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はてなキーワード: ワークステーションとは

2024-04-13

anond:20240413084611

すまんかった、ラップトップ表記ふつうに見落としてた。

しかTDP 157W を積めるノートPCはゲーミングとかワークステーションと銘打たれているのがふつうで、15W のモバイルノートとはラインナップが違うんや。それはわかるやろ。

2024-01-31

被災地じゃ凍えながら耐えている人もいるというのに

原作改変がどうのドラマがどうのと生産性のかけらもない

避難所ワークステーション持って行ってビットコインを掘って避難所を温めたり寄付したりしろ

2024-01-13

予算消化ねえぇ。出張するけど、たいした金額ならないし・・パソコンをかうしかないような。

パソコンRyzenスリッパーを除くとハイエンドのやつ。いまとなっては旧世代のを数年前一つ。

去年の今頃、最新のを一つ。昨年末に一つ。そしてまた一つ。合計4つか。

一人一台ハイエンドパソコンってかんじか。クラスターにしてしまえばいいだけのことだけど・・・

むかしむかしワークステーションなんていうのがあったけど、そんなかんじか。

2023-03-20

anond:20230320130534

この頃のでき事

3月2日 - キヤノンが「EOS650」を発売。同じ日には旭光学工業が「ペンタックスSFX」を発売。

3月3日 - 日立製作所が全自動洗濯機静御前」を発売。

3月3日 - 武田薬品工業が「アリナミンV-DRINK」を発売。アリナミンシリーズでは初の栄養ドリンク

3月5日 - 岩手靖国訴訟で、盛岡地裁首相靖国公式参拝合憲判決

3月9日 - トヨタ自動車東京電力などの出資日本移動通信IDO設立現在KDDI前身)。

3月13日 - 中国残留孤児の定期訪日調査終了。

3月14日 - 日本南極商業捕鯨終了。

3月17日 - 朝日麦酒日本初の辛口ビールアサヒスーパードライ」を発売。

3月18日 - 神戸市営地下鉄西神・山手線学園都市駅 - 西神中央駅間が開業し全通。

3月18日 - 舞鶴若狭自動車道丹南篠山口IC - 福知山IC間が開通(舞鶴若狭自動車道では最初の開通区間)。

3月21日 - 中曽根内閣佐藤内閣吉田内閣に次ぐ戦後3位の長期政権へ。

3月22日 - アップルコンピュータが「Macintosh II」と「Macintosh SE」を発表。

3月23日 - 予讃線高松駅 - 坂出駅多度津駅 - 観音寺駅間、土讃線多度津駅 - 琴平駅間が電化四国では初の電化)。

3月28日 - シャープがパーソナルワークステーションX68000」を発売。

3月30日 - 安田火災ゴッホの「ひまわり」を53億円で落札する。

3月31日 - 三井物産マニラ支店長誘拐事件被害者フィリピンケソン誘拐から137日ぶりに釈放される。

3月31日 - 吉本興業劇場なんば花月大阪市南区。現中央区)が閉館、4月から近隣に新築したなんばグランド花月にその役割を譲る。 http://kansou-review.com/maisonikkoku-comic-155/

2023-02-23

最近ワークステーションメモリ64GBがデフォくらいになってるの?

32GBで見積もったら予算大幅に下回ったんだけど。

2022-07-27

今、MATLAB立ち位置はどういうところか

雑誌Interfaceライセンス6ヶ月無料となっていて、一部界隈で話題になっているMATLAB


普段MATLABを使っている身だが、Pythonライブラリが充実している状況で、MATLABを使う意味は何か悩むことがある。

それなりに高いライセンス料を払って効果出てるのかって話になる。

本体だけでなくToolboxも使い出すと高くなる。

MATLAB言語仕様として速度が遅い(for文はJITで昔より高速になったというが遅い)だけでなく、高いワークステーションを買ったとしても普通にプログラムするとシングルプロセスで遅い。

GPUマルチコアの性能を活かすには、それ用のコードに書き換えと、メモリーコピーの影響などもあるので実際速くなるかプロファイル試行錯誤必要になる。


これ以外にGUIが古臭いなのに遅い、使いにくいなどがある。

plot周り、画像周りは気になる。


学生教科書+αとしてMATLABを使うのは、まだわかる。

とはいえ学生からすると会社に入ってからは使わない物を学ぶより、Pythonを学びたいはずだ。


企業が使う場合に関しては、先に挙げた理由でまず業務効率になかなか結びつかない。

レイヤー過ぎて開発コストがかかる、コストがかかる割に遅いなら別の手段で開発するはずだ。

からMATLABコードを動かしている所以外、新規MATLABを学ぶメリットはあるのか。


もう1つ気になる点は数値計算画像処理など、色々対応してはいるが、

業務で使おうとなった場合、足りてない部分が多くある。

画像だったらHDRの表示対応などだ。今どきのディスプレイ表示に対応してない。(HDR機能はあるが古い)

