「天皇」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 天皇とは

2017-06-19

黒人大好き!

韓国人大好き!

オタク大好き!

女大好き!

左翼大好き!

右翼大好き!

若者大好き!

高齢者大好き!

部落大好き!

天皇大好き!

マイルドヤンキー大好き!

黒人大好き!

2017-06-18

皇族に嫁入りする気持ちが解らない

愛子様天皇になったら天皇に婿入りしたがる一般男性って居なさそうだし大変だろうなぁと思うが、考えてみたら嫁入りする気持ちも解らない。

雅子様とかあれだけ美しく能力もありバリバリ働いてた超エリートでもあれだけボロボロにされてるやん。

皇族結婚しなければずっと輝かしく幸福になれたはずやん。

恐ろしすぎるやん。

天皇になりたい

社会学調査のため、実地に天皇生活体験してみようと思う。

論文がかけたら譲位してもいい。

https://anond.hatelabo.jp/20170618105828

2017-06-17

https://anond.hatelabo.jp/20170616171312

サヨクにとっては日本検閲存在しないと都合が悪いらしいな

「ほらやっぱり天皇ネタは許されない!検閲天皇制ファシズム軍国主義!」と騒ぎたくてたまらないんだろうなぁ

わかりやす過ぎて笑えるわ

https://anond.hatelabo.jp/20170616171312

お前が書けばいいじゃん

天皇皇太子レイプする同人を描こうが官憲は捕まえに来ないぜ

ガチ右翼は来るかもしれねーけどw

「私はシャルリー!!」とでも叫びながら頑張って右翼に応戦して

風流夢譚という現代舞台天皇家殺害モチーフ作品あったけど

右翼の抗議と右翼活動家による殺人テロ事件が起こって、出版社謝罪して自ら表現の自由放棄した。

から風流夢譚」を持ち出して、教養が足らんという奴はアスペ以前の馬鹿だし、源氏物語など古典近世以前を舞台にした作品持ち出す人も元増田質問意味理解できていない馬鹿

現代舞台にした天皇家物語で(名前を変えた架空天皇皇族でもいい)、

クジラックスのような醜悪物語を描いていて、

右翼などのクレームで潰されずに社会に守られた作品

を持ってこいよ。

ほんとにそんな作品あるんですか~?????

 

そういう作品をパッと挙げられる奴が「教養ある人」って言うんだよ。

源氏物語」とか場違いな答え出してマウント取ったつもりの奴は単になぞなぞが強いことを誇るガキのマインド

 

https://anond.hatelabo.jp/20170616171312

 

*俺は元増田じゃないし名乗ってすらいない。勝手元増田と思ってコメントしてる人の国語の成績が知りたい……

2017-06-16

表現の自由っていうけど天皇家が出てくる創作物ってあるの?

天皇家の娘さんが汚いおっさんどもにめちゃくちゃにレイプされるエロ漫画とか

天皇家の息子さんがお国のために冒険するファンタジーゲームとか

見たことないんだけど日本存在するんです?

見てみたいの、私だけなのか。

あるの?ないならなんでないの?不敬罪から

追記

ホッテントリ入りしててびびる。みんな作品を教えてくれたり意見どうもありがとう

ご指摘の通り古典には明るくないです。でもラノベとかRPGとか絵柄が濃くない漫画とかそういうのが見たいって言ったつもりだった。

あと右翼とか左翼って出てきて更にびびる。

実在人物を描くのは〜ってあるけど、普通にこう伝説勇者血筋みたいな感じで天皇家名前を出すだけでも中傷にあたるのかな。

お前は由緒正しい生まれなんだから魔王を倒すのよ的な。倒さなくてもオブリビオンな感じでもいいんですけど。

レイプに関しては軽はずみだったかも。でも高貴な血筋を汚すみたいなの好きなので。

別に実在する子じゃなくて天皇の血引いてるって設定であれば。

ラノベとかもネタ切れネタかぶりってよく見るけどこういう方面のもの全く見ないのでみなさんわざと避けてるんだろうなーとゆとり心に思っただけでした。

バカすみません

2017-06-15

[]与党委員長による中間報告とかい国会レゾンデートル破壊

国会ウォッチャーです。

 マジ安倍内閣クソ。クズ。なにより公明党ウンコ宗教信じてないけど、仏罰ってやつがあるならぜひともお願いしたい。吉川沙織議員の賛成討論がよくまとまっていましたが、国会は慣例と紳士協定でなりたっている、良識を前提とした運営をしてきました。今回の国会法56条3のように、「緊急を要する」みたいなあいまい規定だって国会運営が、最低限の良心対話で成り立ってきた歴史があるから許されてきたわけで、こういうことをやることは、国会自殺といわれても仕方ないでしょう。なぜ国会あいまい規定運営されているのか。たとえば、なぜ国会議員国会での言動刑事罰免除されているのか、よく考えてほしい。嘘つきは当然問題だけど、なぜ国会でそういうことを禁止する規定が無いのか、よく考えてほしい。良心にのっとって、自由に討論することを妨げないため、刑事罰を持って言論を萎縮させないためでしょう。専門知識を有した委員会での審議を尊重するのは、最低限のラインでしょう。なんでちょっと延長したら普通手続きをとれるところを飛ばししまうんですか。秋野公造がつめられる映像が取られたくない?加計学園問題を追及されたくない?文科省調査報告に注目されたくない?こんなくだらないことのために、与党議員委員会採決すら放棄するんですか?

 議院付託された法案委員会で採決することなく、与党中間報告させる、という手続きは、国会法案にスタンプを押す装置として考えている無教養で反知性的安倍さんには大した話じゃないんでしょうが、明確な議会否定行為です。記名投票だったので、あとで中間報告の動議の結果は見たいと思いますが、これに賛同した議員は全員落選してほしい。

 ちなみに内閣府調査するとか言ってましたけど、国会閉じてから出されても追及は当然甘くなるんで、関心が薄れた秋臨時国会、まぁギリゆずって閉会中審査やったとしてもあん報道もされないから強引な論理がまかり通るんで期待するだけ無駄です。個人的な予想ですけど、

1.文科省で見つかった協議内容は事実だけど、藤原審議官安倍名前を騙っただけ。内閣府にも同じ内容の文書はあるけどそれ以外にはないか無問題説。

→生贄は藤原さん。

2.文科省で見つかった協議内容は虚偽で、藤原審議官総理意向などとは言っていない。文科省役人が聞き間違えた。内閣府文書は内容が異なる説。

→生贄は文科省高等教育局の誰か。

のどっちかだと思います文科省の誰かが実名告発する覚悟、ということでしたが、その人がただ文書存在を見ただけの人だった場合は2を、その人が当事者だった人の場合は1を選ぶと思います。当然その人は内調がお調べになっているでしょうから、どういう立場で、どこまで責任を持って告発できる人なのか、というところに合わせてシナリオつくっとるでしょ。

