はてなキーワード: 不能とは
「女性専用車両に乗り込んでくる男は死ねばいい」と発言する女性がいたとして、彼女の投稿は皮肉交じりの比喩なのか、実際にカバンにナイフでも忍ばせてるのか
ひとまず思想に同意して一緒に女性専用車両拡大を促したほうが良いのか、殺害予告だと通報したほうが良いのか、判断不能
特にここは通報されない範囲内で過激な発言を行う輩が多いから、皮肉屋なのか狂っている人なのかのジャッジが出来ない場合が多い
25歳。男。経験は2人。そういうお店とかには行ったことがない。
性欲がないわけではない。むしろある方だと思う。
一人では2日に1回以上致すし、同僚・友人・知らない人にムラっとすることも多々あるし、ブラウザ履歴はエロサイトたくさんで人に触られるとちょっと困るくらいだし、
まあとにかく欲望に関しては少なく見積もっても普通ではあると思っている。
最中にいつも冷静で潔癖な自分がいて、相手の子のネガティブな部分を指摘しては息子を萎えさせていく。
行為が始まる直前が一番精神的に昂ぶっているんだけど、始まった後はずっと下り坂である。
酷いときは、物理的な刺激でも間に合わなくなって戦闘不能状態になり、そのまま終了する。(その後の雰囲気は言わずもがな)
でもきっと上手い方がいいと思うし、だからこそ不甲斐ない自分が嫌いだし、自分の気持ちの問題なので相手の子を責めるわけにもいかないし。
そんなの気にしなきゃいいじゃん、気になるならしなければいいのでは?となるんだろうが、困ったことに性欲はある。
したくてたまらない日も珍しくない。出会い系に手を出したこともある。
したくない自分はしたい自分に定期的に負けて、そしてすべてが終わった後で更に強くなって戻ってくるのである。
こんなんでいいのかなーと最近思うことが多い。
「幸色のワンルーム」が批判されている理由って、自分が「魔法使いの嫁」を好きになれない理由とおおむね一致する。
あの漫画、魔法使いの男が奴隷をお金で買って嫁にするなんて話だもん。しかもそれで、買われた女の子が居場所を得て満たされる。とても似たような話だよね。
金銭で奴隷を買って嫁にするっていうのは、比喩でも何でもないそのまんまの意味で、海外では現在進行形で行われてることだからな。
そして、「魔法使いの嫁」を取り立てて批判する気にはならないのと同じような理由で、「幸色のワンルーム」を取り立てて批判する気にはならない。
同じような理由で好きになれない作品というのはいろいろあるが、それらはかなり高い割合で女性向け。「魔法使いの嫁」だってグッズ展開とか見る限り女性受けが強く意識されているし、件の「幸色のワンルーム」も女性受けがいい作品だし。
これは、女性が奴隷になりたいとか誘拐されたいと思っているという意味では全くないと思うんだけど、その論理を理解することができない人はたくさんいるんだよね。真面目に話を進めたところで、人間は相互理解不能なのだ、という結論しか得られない。
そうなると、事件を揶揄する人たちが悪い! 被害者を守れ! という、それはその通りなのでは? という話しかできないし、それ以上に突っ込んだ話は絶対にできない。突っ込んだ話をするには、女性の欲望をいかに理解するのか、という話が不可欠だから。これは、少なくとも公に議論することは無理だろう(特にネット上では不可能だ)。
当たり障りない範囲で書くなら、例えば「魔法使いの嫁」について、男が女奴隷を金で買って嫁にしようという(しかもそれで女の子が居場所を得て救われる!)漫画なんて読むもんじゃありません、という説教を子どもは果たして聞くのであろうか? ということだね。あるいは、現代における奴隷の売買がリビアあたりで現実にどういう感じで行われているのかを子どもへ詳細に話してあげたとして、そういうのが子どもにとって良いことなのかどうか、とか。
そんな説教を素直に聞いて読むのを止めてしまう子どもは、別の意味で大変な問題を抱えていそうだなー、と思うわ。
その居心地の悪さにどう対処すればいいのか、という問題への現実解が、被害者を守れ、なわけだ。それはそれで大変いいことで、被害者を守れという呼びかけには、反対する要素も、議論すべき要素もなにもない。まったくもってその通り。被害者を責めるのはダメに決まっている。
この考え方を採用すると、文字通りの意味で「男が金で奴隷を買って嫁にする」ということは日本でほぼ起きていない(比喩であればいくらでも言えるだろうが)ので、日本で「魔法使いの嫁」を読むことは許される。よかったね! ……あー、やっぱ嫌いだわ、あの漫画。
ちなみに、奴隷やら誘拐やらの男バージョンがいわゆる異世界転生だと思う。男の場合は死んで世界を変えてしまうところまで行かないとならないあたり、真面目に考えるとけっこう深い闇なのだとは思うが、だからといって批判する気にはならない。気晴らしの空想すら許さないようでは息が詰まってかえって良くないし、実際に異世界転生するために死んだりしたらダメだぞ、って話をする気にもならん。カルト宗教での洗脳環境ならともかく、小説を読んだだけで「俺は死んでファンタジー世界に行くのだ!」とか、「アイツは死ぬことでハーレム世界へ飛び込むことに成功したんだ!」と本気で考える精神状態なら、必要なのは説教ではなく病院での診察だし、環境も変えずに本を読むのを止めるだけで良くなるという発想は大変危険である。
