はてなキーワード: 不可能とは
いやそれ以前に、
電車通勤と実家や旅館での食事が同じリスクだと思ってるん? お前が思ってることって9割間違ってる可能性あるから、自分の感覚で物事考えるのやめたほうが良いよ
ナゾの具体的数値が出てきたw
人間は自分の感覚以外で物事を考えることはできない。外で聞いたことを自分の中の取り入れてそれを感覚にしていくんだ。意味不明な思想強制を押し付けてんじゃねえ、匿名モラハラ野郎。
電車通勤の方が旅館での食事よりリスクが低いってエビデンスはどこにもない。
車で旅行に行って誰にも会わずに自室で食事をして帰ることは不可能ではないし、おそらくそれなりに愉しいが、しかし完全な在宅よりはリスクはある。コンビニに弁当を買いに行くのとどちらがリスキーかは比較不能。ただ、県外ナンバーの車をみて、「こんなに旅行者がいるなら自分も遊びに行っていいかなあ」と思う人は必ず現れるだろう。そこには注意が必要だ。
まあそれが酷いって話をするんだけど。
丸川珠代五輪担当相は10日の閣議後の記者会見で、国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長が9日に東京・銀座を訪れたことについて、「不要不急かどうかは本人が判断すべきだ」と述べた。
加藤氏は、新型コロナウイルス対策について「大会関係者は入国後14日間は行動範囲が限定され、公共交通機関の不使用などがプレーブック(規則集)で定められている。一方、入国後15日を経過した者は適用を受けない」と説明。7月8日に入国したバッハ氏は行動制限の対象に該当しないとした。「不要不急の外出に当たらないのか」との質問に対しては「各人に、状況に応じて適切に判断していただく」と述べ、当事者に任せているとした。
ブコメでも指摘のある通りこれは既に同趣旨の答弁がある。田島麻衣子議員が緊急事態宣言中に「単身赴任をされている国民が家族に会うため、県をまたいで移動」、「ゴールデンウィーク、お盆、年始年末などに国民が帰省」することなどを上げ「不要不急の外出・移動」に当たるのかと聞いた質問主意書に対する答えである。
お尋ねの「不要不急の外出・移動」については、「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」(令和二年三月二十八日新型コロナウイルス感染症対策本部決定、令和三年二月二日変更。以下「基本的対処方針」という。)において、「医療機関への通院、食料・医薬品・生活必需品の買い出し、必要な職場への出勤、屋外での運動や散歩など、生活や健康の維持のために必要なものについては外出の自粛要請の対象外とする。」との考え方を示しているところであるが、お尋ねの行為が「不要不急の外出・移動」に該当するか否かについては、国民の皆様において、それぞれの生活状況等に応じて適切に判断いただくものと考えており、一概にお答えすることは困難である。
今回の発言はこの考えをそのまま踏襲したものだと考えられる。しかし、問題もある。
この質問主意書に対する答弁は一般論としての答えなのである。「それぞれの生活状況等に応じて」と答えているように具体的な状況によって何が不要不急に当たるか変わるのは当然だろう。ところが、政府にその細かい事情まで把握することは不可能である。単身赴任で家族に会うための県をまたいだ移動という条件を付けてもどういった事情で会おうとしたのかは分からず「一概にお答えすることは困難」だ。
もちろん現体制では「お願い」レベルに過ぎずこう答えざるをえないという解釈もできる。結局最終判断は個々人に権限があるのだというわけだ。しかしそれはどういった行為が適切か否かを例示することを妨げるものではない。実際「医療機関の通院…生活や健康の維持のために必要なもの」は自粛要請対象外だと示している通りだ。
ところで、バッハ会長の銀座散策については政府は事情状況様態全て把握できる立場にある。何なら国民の多くはバッハ会長の散策に不要不急の事情があったとは思っていないだろう。