問責、不信任討論の寸評

 金田法務大臣問責松野博一文科大臣不信任、山本順三議院運営委員長解任と行きましたが、内閣不信任を出したので、あとの参院議長は出しても出さなくてもまぁ早いかいかだけです。

一応討論者の寸評。

金田問責趣旨

真山勇一 50点

 この人なりにがんばってはいるんだけど、まぁ人のよさそうな顔のせいかいかんせん迫力がない。法務委員会でも西田昌司にいいようにあしらわれてたし、ピンチヒッターで来てる福山哲郎議員にも子供の使いみたいになってたのも残念。審議入りの際のせりふを使った皮肉はよかった。

反対

佐々木さやか 0点

 何なのこのひとの討論。「国会でも法案審議で誠実真摯な答弁を行うなど国民のために尽くしてこられた」出だしか金田ほめごろしてんの?あんほとんど金田質問しとらんやろ。創価大学法科大学院ってやっぱり公明党がずーと法務委員長独占してきた恩恵なんですかね?頭パーなの?この人もそのうち法務委員長になるの?公明党マジで下駄の雪どころか、靴の裏のウンコ

賛成

福山哲郎 80点

 場慣れしてるなぁと。ここが大事から聞いてください、ここも大事です、もう少しで終わりますって言いながらなかなか粘っていました。

反対

東徹 10点

 民進批判して、与党中間報告批判して、金田しっかり答弁しろっていってから反対、説得力ゼロ。きのうあれだけ切れた振りして民進批判したのにそのキレっぷりの半分でも与党に向けたらどうなの。民進はあんたの質疑を止めたかもしれないけど、アンタの時間を奪ったのは中間報告だよ。

賛成

山添拓 50点

 マジメですね。若いし。間違ったこともいっていないし、法案問題点はちゃんと指摘してるけど、印象に残るものでもなかった。ヨシキ、和夫の迫力を見習おう。

山本議運解任

趣旨説明

吉川沙織 95点

 半日でよくこの原稿書いたなってのがまずびっくり。書き起こしたいけどもういいや。専門性の高い委員会主義の意義、議会の慣例と過去中間報告は野党委員長場合議員個人決断にゆだねられた臓器移植法だけに限られていたこと、ヴェーバートックビルなどを引用して、安倍政権手法いか民主主義的でないか喝破するものでした。

ひげ 0点

 「われわれは人気が高く人数が多いので熟議ができるのです」吉川議員の多数による専制の話聞いてた?一刻も早く選挙落ちて引っ込め。

白眞勲くん 80点

 おちょくってんのかって言うノリで、本質的なとこは余り外さないところが相変わらず面白いですね。ちなみに宮崎岳志はくんくんの後継者になれるクオリティあるよ。こないだの本会議反対討論見事だった。個人的には、こういう落語家的ないやみは好きなのであります

山下芳生 70点

 体調が悪い中、野次を怒鳴り散らしていただきました。普段温厚な人が怒ると迫力が出る。

内閣不信任案

趣旨説明

安住淳 90点

 この人もやっぱり面白い。でも30分じゃ短いよ。もっともっといくらでもあげつらえるでしょう。私だって時間は話せるよ。「いつから特定新聞販売責任者になったのか」、「天皇退位法案円満にまとまったのは総理がいなかったから」はよかったね。「二重国籍ー」って叫んでた与党議員バカっぽさが目立ちましたね。

西村康稔 0点

 党首討論予算委員会集中審議やるんなら受けてくれるでしょ。「審議の途中に野党維新)の質疑が残っているのに大臣問責決議を出してきた」とかい自爆はなんなの?おめーら審議の途中に審議どころか採決も省略動議してるじゃねーか。偽証罪告発まだですか?

泉健太 50点

 安倍政権の不信任討論としてはまぁいい内容なんだけど、印象にのこらない。眠いのもあるけど。自分たちはこんなに賛成してきたっていう主張の必然性も良くわからない。でもこの人はまだ若いしこれからにも期待している。

伊藤渉 0点

 こんな時間本会議にいることはむなしくないのかっていってたけど、そら無力さはむなしいだろうけど、明日にしていいなら喜んで受けてくれたと思うで。政治主導を放棄する民進党かいうてたけど、おまえんとこの法務委員長、一回目から政府参考人制度復活させとったからな。

志位和夫 70点

 律儀に15分終わったのが不満。金田治安維持法適法かいうマジ基地答弁から参院で突然出てきたかくれみの議論、後半でさらに突然出てきた周辺者議論とかで、共謀罪審議の不十分さを的確な日本語で指摘するのはさすが。和夫の日本語力をわが国の首相にわけてあげてくれんかね。

 正直言って、ただのウォッチャーとしてはこの国の議会に耐えられなくなってきてる。でもあきらめたらそこで試合終了なんで、野党議員はほんと心折れそうになると思うけど、間違ってることは間違ってるって指摘し続けてほしい。フィリバスターに打って出なかったのは個人的には不満ではあるけど、何やったってどうせ通るんだから、正々堂々と非難するっていう選択肢も悪くはないとも思っています今日何が一番悲しかったって、議会自殺しようとしてる中で、テレビメディアがさもいつもどおりかのように「与野党の攻防が山場」とかい紋切り型表現で、この問題の重大性を訴えなかったところだったなぁ。わたしたちの議会行政がぶっ壊そうとしてるっつーことが共有されない悲しさは与党支持者の皆様にはきっとわからないのでしょうね。テロ等準備罪の成立は見ない。おやすみ

https://anond.hatelabo.jp/20170615004606

うん、そうだね。

コーランには敵を殺せって書いてあるからイスラム教預言者には責任がある事になるし、オウムの件を考えれば大抵の宗教規制するべきだし、北野武深作欣二も重罪。

マルクスレーニン毛沢東犯罪者だし、三島由紀夫だってダメだし、大江健三郎天皇爆殺本を書いてたよね。見沢知廉もアウトだ。

えーと、それから後は何規制する? どうせなら焚書とかしちゃう

2017-06-13

なんで法皇じゃなくて上皇なの?