そうそう、こないだの先行上映で見た「万引き家族」は、話の作りが上記の作品群よりだいぶ良くないと思うんだよね。こっちは批判する気になる。
あの映画も幼児誘拐の話で、ストレートにそれを肯定するわけではなく、どう評価すればいいのかわからない、という体を取ってしまっているのね。
いや、それダメだと思うんだよ。どう受け取ればよいのか分からないという体を取れば、加害者への同情を誘うような見せ方をしても許してもらえるだろうというスケベ心が見え隠れしてる。妄想丸出しの「幸色のワンルーム」などよりも遥かに巧妙な描き方をしているだけに、結果的によりたちが悪くなっている。
もし仮に誘拐することによる「救い」が実際にあったとしても、そんなもんは社会には不必要なものだし、そういうのは政府機関とか、法的に許可を取った団体とか、個人がやるにしても分をわきまえた形でやることだ、ってのが現代社会の結論だよね。
仮に捨てられた人が捨てられたまま死んだとしても、それは政府とかが悪いのであって、見かねて法を破って救うとかありえないから。法を破らないことで死んでしまった人が居るんだとしたら、安らかに死んでくれという祈りを捧げるくらいしかやれることはない。誘拐が人を救うなんて9割9分9厘9毛はウソだし、もし1毛あったとしても、それは少数例外なんだから忘れた方がいい。そんな人たちは存在しないと思っておいた方が「健全」だ。
だからあんな中途半端な描き方をしているのは大変によくない。最初から「幸色のワンルーム」みたいな甘い空想の世界にしてしまうか、でなければ観客を寄せ付けないほどの厳しさが必要な物語だった。どっちつかずが一番困る。
もう少しきちんというと、そういう1毛未満の例外者を描いているにしては、描写が観客寄りすぎるんだよね。ボロボロ涙流して感情を吐露し始めるところとか、言ってることの内容は観客の期待するまんまな上に、演技が上手すぎる。あれはもう少しどうにかならなかったのか。観客が加害者を理解するための筋道の提示が巧妙すぎて、映画に没入しながら見る分には加害者の複雑な心情を見ている気分になるんだけど、客観的に考えれば安易で危ういものになっている。
もし「幸色のワンルーム」が被害者の居場所をなくしているというのであれば、「万引き家族」もその批判から逃れられるようなものではないだろう。
とはいえ、映画としての評価は別。映画は話の内容ですべてが決まるわけではないからね。
「万引き家族」は役者の演技も撮り方も凄まじく上手くて、(幼児誘拐をダシにはしているが)家族の絆のあり方を問うという目論見はうまく実現されており、全体として主題の表現の仕方が優れている。だからパルムドールも納得だし、自分も好きではないが大変良い映画だと思っている(一応書いておくが、嫌味ではなく本当にそう思っている)。
「幸色のワンルーム」は、そういう評価軸では特に思うことが何もない。ドラマでも何でも好きにやればいいと思う。批判するのもされるのも自由だし、そっちの方がいい。
細かい経緯は省くが、高須院長は「自分たちの世代は若いころすごく頑張り、そのおかげで今の日本がある」、田端氏は「過労死は自己責任」みたいな意見をtweetし炎上した。
いずれの意見もかなり極端に聞こえるが、これらをもし、諫言または励ましとして受け入れるなら、いかなる人も逃れることができない二つの事実を思い出させてくれる。
すなわち、
まず高須院長に対するの反論をみてみよう。主なものは「昔の高度経済成長期と、不景気が長引いている現代を一緒にするな」という一見もっともなものだろう。
しかしそれはあくまで結果の話であって、高度成長期の日本人の誰一人として、その好景気が続き日本が発展することを「知って」いた人はいないのだ。
高度成長期の初期ですら、戦争やらインフレやら、10年後の日本がどうなるかは誰にも予測できなかっただろう。
好景気に沸く周りの人達にならってモーレツに働いたとしても、再び焼け野原の生活に戻ってしまうかもしれないという不安を、杞憂と切り捨てることはできなかっただろう。
だが結果的には、モーレツに働いた人はモーレツに生産し稼いだし、道路も建物も破壊されることなくいまも国土の礎となっている。
これらの礎を作り上げた人々は素直に尊敬されるべきであるし、そもそもそれを我々が称賛できるということは幸運以外の何物でもないのだ。
未来は予想できないのに、今の状況に絶望して、あきらめて何もしないのは賢明とは言えない。
また実利的な見地から言っても、好景気のときに最も利益を得るのは不景気のころからすでに動いていた人々である。これはどこか投資哲学みたいだ。