政府が事情を把握しきれない出来事に当事者が適切な判断をしてくれと言うのと、政府が事情を把握している実際の個別案件について当事者が適切に判断することだと言うのではニュアンスの違いを生じることに留意しなければならない。つまるところ後者は具体的行為を追認しフリーハンドを与えたも同然である。それなら「個別事案にはお答えできない」とか言ってくれた方がマシだ。
どんな事情があっても不適切であると言えるような事象、例えば路上飲みに対して本人が判断することだと言った時の悪影響を考えてみてほしい。今回はそれと同様なのである。
ここからが一番書きたいことなのだが、政府は場当たり的でその場逃れなメッセージを発することをやめるべきだ。恐らくメディアにこういった質問をすると事前通告された時、官僚は過去の答弁をサルベージしてそのまま引用できそうなものを見つけてきたのだろう。だが文脈によって言葉の与える印象が変わることを等閑視している。確かに過去の発言の踏襲に過ぎないと言えば簡単にその場は逃れられる。しかしながら、今の状況ではリスクコミュニケーションとして国民にどういったメッセージを与えるかというのを第一に考えてもらわなければ困る。そうでなければ統一的なメッセージが発せられず政府見解の信用性は地に落ちる。まあ既に落ちてるとは思うが…、いずれにせよ負の「レガシー」ができてしまったことは事実だ。
世界に優しくされたことがない人に他者の痛みを想像しろというのは無理だと最近とても思う。
私は生まれてすぐ父親に女ができて捨てられ、極貧家庭で気が狂った母親に虐待されながら育った。
容姿も醜く、ひどいいじめこそ受けなかったが、醜さを馬鹿にされることなど家でも学校でもしょっちゅうだった。
友達は少しいたが、グループの中でもうっすらいつもバカにされ、軽んじていい存在として扱われてきた。
貧しく醜く、頭も良い方ではなく、それを覆せるような何かの才能もない、どこにでもいるブスだ。
もう親はいないものとしてるし、彼氏なんかできたことないし、ブスでも被害に遭うような無差別な痴漢みたいな性犯罪に遭うだけだ。
大人しく無害で、いてもいなくてもいいその辺にいるブスだ。
女友達からもうっすら馬鹿にされながら、彼氏を取る心配がないからとたまに相談役など便利に使われたりする。
こういう地味なハズレ人生なんてその辺に転がってる。
男に優しく大事にされたことなんかないし、気を抜くと痴漢に遭ったり殺されたりするだけなので男がどんな酷い目に遭おうとどうでもいい。
美しい女性が若くして亡くなっても、この人はそれまでそれなりに人生で幸せなことあったんだろうし、
せっかく人生ガチャ成功したのにいきなり私以下の生きる権利すらない不幸の向こう側に堕ちてってざまあとすら思う。
社会でまともな位置にいる人が酷い目に遭うと、その幸福の落差に悲劇的なストーリーを見出して世間は大騒ぎする。
でもその人たちも、普通に生きて出会ってたら私のことなんかどうでもいいし、私がどんな目に遭おうと助けてくれないだろうし、
私のことをうっすら馬鹿に見下すだけで、底辺の人がなんか苦しんでるわ、まあそんなもんなんだろう…とそれぞれの人生をやっていくだけだろう。
私は彼らが更生不可能なことがよくわかる。
誰にも愛されたことがないし大事にされたことがないのに、他者に対する共感力や想像力だけ育てろとか言われたって無理だ。
世界が自分に何をしてくれたというんだと思う。与えられて初めて世界に返せるのだ。
どうなるかわからない段階の投資は原則民間はできないでしょ。投資に対して儲ける必要があるのだから。
「確実な成果を求める」ということは「どうなるかわからない段階」「成功するかわからない段階」には不向き。つまり、長期投資は新自由主義は原則不可能。
反ワクだけど思考力は高そうな親御さんで羨ましい限り。
ただこれは嘘だよなあ。これが成り立つための前提は皆が大人しく自粛を特効薬ができるか獲得免疫で集団免疫を達成するまで続けることだけど、そんなのどう考えても不可能だよね。自分は自粛ができるから皆も自粛するべきだしできるだろうという発想なんだろうけど、そこが間違い。
