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2013-12-03

安心していい

http://anond.hatelabo.jp/20131203122311

海は陸地よりも大きいのでは?という心配だが、本当の海と陸地ならそのとおりだが、富と貧困に関して言えば、富が過去数千年の間に増え続けているのに対し、貧困は減り続けており、現在もこの傾向はますます顕著になっているので、ほぼ心配はないといっていいと思う。

あなたは富める者の自己犠牲によってい貧しい者を救うというイメージを持っているよね。自己犠牲の結果富が薄まって薄まりすぎてみんなが不幸になるじゃん?みたいな。

もちろん自己犠牲行為寄付ボランティアODA、各種NGONPOという形で存在するんだけど、それは貧困撲滅のごく一部の手段に過ぎず、大部分は「投資」という手段でもって世界貧困は減少しつづけている。

貧困フロンティア農業医療産業社会の発展により有史以来一貫して後退を続けているが、特に産業革命以降の欧米貨幣経済が発達したことによりそのスピードが飛躍的にアップした。多額の投資マネーは瞬く間に欧米から貧困駆逐し、中産階級が形成された。

途中、投資活動の副作用として帝国主義による二度の大戦という悲劇経験したがそれでも勢いは衰えず、欧米と同じことが続けて日本で起こり、さらには日本以外の東アジアインドロシア南米東南アジア・・・・と、かなり乱暴かつ駆け足でまとめではあるが、おおむねこんな感じの順番で、貧困フロンティアが後退した。

貧困フロンティアが後退するところというのは例外なく猛烈な勢いで多額の投資マネーが流れ込んでいるところだね。

あなたもそうかもしれないが、自己犠牲による弱者救済こそ是とする風潮というのは少なからず世の中には存在していて、そのような人からみるとこのような話は面白くないかもしれない。

投資媒介とした貧困の減少というのは「富める者が自分の富をもっと増やしたい」といういわば我欲モチベーションになってるからね。

ともすれば汚いとか真の貧困層は救われないとか批判を受けがちだ。

でもそんなことはない。

もちろん、途上国人間がすべて同時に貧困脱出できるわけじゃなく、特権階級だったり、有能だったり、ずるかったりする奴らが先に豊かになることは避けられない。プロセスは決して平等でもないし人道的でもないんだが、それでもその先には必ず貧困層中産階級へとランクアップするという現象が待っている。

なぜなら中産階級が分厚くなったほうが金持ちにとっても都合がいいからだ。中産階級が増えることは、自分会社商品を買える人間が増える(市場が拡大する)ということだし、金を持てばそれを失いたくないので犯罪は減り治安がよくなる。差別マイノリティの問題も富めるものにとってはリスク要因でしかないので、差別に反対しマイノリティ人権保護する社会志向するようになる。我欲といってしまえばそれまでだが、豊かになった結果心に余裕がうまれ「みんなで仲良くやろーぜ」という気持ちがうまれた思えば悪いことではない。

親にとっても子どもは稼ぎ手ではなくなるので少子化が進むが、子の幸せな将来のために教育に金をかけるのでそこにも市場が生まれるし、そうやって教育を施された子どもたちがその国をさらに豊かにしていき、やがては次の貧困フロンティア投資するようになる(念の為に言っておくと給料銀行預金するだけでも間接的に投資していることになるからね)。

今、目下の貧困フロンティアアジアからアフリカへ移っている最中で、中国アフリカ積極的投資しているのも、上の話があるとすんなり腑に落ちるんじゃないかと思う。ただし中東宗教オイルマネーの問題、アフリカはそもそも投資を受け入れるだけの社会制度が整っておらず部族宗教の対立も激しくて苦戦している。日本で売買できる投資信託でも中東アフリカに関するものは限られている。まだまだ一般には投資不適格というわけだね。アフリカ貨幣経済ベースに乗るまでは、ボランティアベースの支援活動が大きな役割を果たさざるを得ないだろう(余談だが俺はそのような考えから国境なき医師団に毎月自動寄付をしている)。

それに先進国だって少子化とか労働需要海外移転による失業問題とか格差とか高齢化による社会保障費の増大とか問題がないわけではない。

このような問題はあれど、長期的かつ全般的にみれば世界は「みんなが幸せ」の方向に向かって進んでいるよ。今の日本に住んでいるととてもそうは思えないが(笑)これは間違いのないことだ。

大事なのは世界の富の総量は一定でもゼロサムでもなく増え続けてるってこと。貨幣経済破綻してしまうとこの限りではないかもしれないが、少なくともあなた心配するように「豊かなものが貧しい物へ分配することでみんなが不幸になる」なんてことはないか安心していい。

2013-11-09

チマチョゴリにみる日本女性蔑視社会の実態について

朝鮮期の春画にもたびたび散見される、おっぱい丸出しチマチョゴリ

春画の内容は、両班らしき役人賎民らしき下女の乳を揉んでいたり、洗濯する女性を覗き見たり、所構わずレイプしたりというのが多い。

チマチョゴリ男性の性欲を満たすべく、胸の部分が開いており、乳房露出している格好となっている。

その殆ど男性社会の顕れなもので、今のように胸を露出させない格好を見ると逆に安心する。

日帝時代朝鮮に入植して文化を与えた事を知れる数少ない証拠なのかもしれない。

それ以前の朝鮮時代は、女性蔑視の世の中だったわけで、欧米文化とかキリスト教のおかげだという意見も確かにあるが、

それらが宗教として定着したのはごく最近の事。

戦前朝鮮向けに出てる朝日新聞に当時の文化背景について描写されている。

いずれにせよ、日本帝国がやってきたのは何も侵略だけじゃなかったという事だ。

事実台湾東南アジアにも侵略した歴史はあれど、それを咎めるメディアをあまり見ないし、むしろ好意的な意見が多い。

からって日本アジアおよび朝鮮侵略した歴史事実として残るし、それを非難するのも分からんではない。

日本だってGHQが来たときには大分恨んだもので、当時としてはGHQ以上に日帝を恨んだというのが大きいか

そのため、現政権が改正案を出すまで、ずっと日本国憲法は遵守されてきたのだから、多分そう言う事なのだろう。

話は戻るが、韓国には日本の伝統文化がある程度根付いたおかげで、朝鮮時代まで続いて来た女性蔑視社会は少なくとも女性社会進出が達成されるまでに

回復したといえる。

但し、日本という国は仏教伝来以降は非常なミソジニスであるから現在のように女性社会進出がなされていても一方で雇用であれば賃金の少ない閑職であったり結婚あるいは出産後は寿退社という形で退職に追いやられるのが必定となっている。

これを見ても日本という国は女性蔑視社会である事が分かる。

にも拘らず韓国では女性蔑視社会でありながら、現在女性大統領統治している。

ただ、韓国という国は、朝鮮時代から続く特殊な社会であることに注意したい。

韓国でもある程度女性社会進出がなされていても、それはある一定中産階級以上の女性であって、中人未満の女性たちには、殆どが望まれない婚姻強制的に結ばされている等と現代社会おいても女性蔑視社会である事に変わりはないだろう。

ただ、韓国では一足早く国家首長女性がなる等、一応女性社会進出を世界中完璧に示した事だろうが、日本では戦後、未だに女性首長は立っていない。

それどころか、皇族に関しても女性天皇が立つ事に否定的意見が集中していることからも、日本社会には未だ根底には女性蔑視の風潮が漂っている。

こういった部分を直す事の方が日本人としてのみならず、一介の男性女性としてよほど重要なのではと感じている。

日本が他の先進国に劣って見えてしまうのは結局、韓国のような目に見える形を持たない、それ以上に陰湿女性蔑視社会根底にあるためではないだろうか。

無論、日本に限らずアジアでは女性がとにかく蔑視される風潮が未だにある。

インドイスラム圏を見ても強姦事件が発生すると男性は放免で女性冤罪であろうと死刑に処される所を見るにその風潮は根深いというしかない。

その中で、アジアでもとりわけ特異な女性蔑視社会を享受する日韓両国を見ると悲しくなってくるのは何故か。

韓国伝統衣装を見てもこうなのだから現在韓国を生んだ日本では今もってたくさんの女性社会進出を妨げられているに違いない。

2013-08-11

成金累進課税

http://anond.hatelabo.jp/20130811121749

どの国にも少数の金持ちと多数のそうでない(中産階級以下)がいる。後者の方が圧倒的多数だ。

多数者が民主主義の原則に則り、数の暴力で少数者の財産没収するというのが、累進課税というシステムであり、それは民主主義上正しい。

それはそれでいいんだよ。そういうシステム民主主義上選択されたんだから

自分利益を最大化するための選択であって、一貫性道徳関係ないんだよ。

でもその「民主主義上選択されたという正しさ」を、「思想的に正しいから」とか「道徳的に正しいから」とか「神授的に正しいから」などといった別のカタチでこねくり回そうとするのはクソだ。

ただ単に正当化された搾取なんだからある種の暴力だって自覚して暴力すればいいのに、多数派が自分らが正義であると思い込みたいがために「成金=悪」みたいなレッテルを貼って正当化にいそしむ様が醜い。

金持ってる側もそこに善悪とか見てると疲れるだけだよ。それはただ単に多数決的な暴力構造なんだからシステム適当に使って節税するなり、海外資産回避させるなりすればいいだけなんだ。

2012-10-29

5大天才漫画家

五大天才漫画家手塚治虫」「尾田栄一郎」「鳥山明」あと二人は?