あえて一言で言い換えてみるするなら上述の「未来へ投資しろ」に対して、「自分が何を投資しているか把握しろ」ということではないだろうか。
若いうちは特にそうだが、自分の体力、気力はいくらでも湧き出てくると勘違いしがちだ。大間違いである。
今頑張れば将来は楽しいことが待っていると考える。大間違いである。
たとえホワイト企業に勤めていてリア充で素晴らしい日々を送っていても、職場に何日も泊まり込みで働きづめでも…
病気にかかるかもしれない。Gウイルスに感染するかもしれない。歩いてたら後ろから猛スピードのプリウs…(話がそれそうなので省略)
自分の人生のリソースがどのぐらい残っているかはなんとなく把握できても、最初に言ったとおり未来は予測不能なのだ。
何に対して自分の人生をつぎ込むかは自由なのである。今の日本なら、自由にできる選択肢は控えめに言ってもかなり広い。
個人的な事情で自由が制限されている人はもちろん大勢いる。ただその中で何を優先するかは、自分で決めていいはずだ。自分で決めるべきだ。
逆に言えば周囲がいくら心配して助けようとしても、勝手にやめさせることはできない。
嫌なことでも、逆に好きでしょうがないことでも我々は人生のリソースを確実に消費しているのだ。
でもそれを誰かに言われたとおり、まるで家畜のように消費し、いざ請求書がきたところで「こんなはずじゃなかった」と後悔しても誰も何もしてあげられない。過去は変えられないからだ。
タイトルにしたがってまとめると、両氏の意見は「未来に投資しろ」と「自分が何に投資しているか把握しろ」という、向いている方向は反対でも、同じことを言っているのではないか。
んで、実際にはセクハラしなくて
「お前セクハラできる立場なのにセクハラしないって凄えな!」って言われたい
という、俺の『なろう系妄想』大爆発中
ってか、セクハラしないだけで褒められるってどんな性豪淫欲社会だっつーの
「いや、セクハラする度胸がないだけだろ」って、はい、そのとおりです
セクハラできる奴は、度胸とか勇気持ってるから、出世とかして上の立場にいけるんだよなーって思います(偏見)
やっぱり性豪淫欲社会じゃないか!世はまさにに大性欲時d(大偏見)
「有能な人が皆セクハラでのし上がっていることにして、自分の無能さから目を逸らして自己を正当化しt」あー耳がいたあああい!心も
すみませんすみません女性と付き合ったことないですし彼女いない歴=童貞だし無能なのは事実だし最近は無能というより不能
少し真面目な話をすると、私のような「女性から嫌われるタイプ」の人間は、現実社会において「セクハラ反対」と声を上げるのは、止めておいたほうがいい。
我々はただ、セクハラに対して肯定はもちろん、積極的な否定も控えながら慎ましく暮らし、もし女性がセクハラ被害にあっているところを見たら
「結果がかなり不確実であり、結果が悪いと徒労感と自尊心の傷つきが残る」ということについて、
自分の実力以上の難関校受験、強豪チームとの試合、人気業界を志望する就活、
評価される・試される立場に身を置くのは、自分の人生のコントロールを失ったように感じて、不安だしストレスだ。
失敗するのではないかという不安がそもそも生じないなら楽だけど、少なくとも私はそうではないので、
取り掛かる前にはどうしても不安が生じて、それでも良い結果を出す確率を上げるには、不安に飲み込まれないよう制御する必要がある。
課題の難易度が高くて荷が重いと感じるものであったり、不安を制御するスキルが低かったり
(あるいは健康状態が悪くてそのとき制御不能になっていたり)すると、自分一人では抱えきれなくて相談相手を必要とする。
・話を聞いてもらって、不安な気持ちを持つことが異常や間違いではないと認めてもらうこと
・結果が不確実な挑戦に対して、勇気づけをしてもらうこと
・望む結果が得られなかったとき、本人に傷つきは残るし揶揄してくる性悪は必ず居るけど、傷つきに対して共感的な人間「も」居るので、
全方位からの嘲笑が向けられて人生が終了するわけではないという、落下防止ネット的な価値観を提示してもらうこと
が求められている気がする。少なくとも私はそうだった気がする。
母親は高校時代、同級生の子が書いたラブレターが仲の良いグループ中で回し読みをされていて、
「ブスがイケメンにラブレターを送った」という嘲笑の雰囲気になり、嘲笑への同調を求められてショックを受けたと言っていた。
女性社員がセクハラを受けていると社内で言って回ったことで男性社員が自己都合退職する騒ぎが起きた。
起業・投資・転職といった稼得の挑戦で失敗することもある。こっちは気持ちの問題だけではなく生活もかかっている。
失恋で自殺する人もいれば、失業や事業の倒産で自殺する人もいる。
行動する勇気を挫く最悪の結果の事例は、リアルにもネットにも大量に転がっている。
私は友達だと思っていた人に陰口を言われていたことがわかったり、ハブられたり、秘密をばらされた経験などが子供のころから何度もある。