個人としてはワクチン打たないならさっさと感染して抗体を獲得しておくくらいしかないのでは。デルタ株の感染力なら満員電車に乗って自粛してない飲み屋で酒を飲むのをしばらく続ければまず間違いなく感染できそう。
ちなみにワクチン2回目は高確率で体調崩すので同居してたらまず間違いなくバレる。俺も39℃熱が出てかなりきつかった。
あとワクチンが未知のヤバい影響をもたらすかもという可能性は普通にある。それは誰にも分からん。接種証明は何かあった時のトラッキングに必要だから10年は保管しといた方がいい。
・最新の3D技術を駆使してモーションが破綻しない3Dライブ配信を毎日実施
・手厚い運営体制により普通のVTuberでは実現できないことまでやり、ファンサービスが充実
・キャラクターを重視しており、中の人らしい話は行われず、バーチャルな存在のキャラクター性が損なわれない
だいたいはてなーが期待していた理想のVTuber像()はこんな感じだろうが、実現してしまっているサービスがある
それが「ユージェネ」だ
実態はとてつもなくコストをかけて実現しているVTuberがメインコンテンツのサービスだ。知らんかったでしょ。
ソシャゲメーカーが作っているのでゲーム部分もあるが、内容自体はつまらなんの割愛する。
無課金でもスパチャの代わりになるVTuberを応援するアプリ内資産が稼ぐことが可能だ。
そして、メインコンテンツが毎日21時に開催されるライブ配信で、最初に書いたようにとてつもなくカネをかけた放送を行っている。
ちなみに放送の視聴にはライブ等のコンテンツによってはアプリ内資産が必要だ。
ライブは3D配信が行われており、キャラクターが動きながら様々な放送を行っている。
技術的には、モーションを送信してアプリ内で再現する電話の通話のような方式に加えて、技術的な工夫が行われているのか、モーションが破綻しない
他所のプラットフォームで動画配信しかできないVTuber事務所ではなかなか出来ない方式だ。
ライブの内容も、にじさんじやホロライブなどにありがちな中の人自身のリアルの話は行わず、キャラクターの設定を維持している。
そんなことしたら話す内容がすぐ無くなると思われるが、そこを解決する手段がユーザー参加型の配信だ。
キャラクターの設定も別世界から現実世界を知りたいという設定でもあるので、ユーザーのことを自然に聞きに行くということができる。
ユーザー参加型で、リアルタイムに反応があるので、キャラクター性は維持しつつもフィードバックが行われており、
例えば歌声はもっと低くしてほしいといったコメントが多ければ次回には修正して反映してくる。
単純なコメント読み上げではなく、ユーザーの反応を見ながらまとめあげるスタッフが存在していないと不可能なことを行ってくる。
その実例として、ユーザーはキャラクターから音声メッセージをもらうことがあるのだが、その際にはプレイヤーが過去に投稿したコメント内容に合わせたものになっていたりする。
これは音声メッセージ対象となった人の投稿データを参照した上でセリフを合わせて作っているのだ。労力が半端ない。
というか常識的に考えたら重課金ユーザーへの特典くらいでしか適用不可能だ。
だが、無課金ユーザーにもメッセージが届くチャンスはありとんでもないサービスをしている。
そしてこのとんでもないコンテンツだが、財政的破綻は目に見えている。
毎日の3D配信をはじめとしてランニングコストはバカ高い上に各種人力で頑張るサービスまで存在しており、100%赤字だ。
あ、主たるパートをエキストラにやってもらうことはまずない。ギャラの問題で直前(だいたいコンクール2~4週前)にしか集まれないので、主たるパートは正規団員に任せ、エキストラに穴を塞いでもらうのが多いらしい。
モチベーションについては、コンクールに出ることが第一のモチベーションになるし、それが出来ないとモチベーションダウンで活動不可能→固定費(楽器を保管する倉庫代など)は減らないため団体維持不可能になるので、それよりはマシという割りきりがある。
