はてなキーワード: 判別とは
「……分かりました」
あくまで個人的な推測でしかないと念を押して、男は話を続けた。
「この両社が行っている戦いにおいて、勝負の決め手とは何だと思いますか」
だが、一企業がテナント戦争で国家戦争レベルの武器なんて使ったら大問題だろう。
そして耐久を上げすぎれば、決着が一向につかない。
この戦いはプロモーションの側面もあるため、多少の競技性を持たせる必要があった。
そのためには、ほどほどの威力、ほどほどの耐久力でなくてはならない。
技術的なアプローチをしすぎるとウケが悪いから、レギュレーションを設けているってわけだ。
「じゃあ、何が勝負の決め手になるんです?」
「瞬発力、反応速度でしょうね」
反応が早ければ攻撃までのタイムラグも減るし、回避もしやすい。
武器の威力や耐久力で差をつけられないなら、的確な攻撃こそ重要になってくる。
では、その反応速度を上げるには、どうすればいいのか。
「方法は色々とありますが、最も効果的なのは識別コードの単純化でしょう。複雑な処理を介さなければ、対象をスキャンしたと同時に攻撃が開始できます」
だが、それは敵や味方はもちろん、スキャンした対象を大雑把にしか判別できないことを意味する。
あの時、あの場所に母がいなかったとしても、いずれ誰かが被害に遭っていただろう。
「ロボットの反応速度を上げるために、わざと誤爆上等の作りにしていたってことですか!?」
「何度も言いますが、これは自分の推測でしかありません。何らかのバグ、設計ミスという可能性も大いにあります」
というより、真実がどうあれ“そういう結論”にしてくるに違いない。
そんなことを言ってしまえる企業に、誰も金なんて払いたくない。
それは企業側も分かっているだろう。
取り返しのつかない状況になったのなら、せめてマシな言い訳をして傷を浅くするしかない。
最も深い傷を負った母にとっては、堪ったものではないだろう。
いま自分の中でフツフツと煮えくり返る腸すら、機械に取って代わられている。
そのことを思うと、尚さら怒りが湧いてきた。
「ですが医療関係の技術はラボハテが専攻していたので、マスダさんの治療は我が社の主体で行い、金銭面での補償についてはシックスティーンが……」
そこから、医者らしき男は詳しい補償や母の容態について説明を始めたが、まったく耳に入ってこなかった。
この時、母の頭の中はシックスティーンへの暗い情念で溢れていたからだ。
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自分の好きな作品を深く考察する、というのは本来は知的な行いであるはずだが、どうにもイメージがよろしくない。特にウェブ上で公開されているような考察は、ほとんどが行き過ぎたこじつけで、作者もそんなこと絶対考えていないだろとしか言いようがなく、その独りよがりっぷりが気持ち悪くさえある。俗に考察厨と呼ばれる彼らだが、何故あのような状態に陥るのだろうか。そもそも考察は見ていて明らかに良し悪しを感じるが、これはどのような基準によるものなのだろうか。考察厨について考察するというメタなことをやってみた。
まず初めに分かっておかなければならないのは、考察(解釈)は自由であるということだ。考察ができるという時点で、それは作中で明示的に語られていない事柄があるということで、それをどう解釈するかは読者に委ねられている。しかし自由だからと言って好きにしてもいいのかと言えばそうでもない。何故なら考察者は作品に隠された作者の意図というひとつの正解を目指しているからだ。つまり考察とは答えの無い問題ではなく、答え合わせの無い問題なのだ。これこそが考察において誤解してはならないポイントであり、最も難しい所でもある。考察者は答え合わせの無い環境で、自分の評価を自力で客観的に評価してやらなければならないのだ。
さて、考察厨の考察で最もありがちなのは、何が何を暗示しているだの、象徴しているだのといった情報を思いつくままに書いてそれで終わってしまっているパターンだろう。作品は無数の要素から構成されており、暗示的な意味など実のところ、いくらでも抜き取ることができる。考えついた人にとってはもっともらしく思えるし、考察者に対して肯定的な人間なら「すごい! そんな意味があったなんて!」と言ってくれるかもしれないが、傍から見るとふって湧いたように唐突なものとなってしまう。これは要するに作者が意図して秘めた要素でない要素を解釈してしまっている状態である。難しいのはこの種の解釈は正解ではなかったとしても間違っていると云う根拠も示せないところだ。多くの人が感覚的におかしいことは分かっても、それを説明することは難しく、結果的に客観性のない考察が横行してしまうことになる。
