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はてなキーワード: パターナリズムとは

2024-10-08

anond:20241008212444

リバタリアニズムってそういう心理的な束縛を嫌うワガママ自由至上主義者というより

市場社会制度合理性をつきつめるとよりスマート金融政策福祉政策を打ち立てるために既存制度既存概念を壊して

負の所得税免許制度の廃止みたいに抜本からシステム変えてそれに人類適応していくことを見通していく考え方だよ

政策ロジック現実社会実装から乖離してるからラディカルに見えるけど、別にリバタリアンは急進的というわけではなく

既存の腐敗を生む諸制度を段階的につぶしていって最終的に理想形になればいいという漸進的かつ現実的な考え方と共存もできるものだよ

公的年金廃止とか最低賃金撤廃とかそれ単体でみるとギョっとしてそれはヤバいんじゃと思える政策でも

それがなくなって制度の助けがなくても人間それぞれがちゃんと賢い動き方ができるように社会全体としてはデザイン済みな状態で初めて可能になる

もちろん強制力のあるパターナリズム的な押し付けはないけど、全く教唆がないわけではなく「ここに入ると××なので危険ですよ」の立て看板くらいはある状態と思ったらいい

「××なので」部分の理解が足りず無視して負傷するような愚行を犯した人でも救済され再挑戦できるシステムもあってこそ

ただそういうケースの発生が自然と最小化されるように考えていくのがリバタリアニズム

からアレコレ押し付けるよりも本当の意味で、失敗に優しく人間に優しい社会夢想するものでもあるのよ

2024-09-27

日本は「行き詰ったら最後一家心中」の国。

真珠湾攻撃バンザイ突撃も根源は同じ。

行き詰って身動きがとれなくなるまで何も対応策をとらず、ただただ「神風が吹く」のを待つだけ。

神風が吹かずに行き詰まると、最後は「親が責任取って死んだら、生き残った子供が可哀そう」

盲目的家父長主義(パターナリズム)で「全員でハラキリ(切腹)=特攻」の選択をする。

2024-08-27

anond:20240827085608

日本から殺人者が出まくって治安最悪だったらどの国も日本パスポートでは簡単渡航できなくなり、日本人というだけで厳重警戒して弾きまくります

日本パターナリズムで厳しい立法しま

当然あらゆる分野で行動制限が厳しくなります

こんなの当たり前の常識です


お前よりもはるかに賢い人間の方が世の中多いんで自分が下から数えた方が早い底辺頭脳だと早く気付きましょう

2024-08-24

人間が抱える問題を個々人の責任還元した所でキリがないから、社会構造にその原因を見出してそれに対処する構造を作っていこうね。でもナチスによる悪行は代議政じゃなくてヒトラーが全部悪いよ。

民主主義はみんなが意見できるシステムだよ。でも人権絶対だし、自己決定を阻むような施策立法は最悪のポピュリズムだよ。でも必要パターナリズムもあるから、それは認められるべきだね。民主主義ベストではないけど、他に良いシステムも見当たらないね

的なアレ、ふ〜〜〜ん……っていう気持ちになる。

2024-08-08

anond:20240806202555

追記

炎症が出るものだったら放射性関係なく鼻血要因になるのよね…… とはいえあの事故、「非放射性の炎症要因物質」も大量に撒いてたとおぼしきわけで……(一方でGyベースバケツウランの方が桁外れにひどいはずのところの話だと「非放射性の炎症要因物質」を追っかけ回すべき事案ではあるわけで。実際追っかけ回されて 「 ほぼ炎症で炎症はほぼ花粉、その他も大体非放射性 」 だったわけで。そもそも医療ならビタミンD欠乏まで疑わなきゃいけない状況ですよ?)

さら追記

運動家」やりたいんなら「敵を知る」の文脈で自ら克服せにゃならんことだけど、かの医療ネグレクト(こだわらんでもええ「放射性」にこだわるの、要因はそれでしょ?)、要因は逆サイドの医療パターナリズムなんじゃねえの?