白倉プロデューサーは平成ライダーにおいて常識破りの改革者、そして今のゼンカイジャーでも頭いかれてる内容で視聴者を色々な意味で楽しませてる。
技能実習生が作ったものや、労働者の権利を守らない会社のものを避けきるなんて現代の日本で"普通に"生活してたら不可能。別に労働環境が是正されたらそれに越したことはないし、元増田の煽りはナンセンス。
わかったわかった、そうですね、
「もちろん、自演が自由であるという指摘もあることは当然理解しているが、あくまでもこの会話に於いて、
さっきから単純に別人である上のツリーの人と同一人物だと誤解されているのではと感じたので、それが同一人物ではないことを主張している。
もしそちらの基準で「自演ではない」と完全にみなされるのは、さっき書いたような高度な配慮が求められ、
雑文を適当に書いているだけの適当なユーザーが存在しうる増田では不可能である」って話。
その上で、自演だと感じられたことが理由であることも含め、無駄な時間であると思うのなら反応しなければ良いのではと言って、
区分けできないというか、したくないのだと思う。自分個人がみじめで不幸だなんて、そんな救いがないこと普通は認めたくないもん。「女だから」「田舎者だから」って主語を大きくすれば、私だけじゃなく可哀想な同胞はたくさんいる。社会がいけない、変えていかないとって言ってられる。
きっと「女に学はいらないという親戚のおじさん」に意識を変えることは不可能で、その事実は個人にとって救いがたい。だから敵を「社会」という群体にして、その一部を動かすことで満足してるんじゃないかな。
久しぶりに実家に帰った。
今帰省中である。親は俺のことを心配そうな目で見つめてくる。ああ、配偶者をみつけたしもうこの子は安心だなと思わせることはこの先ないんだなと思った。俺のことを一人前になったと思うことはなく、親は俺のことを心配し続ける余生を過ごすことになる。
とはいえ、それは親の自業自得でもある。つまり、その程度のスペックにしか産み育てることができなかったという話だ。
こういう話をすると自分の駄目さを見つめずに親のせいにしているという反論も聞こえてきそうだが、むしろとことんまで見つめた結果、親のせいだとおれは気付いた。
俺はダメな人間だ。生きている価値がない。なんでこんなクソみたいな性格をしてクソみたいな人生を送っているんだ。うつになるぐらい考え抜いた。過去のことをひとつづつ紐解いていくと最後は親にぶち当たる。当たり前だ。親の遺伝子を受け継いで、親が用意した環境で育ったんだから。
全ての子供は生まれるか生まれないかの選択肢を与えられないまま生まれてきているが、親は自分の意志で子を産んでいる。産まないという選択肢もあったのに。当時子供を産まないといけないという社会的圧力が強かったにせよ。
だから、子供には親を怨む権利があると思ってる。親は子を恨む権利はない…お前の選択の結果だろ?じゃあ最初から産まなければよかったのに、という理屈だ。
とはいえ、年を取るにつれて彼らも彼らなりに一生懸命俺のことを育ててくれたんだという考えも芽生えてきた。親を赦す気持ちにもなった。親を怨む権利を放棄するようになった。
ただ、反出生主義的な考えは消えないわけで(論破不可能じゃね?)、さらに親を赦したところでスペック値が上昇するわけでもないので、親を安心させるために結婚しようと努力するモチベーションは全く生まれてこない。不細工で挙動不審な非モテだし。
まあ結婚=子供産むでもないんだが(精子も腐ってるだろうし)、どっちにしろモチベーションはわかない。付き合う以前に、男として見られるためのスタートラインがあまりにも遠すぎる。そのスタートラインに立つためにどれだけの努力をしなければならないのかと考えると気が滅入るわけだ。結婚なんて、宝くじに当たる方がはるかに簡単だと思える。
ともかく、親がそういう余生を送る羽目になったのはこんなスペックにしか産み育てることができなかったことの当然の帰結だと思う。だから言ってしまえば自業自得なのだが、やはり親はかわいそうだと思うわけだ。親を怨む権利はもう放棄したから。ただ、俺としてはどうしようもなく悲しい気持ちになる。スペック的に俺には親を喜ばせることはできない。親の心配そうなまなざしに途方に暮れるしかない。自分を責めても親に刃が向くだけだ。