では、正しく、そして作者の意図に沿う考察とはどのように行うべきなのだろうか。指針となるのはずばり、作品のテーマ、文脈(コンテキスト)、あるいはストーリー構成といった作品に対するマクロな視点である。何らかの意図を込めてデザインされた作品は、論理の展開にも似た一定の流れを踏んでいるものだ。最も分かりやすいのは作品の結論、あるいは一言で言い表した場合のテーマなどで、これは大抵の作品においてクライマックスやエンディング、あるいはタイトルなどの中で分かりやすく提示される。この結論が分かれば大まかなコンテキストを逆算することができ、それに沿う形で抜け落ちた部分を考察していけばいいのである。逆に言えばコンテキストの中で役割を持たない暗示については無視していい。正しいかどうかの判断ができないし、作品作りの過程で偶然そうなっただけの可能性さえあるからだ。
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』はタイトルが作品のテーマとなっている分かりやすい例だ。作中で主人公は、「ライ麦畑で遊んでいた子供が崖から落ちそうになった時キャッチして助ける、そういう人になりたい」と語ってる(手元に無いので不正確かも)。当初は抽象的な話として語られているが、物語として考えるなら、この話は主人公が『キャッチャー・イン・ザ・ライ』になった所で終わるのが一番自然だろう。そこで『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の具体的な意味が示されており、当然その対になる『崖から落ちそうになっている子供』も存在しているはずだ。ここまでは読めば明らかなことで、考察というより読解のレベルだろう。(とはいえ、このことさえ分かっていない人もいる。念のために言っておくと、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』は中二病の人ではなく、中二病の人を『助ける人』こそが主題だ)
ここで定番の『赤いハンチング帽に関する考察』を見てみよう。この考察では、帽子を受け渡すシーンが『キャッチャー』と『子供』の役割の交代を示している、とされている。成程、たしかに主人公は『キャッチャー』になれただろうが、作品を通して『崖から落ちそうになっていた』のは寧ろ主人公の方だ。相手が一緒に『崖から落ちそうになった』結果、主人公は踏み止まった。『キャッチする』と同時に『キャッチされた』とする解釈は、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』がつまりどういう人なのかということをより具体的にしてくれている。作者がその解釈の手助けとして『帽子』という象徴を仕込んだ、とするのは非常に合理的で腑に落ちる話だ。コンテキストに沿った上でコンテキストを補強している、まさに美しい暗示の好例と言えるだろう。
このように考察とコンテキストは相互に補強し合う。ゆえにコンテキストを意識することが考察の最大の指針であり、評価基準となるのだ。
最後に実際上の話として、考察文の取捨選択について触れておこう。考察というは時に長大で、全て読むというのは結構な苦労を伴う。一目で考察の良し悪しを判定できる手段が欲しい、という気持ちは共感できる人も多いだろう。実のところ、このコラムを書いたのは、これを自分の中で纏めておきたかったがためだ。まず経験的な話として、悪い考察文というのは得てして読みづらい。その理由は実はここまでの話で明らかになっている。考察者が全体のコンテキストを意識していない場合、部分部分の考察が全体の中でどういう役割を持つか分からない。つまり、情報としてバラバラで一連した意味が分からなくなってしまうのだ。一貫した流れの無い文章は読みづらい。これは正しい考察の工程と一致しているかどうかと同義、つまりは『読みにくい考察≒間違った考察』であると思っても構わないわけだ。厳しく判別するなら、最初に考察者が全体のコンテキストを明示しているかどうか、というのはひとつの基準になるだろう。全体像を共有する、あるいは用語を統一しておき、その上で個々の解釈を全体の各所に当てはめていく、というのは良い考察なら自然な帰結としてそうなるだろう(考察者が単に情報伝達に慣れていないだけの可能性は残るが)。逆に不味いのは部分の考察からスタートしているもので、これなら先に結論部分を読むのが良さそうだ。結論部分でも全体像に触れていない考察であれば読む価値は間違いなく無い。