CAE的な物も教科書的な物は出来るが、業務的な物は扱いにくい。

toolboxが沢山あり、かつドキュメントもそれなりの量があるので、業務でも使えそうに思ってしまうが、

実際業務を進めると詰むことになり、結局別の有名ソフトで立ち上げ直すとなりがち。


(Juliaが代わりになると一時期話題になっていたが、実際本格的に使うと色々足りてない。)

2022-07-18

UNIX 哲学」についていくつか

名著「UNIXという考え方 - UNIX哲学」は本当に名著なのか? 〜 著者のガンカーズは何者なのかとことん調べてみた - Qiita

この記事はよく調べてあるなぁと思う反面,事実関係の間違いも多く当時の空気感など欠けていると思う部分がいくつかある。事実関係に関しては追い切れないので参考文献を挙げるにとどめておくが,空気感のほうはいくつか書いておく。なお当該記事の「当時と今では状況が全然違うんだから安易に『UNIX 哲学』とかいうな」という主旨には大賛成である

参考文献

初期の UNIX歴史について興味がある向きには次の書籍お薦めする。

Peter H. Salus『A Quarter Century of UNIX』(1994, Addison-Wesley Publishing)

和訳の『UNIXの1/4世紀』(Peter H. Salus, QUIPU LLC 訳, 2000, アスキー) は絶版のうえ訳も微妙なので薦めづらいが,原書The Unix Heritage Society (tuhs) で PDF が無償公開されているので,英語が苦にならないのなら読んでみるといい。

また同じく tuhs で無償公開されている Don Libes and Sandy Ressler『Life with UNIX』(1989, Prentice Hall)を読めば80年代終りの UNIX の状況(XENIX についてもしっかり言及されている)や利用者目線での雰囲気もある程度判るだろう。

哲学

記事で一番気になるのが「哲学」という語の捉え方。この言葉の強さに引きずられているように読める。でもこれ,当時は設計基本的な考え方くらいの意味でわりとよく使われていた言葉なんだよね。たとえば米 BYTE 誌のアーカイブを “philosophy” で全文検索するとこんな感じ。

https://archive.org/details/byte-magazine?query=philosophy&sin=TXT&sort=date

ほぼ毎号のように出現していたのが判るだろう。

もっとも猫も杓子も「哲学」を振りかざしていたわけではないし,UNIX開発者たちが「哲学」の語を好んで使っていたのも間違いないように思う。傍証の一つが AT&T定期刊行物『The Bell System Technical Journal』の1978年7, 8月号だ。元記事言及されているマキルロイの Forword の初出がこれで,ネットのアーカイブから PDF が入手できる。

この号は二部構成になっていて第一部が Atlanta Fiber System に関する論文12本(全172ページ),第二部が UNIX に関する(Preface や Foreword を含む)論文22本(全416ページ)となっている。さて前述の PDFOCR されているので “philosophy” で全文検索してみると8箇所見つかる。これが見事に全部 UNIX論文なのだ。もちろん論文性質もページ数も違うからこれだけで確定的なことはいえないが「日常的に使っていたんだろうなぁ」という推測は成り立つだろう。じつはマキルロイ哲学とされている部分は “Style” であり “philosophy” の語は一切使われていないというのもちょっと面白いUNIX開発者たちがなぜ「哲学」という語を好んだか正確なところは判らないが,それまでにない新しい考え方に基づいた OS を開発しているという意識があれば,そういう言葉を選ぶのが自然時代だったことは間違いない。

UNIX認知され拡がっていく過程で「哲学」も知られるようになっていった。自分が好むものの良さを他人にも識ってもらいたい,あわよくば他人もそれを好むようになって欲しいという布教活動は今も昔を変らないわけで「哲学」はその便利なツールとなったわけだ。元記事ではガンカースの著作を「外部の人間が後から打ち立てた哲学」と表現しているが,そんなたいしたものではない。マキルロイ論文に影響を受けた布教のためのああい説教は到るところにあった。たとえば前掲の『Life with UNIX』にもしっかり Philosophy の項がある。また日本最初期の UNIX 解説本のひとつである村井純井上尚司・砂原秀樹『プロフェッショナル UNIX』(1986,アスキー)には冒頭次のような一節がある。

オペレーティングシステムは,コンピュータを使うものにとっての環境形成する基盤であるから,そのうえで生活する者の個性尊重し,より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェアでなければならない。この主張こそが,UNIXオペレーティングシステムとしての個性ではないだろうか。

 

    プロフェッショナル UNIX村井純井上尚司・砂原秀樹,1986,アスキー)p 3.

