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はてなキーワード: 個人とは

2024-06-13

anond:20240613083448

男は若い女が声を上げると

発狂してガチボコに叩きまくり

個人特定脅迫学校特定

レイプ予告するじゃん

それも全部経験済みだよ今のおばさん若い頃に

 

それをやるくせにしれっと

「いやいや若い女は声をあげてませんからねえ(声をあげたら殺すぞ)」

なんて恥知らずなことをいつもやっているのが男なのだ

 

ちなみに若い女にもお前らの習性はバレているので遊んでもらえない

若い女にだけは好かれているはずという可哀想妄想を捨てろ

誰がお前のこと好きやねん

anond:20240613000514

案外youtuberになって、スパチャで細々生きてそうだよな

個人収益化の時代がもうちょっと早く来てたら、低能先生もあそこまで困窮しなかった可能性すらある

2024-06-12

anond:20240612234812

論破されて個人見解ってことにするのかっこ悪すぎて共感性羞恥で死にそう

anond:20240612183556

さすがにスマホの中身勝手にみるのはヤバイわ、個人の一番触れられたくないところだろ

それされたら嫁のことなにも信用できなくなる

anond:20240612195500

個人差めちゃくちゃ、まじでめちゃくちゃある定期

少女小説、もしくは「女性向けラノベ」とラノベ関係

言いたいこと:少女小説ラノベに含めても無視してもボコボコに叩かれる」という難しい状況がある。

女性けが省かれるラノベ150選

いま、ライトノベルオールタイムベストを選出する作業が進められている。

ラノベ社会に認められるためには、売り上げだけが唯一の評価である現状では差し障りがある。文化としての成熟には体系化と批評存在必須であり、その一歩としてたいへん意義のある活動と言えるだろう。

その暫定的な成果であるラノベ150選が先日公開された。

あくまで叩き台であり、作品数的にもより拡張した形を目指していくようだが、現時点でも各年代に目の行き届いた、ラノベ歴史の流れを俯瞰できる内容となっている。

ただ、この手の企画はどのような基準で選んだとしても、あれがないこれがないという不満はどこかから出てしまものだ。ラノベ150選も例外ではない。

その中で今回特に目についたのが、「女性向け作品がない」という声だ。

これに対する企画者の返答は、女性向け作品については単独ガイドブック等が先行して存在しているから、というものだった。

合理的判断だと思うのだが、これでも納得していない人は多い。少女向けをないがにしろにするのか?と憤慨し、容赦なくボッコボコである

増田は、ライトノベル少女小説(もしくは「女性向けライトノベル」)の歴史のものについてはともかく、ライトノベル少女小説との関係性についてはちょっとした知識がある。

今のままでは企画者氏があまり不憫なので、これについて簡単解説しておこうと思う。

「ソノラマ・コバルト系」から始まったライトノベル

用語としての「ライトノベル」が誕生したのは、1990年

ニフティサーブSFファンタジーフォーラム内で増えてきたある種の若者向け小説話題を別会議室独立させるにあたって、管理人神北恵太氏が命名したものである……

といった事実は、ラノベ史ではすでに常識と言っていい情報だ。

もちろん名前はそうでも、ジャンルとしてのラノベ自体が90年に突然生まれたわけではない。起源をいつとするかは諸説あるものの、ラノベ作品はそれ以前から存在していた(存在命名の順であってその逆ではない)

そのようなラノベ小説群は「ライトノベル」が定着する以前には、個人コミュニティごとにさまざまな呼ばれ方をしていた。そのうちの一つに、ジャンル代表的レーベルから取った「ソノラマ・コバルト系」というものもあった。

言うまでもなく、コバルト文庫少女小説代名詞というべきレーベルである。つまり命名の時点では「ライトノベル」は少女小説(の少なくとも一部)を当然に含むような形で規定されていたということだ。

(ここでの「少女小説」とは当時のコバルト文庫ティーンズハート文庫などのことであり、たとえば吉屋信子や創刊直後のコバルトシリーズなどは当然ながら想定していない)

以後、他メディア化の機会などの関係男性向け作品の方が存在感はあったものの、ライトノベル(的なもの)は女性向けを含めたひと塊のカテゴリとして扱われていく。

2000年代に入り、語としての「ライトノベル」が一般に定着して以降も、この認識はそれほど変わっていなかったはずだ。

少女小説ライトノベルではない

この状況に大きな変化をもたらす出来事が、2010年代前半に起こった。

まずは2013年とある文学研究者ツイッターでこのような発言をしている。

少女小説ラノベそれぞれのジャンルについての価値判断を含んでいるとまでは言わないが、これが少女小説の側に立った発言であることはまず間違いないだろう。

少女小説ライトノベルではない。

それまでの一般的なラノベ定義史観を覆す、非常に大胆な主張である

ただ、一部のラノベ読者が過敏に反応はしたものの、この時点ではアカデミシャンとはいえあくまでいち個人の主張に過ぎなかった。

それが正式な形で世に出たのは、2014年のことになる。著書としての刊行である

この本で研究者氏は丹念に事実を積み重ねた論証により、まさに「少女小説歴史的にライトノベルではない」ことを証明してしまったのだ。

詳細は省くが、

少女小説戦前から少女文化独自伝統を直接的に受け継ぐ文学ジャンルライトノベル戦後マンガ文化等の影響から新たに生まれた新興の娯楽であり、その出自からして全く異なる別物である

