2024-06-24

なぜ働くのかと思うとうまくいかない件

働く熱意を持ってている人たちはこの問いを無気力ネガティブものだって言う気もする、確認はできないけど。わたしにとっては、働く熱意があって前に進むことばっかり言うのはある種の逃避で、今ある労働が求めているものという合理化が進んだ状態、エーリッヒフロムに言わせれば自動機械みたいな、そういう状態だなと思ってる。

評価面談のたびに、なぜ働くのか、なぜやりがいを書き出すことを求められるのかと思う。わたしにとって今ある労働自分で選び取った目的なのか、それを断言する人はそう多くないと思う。会社社会が求めるこの行為は、自発的合理化を求めているってそう感じる。強制ではない緩やかな矯正だと思う。

もし、わたしベストな道があるとすれば今あるわたし好奇心を満たす楽しいことができる生活を保つ程度に働いて、その労働わたしの楽しみを邪魔しない。そんなバランスで働けたらベストだなと思ってる。これも合理化かもしれないけど。

上司にそういう話をすると向上心があった方がいいとか、そうは言っても一生今の給料のまま行くのかとか(今後家族が増えればおのずとそうではうまくいくまい)という答えが返ってくる。

わたしもそれは辿っている思考で、そして上司は乗り越えてきたのだなと思う。つまり彼も自動機械に生まれ変わったって冷笑することもできるけど、わたし未来だとしたらそういうこともできない。

じゃあ仕事を頑張ろうってそういう方向で向かうと嫌なことがたくさんある。苦手な人、苦手な仕事残業そういった何かをするのに、自分そのままで立ち向かって、否定でもされたら、わたし自分を抑圧してまでなぜかくなるうえは否定されなければとも思う。

から仕事で生きる社会上のわたしプライベートで生きるほんとのわたしそれを分離してみる。分離してわかりやすファッションなんかも変えて、ほんとは柄シャツばっかり着てるけど、ユニクロの無地シャツなんて着てみる。仕事上の否定もそれはわたしが信じてるほんとの私じゃないから、仕事をすること自体は気にならなくなってくる。

それでも嫌な人はいる。でも、嫌な人が家でも嫌なやつかってそうじゃないと思う。ほんとは優しいかもしれない。嫌なやつの原因は、会社という構造の中にいるからであって、その個人という要素自体構造との関係でやな奴になるんだって思ってみる。そうするとまだ気持ちが落ち着くから

ここまで思ってみて、やっとわたし必要以上に残業をしないで済む。

それでもみんな残業を進んでしないわたしをよく思ってくれるってことはない。それは普通だと思う。わたし人間主義主張の善悪っていうのは、集団の中の関係性に過ぎないと思ってる。東條英機ヒトラー英雄世界線ガンジーが異常者として評価される世界線もありえたと思う。飛び抜けて働く正方向(世間一般の言説から見て)の逸脱者を許すなら、働かない逸脱者を許すのが道理なのではとも思う。

誰かが誰かを否定した時、わたしに求められるのは共感だ。わたしがどんなに個人という要素を嫌悪しないという意思を持っていても、唯一の肯定共感になってる。これもおかしな話だと思う、わたしは誰かの否定を考えたことがある、だからあなた意見もわかるけど、会社っていう環境なんじゃないかって思うって返せば、わたし共感ができない否定的な人間とみなされる。社会規範が全ての原因帰属個人という要素に求めてくれらなら、わたしたちはそれを持たなくてもいいと思う。

わたしはここに書いてなにを求めているのかよくわかってない。わたしにとってインターネット一方通行コメントは、個人主義の押し付けであって、道徳良心にはならないから。それでも何か教えてもらいたいのかな。わたしが先日の飲み会で感じたわだかまりをただ灯篭みたいに流して成仏させたいのかな。

全ての合理化感謝

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