2012-07-29

無条件降伏まで突っ走った大日本帝国旧体制に、自分感謝する

 8月は終戦の季節なので。

 1941に真珠湾で開戦し、当初は連戦連勝だったが、1943辺りから敗色が濃くなった。

 選択肢としては、そのまま「本土決戦」まで突っ走らずに、ミッドウェーとか

 ガナルカナル、フィリピン争奪戦辺りで、アメリカと講和する、という選択肢もあったかもしれない。

 (欧州ヒトラーが交戦状態だったので、日本単独の講和が可能かどうか微妙だが)

 しかし、歴史にイフは禁物だが、

 「1943頃に、中途半端に講和休戦する」より、

 「1945まで玉砕で突っ走って、無条件降伏に追い込まれた」ことが、

 数十年後の日本にとっては、結果的にハッピーだったと思う。

 数値は腰溜めの数値だが、

 「A=開戦前の4分の3の国力の状態で1943頃に休戦し、その後5%の経済成長日本」と、

 「B=開戦前の2分の1の国力まで落ち込んで1945に無条件降伏し、その後10%の経済成長日本」。

 確かに一時的に辛いのはBで、それこそ飢餓線上スレスレだったのだが、

 数十年のスパンで考えるとどうか?

 Aの場合  戦前=100  Bの場合

 75.00  1943

 78.75  1944

 82.69  1945  50.00

 86.82  1946  55.00

 91.16  1947  60.50

 95.72  1948  66.55

100.51  1949  73.21

105.53  1950  80.53

110.81  1951  88.58

116.35  1952  97.44

122.17  1953 107.18 

128.28  1954 117.90

134.69  1955 129.69

141.42  1956 142.66

148.49  1957 156.92

155.92  1958 172.61

163.72  1959 189.87

171.90  1960 208.86

180.50  1961 229.75

189.52  1962 252.72

199.00  1963 278.00

 ということで、当初は苦境だが、1956頃にはBの体制の方が経済規模で優位になり、

 以降その差は拡大していく。

 Aの体制だと、軍部はそのまま温存され、治安維持法大政翼賛会も温存。

 農地解放もされず、財閥温存。

 GDPに対して軍事費の圧迫は著しく、又外交も困難を極め、自由に資源調達できず、自由貿易も望めない。

 ひと握りの中産階級と多数の貧農、という体制下なので内需も拡大しない。

 言論の自由は制限され、それによる萎縮効果で、科学技術の進展も緩やか。

 結局、一時的には辛くても、「膿を出し切って、高度成長できる自由体制」に舵を切った方が、

 長期的には国力は増す、ということになる。

 大戦で散った300万人の犠牲者には申し訳ないが、

 結果的に旧国体解体に追い込まれたことによって、高度成長体質になった、その意味では

 日本が「徹底的に太平洋戦争を戦った」ことが、その後の日本のためになった、と感じている。

 逆説的だが、頑迷本土決戦に固執して自爆した、旧日本の支配層には

 「感謝の念で一杯」である

 あなたがたが1943頃に中途半端に講和していたら、今頃自分家族も、自分も、貧民のママだっただろうし、

 こんなところで冷房つけながらネットできる豊かな社会には、決してなっていなかっただろう。 

  • 無条件降伏まで突っ走らない程度の判断力を軍や政府や国民が持ってたなら、その後の経緯も変わるだろうけどな。

  • 無条件降伏まで突っ込まないと経済成長率が低い根拠は? 全く理解できない。 御飯を食べてたら身長が170cmまでしか伸びないけどパンを食べていたら200cmまで身長が伸びた位...

  • そりゃあいろんなものをアメリカに売った結果復興に専念できたわけだからね…。

  • http://anond.hatelabo.jp/20120729100400のぶくまで 「匿名ダイアリーに書いて、最初に自分でブクマというのは新しいな」とか言ってるけど この人何年も前から同じことやってたと思うんだが、 ...

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