ということだ。

この、市井オタクではとうてい太刀打ちできない完璧な形の少女小説ラノベ論の出現により、少女小説ラノベ派の多くは白旗を上げて沈黙することとなる。逆に、少女小説ラノベの枠内で扱われることに不満を感じていた少女小説業界関係者・読者は、我が意を得たりと快哉を叫んだ。

日本文学研究者による恐らく初めての本格的なラノベ論ということもあり、この本はもともとラノベ少女小説に興味のあった人間にとどまらず、幅広い層の人々に読まれていった。今やラノベ関連の研究ではほぼ必ず参照される一冊となっており、アマチュアでもラノベ定義歴史を語るなら必読と言っていいだろう。

これによりパラダイムが決定的に転換し、少女小説ラノベに含めるような人間は、もはやそれだけで時代遅れな「分かってないやつ」の烙印を押されるまでになったのだ。

フェミニズム的な意識の高まりにより、女性文化少女小説)の功績を男性側(ラノベ)が都合よく収奪してきた、という構図に気まずさを強く覚えるようになったのも、この傾向を後押しした)

この空気の変化は以前/以後と呼んでいいほどに劇的なものであり、刊行から10年経った2024年現在にいたっても、更新される気配は特にない。

少女小説ラノベでなくても

お分かりだろうか。

まり少女小説は「ライトノベル」ではない、というのは、もともと少女小説サイドが言い出した主張なのだ

現在では、ラノベ定義歴史との関連で(特に男性の論者が)少女小説に触れる際には細心の注意が要求されるし、実質的にはほぼタブーに近い。

企画者氏がラノベ150選から女性向けを除外したのも、世間のその暗黙の風潮におとなしく従ったという側面がやはりあるのではないだろうか。

加えて企画者氏の場合は、かつて不用意にレジェンド少女小説作家を「ライトノベル作家」と呼んで、少女小説から激しい批判に晒された当事者でもある。そのため今度は、なおさら慎重に配慮したつもりだったのだろう。本人としては。

結論として今回の件は、気遣いがすれ違ってしまった悲しい事例ということになる。

少女小説読者といっても一枚岩ではないし、自分はそんな配慮ぜんぜん嬉しくない。多数派がどれだけ否定していても自分少女小説ラノベに含めるべきだと言い続けるぞ。という人もいるだろう。その気持ちもよく分かる。

分かるが、少女小説ラノベに含めても無視しても必ずどちらかからボコボコに叩かれることになる、板挟みの苦しい立場のことも少し考えてみてはもらえないだろうか。

オールタイムベスト企画者氏は現在文化としてのラノベ保全のため「ライトノベル図書館」の設立計画を進めており、クールジャパン予算を獲得すべく自民党国会議員に働きかけている。ラノベオールタイムベストはその陳情材料にもなる予定らしい。

こうした活動文化的な意義を踏まえた上で、できれば多少の意見の相違は呑み込み、振り上げた拳をどうかそっと下ろしてはくれまいか……

という、無関係第三者増田からのお願いでした。

レスゾーン

長え! 一番言いたいことを最初に置いとけよ。

追加しときました。

核心部分が何で匿名やねん

はてな規約関係っすね

ラノベルーツの1つは少女小説である」と「少女小説ラノベである」は意味全然違うと思うが(後者を主張してる人いる?)

ラノベオールタイムベスト”に、ある少女小説を推すとした場合、(少女小説全体やレーベル全体ではなく)少なくともその作品は「ラノベ」で(も)あることが自動的に前提となるのでは。

逆に言うと、ラノベではないがラノベオールタイムベストに入れろ、は通らない。

逆になんでそんなに熱心に漫画しろラノベしろ女性向けのもの排除したがるのがわからんモチベが怖い。

排除ではなく、少女小説の側がラノベに括られることを拒否した運動があった、という話です。

クール・ジャパンから公金を引っ張るために少女レーベル未分化期を無視するのは仕方ないキリッ されて、納得は出来ないですけど………

リストから少女向けを除外した理由(と思われるもの)と、批判トーンをなるべく抑えてほしい理由は、別々に書いたつもりです。

wikipediaより「1990年初めにパソコン通信ニフティサーブの「SFファンタジーフォーラム」において〜「ソノラマ・コバルト」などのレーベルから出版物に「ライトノベル」と名付けたことが始まりコバルト入ってるやん