「より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェア」とはテキストを入出力フォーマットとする単機能コマンド群のことで,これらをパイプでつなげたりシェルスクリプトでまとめたりすることで「そのうえで生活する者の個性尊重し」た「より良い環境へと作り上げて行く」ということだ。こういった説教はありふれたものであった。たんにそれを「哲学」の語を用いて書籍にまとめたのが,たまたまガンカースだったというだけのことである

そしてじつは UNIX場合布教活動とはべつに「哲学」を広めなければならない切実な理由があった。これを説明するのは非常に面倒くさい。当時と今ではあまりにも環境が違うのだが,その違いが判らないと切実さが伝わらないからだ。マア頑張ってみよう。

UNIX の利用環境

UNIXPDP というミニコンピュータミニコン)上に開発された。このミニコンを使うためには専用の部屋に行く必要がある。その部屋は,もちろん場所によって違うわけだが,マアおおよそ学校教室くらいの大きさだ。長机が何列か並んでおり,そのうえにはブラウン管ディスプレイキーボードを備えた機器が等間隔に置かれている。壁際にはプリンタが何台かあるだろう。通っていた学校コンピュータ室などと呼ばれる部屋があったならそれを思い浮かべればだいたい合ってる。ただし置かれている機器コンピュータではなくコンピュータ接続するための端末装置ターミナル)だ。端末装置キーボードで打った文字コンピュータに送られコンピュータが表示した文字がそのディスプレイに表示される。現在 UnixOSCLI を使うときターミナルとか xterm という名のアプリケーションを用いるがこれらは端末装置エミュレータで,もともとは実体のある装置だったわけだ。

さてコンピュータ室にたいていは隣接するかたちでマシンルームなどと呼ばれる六畳くらいの部屋がある。窓ガラスで仕切られたこの部屋には箪笥洗濯機くらいの大きさの装置が何台か置かれている。これがコンピュータ本体だ。もっとコンピュータが何台もあるわけではない。この箪笥CPU でそっちの洗濯機ハードディスク,あの机に置かれているタイプライタ管理コンソールといった具合に何台かある装置全部で一台のコンピュータになる。どこが〝ミニ〟だと突っ込みたくなるかもしれないが「六畳で収まるなんて,なんてミニ!」という時代お話だ。

端末装置それぞれからUSB のご先祖様の)RS-232 という規格のアオダイショウみたいなケーブルが伸び,マシンルームに置かれたターミナルマルチプレクサと呼ばれるスーツケースに台数分のアオダイショウが刺さってコンピュータとの通信を行う。コンピュータと多数の端末装置を含めたこれら全体をサイトと呼び,root 権限を持って管理業務を行う人をシステム管理者あるいはスーパーユーザと呼んだ。

結構上手に説明できたと思うのだが雰囲気は伝わっただろうか。ここで重要なのは一台のコンピュータを数十人が一斉に使っていたという事実だ。洗濯機とかアオダイショウとかは,マアどうでもいい。

自由不安定OS

当時の UNIX評価一言で表すと〝自由不安定OS〟となる。メーカお仕着せではなく自分好みの「より良い環境」を作りあげる自由さらに他のメインフレームミニコンOS に比べると一般ユーザ権限でできることが圧倒的に多かった。そしてその代償が不安定さ。今では考えられないが UNIX のその不安定さゆえにプロOS ではないと考える向きは多かったし「でも UNIX ってすぐ落ちるじゃん」というのは UNIX アンチ定番ディスりだった。UNIX の落とし方,みたいな情報がなんとなく廻ってきたものだ。

こういった雰囲気を鮮やかに伝えてくれるのが,高野豊『root から / へのメッセージ』(1991,アスキー)だ。当時アスキーが発行していた雑誌UNIX MAGAZINE』に連載されていた氏のエッセイ1986年11月から1988年10月掲載分までをまとめた書籍である。著者の高野氏は勤務先の松下電器1980年ごろから UNIX サイトスーパーユーザを務めており,日本では最古参の一人である。この本の中で高野氏は繰返し UNIX自由さと不安定さに言及している。すこし長くなるが,その中の一つを引用しよう。

CPU は,システムにとって重要な共有資源であるが,この CPU実質的に停めてしまうことが UNIXはいとも簡単にできる。たとえば,cc コマンド10個くらい同時に走らせてみたらよい。VAX-11/780 といえども,同時に実行できるコンパイルはせいぜい3つか4つである。それ以上実行することも当然可能ではあるが,他に与える影響が無視できなくなる。つまり,てきめんに viカーソルが動かなくなる。あるいは,すこし大きめなディレクトリ上での ls コマンドの出力が表示されるまでに煙草を1本吸い終えてしまったり,タイムアウトログインが撥ねつけられたりといったバカげた現象が起きだすのである。こういった状態になると,UNIX破壊されたに等しい。真夜中,独りで VAX を占有して使っているのなら何をやろうとかまわない。しかし,20人30人と多数の人間が使っているとき勝手をやられると非常に困るのである当人仕事が遅れるのは自業自得だとしても,そのとばっちりで他のエディタまで止まってしまうと,もはやどの仕事も進行しなくなる。

ディスクについても同様なことがいえる。UNIX では,ファイルシステムを使いはたすまで大きなファイル自由に作ることができる。したがって,自分プロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュアが使うと悲惨なことになる。ディスクを使いはたすと,コンソールタイプライターにエラーメッセージが出力されるが,夜中にそれが発生して,コンソールタイプライターが一晩中エラーメッセージを打ち続け,朝マシンルームに行ってみると紙を一箱打ち尽くしてしまい,ピーピーと悲しげな声を上げて人を呼んでいた光景を私は何度も見てきた。こうなると,それをしでかした本人のプロセスは当然のこととしても,同じディスクで走っている他のプロセスも先に進めなくなってしまう。すこしでも負荷を夜間にまわそうとする善意は逆転してしまい,わずかでも仕事を先に進めようとする意図完璧に打ち砕かれてしまうのである

 

    root から / へのメッセージ高野豊,1991,アスキー)pp16-17.

