこと、も条件に含まれます。
1の記事で以下のように述べられており、大学院に行くことが人生の選択肢にない人の存在にショックを受けたとありますが、そのときに培われた想像力を今一度働かせて頂ければと思うのです。
まさか戦後生まれで大学院に行くことが人生の選択肢にないことがあるとは思わなかったので、私は本当にショックでした。30を過ぎるまでこれにまったく気が付かなかった自分自身への怒りで、視界がおかしくなっていました。
とある医学部教授から「読んだよー。文章はいいけど、お前が卒業生をひょいひょい適当にエンジニアにすると教授会で問題になることがあるから、するんだったら出来の悪いのにしてよね。いいね。ほんと頼むよ。特にそこにいる生徒会長みたいなのはだめだから。」ということなので、今後は、あらかじめ「出来が悪いかを問い合わせる」約束をしてきました。
ちょっとした怒りが湧きました。
今後nucさんに面接対策を依頼し、OKをもらえた学生は医学部教授が出来が悪いと認定した医学部生になる、ということとなります。
このような文書を公開し、残し続ける限り、nucさんの生徒・元生徒が目にする可能性があります。
教え始める前にせよ後にせよ、もし私がnucさんの生徒としてこの一文を見たらと思うと激しい動悸がします。
この一文をどんな思惑があって追加したのかわかりませんが「諸事情により今後は医学部生の生徒を取ることを控える可能性がある」程度で良かったのでは。
「かわいそうなことに、りりあんさんは、いかれた3人の模擬面接官が今まで何をやっていたんだと慌てふためいたことにより、2週間のリアルタイムアタックを宣告され、無理やりクリヤーさせられました。コスパがよかったですね。でも、こっちの胃までおかしくなるから真似しないでね。」で終わるのですが、これだけ書いてもぜんぜん広まらなさそうですよね。そこに、フィロソフィーと教育関係の問題意識の話を突っ込むとこうなります。
1の記事における教育関係の問題意識の話については首肯できる箇所もあり、志の高い方という印象を受け共感もありました。しかしながら1の記事で持ち込まれた教育関連の話が、自身の記事を広めるための方便・道具であったことをここで暴露しておられます。
自身の教育論を手段として使われることは主張自体の価値や正当性を毀損するものではないですが、3の謝罪文の端々にあらわれる不味さから、教育を声高に語らせてはいけない方だという印象に修正されました。
特に教育と一言に言っても指す領域は広いことを認識されておられない点。アカデミックな領域についてはnucさんは私などより遥かに広く深い見識をお持ちなのだと思いますが、それが全てであるかのようには誤解されたまま教育問題をバズるための方便として喧伝することは事実認識を歪めることにつながります。
以上が教育関連で私が主張したいことです。
t-tanakaです。気がつくのが遅れました。
別人が答えてくれたのを私の返事として反論されているようなので。私も書いておきます。
文部省の定義は確かにそうかもしれませんが,いじめの本質が集団行動であり,単なる犯罪行為が集団の理論で肯定される状況である,というのは多くの教育学者や社会学者が指摘しています。たとえば,内藤朝雄著「いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか」とかがわかりやすい本なので,このへんに興味があるかたはおすすめです。
これが事実であることは,多くのイジメの被害者の体験談を聞いていただければわかると思います。いじめられていることそのものよりも,誰も助けてくれなかった,特に先生が助けてくれなかったことに傷ついた,というのを多くの人から聞けると思います。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 135 | 15428 | 114.3 | 63 |
01 | 89 | 14363 | 161.4 | 59 |
02 | 38 | 4427 | 116.5 | 86.5 |
03 | 52 | 7183 | 138.1 | 61 |
04 | 34 | 5550 | 163.2 | 52.5 |
05 | 9 | 827 | 91.9 | 59 |
06 | 42 | 4376 | 104.2 | 68.5 |
07 | 60 | 5670 | 94.5 | 53.5 |
08 | 88 | 7874 | 89.5 | 51 |
09 | 111 | 10367 | 93.4 | 45 |
10 | 155 | 14854 | 95.8 | 50 |
11 | 158 | 14110 | 89.3 | 48.5 |
12 | 169 | 16541 | 97.9 | 43 |
13 | 199 | 20730 | 104.2 | 42 |
14 | 133 | 13855 | 104.2 | 54 |