はい

その話を本文に書いています

その、とある文学研究者って誰だよ。名前を出してくれないと分からないよ。2013年の事なら記憶にありそうなものだが思い当たる人がいない。

ツイートの件はともかく、著書の話を見ても心当たりがないなら、たぶんそもそも知らないんじゃないかな……

そんな知らん研究者お気持ちなんか知らんがな その研究者とやらが何言おうが150選選んだのはその企画者だろう

その「知らん研究者お気持ち」が定説化して力を持ってしまっているという現実があるのです。

 「女の扱いがわからいから透明にしておきました!」

たとえとして適切か分かりませんが。

ナンパ不快に感じるA子さんと、女をナンパしない男は無礼だと信じるB子さんがいるとします。二人のナンパに対する意識は、事前に外から判断できないものします。

この場合男性が取るべき行動は、ナンパをするではなく、ナンパをしないになるのではないでしょうか。

後者消極的不作為に過ぎませんが、ナンパ行為はA子さんにとって積極的な「加害」となるからです。

anond:20240612191744

子曰く、「激水の疾(はや)くに漂石なし。激水は勢いが激しいが、流れに乗せられれば、それに従うしかない。」と。

増田貴殿の問いに答えるために、兵法の教えを借りれば、一つの流れがいかに強烈であるかを理解するのが肝要です。

恒心教のようなネットコミュニティにおいても、強烈な集団の流れに身を置くことで、その勢いに影響される者が多いのです。

彼らが感じる承認欲求の満たされ方は、その集団の流れに強く影響されています

個人が持つ微弱な自己肯定感が、その集団の中で強化され、承認欲求が満たされたと錯覚することが往々にしてあります

また、増田が述べたように、ヤンキー悪乗りオタク集団で騒ぐのと何ら変わりはありません。

違いがあるとすれば、それは関与の形態メディアの違いに過ぎません。

共通して言えるのは、どちらの形態も「集団の勢い」によって個人が動かされる点です。

かの孫子も「勢篇」において、「衆を以て敵を撃つは、鼓鑰の利なり」と述べております

集団の勢いを利用すれば、敵を撃破することができる。

すなわち、個人意思集団に飲み込まれ、勢いに乗せられることで、自己承認欲求一時的に強化されるのです。

よって、恒心教の者たちも一種の「激水の兵」に過ぎず、その勢いに流され、承認欲求を満たしたと感じるのです。

最終的には、貴殿もその本質を見極め、広い視野物事を捉えることをお勧めします。

anond:20240612182312

ちゃんと困れや。

 

有識者有識者個人であって、ジャンル全体ではないという実感を持て

Q.

世間一般に対して「容姿で人を差別するのを止めよう」と主張しながら、個人パートナーを選ぶのに「容姿の好みを反映させるのは個人自由である」と主張するのは矛盾でしょうか?

A.

容姿について、社会的差別問題個人の好みの問題区別して考えることが大切だと思います

社会的差別観点からは、容姿理由に不当な扱いをすることは望ましくありません。就職や昇進、サービス提供などにおいて、容姿差別することは公平性に反します。容姿個人能力とは無関係であり、機会の平等を阻害するからです。このような社会的差別をなくしていくべきでしょう。

一方、恋愛パートナー選びは個人的な領域に属します。相手への魅力は容姿だけでなく、性格価値観なども含む主観的・複合的なものです。外見的な好みは個人自由に属する問題で、他者から干渉されるべきではありません。

従って、容姿による社会的差別に反対しつつ、交際相手選択では容姿の好みを優先することは、論理的矛盾しているわけではないと考えます重要なのは、それぞれの場面で求められる公平性自由の程度を見極め、バランスを取ることではないでしょうか。

社会全体としての平等の追求と、プライベート選択自由は、ときに緊張関係に立ちますしかし、一方を重視するからといって他方を全面的否定する必要はないでしょう。状況に応じたバランス感覚を保ちながら、差別のない社会の実現と個人の多様な価値観尊重の両立を目指すことが肝要だと考えます