そして,こうした不安定さが「哲学」を必要としたのだ。自分が利用しているサイトに「cc コマンド10個くらい同時に走らせ」たり「自分プロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュア」がいるとその累は自分にも及んでしまう。だからサイト利用者全員に UNIX設計基本的な考え方を理解してもらうことが,自分のために必要だった。UNIX伝道がより苛烈だった理由ひとつがここにあるのだ。

ミニコン UNIX終焉

ミニコン上で誕生した UNIX は 4.3BSD(1986)で最高潮を迎える。注意したいのはミニコン時代UNIX は Research UNIXCSRG BSD みたいな区別をせずにまとめて UNIX として扱われていたことだ。実際『プロフェッショナル UNIX』も『root から〜』も UNIX記述されてはいるが実際には BSD を扱っている。べつに当時の人が無知だったわけではない。なにしろ BSD を利用するためにはまず AT&T から UNIXライセンスを購入し,そのうえでカリフォルニア大学バークレー校(UCB)から BSD を入手しなければならなかったからその関係は当然広く知られていた。ベル研発明された UNIX を外部の人たちも含めみんなで改良し,それら全体が UNIX であるという考え方が自然だっただけである。『Life with UNIX』のような英語の文献によく登場する “Berkeley UNIX” という言い回しが当時の気分をよく表している。UNIX vs BSD みたいな捉え方は法廷闘争を経た90年代以降の感覚だ。

もっともそういう70年代風味の牧歌的風景ミニコン世界限定の話であった。BSDのものミニコンのものしかなかったが,そのコードを受け継いだ BSDUnixAT&T推し進める System V などがワークステーション市場舞台80年代中盤から激しく覇権を争うようになる。いわゆる Unix 戦争で,PCUnix であるマイクロソフトXENIX も当然参戦した。ミニコン世界牧歌的だったのは,ぶっちゃけていえば先のない技術だったからだ。ただ Unix 戦争あくまでも標準という聖杯を争う戦いであり,AT&TBSDUnixSun Microsystems が共同で System V Release 4.0 (SVR4) を作りあげたように後の法廷闘争とは趣が違う。

こうしたミニコン UNIX からワークステーション Unix への転変は Unixのもの文化にも変化をもたらした。まず激しい競争Unix の高機能化を加速した。商品として判りやす惹句が「あれもできます,これもできますなのは誰もが知っている。もちろん安定性を増すために quota のような利用者自由制限する機能も含まれていた。またワークステーション Unix現在UnixOS と同様同時に一人が使うものであり前述の布教必要性は大幅に減じた。達人たちのみの楽園から万人に開かれた道具に変ったのだ。こういった変化を体感したければ『root から〜』と水越賢治『スーパーユーザの日々』(1993,オーム社)を読み比べてみるといい。『スーパーユーザの日々』はワークステーション Unixシステム管理入門書だ。この本ではたんに知識を羅列するかわりに架空ソフトウェアハウス(開発会社)を舞台新卒社員が先輩社員からシステム管理を学ぶという体裁をとっており,そのおかげで架空の話とはいえ90年代前半の雰囲気が堪能できる。出版年でいえば『root から〜』と二年しか違わない『スーパーユーザの日々』の落差は “dog year” と称された当時の激烈な変化まで体感できるだろう。

UNIX 哲学背骨

当時はよくいわれたのに今やほとんど聞かれなくなったものがある。マキルロイ論文結論部分に書かれたそれは,1973年出版されたイギリス経済学者エルンストシューマッハー著作題名で,中学生英語力があれば十分に理解できる平明な一文だ。

Small is beautiful.

マキルロイは『人月神話』を引いて一定留保をつけてはいものの,これが UNIX 哲学背骨であることに違いはない。機能をありったけ詰め込もうとして失敗した “kitchen-in-a-sink” な MULTI•csアンチテーゼである UNI•x にとって,これ以上のスローガンがあるだろうか?