http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4323316.html


天才定義曖昧だけど、

1.質が高い作品を複数、残している。

2.商業的に成功している。

3.エピゴーネンを多数派生させている。

4.表現技法上の革新を成している。

5.ジャンルフォーマット上の革新を成している。

を条件とした場合

手塚が入るのは当然として、赤塚は作品自体のクオリティはともかくとして革新性が弱い。

尾田は商業的にはひょっとしたら鳥山よりも成功した漫画家かも知れないが、やはり革新性に劣る。尾田はたとえるなら少年漫画界のマーガレット・ミッチェルみたいなもの。作品の訴求力と当人のクリエイターとしての革新性とは別。

鳥山天才に当てはまると思う。ギミックを詰め込んだデフォルメされながらもリアリティを持つ画風自体が衝撃的であったのと、アメコミの影響を受けて租借したうえで、日本漫画原稿和風化して落とし込むという表現技法上の革新もあった。「Dr.スランプ」は大友克洋の「AKIRA」よりも早い。言うまでもなくメガヒットを複数出している。大友をして大友的な革新性の代表として天才扱いするならば、大友的な革新性は鳥山の中に抱合することが出来、時系列的にもそれが妥当だと思う。

水木しげる天才と言うよりはアルチザン。緻密に粘着的に徹底するという程度が他者を凌駕しているのであって、漫画史全体で見れば、それほど重きを置かれるわけではない。これは水木を軽視しているのではない。作品への評価で言えば、私はむしろ水木を手塚凌駕して評価している。ただ、漫画史的な視点での評価はおのずと作品評価とは異なると言うことだ。田山花袋横光利一が作品単体では大した作品は残していないにも関わらず、文学史的な革新性において評価されるように、ここで言う天才とは、作品自体の質はもとより、その数、社会的影響力、そして革新性を備えている必要があるということだ。

そういう意味では石ノ森章太郎は、天才何人か分の重要、かつ致命的な影響を漫画史に残している。フォーマットの創始者という点においても、集団ヒーロー群像劇、そのキャラクター性格づけはもとより、マーチャンダイジング手法おいてもパイオニアと呼ぶべきである。更に重要なのは、いわゆる「オタク的」な要素の萌芽がすべて石ノ森作品の中に顕著にみられることであって、少年サンデー的な、中産階級的な趣味的なマンガすべてが石ノ森マンガに端を発しているという点である。意外と重要なのは、「日本経済入門」のような、それまで非マンガ的な要素とされていたものについてもマンガに取り込んだことで、手塚や水木の中に見られるマンガというイデオロギーを脱して、徹底的に表現手段として分解してみせるという、作家性とは別の次元の理数系的な分析マンガに持ち込んだのも石ノ森である

漫画表現の飛躍的な革新を成したという点では24年組竹宮恵子萩尾望都大島弓子山岸涼子)を挙げなければならないが、その集大成的な立場としては萩尾を挙げるべきだろう。手塚が基本フォーマットを作ったと言われる戦後マンガの基本は、映画表現いかにして紙の上に再現するかと言う視点から成り立っていた。萩尾らによってマンガは初めて独立した表現手段になったと言ってよい。マンガは文字と絵が同じ一つのコマの中にあり、吹き出しのセリフ、吹き出し抜きの内面セリフ、そして絵とそれぞれ矛盾した内容を同時に表現できる唯一の表現手段である。たとえばぶっきらぼうな少年少女に向かって毒づきながら、なおかつ画面上では頬を染めるなどをして、明らかに少女への好意を示しているような表現文学では難しい。描写ではなく説明になってしまう。更に実はそれも演技だとして、内面は実はこうすれば少女自分に対してぶっきらぼうな少年に対する好意を増すであろうとの計算があるとすれば、その内心を同時に表現するのはこれは映画等でも不可能なのである。こうしたマンガ独自の表現方法確立萩尾望都代表とするのであり、その表現手段の派生が致命的過ぎてもはやエピゴーネンとも意識されないほどの重大な影響を及ぼしていることを踏まえれば、彼女存在は、二十年、三十年のスパンではなく、百年、二百年のスパンで見るならば、手塚をもはるか凌駕する重大かつ致命的な転換点となったのであった。

手塚治虫

鳥山明

石ノ森章太郎

萩尾望都

と5人のうち4人までが選ばれたが、ここは議論の余地がないところである。つまり個々のこのみや評価の違いはあっても、漫画史の視点から言えば、偏見なく選べばこの4人は欠かせないということである。残りの一人は評価と好みの違いになるだろう。私は、

藤子・F・不二雄を挙げる。

[補足]

まあ、みなさんいろいろご意見はおありでしょうが、そもそも5人に絞るのが無理っちゃあ無理とちゃぶ台をひっくり返してみる。

「てめー、あれ読んでねえだろ」「俺はビートルズ武道館ライヴ見に行ったんだぜ」「江夏の21球も実際に見てない奴が投球論を語るな」的な反応はプロレス論の醍醐味で正しいレスポンス

レスが挙げているような御大たち、高橋留美子大友克洋白土三平水木しげる赤塚不二夫永井豪いしいひさいちつげ義春大島弓子大和和紀三原順梶原一騎吉田秋生あたりは誰が入ってもおかしくない。個人的にはいくえみ綾とかも入れたい気もするが、個人的過ぎるので止めた。

あと、尾田先生が入っているのはつりですか、みたいなことを言う人には、何といっていいものやら。

[補足の補足]

ekken さんがブコメで尾田は外せよみたいなこと言ってたんですが、私もそれはリンクを張っている元記事について言っているんだろうなって思いました。そうじゃなくてもっと直接に私に向かって「尾田先生が入っているのはつりですか」と言っている人がいたんで(消されたみたいですわ。こわっ)、書いたことで批判されるならともかくさすがに言ってもないことで揶揄されるのはやだなあと思って補足しました。ekkenさん、ご迷惑おかけしてごめんなさいね。この点をブコメで指摘してくださった方も、言ってもいないことで私が批判されるみたいな流れになるのをくぎをさしてくださったんだと思いますありがとうね。

ONE PIECE, 私も好きだけど、正直、尾田先生をもし入れるぐらいなら富樫先生を推したいの。

枠が5つしかないんだから、候補で名前が挙がるってだけでそれだけでもう本当は天才なんだけどね。

2012-08-14

若者が車を買わないのはこのことを知ってるから

奴隷制が廃止された理由です。奴隷制は奴隷の面倒を見なければならない。 強制的に働かすには暴力で脅す必要があるので、軍隊コストがバカにならない。 それに無理やり働かせてるのではモチベーションがあがらないか生産性が悪い。 それより解放して、一生懸命働けば豊かになれると思わせた方が、 進んで働くから生産性が高いわけです。でも、実際は賃金管理されているから、 いくら一生懸命働いても豊かになれないのですが・・(植民地独立できたのも 同じ理由による)」金融のしくみは全部ロスチャイルドが作った

「「消費者」は、産業革命とともに生まれた。産業革命によって、工業製品生産量が 飛躍的に増え、多くの人々が工業製品を買えるだけの経済的、時間的な余裕を 持つことが必要になった。生産効率が上がって増え続ける商品を、売れ残りのないよう 人々に消費をさせるには、人々の所得賃上げで増やさねばならないし、 金を使う余暇適当に与えねばならない。酷使される貧しい工場労働者を、 消費する中産階級に変えていくことが、実は資本家の好むところでもある。大量生産がなかった産業革命前には、資本家の事業が一般の人々を巻き込む必要はなかったが、 産業革命後、資本家は一般の人々を、労働者消費者の両面で巻き込まねばならなくなった。」田中宇の国際ニュース解説

2012-07-29

無条件降伏まで突っ走った大日本帝国旧体制に、自分感謝する

 8月は終戦の季節なので。

 1941に真珠湾で開戦し、当初は連戦連勝だったが、1943辺りから敗色が濃くなった。

 選択肢としては、そのまま「本土決戦」まで突っ走らずに、ミッドウェーとか

 ガナルカナル、フィリピン争奪戦辺りで、アメリカと講和する、という選択肢もあったかもしれない。

 (欧州ヒトラーが交戦状態だったので、日本単独の講和が可能かどうか微妙だが)

 しかし、歴史にイフは禁物だが、

 「1943頃に、中途半端に講和休戦する」より、

 「1945まで玉砕で突っ走って、無条件降伏に追い込まれた」ことが、

 数十年後の日本にとっては、結果的にハッピーだったと思う。

 数値は腰溜めの数値だが、

 「A=開戦前の4分の3の国力の状態で1943頃に休戦し、その後5%の経済成長日本」と、

 「B=開戦前の2分の1の国力まで落ち込んで1945に無条件降伏し、その後10%の経済成長日本」。

 確かに一時的に辛いのはBで、それこそ飢餓線上スレスレだったのだが、

 数十年のスパンで考えるとどうか?