施療院の垣根のスズメバチ医療ネグレクトを嘆く、の図になってねえか?

さらさら追記

https://archive.md/Ek33T#selection-3373.0-3373.130

“ 「親」とか「生育歴」をいじり出したら完全アウトでしょう。 明らかな“差別しぐさ”。 今の世の中、まともな社会教育を受けてきた人なら全力で忌避する行為だ。 そもそも、まともな社会教育を受けてきた人なら、見ず知らずの若者を寄ってたかって叩いたりしないのだけど。”

https://archive.md/wqYQk#selection-725.0-725.116 https://archive.md/Kii3H#selection-3548.1-3629.8 https://archive.md/ie95v#selection-4600.0-4679.8

“ 結局のところ実際にやったのは 「大喜利ネタとして消費する」 というかなり下品で失礼な行為であり、盗人猛々しいだけ、と感じました。”

https://archive.md/fpT7M

“彼が学生個人情報晒しをしていたことまでは知っていますが、その後に何かしたんですか?”

https://archive.md/ie95v#selection-4600.0-4679.8

“その結果生まれたのが戦争と同じ遅発性PTSD子ども自死率が全国一になった。その責任の一端は、国の意向に沿って暴れたデマ撲滅隊にある。”

2024-08-02

プロだろうとアマだろうとオリンピック出てようと、スポーツマンって結局は筋肉パターナリズム武装しただけの低知能精神薄弱犯罪者予備軍だよね

高知能で精神強靭だったら20超えて本気でスポーツなんてやってないでしょ

2024-07-20

anond:20240720092407

未成年喫煙他人被害を受けるわけじゃない「被害者なき犯罪」ってヤツだから

判断力の未熟な未成年保護するというパターナリズムから正当化されているが

自分健康自分破壊するのは個人自由範囲というので気にしない人も多いだろう(俺とか)

2024-07-16

anond:20240716201014

女さんバージョンパターナリズムって奴ね今男がやると炎上ちゃう奴だ

汚かろうが本人の希望通りにやらせるんだよ

2024-07-05

anond:20240705192347

海外フェミニズム女性解放(liberation・社会的慣習からの)を目指してる自由主義(liberalism)的な平等・自立方向を向いてるのに対し、

日本ネトフェミ女性性を女性以外が扱うことへの嫌悪から表現抑圧の方向へ向いてる。

それは女性自身性的表現する自由すらも抑圧し忌避させかねない、自由主義とは真逆の、社会主義監視社会理想としているように見える。

保守的イスラム圏みたいにヒジャブで体を隠す方向の思考法と本質的に同じで、イスラムですら自由化しているのに、もともと自由を手にしていた日本女性自らが偏狭倫理感をこじらせて自縄自縛しにいってる狂気も感じる。

現在主なやり玉にあがるのは創作上の表現物ではあるが、これが進めば現実の「性的にゆるい女性」にも矛先が向かい名誉男性だのなんだのと言ってリンチされるようになるだろう。

そういう権威主義的な極右に向かいかねない過激なノリでやってるわけよ。ネトフェミ表現者や消費者の理性を信じられないから、その思想を通すためには独裁者のように強大なパターナリズムを振るう権威に成り代わるしかない。