学業成績、友人関係、稼得、恋愛、力が及ばず奇跡も起こらず、散々挫折してきた。
でも得たいものがあるなら不安を制御して頭を使いながらタフに行動するしかない。
(だから女は大変なんだ、だから男はつらいんだ、などと属性を限定して「自分が他人に一方的に甘えても良い理屈」を構築する行為は嫌いだ…。
みんなそれぞれの人生のタスクに向き合っている。自分の属性だけが特別に優しくされるべきだという考えは蔑視や傲慢だと感じる)
私は恋愛相談を受けたとき、「相手の好みは何?相手は自分をどう思っている?」といった疑問に対して、
実際、そんなこと聞かれても私が知るわけがない。疑問の正確な答えは「想われている本人」だけが持っている。
どうすればモテるか・人気者になれるかについての汎用性の高い方法は、おそらく体系化されている。
体系化された知識なら、たまたま近くにいた素人に聞くよりも、ググるなり図書館に行くなりしたほうが入手効率は良いはずだ。
人間があえて人間に話しかける目的は、知識を得ることではなく持っていきどころのない気持ちの整理であることが多いのに、私は非協力的だった。
相談してきた相手に対して己の知識の豊富さを知らしめるのも、注文されたものと違うものを差し出しているというか、自分がしたいことをしているだけ。
相談にまともに乗れないということは、相談してきた人の挑戦の意欲を挫くことになるんだ。
しかし私の時間を割くことよりも私の持っている知識のほうが客観的な価値が高いはずと信じていたんだよな…。
諸々結果は受け入れるしかない。
相談した目的が達成されない(欲しい言葉がもらえない)から、同じ言葉がループして相談が長話になってしまう。
ただ同じ「相談」の体裁でも、行動の後押しをして欲しいのではなく、相手の時間をできるだけ長いこと奪って相手をダメにするのが目的のケースもあって、
それは「頼っている」の範囲を超えて闇落ちしてる人だから距離を置いたほうが良いのかなと思う。
自分が相手にとって価値がある人間なのかを延々試してしまう非生産的で破壊的な状態。
でも私も闇落ちの状態の経験があるから、闇落ちしてる人を上から目線で叩く資格がなくて、気持ちもよくわかる。いつでもそんな状態になりうる。
「やりたいことを表明すると否定される」というのが繰り返されると、本音に蓋をするようになって、
自分がだんだん何に苦しんでるのかがよくわからなくなるんだよね。
低学年のころから父親の意に沿わない言動をしたら家の外にパジャマのまま締め出されたり、
旅行先のカナダで置き去りにされそうになったり、父親の気に入る私の将来の夢を言うまで言い直しをさせられたりした。
従わないと生命の危険があるというのが刷り込まれて、自分が何をしたいのか自覚しない癖ができてしまった。
父親も祖父から失禁するまで殴られて育ったようだから、無力な子供のころに保護者のような生活を握っている腕力の強い人間から暴力を受け続けると、
自分の望みがよくわからなくなるというのは傾向としてあるんじゃないかと思う。
命じられたり、忖度…先回りして服従した行為を、自分の心からの望みのように言い聞かせながら走り続けると、
やがて疲れと怒りと悲しみに飲み込まれて、混乱のなかでネガティブな感情が爆発して迷惑をかけてしまう。
しかも無力感に蝕まれきった状態だと、前向きに動けている人の時間を奪ったり気力を削いだりといった、足を引っ張る行動をとってしまう。
欲望に自覚があって、「素直に表明できる能力」や「表明しても問題のない立場」を持っている人を見ると、妬んで理不尽に腹を立ててしまう。
自分の欲望を自覚して責任をもって、欲しい結果を手に入れるには待っているだけじゃなくて自分ができることをしなければならない現実を受け入れて、
結果は不確実であるという現実を受け入れて、不安を制御して、欲望の対象になっている人には選択の自由を与える心の強さを持たないとダメなんだ。
人を手に入れたいとかコントロールしたいと思い、その欲求に無自覚だと、遠回しに相手の価値や可能性を否定・値引きする言動をとりがち。
私は愛して愛されたいし、好意が理由ならどんな行動も許容されるべきと考えて迷惑行為をするのではなく、愛する人を尊重し続けたい。
一時期ネトウヨ系ニュースサイトばっかりを読んでる時期があって、「生産性なかったな」と思うんだけど、その時期を思い返して、ああいうコンテンツに浸っていると凄く楽に気持ち良いのでは、ってことを思った。
ほぼ何の労力もなく、勉強して啓蒙されて天下国家の知見を得た気分になって、まあ気持ちいい。
ここまで考えて、逆にパヨク系プログも同じなんじゃなかろうかと、数日ちょっと眺めてみた。
ネトウヨが染み付いてるから上のような状態にはならなかったけど、でも自分の主張がこれと同じだったら同じ状態になれたかな、と思ったりした。
イデオロギーに浸るのがこんなに気持ちいいということは、まあ自分も性的不能になったら別の快楽を求めて高齢ウヨサヨまっしぐらだな・・