 Aの場合  戦前=100  Bの場合

 75.00  1943

 78.75  1944

 82.69  1945  50.00

 86.82  1946  55.00

 91.16  1947  60.50

 95.72  1948  66.55

100.51  1949  73.21

105.53  1950  80.53

110.81  1951  88.58

116.35  1952  97.44

122.17  1953 107.18 

128.28  1954 117.90

134.69  1955 129.69

141.42  1956 142.66

148.49  1957 156.92

155.92  1958 172.61

163.72  1959 189.87

171.90  1960 208.86

180.50  1961 229.75

189.52  1962 252.72

199.00  1963 278.00

 ということで、当初は苦境だが、1956頃にはBの体制の方が経済規模で優位になり、

 以降その差は拡大していく。

 Aの体制だと、軍部はそのまま温存され、治安維持法大政翼賛会も温存。

 農地解放もされず、財閥温存。

 GDPに対して軍事費の圧迫は著しく、又外交も困難を極め、自由に資源調達できず、自由貿易も望めない。

 ひと握りの中産階級と多数の貧農、という体制下なので内需も拡大しない。

 言論の自由は制限され、それによる萎縮効果で、科学技術の進展も緩やか。

 結局、一時的には辛くても、「膿を出し切って、高度成長できる自由体制」に舵を切った方が、

 長期的には国力は増す、ということになる。

 大戦で散った300万人の犠牲者には申し訳ないが、

 結果的に旧国体解体に追い込まれたことによって、高度成長体質になった、その意味では

 日本が「徹底的に太平洋戦争を戦った」ことが、その後の日本のためになった、と感じている。

 逆説的だが、頑迷本土決戦に固執して自爆した、旧日本の支配層には

 「感謝の念で一杯」である

 あなたがたが1943頃に中途半端に講和していたら、今頃自分家族も、自分も、貧民のママだっただろうし、

 こんなところで冷房つけながらネットできる豊かな社会には、決してなっていなかっただろう。 

2011-08-16

イギリス暴動の裏にある鬱屈絶望について

ロンドンその他都市のあの「愚者の祭りから1週間が過ぎて、あの月曜日事情が少しずつ分かってきた。5年以上ロンドンに住んでいる者としてあれこれ考えることも多かったし、諸事情で「暴徒」のおかれた環境について少し知る機会もあったので、少し書いておきたい。

あの日起こったことは何だったのか

これについては、無軌道若者暴走と言うことで概ねコンセンサスは取れているように思う。以下のtogetterは現状ロンドンで理解されていることに近い。

http://togetter.com/li/172491

警察が、最初暴動抑制に失敗したことで、「今なら何をやっても大丈夫」という無礼講的なお祭り騒ぎが一挙に拡大したと言うことなのだろう。周囲の興奮と燃えさかる炎に当てられて、「乗るしかない、このビックウェーブに!」とばかりに舞い上がってしまった子供が相当数いたであろう事は間違いない。(ロンドン逮捕された暴徒の5割以上は18歳未満であるというニュースが出ている。)

もちろん、子供暴走がここまで大事になってしまったのは異常事態であり、その裏側に社会的問題があると考えるのは当然だ。ただし、今回のように、当事者すら争乱の理由が分からないという状況は、「ぼくの考える社会の欠陥」的な牽強付会の自説を宣伝する絶好の機会だ。実際、イギリス社会事情も知らず、勉強した形跡も全く読み取れないのに、適当なことを言って悦に入る類の人をTogetterで何人か見かけた(以下に一例)。このエントリーを書こうと思ったのは、その手の単純で非現実的な観念論ではなく、地に足のついた議論の土台を提供したいとおもったからだ。

http://togetter.com/li/173402

あの暴徒達は何者なのか

http://www.guardian.co.uk/uk/2011/aug/09/london-riots-who-took-part

報道から明らかになっているのは、暴徒の大半が未成年であること、特定のエスニックグループが暴徒になったわけではないこと、そして多くがロンドンでも貧しいとされる地域の住人であること。加えてもう一つ言えるのは、彼らの多くがカウンシルフラットと呼ばれる、低所得者向けの公営住宅に住んでいると言うことだ。このカウンシルフラットというのは、イギリス貧困を語る上では非常に重要な点なので、少し説明をしておきたい。

イギリスにはホームレスが少ない。ロンドンを歩いていると分かるが、駅の構内で段ボールを敷いて寝ている人が殆どいない。公園段ボールハウスの村が出来ているということもない。どうやらロンドン全体で野宿人の数は500人に届かないようだ。イギリス全体でも1000人未満のようで、2万5000人のドイツと比べると圧倒的に少ない。

何故かというと、イギリスにはあちこちにカウンシルフラットと呼ばれる公営住宅があり、イギリス国籍さえあれば、家賃を払えない低所得者は優先的に居住が認められるからだ。このカウンシルフラットがどのくらいあるのかは自分には分からないが、イギリス中そこかしこにあると思ってもらって間違いない。下の地図は今回暴動の起きたHackneyのものだが、住宅の実に5割がカウンシルフラットとなっている。

http://www.map.hackney.gov.uk/gisMapGallery/Maps/Tom%20Duane%20Maps/Borough%20Profile%20maps/Social%20Housing.pdf

カウンシルフラット家賃は圧倒的に低く、ばらつきはあるもの相場の5分の1程度。それすら払えない人には更に住宅手当が下りる。光熱費やTV受信料も実質タダだ。そして、当然家があるだけでは餓死してしまうので、これとは別にpersonal allowanceと呼ばれる生活手当が出る(最近制度改革があったので名前などが若干違うかもしれないが、大枠は同じ)。25歳未満の単身で週に50ポンド。25歳以上なら60ポンド外食さえしなければ十分食費と携帯代をまかなえる金額だ(円高の今だと8000円弱に相当)。イギリス国民には、食べるに困るレベルでの貧困は(概ね)存在しない。

ただし、これだけ「おいしい」カウンシルフラットは、当然人気も高い。ウェイティングリストの人数は500万人に達しており、それなりに困窮していないとフラットは手に入らない。下の掲示板では親とカウンシルフラットに同居している30歳女性が、一人で住めるカウンシルフラットを探しているのだが、「今現在無宿とかでないと難しい」と返答されている。

http://boards.gumtree.com/viewtopic.php?t=215432&p=2686792

ここで、イギリス人なら誰でも知っているトリックがある。子供がいて、しかも親がシングルマザーだと、フラットが優先的に廻ってくるのだ。こうなると、親から独立したい、しかし職がない子供にとって、手っ取り早い手段は妊娠と言うことになる。かくして、イギリス先進国でも突出して10代の母親が多い国になった。しかも、子供が生まれると一人当たり週に1220ポンドのChild benefitが支給される。また、シングルマザーだと上の生活手当も週に40ポンド前後は増額される。このため、パートナーがいても敢えて結婚せず、シングルマザーになる母親が多い(当然の結果として、その後別れて本当のシングルマザーになる確率は高まる)。母親ひとりに子供一人で月500ポンド(約7万円)あれば、正直生活には困らない。

はいえ、貯金は難しい。それに、貯金額が6000ポンドを超えてしまうと支給額が減額されてしまうので、そもそも貯金する理由がないのだが。ちょっと大きなTVを買おうとすれば、夜遊びを楽しみたければ、その分働くしかない。問題なのは子供だ。託児所に預けたいところだが、ロンドン託児所は1ヶ月フルタイム1000ポンド。平均所得ですら厳しいこの金額を彼らが払えるわけはない。その結果、子供は無人の家に置き去りでTVを見るかゲームをするかと言うことになる。言葉を学ぶには最低の環境だ。

その結果起こったのが、子供識字率の低下。移民だけでなく、ネイティブ識字率が低下している。2007年政府が行った大規模な調査によると、小学1年生の6分の1が自分名前mom, catといった3文字の簡単な単語を書くことが出来ない。当然、こういう子供小学校カリキュラムに着いていくことは難しい。その結果、無視できない数の中学生数字は忘れた)が、「数学試験問題の英語が理解できない」ために零点をとる、という現象が起きてしまった。こんな状況では学校に行くのは苦痛しかない。カウンシルフラットの周りでは、昼間から特に何をするでもなくぼーっと座っている子供達をよく見かける。

この様な子供が成人して職に就くのは、非常に難しい。肉体労働系なら大丈夫だろうが、ポーランドからの出稼ぎ労働者の方が高いスキルと低い給料で働いている。それよりも低い賃金では、生活保障の支給額を下回ってしまうので、働く意味がない。こうして、カウンシルフラットで生まれた子供は、またカウンシルフラット自分子供を産むことになる。ちなみに、失業手当の受給者数は約150万人。人口が倍の日本では80万人だ(失業率は8%弱)。別制度のincapacity benefit(病気などで働けない人のためのもの)の受給者は250万人(人口の5%弱)を超えている。

結果、親子3代、殆ど働きもせずカウンシルフラットに住み続けている、という話は、もはやイギリスでは珍しいものではなくなっている。このような状況で子供未来希望を見いだせないのは当然のことだ。少なくとも彼らには、サッカーの才能に恵まれてプレミアリーグに行くくらいしか、この生活を抜け出る手段がないように見えるのではないか。これでは、リオデジャネイロの山肌に広がるスラム子供サッカー以外の未来がないのと大して変わらない(実際には、カウンシルフラット生まれでも頑張って勉強して、奨学金博士号まで取る人もいる。そのための制度組織もある。ブラジルスラムに比べれば、カウンシルフラット子供達は圧倒的に恵まれているという点は強調しておきたい)。このような状況で鬱屈しないでいられるのは、よほど心の強い人間だけだろう。

今回暴動ワイン1本を盗んで歓声をあげ、昨日裁判所で有罪を宣告された子供達は、多くがこういう鬱屈と共に生きているのだと思う。

イギリス人はどう思っているか

カウンシルフラット子供達が鬱屈しているならば、イギリス納税者達は絶望している。イギリス税金は高い。年収550万円以下なら所得税20%、それ以上なら40%(しかも、社会保障関連の支出所得税収総額を上回っている。なにしろ、上に書いたincapacity benefitだけで1兆5千億円かかっていたのだから)。消費税20%。それ以外に地方税も取られるし、国民保険料も安くはない。通勤交通費は自腹が原則だし、会社住宅補助を出してくれると言うこともあまりない。そういう辛い家計をやりくりしながら、やたら高い家賃を払って暮らしている家のすぐ隣で、無職の人が昼間からぷらぷらしていたりするわけだ(カウンシルフラットは本当にあちこちにあるので)。