まあ日本人は思想を学ぶ機会があまりいから、ネットとかで悪意を煮詰めてしまうとこのような大衆愚者と断ずる独裁者思考へと寄って行きがちではある。

インターネットリテラシー問題でもあるな。

anond:20240705104055

いやそれは単なる欺瞞啓蒙主義的、あるいはパターナリズムだと思う。

本当のリベラルなら相手意見尊重すべきで、その相手意見は、ある断面から見た世界であり事実なんだと考えると思う。

「わかってない」あるいは「わかってないから教えてあげる」という立場をとるのはいかに植民地支配であると言えるのではないだろうか。

相手の生きている「世界」を理解し、あるいは理解できなくても干渉することなくそのままに共存を試みることこそがリベラリズムなんじゃないだろうか。

2024-06-14

「一緒にいて恥ずかしいからやめてくれ」って難しい感情だなって思う。

基本的におれはそういうパターナリズムというか、最小単位コミュニタリアニズム的発想というか、とにかく自己領域他人にまで拡大するようなマネは徹底して嫌悪してる。

自分ではやらないし、されれば不快だ。

おれがおれの領域内で何をしようが勝手だし、それが気に入らないならどうぞ離れていってくれと思う。逆も然りだ。

そもそもそういうタイプ人間とは付き合わないようにしてるけど、とはいえ自分でもたまに素朴な感覚としてそういう感情を抱くことだってある。

実家に行けば、母は公共空間でもデカい声でベラベラ喋る。勘弁して欲しい。

とはいえこのパターンなら話は簡単だ。「連れ」として

恥ずかしいからやめろ、ではなくその場を共有する一個人としてうるせえと言えばいい。

レストランなりに行けば、説明が書いてあるだろうがって感じの事でもすぐ店員に聞きたがる。もっと言えば常識的に分かるだろって感じだけど、そこはまあおれの常識を強いるのも気が引ける。

店員バイトが要領を得ずまごつく事もあって、その得も言われぬ空気の中でなんだか自分まで気恥ずかしさを覚えてくる。

そんなんわざわざ聞かねえでも分かるだろっておれが説明しつつ制する事もできるけど、後でグチグチ言われるのは明白だしおれがそれを引き受ける道理もない。ので静観。

まあ説明要求するのは別に妥当権利だとは思うし、それを受け入れるか突っぱねるかは店側の都合であって、外野のおれがとやかく言うことではない。

そんな事を思いつつ、おれにも「迷惑教」だったり自分の見栄に他人を巻き込もうとする感覚がしっかりインストールされてんだなあ、って嫌な気分になる。

2024-06-10

anond:20240610164120

それは「本当に"終わらせる"気もないパターナリズムパフォーマンスしかなく、全く異なる状況を並列化することで子供の抱える問題矮小化し頭のアップデートもできず、苦しみを吐露しても対話するつもりもない、理解もできない頭の悪い親だ、コイツに話しても無駄だ」と思いっ切り下に見られて信頼を失った証だな

言わなくなった=思わなくなった ではないからな

無事子供呪いがかかったな、一生子供の心の重荷になる「しんどい母」デビューおめでとう

風邪をひいたら休め

 ここに、「ニンゲン風邪をひいたら、休め」という規範を示す。

 本稿は、右規範に対して懐疑的なニンゲンを説得するために執筆されたものである。具体的には、下記のニンゲンが本稿のターゲットである。心当たりのある者は、ぜひ熟読せよ。

・「この程度の風邪なら大丈夫」と考え、外出をしたことがある

・「風邪程度で休むのは甘えである」と考えることがある

風邪をひいても休まないニンゲンがいる理由はなぜか?

 風邪をひいたら休めという規範は、①パターナリズムと②蔓延防止という二つの論拠から成る風邪治癒に専念することで、①疫病が悪化する可能性が低くなり、結果として本人のためになる。そして、②伝染病蔓延を防止することができる。

 以上より、右規範合理性があることが明らかである

 ところが、しばしば右規範は破られる。風邪をひいても会社学校へ行くニンゲンと、これを良しとする第三者が後を絶たない。なんとも嘆かわしい。かかる者は如何にして規範を逸脱するのだろうか。

 私は、その理由につき、当該ニンゲンが①パターナリズムのみを重視してしまった結果であると考える。彼らは、「風邪をひいたら休まなくてはならない」という規範趣旨を、もっぱら「私が大変な思いをするからだ」と捉えてしまう。よって、「私は病状悪化という結果を許容しているから、右規範趣旨(本人のために休むべき)が及ばない。ゆえに休まなくてもよい」と結論づけてしまうのである