せめて親孝行ぐらいはしようと思った。結婚して安心させるとか孫の顔を見せるとかは無理だけど。メシおごるくらいは定期的にしてやろう。
ああ、あと、男らしさの呪縛から降りろみたいな話。俺が降りたとしても親が降りるかどうかはわからん、というか無理だろうなと。親が価値観をアップデートしたら心配から解放されるのかどうかは知らんが、まあちょっと無理があるよね。古い人間だから。
BLといえば、まるでプラスチックみたいなツルッツルツヤッツヤの完全無欠スパダリ攻めと女にちんこ生えただけみたいなブリブリ不憫美少年受けが、ベタな展開によりセックスに溺れているだけの大したことない漫画でしょ? くらいのイメージとは、だいぶかけ離れた作風なのが、朝田ねむい先生だ。なんというか、『世にも奇妙な物語』のホラーじゃない回みたいな作風。ストーリー構成力が高い。メインキャラはあまり救えない感じの社会的弱者男性である場合が多い。ガチのセックスシーンをあまり描かないのに、時々なにげに火力の強めのエロスをぶっこんでくる。筆ペンでザクッと描いたような味のある画風。画力が高い。そんな異色のBL漫画家。
短編集。デビュー作らしいけど、初っ端からぶっとんだ独自路線を爆走していらっしゃる。
主人公のツヅキはチンピラで、友達とつるみ、美人局をやって荒稼ぎをしていた。ある夜、ツヅキは十年間消息不明だった兄に再会する。何やら羽振りの良い兄に、ツヅキはタカろうとするが……。
初めて読んだとき思ったのは、絵が目茶苦茶上手いということ。子供独特のプロポーションや手足の華奢だけどお肉がむちむちしてそうな描写とか、赤ちゃんのお腹の丸みとか、そういう細かい部分の絵のリアルさに目を奪われた。もちろん、メインカプのハジメ(兄。攻め?)とツヅキ(弟。受け?)も、男の色気があって良い。
朝田先生の描く男の横顔の特に鼻のラインと刈り上げた後頭部は大変よい……と学習した。
風俗嬢に貢ぎ多額の借金をし首が回らなくなったケイは、自殺を図った。ところが目覚めると、彼は椅子に縛りつけられていた。そして強面の男から、借金を返済する方法三つのうちから一つを選べと迫られる。
いわゆる男娼ものなのだけど、お仕事のシーンよりは舞台裏での男娼たちの日常がメイン。登場人物がなかなかに濃ゆい。メインカプ(表紙の美人な方がシロさん、普通っぽい方が主人公のケイ。どっちが攻めだか受けだかよくわからない)のエロがほとんどない。ハートウォーミングな物語。
ロース神父はカルト教団にハマった青年リブを助けようと教団のアジトに乗り込むが、逆に囚われて監禁されてしまう。(他1編)
本作もあまりエロはないけど若干エロス。登場人物の名前が何故かことごとくお肉系。ロース神父は真面目系キャラだけど、言動の端々からこの人昔は札付きのワルだったんだろうなと察せられる。キャラの背景事情を説明文ではなくて絵で表現してしまうのすごい。
麻薬を使う描写があるが、幻覚症状が誇張っぽくなくリアリティーある。麻薬を嗜んだことないから知らんけど。
バイトを辞めたばかりで金欠のハルヒコは、ゲイ風俗の店員のふりをして、うだつの上がらないサラリーマン風の男アキヤマを騙し、金を巻き上げる。ハルヒコは味をしめてアキヤマとパパ活もどきの関係を続けるが……。
ハルヒコの性格が弁明不可能なほどのドクズなのだが、なんか憎めない。ハルヒコのドヤッたおすまし顔に手塚治虫みを感じる。
『兄の忠告』みたいなオチになりそうだなと予想して読んだら、まさかの斜め上展開だった。それでもハートウォーミングなラスト。エロ少だけどちゃんとはっきりBがLしてる。
BLアンソロジーCannaでまだ連載中。ゾンビものっぽい。さっきタイトルを打ってて気づいたけど、登場人物がリビングにいることが多いような。でも月末に発売される単行本は改題されて『スリーピング・デッド』になってる。佐田、ほぼほぼパジャマ姿だし?