自由の国の多様性の都市ニューヨークに住むアジア系の素晴らしい現状がこれ。
領事館からのメールで「アジア人ヘイトクライムが増えているので、肌を出来るだけ覆って人種が分からないよう心掛けて」って来てたけど、何も後ろめたいことがあるわけじゃないのに自分のルーツを隠さないと安心して生きてけないって凄いストレスよね。これが自由と多様性の象徴と謳われたNYの現状と。— KSTN@NY (@kstn9) March 4, 2021
アジア人ヘイトクライム増加を受けて、領事館から「必要な場合は(人種が分からないよう)外見の露出を減らすように」連絡が来たけど、今なんて帽子とマスクで目と髪の一部しか出てない状態なのに、それでも俄然アジア人だって判別つくからどうしようもないよね。。アイメイクを超濃くするしかないのか🙄— Eri@「コアの強み」発掘家🇺🇸 (@cassiopeia_1987) March 4, 2021
ところで、我が差別大国ジャップランドにおける外国人へのコロナ関連ヘイトクライムは何件認知されてるの? 1,000,000件ぐらいかな?
今日にでも「三国人がコロナをバラ撒いたらしい」とかいう流言飛語に乗せられたネトウヨ暴徒が東京の路上で98年ぶり2回目の大虐殺事件を起こしそうな治安状況なんだよね? 歴史から何も学ばない日本人は最低だな!
「日本鬼子の右翼分子が逆恨みして同胞を殴ってるので東京では外で中国語を話さないように」
「バカ記者が日本に変異型ウィルスをバラ撒いたせいで、極右日本人が『神州を汚した毛唐どもを攘夷してやる!』と噴き上がっているので、外出する時は白人と分からない格好をするように。女性はブルカで全身を隠すことを推奨。肌を出して性犯罪に遭っても自己責任」
と自国民へ注意喚起ぐらい出してるんでしょ? ニューヨークの日本領事館みたいに。
いろんな考えの人がいて、いろんな意見を言ったり言わなかったりして、人間はめんどくさいなあ。
ARが発達して、この人は優しくして欲しい人、この人は普段は距離を置きたい人だけど今は甘やかされたい人ってのが判別できたらいいのになあ。
猫はいいよなー。
ニャアニャア言うもんなあ。
ニャアニャアニャアニャアニャアニャアニャアニャアニャアニャアうるさーい。
・基本的に賢い子のほうがえろい
・優秀でかわいい子ほどピル飲んでるし中出しセックス楽しんでる(ただし相手は選ぶ)
・信頼関係さえできればハメ撮りされるの好きな女子は意外と多い
・女子は基本的に自己肯定感高めてくれる男が好き(住む世界が違うレベルの美女は除く)
・人妻はとにかく都合さえよければ信頼関係構築しやすい(家が近い、口が固くて隙がない、旦那よりいいセックスしてくれる)
・仕事ばりばりやってる系OL、自分がいないとバイト回らない系JDは話ちゃんと聞いて頑張りを褒めてあげれば信頼関係構築しやすい
・不思議系女子にはこちらも意図して斜め方向からのレスポンスしてたら面白がってくれて信頼関係構築しやすい
・性欲爆発してる系女子には最初からハメ撮りとか見せるとすぐ興奮するのでセックスしやすい
・フェラ好き女子は2人で飲んでるときにいいタイミングで顎に手を添えるようにして唇に指持っていくとすぐ舐めてくるから初対面で判別できる
アメリカ:確かにその開発コストは低いが、重要な関連パートの開発コストは含まれていないためだった。
ドイツ:確かにその開発コストは低いが、新技術が力を発揮するのは特定条件下のテストでのみだった。
日本:確かにその開発コストは低いが、サービス残業によって人件費が異常に低いことによるものだった。
中国:確かにその開発コストは低いが、核心部分が他国で開発された技術を諜報により得たためだった。
ロシア:確かにその開発コストは低いが、他国ではまず選択肢に入らない危険な技術を含むためだった。
イギリス:そのような技術の開発を行おうと思っていなかったので、他国には画期的なのか・低コストなのか判別がつかない。
ぜひ修正や追加などしていただければ。
Think clearlyやThink Smartで有名なスイスの有名実業家ロルフ・ドベリ氏の最新刊より要約
これ反論できるか?