 しかし、かかる見解妥当ではない。パターナリズムはむろん重要であるが、②蔓延防止の意義を殊更に強調しなくてはならない。

 以下、敷衍する。

★「人を傷つけてはならない」という規範

 なぜ、風邪をひいた場合に、②蔓延防止のために休む必要があるのか。

 まず、「人を傷つけてはならない」という規範は、ハンムラビ法典でも傷害行為禁止されているように、紀元前時代から常識である。これは、現代社会においても、傷害罪(刑法204条)が国民構成要件として配布していることからも明らかである

 そして、風邪をひいた状態で外出をして、特に会社学校等の多数人が集まる室内で過ごせば、自らの病を伝染させることにより、他者生理的機能障害傷害)を与えることで、人を傷つける蓋然性が具体的明らかに予見される。

 したがって、風邪にもかかわらず、休まなかったことで、「人を傷つけてはならない」という規範を乗り越えてしまうことになる。

 よって、他者を傷つけないために、風邪をひいた人間は休養することで蔓延防止に努めるべきなのである

もっとも、休めないときもあるのではないか判断枠組み

 そうであるとしても、いかなる場合にも「風邪をひいたら、休め」という規範適用するのは妥当ではない。風邪自覚症状が無い場合や、どうしても外せない急用がある場合もあるだろう。いか判断するべきか。

パターン1 自覚症状なし

 まず、自らの病状につき善意無知である場合について、いかに解するべきか。

 故意責任本質は、反規範人格態度に対する道義的非難である

 すなわち、自分風邪であり、もしかしたら他人に伝染させてしまうかもしれないという点につき、認識・認容していれば、「他人を傷つけてはならない」という規範に対しての反対動機形成しているものといえる。しかるに、敢えてこれを逸脱したのだから、かかる行為道義的非難に値する。

 よって、自分風邪である認知していたのであれば、休養に努めるべきであるのが原則である

 逆に、自分風邪であると知らなかったのであれば、そもそも「休むべきである」という規範に直面しておらず、反対動機形成できないため、道義的非難に値しない。実際に、潜伏期間存在するウイルスは多いことからも、このような結論妥当である

 以上より、自らの病状につき善意無知である場合には、休まなくてもやむを得ないものといえる。

パターン2 風邪体調不良判断できない場合

 風邪体調不良判断が難しい場合は、いかに解するべきか。

 なお、ここでいう「体調不良」とは、月経片頭痛食中毒などの伝染病以外で身体異常をきたしている場合を指す。

 この点、蔓延防止以前に、そもそもパターナリズム観点からは、風邪体調不良判断できない場合にも休養した方が良いといえる。ゆえに、原則として外出するべきではない。

 しかし、単なる体調不良であれば、他者生命身体侵害することはない。よって、自身が体調悪化につき許容しているのであれば、単なる自由意思範疇にあるといえるから、これを非難される筋合いは薄い。

 したがって、伝染病であるという相当の蓋然性がある場合には、「風邪をひいたら休むべきである」という規範に服するべきである。右判断にあたっては、当人の体温、病状、体質、病歴、自覚症状、過去の行動等を総合勘案して判断する。

 具体的には、下記の事情伝染病である蓋然性を高める。

 ・平熱と比して体温が高い

 ・前日に気怠さがあった

 ・雨にうたれた

 ・知人が熱を出した

 反対に、下記の事情伝染病である蓋然性を低める。

 ・病状が軽微である

 ・月経片頭痛など伝染病以外の体調悪化事情がある

 ・病院伝染病ではないという診察を受けた

 たとえば、体温が37.5℃以上であり、前日から続く気怠さ・咳があるものの、月経による体調不良かもしれないといった場合を想定してみよう。この場合、たしか月経という事情伝染病のおそれを低めるものであるが、咳と月経無関係であり、37.5℃以上という体温は、一般風邪判断されるべきものである

 よって、伝染病である相当の蓋然性が認められるだろう。

 なお、より強度な「明らかに伝染病ではない場合にのみ、休まなくても良い」という判断枠組みも考えられる。筆者は、単なる体調不良場合自由意思尊重するべきであるから、緩い判断枠組みが妥当すると考えたため、かかる見解採用しなかった。