昨日の今日で、言い訳を会計検査院と考えてきたらしい太田。コイツとんでもないタヌキだね。殊勝な態度に騙されてはいけない。
29年8月作成の、「会計検査院検査報告原案への主な意見」という別の文書も入手していて、その中では金額が提示されていることを暴露。ちなみに最終的に国会に提出された報告書には金額の記載はなく、ゴミの総量だけしか記載されてないからね。これには太田も、やってないとは言えず、寺岡を通じて対応というの菅の会見への質問対応のことだと思う、と最後まで菅をかばう姿勢を見せた。その役人根性、いいね!菅の代わりに自分のクビを差し出そうっていうなら、どうぞクビで。
29年8月「会計検査院から報告書原案が財務省に示されており、それに関して理財局内で議論。金額について記載アリ」
29年9月7日「財務省と国交省が報告書原案について相談。金額を総量にすべきだとの提案。検査院には官邸マターだと言っても通用しないから、菅の秘書官・寺岡を通じて対応していく、と記載。」
29年11月22日「金額の記載が消え、ゴミの総量についてのみ試算結果を記載。」
会計検査院長、河戸もクビで。
川内さんは、頭が良く、結構キレキレなタイプだと思うけど、語り口は柔らかく、わかりやすく質疑しようという態度が好き。消費税増税の党方針に反して、公認資格を喪失して落選してたんだけど、復活してよかった。おめでとう。
それはともかく、会計検査院、終わってるわ。
「昨日の予算委員会で話題になった、9月7日の意見交換概要について(略)昨日の御答弁だと、太田理財局長は、お会いになったということは、覚えているよーと、いうことだったと理解していますが、その中において、8億円の値引きの根拠になった新たなゴミの量、新たなゴミの量について、金額で生々しく言われるより、ゴミの量で言われる方が、まだマシだねーと。いうような話をしたと、昨日の審議でお話があったわけですが、そのような事実があったのか、そして、その会合を受けて、ちょっと、金額じゃなくて、量にしてよ、と。その方が正確じゃん、と。理財局長から、あるいは財務省から会計検査院に対して要請をしたのかしなかったのかについてお答えください。」
「(昨日通告が来てなかったことをタラタラと言いつのり、急に聞かれたからああいう答えになったと言い訳したのち、)
そして今の川内委員のご質問ですが、9月7日に、ということであれば、基本的にそうだということであります。で、その頃何を話していたかというと、(蝦名とは初対面だったから顔合わせの意味で会った、これからの仕事の進め方について話しあった。)仕事なので、情報交換について、話をするのは当たり前の事だと思います。最終的に検査院にどう、という点については、検査に関わることなので、と検査院さんもお答えになると思いますので(昨日か今日か打ち合わせしたんだね^^クビでどうぞ)、私の方からどうこうは言えないのでありますが、いずれにせよ、検査院は独立した第三者機関であって、我々財務省として、こうしてくれ、と言えるようなものではなく、もちろん我々の主張をなるほどそうだと思っていただければ、そうなることはあるとは思いますが、基本的には検査院が独立の判断をして、どちらかといえば、我々の方が検査を受ける立場ということで、立場が下、下という表現もあれかもしれませんけれども、ということで、検査院はあくまで独立した第三者機関、誇りも持ってやっておられると思いますので、我々ももちろんそういうものだと思って検査を受けておりますので、そういう関係、前提の話であるということでございます。」
「その前提の話として、会合の結果として、検査院に対して金額じゃなくて、ゴミの量にしてよ、と要請をされたのかと。もちろんそれを取り入れるかは検査院が最終的に判断することなんでしょうけど、財務省としてそういう要請をしたのか、という事実確認をさせていただいております。」
「検査、先ほど申し上げましたのは、検査をうける過程において、いろんなことを言われ、それに対してお答えをしてるということを申し上げましたが、委員の今のご質問にお答えするのは、具体的に、検査について、どういうやりとりがあったのかお答えをせよ、ということではないかと思いますので、それは、検査院としても、我々は受ける立場でございますので、いよいよお答えをすることを差し控えたいと、いうことでございます。」
「検査院として、今回は国交と財務省ですが、検査の対象となる省庁からの事前の調整、あるいは要望・要請、というものを、検査報告を出す前にですね、会合をすることは当然にしてあるという理解でいいですか。」