退位した天皇を「法皇」っていうと、宗教色が出ちゃうから


そういえば歴史上には、太上天皇っていう呼び方もあったな。

http://anond.hatelabo.jp/20170613172315

当たり前だろ。遠く離れた見知らぬ天皇陛下に恋い焦がれてそれを拗らせた蛮族と違って、京都民にとって天皇は親しみのある身近なおっちゃんにすぎないからな。おう出稼ぎが終わったなら故郷に戻ってこいやと言ってるだけ。

2017-06-11

続・白紙に戻せぬ遣唐使教科書の読み比べ)

http://anond.hatelabo.jp/20170611183038

これのつづき。今回も文字数制限にひっかかったので、分割します。

  

桐原書店新日本史B』(日B 011)

一方、インドの僧菩提、林邑(ベトナム中部)の仏哲、唐僧鑑真らの外国人も、遣唐使船に便乗して来朝し、インド西域東南アジア文化を伝えた。

遣唐使船は日本人が唐へ往来するためだけではなく、外国人日本に招くためにも使われていたのです。「遣唐使」「鑑真」というのは中学生レベル用語です。しかし、この2つを結びつけて説明できる人は案外少ないんじゃないでしょうか?

ちなみに、山川の『日本史B用語集』によると、菩提僊那、仏哲という用語を載せている教科書は、唯一これだけみたいです。しか桐原書店は彼らの業績を説明するための註を設けている徹底ぶりです。入試問題になったら難問だと思いますが、大切なのはこういう人名を丸暗記することじゃなくて、東大寺大仏開眼供養会はインドベトナム出身僧侶たちも参加していた国際色のあるイベントだった、それは遣唐使船がもたらしてくれたものだということでしょう。

  

日本がしばしば新羅従属国として扱おうとしたため、両国関係はしばしば緊張した。しかし、日本遣唐使が唐において新羅人に助けられることもあった。」

これもこの教科書に独特の記述です。遣唐使新羅人に助けられたというのは、円仁著作『入唐求法巡礼行記』のことを念頭に置いているんでしょうか?

また、上掲の講談社日本の歴史シリーズから引用すると、次のような話もあります

遣唐使派遣が間遠になり、日本の船が唐まで行かないなか、それでも求法の念止みがたいとなれば、来航する新羅船を利用するしかない。そしてまた新羅商人たちは、概して好意的に彼らを助けたのであった(坂上早魚『九世紀の日唐交通新羅人』)。こうして入唐と研鑽を果たした天台真言の平安仏教旗手たちが、仏教の使命は鎮護国家にあるとする考えに則り、護国の修法による新羅調伏を担うことになったのは、実に皮肉なことであった。

  

坂上康俊『日本の歴史05巻 律令国家の転換と「日本」』

  

  

  

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

このころ唐では、みずから世界の中心とみなす中華思想が強まり、周辺の国々を夷狄として見下す考えが生まれていた。この考え方は日本にも影響をあたえ、朝廷新羅や、朝廷に服属しない東北九州南部の人びとを蝦夷隼人とよんで夷狄として蔑視しはじめた。

朝廷東北地方九州南部進出した経緯を説明する際、そこには中華思想の影響があったことを説明しています。それに絡めて新羅との関係にもちょこっと触れているので、先にとりあげた東大入試問題を解くときのヒントになるでしょう。

もっとも、この点はやはり、山川出版社新日本史B 改訂版』(日B018)の方が優れています。私が先に引用した箇所のすぐうしろ([後略]とした部分)では、朝廷が「東北地方蝦夷九州南部隼人異民族夷狄)として服従させ」たことを説明し、「律令国家が蛮夷を服属させる帝国であることを内外に示した」と結んでいるのです。

それに比べると、三省堂教科書は、遣唐使中華思想という2つのものを関連付けて理解することが不可能です。

  

  

  

東京書籍日本史B』(日B 004)

遣唐使8世紀には6回、9世紀には2回派遣され

実教出版にも「奈良時代遣唐使は6度派遣され」たとありますが、東京出版9世紀のことも記述していてグッド。

遣唐使は894年、菅原道真の建議で廃止されました。ですから9世紀末まで遣唐使派遣する制度は残っていたはずなんですが、8世紀と比べるとその回数がめちゃくちゃ減っていることが分かるでしょう。

理由は、日本がもはや唐から学ぶべき必要・意欲がなくなってきたこと、唐が政治的混乱に陥って衰退したことによる国威の低下、商船の往来が活発になったことで日本が唐に朝貢をしなくても舶来品を入手できるようになったこと、などです。

これがさっき桐原書店のところで述べた話にもつながっています時代が9世紀(すでに平安時代)になっても、仏教では唐に確固たる先進性がありました。だから日本僧侶たちは唐に留学することを熱望したのです。しか朝廷遣唐使派遣積極的ではなく、彼らは新羅商人の助力を得なければ、渡航が困難という状況だったのです。

  

[引用者注:702年の遣唐使派遣の再開について] その目的なかには、「日本」という国号を認めさせることも含まれていたと考えられる。

東京書籍教科書にだけある、この一文。「日本」がはじめて国際社会に登場したのがこの時点だったと言っているんです。

これ、すごいことを言っていますよ? 「日本」が太古の昔から存在したという皇国史観に対する強烈な一撃です。

ちなみに、このとき天皇」は国際デビューしていません。倭国はなんとかして「日本」への国号変更を唐に認めさせることはできても、皇帝にあたる「天皇」という称号を用いて唐と対等外交をする力がなかったのです。唐では天皇のことを「日本国王主明楽美御徳」(日本国王メラミコト)と呼んでいたようです。もしかしたら当時の日本朝廷内では、「スメラミコトは唐の皇帝に臣従したが、天皇は臣従していないか日本国王ではなく、したがって日本は唐の朝貢国ではない」という回りくどい官僚的答弁があったかもしれませんが、その点は不明です。このような高度に政治的問題は、国史編纂ときに巧妙な隠蔽がおこなわれるからです。(上掲の講談社日本の歴史シリーズ青木和夫著の中央公論社日本の歴史3巻 奈良の都』を参照せよ)

  

さて、これは東京書籍にかぎらず、多くの教科書でそうなのですが、古代史において「天皇」「日本」という表記を用いるときには慎重になっている様子がうかがえます。例えば白村江の戦いでは、唐・新羅と戦った国が「日本」ではなく、「倭」倭国」「朝廷」等の表記になっています

なぜ教科書がこんな表記になっているかというと、「天皇」「日本」という称号国号は、ある時期の特定政治状況のもと、人為的に作られたものからです。具体的には天武朝(673年~686年)のころ、大王とその国を神格化する目的で、初めてこれらの称号国号使用が開始されました。ですから、もし神と同一であるところのその「天皇」、その神のおさめる国である日本」が、天武朝より遥か昔から存在していたかのように記述するならば、それは皇国史観に他なりません。