パターン3 どうしても外せない用事等がある場合

 では、自らの風邪自覚症状があり、明らかに伝染病であるものの、どう しても外せない急用等がある場合には、いかに解するべきか。

 この場合、どうしても外せない急用等に参加したいという時点で、パターナリズムは克服されているため、第三者への傷害の有無で判断するべきである(病状悪化をしてでも〇〇がしたいという者に対して、貴方身体のために辞めなさいというのは余計なお世話である)。

 そして、第三者に病を伝染させてでも、自分がやりたいことを行うというのは、結局のところはエゴイズムである冠婚葬祭親族危篤会社学校への出席などは、「自分が行きたいから行く」のであり、エゴイズム第三者身体生命侵害正当化する場面は限定的であるべきである

 これに対して、出席せねば評価が悪くなるため、「行きたいから行く」のではない;やむを得ず風邪をひいてでも外出しなくてはならないのである等の反論が想定されるが、妥当ではない。結局、評価悪化を避けるというのも利己的な目的であり、原則として、そのために伝染病をばら撒いて第三者侵害を行うべきではないいう形式は変動しないためである

 では、いかなる判断枠組みが妥当するか。

 第三者身体生命は、きわめて重要法益であるから、「どうしても外せない用事」との比較衡量で決するべきである。具体的には、用事重要性・症状を鑑みて、第三者身体生命に対する侵害のおそれを惹起してでも、当該「用事」を優先するべきである判断できる場合にのみ、風邪をひいても休まなくても良いものと解する。

 たとえば、冠婚葬祭親族危篤などは、この機会を逃してしまえば二度と立ち会えないイベントであり、用事重要性は高いものといえる。

 もっとも、当人が伝染させればきわめて身体生命への侵害性が高いといえる伝染病を患っている場合は、この限りではない。具体的には、インフルエンザ新型コロナウイルスノロウイルス等の強い感染力・症状を有するものは、真にやむにやまれ事情存在しない限りは、外出するべきではない。

 そして、会社学校への出席は、上記用事と比して、重要度が低いと言わざるを得ない。成績に重大な影響を及ぼす発表や試験等が存在しないかぎりは、外出を行うべきではない。

 そもそも、出席が必要不可欠でない限りは、リモート等の手段を講ずるべきであり、あくまでも「風邪をひいたら休むべきである」という規範を乗り越え、外出を行うという選択肢は、最終手段として留保されるべきである。よって、リモート等の手段を採ることができたのにもかかわらず、他者への傷害惹起する外出を選択するということは、あってはならないのである

★まとめ

 以上より、風邪をひいたら、本人のために休むべきであるのはもちろん、「他者を傷つけてはならない」のであるから、「ニンゲン風邪をひいたら、休め」という合理的規範が成立し、ニンゲン原則として右規範を遵守しなくてはならないということが示せたはずである

 規範限界については、判断枠組みを明確に提示した。

 その他、想定される反論について、下記にまとめる。異論や質疑等があれば、気軽にコメントしてほしい。

★その他、想定される反論質問

・明らかに体調不良ではなく伝染病であるものの、風邪が軽微である場合は?

 症状が軽微であっても、他者に伝染させる可能性がある。そして、乳幼児後期高齢者を想定すれば明らかであるように、自分が軽微な症状であるからといって、第三者もそうであるとは限らない。したがって、伝染によって他社の身体生命侵害を及ぼすという点では、原則として「風邪をひいたら、休め」という規範に従うべきである

 もっとも、上記パターン3の判断時に、症状の軽重は重要考慮要素となりうる。

風邪をひいた状態で出席することに対して、全員の合意がある場合は?