それでも、ブレア政権を取った1997年以降、イギリス人低所得層との格差を縮めるために税金を投入する政策を支持してきた。小学校低学年は30人学級となり、小学校入学前に児童学力を底上げするためのプログラム(SSLP)にも1000億円の予算が付き、補習授業は大きく拡充され、挙句には、高校をドロップアウトする生徒を減らすために、出席率が高い貧困家庭の生徒に補助金まで出した。職歴のないシングルマザーにはコンサルティングから面接の訓練まで提供している(一人当たりのコスト10万円)。

にも関わらず、今回の暴動だ。これを「先進国とは思えない、途上国光景のようだ」と思った人はイギリスにも少なくない。ブレア政権教育改革スタートしたのは99年前後から、今回の暴徒の大半は改革された教育制度の下で育ってきた子供である。これだけの負担をしていながら、なぜ途上国スラムのような光景を見なければならないのか。これに絶望せずにいられるのは、やはりよほど心の強い人間だけだろう。

これから何が起こるのか

(1) 警察力の強化。これは言うまでもない。秩序を失えば人間は(誰であれ)動物になりうると言うことを、今回の暴動証明した。ならば、秩序の維持は至上命題だ。先週キャメロンがアドバイサーに招聘したビル・ブラットンはニューヨークで例の「割れ窓理論」の実行部隊を指揮した人であり、警察官の最適配置システム第一人者でもある。締め付けは厳しくならざるを得ない。

もしこの手の暴動放置すれば、被害者は自警団を組織する。彼らは武装し、いがみ合い、それが新たな暴動の引き金になる。そうなる前にキャメロンには何とか手を売ってもらいたいと思う。もしかしたらもう手遅れなのかも知れないが。

(2) 社会保障制度の見直し。これは実のところ暴動から進行している。上で書いたincapacity benefitだが、悪用して海外旅行まで楽しむ輩が多く出た上、一度受給者になると死ぬまでもらえるので、就労意欲がゼロになる。以前から批判が絶えず、キャメロン政権は廃止を決めた(別制度代替)。ただし、これらの社会保障の削減が暴動の理由ではないというのはマスコミでも一致した見解だ(まだ削減は殆ど始まっていない上、暴徒の大半は親元で暮らしているのでそもそも受給していない)。

上でも書いてきたように、手厚い社会保障制度それ自体が受給者と、その子供や孫の未来までをも奪ってきたという側面がある。そして、この制度格差の縮小どころか、治安維持という最低限の目的すら達成できなかった。何より、イギリス経済はこれ以上の負担にはもはや耐えられない。ならば、社会保障は削減しつつ、彼らに可能な限り働いてもらうしかない。Benefit Busters (興味のある人はyoutube検索すると良い)などを見ているとなかなかに大変そうではあるが、もう選択肢がないのである

(3) 納税者復讐今日キャメロン首相まで”social fightback”と言う言葉を使っていて驚いた。具体的には、暴動に参加した子供がいる家庭に対する社会保障給付の停止。カウンシルフラットからも追い出す。少なくとも感情的には、そして理屈の上でも、そうすべき理由はたくさんある。それが更なる悪循環を招くとしても、あそこまでやられてしまっては納税者の側も収まらない(ちなみに、オックスフォードケンブリッジ卒のエリートはこの手の復讐にはあまり賛同しない。彼らはびっくりするほど穏健だ。怒っているのはむしろ小商店の店主のようないわゆる中産階級に多いような気がする)。鬱屈した子供の暴発を「社会の歪み」を理由に肯定する人は、絶望した納税者復讐も肯定せねば片手落ちであろうと思う。

最後に、下のtogetterで見つけた以下のコメントについて。

火がつけば爆発するしかないほどの不満を溜め、失うものが何もない奴らがこれだけの数居るんだよ。社会がそれを生んだ。(中略)問題は目の前にそのままの姿である。こいつらのYouTubeを見ろ。音楽を聴け。睨みつけてくる視線自分をさらせ。

http://togetter.com/li/172301

この人の書いたラップの話は、今まで全く知らなかった分野な事もあって新鮮で、興味深く読んだが、このコメントには一言申し上げたい。無茶言うな。暴動明けの火曜日の朝にCamden Townの駅で暴徒の一人とばったり顔を合わせたが、彼の睨み付ける視線にどう応えろと言うのか。プラットフォームのあちこちにどかどか蹴りを入れながら、肩で風を切って周囲にガンをたれながら練り歩いていったが、一個人として彼を見れば、まだ自分抑制できないただの子供であり、仮にポケットの中に盗品が入っていれば犯罪者に過ぎない。彼らをひとりの人間として直視するなら、そういう扱いにならざるを得ない。復讐の対象にならざるを得ない。むしろ、彼らを一個人ではなく社会現象の一部として扱った方が、まだ冷静な判断は下しやすくなるのではないかと思う。

2011-06-09

http://anond.hatelabo.jp/20110606225523

すごくよくわかる、気がする。勘違いかもしれないけど。そして周りの人がこれを理解出来ないこともわかる。

僕ははじめて女の子と付き合うのは遅かったけど、それまで何度か告白されたことはあって、そのどれも振ったけど、「僕とは釣り合わないよね」と言うのが最大の理由だった。釣り合わないってバカにしてるように見えるかもしれないけどそんなかっこいいもんじゃない。その人とお付き合いして二人で歩いてる時に、周りの人から見て釣り合ってるカップルだなあと思われるかどうか、が重要。バカにしてたっていうよりむしろビクビクしてた感じ。ほんとに、好きか嫌いかじゃなく釣り合っているかどうかが第一で絶対重要なことだった。それで、この人の言うことはすごくよくわかる。そしてそのような女の子たちに僕が思った感情は、「ごめんなさい」だった。本当に。嘲笑とかまったくない。バカにしてもいない。キモイとも思わなかったのはこの人とは違うのかもしんない。でも、周りの人はこれを読むと、それは本質的には嘲笑しているんだとか言うんじゃないかと思う。それは理解できる。でも本当にそういう気持ちじゃなかったと言うしかない。

他の人が釣り合わない恋愛をしようというとき、この人はすごい憎しみを感じるのに対して、ぼくはそういうふうに動くことができるのはうらやましいと思うので、そこはちょっと違うけど、本質的な違いじゃないと思う。本質的に違う人は、そもそも釣り合わないとかなに?って人。これが気になる人はみんなそれなりに似たところあるでしょ。

今僕は結果的にすごい美人さん(と我思う)と付き合っているけど、いまだに釣り合いの悪い自分が横にいることが時に耐えられなくなる。多分この人みたいな人は「釣り合わねー」と思うんじゃないかな。・・・というふうに思う。そんなふうにして自分が自信を失っているとき彼女は不機嫌になっていることもわかる。女性はやっぱ自分に自信を持った男性が好きだと思うので。という僕も、彼氏彼女関係ではな仕事をしているときには自信満々であるっぽく、そういうところを好きになってくれたのだろうと理解しようと努力する。そうするともやもやは少し解消する。釣り合いが取れてない?いや、そんなに釣り合いが取れてないと向こうが思ってるなら向こうも付きあおうとしないだろうし。もしかすると僕のことをものすごく勘違いしているのかもしれない。そして、本当に釣り合いが取れてないことが向こうに判明したなら、向こうから別れを切りだしてくるはず。気楽にいこう。というのが今の気持ち。と言ってもこの段の冒頭にいつも逆戻りしてる。そのたびに彼女は不機嫌になる。

これまでの彼女自分的には自分釣り合い取れた彼女で、精神ストレスほとんどなかった。今の彼女釣り合いストレスを感じるけど、同時に、釣り合い思考からだんだん脱して行ってるようにも思う。それをさせたのは努力。それしかないや。

こんなような僕の感情の動きの中に、彼女を愛してるって気持ちはどれだけあるんだろう。自分でもときに自問する。いや愛してると思うんだけど。結局、相変わらず釣り合ってるかどうかが一番優先されているのかも?そうなのかも。みんな簡単にブコメつけてるけどね、釣り合い重視の人が人を愛して周囲を一切気にしないで誰かを愛せるようになるって言うのは、高校時代ひきこもりキモオタ大学デビューして合コン三昧のリア充なっちゃうくらいの確率しかないのじゃないかと思う。適当だけど、つまりすごく難しいってこと。

結局こういう気持ちがどうして起こるかというのは、日本社会同調圧力のもとで、自分自分プレッシャーをかける日本人の体質的なものだろうし、それはいくつかある冷静なブコメが指摘してること。過剰な労働も、自殺も、無能なトップも、みーんなこれが原因だ(そして現代の日本社会を生み出した、世界一優秀な中産階級も)。日本社会同調圧力のもとで、いろんな環境作用して、それぞれの方向に行くんだと思う。それは日本社会根本的な問題なので、それに対する解決策があるんなら苦労しない。日本は今みたいに停滞してないと思う。