無論、教科書では便宜的に仁徳天皇推古天皇というような表記が使われていますけど、古代史における「天皇」「日本」という表記の取り扱いについては一応注記が設けられていたりします。例えば『詳説日本史』は壬申の乱ののち、天武天皇が「強力な権力を手にし」て、「中央集権国家体制形成を進」めていく過程で、そのころに「大王にかわって「天皇」という称号が用いられる」ようになったと書いています。同社の参考書『詳説日本史研究』はそこがもっとクリティカルです。「大王から天皇へ」というコラムで、「天皇」という称号が天武朝に始まることの歴史学的な検証を載せ、唐の皇帝が一時「天皇」と称していたのを知った日本側が模倣したという説を紹介しています

こういう細かな表記へのこだわりからも、各社の教科書がどんな史観に基づいているかを見ることができるはずです。

白紙に戻せぬ遣唐使教科書の読み比べ)

山川出版日本史の何がすごいのか、さっぱり分からない」

http://anond.hatelabo.jp/20170604204919

これの筆者です。

id:netcraft3さんに「このままシリーズ化してほしい」と言われたんですが、そのつもりはないです。歴史学に対してろくな知識もないから恥をかきそうだし、人気の増田国会ウォッチャー)みたいに注目をあびるのは恐ろしいです。

  

なので今回で最後になるかもしれませんが、ひとまず「遣唐使」について見ていきましょう。

山川出版社『詳説日本史』の「遣唐使」という項は、次のように書かれています。全文引用します。

618年、隋にかわって中国を統一した唐は、東アジア大帝国をきずき、広大な領地を支配して周辺諸国に大きな影響をあたえた。西アジアとの交流もさかんになり、都の長安(現、西安)は世界的な都市として国際文化が花ひらいた。

東アジア諸国も唐と通交するようになり、日本から遣唐使は8世紀にはほぼ20年に1度の割合で派遣された。大使をはじめとする遣唐使には留学生・留学僧なども加わり、多い時には約500人の人びとが、4隻の船にのって渡海した。しかし、造船や航海の技術はまだ未熟であったため、海上での遭難も多かった。遣唐使たちは、唐から先進的な政治制度国際的文化をもたらし、日本に大きな影響をあたえた。とくに帰国した吉備真備や玄昉は、のち聖武天皇に重用されて政界でも進出した。

朝鮮半島を統一した新羅とも多くの使節が往来したが、日本は国力を充実させた新羅従属国として扱おうとしたため、時には緊張が生じた。8世紀末になると遣新羅使派遣はまばらとなるが、民間商人たちの往来はさかんであった。一方、靺鞨族や旧高句麗人を中心に中国東北部建国された渤海とは緊密な使節の往来がおこなわれた。渤海は、唐・新羅との対抗関係から727(神亀4)年に日本に使節を派遣して国交を求め、日本も新羅との対抗関係から渤海と友好的に通交した。

これはひどい遣唐使派遣再開が何年だったかという記述がありません。

そもそもこの派遣が再開であるという基礎知識すら、この教科書では把握できません。ページを戻って第2章「1,飛鳥の朝廷」の「東アジアの動向とヤマト政権の発展」という項では、「倭は630年の犬上御田鍬をはじめとして引き続き遣唐使派遣し」たとあるのですけど、その後にしばらく派遣を中断した時期があることは記載なし。

一時期は中断していたからこそ、702年の派遣再開に歴史的意義があります。第1回の遣唐使派遣が630年ですから、何と、まだ大化の改新をやっていない時代ですよ? それくらい古い時代から派遣していたにもかかわらず、多くの教科書8世紀初頭の出来事として遣唐使のことを説明するのはなぜでしょうか。それは再開というターニングポイントを重視しているからです。本書もそれに従って、「3,平城京時代」という単元に「遣唐使」の項を配置しています。それならば、中断・再開の経緯について説明を載せるべきです。

  

ちなみに、他の教科書では、遣唐使派遣再開についての説明が次のようになっています

7世紀前半にはじまった遣唐使は、天武・持統天皇時代にはしばらく中断されていたが、702年久しぶりに難波津を出発した。」

東京書籍日本史B』(日B 004)

「また政府は、8世紀のはじめに遣唐使派遣して、669年以後とだえていた唐との国交を回復した。」

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

「日本は唐の文化積極的にとり入れようと意欲をもやし、ほぼ20年に1度くらいの割合で遣唐使派遣した。」

山川出版社高校日本史 改訂版』(日B 017)

白村江の戦いののち、30年あまりとだえていた唐との国交が、701(大宝元)年の遣唐使任命によって再開され、以後、遣唐使がたびたび派遣された。それまで、半島から渡来人新羅などに学びながら、ある程度の国家体制を整えてきたが、この年の大宝律令とともに、唐との直接交通を始めたのである。」

桐原書店新日本史B』(日B 011)

律令制度を整えた朝廷も、702(大宝2)年に遣唐使を復活させ、唐の文物制度摂取につとめた。[中略]

こうしたなか、朝廷は新都の造営や貨幣鋳造、国史の編纂などを次々に実行して、中央集権体制にふさわしい国家づくりに励んだ。」

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

  

引用者注教科書のページを戻って「白村江の戦い国内体制の整備」の項では、白村江の戦いののち、遣唐使が「669年を最後に中断した」という記述あり。]

この中では、桐原書店ダントツに優れていると思います

遣唐使が中断していた理由もわかるし、大宝律令の制定と遣唐使の再開という2つの出来事を結びつけて理解することができます

  

三省堂記述おもしろいです。私は前回、この教科書について、「時代の流れがよくわかる」「時系列にしたがった記述が多い」というようなことを書きましたけど、ここでもその特徴が出ています

大宝律令の制定、平城京への遷都、貨幣鋳造、国史編纂というのは国内政治です。一方、遣唐使新羅・渤海との関係は、外交政策です。普通教科書はこれを別項に分けますが、三省堂はこれを同じ項にまとめて一つの時代様相として語っているのがすごい。

  

東京書籍実教出版も、中断・再開に触れています。その点は『詳説日本史』より絶対にマシです。

  

山川出版社高校日本史 改訂版』(日B 017)は、教科書のページ数が少なくて、内容もぺらぺらに薄いです。『詳説日本史』と同様、これでは大雑把に奈良時代の初め頃だったということしか分かりません。(しかも正確には702年に派遣再開されたので、これを奈良時代出来事と把握すると誤りになります)

  

  

  

東大入試でよくわかる遣唐使

東大入試2003年)は、遣唐使の本質にせまる問題を出しています

次の(1)~(4)の8世紀の日本の外交についての文章を読んで、下記の設問に答えなさい。

(1) 律令法を導入した日本では、中国と同じように、外国を「外蕃」「蕃国」と呼んだ。ただし唐を他と区別して、「隣国」と称することもあった。

(2) 遣唐使大伴古麻呂は、唐の玄宗皇帝元日朝賀(臣下から祝賀をうける儀式)に参列した時、日本と新羅とが席次を争ったことを報告している。8世紀には、日本は唐に20年に1度朝貢する約束を結んでいたと考えられる。