15 | 141 | 13428 | 95.2 | 46 |
16 | 154 | 14721 | 95.6 | 41 |
17 | 175 | 14777 | 84.4 | 48 |
18 | 151 | 13986 | 92.6 | 38 |
19 | 144 | 14753 | 102.5 | 40.5 |
20 | 141 | 17463 | 123.9 | 48 |
21 | 126 | 19594 | 155.5 | 61 |
22 | 219 | 19473 | 88.9 | 43 |
23 | 144 | 13252 | 92.0 | 39.5 |
1日 | 2867 | 297602 | 103.8 | 47 |
科学主義(5), 上野氏(5), アリスソフト(17), シカゴ大学(4), ドーナドーナ(4), アダルトゲーム(4), 教育学(7), clubhouse(6), オカミ(3), エイリアス(3), 水星(3), 社会学(97), 社会学者(46), プリキュア(29), パパ活(17), 学問(41), 規範(12), 活動家(10), 作用(18), エロゲ(16), 売春(13), 学者(23), 研究者(18), エビデンス(19), ヒロイン(16), 不利(16), 医学(13), 真っ当(10), 科学(26), パチンコ(19), 分野(27), 論文(16), 素人(24), 暴力(29), 安全(26), 数学(15), ホモ(15), フィクション(13)
■社会学へのバッシングが凄まじい /20210131185208(34), ■アリスソフトの「ドーナドーナ」のコンセプト普通に不愉快なんだけど /20210131233828(28), ■ゲイが居ない事を「とても安全」と表記したアリスソフトという企業 /20210131173923(24), ■20年前に中国の「先行者」を笑ってたやつに聞きたいんだけど /20210131195014(24), ■「歳を重ねることで良いことがある」←本当に? /20210131215518(17), ■自浄作用ってなんだろう? /20210201091924(16), ■「命乞いする悪役を見捨てたプリキュア」を無責任に絶賛する高齢キモオタ共よ /20210201163214(15), ■ /20210131213757(15), ■底辺描き手を中堅描き手まで押し上げるのが趣味だった /20210131213811(14), ■ハンバーガーって本当のパン2ついる? /20210131203721(13), ■自分がキンコン西野かキンコン西野の劣化版になるかもしれないことが怖い /20210201015208(13), ■業務スーパーの業務用ってなに? /20210201081208(10), ■さいとうしほは救えなくても未来のさいとうしほは救えるかもしれない /20210131184504(10), ■駅前の一等地にパチンコ屋があるの本当に無駄で公益性がない /20210201130145(9), ■『うっせえわ』への批判が増えてきた /20210126022247(8), ■頑張れなくなった /20210201012010(8), ■自分はいいことをしている、と思ってる奴の顔がむかつく /20210131183443(7), ■anond:20210201064020 /20210201084828(7), ■普通のカップル、夫婦ってフェラしてるの? /20210201160156(7), ■戦う猫の話 /20210131211425(7)
教育学(ペダゴジー)の場合は被教育者を脱した人間には正直あまり関係ないから教育学者が何言おうとどうでもいいけど、社会学は生きてる限り直接的に自分に関わってくる可能性があるというところが違うんじゃないかな。あと、教師にあーだこーだいいたい人はめちゃくちゃたくさんいると思うけど、例えば算数・数学教育だと最終的には教育学ではなく数学が引き受ける話になるから、教育学はあまり関係なかったりすると思う。
https://anond.hatelabo.jp/20210118203758
40代で共通テストを受けるというだけで非難されるとか高卒と断定する人がいると知ってガッカリしている。編入は情報が少ない上に実施している所も少ない。自分の知識と編入後のカリキュラムにも大きなギャップがあって、どうせなら最初から入り直した方がやりやすい。数は少ないが、夜間学部なら就労とも両立可能。
この人に関して言えば他の挙動から弁護の余地は無さそうだが、同室者のツイートにもなかった年齢情報がメディアで報じられているのは違和感ある。報道機関側にも、40代共通テスト受験者に対する偏見があるからだよな。
追記:
そりゃ従わざるを得ない。眼鏡が曇るから裸眼で受けることになるが。
追記その2
室内なのにメガネ曇るの?