「一般論として、検査報告は、検査対象の会計報告を非難しまして、その情報を国会等に報告するものでありますから、その内容につきましては、正確を期して、誤りのないようにすることが大変重要であります。このため、会計検査院では、不適切あるいは不正な経理等を発見した場合には、対象期間に対して、事実関係の確認あるいは、弁明の聴取等をいたしております。そして検査報告に掲記すべき内容につきましては、外部からの干渉を受けることなく、あくまでも会計検査院内部における慎重な審議のもと、最終的には検査官会議の決議を持って、最終的には技術的に掲記をしているところであります。」(事情聴取はするが、書く内容については、干渉を受けないというあったりまえのことしか言ってない)
「事前に検査対象と確認をすると、そういうことでいいわけですよね。」(これは質問の筋が良くない。事実関係の確認をすることと、報告書案を見せることは全く別。)
「事実関係の確認はされていると。では一点後確認したいのは、検査院としては、情報公開法にもあるように、検査内容とか検査の過程について、検査院として答えられないよーというのはそれはそれでよろしい、検査対象がこういうことを言いましたよーという事実関係を国会に答えることは構いませんよーという立場でよろしいかと、確認させてください。」
「検査対象と検査院との間の検査期間におけるやりとりに関するお尋ねであると理解しております。これは検査対象と検査院との討議、あるいは検査院内での討議に関わる審議検討、または討議に関するものであり、検査官会議の議決を受けていないいわば未成熟な情報でございます。このような検査対象機関と、検査院とのやりとりが公表された場合には、今後の検査に置きます、会計検査院と対象機関との、または、検査院内部での率直な意見交換を阻害する可能性があると考えております。また情報公開法の第5条第5号にも記載されております。さらにこのようなことによります、事実の確認が困難になり、厳正かつ正確な事実の把握に支障を及ぼす恐れがあると考えております。これは情報公開法第5条第6号にも記載されております。このような事情により、会計検査院としては、受検庁との詳細なやりとりの公開については差し控えさせておるところでございます。」
「(そうじゃなくて、財務省が要望したことを明らかにするのは検査院は関知しないよねと再度確認)」
「実質的に、受検庁の方から公表されますと、場合によってはこれは、あの内容次第だろうと思いますけども、内容によっては今後の検査にも支障を及ぼすと考えているところであります」=法的根拠はない
「内容を聞いてるんではなくて、事実関係を聞いているので、改めて財務省に答えていただきたい。いや先に検査院に聞きましょう。ゴミの金額じゃなくて量にして欲しいという要望があったかということに答えることは問題がある、そのあと、財務省に要望したのかという事実関係をお答えいただきたい」
第3局局長
「(さっきの答弁を繰り返す)」答える気ないなこれ。
「私どもは検査を受ける立場でございます。(略)検査の最終的な結果として、検査院さんの方での検査の結果になっているということでございます。それについて我々がこういう要望をしたということを、明らかにしますと、やはり、検査の結果、あるいは検査の内容について、いろんな議論を招く、あるいは今後の検査に支障をきたすというのは我々としては理解できますので、御答弁は差し控えさせていただきます。」(検査院の検査が歪められていたら検証不能ってことだね。クビでどうぞ。)
「(略)今回の検査は、国政調査権に基づいて、参議院が要請したもので、その中で、いろいろと不適切だという指摘がなされたものです。こレは、社会契約上の問題であって、今の理財局長、検査院第3局長、事務総局次長さんの御答弁を聞いておりますと、いろいろ理屈はおっしゃるけれども、子供達が聞いておったら、単に逃げてるとしか思えない、隠してるとしか思えないんですよ。この件に関しては、すべてを赤裸々に、お互いに語り合うことによって民主主義を前進させるケーススタディとして扱っていかなければ、国会もその役割を果たせないと思うんです。委員長、委員長として、私事実関係を聞いてるだけですから、財務省さんは検査院さんに対して、金額じゃなくてゴミの量でやってよ、と要望したんですかと、事実関係を確認しているのですから、財務省に答弁をするように促していただいて、それでも答弁を拒否するのか聞いてみたいんですけど。委員長お願いします。」
小里委員長
「今の川内議員の御指摘を踏まえて、可能な範囲で御答弁ください。」
「(基本的には委員のおっしゃる通りと言いながらダラダラダラダラ改ざん文書や交渉記録出しました、頑張ってますアピール。クビでどうぞ。)子供達の世代にも会計検査の仕組みが維持できるということが必要だと思っています。その意味でその、森友学園との関係において、不十分であった、これだけ不十分あことをやってきた我々理財局がいうのはおこがましいとは思いますが、これは会計検査のことであって、会計検査は会計検査として、今後子供達に引き継げるもの、として検査院はおっしゃっておられて、我々もそれを理解して、これを申し上げておりまして、委員にお答えできていない、委員長のご指示に従えていないという委員がお思いなのも理解しますけれども、今後、我々が、検査院に厳しくご指導いただけますように、会計検査がきちんと引き継がれますようにと、今の委員の話は、最終的な結果をご覧いただくということでご理解いただきたく存じます。」