(3) 743年、新羅使は、それまでの「調」という貢進物の名称を「土毛」(土地の物産)に改めたので、日本の朝廷は受けとりを拒否した。このように両国関係は緊張することもあった。

(4) 8世紀を通じて新羅使は20回ほど来日している。長屋王は、新羅使の帰国にあたって私邸で饗宴をもよおし、使節と漢詩をよみかわしたことが知られる。また、752年の新羅使は700人あまり大人数で、アジア各地のさまざまな品物をもたらし、貴族たちが競って購入したことが知られる。

  

設問:この時代の日本にとって、唐との関係新羅との関係もつ意味にはどのような違いがあるか。たて前と実際の差に注目しながら、6行以内で説明しなさい。

これの答えがピンポイントで載っている教科書があります

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B018)です。これ以外は、どの教科書も上記引用した『詳説日本史』と似たり寄ったりの内容ですからいくら熟読をしても答案を書くことが難しいと思います。(三省堂のぞく。後述)

8世紀に入ると、日本は20年に1度の回数で大規模な遣唐使派遣した。日本は唐の冊封を受けなかったが、実質的には唐に臣従する朝貢であり、使者正月の朝賀に参列し、皇帝を祝賀した。[中略]

一方、日本の律令国家内では天皇皇帝であり、日本が中華となる唐と同様の帝国構造を持った。日本は新羅や渤海を蕃国として位置づけており、従属国として扱おうとした。

白村江の戦いののち、朝鮮半島を統一した新羅は、唐を牽制するために日本とのあいだにひんぱんに使節を往来させ、8世紀初めまでは日本に臣従する形をとった。やがて対等外交を主張したが、朝廷はこれを認めず、藤原仲麻呂新羅への征討戦争を準備した。一方で、新羅民間交易に力を入れ、唐よりも日本との交流が質量ともに大きくなった。現在の正倉院に所蔵されている唐や南方の宝物には、新羅商人仲介したものが多いと考えられる。[後略]

  

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B018)

以上に準拠しながら、私なりに要点をまとめておくと、次のとおりです。

  

(1)は、日本が唐から律令を学び、その中華思想の影響を受けたことを言っています。つまり、日本はみずからが「中華となる」という「帝国構造」を作ろうとしたのです。「日本は新羅や渤海を蕃国として位置づけ」て、彼らを野蛮だと侮蔑し、従属国として扱おうとしました。ですが、唐だけは別格です。あのような大国を敵にまわすと、恐ろしいことになりかねません。そういう遠慮があって、唐のことだけは尊重して隣国と呼びました。

(2)は、「日本は唐の冊封を受けなかったが、実質的には唐に臣従する朝貢」をしていたということです。唐の臣下となって朝貢する国々の中にも、その立場にはランクがありました。日本と新羅はともに唐の臣下だったのですけど、日本は新羅より格上の臣下になろうとしたのです。

(3)は、日本と新羅関係悪化について述べています新羅が「8世紀初めまでは日本に臣従する形をとった」ので、その間は関係がうまくいっていました。しかし、新羅が「やがて対等外交を主張」するようになったから、両国関係はこじれてしまったのです。それが最終的には藤原仲麻呂が「新羅への征討戦争を準備」するくらいにエスカレートします。

(4)は、日本と新羅政治的には対立しつつも、経済的には交流が盛んだったという内容です。「新羅民間交易に力を入れ」ました。「新羅商人仲介し」、日本へ「唐や南方の宝物」をもたらしたのです。それは貴族たちが競って購入したがる垂涎の的でした。現在「正倉院に所蔵され」ている宝物も、そういうルートで輸入したものが多いのです。

  

教科書の読み比べをすることの目的は、なにも入試対応するためだけではありません。

例えば『詳説日本史』には、最初引用したとおり、「日本は国力を充実させた新羅従属国として扱おうとしたため、時には緊張が生じた」とか、「8世紀末になると遣新羅使派遣はまばらとなるが、民間商人たちの往来はさかんであった」という記述があります。この短い記述が伝えようとしていることの本当の意味は、『新日本史B 改訂版』(日B018)のような他の教科書と併読することにより、はじめて正確に把握できるのです。

  

ところで、この教科書の著者は、東大の先生が3人、京大の先生が1人です。本書だけに載っているネタを使って入試問題がつくられたのは、そのへんの事情もあるのかなと勘ぐってしまます

もしくは、これは2003年入試問題ということだから、ちょうど講談社の『日本の歴史シリーズ2000年2003年)が発行されていた時期ですし、そちらの内容を意識しているのかもしれないですね。一応、そっちのシリーズから引用しておきましょう。

国内及び新羅などの諸国に対する時と、唐に対する時とで天皇の顔を使い分けるという、まことにすっきりしない状況でもあった。このような努力・苦心を払って日本が手に入れようとしたのは、東アジアの有力国としては新羅より格が上、という地位の確認であり、また初期の遣唐使が唐の高宗蝦夷を見せたことに示されているように(『日本書紀』斉明五年七月三日条)、日本は隼人蝦夷などの異民族をも支配下にいれた大国かつ君子国であるという評価であった。いわば唐を盟主とする諸国の中での相対的に高い地位を求めるとともに、自らの小帝国であることを唐に認めさせようとしたのである。(石母田正天皇諸蕃』)

  

坂上康俊『日本の歴史05巻 律令国家の転換と「日本」』

さきにもふれたように、「日本国」は唐帝国との公的な外交関係では「天皇」の称号を用いることができず、実際には二十年に一度の使い――遣唐使――を送る唐の朝貢国位置づけられていたと考えられるが(東野治之「遣唐使船」朝日新聞社、一九九九年)、国号「倭」から「日本」に変え、「天」をつけた王の称号を定めたのは、唐帝国に対し、小なりとも自ら帝国として立とうとする意志であったことも間違いない。

実際、「日本国」は「蛮夷」を服属させる「中華」として自らを位置づけ、「文明」的と自任するその国制を、周囲の「未開」な「夷狄」におし及ぼし、国家領域を拡げようとする強烈な意欲を、その発足当初は持っていたのである

[中略]

このように、朝鮮半島に対しても圧力を加えて、朝貢を強要する姿勢を示す一方、「日本海」をこえてたびたび使者を送って交易を求めてきた渤海については朝貢国として扱うなど、「日本国」は自らを「中華」とし、帝国として四方に臨もうとしていた。しか東北侵略を止めた9世紀に入ると、こうした「帝国主義」的な姿勢列島外の世界に対する積極的な動きはしだいに退き、十世紀になれば、ほとんどそれは表に現れなくなっていく。