元々私は保育士志望なので初めから教員には全く興味がないが、卒業条件なので取らざるを得なかった。
おもんない。
そういえば小学校時分ではそんなんやったな~とか、そういう意味合いがあったんだなと懐かしさもあって随分気楽に受けていた。
四年になって急に「副免」なるもののおかげさまで小学校へ実習。
おもんない。
元々こういう閉鎖的な空間や押し付けられる価値観と考え方の風潮が合わない。
小中高とロクに学校生活を送れている気がしない。
しかも今年はコロナの関係で児童たちとのかかわりも最低限で、実習生は横で突っ立って授業を見るだけ。
果てには後期に教員養成な講義があり、「教員とはかくあるべき」といったご立派な教師像を突き付けられる。
リフレクションには不祥事を絶対起こさないという決意を書けなどどいう。
何を言ってるのだろう。この方たちは。
どうやって言葉を尽くし、教材研究を行い、児童・生徒たちを導くのか。
このこと自体は非常に面白いと思うが、学級経営の基本的な指針が腐っている。
子どもたちの能力ややる気を伸ばすだとか思考力がどうだとか言っているが。
俺はそう思えん。
早いでしょその方が。
一対多でどれだけ効率よく子供たちを六年ないし三年いなすか、そんなことしか考えてないように感じる。
加えて、教師像が精練な聖人かを作るべきだとでも思ってんだろうか。
「宿題?やってきたのえらい!」
「宿題忘れたの、じゃあ成績は下がるだけだねえ」
これでええやん、もうはっきりと言えばええねん。
無論そんなことが分からんような子どもに行ったって無駄だからそれをしろと言ってるんじゃない。
「○○のため」
「みんながそうしてる」
この文句が本当に嫌い。
その言葉の裏に見える「俺はめんどくさいことしたくない」という言葉が見え隠れして嫌い。
本心で話せや。
言い方で何とでもなるでしょう?こんなものは。
言わせたい言葉を引き出すような言い方止めろ。
はっきりと、何を主張したいか、言え!!!!!!!!
あーダル
「教育学者様と現場の先生様が決めた完璧なカリキュラムなんだから間違ってるはず無い
みたいなこと言う奴いるけど
当の義務教育完了者が「学んだけど必要なかった」「学ばなかったけど必要だった」と言ってるのを無視する方がわからない
「教育の利益は生徒に還元されるべき」みたいなこと言ってたドイツ人だかの人いたけど、その通りだと思う
結局学んだ人間が学んでよかったと思える内容、学んで人生に活かせたと思える内容じゃないと教わる意味がない
「これは教養だから身につけるべき」「これぐらいは知っておくべき」ってのは、教えたい人間の押し付けでしかない(裏を返せば、「教える以上学んでよかったと最終的に思わせられるようにすべき」ってことなんだが)
というか究極的に「学びたがっていない人間に教える」こと自体、ある種の悪だと思う
公園で遊びたい小学生の自由を奪って机に縛り付ける悪行は、小学生が将来学んでよかったと思わせることで帳消ししないといけないんだよ
学習者の利益にならない教育なんて、国ぐるみで思想や身体の自由を(事実上)奪う行為でしかない
パターナリズムは人間が子育てする生き物である以上必要なもので、それ自体は全く悪いものってわけじゃないけどさ
リベラル的には、学ぶ側が何を学ぶか取捨選択出来るようになってるべきなんだよ
「英語、体育、音楽、美術は4割減くらいでもいいかな。古典は8割減で。現国も1割くらいは削れそう。」なんかこういう安直なリベラルアーツ軽視・実学至上主義みたいな考えにこそ薄ら寒さと危機感を覚える。
教養を強要した結果、「リベラルアーツ要らね」って人間を作っちゃったのは教育者側の失敗なんだよね