anond:20240611121129

まあなんとなく言いたい事はわかる

わかるっていうのは「あなたの思っている気持ち理解できていて、それを会話で証明できる」ではないからね

一応、合わせて同じ方向で会話ができるとこちらが判断したという意思表明を「わかる」という単語でしていることを伝えておかないと

勘違いして「自分を複製を作って行動予測ができるってことなのか?それとも上辺だけの形だけの懐柔するためだけの添え物のうすっぺらい言葉なのか?」って

キレちゃうメンタルの人もいるから念のために言っておくね

柄のついた何でもいい、とかそういうのと比較するべくもない全然別物なので思い出の切れ端みたいなメモリーとして、記念碑的なものとして入れたり

コスプレの一環とまでは言わないけどなにかとつながっている感じを思い出すマークとして入れるっていうのは、あるとおもう

それは自傷行為も同じ面があって、全部が完全に同じだから代替ができるってわけではもちろんないし、選択肢候補として二つが同時にあがってくるわけでもないけど

それを言い出せばコスプレメイクも柄ものTシャツも同じだろうけど、自傷行為には近い状態で得られる感覚が別のところでも一致してるという点でわりと似てると思う

裸になったときについてるそれっていう事が、その思い出を振り返るときに使える場所雰囲気、状況みたいなものが似てると思う

自傷行為って、もちろん全部じゃないけど一部として、自分の体が無痛な時間それはそこにあるのかって不安なるみたいなものもある、もちろんそうじゃないものもある

その傷をつけるのが所有者としての印をつける安心感みたいなものじゃないって場合もあるわけで、その痛みを感じたという感覚の持ち主が自分である事に安心して、またその傷をあらためて見ることで

自分の体がそこにあったと確認したなあと、過去自分との連続性を感じて安心感をえようとしたりするんだ

もちろんそうじゃない場合もあるし、タトゥーだって全部が一致しているのは「皮膚にプリントする」以外は全部が違っていて同じ理由や同じものは一つとしてないことは前提にしていてほしい

男性は物を貰って喜ぶとか記念品に物を贈って残す、それに実用価値があることが多くあるし、もちろんそうじゃない男性も多数いることは承知だけど、ここで話題にしたい方向性として男性は物がプレゼントとして嬉しい

女性は花でその場が和んだとか言葉をかけたとか、体に受ける刺激の記憶なんかで思い出として記念を時点で残すことが多く、物の価値は変動するわけだからとくに拘りがないという方向性も多くある

そういう感じで記念を記憶するか記録するか、物として所持するかの一つだろうから表現として一時的メイクとか服装代用するというのとは、方向性として違うと思うんだよね

自分の体をメモ帳にするという意味で、それをメモ意味というのが日本ではまだ有用性が、というか今後もその有用性を持ってくる意義がないと思うのでそんな文化が出てくるとは思えないけど

メモ記載するという事は社会的にどう扱うか、どう扱われたいかという表明になると思うんだわ

入れ墨意図方向性主体が入れた本人個人ではなくて、社会的にその入れた、入れているという事についての意味や意義になるから一般的に「悪い・ダメなこと」のマークとして使われていて

そういう判断で見られるというのが現状だと思うし、実際それをそれ以外の方向に使う必要性がまったくないから今後もかわっていかないと思うんだよね

バーコードで実際に活用されるとか、入れている模様の種類とか色で何に属しているか表現できるとか、自分がなにものなのか、っていうのは移民とか入植者とかで人種地域がわからなくなり

仲間の見つけ方とか見分け方もわからなくて、それを知る時間のうちに命がつきてしまう状況とかでないと活用できないと思う

それが日本にはないんだよね

どこに属するも何を信じるのも自由で、それを人に押し付けられたり押しのけられたりしないからしたければしたらいいじゃんで終わるので自分を入場券やメモ帳替わりにする必要がない

だけど核家族もも一世紀ちかく続いてベビーブーム人口ピークに終焉を迎えて各個人がそんなに人生選択肢自由に選べなくなって属するため条件とか、自分の記録や経緯をどこにも残せなくなっていくと

それなりに意味とか意義とかでてくるかもしれないと思う

絶滅危惧種が残りの数を確認するためにつけるマークみたいな感じでも有意義だと感じられる方向性に変わるかもしれない

パートナーとか子供名前とか、体に彫っておかないとこの世のどこにも残らないってなると、そりゃ彫りたくもなるよね

業スーは業務向けじゃなく個人向けなんだが

ブクマカ業務向け扱いしててびっくりした

都会では業務向けなのか?

うちは地方都市なんだが、野菜も肉もパン冷凍食品菓子も全部そこらへんの業スーで買うぞ

でもちょっと遠いのと買いだめしいから週末に「シャッ!行くぞオラッ!」で利用する店だ

激安店だけど「スーパーは品揃え悪いしなー」で利用する店だ

コストコっぽいか楽しいなー」で利用する店だ

激安イメージなんてまったくないぞ


---

TODO: 業スーのブコメ自演

anond:20240612113640

家だろうと個人だろうと寺に寄付するのやめたらそのうち片づけられるけどね

長く残したいなら家にして子孫に託す感じになるだろう

anond:20240612113038

最近法事で寺に行ったら個人墓もあるらしいのを初めて知った

欧米では墓は「家」単位ではなく「個人単位で作るものなんだ

メタルギアソリッド4をプレイしていて、一番最初に驚いた点がそれだった。

ゲーム冒頭でスネークがザ・ボスの墓に敬礼するのであるが、なんで日本のように〇〇家ではないんだろう、と思った。

欧米個人主義って、こういうことなのかな。

anond:20240612052233

個人収入なわけ無いだろ😂

収益ってのは売上のことと考えて良いぞ👍(てか、収益と売上の違いは知らん、経営のことはよくわからんし)

anond:20240612032833

「100億円の収益を達成」てのは増田個人収入としての話?