なかまをふやすためにいじめをしたり敵をつくって反抗したり悪態をついたりするけどいじめられる側ってなかまをふやそうとも問題を解決するための努力をしようともしていないようにみえるけどいじめられる側になにも非がないとしてなにも対策を講じないのはいじめが悪いことだと言っているかとるに足らない事だとしているのとかわらないのでは?
問題をまず問題だとするのに自分がうけているいじめをともに不快だと感じてもらうための方策が必要だよね
自分がつらいのとかってどうやれば共感できるのか 共感に関しては男子よりはるかに秀でているといわれる女子のいじめのほうがより陰湿で凄惨なことを考えるといじめで仲間をつくる方法はすでに正解が見つかっているようだけれども「いじめられていることについて問題性を共感する」方法がいまだになにひとつないという証明になっているかもしれない
ということはつまりまずなにより「いじめが悪い事である」ということを解決に向かわせるべくなにより問題であるということと、具体的にどう解決するかを対策すべきなのじゃないかな
「かわいがり」と称して常識出来ではない練習量を課すことがいじめなのかどうか おきもちなんじゃないのってことを本人の限界を第三者が勝手に推し量って無理って言っていいかどうか
無理を繰り返すことで成功した偉人の話はいじめを正当化させかねないから禁止とか
実際いじめにみえる程度に指導しないとどうしようもない性格してたとかしてなかったとか
その人に与えたストレスが将来的に得になるか損になるかを総合的に判断できてしかも予知的な事に補償も用意できる第三者的な組織がそれをいじめだと判定できないと
どのみち個人がそうおもったから助けたとか手をだしたとかしてもあとから考えたら望みをかなえてもらったおかげでいま不足していることや損がでてるということになるかもだよね
ひとりにしといてとかほっといてとかをリーダーにさせたり仲間うちで話題にしたりからんできてうざくてそれっていじめだよっておもってたけど社会にでてから役立つとかあるかもしれないし
逆にほっといてあげたらコミュ障でひきこもって毎日子供部屋からオンラインゲームに常駐してて軍師みたいなアドバイザーになりたいとか言ってるそれって「望みをかなえてもらった」結果なのか疑問だし
傍観してるってのは個人が何人あつまって傍観しててもとめようもないし止めたらいいのか止めないほうがいいのかそれがどの程度悪くてどこまで関係性を突き崩すべきか判断しようがないと思うんだ
ガイドラインとかつくってそれ以上のストレスは与えられるべきでないとしたり 基準値をこえたらどう対処するかを明示していてそこに圧倒的な力量で介入される準備がないと傍観者って何人あつまっても結局傍観者でしかないから最大数の傍観者でいうところの「当事者以外のみんな」が傍観者で しかも無言なら肯定といわれたらもうそれは世界が肯定していることになるのでいってみたらいじめは正当化されてるともいえなくもないよね