  

網野善彦日本の歴史00巻 日本とは何か』

日本が置かれている立場としては、唐への朝貢という屈辱外交をやめるためには、遣唐使派遣を中止するしかないわけです。しかし、日本は唐と断交して敵対的にのぞむ国力も、その覚悟もありませんでした。

いっぽう、遣唐使は唐の皇帝から賜った国書日本国王へ勅す)を持ち帰るわけにはいきません。日本が唐に朝貢していると認めることは、天皇の威信を傷つけることになるからです。

こうなると、実際には日本が唐に朝貢していることが明らかなのに、国内での建前としてはそれを否定してみせる必要が出てきます。要するに、「遣唐使派遣は朝貢ではない。天皇が唐に臣従しているという批判は当たらない」という建前をでっちあげ、国内的にはそれをゴリ押しすることで、この矛盾を乗り越えようとしたのです。

  

私がこのエントリ題名に「白紙に戻せぬ遣唐使」と付けた由来は、多分みなさんもご存知の、894年に遣唐使が廃止されたことを指す語呂合わせ「白紙に戻そう遣唐使」です。しかし、日本がほんとうに、この"遣唐使"的なるものを白紙に戻せたかというと、それは甚だ疑問です。為政者国内国外で異なる顔を見せたり、外交姿勢の実態と建前を使い分けているというのは、室町時代に明に朝貢して「日本国王」となった足利義満に、ほとんどそのまま適用できる視点だと思います

それに、このことは現代外交問題についても、重要示唆を与えてくれます。例えば政府国内に向けて愛国心ナショナリズムを煽っておきながら、それと同時に国外に向けて国際協調アピールをするというチグハグな状況は、まさにこの延長にあるんじゃないでしょうか。

あるいは唐側の視点で見ると、日唐関係はこんな見方もできるかもしれません。唐は日本がおとなしく朝貢するかぎり、細かいことに目くじらを立てなかった。唐としては蕃国をヘタに刺激して事を荒立てるより、多少その尊大なふるまいを黙認しておく方がメリットがあった。すなわち唐は日本と妥協しあって、朝貢関係があるとも無いとも、どちらとも言える状況を作りあげた。――こういう分析がどれだけ妥当か分かりませんけど、2国間に争いがあるとき玉虫色の決着をつけ、両国政府がそれぞれ自国民の耳に心地よい解釈で説明をしているというのは、これまた現代によく見かける話でしょう。

  

  

  

教科書の読み比べ

遣唐使についての解説が長くなりすぎましたが、じゃあここから、各社の教科書の読み比べをしていきます

  

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

遣唐使船はふつう「よつのふね」とよばれ、1隻に100人まりが乗りくみ、多い時で約500人の大使節団であった。

悪くはないですが、遣唐使について普通説明があるだけです。

おもしろい特色がありません。

無理に良い所探しをするなら、「よつのふね」という文学的呼び方を紹介し、その規模がいかに大きかったかを強調していることです。

華々しく飾り立てた大使節団というのは、それを送りだす側も、それを受け入れる側も、両国にとって国威発揚イベントになったと推測できますもっとも、沈没行方不明になることも多々あったので、華々しさとはかけ離れたのが実態だったかもしれませんし、どうなのでしょう?

  

  

  

桐原書店新日本史B』(日B 011)

  

……って、今回はここで文字数制限なのか。

引用をしていると、あっというまに文字数が膨らみますね!

つづきを書きました→ http://anond.hatelabo.jp/20170611234459

2017-06-10

天皇陛下の退位・譲位について少し思う。

明仁天皇上皇になり、徳仁親王天皇になる。

明仁天皇象徴としての務めが果たせない事を理由に退位・譲位する。

徳仁天皇個人が考える象徴としての務めの範囲が、明仁上皇と違うこともあると思うけど、

徳仁天皇象徴としての務めが果たせない・公務を続けられない事態が発生したら、

徳仁天皇も退位して秋篠宮文仁皇嗣に皇位を譲ることになるのか?

歴史上、上皇複数存在したこと自体は多くある。詳しくはないけど。

象徴としての務めが果たせないのに皇位に留まることになれば、

明仁天皇が退位した意味が薄れてしまうよね。※1

もし徳仁天皇が退位出来ないとなった場合

それはただ存在するだけで意味があるという状態になってしまうよね。

結局、特例で退位を可能にしたことは皇族減少だけじゃなく、

ただ問題を増やしてしまっただけなんじゃないか

※1薄れるっていうのは譲位する理由はいくつかあり、

例えば象徴として新天皇国民認知承認?されるには時間がかかるから

早めに位を譲る必要があるなど。

2017-06-09

元号

私が新天皇陛下に代わって、新しい元号を考える事になった。

よろしくお願いします。

本来宮内庁より正式に発表する事である

いんたあねっとの普及に伴い、

いんたあねっとで公表してみてはどうか?という提案もあったため

今回はいんたあねっとで公開する事になった。

さて、私の考えた、新しい年号日本人を表すいい年号である

日本は古来中国からの米伝搬以来、米を通貨同様に扱うなど米とともに来た。

新しい天皇の元でもう一度米の文化に従ってみるのはどうか?

「従米」である

西暦2018年1月1日より新元号に切り換わるので準備をよろしくお願いいたします。

ちなみに元号の決定権は私に一任されているためこれは決定事項です。

http://anond.hatelabo.jp/20170609221336

全く逆だから天皇権力認証組織じゃなくて権力同士を争わせ国を乱す機関平家源氏を争わせ、足利新田、豊臣と徳川江戸幕府薩長を争わせ、常に力はないけど権威によりキャスティングボードを握ろうとして日本中に乱を巻き起こしてきた。

だいたい王朝なんかが残ってる国よりも、ちゃんと革命して王家をぶっ殺して市民が選んだ大統領トップに据えられてる国のほうがマトモでしょ常識的に考えて。血筋だけで偉いっていう最大の不合理を民主主義社会に持ち込んで平然としてるのが馬鹿げてるよ。

元号

私が新天皇陛下に代わって、新しい元号を考える事になった。

よろしくお願いします。

本来宮内庁より正式に発表する事である

いんたあねっとの普及に伴い、

いんたあねっとで公表してみてはどうか?という提案もあったため

今回はいんたあねっとで公開する事になった。

さて、私の考えた、新しい年号日本人を表すいい年号である

日本は古来中国からの米伝搬以来、米を通貨同様に扱うなど米とともに来た。

新しい天皇の元でもう一度米の文化に従ってみるのはどうか?