あと収益というからには売上ではなく利益なんだよね?

過去を捨てて生きてきたので人生がなんか薄っぺら

常に過去を捨ててきたのでそれぞれのステージの厚みが数年分しかない。

幼稚園時代 クレしんに影響されたスケベキャラ

スケベ≒大人≒カッコイイ と思っていた。

スカートめくりをするとか河原エロ本を探すとかしてた。

なんかめっちゃ怒られたので辞めた。

辞めてからは内気な性格になり隅っこで本読んでた。

小学校時代 個人特定されたくないから書かない

恥の多い小学校時代を送っていた。

問題行動が多すぎて「内申点終わって人生終了するから中学受験しろ」と言われ中学受験

中学受験記念受験勢が入るような学校へ行く。

中学校時代 学校ではボッチでネットに入り浸って陰謀論アンチ活動

小学校時代自分がヤバすぎたのではと気づく。

目立ちたがりだったのが良くなかったのだと考え、学校ではひたすら影を薄めていたらボッチに。

でも承認欲求を満たした過ぎてネットにのめり込み陰謀論者に。

嫌いなゲーム芸人アンチ活動陰謀論の日々。

高校時代 ネットから距離を起きゲーセン通い

まりネットで頭がおかしくなってたことに気づきネット距離を置く。

家にいるとネットに入り浸るのでゲーセン時間を潰す。

そして格ゲー動物園入園民度ゴミになる。

大学時代 漫研という名の漫画村情報共有サークル

ゲーセン人間関係を構築すると変なのばっかと付き合うことになるから帰宅部は駄目だ、ということで漫研(読み専の方)へ。

時間ばかりあって金が無い大学生の集まりなので当然のように違法読書サイト情報を共有しまくることに。

個人利用で読むだけならセーフ!共有したらアウト!URLだけ教えるから自分で探せ!」を旗印に同人誌稀少本も含めて色々読む。

就活シーズン 人に言える過去がなにもない

奇行陰謀論アンチゲーセン違法読書就活ネタになるものが一個もない。

とりあえず業界研究やりまくって「ガクチカ就活ですよ。学生時代ことなんて社会に出たら忘れて頑張ります」でなんとか内定を勝ち取る(?)

社会人 無事ブラック企業

内定を勝ち取ったというより、まともな奴なら避けるような会社に応募した中ではまだまともな部類だったというだけらしい。

同僚もなかなかに奇行過去を持っていたが、それを平気で口にするからビビった。

そういうのリアルで言わないほうがいいっすよと思いながら「いやー自分ゲーセンに入り浸ってたぐらいでしたねー。灰皿投げてるとか都市伝説っすよー(自分も投げたことあるなんて言うわけねーだろ😅)」と話を合わせる。

このままだとヤバイなと転職活動をする。

社会人2 やや薄いブラック

ちょっとだけマシな会社に入ると周りがだいぶマトモになる。

でもやっぱホモカルチャー部活動でチン毛を焼いてたぜみたいなアホな過去を口にする人達もいたので転職活動

社会人3~ 過去を捨て続けるジョブホッパー

社会人になってから奇行がなくなったみたいに言ってたけど、実際にはどの会社でもキレ散らかして喧嘩してたりする。

から定期的に自分のことを誰も知らないコミュニティを求めて逃げ続けている。

人に話せる過去がない。

いつも直近数年分ぐらいしか本当の人生がない。

ライフステージ毎における最も印象的な出来事と言える奇行の数々は一切語らない。

幼稚園では本を読んで過ごしてました

小学校では受験勉強してるフリしてゲーム

中学校ではネットおもしろニュースにはまり

高校時代受験ストレスゲームで発散

大学ではサークル仲間と部室飲み

昔居た会社はなんとなく伸ばしたい方向のスキルが伸ばせなかったので転職しました

俺の主成分を一切取り除いた俺の知らない割と普通人生へと過去がすり替わっていく。

誰なんだろうコイツは。

たまに出会う「子供の頃からサッカー大好き!社会人になってからフットサルしてました!好きなチームは昔から地元のあのチームです!」みたいな人生めっちゃ一貫性ある人に出会うと人生の厚みというか、通された一本筋の長さにビビるんだよな。

俺の人生にもそういうの欲しかったんだけどさ、「幼稚園時代からセクハラ三昧だったぜ!」とか「中学時代出会った陰謀論が私の人生を変えました!世界「真実」を届けたいです!」とかじゃあヤバすぎるやろ?