ガイドラインがあればね 本人も選択できると思うよ 基準値以上のストレスがないことについて問題を考えるようなら過度なストレスを個人の選択で得られるようにしてもいいと思うし
与えることがいいことだとおもって指導目的でいじめをしている人はいないと思うのでコミュニケーションの達成目標もわかりやすく自己批判を他者に押し付けた鏡像の敵づくりとして行動化してるいじめをほかの目的で共通意識を育むように指導すればいいのだろうし たとえば軍隊的な特訓をなかよしチームに課していじめとかよりも強い団結心を養わせるとか
ガイドラインを作成するにあたっての環境調査でそういうのってわかるかもしんないよね
実際のところわたしたち個人が何人あつまっても政治も世間もかえられないので民主主義っていう同じ意見の人間があつまって10人が10個アイデアを持ち込んだら合計で100のアイデアができてしまうけれども
共通の認識としてお互いがまもりお互いが出し合ってお互いが守り合うというコミュニケーションが生まれるところのまずゼロポイントともいえる最初のあるべきあたりまえの多数決、10人のアイデアのうちの共通している
一つを一つのルールとして、段階的にほかの各のこり9アイデアの優先順位と譲歩内容をくみ上げていくべきなんじゃないの?
一個人が不快だといったから、権利を違反しているといったから、人権ひとつが10の平均よりも重いといきなり判別してなんでも言ったもの勝ちにしているとそれこそ
「いじめをうけている人間がいじめられているっていわないから、そんなの存在しないことになってしまってる」傍観者も存在しないし傍観者が個人の裁量でいいと思っていることを行うと
それ自体がいじめかもしれない あとからいじめだっていってもおかしくないと考えることもできるとかいうことになりえるんじゃないのかな
最終的におもったことまとめると
・個人がそれぞれ大きく声をはりあげたり、声のでかい人がまわりを巻き込んでそういう状況を局所的につくったとしても、そこだけの正義とかそこだけの悪とか判断してもそれはその局所的でのみ言えることで「いじめ」だとかそういう広義の単語の意味合いについてなんら影響するものではい
・環境を構成する個人たちが団体として行動をする指針をとりきめ、それを介入させる条件を作成し行動しないと意味ないのでは 意味ないってつまり言っても無駄だしやろうと個人でとりくんだところでそれが救済になるのか迷惑行為になってしまうのかもしかしたらいじめそのものであるかもしれない
・そういうとこから 意見があるなら意見を出すってだけはいじめとか迷惑行為そのものとかわらんし 悪い事をみつけて問題だと思ったり言い事だと考えて行動したいときにはまず「団体をつくろう」という行動に出るべきなんじゃない?