会計検査がちゃんとやってないんじゃないのかという疑惑を向けられた時にいうセリフじゃねーよな。大体最終的な結果はお前らの要望通りになっとるし。クビでどうぞ。その後、海江田筆頭理事からの苦情等があり、理事会でこの件について答弁するかどうかについて議論することに。まぁ事実関係を答えただけだ、要望なんてするわけないっていえないっていうのは要望しとると判断しますわ、私は。クビでどうぞ。
宮本さんは、まず理財局にくだんの文書があったかの確認、航空局にはあるかの確認から。理財局にはないとの返答。当然だね、答えない、の次に、内容が事実ではないという防波堤があるものね。航空局は、担当者は私的メモを作ったような気がするから探してみる、との回答。多分こっちは出てきたら全然違うことが書いてあったりするんじゃねーのかな。この改ざん政権では。クビでどうぞ。
「太田さんは誠実な方だと思ってこれまで質問してきましたけど、認識を改めないといけないかなと思っております(後ろで宮本岳志が大きく頷くのウケるw)先ほどの川内委員の質疑で事実関係の確認をすることはあると言っていましたけど、この文書で話されているのは事実関係の確認じゃないですよね。額じゃなくてトンだ、トンにしようとか、試算額を複数関係書いて、いろんな試算の仕方があるように見せようだとか、これは事実関係について書いてあるんじゃなくて、これは問題の追及を逃れるために、書きぶりを変えて欲しいという圧力をかけるための相談だったんじゃないんですか」
太田(苦しそう)
「あのー、お、昨日も御答弁したような、気もしますが、あのー、私はその紙について、見たこともなければ、聞いたこともない、小池議員と宮本岳志議員が質問される中においてお聞きしただけであります。えー。その中において、お互いが会計検査院の検査を受ける身でありますので、その場で、先ほども申し上げましたように、お互い正直に言って、お互い知らない仲でございましたので、その顔合わせてよく知るという中で、会計検査院のこともあったかもしれません。しかし今おっしゃったように、会計検査院の書きぶりに、内容について、我々が云々できないのは、それはご案内の通りでございます(だから菅を通じてやってもらったんじゃないのー。その建前なのにあんたらの要望通りの結果になってるから驚愕したんだこちとら)。基本的に、第三者機関として、我々は、事実関係について質問、事実関係について、きちんとご説明する、その結果として、最終的に、慎重な判断を欠いているというご指摘でございますので、我々の説明が十分にご理解いただけなかった、逆に言うと認めていただけなかったということでございます。」
「内容を見ますとね、顔合わせのようなことは何にも書いてないですよね。書いてるのは、会計検査院の報告書への対応と、国会への対応だけですよ。先ほど、内容について左右する立場じゃないとおっしゃったけども、書いてある内容が、左右するための話し合いになってるから、私たちは問題にしてるわけですよ(とおるー!かっこいいぞー!)。(略)」
この後太田は、見たこともない文書の内容が一言一句正しいという前提で質問されても困ると予防線を張る。クビでどうぞ。またデメリット発言についても言い訳を言い募る。あのさー知らない、虚偽だっていうなら余計な予防線張るなよ。クビでどうぞ。
29年2月9日の朝日の報道を受けて、マスコミの対応状況を籠池さんに問い合わせた2月13日の記録を、宮本岳志議員が、今年の3月に、提出を要求したものはタイトルが、応接記録、となっているのだけど、宮本徹議員が、豊中小学校事案に関わる応接記録という名前で、もっと詳しい内容が書かれた文書を入手したと質問している。昨日のと合わせて考えると、理財局の内部、または元局員あたりが共産党にリークしてるっぽいんで、誤った対応をするとどんどん続報が来そうな展開。
「応接概要
独自に入手したものは、本日森友学園の取材対応について確認した、となってる。報告、確認だいぶニュアンス違うのかなと思います。そのあと、取材している12社についての記述、これは同じです。このあとが全然違うんです。
お手元にあるものは、
本日、〇〇弁護士同席で、対応。どういう運営方針で子供を育てるのかについて聞かれたので、きちんとした子供を育てる、これが重要と回答した。
これで終わってます。私が入手したものは、このあと当方と相手方でやりとりがずーっと続いてます。
続きはトラバで
何はともあれ、これで俺たち兄弟が熱中したパズルゲームは終わりだ。
ということで、今回の話もこれで終わり
俺と弟はそれで良くても、ムカイさんの十数年かけたパズルゲームはまだ終わっていないのだから。
「最初は経過を観察することにした。そしてオマエを知る者、近しい者たちから情報を得ようと」