人生出会ったアイデンティティが捨てるしかない過去だった人間はどうしたらいいんやろうなあ。

俺以外の誰も知らない奇妙な生き物のジプシーライフという形で芯が通っているといえばそうなんだが背骨としては縦横無尽に蛇行しすぎててなあ。

anond:20240612002511

代わりに聞いてきたで

ふるさと納税は、日本税制の一つで、納税者自分の住んでいる自治体以外の好きな自治体寄付を行うことで、その寄付額の一部が税金から控除される仕組みです。寄付を行った自治体からは、お礼として特産品商品券などが贈られることが一般的です。具体的な仕組みは以下の通りです。

1. **寄付**: 自分の住んでいる自治体以外の好きな自治体寄付を行う。

2. **控除**: 寄付額の一部が翌年の住民税所得税から控除される。控除額には限度がありますが、実質的には2000円の自己負担で済むようになっています

3. **お礼品**: 寄付を行った自治体から特産品などのお礼の品が届く。

### 自分地域行政サービス低下について

かにふるさと納税によって自分の住んでいる自治体に納められる税金が減ることになります。そのため、住んでいる自治体財政に影響を与える可能性があります特に多くの寄付が他の自治体流れると、自分地域行政サービスに支障が出るリスクがあります

しかし、ふるさと納税趣旨は、地方自治体間の財政格差是正し、地域活性化を促進することにあります都市部に集中する税収を地方分散することで、地方自治体独自の発展を遂げる助けとなることを目的としています

### まとめ

個人選択次第ですが、ふるさと納税を利用する際は、自分の住む地域の状況も考慮することが重要です。

2024-06-11

anond:20240611233014

つかねー

つーかねー、

個人のことは個人で始末つけろや」ってゆーてる雰囲気社会になったから、個人個人でほったらかしにしとるんやで

anond:20240611222619

完全にどっちかにつくってのは個人なら自由だけど

一国の政治家判断としては落第レベルじゃね?

クリエイター自由責任

クリエイター自由責任、というテーマについて色々考えたことをつらつらと書いてみる。長文。



俺は大学在学中から、もうずっと長いこと個人ゲームを作っている者だ。仕事をしつつ余暇ゲームを作り、すでに何作も公開している。大して売れてはいないので、あまり偉そうなことを言える立場ではない。

これまでしてきた仕事は、ゲームとはまったく関係がない。俺がゲーム業界に入らなかったのは、そこに入っても俺が作りたいものを作れないことを知っていたからだ。会社という組織は、自分の作りたいもの自由に作れる場所ではない。

俺には明確に作りたいものがあって、それは個人でも作れるものだったので、ゲーム業界に入る意味が俺にはなかったのだ。



本業の方では、いくつかの組織渡り歩き、それなりに人を束ねる立場になってきて、組織の仕組みというものがある程度分かって来たところだ。

日本企業は……いやもう少し主語を小さくしようか、俺が見てきた組織は、末端の従業員裁量はとにかく小さく、何をするにも上司承認を通さなければならない。個人自由創造性を発揮できる機会などはほとんどない。

そういう体制ディスりたいわけではなくて、それによるメリットもある。

上司承認を取ることで、自分の行動で何か問題が起きても、その責任上司転嫁することができる。そして上司さら上司承認を取ることで、その責任転嫁する。

そのように組織の中で責任を広く薄めることで、特定個人責任回避する。これは責任曖昧にして、組織社員保護するための仕組みだ。

しか普通会社はそれでよくても、自由創造性が必要な分野では、そういう体制はすこぶる相性が悪い。



クリエイター創造性を最大限発揮するには、何よりも自由必要だ。その点で、うまくやっていると思うのは漫画業界だ。

俺は、日本漫画成功している要因の一つは、漫画家が組織に属さず、組織から自由であるおかげだと思っている。もし漫画家がサラリーマンだったなら、漫画の内容をまず企画書にまとめて稟議にかけたり、1コマ修正するにも上司承認を通したりといった世界になるだろう。

編集者がそれに近いことをしているのかもしれないが、漫画家本人はしていないはずだ。もし漫画家本人がそんなことをさせられたら、稟議を通りやすテクニック組織の中での立ち回りばかりが優先されることになり、自由創造からかけ離れてしまう。

出版社漫画家にある程度自由裁量を与え、漫画家が創造性を最大限発揮できる体制を整えている。しかしそのためには、漫画家を組織の外に置く必要があるのだろう。

漫画家のような存在は、組織にとっては異端者であり、組織の中に組み込むことができない。漫画家がいなければ事業が成り立たないにも関わらず、その主役を組織の中に置くことができない。この辺に、日本組織運営の難しさがある気がする。