ってこと思いました
むしろ、レポートをパクって、採点官にばれないと思うのが不思議。テストをみるんだよ。同じレポートがあればそりゃ気がつくだろう。
なぜばれないと思うのかが逆に不思議。機械がマークシートで採点したって、ごく簡単な類似度判別でも検出できるだろ マークシートぐらいだと。
不思議な発想。
しかし成分表を見るとなんと8.9gがタンパク質なのにたいして28.9gが脂肪
さあどれだけ縮むでしょうか
まあ案じていたとおり1/4にはなりますわな
ダイスキャラメルの箱くらいのが焼いた後は爪楊枝さして試食に出てくるくらいのちびっこサイズですわ ワロスワロス かろうじてポークビッツには勝ててるかなくらいの
焼きながら出るあぶらがじゃぶじゃぶなので紙ですいとって捨てました
セルフ揚げ物だね
くしゃくしゃにまるめてビニール袋にいれて上からたらす・・のはビニール袋に穴が空きますのでやりません あと尻漏れでフライパンも焦げ付くのも面倒
ちゃんと折りたたんで入れて吸わせます 別に毒になるものははいってないしコロナがいたとしても揚げれば無毒
でももう全然じゃぶじゃぶなので3回吸い取らせたらあきらめてあとはお茶碗に捨てましたわ油
添え物はお昼のしゃぶしゃぶに入ってた水菜ともやしと豆腐 というかそもそも夜もしゃぶしゃぶにしたかったけど(寝ていて食べてないくせに)断られた
クリームパスタがいいっていってたけど小麦粉たべすぎるとお腹壊すでしょ 昨日からパン5個だのカップ麺だの食べてるのにな
というかスマホのみすぎで食卓見えてないんだよな 水菜ともやしが見分けつかないっていってた
きこえのよさだけでメニューを判断してやがったので炒めものでも内容物を詳しく「コンビーフとおなじ味つけ」とか言うくせがついた
ちなみにキャベツとレタスもメガネしてないから判別がおくれてる
こういう食べてから文句いう偏食は「テーブルの上が実はろくに見えてない」ケースこれからふえそう
ここでオレガノの話してるやつ3年前からほぼ全部俺じゃねえかw
オレオレガノ
同僚女性が、おしゃれから降りていて、それが無敵に見えて羨ましくもあるが、同時にあれは許されるのだろうか?と疑問に思う。
彼女は10年前の、大学生だった時に買った服を大切に着ていて、その昔懐かしい雰囲気の服が職場では浮いている。ボアのついたショートパンツ、水彩画みたいなシフォンのミニスカート、ツインニット。トナカイと雪の結晶柄のパステルブルーのセーターは彼女のお気に入りで、冬場はよく登場する。ああ、昔こんなの流行っていたな、と彼女を見るたびに時間の流れに想いを馳せてしまう。
髪の毛も伸ばしっぱなしで、高確率で寝癖がついている。化粧も、マスクをするからと辞めてしまったらしい。日焼け止めもならないと話していたので、顔は冬場でもどことなく日焼けしているし、そばかすがある。
おしゃれは金がかかる。手間もかかる。時間もかかる。「この服好きだから着たいなあ」という思考と予算とTPO、あとは「いやいや30超えたらミニスカートなんか履かないでしょ」みたいな内なる声や世間の抑圧と、折り合いをつけていく戦いである。服以外にも髪型や化粧など、付随するものにも気を配らねばならない。そこを降りた彼女は、朝はたっぷり寝れるし、被服費もかからないしと満足げである。
でも一方で、時代から取り残された亡霊みたいな姿に自分がなったらと思うと寒気がする。彼女なりの選択なので悪く言いたくはないが、そういう服装や髪型は、世間から許されるのだろうか。ダイバーシティだからと尊重すべきか、「もっとTPOにあった格好したら?」と言うべきか。判別つかないまま、一年が過ぎた。
というかChromeのブラウザ拡張だけど、demadoってやつ、全ブラゲユーザー必携じゃん。
まあ欲を言うと足りない部分いっぱいあるけどさ。
元はTab Muterって拡張にショートカットキーを割り当ててそれをマウスボタンに割り当てることでアクティブウィンドウのミュートON/OFFを迅速に切り替えられてたんだけどこの拡張を使うと一部の拡張が効かなくなるせいか独自のリストウィンドウ上のアイコンをポチポチして切り替えるしかないのね、それはちょっと不便になったかな。
そのリストも並び替えはできないし、編集モードに入ってもウィンドウ位置や設定タイトルは変えられないんだよ。そこも任意で入力可能にしてほしいね。実際に動かして自動で記憶させるしかないってことは少し使ってたら把握できたけど、たまにバグって0,0に戻るし。