私はこれを雑誌で3話か4話から読んだので、肝心の佐田が何故ゾンビ化してるのか知らない。ゆえに単行本の発売が楽しみ。私が読んだ範囲ではエロ少だけど、ばっちりBがLしてる。佐田が攻めでマッドサイエンティストの間宮が受けらしい。意外にも……。
オリンピック関連のホロコーストネタで盛り上がったが、個人的にはあまり興味はなかった。何せ、私はホロコーストそれ自体のことは実際詳しく知らないのだ。興味が偏っていて、関心があるのはいわゆる「ホロコースト否認論」だからである。否認論に詳しいのに、ホロコーストそれ自体のことをあまり知らないって変に思うかもしれないが、そりゃまぁ全然知らない人よりは遥かに詳しいけど、例えばワルシャワゲットー蜂起なんて言う有名な事件についてなどほとんど全然知らなかったりする。だもんで、話題になったホロコーストネタについては「へー」程度にしか思わなかった。興味が湧かないんだから仕方ない。
でも、ホロコーストへの興味が向く契機にはなる。最近は、ホロコースト否認に対する活動も停滞していたのだけど、Netflixで暇つぶしでもしようと思っていたら、たまたま目についた『シンドラーのリスト』。そう言えば、まだ二回しか見たことがない。その二回とも、ホロコースト否認やホロコーストそれ自体にすらほとんど知識がなかった頃の鑑賞だったので、ある程度知識のある今ならどんな感想を持つだろうと思って、鑑賞したのである。史実・原作通りではないこと程度は当然知ってる。例えば、映画の中の本当の主役であるアーモン・ゲート所長は、あのバルコニーから狙撃するのは実際には不可能だった、なんて話も知っている。プワシュフ収容所跡地はユダヤ人団体の反対により、当時使うことは出来ず、近所の採石場を使ったので、それに伴って原作の記述から変更したのである。
ともかく、映画は原作通りではなく、史実に基づき考証も経ているとはいえ、全体としてはフィクションである。そんなことは細かい話を知らなくとも映画を見てりゃ誰でも分かるはずなのだが、呆れたことにこのシンドラーのリストですら、ホロコースト否認論者たちは「事実ではない」と否認論に利用するのである。例えば以下のように。
この映画は、全く持って史実ではありません。その事を、私は、ニューヨーク・タイムズの2004年11月24日の記事で知りました。同紙が2004年11月24日に掲載した、エロン大学の歴史家であるデイヴィッド・M・クロウ(David M. Crowe)教授へのインタビューの内容は衝撃的な物です。クロウ教授に依ると、この映画が描く出来事が有ったとされる時期に、シンドラーは、収容所所長であったアモン・ゲートへの贈賄によって刑務所に入れられており、この映画が描く様な活動を出来た訳が無いのです。その他、多くの矛盾を同教授は指摘しており、この映画を「実話」と錯覚する事は全くの間違いなのです。(詳しくは、ニューヨーク・タイムズ2004年11月24日に掲載されたクロウ教授へのインタビューをお読み下さい。)
この映画が、イスラエルの墓地の場面で終はる事が、イスラエル建国の美化である事は余りにも明らかです。プロパガンダは感動的である事の一例です。皆さん、もっと、冷徹に物事を見てはいかがでしょうか。この映画が、オスロ協定に基ずく中東和平交渉とそれによって起こったイスラエル・ブームの時期に公開された事は、はたして偶然だったのでしょうか?私は、スピルバーグ監督が好きですが、同監督が、フィクションを史実と錯覚させるこの作品を作った事を本当に残念に思ひます。
http://blog.livedoor.jp/nishiokamasanori/archives/7074177.html
西岡は、マルコポーロ事件で一気にその界隈の知名度トップに上り詰める以前は、英字新聞の常連投稿者であったらしい。だからニューヨークタイムズも定期購読でもしていたのであろうか、そうした記事を見つけたのだろう。
さて、西岡の文章、後半のイスラエル云々は、ネットの一般否認者でも使う論理なので無視して良いと思うが、問題は前段である。西岡の書き方では、『シンドラーのリスト』全体が全くの嘘であるかのようにすら読めてしまう。もちろん、映画はフィクション性が強いと言っても全くのウソではない。オスカー・シンドラーは実際に約1000人のユダヤ人の命を救ったのである。トマス・キニーリーの原作は史実と見做されているし、映画は概ね原作に沿っている。では一体どう言うことなのであろうか?