しか自由の代償として、漫画が売れなかった場合漫画家は収入の大幅減、連載打ち切りといった形で、その責任ダイレクトに負わされることになる。

サラリーマンであれば、たとえ大きな失敗をしても降格程度が済むことが多く、日本はいきなりクビになることは少ない。サラリーマン自由制限される代わりに、ここでも保護されている。

サラリーマンであってもかなり上の役職であれば大きな裁量が与えられるが、その代わりに大きな責任も取らされる。結局、自由が欲しいなら責任を負う必要があるのだ。



ゲームの話から少し逸れたが、ゲーム業界においても80年代頃のゲーム会社自由が気風が強かったのではないかと思う。いわばゲーム業界のもの異端だった頃の方が、ゲーム業界は元気があった。新しいものを作るのは、いつだって異端者だったのだ。

俺はゲーム業界いたことはないのでこれは想像なのだが、当時から残っている大手には、事業の規模が大きくなるにつれて社会責任が大きくなり、多様なメンバーが集まり大企業病に冒され、だんだん普通会社になっていったところが多いのではないか

任天堂なんかは今でも元気があるが、他に元気のある日本ゲーム企業は少ない。クリエイター自由ものを作れない環境から創造性は生まれない。



ともあれ、いまゲームを作るなら昔から存在するゲーム企業ではなくインディーズで作るのが一番だと思う。それがもっと自由創造性を発揮できる環境だ。

俺なんかは、別の仕事をやりながら余暇ゲームを作るという、いわば美味しいとこ取りでやっている。しかしそういうやり方では、所詮大したものは作れないとも思っている。本業ゲームを作っている人には、やはり及ばない。

それは創作に掛けられる時間の長さという意味でもそうだが、それ以上に、本業ゲームを作っている人は覚悟が違う。

これが売れなければ倒産する、失業する、借金を背負う、そういうプレッシャーを負うからこそ作れるものがある。自由責任は表裏一体だが、大きな責任クリエイターを追い込み、本気にさせる。それで潰れる人も多いが、それを乗り越えて初めて達成できるものがある。

俺にそこまでのことはできないので、それができる人は素直に尊敬するし、感服する。俺は、彼らと同じ土俵には上がらず、慎ましく自分の作りたいものを作っていようと思う。

anond:20240611192906

ワイは日本核兵器賛成やし、個人自衛力として銃の所持も賛成やで。

anond:20240318165802

昔「VTuberって何が面白いんだろう?」と思って切り抜きを片っ端から見たときに思ったことを編集してここに書いてみる。

VTuberというキャラクター

多くのVTuberキャラクター性を完全に個人のもの昇華しており、VTuber活動用のバーチャル人格形成している。

基本的ベースとなるキャラ設定を使って配信をしているが、思考性格各自の素なので(たぶん)、ボロが出るのは年齢や職業等の設定ぐらいのものになっている。

(わかりやすい例で言えば、高校生設定なのに「昔テレビナースのお仕事やってたじゃん」などといえば、お前今何歳やねんとなるが。リスナーも心得たものでそれで何か大きな問題が起こるわけでもない。)

これはつまりVTuberというのは単に顔出しの変わりにキャライラストを出して、キャラ付けの設定を守りつつ配信をしているというだけで、人間としてはそこまで特殊人達ではないということだ。

ネット上の性格リアルでの性格ちょっと違う人なんてのは無数にいるのでそれと大差ない。

「どうしてちょっと動くだけのキャライラストを設置する必要があるのか」と思うかもしれないが、何かの物体現象名称があると有用なのと同じように、ネット上の人格キャライラストを持たせることは様々な面で有用なのだ

主には実在性。名前だけでなく公式キャラクターイラストがあるということは頭の中で名前と顔が一致するようになる。

声があって、顔があって、キャラ配信者の動きに合わせてちょっとだけ動いていて、日常ちょっとした話に共感できる。それはもう実際に存在する人と変わらない。

ファンアートを書くのにだって便利だし、ファングッズを作るのにも便利だ。

ちなみに、これも特別なことではない。

例えばX(旧Twitter)では、ディスプレイネームアイコンを設定できるが、これと大差ない。

多くの人は無意識ディスプレイネーム(文字列)ではなく、アイコン(絵)でフォロワー判断している。

たまにアイコンを変更されると「誰だこれ?」となる現象は、そのアイコン(絵)でその存在認識しているからだ。



何を楽しむのか

基本的には“友達の家で何かをしているのを同じ部屋でガヤを入れている”と言うのと同じ感覚で楽しめると思う。

経験がある人とない人でくっきり分かれるだろうが、俺はそれが一番近いと感じた。

小学生の頃、近所の友達の家に遊びに行って友達が一人用のファイナルファンタジープレイしているのを見ながら横で話をしていただけで楽しかったアレだ。

これはVTuberに限った話ではなく、ストリーマーの配信を楽しむときは全部これだと思う。

喋りが上手い人ならラジオ代わりにすることもできる。

一昔前にスパチャが飛び交うことを揶揄してバーチャルキャバクラ(だったけ?正確な単語忘れた)と表現されたこともあったが、これは“そうしたい視聴者”がそうしているだけだ。