それでも彼女は救いを求めてるようなので、自分がもしあなたと似たような人間だとして、経験上いちばん有効なのは海外に行くことだ!マジこれしかない。だって原因は日本社会なんだもん。特に西欧文化圏は本当にオープンで、ていうか、オープンであろうと努力してる人間社会なんだ。だいたい白人アジア人カップルなんて釣り合うと思うかね。誰も思わねーよ。でもね、そもそも、「釣り合い」なんていう概念がない、なくそうとしてる社会だったら・・・もちろんゼロはない。でも超金持ちさんザッカーバーグの彼女中国人だったりとかそういうこともある。語学はまずつけてから行ってね。あと人種差別にはめげないように。しょうがねっす。強く生きてる華僑とか見ると少し勇気づけられる。日本みたいに、そもそも生活レベル欧米より上(これはマジです)っていうことすらないのにね。

そしてまた、海外に行くと、日本社会のそれはそれは素晴らしい特質もすごくよくみえてくると思う。それで、海外釣り合い意識から脱したら日本に帰ってもいいんじゃね。それか、超気に入ったんならそのまま海外に住んでもいいんじゃね。自由に行こうよ。もちろん苦労も多いだろうけど、こんなふうに自由にできる時代なんて、人間の長い歴史の中でそんなにないんだぜ。太平洋戦争前にアメリカに移住してた僕らのご先祖さまは、強制収容所にぶちこまれたんだぜ。それに比べたらどんだけ楽なことか。

あと病院行けって言ってる人はなーんもわかってね。社会人生をあまり知らない人っぽいや。こんな人山ほどいるべよ。統失と躁鬱と小児精神病以外は、精神科なんて本人が行きたきゃ行けばいいし行きたくなきゃ行かなきゃいいさ、病院なんて(ボケはま神経内科行け)。行きたくてたまらない人はもちろん効果ある。でも行きたくてたまらない様になっている時点で精神的にはかなり参ってる。この増田はそんなんじゃないよ、多分。

2011-04-22

http://anond.hatelabo.jp/20110422135523

民主主義で初めて富豪乞食も一人一票になったんだろうが。

民主主義じゃなければこんなに中産階級や貧民がうるせえ社会はなってねーよw


未だに金持ち1人が貧乏人1人より社会の意思決定に強ければ

それは金持ち自分の頭や影響力を総動員してるからであって

原始的な「能力」や「能動性」のパワー。

民主主義はそれを産んだのではなく是正してきた側。

2011-02-13

http://anond.hatelabo.jp/20110213104402

自由って、極端な金持ち貧乏人に与えられるものかもしれないな。

中産階級世帯主社畜でありつつ家畜でもあるという現実が見え隠れする。

そんな方々は家族のため小さな誇りのため、矛盾を感じつつも今日を働き続ける。

俺も月13万のマンションに住み始めたが、車は絶対に買わないようにしようと思った。

2010-12-24

http://anond.hatelabo.jp/20101224031928

さらっとしか読んでないけど

今後の先進国では

創造的なデスクワークが出来る人(企画(笑)ではなくて本当に企画が出来る人)

―――――――――――――――勝ち組の壁―――――――――――――――

特殊な専門技術で働く人(企業エンジニアとか)

―――――――――――――――中産階級の壁―――――――――――――――

肉体労働が出来る人(飲食店や配管工、左官、土方)

―――――――――――――――人間の壁―――――――――――――――

デスクワークしか出来ない人、無職ニート

の序列になると思う。

というか現実問題としていまそうなりつつある。

事務作業なんてIT化とアウトソーシングで何とかなってしまう。

から法務とか知財とか以外の事務系社員って無職予備軍なんだよね。

無職にもちろん人権は無いと思う。

実際問題、旧帝大一橋東工大、国公立の医歯薬理工学部早慶以外の大学出ても何も意味がなくなる。

子供のころから特に機転がきく方でもなくて、文系大卒外食産業とかで働くのが嫌だって言ってる人達は一生よい生活は出来ない。

仮に起業とかしても元から頭がよくない人は無理

逆に肉体労働とか外食産業とかで働いてる人はもう少ししたら将来が明るくなると思う。

2010-10-14

自らの正しさを確信すること自体は問題ないのだが、それを「他者に強制する」ことから問題が生じる

ナチスの「25カ条綱領」は日本人必読では

自由 リバタリアニズム 政治 多様性 社会主義 日本 考え パターナリズム

bradexさんが、ナチスの「25か条綱領」というのを紹介している。

ウィキペディア - 25か条綱領

http://ja.wikipedia.org/wiki/25%E3%82..

<25か条綱領(独: 25-Punkte-Programm)はナチス党(国家社会主義ドイツ労働者党)の党綱領。1920年2月24日ミュンヘンビアホールホフブロイハウスで採択された>。

その25か条綱領には、次のようなものが含まれている。

不労所得の撤廃、寄生地主の打倒。

・我々は、大企業利益の分配を要求する。

・我々は、老齢保障制度の大幅な強化を要求する。

・我々は、健全中産階級の育成とその維持、および大規模小売店の即時公有化、小規模経営者に対するその安価賃貸、全小規模経営者に対して最大限考慮した国家・州または市町村に対する納品を要求する。

・我々は、我が国民の要求に適した土地改革、公益目的のための土地の無償収用を定める法の制定、地代徴収の禁止と土地投機の制限を要求する。

・我々は、公共の利益を害する活動に対する容赦ない闘争を要求する。高利貸し、闇商人等の民族に対する犯罪者は、宗派人種にかかわらず全て容赦なく処罰される。

・我々の要求をすべて実行するために:国家の強力な中央権力確立。中央議会国家全体および組織一般に対する絶対的な権威公布された国家の大綱的法規を連邦各州において実施するための階級職業別の団体の形成。

これを大雑把に言い直せば、「大企業は儲けすぎだからもっと税金を取れ」「老人への保障をもっと手厚くしろ」「大きな店は潰して、小さな店だけにしろ」「不動産を貸したり転売して儲けることは許さない」「高金利の金貸しは許さない」といった話だから、いまの日本でもよく言われているような話である。

これがナチスの綱領であることを隠して、「このような政党があったら支持するか?」というアンケートをもし日本でやったら、支持する人はかなりいるのではないか。「立派な考えだ」「なかなかいいことを言っている」といった反応がおそらく続出すると思う。

ナチスについて少し調べればわかることだが、ヒトラーは「ただの極悪人」ではない。ユダヤ人への弾圧虐殺などがひどいのは言うまでもないが、上記のように、政策の方向性としては「左翼的な正義」が基調である。いわゆる「悪人」というよりもむしろ、「使命感に燃えた善人」に近いといってもいい部分がある。

実際、ヒトラー自分が「善」だと強く確信していたからこそ、権力を握ることで「悪」を撲滅しようとしたのだろう。そして、それに一定の説得力があったからこそ、支持を集めて、権力を得ることができたわけだ。

もちろん、ナチスの政策だから全部間違っているということにはならないし、ナチスの政策にも正しいものはあるかもしれない。重要なのは、ナチスの政策が正しいか間違っているかというよりも、「これは善なのだから、他人に強制してもいい」という考え方そのものが危険だ、ということなのだ。

正誤・善悪によらず、何かを他人に「強制」するという考え方にこそ、全体主義ファシズムへの萌芽がある。何かを他人に「強制」してもいいと考えている人は、自らの無謬性(誤りがないこと)をまったく疑っていない。自らの正しさを確信すること自体は問題ないのだが、それを「他者に強制する」ことから問題が生じる。

自由主義リバタリアニズムがこの「強制」を嫌うのは、何が正しいのか、何が善なのかということに関して、唯一の絶対的な基準があるということを疑っているからだ。自由主義者リバタリアンは、つねに異なる意見、異なる価値観を共存させ、多様性を認めることで、社会は発展するし、また社会は安定する、と考える。

自由主義者政府より市場を好むのも、政府は「強制」するものであり、市場は「自由」な取引で成り立つものだからだ。

私の見たところ、日本というのは「これは善なのだから、他人に強制してもいい」という考え方がわりと強い国だと思う。そういう考え方の人は、たいてい「悪人」ではなく、むしろ「善人」だったりする。「いい人」なわけだ。しかし、他人に「強制」すべきでないということや、異なる考え方をあえて共存させる「多様性」の重要性については、あまり理解されていないように感じる。

菅首相なども、「善人」なんだけど、「強制」することが問題だとわかっていない人の典型である。左翼的な考えの持ち主はわりとこのパターンが多くて、弱者を思いやる「善人」なんだけど、「強制」することでどういう問題が生じるかがわかっていない、と感じられる場合が多い。こういう人は、弱者を思いやるのはいいのだが、その一方で、金持ち経営者を「悪」だと決めつけてしまいがちだ。

「これは善なのだから、他人に強制してもいい」という考え方は、まさに「パターナリズム」である。それは、親が子供に対しておこなう場合であれば許されるだろうが、社会のなかで他者に対して「強制」をおこなうことは許されない。しかし、この「強制」が唯一、合法的に許されているのが政府である。

よって、政府は「これは善なのだから、他人に強制してもいい」という考え方の危険性や副作用をよく理解して、どうしても「強制」を行使しなければならない場合にのみ、きわめて慎重に行使すべきなのだが、日本政府はそれをあまり理解しているようには見えない。最近また大店法の話が出てきたりしているのを見ても、「これは善なのだから、他人に強制してもいい」ということを、むしろ無邪気に信じているかのようだ(特に民主党は、以前からこの傾向が目につく)。その規制経済をブチ壊すことを理解できないのだろう。それも経済産業相が、である。