「従米」である

西暦2018年1月1日より新元号に切り換わるので準備をよろしくお願いいたします。

ちなみに元号の決定権は私に一任されているためこれは決定事項です。

http://anond.hatelabo.jp/20170609215027

馬鹿だなぁ

天皇大化の改新の後から権力者認証する組織になって神格化されていった。

平安、鎌倉室町戦国江戸明治戦後天皇認証が無くては権力が維持できなった。

もしも皇室がなければ「朕は天皇なり」という名門の末裔が全国から湧いて出て争いになる。

王室もつ国家は全世界にたくさんある。歴史現実を見て欲しい。

左斜めから見ると世界おかしく見えるぞ

http://anond.hatelabo.jp/20170609220350

国を守護するためには神道じゃダメだ!って天皇自身が認めちゃった結果天皇仏教徒仏教国教になって日本中寺まみれに坊主まみれになったわけだからね。「我ら天皇家天照大神の子孫であり神の一族である」ってぶち上げたならそれに殉じて欲しいところだけどね。

日本史理解してない明治脳の奴ら

武士の世になってから「なんか邪魔なんだけど排除するわけにも行かないしなあ・・・」と思われながら貧困状態適当に放っておかれた天皇という存在を「日本には誇り高い天皇家という王朝があるんだ」とか言ってる奴らがね。そもそもマトモな文明国であれば王朝なんていう古臭い非合理な存在は「中世じゃないんだからww」と生暖かい目で見守る程度に留めておくけどね。

元号まで変えなくても

天皇陛下の退位に関する特例法が成立した。

それはいい。

しかし、別に退位に合わせて元号まで変えなくても「平成」のままで行けばいいじゃないか

過去、何度か知人にこういう話をしたが、みんな鼻で笑うばかりでまともに取り合おうとはしなかった。

 

現実的に考えて、元号を変えれば日本中で膨大なコストが発生する。

一部のIT企業なんかは特需で潤う可能性もあるが、トータルで見ればどう考えてもマイナスだ。

であるなら、元号なんか変えなければいい思うのだけれど、なぜか世の中は天皇陛下の退位と元号の変更を分けて考えようとはしないのだ。

歴史的に見れば、一世一元は明治以降制度であって、実際、それ以前には新天皇即位しても元号が変わらないケースも存在している。

法律のことはよく分からないが、仮に現行法で退位に合わせて元号の変更が必要とされているのなら、当たり前の発想だが、これも特別法を作ればいい。

どう考えても、多大なコストをかけてまでして、元号を変えなければいけない合理的理由存在しない。

 

平成」をそのまま使い続けることに反対の人。

論理的反論があるなら、ぜひ教えて欲しい。

2017-06-06

核で焼いてアメリカ無自覚奴隷にするためにここまで育てたっていうのに手放すわけがねーだろ

わざわざ母国語英語でなく日本語のままにして、天皇残したのも閉じこめて自発的アイデンティティが育たないようにするためだぞ

GHQが頑張ったおかげで今の奴隷国家があるのに核で焼くわけねーだろ

2017-06-05

[]安倍総理デタラメ連呼して印象操作に勤しむ

国会ウォッチャーです。

 今日決算行政監視委員会は衆参両方で総理入りです。民進党に注文だけど、もうちょっと連携して質問内容リレーしてくんないかな。できないなら加計学園のことで勝負するなら衆院宮崎岳志参院桜井充議員時間全部使ったほうがいいですよ。質問の内容、順番、総理の答弁を予測した上でのきめ台詞に至るまで、全部不満。篠原議員の質疑はよかったといえばよかったんだけど、順番的には宮崎議員より前にしたほうが良かったし、公文書管理法見直せってつめたのは西村議員とかからもすでに聞いたときとおんなじ答弁してるんだから予測できたと思うんだよね。「がっかりです」とかじゃなくって、「明らかにする意思全然無いということでいいんですね。」、「要は隠蔽する気でしょ」と連発していかないと、ペーパー答弁返されるだけだよ。まぁ一年議員から仕方ないかもしれないけど、お行儀が良すぎる。

日曜討論での小野寺五典議員

まずジャブですが。これに関しては民進党大串博志議員も間違った発言をしているので、それも含めて、加計学園問題については宮崎岳志議員木内孝胤議員桜井充議員あたりを出さな民進党も良くわからない。まぁどっちにしろすぐわかるうそつくのやめて欲しいんだけど。

大串

「(略)今度は国家戦略特区として、首相議長をやっているところで、こういう形で決まっていると、行政がゆがめられているんじゃないか問題になっていて、そこで結局加計学園より前に(これは間違い)京都産業大学が手を挙げてたわけですよね。そっちは行かずに、結局加計学園だけ認められる。あっちの場合は広域的にという文言を入れたという話がありますけど、しかしそれはもう、大阪にあるからということで、京都、あるいは山陰地方で言うと必要だということは、京産大は言われていたのに、こっちは認めず、加計だけになったということも含めてですね。やはりそこに安倍首相意向が働いたんじゃないかということになりますから政府の責任ということは大きな問題になるといえると思います。」

小野寺

「今のは、かなり誤解があって加計学園が、愛媛のほうで先に申請を出して(これは正しい)、そして今さまざまな議論になってますよね、文書があって、京都のほうが提案したのは、その文書が出た後です(これは間違い)。実際に、申請書が出てるのは、その後なんですよ(これは確実にはいえないけど多分間違い)。ですからあの文書議論している最中には京都のほうはまだ手を挙げていません(これは間違い)。そういう意味で言えば、きちんと整理をすれば、片方を排除して、そちらだけを特定したわけではないということを是非ご理解いただきたい。」

 

 何をもって提案というかですが、今治加計学園提案したのは、平成27年6月5日京都京産大提案したというか内閣府側に意思提示したのは、平成28年3月24日区域会議での追加提案)、WG開催前の国家戦略特区最後の集中募集期間は平成28年6月17日から7月29日の間ですから正式様式を提出しているのが、遅かったとしても、この時期には提出しているはずです。平成28年6月8日公表されている、平成29年度国の施策及び予算に対する政策提案の中で、獣医学部の新設がすでに盛り込まれているので、京都府としては平成28年3月24日に、提案した、あるいは手を挙げたという認識でいるはずです。また京都府平成27年12月文部科学省関西連合知事松井一郎を除く)の連盟獣医学部新設の陳情をしているので、当然文部科学省はその意思も把握しています