ひるがえって現在UnixOS をみれば,ブクブクと肥え太ったシステムコール,全容を俯瞰するだけでも一苦労するライブラリインターフェイス,一生使うことのないオプションスイッチまみれのコマンド群。UNIX仮想敵とした OSのものだ。そのことについてとくになにも思わない。ハードウェアは長足の進歩を遂げ,コンピュータの応用範囲は途方もなく拡がった。UNIX が変らなければたんに打ち棄てられ,歴史書を飾る一項目になっただけだ。ただ現在UNIX 哲学」を語るならそうした背景は理解していなければならないし,どれだけ繊細な注意を払ったところで〝つまみ食い〟になってしまうことは自覚すべきだ。

2022-02-04

今頃ジュラシック・パークを初めて見た

上映当時をリアルタイム経験したくせに、その頃は歌番組プロ野球といったメジャーものにノレなかった、
今で言うド陰キャコミュ障キモオタだった自分は、ハリウッド映画にも全く触れずに過ごした。

おかげですもごっつも、スーパージョッキー元気が出るテレビとかも、B'zもドリカムユーミンスルーしてたのだから筋金入りだ。

そんなキモオタ学生も、今やどこにでもいる冴えないおっさん、いやジジイだ。

そんなジジイTwitch推しが「見る」というだけでホイホイ見に行くんだから、まあその、なんだ、特に弁解はない。

さて、きっかけはともかく、同年代からは「は?今頃?」と言われそうなタイミングで、ジュラシック・パークを見た。

感想としては、結構想定外意味で「いい映画だわ」と余韻に浸る結果になった。

以下、一応ネタバレあり。

正直、今回ちゃんと見るまで「まあハリウッド映画だし終始大スペクタクルで迫ってくるんだろうなー」と思っていた。

でも実際は「そこまで騒がしくない」というか、きちんとSF小説原作リスペクトしたというのが納得できる、良作だった。

個人的小説ベースの名画というとスタンド・バイ・ミーくらいしか出てこないが、あれに通じるストーリーの「真面目さ」「細やかさ」が作品うまみになっているというか。

しかし同時に、声を出してしまうようなカメラワーク(Tレックスとかヴェロキラプトルとか)も随所に散りばめられ、最後まで飽きずに見れたのは、さすが名監督スピルバーグ演出と言っていい。