キャバクラホストに行く人でも、貢ぐ人と貢がない人がいるのと一緒で、貢ぐ人のほうが圧倒的に少ないのと変わらない。

実際に一人用のゲームプレイしている友達と一緒にいることが楽しいと感じられるかどうかは、波長が合うかどうかが重要だ。

例えば今回増田が見た、宝鐘マリン(ホロライブ所属)で言えば、ホロライブ基本的キャラクター性がかなり強めに出している(語尾/声色/設定など)

俺は基本的に見たホロライバーは見事に全員合わないなと感じたので、切り抜きを見ていてもヒット率が低い。

また、この人は喋りが面白いという評判の高いVTuberを見ても全然面白くなかったりするので、相性が良くなければどれだけ配信や切り抜きを見たってまた見たいとか応援したいとかい気持ちにはならない。

反対に、波長が合うVTuberを見つけられたら、気軽に友達の家に遊びにいけなくなった人間でも配信されていればすぐに遊びに行けるようになる。




応援したいという気持ち

俺はVTuberを見ていても別に応援したくはならないし、スパチャもしないし、チャンネル登録して配信があれば毎回見に行くような熱心な視聴者でもない。

興味があれば見に行くし、無ければたまに流れてくる切り抜きをたまに見るぐらいの人間だ。

ただ、応援したくなるという気持ちもわからなくはない。

俺にはハマっているゲーム配信者がいる(VTuberではない。)

チャンネル登録しているし、配信があれば見に行くし、極稀にスパチャもする。

これはVTuberかどうかではなく、単に“ハマっている”からだ。

容姿特別良いわけでもなく、声も可愛かったり、カッコよかったりするわけでもない。

ただ、とことん自分と波長が合う。

雑談を聞いていると落ち着くし、ゲーム実況をしていれば面白い

応援したいという気持ちは、毎日自分を楽しませてくれるそれを長く続けてほしいと思うからだ。

「そんなよくわからない個人にハマることなんてあるか?」と思うかも知れないが、これを芸能人(お笑い芸人アイドル)に置き換えてもいいし、野球サッカープロチームファンに置き換えてもいい。

俺も一時期プロ野球にハマったことがあるが、その規模を小さく自分スマホサイズ(PCサイズ)にしていくと、配信者(VTuber)を応援する視聴者になる。

そうすると応援したいという気持ちお金を払う先があれば、お金を払ってしまいたくなる気持ちになるものだ。

から告知をリポストするしいいねもするし、なんかお祝い事があればスパチャで祝ったりもする。

大手になればファングッズを買ったりファンクラブ(メンバーシップ)に入ったりだってするだろう。



VTuberを楽しめるかどうか

VTuberを楽しめるかどうかは才能がいる。

ここまで書いてきたように、VTuberは絵が配信をやっているわけではなく、ただの人間が絵をバーチャル人格(目印)として配信をやっているだけなので、まずその人格を認められるかどうかが重要になる。

これは中の人などいないという過激派になれという意味ではなく、表も裏もあって、同時にどちらも生きているんだなというグレーを認められるということだ。

イラストキャラ3次元実在しているわけではないが、その人は確かに存在しており、バーチャル人格通りに配信上で実在している。

次に、知らねーヤツに興味を持つ才能。

さっき友達の家に遊びに行く感覚に似ているというようなことを書いたが、実際には友達ではなく知らねーヤツなので、自分から勝手友達になりに行く必要がある。

その入口として、キャラクタービジュアルがあったり、歌ってみた動画があったり、切り抜きがあったりする。

VTuber別に好きになる必要もないと思うが、否定する必要があるようなコンテンツでもない。

陰謀論迷惑YouTuberに比べて遥かに健全な娯楽を提供しているので、知ってみたいと思うならまず再生数の多い切り抜きを見るだけでいい。

それだけでソイツの強みがわかる。たぶん。




最後についでに書いておくと、話題が行ったり来たりするような配信は、だいたい惰性でやっている系のゲームか、雑談配信なのでそういうのはだいたい面白くない。

中には口が上手い人の雑談は本当に腹痛くなるぐらい笑って楽しめるが、そうでない限りはよほどその配信者にハマっていないと楽しめることは少ない。

話を合わせるだけなら、とにかく切り抜きだけ見て有名な面白シーンだけを知ってればいいと思う。

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