「教育学者様と現場の先生様が決めた完璧なカリキュラムなんだから間違ってるはず無い
みたいなこと言う奴いるけど
当の義務教育完了者が「学んだけど必要なかった」「学ばなかったけど必要だった」と言ってるのを無視する方がわからない
「教育の利益は生徒に還元されるべき」みたいなこと言ってたドイツ人だかの人いたけど、その通りだと思う
結局学んだ人間が学んでよかったと思える内容、学んで人生に活かせたと思える内容じゃないと教わる意味がない
「これは教養だから身につけるべき」「これぐらいは知っておくべき」ってのは、教えたい人間の押し付けでしかない(裏を返せば、「教える以上学んでよかったと最終的に思わせられるようにすべき」ってことなんだが)
というか究極的に「学びたがっていない人間に教える」こと自体、ある種の悪だと思う
公園で遊びたい小学生の自由を奪って机に縛り付ける悪行は、小学生が将来学んでよかったと思わせることで帳消ししないといけないんだよ
学習者の利益にならない教育なんて、国ぐるみで思想や身体の自由を(事実上)奪う行為でしかない
パターナリズムは人間が子育てする生き物である以上必要なもので、それ自体は全く悪いものってわけじゃないけどさ
リベラル的には、学ぶ側が何を学ぶか取捨選択出来るようになってるべきなんだよ
「英語、体育、音楽、美術は4割減くらいでもいいかな。古典は8割減で。現国も1割くらいは削れそう。」なんかこういう安直なリベラルアーツ軽視・実学至上主義みたいな考えにこそ薄ら寒さと危機感を覚える。
教養を強要した結果、「リベラルアーツ要らね」って人間を作っちゃったのは教育者側の失敗なんだよね
受験が終わったら95割の人間が全部忘れるような古典単語をひたすら暗記させたり、生徒がやりたくもない合唱練習を延々とさせたり、そういうことを生徒に意義を示せないままに続けてきちゃったから「古典8割要らねえ。美術音楽体育要らねえ。」って思われるようになっちゃったんだよ
「リベラルアーツ重視・実学軽視」の価値観こそが正しいのだと生徒に押し付けるならば、リベラルアーツ万歳と思わせられるような素晴らしいリベラルアーツを用意するのは教育者の責務だ