受験が終わったら95割の人間が全部忘れるような古典単語をひたすら暗記させたり、生徒がやりたくもない合唱練習を延々とさせたり、そういうことを生徒に意義を示せないままに続けてきちゃったから「古典8割要らねえ。美術音楽体育要らねえ。」って思われるようになっちゃったんだよ
「リベラルアーツ重視・実学軽視」の価値観こそが正しいのだと生徒に押し付けるならば、リベラルアーツ万歳と思わせられるような素晴らしいリベラルアーツを用意するのは教育者の責務だ
こんにちは、大学で政治学を学んでいる学生です。白井聡氏の論考が、鋭い指摘をしていると一部で話題になっているそうです。無料公開分を読んでみたものの、私にはどこが鋭いのか全くわからなかったので、疑問に感じた点をまとめました。
以下の引用は、論座に掲載されている『【1】安倍政権の7年余りとは、日本史上の汚点である』(白井聡)に基づきます。
本稿で私は、第二次安倍政権が2012年12月に発足し現在に至るまで続いたその間にずっと感じ続けてきた、自分の足許が崩れ落ちるような感覚、深い喪失感とその理由について書きたいと思う。
タイトルには「日本史上の汚点である」とあり、これまでの政権と比較した上で安倍政権が汚点であるとの主張がなされている。しかし冒頭の段落で「深い喪失感とその理由について書きたい」とあり、タイトルと内容が乖離しているように読める。
「[多くの日本人が安倍政権を支持してきたという]事実は、私にとって耐え難い苦痛であった」とあるように、記事の1ページ目全てを使って、白井氏は己の「知性と倫理の基準」を満たさない政治家が支持されている現状に対する深い失望感を述べている。
しかし、白井氏が評価に用いた「基準」が明らかにされることはない。これは学術論文ではないことは重々承知だが、仮にも学者を名乗りメディアに寄稿する者が、印象論を展開すべきだと私は考えない。
無論、あちこちで指摘されてきたように、どの領域においても安倍政権は長期安定政権にもかかわらずロクな成果を出せず、ほとんどの政策が失敗に終わった。
私の知る限りでは、安倍政権の政策には賛否両論あった。例えば、政権の代表的政策であるアベノミクスは、株価の上昇をもたらした一方で、日本経済の実力を示すとされる潜在成長率は低水準に留まっているし、デフレの脱却も達成されていない(「アベノミクスの8年とはいったい何だったのか」東洋経済オンライン)。外交についても、日米同盟を強化し安定的なものにしたという側面もある一方、拉致問題は進展を見せなかった("The Abe Era Ends, Cheering China, Concerning Washington", Foreign Policy)。これは評価の問題であるから、「ほとんどの政策が失敗に終わった」と結論づけるならば、その理由を示すべきではなかろうか。少なくとも、「あちこちで指摘」されているのなら、それらを引用すべきである。
こうして腐敗は底なしになった。森友学園事件、加計学園事件、桜を見る会の問題などはその典型であるが、安倍政権は己の腐りきった本質をさらけ出した。
白井氏は腐敗の例として、伊藤詩織氏に対する性的暴行事件、森友学園事件、加計学園事件、桜を見る会の問題を挙げている。これらに関しては、新しい政権の下で調査を行うことが必要だろう。流行語にもなった「忖度」であるが、私には構造的な問題に思えた。というのも、忖度があるのならば、それは官邸の強い人事権、また中央省庁を頂点とするピラミッド型の組織を背景とするはずだからである。官僚組織が官邸から独立しているのであれば、何も官邸の顔色を伺う必要はない、また強い分権型の組織であれば、中央省庁の忖度を汲む可能性も減る。つまり、忖度は組織構造がもたらすものであり、政権担当者に関係なく起こりうるものではないか。腐敗が疑われる事例があったことは間違いないが、それを政権固有の問題として片付けるのは、政治学者としてあまりに稚拙であると考える。
例えば、新元号の発表と改元の時の政権の振る舞いを思い出してみれば、それは明白だ。先の天皇(現上皇)の譲位の意思に対しては執拗な抵抗を試みたくせに、新元号の発表となれば、安倍は前面にしゃしゃり出て、「令和」に込めた自分の「思い」を滔々と語った。
私は年代的に平成の改元のときの事情を知らないが、これは比較することが必要ではないか。小渕元首相は「平成おじさん」と呼ばれていたと聞くが、それは白井氏のいう「抑制的」な振る舞いだったのだろうか。パフォーマンスとしての側面があったとするならば、今回は譲位という形をとり、準備に時間があったことも理由としてあるだろう。
十分に機能してきた制度(センター試験)をわざわざ潰して民間業者を導入する主たる動機は、安倍の忠実な従僕たちの利権漁りである。安倍自身の知性に対する憎悪がそれを後押しした。
「十分に機能してきた制度」、「安倍自身の知性に対する憎悪がそれを後押しした」という主張には根拠が必要であると考える。両者ともに白井氏の印象ではないか。特に、センター試験については、教育学等の知見があるのではないか。
3ページ目に入る。この引用では、安倍政権下で公正と正義をめぐる議論が失われたとあるが、果たしてそれはそもそも存在していたのだろうか?卑近な例を挙げるならば、雇用環境や性差別をめぐる問題は、安倍政権以前からあったと記憶している。
私たちの再出発は、公正と正義の理念の復活なくしてあり得ず、その復活のためには、総理自身の違法・脱法行為の究明が絶対的に必須である。
この箇所には同意しかねる。(4)でも述べたように、不正は為政者一個人の問題ではなく、構造的な側面を持つものだと私は考えるからだ。政府という巨大な組織を、その頂点にいる者が意のままに動かしていると考えるのは、あまりにも非現実的ではなかろうか。総理個人だけを追求するのは、非本質的な結論しか導かない。
引用文を含む前後の段落の意図が掴みかねる。政治家はスケールの大きな不正をする方が大物だと言いたいのだろうか。
政治には腐敗がつきものであり、安倍政権もその例外ではないはずであるから、政権の終わりを調査の終わりとしてはいけないという意見には納得できる。しかし、政治と腐敗を特定の政権と過度に結びつける白井氏の論調は、腐敗・不正を許しうる構造への追求を妨げるものだ。
また、この文章を「学者」として公開することの意義は何なのだろうか。少なくとも私は「学者」という職業に就く方には、その他大勢の「評論家」とは一線を画する議論を求めたい。
「評論家」ならば、印象論で語ることも、明確な根拠を示さず何らかの主張を行うことも大目に見られるであろう。しかし、専門家としての訓練を経たはずの「学者」は「評論家」とは異なる論理展開をすべきである。主張には適切な引用があるべきだし、用いる言葉の定義を明確にすべきである。
もしも、本来ならば専門家たるべき「学者」が、都合よく「評論家」の顔を使うのであれば、それこそ知性の劣化ではないか。
本記事には直接関係ないが、白井氏はFacebook上で人の生き死に関する発言を軽々しく行なったと聞く。白井氏には、そして日本の大学の全ての大学人の皆様には、是非とも学者としての矜持を持った発信をしていただきたい。印象に基づく議論は、分断と対立を深めるだけである。
仮に、産まれてきた子供がその直後まとめて育児施設にぶち込まれて、そこで育児と教育のプロフェッショナルがつきっきりでお世話をして幼少期を過ごすというシステムがあったとして何か不都合があるのだろうか?
画一化された育児よりも更にレベルの高い環境を提供できるような富裕層を除いてそういったシステムに組み込んでしまう方が、虐待だの階層の固定化だのといった課題の解決策となるような気がする
教育学は学んだことがないのでそういった先行事例があるのかどうかや反論が聞きたい(「親の子供を育てる喜びが失われる」といった精神論ちっくなものではなく、子供と社会に及ぼす悪影響の観点での反論)
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/bunshun.jp/articles/-/20011
だから「アメリカと日本は韓半島を分断させ、南北統一されることを妨害しているんだ」は進歩派的には正しいけれど保守派的には”アメリカのおかげで韓国がある”ので間違い
訴えた生徒らが仁憲高校学生守護連合を立ち上げてほかの学校の生徒も参加して全国学生守護連合結成 #MeToo この学校だけが特別ではない
今回偏向政治教育を行ったのが全国教職員労働組合(全教組)と呼ばれる進歩派組織に所属する教師
文(進歩派)が積弊清算して差戻し、今や教科書検定する側になるまでに
「反日」がセンセーショナルだから見出しに使われるけれど訴えた内容的には偏向政治思想の強要
(反日もそうだけれど、文大統領万歳とかチョググ無罪とかの進歩派支持になることの強要)
韓国では財閥企業に入らないと人権はなくそのためには一流大学を卒業しなければならなく入学するためには内申点が高くないと試験のテストがいくら良くてもダメなため、それを人質に思想強制
外部の大人とか的には
反日だからニュースバリューがあるんじゃなくて学生が教育部に対して請願をだしたから
思想強制反対と訴えた学生に対して学校は社会奉仕措置…保護者にも特別教育
ソウルの教育長が進歩派で教師が行った教育は正しくて生徒が間違っていると発言
ババ引かされたのは受験生だ! 英語民間試験 なぜ国は推進した
「私たちは官僚の矜持とは、政治から、不本意な政策が下りてきた時、それが理にかなわなければ「無理です」と説得する、もしそれがかなわずとも、その政策を、広く合理的に説明できる程度までしっかり練り直すものだと思っていました。」
止めたいと思っている役人はいるけど、止められる役人はいません。
そもそも、文科省の教育施策は、科学的なエビデンスというより、
◆中教審の会長が言った(大臣と仲がいい大学の学者や民間有識者など)
で大きな方針が決まっていて、それを実現するために利害を調整するのが役人。。。。
「そうはいっても、審議会や有識者会議でも審議して決定してるんだから、一方的な意見だけじゃなくて、反対意見もあるだろうから調整されるんじゃないの?」
そんな指摘もあると思うが、審議会や有識者会議は、大きな方針を実現するための装置でしかない。
有機者会議を開催する時点で、ある程度の結論は決まっていて、何を言われようが結論は変わらない。異論が出ても最後は、役人が根回しをした座長(議長)に報告書の決定が一任されてしまうので、役所が得たいような結論が出る仕組み。
対外的には、決定された内容については「第三者で構成される有識者会議で決定されました!」「審議会で決定されました」といった客観的な意見であると主張できる。
ただ、実態は、役人が手をまわしている都合が良い内容の報告書なので、当然、それ自体が本当にやるべきことが書いてあるものではないので、科学的なエビデンスになるわけではない。
しかし、それがエビデンスかのような政策手法が横行しているのが文科省・・・。
報告書の根拠は、有識者の意見です!と都合よく解釈しているけど、その有識者を選んだのも、有識者に言ってほしいことも根回しするのは文科省・・・。
こうして、文教族の国会議員などの一部の意見に基づく施策が展開され、諸外国の動向や、教育学者の意見はほとんど参考程度。
文科省の役人は、誰かが決めたことを忠実に遂行するための整合をとったり、利害を調整することには優秀。
だけど、どういう入試制度がいいか、エビデンスに基づいてしっかり考えていないから、政治家を説得する、ということができないんだろうな。
教育分野は他の分野と違って、みんなが教育を受けてるから、ある意味、自身の体験に基づく意見が施策に反映されがち。
だからこそ、他の分野よりも一層、エビデンスが求められると思う。
再発防止策は、役人の能力向上と、役人がちゃんと考えたことを実行できるという意味で、政治からの独立性(透明性)の確保、、、だと思う。
たぶんそんな案は出てこないだろうけどw