ちなみに作中のイケメン数学者が薀蓄と口説き披露するカオス理論は、確かに当時の流行りだったが、それが回り回って今のAIかに関係しているんだから、息の長い分野である

そして一番興味を引いたのが、当時のコンピュータ周りの描写

とはいえフィクションの中に出てくるITなんてリアリティ的な意味でロクなもんじゃないし、実際この映画も警備システムをはじめ、微妙な所があちこちにある。

その上で注目したのは、本作での事件の発端となったシステムエンジニア(兼プログラマ)のキャラ

ピザをクッチャクッチャさせてそうなデブというのは、家庭にあるパソコンオタクおもちゃしかなかった当時では、プログラマステレオタイプだったわけで。

何より、アメリカでもGAFA世界覇権を握るほど伸びてくるまでは、たとえハーバードを出ていてもSE仕事ブラック待遇というのは考えさせられた。

まあ日本じゃ、令和の今もそんな感じだし。

更に当時はWindows95すら出ていないので、業務用にプログラマが使う計算機のうち、フルGUIワークステーションといえばUNIXとなる。

なので本作でもMotifだかXViewだかをGUIにしたっぽいUNIXワークステーションを、例のデブも使っていたし。

あとUNIXといえば、金持ちじーさんの孫2人のうちパソコン趣味の姉がUNIXを使えるというのも、もし父親研究者なら納得である(macでもいいけど)。

と、急に年甲斐もなく甲高い声で早口になってしまって恐縮だが、ある意味話の核になることもあり、興味深く見入った次第。

2021-10-28

チーズおろし

458Socket7742020/11/19(木) 10:50:05.48ID:APJK5nH0

1:ありえない仮定を持ち出す

 「世界最速 CPU である M1 を搭載した Macフェラーリと言って問題無いだろう」

2:ごくまれな反例をとりあげる

 「俺はPCHPワークステーションも持ってるよ」

3:自分に有利な将来像を予想する

 「スーパーコンピュータしか対抗機種は無くなるかと」

4:主観で決め付ける

 「iPad Proとか持ってるならもうそんな時代じゃないのが理解できると思うけど」

5:資料を示さず自論が支持されていると思わせる

 「ベンチベンチとバカひとつ覚えみたいに連呼する情弱数字に出ない性能ってのがあるんだよ」

6:一見関係ありそうで関係ない話を始める

 「Safari の最新版使える?」

7:陰謀であると力説する

 「アムダーってAMDヨイショするためなら何でも貶めるんだな」

8:知能障害を起こす

 「お前らはこれより速いフラッシュストレージを積んでるんだよな?この世に存在しないけど.」

9:決着した話を経緯を無視して蒸し返す

 「明らかに劣っている x86windows を頑なに信仰しているお前らこそ宗教じみているのでは?」

A:ありえない解決策を図る

 「内蔵フラッシュストレージRAM 並に高速な上に高効率な APFS なので仮想メモリで何の問題も無い そろそろ RAM に格納するという固定概念を捨てては?」

B:レッテル貼りをする

 「世界最速 CPU である M1 を搭載した Macフェラーリと言って問題無いだろう」

C:自分見解を述べずに人格批判をする

 「明らかに劣っている x86windows を頑なに信仰しているお前らこそ宗教じみているのでは?」

D:勝利宣言をする

 「M1が4800Uの1.5倍強力なGPU積んでることには頑なに触れないジサカー」

E:細かい部分のミスを指摘し相手無知認識させる

 「既に Mac/iPhoneIntel 以上の収益を上げているが? 性能は既に Intel を超えているし, 他に超える物とは?」

F:新しい概念が全て正しいのだとミスリードする

 「x86はもうゴミ逆立ちしてもappleに勝ちようがない現実を受け入れたら?」

https://egg.5ch.net/test/read.cgi/jisaku/1605057901/458

2021-07-11

anond:20210711145715

KOMPLETE KONTROL A49を出さないとは・・・って一瞬思ったけど、趣味ピアノ演奏範疇ならKOMPLETE KONTROL A49が出てこないのも納得はちょっと出来る

Rolandワークステーション寄りだけどココの段階でMIDIキーボード紹介を止めて電子ピアノへ行ったのはわざとなんだろうし

電子ピアノも欲しいなぁ・・・YAMAHAかぁ・・・

2021-05-24

機械学習ブームは本当に役に立つものが出てくるのか

結局、GoogleNVIDIAしか得しないのでは

Google場合、自社で抱えている大量のデータ活用方法するという目的がある。

データを集めたはいいが、それが使えなければ保存にお金がかかってしまう。


もう1つの目的は、膨大な計算機リソースを多くの人が必要と信じさせる必要がある。

Googleとしては、より多くのデータ計算リソースをかければ精度が上がる、と信じてもらえば稼ぐ機会が得られる。

国や企業研究開発費で稼ぐビジネスモデルだ。


またGoogleが抜かれないための布石でもある。

どれだけ計算機リソースをかけたかで性能勝負がつくゲームの中にいる間はGoogle地位は予想しやすい。

世界のどこかでGoogleを脅かすような大量の計算機を容易しようとすると察知することができる。

数人の天才Google社外にいたとしても、ワークステーションレベルで結果が出ない、という状況が続く方がGoogleにとって都合がいい。


Googleとしては、世間機械学習に注目してくれている限り、本当にハイインパクトな自社でやっているPJから目をそむけることができる。

今の機械学習の状況は、色んなデータセットが出てきているがベンチマーク競争しているところから産業に結び付けられてない。

多くのプロジェクトだと機械学習だけで予算を食ってしまうような状況だろう。

日本などは国家レベル意思決定でも振り回されてしまっている。


ベンチマークでの競争の中にいると、収益しにくい。

より性能が良い新しいのが出来てすぐ陳腐化してしまうし、ソフトで常にアップデートできるというが、その更新費用馬鹿にならない。


そして何より産業応用先がないのだ。

分類しようにもコンビニ100円均一にある商品全て認識して分類できるわけでもなく、もっと大雑把な分類しかできてない。

分類できる数を増やそうという研究もあるが、そもそも1円でもコストを下げようという分野には全然向いていない。


自動運転車くらい価格が高く、何十万か上乗せでもやっていける商品か、金融くらいしかない。


NVIDIAは手広くやっていて、リスク回避してる。

汎用品だから安心して買うというのもあるのだと思う。


アメリカの一部の企業が儲かるゲームに乗り続けている感

AIで多くの人が想像するようなことは機械学習の延長上にはない。

ブーム初期ならそれでも良かっただろうが、もう数年経っている。


人件費を抑えたい、自動化したいなど、ビジネス要求は色々あるだろうが、目的にあってないのに、なぜか乗り遅れないようにと多くの人が思わされる。

2020-09-22

anond:20200921040234

自分ローカル環境なら好きなようにカスタマイズすりゃいいけど、他人環境も触る可能性がある時にemacsが入っている事なんて期待できないから、emacsには全然興味が湧かない。

今もそんなに使われているの?むかーし、大学ワークステーションemacsだったけど、それ以来触れていない。

2020-09-04

コンピュータ進化するとパーソナライズされるってのは間違っていたんじゃないだろうか

統計的機械学習流行り始めのとき、これから個人データ学習させて、パーソナライズされるんだと言われていた。

ワークステーションからパソコン、そしてスマホへと変わっていき、パーソナライズの流れが続くという話だった。


でも実際違っていたんじゃないか

機械学習学習に数億かかり、ムーアの法則を超えて計算量が増えている。

お金がかかり過ぎて、お金を出す多数の人を相手にしないといけなくなっている。

グラフ描いて外れ値に居たら無視されるのだ。


システム人間側が合わせろというのは、ある一面では正しい。

それでもUI機能は分離できないものなのかと思ってしまう。

プログラマー人達は、自作キーボードを作ったり、エディタカスタマイズしたりするのに、他人にはUI押し付けることを続けている。

2020-08-25

テレワーク、終了したい。

休みに見たら500ブクマ超えててビビった。

反応読んでいろいろな考え方の人がいるんだなと思った。

勤務状況の事例を挙げてくれた人、具体例を読めて大変参考になる。

併せて追記書いたので目を通してもらえると嬉しい

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.orangeitems.com/entry/2020/08/25/111954