民間人は「ゲームプレイヤー」であり、政府は「ゲームデザイナー」である。企業民間人は、政府のような「強制」力を一切持っていないのだから、社会問題になるような「構造」問題に対しては、企業民間人には責任が生じようがない。これは「システム」の問題なのであり、よって責任があるのはもっぱら、「強制」力によって制度設計をおこなった政府である。それなのに、民間の企業を「ワルモノ」扱いして、その行動をさらに規制すれば問題が解決すると考えているのだから、まるで逆だ。セーフティネットは必要だが、市場規制してもセーフティネットにはならない。

http://mojix.org/2010/10/11/national-socialist-program

関連エントリ

リバタリアニズムキモは「強制しない」こと

http://mojix.org/2010/01/23/libertarianism_kimo

どんなに素晴らしい価値観であっても、価値観の「強制」には反対する

http://mojix.org/2009/08/01/kachikan_kyousei

地獄への道は善意で敷き詰められている(The road to hell is paved with good intentions)

http://mojix.org/2009/03/20/the_road_to_hell

マンガでわかるハイエク『隷属への道』

http://mojix.org/2008/10/22/serfdom_manga

2010-09-20

初音ミクと見せかけの魔法

 海外blog初音ミクについて熱い(長い)文章を書き込んでいるのを見かけたので試しに翻訳してみた。無断翻訳なので匿名で。urlは以下の通り。

http://deliciouscakeproject.wordpress.com/2010/09/20/hatsune-miku-and-the-magic-of-make-believe/

=====以下翻訳=====

 初音ミクと見せかけの魔法

 初音ミク歴史は18世紀のヘタリアイタリアに始まる。

 そこにはバルトロメオクリストフォリって名前のすげえヤツがいた。こいつの得意技は楽器を作ることだった。何でも作ったわけじゃない。当時はひどく弱々しいちっこいもので、しょぼい羽柄が並んだ弦を引っかいて金属的なチャリチャリした音を出すもの、つまり鍵盤楽器を作っていた。いわゆる「バロックミュージック」ってヤツだ。クリストフォリが音楽技師として、また機械技師としてやったのは、弦を異なる強さで叩くハンマーを使った仕組みづくりで、それによって演奏家は小さい音(ピアノ)や大きな音(フォルテ)で演奏できるようになった。だもんで皆それをイタリア語ピアノフォルテと呼んだ。もちろん、今ではお前も俺もそして誰もがクリストフォリの発明品をピアノと呼んでいる。

 イタリアピアノ発明することによって、日本初音ミク発明するための扉を開いた。

  ***

 俺は今、ここサン・フランシスコの150席しかない小さな映画館で、秋のアイドル公演を待っている。チケット完売した「39[ミク][[Sankyu!]] Giving Day」コンサートの上演を見るために、愚かな時間無駄遣いをする連中が集まっている。コンサートじゃ電子的に創造されたポップアイドルつまり緑の髪をした女神が、ゼップ東京コンサート会場で生演奏するバンドにあわせて踊り歌っている様子がスクリーンに映し出されている。それはまるで、一部はライブなんだが、本当はそうではなく、「本物」のボーカロイドコンサートでお目にかかれるのに近いものだった。言ってみればゴリラズを見に行くのとそれほど違いはない。伴奏は本物のミュージシャンが作り出しているが、客が見ているのはいわば巧妙なごまかしの表層であり、音楽に命を持たせるために使われる動くペルソナだ。これがミクの魔法である。それは見せかけの魔法だ。

  ***

 クリストフォリがピアノ発明した頃、J・S・バッハ平均律クラヴィーア曲集を書いた。そこでは要するに鍵盤楽器の各音程間で一通り数学的な調整をすれば、突然どのような調号でも十分演奏できるようになるということが言われている。言い換えれば、何か妙なことをしようとした際にいつも調子はずれの音を出すのではなく、初心者から中級までのピアノの生徒がやらかす糞を抑えるような5フラットとか7シャープとかそういったことが完全にできるようになる。これによって18世紀の鍵盤楽器は初めて、いちいちくそったれな調律をしなおすことなく新しい楽想を試すことができる原始的なワークステーションとなった。

 数十年後、ようやくピアノ価格が下がり十分なほど生産できるようになったことで、それは非常識なほどの大金持ちだけの特別な楽器ではなくなった。代わりにそれは有名な王族たちのような常識的な程度の金持ちが購入できるものとなり、彼らは好んで地元作曲家を雇い自分たち(とその客)を楽しませるために音楽を書かせた。こうした作曲家の一人があのヴォルフガング・A・モーツァルトであり、彼の特別な才能は主に下ネタ女性音楽生徒に対する性欲の面で発揮された。もちろん鍵盤楽器からふざけた音を引き出す才能もあり、その短い人生の間にモーツァルトは最も好きな楽器ピアノに決定した。彼が書いた27のピアノ協奏曲(本当に素晴らしいのは最後の10曲ほど。アニメシリーズのようにモーツァルトレパートリーは後半になるほど良くなった)は、単に協奏曲形態にとって画期的な礎石となっただけでなく、ピアノ音楽の基礎を築いた。モーツァルト協奏曲はこう言っているようなものだ。「これこそピアノにできることだ! ピアノだけでなく、オーケストラと一緒でもいい! まさか今更ハープシコードに戻ろうってんじゃなかろうな?!」

 モーツァルトより後の時代の人間は皆彼に同意した。ひとたび音量の大小を調整できる鍵盤楽器を手に入れてしまえば、弱々しいチャリチャリした機械になぞ戻れっこない。これが230年ほど前の出来事だ。ミクへの道は一日にして成らず。

  ***

 ミクの公演にやって来たファンの男女はいろんな連中の寄せ集めだ。彼らの5分の1ほどは当然ながらボーカロイドコスプレをしている。何人かはケミカルライトまで持ち込んでいる。コンサート全長1080ピクセルの巨大なスクリーンで始まり、全劇場サウンド・システムが炸裂し、観衆は最初はためらいがちに見ていたが、最初のいくつかの歌の後は雰囲気が盛り上がってきた。彼らはスクリーンの中の群衆と一緒にリズムに合わせてケミカルライトを振り、曲が変わると歓声を上げ、各ナンバーが終わると拍手をした。単なる録音と録画じゃねえか、などというたわ言は知ったこっちゃない。理論的にはゼップ東京の群衆だって同じように録画を見ていたんだ。本当に「ライブ」で演奏される音楽など、現代においてはクラシックオーケストラ民族音楽演奏くらいしかないし、それにシンフォニーホールですら今日ではマイクが使われている。誰もが電子的な助けを借りて音楽を聴いている。ひとたび電子機器楽器として受け入れることを覚えてしまえば、ミクを愛するのは簡単だ。彼女モーツァルト魔笛アリアを歌っている動画を聞いてみよう。

http://www.youtube.com/watch?v=gr9fbQzNpqA

  ***

 19世紀欧州で、もしお前がピアノ演奏ができない作曲家だったとしたら、お前は存在していなかっただろう。それはもはや単に大小の音量で演奏できる楽器にとどまらず、巨大な和音構造物であり、多音パッセージワークであり、一人の演奏家の手で「あらゆる音符を見ることができる」ものとなっていた。もしピアノがなければきっと「2人のバイオリニストビオラ及びチェロ奏者各1人をかき集めて旋律が上手く行くかどうか調べにゃならん」てなことが起きていただろう。そしてもちろんチェリストは、ある音符について「どぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅん」と演奏するようお前が何度も何度も何度もお願いするのにうんざりして1時間後にはそこを立ち去ったことだろう。

 少なくともピアノがあれば、お前の小さな指以外に迷惑をかけることなく「どぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅん」とやることができる。

 かくして1800年代においてピアノは中心的な作曲道具となった。そして同時に社会中産階級が暇と屑な時間を持つところまで進化し、そしてもし彼らがスポーツゲーム発明しなければ、彼らは音楽その他を演奏したいと望み、そんでもって家に持ち込むためピアノを注文できるようになった。欧州だけでなく日本でも、少なくともウィリアムペリーが彼らを開国して西洋化が始まった後には、同じことが生じた。基本的にピアノ文明化の証と見なされ、そして有名な山葉寅楠ってヤツがイケてる連中のため日本製ピアノを作り始めた。

 19世紀末20世紀音楽制作にとって黄金時代だった。楽譜を買って他人の歌を演奏する方法で「音楽を作る」こともできたし、あるいは作曲理論について十分に学び自分の曲を創造するというやり方で「音楽を作る」こともできた。そうした取り組みの多くはピアノの周辺で起きた。ピアニストが力を得た。鍵盤があれば、お前はスターになることができた。

 そして、とんでもないことが起きた。

  ***

 ミクだけじゃない。巡音ルカとリンとレンも公演に出てきたぜ! 全ボーカロイドパーティだ。彼らの異なる声質と、ミクと組む様々なやり方は、見事な音の見本集になっている。他のキャラクターが登場するのを見た観客たちは熱狂している。異なるシンセサイザープログラムマスコットに過ぎないにもかかわらず、彼らはまるで我々の友であり家族であるかのようだ。ようつべニコ動を使って彼らを我が家へ招待しよう。彼らの声を我らの生活のサントラにしよう。電子的に作られたアニメキャラが本当のミュージシャンになれるのかって? おk、ならお前に聞いてみよう。魂のない箱がお前の周囲の空気を震わせているけど、それは本当の音楽なのかい?