ムカイさんにそんなつもりはないのかもしれないが、何だかストーカーみたいだな。
「分かったのは、オマエも現在は戦っていないということだった」
「オマエと戦ったワレには分かる。お前は一時的ではあっても、戦いに生きる存在となっていた。『理由がない』というのは、戦いをやめる条件としては不十分だ」
「……生憎、その条件が何なのかは、あなた自身じゃなきゃ導き出せない。“協力”ならしてもいいけど」
嫌な予感がしてきたぞ。
「ワレに答えを委ねることが、どういうことになるか分かっているのか?」
「場所を移しましょうか。結局は“慣れた方法”が、答えにたどり着くには近道だもの」
ああ、やっぱり、そういう展開が来るのか。
ムカイさんにとって、わずかに残された“戦う理由”は、俺の母との決着だ。
母とムカイさんの、十数年越しの決着をつける戦いが、いま始まった。
ムカイさんは戦闘用のプログラムとAIが切り離されていたため動きが鈍い。
母は長年のブランクと、体が昔と違って戦闘用ではないため、ムカイさんに決定打を与えることができない。
そして……俺は真面目に解説するのが馬鹿らしくなってきていた。
勝負の内容はフワフワしていて、どっちが有利か不利か、漠然とした説明で進んでいく。
雰囲気で話は進んでいると感じたが、それを悪いことだとは思わない。
将棋にそこまで詳しくない人間はついていけないし、詳しい人間ならもっと実用的な指南書を求めるはずだ。
つまり、俺が言いたいのは、そういうことだ。
この戦いを、詳細に捉える意義はない。
「随分と弱くなったな。昔のオマエ相手なら、既にワレは戦闘不能になっていただろう」
「今の私は、日々の生活を家族と過ごせることが何より大事なの。あなたと戦うための武装は必要ない。それだと、子供たちを抱き締められないもの」
母とムカイさんのセリフの応酬が、傍から見ているとむず痒くて、マトモに聞いていられない。
弟はガキだから現実離れしたバトル展開に興奮しており、父はまあ一応は当事者の一人ってことになっているので真剣に見守っている。
「あなたも当時より随分と弱くなったじゃない。戦闘用じゃないパーツがいくつかあるようだけど」
「……色々な場所で、色々なことをした。当然、あの頃のパーツもガタがくる。現地の自称メカニックどもに、その度にパーツを変えられた。いつ使うのか、よく分からない機能もつけやがる」
「でも、あなたは今もそれを捨てていない。なぜだと思う?」
「AIを改造されたのかもな……そんなことができるほど、腕のいい奴はいなかったと記憶しているが」
「あなたのAIが元から優秀なら、特別な技術はいらないの。“心”ってのは、そういうもの。あなたがこうやって律儀に周りを巻き込まないよう戦っていることも、これまで旅をして培ってきたことも、そして今こうして私と話をしていることも、ね」
「“心”……? 機械のワレがか?」
話は見えてこないが、なんだかまとめに入っているってのは分かる。
ムカイさんのAIが、求めていた答えを導きだしたようだ。
「……もういい、降参だ。ワレには“戦わない理由”がある」
どうやら、戦いはムカイさんの負けで終わったようだ。
だが、そこに敗北感も、不完全燃焼感も漂っていなかった。
戦うために生まれたムカイさんにとって、「戦う理由がない」という条件は、戦いをやめる理由としては不十分だった。
だからムカイさんに必要だったのは“戦う理由”ではなく、“戦わない理由”だった。
それが具体的に何なのかは俺にはうかがい知れない。
だが、いずれにしろムカイさんにとって、戦うことよりも大事な理由だったのだろう。
今でもムカイさんは向かいに住んでいて、まあそれなりに仲良くやっている。
俺と弟はというと、母のよもやま話を以前より少しだけ真面目に聞くようになった。
今でも俺は、家族だからといって全てを知りたいとも、知るべきだとも思っていない。
それでも、理解しようとする程度の信頼はあった方がいいとは思ったんだ。。
割と激務でも、普通に動ける働けるプライベートな知人の愚痴聞きや励ましなどのケアも普通にできるという状態から
バツーン!!て感じでエネルギー切れか故障かで突然全く動けなくなって
こんなにキツい状態でギリギリで回してきたのに周りはみんなタスクを押し込んでくるばっかで便利に私を使ってばっかで
人権がない酷い酷い酷いっていう恨み憎しみが噴出し、周りは無理させてごめんって謝ってきて
私が回復したら元の場所に戻るっていうのを愚かにも何回か繰り返していて
周りが酷いもなにも「これ以上はキツいって周りに言えば良かったのでは?」という話で、
ぶっ壊れるまで一言も文句を言わず便利に使われたのは私の判断なわけで
でも自分の状態がどれだけやばいのかが自分で全くわからないんだよね
直前まで普通に動けて予測不能なタイミングで急に停止して恨みが噴出するから自分にとっても災害みたい
わからないから適切なタイミングで「これ以上抱えるのは無理!」ってことを伝えることもできない
どうしたらいいんですかね