上記blog記事ブコメでえらく叩かれているが、個人的には賛同できるポイントが多々あったので、上記と合わせてn=2の体験談とすべく個人的な話を書きたい。

個人的にはテレワークという言葉和製英語的な違和感を覚えるので、以下ではリモートワークと記述させてもらう。

増田スペック地方出身アラサー独身都内賃貸ワンルームマンション住み技術

勤務先にはもともとリモートワークの環境自体はあったのだが、産休・育休明けの女性社員や、両親の介護といった特別理由がある人だけが使っていた制度だった。

新型コロナの影響で今年の3月から全面的リモートワークに全面移行。

以下は私が半年リモートワークをやった雑感である

メリット

通勤時間がかからない。朝ぎりぎりまで寝ていても平気。

・隙間時間家事ができる。洗濯機炊飯器のセットとかちょっとしたことが進む。

自炊の頻度が上がったので食費が下がった。

通販の受け取りに苦労しない。

気分転換音楽かけても周囲に気兼ねがない。

・昼休みに昼寝ができる

・外見を構わなくてもよい。

・就寝前や休日に短時間仕事メールや問い合わせを確認できるので効率が上がる部分がある。(本来は勤務時間である10分程度の作業で翌日楽になるので個人的にはあり)

デメリット

通勤時間が無くなるのは一面ではメリットであるが、逆に読書等の通勤時間の合間でやってた習慣がなくなった

通勤ついでにターミナル駅によって買い物できなくなった。よほどマニアックなモノでない限り、通販で届くのを待つよりも、仕事の帰りに買う方が早い。

・外見を構わなくてもよいので、逆に自堕落になる。気が付けば髭もじゃでパンツランニングシャツ仕事していた。

コロナ限定?であろうデメリット

運動不足がひどい。体感的に分かるくらい体力が落ちて半年体重が5kg増えた。

(追記)

運動の件は、コロナ前はときどき区民体育館かに行っていた。ここ半年ジムコロナクラスタ発生がニュースになってるので利用しずらい感がある。

緊急事態宣言時のステイホームで引きこもっていたらそのまま外出する習慣が消滅した感じ。

近所散歩すればいいのかもだけど、昼間は暑いし、夜は仕事が長時間化してるから時間取れていない。うまく工夫したいとは思っている。

・人と会わないストレス。つまらないうわさ話をする奴と距離を取れたのはメリットだったが、仲の良い同僚と世間話をすることができなくなったデメリットの方が大きいと感じる。

(追記)

大きな不満点を書き忘れていた。リモートワーク前提の勤務形態になったので、有給が取りにくくなった。

世間的にも不要不急の外出は避けろ的な流れが続いているし、社内でも有給とる人が激減したので非常に困っている。

もちろんコロナ禍の今だけの現象だろうが。

リモートワーク開始直後は分からなかった影響

仕事の習慣が変わった。業務報告が以前は対面のミーティング週報ベースが多かったが、勤務の確証を兼ねた日報ベースになった。以前なら2,3日かけてもよかったものでも、1日以内に何かしらの成果物を出さないと気まずい雰囲気になっている。

・全員在宅でいつでも連絡取れる前提になってしまったので、深夜帯に平気で連絡をしてくる奴が多い。

上記2点が原因で勤務時間の長時間化が起きた。

・一日中同じ部屋で代り映え無いので、時間感覚が徐々に無くなってくる。

・以前からTeamsを導入していたが、席が近くの人は直接声掛けしていたのでチャットの連絡頻度が上がったが、想像以上にストレス。ある人の問い合わせに対する回答を打っているときに第3者が別の問い合わせで割り込んできたりとか。

・今年入社新卒社員教育の難しさ。そもそも不慣れな人は問題点言語化できなかったり、適切な用語使用して説明したりできないので毎回画面共有しながら通話するのだが手間がすごい。

・一日中部屋にいるので、リモートワークが長期化してくると曜日感覚がなくなってきた。

マンション通信回線を共用しているので、住民帰宅して動画ネット配信を見だすであろう夕方以降の速度低下。自宅でネットサーフィンする程度だと気づかなかったが社内のワークステーションリモートアクセスして操作するとタイムラグイラつく。引っ越さない限り改善は無理。

オフィスの空調等の恩恵が意外に大きい。窓のそばの部屋で仕事しているので、夏に向かうにつれて日中日差しが気になってきた。これまで自宅でPCを使うのは夜が多く、休日はよく出かけていたので気づかなかった。

上記と合わせて照明の影響。机 / 椅子は元からそこそこお金をかけていたので長時間仕事しても腰や肩は平気だが、照明は気にしていなかったので目の疲れがデカい。

コミュニケーション不足解消でZOOM飲み会やってみたがあれはくそだな。居酒屋テーブル席分(4人)以上での会話が成り立たないし、普通飲み会であった店移動や電車時間といった抜けるタイミングが作りにくい。