 友人の集まり会社等で、自己風邪を患った状態で出席することにつき、コンセンサスを得ている場合には、伝染による傷害結果の発生につき同意がある以上は、「風邪をひいたら休むべきである」という規範妥当しないのではないか?という反論が考えられる。

 しかし、風邪につき合意した者(合意者)のみと交流することは実際上は困難である。例えば、公共交通機関を用いるのであれば、不特定多数人に感染リスクがあり、伝染による傷害惹起する可能性があるだろう。

 そして、合意者がさら第三者に伝染を及ぼす可能性がある以上は、②蔓延防止の観点からこれを許容するのは妥当ではない。

・病弱なニンゲンにとって、毎回「風邪をひいたら休む」という規範に従うのは難しいのでは?

 たしかに、病弱なニンゲンは休む機会が増えてしまうため、会社学校での評価に悪影響を及ぼすこともありうるだろう。

 しかし、病弱な者は他人を傷つけても良いと考える者はいない。そして、伝染病頒布他人傷害する行為であるから、伝染によって他人傷害してしまうことにつき認識・認容があれば、道義的非難に値することには変わりない。

 また、結局のところ、評価の変動といった事情は先述したように利己的・個人的理由であるからエゴイズム第三者生命身体侵害するという場面は限定されるべきであるという当為規範が変動することもない。

 したがって、上記で示した判断枠組みが変動することはない。

以上

2024-06-02

転売行為需要供給経済原理に基づくものだって言ってるのはバカ

とはいえ中級ミクロ経済学くらいの知識はいるので、馬鹿といっちゃうのは言い過ぎかも。

需要供給メカニズムが正常に働くためには、メーカーや通常の流通チャンネルが得る利益が上昇しなければならない。転売ヤーは、転売行為を行っている人が儲かるだけでメーカーは儲からいか価格メカニズムによる調整が働かない。転売ヤーがいないほうが商品アクセス簡単になる可能性が高いので、流通ともみなせない。生産者からファンへの商流に介入し付加価値を与えずに上前を撥ねるという意味では消費税のほうが原理としては近い。

で、消費税がそうであるように転売ヤー存在によって消費者が支払う費用が上昇し、均衡供給が減少するので、総余剰が減少する。ゲームエコシステムは広がらず、アイドルファンのすそ野は狭くなる。消費税公共の福祉のために使われることで総余剰の減少を相殺する、ということになっているが、転売ヤーにはそういうメカニズムがない。

そもそも企業が正しい値段付けをしていれば転売ヤーの入る余地はないので転売ヤーは悪くないというのも間違っている。企業には短期的な利益最大化の価格より低い値付けをするインセンティブがあるから。一番わかりやすいのはゲーム本体のケース。ゲーム機が売れれば売れるほどゲーム機のエコシステムに正の外部性が働くから、売り出し時点の均衡価格より低い値段で本体販売することで需要を刺激できる。ゲーム機のエコシステムから得られる総利益考慮すると、ゲーム本体会社均衡価格より低く売り出すインセンティブは強くある。これは、ゲーム機の販売による正の外部性メーカーが内部化しているということなので、おそらく定価のほうが「短期均衡価格」よりも経済学的な意味効率的(総余剰が高い)可能性が高い。逆に、転売ヤーみたいに販売最初の一週間は定価の五倍から始めて一年かけて落としていく、みたいなことをされるとエコシステムの成長が阻害される。

おそらく、アイドルチケットなどもそう。市場均衡まで価格を上げるより、あまり値段を上げすぎないで、現在収入が低いが熱心なファンにもチケットがいきわたるようにすることで、ファンのすそ野を広げ長期的な利益の最大化が図れる。

転売は悪だが、別に個人利益の追求の結果としてエコシステムの成長が阻害されたって犯罪ではないし、犯罪とすべきでもないとは思う。マスクとか、全国民外部性があるようなケースを別にすれば、法律違法行為とするのは正直疑問感ある。不正競争防止法文脈なら考えられなくもないけど、あれって具体的な対象特定必要だし、そこの建付けを転売ヤーのために変えるのか、というのはパターナリズムが過ぎるかなという感じ。反社勢力資金が流れてるとかなら別だけど。