あとリストが項目ごとに自動で色分けされるのはいいけど4色って少ないよ。しかも緑と青緑が似すぎてて判別しづらいし。もうちょっと別のにできんかったんかい。せめて色コードも指定可能にするか、いっそ2色か単色でいいわ。
それから、なぜかタブを閉じるCtrl+Wのショートカットが効かなくなるんだよね。ウィンドウ開いた直後は効くんだけど、遊んでると効かなくなるのが謎。
というわけで以前のKaicy Window Operationってフリーソフトでウィンドウタイトル検出してリサイズ・位置決めしてた時よりもアドレスバー・ブックマークバー部分やページ内の上・左のマージン部分は減らせてスリムになったおかげで、たくさんの窓を並べられるようにはなったものの、完璧とまではいかないかな。
それでも十分神アプリではある。試してみてもいいんじゃないかな。作者日本人っぽいし。こちらからは以上です。
仙台市水道局は16日、青葉区の大倉川から油の臭いが検出され、国見、中原両浄水場の取水を停止したと発表した。他浄水場からの融通や宮城県広域水道の受水量を増やし、市内で断水は行わないとした。
地震による油の流出が原因のようです。職員の方々は大変でしょうね。電話対応しながら復旧に尽力していることでしょう。
単純な話、取水停止とは浄水場に入る水を止めること、断水とは蛇口の水を止めることを意味します。断水に関しては知識があまりないのですが、配水所(配水場)から市内への供給が止まるのが通常と思われます。
断水しないと言っても、浄水場とそこが送っている配水場はストップすると思います。その上で他の配水場がバックアップ運転を行っているのでしょう。
https://www.suidou.city.sendai.jp/nx_image/01-jigyou/01-501-13.pdf
仙台市内の浄水のマップを見る限り、中原浄水場からは複数の配水所に水が送られ、そこから市内に水が供給されています。配水所からの水も一部が他の配水所と通水しているのがわかります。
今回のような灯油流出が発生すると、まず被害の状況を確認して、オイルマットによる吸着や粉末の活性炭を投入を行います。それでも駄目と判断したなら今回のように取水を停止して浄水場の機能をいったん止めたりします。その上で計器類や様々な水の通り道で油が付着していないかを確認しているモノとおもわれます。もちろん浄水場によって対応のマニュアルは変わってくるでしょう。
この取水停止ですが、場所によっては頻繁に行います。計器の点検にともなって水の流れを止める必要があるケースがそれです。多いところだと毎月数回止めている浄水場まであります。取水を停止すると当然水を作ることが出来ません。ですから基本的には取水に合わせて浄水場からの送水も停止します。
送水が停止しても短時間であれば配水場のタンクの水だけで給水が可能なので、送水停止と断水はイコールではありません。送水を止められるのは配水場のようなキャッシュてきな存在があってこそです。
ただ、今回のように油流出だと取水も送水も数日止めることになります。小さな自治体だと配水場が多くなくバックアップもとれないと思いますが、仙台市はそうならず、断水に至らなかったようです。
オイルや毒物の検出は人間や機械によるものもありますが、たまに聞くのは金魚やメダカなどの水生生物によるものです。取水した水やろ過した水を水槽に通して魚の異常行動を観察するというものです。機械によって魚の動きの変化をみるという高度なモノもあれば、水槽をカメラで映して人間が観察するだけというシンプルなモノまで様々です。
ただこの水生生物による監視が有効性は、個人的に疑問です。毒で死ぬよりも、塩素が中和できずに死んだり、水温の影響を受けたり、魚特有の病気を発症したりのほうがお音ではないでしょうか?特に人間が見ているだけのケースだと、毒物による異常行動か判別するのは難しいかと。実績はあるんでしょうが、それより浄水場という素朴な施設における癒やしになっているんじゃないかと思います。あと話題性。
自動でエロ画像かそうじゃないかを判定するのって、今どきだとエロ画像集めて深層学習機に放り込むんだと思うんだけど(本当のところは知らん)
その時、肌色の面積みたいなもので判定されるように過学習される気がするんだよね。となると着衣セックスの画像はエロ画像と自動判別されないのだろうか?