何より同じ料理を食べるという体験がやれない。会社・友人等で1回やったらみんな似たような感想だったのか、2度とやらなくなった。

結論

というわけで、最初の1、2週間はデメリットが目立たず、長期化するにつれてストレスがたまったという点は元のblog主と同じ。

いろいろデメリットが目立つようになってきたので、モチベーションが徐々に低下していって、夏休みが明けた今週から業務の合間に増田を見る程度には堕落してしまってる。このままだとサボり魔になりそうで危ない自覚がある。

とはいえメリット体験しているので、個人的にはコロナ収束したら全面的に出社するよりも週に1, 2度程度リモートワークできるのが効率良いんじゃないかなと思っている。

また、地方出身なので休暇の延長として地元滞在を伸ばしてリモート仕事できることが認められると嬉しい。

以上、私的リモートワーク経験談でした。

ブコメ反応へのお返事

仕事始める前にいつものサボり増田見たらえらくたくさんブコメついててビビった。

リモートワークの改善点できるポイントが寄せられていたが、ぶっちゃけ私の場合は引っ越すしかないと思ってる。

とはいえリモートワークが解除された時の利便性引っ越し費用+オフィス家具の購入費用等のコスト面を秤にかけると踏ん切りがつかない。

最低でも下記のポイントは抑えたいが、都心からそれなりに離れた場所でも固定費上がりそうだしな…

・高速な通信回線を確保できる築浅の物件(今のマンションは共用回線VDSLで分配)

仕事生活空間を分けられる2部屋以上の間取り。部屋数増えれば運動器具の置き場やSwitchフィットネスゲームやるスペース確保できそう。

・照明は備え付けだったので自分でつけるタイプ物件

散歩できそうな公園が近場にある。

その他、チャットの頻度については社内文化しか言いようがない。

割と急ぎの案件が夜中に飛んでくるからガン無視決めるわけにもいかないので困っている。

自分ルール決めれる管理職ポジションだったら良いんだけどね。

単純な内容や急ぎじゃないことはメールにして欲しいというのはぶっちゃけあるが、これも相手が次第だからすぐには変わらないわけで難しいよね。

2020-05-19

昔は腱鞘炎で指がいった

ってのはあったけど

腕半分ぐらいと 視力がどっぷり 血便そのほか 内臓は今療養中

あとは、このパソコンつーかワークステーションなんだろうけど いくらだよっていう

2020-03-25

anond:20200325170113

同意ですね。

ただ、メーカー物のワークステーションかに付いてくるキーボード、固いのあるよね。

それをこれでもかと言うくらい早打ちしている人いるけど、

キーボード位買ってもらえよと言いたい。

安くて軽いタッチキーボードもあるんだから自分で買ってもいーんじゃないのか?とも思う。

2020-03-14

初代PSの立ち上げは任天堂への怨念からではない、というお話

実はプレイステーションの生みの親、久夛良木健任天堂へ出入りしはじめたのはファミコン時代ディスクシステムの頃。その頃からソニーフロッピーディスクを使ってくれと営業に来ていた。

その時から久夛良木は「家庭に置く高性能コンピュータ」という夢を持っていた。そのため一番近いのはファミコンバカ売れしている任天堂と手を組むのが一番だと思っていた。

フロッピーディスクディスクシステムのクイックディスクよりも高性能・大容量ではあったがコスト面にて折り合いがつかず採用には至らず。しかしそこから久夛良木任天堂との付き合いが始まる。


その縁がもととなりソニー音源チップ次世代機スーパーファミコンに搭載することになった。開発用ワークステーションNEWSソニー製だ。この時点ではがっちり手を組んでいる。

そしてCD-ROMオプションの話が出てきて、その後キャンセルとなるのだが、実は証言をたどると意外に久夛良木自身はあっさりとしている。

https://www.cesa.or.jp/efforts/keifu/kutaragi/kutaragi03.html

「ある共同開発プロジェクトが、一方の事情が変わって頓挫してしまう」というのは、一般的にも起こり得ることです。ソニーでは他社との間で多くの共同開発プロジェクトを手がけていましたが、最終的な成果にたどり着けなかった企画もいくつか存在していました。

と、なんと任天堂キャンセル理解すら示している。「任天堂野郎をなんとかして見返してやる」的な怨念全然見られない。実は同様の証言他者からもでている。



https://www.4gamer.net/games/000/G000000/20120903062/

「そういう解釈が一番分かりやすく,ストーリーとして面白いけれども,実際はそうじゃなかったように思う」

「もちろん,悔しいという気持ちもあっただろうけれど,何よりも多良木さんは“やりたかった”んじゃないかな。それが真実でしょう」

「だから,今度は(任天堂など他社が介在することなく)自分達の“本当にやりたいこと”ができる状況になり,むしろ久夛良木さんは『しめしめ』と思っていたかも」


SCE設立に関わった丸山茂雄証言である久夛良木PS立ち上げに動いた原動力は負のものではないという。プレイステーションの立ち上げは怨念とは違う、正の理念に基づいていた。

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