 また問題文書平成28年9月26日ごろからのやりとりですから内閣府文部科学省はこの時期すでに京都産業大学の新設の意思を把握しています

 ということで、大串議員の「加計学園より前に」というのも間違ってるし、小野寺議員の「あの文書議論している最中には京都のほうはまだ手を上げていません」も間違い。印象操作はやめていただきたい。

vs宮崎岳志議員

一発目から、この前の今井雅人議員ときに、前川さんが自発的にやめたんじゃなくて、地位に恋々としていたと官房長官がいったことを、前川さん自身否定したといったときに、「ウソだよ」と安倍さんがヤジったことを受けて、「前川さんはうそつきだと思いますか」というすげぇ単純な質問から入ったら、3分ぐらいベラベラしゃべるしゃべる。しかもやっぱり答えない。自分が答弁席でヤジりまくってるくせに、開始20秒で「野次はやめていただきたい」、厚顔無恥もいいとこだね。

宮崎

「(夫人加計学園関係の深さをあげつらったあと)熟度の高い提案は、平成13年から出されている、この今治市事業のみだったと承知している、と答弁されている。しかし、実は、それは事実ではなかった。加計学園以上に具体的な提案が、京都産業大学から出ていました。加計学園提案はA4で2枚、引用文とか除けば実質1枚くらいですよ。京都産業大学提案は、23枚、熟度はずっと高いでしょう。しかも、この提案は、昨年の10月17日だったんですけど、5か月間もHP掲載されなかったんですよ。総理の答弁を聞いていたマスコミの人が、どうなってるんですかって指摘があって、答弁から3日後に慌ててHP掲載された、隠蔽ですよ、これ。先ほど、何十ページ出した今井雅人議員質疑での山本幸三答弁)と言ってるんですけど、ちっとも、モノを出してこない。それ全部、国家戦略特区関係ありますか?あるいは獣医学部関係あるものですか?はっきりしないんですよ。総理、少なくとも、熟度の高い具体的提案は、加計学園だけだったという答弁、これに関しては取り消されてはいかがですか。」

安倍

「その前にですね、随分委員印象操作でですね、いい加減なことをベラベラ言われましたから、少し、反論させて頂きたいと思いますが、まさに、ミャンマーの件は、既に外務省から答弁をさせて頂いたように、同行の経済界、そしてあるいは、ミャンマー場合は、学校への支援、等も含めて、ということで広く、公募をしたわけでございまして、加計学園だけ、ではありません。名古屋大学、あるいは、あー立命館のですね、大分校、等々もですね、応募をしてくれました。そしてこれは、結構ショートノーティスになってしまうんですよ。発表との関係においてですね。ですからいけない学校も多い中、加計学園は、いわば、応募をしてくれたわけでありまして、ミャンマー人職員の方、支局、また多数の留学生を受け入れている、また毎年毎年、外国人弁論大会を行っているんですよ。これは大きな大会なんですが、ミャンマー人も優勝しているんです。ですから当然のことなんですよ。そして、お疑いになった(政府専用機の)支払いを政府がやっているかのごとき質問を(宮崎:そんなこといってないですよ)質問をされて、空振りをされましたが、しっかりとですね、こちらはお支払をしている、ということ、で、ありますさらにですね、ウチの家内がですね、NPO等、これはね、加計学園がいいことをやっているんですから、それ、一緒にやるのは、当然のこと、じゃ、ありませんか(宮崎:だから持ちつ持たれつっていってんですよ)。いま持ちつ持たれつという言い方自体がですね、印象操作じゃないですか。いいことを、たとえばミャンマー小学校を作ったりとかですね、そういうことを、やっているんですよ。ですから私は当然のことだろうと申し上げているわけでありまして、またグレートフォールズの小学校についてですね、訪問して、ミッシェルオバマ、という話も、大統領夫人も行かれた、ということも、おっしゃったわけでありますが(長いよ)、そ、や、ここはですね大切なことなんですから、言わして下さいよ(宮崎はいちょっと聞いてください。ここ、この学校において、学校においては、まさにこれ、日本語カリキュラムがあります。これ、ワシントンにおいてですね、日本語カリキュラムを維持するということは、大変重要なことでしてここには、上院議員や、下院議員や、シンクタンク、に、行ってる方々のご子息が通っているわけで、ここで日本語教育を、その御子息たちがですね、学ぶということは、日本に親しみを持つ、そういう影響力のある方が増えるわけでして、実はですね。日本語教育がですね、実は中国語に変わりそうになったんですよ。そこで、この学校姉妹提携を結んでもらう所を探してですね、加計学園がですね、手を挙げてくれたわけでありまして、そういう支援をしてくれたわけでありまして、1993年か4年には天皇皇后陛下も、天皇皇后陛下も、この小学校訪問されているんですよ。そういうことも、全く調べずに、全く調べずに(宮崎:知ってますよ)、あるいは、調べて、今、いや、待って、今、宮崎さんね、知っているにも関わらず、まるで、強引にこの小学校を選んだかのごとき印象を与えようという、自ら、これ、語るにおちる、語るにおちる状況と言っても、私は、いいと、思いますよ(この話はグレートフォールズ小学校姉妹提携昭恵夫人下村夫人が行ったと加計学園の宣材に書いてあって、そこに安倍夫妻がオバマ夫人と訪れた、というような話で外交日程を加計宣伝につかったんじゃないかという話)。そこでですね、そこで、加計学園につきましては、これは、提案があったのは、これは、福田政権、で、ありまして。えー、これは第12次でありまして、第12次であります。で、そして、麻生政権でも、よろしいですか、今、喋っておりますから質問したんですから、よく聞いて下さい。そして、福田政権、が、まず対応して、安倍政権では、そもそも受け付けてないんですよ。第一安倍政権では出さなかったんです、その時も友人でありますが、出していません。出したのは、福田政権、で、あります。そしてそこでは対応不可、麻生政権でも対応不可だったものが、鳩山政権では、これは、第16次で、22年度中を目途に速やかに検討と、なっております。そして、その提案には、大学設置母体は、学校法人加計学園と、これ明記されて、いる、わけで、あります。いいですか、この、明記されてる、いわばこれは、まさに、あなたたちがおっしゃっている加計学園ありき、要するに、加計学園ということで、皆さんは、そこで、22年度を検討、そして、第17次、において、も、22年度中を目途に、速やかに検討、となり、そして、菅政権においても、速やかに検討、そして野田政権になっては、24年度中を目途に、速やかに検討、となった、わけであります。いわば、速やかに検討、という事になってきて、この間ですね、ずーっとですね、いわば、加計学園は、これについてですね、申請し続けているのは、事実、で、ございまして。そして、安倍政権になってもですね、これは、22年度(読み間違い)、あるいは、22次2324次、ときて25次26次とこうきているわけであります。こういう経緯であれば熟度が高まっていると、こういう答弁でまったく問題ないのではないかとこう思った次第でございます京産大の熟度と比較しろってきいてんだけどね)。」

続きはトラバ

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん