まあ前にも何度かあったしすぐよくなるだろうと思っていた。
それが今日13時までのバイトを終えて家に帰って一息ついたら母から
「ばあちゃんの容態が悪くなった。今から病院へ行く」
と電話が。
なぜかここでもまだ大丈夫だと思っていた。
そしてしばらくして父が帰ってきて自分が犬の散歩に行ったのだが
なんとなく家にいなくてはいけない気がして
犬には悪いのだかいつもの距離の半分で済まして
家に帰る途中、父がこちらに向かって歩いてきて
「急いで準備しろ。病院へ行くぞ」
と。
ここでああヤバいんだとさすがに思った。
病院に向かう車中で父の携帯に母から電話がかかってきて父が一言
「ダメだった」
昔から体が弱くよく倒れたと母が言っていた祖母。
足の骨を折って寝たきりになってからもう何年か覚えていないが
祖母の兄弟が4年と言っていたので4年だろう、
その4年の間もいろいろあったけども生きていた祖母が
そんな簡単に死ぬわけないだろうという自分の中での妙な根拠があったんだけど
そんなものはなんの意味もなかった。あっという間だった。
4年の間祖母が入院していた病院や介護施設に祖母の顔を見るために何度か足を運んだ。
母曰く孫の中で一番行っていたそうだが
別に自慢できることでもなんでもないように思えた。
でもまあいつだったか最近の気がするので今年に入ってからは確実であろう
祖母は寝たきりのせいか病気のせいか片目が不自由になっていた。
いつもどおり
「ばあちゃーん」
と声を掛けた私に返ってきた祖母の言葉は
「誰?」
だった。
軽い痴呆だったししょっちゅう通っていたわけでもないのだから
当然の反応だったのかもしれない。
でもこの言葉にショックを受けてしまった私は
祖母のところに行く機会は何度もあったにも関わらず行くのが怖くなった。
結局それから祖母の顔を見ることないまま今日を迎えてしまった。
明日が通夜で明後日が告別式、精一杯ごめんなさいして冥福を祈ろうと思う。
自blogで書くのもなーと思ったのでここで書いて気持ちの整理を少しでもつけれれば。
『麻生内閣総理大臣と鳩山民主党代表による党首討論』すごいな。
所詮民主は野党で何でも反対して、到底実現しそうもないバラマキ政策かかげてますって印象。
TVでやらなかな。
もしかしたら、ネット右翼とネット左翼の違いって、
ネット右翼になるのは自分より上の人間たちが今よりも幸せに豊かになるのはまだ許せても、自分よりも下の人間たちが今よりも権利や利益を追求してくるのは絶対に許せない人たちで、
ネット左翼になるのは自分より下の人間たちが今よりも幸せに豊かになるのはまだ許せても、自分よりも上の人間たちが今よりも権利や利益を追求してくるのは絶対に許せない人たちなのかもしれない。と思った。
どう云えばいいんだろう。ネット右翼が偽悪的、ネット左翼が偽善的な資質の持ち主なのかもしれないというか。
「ガンプラを母親に捨てられた」と自宅放火 実は早とちり、結局全焼
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.itmedia.co.jp/news/articles/0908/11/news045.html
お前ら落ち着けっての・・・どいつもこいつも息子に感情移入し過ぎだろ。
完全に非が無い訳じゃないとしても何で「母親が全て悪い、息子(29)は被害者」ってコメントばっかなんだよ?
http://anond.hatelabo.jp/20090808013335
これ書いた増田だけど
どうも「ものすごく親しい人がいる」ってのが前提で必要っぽい。
もしいないのならまず参加して相手が寄ってくるのを待つ、みたいな。
グールド自身による(自己の言説の歪曲された利用への)反論(訳は大意)
[T]ransitions are often found in the fossil record. Preserved transitions are not common -- and should not be, according to our understanding of evolution (see next section) but they are not entirely wanting, as creationists often claim. [He then discusses two examples: therapsid intermediaries between reptiles and mammals, and the half-dozen human species - found as of 1981 - that appear in an unbroken temporal sequence of progressively more modern features.]
移行形態の化石記録はしばしば発見されています。保存された移行形態は一般的ではありませんが、そしてそれは私たちの断続平行説が正しいのであればそうあるべきですが、まったく欠如している、そう創造論者は主張していますが、そういうわけではありません。
Faced with these facts of evolution and the philosophical bankruptcy of their own position, creationists rely upon distortion and innuendo to buttress their rhetorical claim. If I sound sharp or bitter, indeed I am -- for I have become a major target of these practices.
こういった進化の事実と彼ら自身の哲学的立場の破綻に直面して、創造論者は彼らの修辞的な主張を強化するために、歪曲と暗示に頼っています。もし私が辛辣に見えるのならば、実際その通りなのですが、それは私が彼らの実践の主要なターゲットとなっているからです。
I count myself among the evolutionists who argue for a jerky, or episodic, rather than a smoothly gradual, pace of change. In 1972 my colleague Niles Eldredge and I developed the theory of punctuated equilibrium. We argued that two outstanding facts of the fossil record -- geologically "sudden" origin of new species and failure to change thereafter (stasis) -- reflect the predictions of evolutionary theory, not the imperfections of the fossil record. In most theories, small isolated populations are the source of new species, and the process of speciation takes thousands or tens of thousands of years. This amount of time, so long when measured against our lives, is a geological microsecond . . .
私は自分を徐々に漸進的に変化が起きるというよりも、気まぐれで断続的に起きると考える進化論者のひとりであると考えています。
Since we proposed punctuated equilibria to explain trends, it is infuriating to be quoted again and again by creationists -- whether through design or stupidity, I do not know -- as admitting that the fossil record includes no transitional forms. Transitional forms are generally lacking at the species level, but they are abundant between larger groups.
(変化に)波があることを説明するために私たちが断続的平衡を主張して以来、何度も何度も創造論者によってデザインやなにやらを通じて、私が化石記録は移行形態を含まないと認めていると引用されたのは、はらわたの煮えくりかえる思いです。移行形態は一般的に種の水準では欠如していますが、それより大きいグループの間では豊富に存在するのです。
サマーウォーズ。
侘助が親戚内で誰よりもガキ扱いをされていたが、これがなかなかリアルだなーと思った。
田舎コミュニティからさっさと出てって、田舎の人間がピンと来ないような職業に就いて、田舎にほとんど帰ってこない未婚の人は親戚の中での共有イメージが田舎を出てった年齢(か、それ以下。まだ可愛かった頃)あたりで止まる。
ばーちゃんに「戻ってきたら飯を食わせてやって」とすごく基本的なところを心配されても仕方ないのだ。
彼は腹をすかして泣いているガキのまま、ずっとイメージが更新されていなかったんだから…。
http://blog.goo.ne.jp/premier310/e/1fcfef25834d5f80331f42bfcc6b1c4c
The extreme rarity of transitional forms in the fossil record persists as the trade secret of paleontology. The evolutionary trees that adorn our textbooks have data only at the tips and nodes of their branches; the rest is inference, however reasonable, not the evidence of fossils. Yet Darwin was so wedded to gradualism that he wagered his entire theory on a denial of this literal record.
過渡的形態が化石記録には非常にまれであることは古生物学の「業界の秘密」であり続けてきた。教科書を飾る進化の系統樹には先端と分岐の結節点しかデータがない。どれほどそれが合理的なものであろうと、(過渡的形態の存在は)推論であって、化石の証拠によるものではない。それでもダーウィンは、彼の全理論をこの直接的な記録(過渡的形態の証拠の欠如)を否定することに賭けるほど、熱心に漸進主義を主張した。<()内は私の挿入>
原文はこれか。あと、訳はあんまり自信ないので大意、ということで。
ソースはここ。ちゃんと創造論批判の英語のサイトが検証してるみたいだな。
http://www.talkorigins.org/faqs/quotes/mine/part3.html
Quote #3.2のとこね。ざっと斜め読みしたところでは、グールドの断続平行説のからみで、中間形態がすべて存在するというところに疑問を投げているところで、進化論とか、化石の証拠能力に文句をつけているところではない、というところか。くわしいところは誰か訳して。
ちなみに、創造論者によって過渡的形態の欠如は進化論への反証として持ち出されるが、グールドの立場では、種が分化するときは漸進的にではなく急激に変化する、つまり過渡的形態が欠けることがある、ということだから、勿論、進化論とは何の矛盾もしない。くわしいことは断続平行説でぐぐれ。
ついでに、ここにも同じ発言への言及があるな。
http://www.allaboutthejourney.org/japanese/fossil-record.htm
IDの大御所の人の訳を見つけた。
化石記録における移行形態が極度にまれである事実は、古生物学の企業秘密(trade secret)になっている。我々の教科書を飾っている進化の樹(系統樹)は、その枝の先端と節においてのみデータが存在する。残りは、いかにもっともらしくても、推測であって化石の証拠によるものではない。
その言葉でググったら船井幸雄のサイトが真っ先に出てきた。ていうかそれしか出てこなかった。
船井幸雄って船井総研の社長で宗教&トンデモ狂いのキチガイなんだよねえ。
自分の会社の社長がああいう感じで狂っちゃってることについて社員はどう思ってるんだろう。
洗脳済みで何も疑問に思ってないのかな?
いや、グールドとは全く関係ない話なんだけどさ。
公明党はひとつのカルトが支持母体だから駄目だけど、欧州にはキリスト教民主主義というのがあるのだから、仏教諸派が集結して政党作ってたら、そういう政党が政権をとったりすることには、さして問題がないというか、神道政治連盟みたいへのカウンターとしては、有意味だったと思う。また、仏教を国境にしてる国との外交上のコネクションとしても役に立つだろう。もちろん、その政党の中でかのカルトが実権を握ったり、という危険はつねにあるわけだが。そういえば、あんなにエバンゲリストがうざいのに、アメリカにはそういう政党はないんだな。あすこはロビー全盛だからか。
このあたりからすパークし始めたんだろうなw
左翼がクスリに寛容なのは60年代の悪しき遺風。反権力は反権力として、クスリはクスリで駄目に決まってるじゃないか。宇宙飛行士の話だって、むしろ、宇宙飛行士にはクスリが投与されてる、非人道的! という文脈の扱いだって可能だろう。兵士の話なんてまさにそう。依存性のあるものを自己管理可能だから規制するなよ、ってのは、あれだ、アメリカのリバタリアンのあほな主張と似てる。要は、禁酒法は駄目! マフィアが肥える! オランダはうまくやってる! という見慣れたロジック。国家による規制に対して反権力の視点から反対なら、規制は要らない、じゃなくて、それこそ最近の「文化サヨク」の文脈でいうなら自治的なアソシエーション的連帯、とやらによる柔軟な規制を考えるべきだろう。保守のクソどもが道徳的な視点から規制しようとしてるのがむかつくからといって、つまりは敵の批判しているものだから擁護するなんてのはくだらない党派主義ではないのか。きみらは、自己責任論を、さんざん批判したのではなかったか。