  ***

 それこそが実際に起きたとんでもないことだ。録音された音楽。録音された音楽こそ、音楽史の中で起きた最悪の出来事だ。

 ひとたび蓄音機を、ラジオを、レコードプレイヤーを、カセットプレイヤーを、CDプレイヤーを持ってしまえば、音楽を楽しむのに「音楽を作る」必要はない。コンサートホールチケットを手に入れる必要もない。単に座って、電気を使った箱にお前を楽しませればいい。ピアノ専門家のための道具に成り下がった。それは淑女が結婚に必要な才能を覚えるためのものに、あるいは子供が(1)それを憎んでいることに気づく(2)両親が子供に才能があることに気づいてプレッシャーを積み上げ始める――まで稽古を受けるものとなった。もし(2)の現象が起きたなら、最後にはピアノを本当の演奏楽器あるいは作曲用の道具として使うようになるだろう。しかしそれはもはや「音楽制作」の中心にはない。

 さらに悪いことにロックギターをポピュラーにしてしまった。ギターが人気になり、ピアノは役立たずとなった。お前が鍵盤楽器を学ぶのは、ビートルズにしてくれるものを持てずバッハベートーベンにしがみつくしかないある種の意気地なしだからだ。誰が決めたルールか知らねえが最低だ。10代のころ、俺はピアノを使ってランキング上位40の曲を弾けたおかげで女の子たちに「いくらか」いい印象を与えられた。けど、結局はクラスの野郎どものうちその曲をギターで弾けるヤツがいつも勝ちやがった。くそったれ。

 だがここで思い出してくれ。俺は、イタリアピアノ発明したことが日本初音ミク発明への扉を開いたと言ってきただろ? ピアノ21世紀に飛び込むときに今一度変革に見舞われたんだ。

http://www.youtube.com/watch?v=-7EAQJStWso

  ***

 もし音楽を生み出す小さな電気の箱が「本物」であるなら、録音済みのコンサートに向かって「アンコール! アンコール! アンコール!」と叫ぶのは極めて正常だ。その音楽はお前を感動させたんじゃないのか? もっと聞きたいと思わないのか? というわけで映画館の観衆はもっともっとと叫び、そして彼らはアンコールを聞けることが分かっていた。なぜならそういう風に録音されていたから。ミクが公演を終わらせるため最後舞台に出てきた時、もう一度鑑賞力のある人々から歓声が上がった。それは人工的なものだが、とことん楽しむため我々はそれを本物だと見なした。まるでドン・コッブが[ネタバレ注意!!]インセプションラストで回転するコマから歩み去るかのように。ミクは夢のような存在だ。サウンド・エンジニアCGアーティスト音楽家が作り上げた美しい夢であり、決して卒業することも年を取ることもスキャンダルを起こすことも業界から追放されることも惑星上から姿を消すこともない完璧アイドルだ。彼女は実際、いくつもの「映像」を持っている。我々は皆、この音楽的見せかけの共犯者だ。過去の聴衆がモーツァルトオペラを、ガーシュウィンミュージカルを、あるいはかのすさまじいレ・ミゼラブルを本物であると信じたように。我々は十分深く信じられるようになるまで偽りの世界を本物だと信じるふりをする。その世界を感じるまで、見せかけの魔法を感じられるようになるまで。

  ***

 ピアノ最後の変革とは、もちろん電子化のことだ。

 真空管からトランジスタを経て迷宮のような電子回路まで。もしピアノの鍵盤が「あらゆる音符を見る」ことのできるインターフェイスだとしたら、それは作曲家に最も未来を感じさせるインターフェイスだ。そして我々にはシンセサイザーキーボードとMIDIコントローラーワークステーション世界が与えられており、そこでは遂にピアノが単なる「楽想を試す場所」から超越した。ちょっとした波形の調整によって、ハンマーと弦の機構に制限されることなくこれらの楽想を正確に響かせることができる。新しい音を作り上げることもできる。楽想の断片を記録し、他の楽想をその上に並べて電子キーボードを個人的な架空オーケストラに仕立てることもできる。ピアノピアノを超えた。それは作曲家の手の延長どころか、作曲家の心の延長となったのだ。

 一つだけ欠けているものがあった。声だ。

 そして、ご存知の通り、日本日本であり、彼らはやってのけた。彼らは人工物を誰よりも巧みに操った。彼らは本物の料理だと見栄えが悪くなるからという理由でプラスチック製の小さな食品サンプルを作った。本物の労働者は間違いを犯しがちだから製造ライン用のロボットを作った。本物の音楽家を家に入れるのは大変だから編曲家のために電子キーボードを作った。そして、人間の声を合成する技術が十分に発達した時、そしてそれが人工音声のためのペルソナ創造するというアイデアと衝突した時、ミクが見せかけの音楽における21世紀スーパースターになるのは当然のことだった。

 中にはボーカロイドというアイデア音楽家の全てを破壊するという人もいるだろう。全ての仕事ソフトウエアがやってくれるのに、誰が人間を必要とするんだ? 俺が思うに、ボーカロイドってのは偉大なる民主化の旗手であり、音楽家のために沢山の扉を開いてくれるカギなんだ。過去において、もしお前が作曲家編曲家あるいはプロデューサーなりたければ、まず自分の曲を書いてそれから演奏家を探し見つけ出すしかなかった。何しろお前の傑作に生命を吹き込みたければ、5人編成のバンド、20人編成のオーケストラ、そして3オクターブ半の音域を持つ歌い手がいないとどうしようもなかったのだから。マジ悲惨。だがミクがいれば誰もが作曲家になれる。誰もが自宅のスタジオで曲を作り、正しい機材があれば、電子機器を使った完全なポピュラーソングを生み出せる。ボーカロイド音楽家仕事を奪うわけじゃない。それまでミュージシャンには決してなれないと思っていた人々の中からミュージシャンを作り出すんだ。動画投稿サイトで毎日そうしたことが起こっているし、こうしたコンサートではそれまで決して聞いたことのないような人々が突然電子王国の宮廷音楽家になれる。非常識なほどの大金持ちだった王家の人々の手にあった手製の楽器から、平民たちの手に握られた緑の髪の女神へ。それがこの大きな3世紀の違いだ。

 何であれ多くの人々が音楽を作ることは、単に大人しく聞いているだけよりもいいことだと俺は信じる。俺は魔法を、ボーカロイドを、ミクを信じている。

=====以上翻訳終了=====

 誤訳は当然あると思う。でも面倒なので修正はしない。

衝撃防止姿勢

家内といろいろな用事をしてきた。

冬が来る。

紀伊国屋に行った。TOEIC模試の本と単語の本を買った。

英語TOEICの本はほとんど置いてなくて日本語TOEICの本は山ほどあるのが異様だった。

ユニクロに行った。コール天イージーパンツを2点買った。

時間前に、医者休職必要、と言われた。数ヶ月後の失業がほぼ確定した。

先週、人事の人は、医師委任契約、結果の保証はしない筈、と言った。

(完成を以て引き渡すのが請負契約だっけ?)

街中を見ていると飲食の求人はじんわり増えている。

別にブラック居酒屋ばかりが増えているということでもなさそう。

失業に備えた衝撃防止姿勢は、これが人生3度目。慣れない。

アメリカ白人中産階級終身雇用を奪ったのは日本人だ。

因果は巡るんだ、今度は自分たちがそうなるだけのことだ、と思う。

2010-07-26

http://anond.hatelabo.jp/20100726091711

コーチカーターという映画を紹介したい。実話が元ネタ

主人公はスポーツ用品店経営、2店舗オープンで少し忙しいが、逆にいえばそこそこに経済的には成功してる黒人

Tシャツジーンズとかじゃなくて、ちゃんとスーツネクタイ、調度品も品よく、息子にもワイシャツスラックス着せたりする、典型的中産階級として登場。

で、母校からバスケコーチの依頼が飛び込む。

チームはバラバラ、ルーキーズ状態。

報酬的にはボランティアというほど安くないけど、経営者時間を割いてまでしたいほどの高給ではない。

でも、ちょっと悩んだが結局引き受けることに。

で、ヤンキーだらけのチームのコーチ就任だわ。

コーチ就任当日、いきなり契約書を選手に突きつける。

契約内容は次の通り。

・Sirをつけて話す。

試合当日はネクタイ着用。

・高校の授業は最前列で受講すること。

学業成績も平均以上(数字は失念)

「アホか」

と言って数人は退部。

で、ここからは鬼コーチイメージ星一徹か宗方コーチかって感じだ。

「はーい、今からおまえ腕立て。え、いや?口応えしたから腕立て追加とダッシュ追加。はやくやれよ。え?もっと追加して欲しいの?じゃさっさと。」

「はい。」

「はい、じゃねーよ、わかりました(Yes,Sir)だろ」

みたいな感じでしばしスポ根

で、チーム絶好調。派手な試合シーンが続く。スラムダンクの実写みたいな感じ。地区大会優勝。

そこで、コーチ選手学業成績の開示要求。学校は拒否するけどゴリ押し

問答無用で休部。体育館閉鎖。

コーチ「成績がC以上ならスポーツ特待で奨学金が出る。だから休部!」

PTA激怒。「あの子たちには今が人生で一番輝いてるの!」

コーチ「それは違う。今が一番じゃなくて、これからもずっと輝き続けないといけない!流されて生きて貧困にあえいで犯罪者になってクスリに手を出して撃たれて死ぬ、そんな人生じゃダメだ!」

結局、学校サイドが勝利して裁判所強制執行体育館開放。

選手たちは自主休部。

続きはお約束、活動再開→快進撃。ハッピーエンド

作中でコーチが「おまえたちはなにに怯えている?」と何度も聞くんだ。

ラスト選手の1人がその問いに答える。

「俺たちは、自分が輝くことを恐れていた。うんぬん」

ワルぶっていた人間が突然路線変更して大学目指すというのは、アメリカ人だって勇気がいるらしい。でも、いつか変らないと貧困から抜け出せず、ゴールは1つ(そして日本よりもずっと悲惨だ)だってことを普通に考えればわかる。