もちろん、自分利益のためにエコシステムに害を与えているので、ファンから非難されるのも、メーカーが工夫を凝らすのも当然だと思う。善か悪かだったら悪だよね。

2024-05-29

虎に翼43回 父親のやったことの何がダメなのか

この回で、寅子の父親(直言)が告白した色々に娘の寅子が「は?」って顔して、最後はいい話で終わった。

直言がやったことの何がダメかわからない人もいそうだけど、パターナリズムからです。

パターナリズムとは、

権威ある人間の考え、行動が第三者のために決定し、その結果第三者アドバンテージを得るかもしれないが、人生自己決定責任を持てなくなる”

であり、親から子、帝国から植民地などへ主になされるもの

日本語では家父長制と訳されることが多いが、日本旧来の家制度を軸にした家父長制とは意味が異なる。

同じくペイトリアーキも家父長制と訳されるけど、こちらは、

「最年長の男性家族の長である社会。または、彼ら自身利益のために能力権力行使する男性によってコントロールされた社会ケンブリッジ辞書)」

なのでまた違う。

家父長制だから父親の行いというわけではなく、構造なので当然のように女性もその構造内で権力をふるいます

姑や中高年女性が、若い女性や息子の妻に「男性優位家父長制のわからせ」するのが家父長制構造です。


話を戻して、寅子の父親が「娘のために」いい結婚相手勝手に決めたり、配偶者の死を隠すのは、

娘の自己決定権を侵害し、人権を軽視し、所有物として扱う、してはならない行為

それが、「娘を可愛がってくれるいいお父さん、いつも優しい、味方の、弱いところもあるお父さんが良かれとおもってやってしまった、本人も反省している」であっても

ダメものダメで、

「お父さんだけが私の味方だった。ありがとうしかしそれはそれ、これはこれ。私に対する侮辱であり許せない。よくしてくれたことのバーターにはならない。これからの私にも娘の代にも誰にも絶対させない」というジャッジ批判必要だ。

日本ではお気持ち人情構造邪悪グロスで許して安いいい話にしてしまいがちで、NHKもそういう価値観迎合しているのだろうけど、

ダメものダメとやりすぎなくらいしっかり指摘していかねばならない。

NHKにそういうレベルバカにされているから、ああい報道をされているわけだし。

男性の弱さ愚かさゆえに女性子ども人権が踏まれるのを許していてはダメで、

社会構造的に男性権力勾配の上にいるので、愚かで弱いことはそれだけで悪なんですよ。

優三さんという「都合のいい男」の使い方にも問題がある。

必要なのは「何でも許して受け入れて応援してくれる都合のいい階級の低い優しい男(女)」ではなく、

都合が悪くても思考して個として敬意をもって互いに対話交渉ができる人間同士の関係から

弱さ愚かさを謝罪するのなら、責任を取ってさっさと妻や娘の無料衣食住マネジメントでもするべきで

「お父さん」の座でヨイショされながら謝っていい話にするのは全くもって違う。

2024-05-07

anond:20240506102800

「『普通』ではない女性物語

→これはその通り。ただ当時は今よりも階級社会だったとは言え、寅子も日本社会の中で生きている限り、その「常識」「普通」とされるものに従わなければ生きていけない。「普通ではない」と切り捨てるのも違う。

「当時の人間は全員教科書的な「昭和初期の『普通』の価値観」を持っていたはず。

ドラマだと、そもそも寅子たちが「当時の普通価値観」(とされるもの)が何かを全く理解できない宇宙人のように見える。帰国子女エリートは言え、さすがにそれはないと思う。


増田が考えているほどに女性差別が当たり前の常識ではなかった」

→これは何を女性差別と考えているかにもよるけど、そういう理解も正しい。しかし、例として挙げているものは、女性差別実例として取り上げることも十分に可能もの。「女性は弱いのだから同情・保護してあげなければ」というパターナリズムかもしれないから。