Web小説が好きだ。なろう系とか俺TUEEEE(笑)なんて馬鹿にされるけど、スナック感覚で自分の叶えられない欲望を補うのに最適だし、無料で膨大な量の作品が読めるのは有難い。
もちろん全体的な質は低いが、ある程度慣れてくれば鼻につく一人称語りも、小説の作法に則っていない表記も殆ど気にならなくなった(顔文字や絵文字は未だに違和感を覚えるけど)。
Web小説はとにかく、「百合」を挟みたがる。とくにVTuberや配信者になる話はその傾向が強い。
女主人公VTuberデビュー → 同期と連絡を取る → コラボしよう?的な展開に → 気楽にオフ会をはじめる → !!!!百合描写!!!!あ゛あ゛あ゛ぁ????????!?!?!?!くぁw背drftgyふじこlp;@:「」
私は女の子同士のキャッキャウフフを「てぇてぇ」と眺めることが出来ない!!!!!!なぜなら!先天的に受け付けないorまだ百合に目覚めていないから!!!!!!!その上残念ながら、この先も目覚める予定がないのである!!!!
VTuber系の話が好きだ。大抵が現代を舞台としているので、自自分を主人公に投影して簡単に承認欲求が満たされる感じがするし、配信業で死ぬほど儲かったら気持ちいいだろうなという願望も含めてニヨニヨしながら読んでいる。
同業者との連携やライバル的な人物が出てくるのも好きだし、「伝説の先輩」が登場するとアツい。
しかし!!!!!!それらと主人公が「百合」 を始めるとなると!!!!!話はまた違ってくる!!!
百合の何がダメなんだと聞かれても、上手く答えられる自信はない。尊さが分からないというのが1番。
軽いノリの百合にありがちな胸の大きさ比べ、風呂での触り合いなんかにトキメキを感じず、なんか品が無いなと思ってしまうからかもしれない。女子同士のベタベタした交流が嫌いなのか?分からない、元々ネットの交流をリアルに持ち込むのが嫌いだから、それも関係しているのか、していないのか…。
正直百合モノはそれらしき絡みが始まった途端に切ってしまうので詳しくないが、とにかく何かがダメなのである。
いやわかる、私の悩みは「嫌なら読むな」の一言に尽きる。もしくは「自分で書け」、「自衛しろ」……
分かるけれども!!!!VTuber界隈は実際に百合カプで見る風潮があるとかも、理解してるけど……!!
男主人公のVTuberモノも好きだが、やっぱり私が好きなのは女主人公が頑張って配信をして、色んな人にチヤホヤされつつ周りと交流する図なのである。だから、ひたすらに主人公が配信業に邁進している小説を見つけ出した時は、大変嬉しい。
VTuber、配信者モノの作品はWeb上にごろごろ転がっている。しかし、そのうち私が最後まで読み切れるのは、ほんのひと握りだけ。百合が悪いんじゃない。作者も悪くない。趣向の間口を広げられない私が愚かなのだ。
あーあ、百合が好きになれたらなぁ……。
追記2021/02/13
コメントを見て腑に落ちたけれど、私は百合が絶望的にダメなのではなく、女子同士の絡みなのに急に露骨な「作者の欲望」が出てくる描写がダメなのかもしれない。
思い返せばTS転生した元おじさんが同級生(女)の着替えに興奮する場面も嫌いだし、というか出会い頭で胸と太ももについて「素晴らしい」とレビューする男主人公も嫌いだし、多分というか絶対そうだ。
そういった一部の受け入れられない描写を覗いた、純粋な精神的な百合なら読める…のかな?
まあ胸比べ云々が百合描写であるか男性向けの描写であるかの判別って(私の中では)あんまり付ける意味がなくて、結局言いたいのは
「自分のハマったジャンルが生理的に受け付けられない描写で溢れ返った地雷原でした。自分の体が地雷に負けない屈強な体だったら(になれたら)良かったのに!無念!」
ということです。