アメリカ大学の学費は安いというのはサヨクの流したデマで、州立だってかなり高くて奨学金制度を利用しないことにはって背景があるらしい。学生ローンで破産がうじゃうじゃでも、進学率は高い。

高校卒業したら働くっていう選択のほうがずっと易しい。

結局、半数以上が大学に行った。

医者とか弁護士になろうとしてる人もいる。

選手の1人は、産む気満々の妊娠した恋人子供をおろさせた。

それが美談になる、そういう社会

さて、生活保護家庭の野球が、コーチカーターのなかのバスケとどの点で同じでどの点で違うか考えると、深い。

2010-07-03

財政破綻したとき、誰が困るかご存じですか」

http://www.asahi.com/politics/update/0702/TKY201007020468.html

ブックマークあいからわずだね。

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/politics/update/0702/TKY201007020468.html

菅首相がいいたかったことと、一般人の理解にギャップがあるように思う。

お金持ちの人は海外に移住ができるといいたかったのではないだろうか。

資産が多ければ多いほど行ける国の選択肢は増えるという厳然たる事実がある。

例えば中国人だって、お金があれば日本にだって自由にこれる。年収が低いひとは旅行ビザだってとれない。

中国そのものが裕福になってきているので最近は緩和されそうだ。

永住ビザとなると条件がさらにあがる。どこの国も貧乏人なんて来てほしくないだろ。

日本人海外ビザを取ろうとしたときだってそうだ。有能で特殊技能がある人か、資産を持ったひとしか受け入れない。

技能があって税金をおおくおさめてくれる人か、資産があって仕事をつくれる人かしかおよびではない。

現地の庶民の仕事を奪うような人は要らない。

例えば、リタイアメントビザというものがあるが、オーストラリアでさえ7000万以上の資産を持っていないとダメ

シンガポール財産13億円以上あり3億3千万円以上シンガポール内の銀行預金しているとかそういう感じ。

ここらへんの条件は年々どこの国も敷居をあげつつある。10年前の倍ぐらいになってきているよね。

永住権じゃなくても、年収1500万以上、資産で1億以上がないとそもそも検討の俎上にも上らん。

財政が破たんしたら貧乏人が貧乏くじを押し付けられるのは間違いない。

一定以上のお金持ち(たとえば政治家なんて)もし、財政破綻があったとしても、一時的に資産海外に逃がして、焼け野原にした後、また悠々と戻ってくれば済む話しだ。

庶民は逃げるすべもない。

ここらへんは北朝鮮デノミしたときに中産階級以下の資産がどうなったかを調べればいいと思う。

というか、ここらへんのやり口は昔しから変わってないよね。

徳政令ぶっぱなされて大変な思いをするのは、借金を踏み倒された方なんだよね。

庶民はサラ金での借金と、資産がある人が借りる借金の違いもわからない。

ゴーンさんぐらい資産があって、しかもスキルがある人なら、文字通りどこの国にでも行ける…。

G20でも日本財政健全化を除外された。日本大丈夫だから除外されたととるか、日本はもうダメそうだけど他国への影響がすくないからととるかは人それぞれ。

誰が困るかご存じですか?と街頭演説とか、知っている人はそんなことは知っているし、知らない人に教えても、反感を買うだけだ。だって解決策ないんだもん。あんの?

2010-03-13

貧困大国(アメリカ)の真実。今月のクーリエ・ジャポンの記事を読む

ttp://fukuma.way-nifty.com/fukumas_daily_record/2010/02/post-d62b.html

増え続けるフードスタンプ受給者(その割合で色分けされたアメリカ地図は受給者が増えすぎて真っ赤だ!)、医療崩壊現実(高額な民間保険が中心で、中産階級でも病気をすれば破産一直線と言う実情)、学生借金漬けになる教育システム(既にリーズナブル教育サービスはほとんど無い)、刑務所ビジネスが引き起こすもの(民営化刑務所により利益が追求された結果、囚人を安い労働力として酷使しているシステムになっている)

2009-10-26

http://anond.hatelabo.jp/20091026065404

ただインフレになるだけじゃダメ

資源インフレになったら物価が上がって給料は下がる。

中産階級以下壊滅。

購買力を介したインフレのみが解決法。

2009-10-04

リフレ派大好き、ノーベル賞経済学者クルーグマン意見

http://blog.goo.ne.jp/harunakamura/e/0d5a3464c5354fc1f416451b9b9e940d

クルーグマンは、アメリカ戦後中産階級社会は、自由主義経済によって自動的に出来上がったものではなく、ルーズベルト政権の政策によって作り上げられた。

労働組合の強化、ソーシャルセキュリティメディケアのような再分配原資を確保する為に金持ちに高額課税をしたりすることによって、所得格差を縮小し、労働者階級貧困から救い出し、ブームを引き起こした。

しかし、保守派ムーブメントによって保守党政権を奪還して、金持ちを利するために、欺瞞と狂気の政策で逆転させてしまった。

金持ちへの減税、ソーシャルプログラムの廃止、組合潰し、と言った保守的イニシャティブによって、富める者を益々豊かにし、弱者貧困に追い詰め、深刻な格差社会を生み出した。として、

レーガン大統領保守反動政治を皮切りに、アメリカ社会が大きく右傾化し、ブッシュ政権を経て極に達するに至った経緯を、ヨーロッパ福祉国家的な動きと対比させながら、アメリカ独自の「保守派ムーブメント」を浮き彫りにして論じている。

2009-08-16

http://anond.hatelabo.jp/20090523142526

俺のイメージ

富裕層

ダメなやつはなにやってもダメだから、彼らに働いてもらうよりはロボットとか移民とかのほうがマシ。

かといって、職奪って餓死させちゃうのもかわいそうだから、みんなで死なない程度に養ってやろうぜ」

中産階級

「働かざるもの食うべからず!税金で食わせるなんてもってのほか!」

底辺

「生活できないから金くれ。財源とかどうでも金くれ」

2009-08-12

anond:20090811143228

監督のいう「普通の人」というのは、作品DVDを買うことができる階層の人(またはその家族)って意味だと思う。

実際、映画館まで観に来てくれている層を無視なんてマーケティング的にはあり得ないだろう。

それに、DVD購入層と映画館で観る層に、大きな違いがあるとも思えない・・・。

読みが浅い。

一人で映画館にくる独身子連れ映画館に来るファミリー層はぜんぜん違う。そして、DVDを買っていただけるお客様は主に後者なのだ。

子連れファミリー層は

独身貴族 ⇒(結婚)⇒ 家族持ち平民

進化してきた中産階級。有名大学でて上場企業に勤めていたり、高校で人気No1だったり、田舎公務員やってたりする、監督が「普通の人」と呼んでいる人達

それに対し、大元増田

独身平民 ⇒(仮に結婚できるとしたら)⇒ 家族持ち貧民

というような階級に属し、独り身のうちならなんとか映画館に行くこともできるが、(万が一)結婚したらとてもとても映画なんか見に行けそうもない。DVDなんか買えるわけもない。

この手の人が「あんなの普通じゃない。エリートばっかりだ」なんて叫んでも空しいよな。

2009-07-29

言葉資本主義は金を作るのに適した仕掛け、社会主義は金を使うのに適した仕掛けである。

資本主義は金を作るのに適した仕掛け、社会主義は金を使うのに適した仕掛けである。

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51240258.html

金を作るというのは多様性を下げる行為であり、金を使うというのは多様性を上げるという行為である~

~たとえば食事のことを考える。金持ち1:貧乏人9の世界では、金持ちのみがレストランに行けるが、中産階級10の世界では、全員がレストランに行ける。レストランの多様性は、これで10倍となる。

2009-04-27

釣られてみる。

http://anond.hatelabo.jp/20090427115914

仕事くれ、金は先進国並みで

発展途上国の人たちがそう言ってるってより、

先進国のお坊ちゃんお嬢ちゃんが言っている印象があるんだけど。

誘致側の希望雇用技術習得だけなんじゃないの?

貧困撲滅も大事だと思うし。

日本はそこそこ値の張る商品が輸出のメインなんだから、

海外中産階級を育てて、購買力をつけてもらうのも

国益に叶っていると思うんだけどな。

2009-01-29

http://anond.hatelabo.jp/20090128214159

鶏議論になりそうだけど、

つまりごく一部の金持ちが全体に影響を及ぼすような権力を持っているということ。

本当に超がつくほどの一部だよ。

大抵の場合、金持ちから金を奪って貧乏人に配れという構図や議論の金持ちにロスチャイドやロックフェラーなんかは入ってこない。

お金をする側の立場の人たちは入ってこない。

ちょっとした中産階級意図され、実際に税金をかけるのもそこだ。

たしかにお金フリースケール。

ロスチャイド、ロックフェラーモルガン。彼らはお金をいくらでも刷れるFRB側にいる。

彼らはお金を文字通り根拠なくつくれる。

そんな文字どおりのお金持ちからどうやって奪う?

オバマは少数の強欲なという言葉でどうやら本気で挑むかもしれないが、暗殺されないことを祈るばかりだよ。

日本

日本は体よく本当の金持ちには影響のないような中産階級潰しの税金をかけて終わりさ。

麻生鳩山のような一族がどれだけ税金収めた?

彼らがルールを作る側なんだから、よろしくやられておしまいさ。

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