現実フィクションをごっちゃにするのやめようよ」

→こういう議論をする人が多いのだけど、映画創作物における表現も厳然たる「現実」の一部であることを忘れないように。とくに昔の映画は今とは逆に、リアリティのある表現をひたすら追求するもの一般的だった。昭和時代も女性蔑視的なことをはっきり口にするのがよしとされていなかったことは明らかで、その上で、そこに様々なジェンダー差別存在していたことを読み取ることが重要になる。

2024-04-14

anond:20240413195843

男女関係ないんだけど話すと大体被害者意識を持っていて、自分虐待したくないけどしてしまう、でもそれは仕方ない事なんだという言い訳を始める

問題経済でなく自尊心なんだと思う

何がいいって利害が対立している親がそれぞれ親権を持っているのがいい

これもすごいよくわかる話。

義務権利責任について偏頗な(バランスを欠いた)制度は、それ自体が幼稚さを暴走させる。

国家間安全保障問題と全く相似形。

2024-04-04

anond:20240404103033

左派を自認していて、間違ってもツイウヨはてウヨかに共感を持つような人間ではないので)顕名で言う勇気は無いが、こういう事例を見るたびにパターナリズムには理があるのではという気持ちを抱いてしま

2024-04-02

anond:20240402221747

から強い者が弱い者を庇護する文化があったんだけど

パターナリズムジェンダーだって文句うから

じゃあ廃止しましょうかってなってるんだけど

2024-03-27

anond:20240327155438

hate_flagくんはリベラル要素ないだろ

しろ「男が黙って女の全てを受け入れろ」っていうパターナリズム全開の「優しい男」じゃん

anond:20240327004020

これイナモトなんちゃらは珍しくまともなこと言ってるな

このツイート(現ポスト)に

自分配偶者などの職業選択に口を出すのが前提とされるパターナリズムを丸出しにしている元ツイート

は失当だろ

id:wideangle狂人呼ばわりされるid:washburn1975

https://twitter.com/inamoto_yksp_tw/status/1771796973361754125

イナモトリュウシ ∃@🇵🇸Solidarity with Palestine@inamoto_yksp_tw

グラビアAV水商売搾取構造問題批判すると「職業差別だ!」と吹き上がる男ども、自分配偶者恋人がそちらの道進もうとしたら絶対全力で止めるだろう。そういう欺瞞がムカつくのよ。

https://twitter.com/washburn1975/status/1772101955676238214

ワッシュ(鷲羽大介)@washburn1975

自分配偶者恋人が」

それ以上いけない




https://twitter.com/Beriya/status/1772410480872603722

5億円 2017@Beriya

自分配偶者などの職業選択に口を出すのが前提とされるパターナリズムを丸出しにしている元ツイートに、配偶者恋人の有無を「からかい」のネタにするという「有害な男らしさ」を正面から発揮しているツイートが乗っかっているこの光景、この辺りのクズどもを象徴しているような美しさがあるな。

https://twitter.com/wideangle/status/1772434768212234407

な@wideangle

はてなユーザなので当該人物を長く見ているが、元々ここまで狂ってるアカウントじゃなかったんだよなあ……。

な@wideangle

まあでもヤバくなってからの期間がもうだいぶ 長いか……




関係ないですけどid:washburn1975さんはリベラル気取ってるくせにブログタイトルはいつまでたっても「男の魂に火をつけろ!」なんて性差別的な表現のままなんですねえ。

言ってる事とやってる事に一貫性がありませんねえ。

杉作J太郎先生は「男の墓場プロダクション」って社名を改めたっていうのに、washburn1975さんは頑なに「男の~」ってつけるんですねえ。

いい加減、時代に合わせてアップデートしたらいかがですか?見苦しいですよ生き方が。

2024-03-11

リベラルという欺瞞

もともとは自由主義者を指す用語であり、政府の抑圧から個人権利擁護する立場だった。それがなぜか本邦では左翼一般を指すようになっている。権威主義パターナリズム、それに共産主義者民主集中制とは本来対立してしかるべきなのに、それらに親和的な在り方のほうが「リベラル」とされている現状に歪みを感じる。

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