西岡は、私自身とTwitterでやり合った時もそうであったが、参照文献の示し方が杜撰なことが多い。その時は、西岡は「国会図書館で読める!」と豪語しながら文献名すら示さないという呆れた態度すら取っていた(その後その文献をめぐってややこしいやり取りになったがここでは触れない)。今回もまた「ニューヨーク・タイムズ2004年11月24日に掲載されたクロウ教授へのインタビュー」である。あのね、そりゃそのニューヨークタイムズは探せばどっかにあると思うけど、常識的に考えて一般日本人が、ある特定の日のニューヨークタイムズなんてすぐに探せると思う? 「普通は」とはあんまり言いたくないけど、普通は他者の参照のし辛さを考えて、一部その記事を引用とかすると思う。それを「お読み下さい」って、いちいち図書館にでも行って調べろとでも言いたいのか?
というわけで、普通ならニューヨークタイムズなんか参照できないと諦め、西岡の言っていることを鵜呑みにするか、あるいは真偽不明として信じないか、だけだろう。ところが、今時の時代、ある程度ならなんでもググれば見つかる便利な時代であった。その記事とはこれのことである。
Book Adds Layers of Complexityto the Schindler Legend - The New York Times
ニューヨークタイムズの記事って、有料だとほとんど全部ネットで読めるそうだけど、まさかこれが無料で読めるとは意外だった。当該部分のみを翻訳して引用しよう。このニューヨークタイムズの記事自体、ちょっと書き方が悪い。
「シンドラーはリストとはほとんど無関係だった」と語るのは、ホロコースト史家でノースカロライナ州イーロン大学教授のデビッド・M・クロウ氏である。『The Untold Account of His Life, Wartime Activities and the True Story Behind the List(オスカー・シンドラーの人生、戦時中の活動、そしてリストの背後にある真実の物語)』を今秋、Westview Press社から出版した。
映画では、リーアム・ニーソン演じるシンドラーが、1944年にポーランドのクラクフにあるエナメルウェアと武器の工場のユダヤ人経営者に、比較的安全な現在のチェコ共和国に連れて行くべきユダヤ人労働者の名前を教える場面が描かれている。しかし、クロウ氏が電話インタビューで語ったところによると、当時シンドラーは、映画の中でラルフ・ファインズが演じた残忍な親衛隊の司令官アーモン・ゲートに賄賂を贈った罪で刑務所に入っていた。また、経営者のイツァーク・シュターン(ベン・キングズレー)は、当時シンドラーの下で働いているわけでもなかった。
クロウ氏によると、リストは9つあったという。最初の4つのリストは、主にマルセル・ゴールドバーグが作成したもので、彼は腐敗したユダヤ人保安警察官で、ユダヤ人輸送を担当するSS将校の補佐役だった。(ゴールドバーグは後に、賄賂を受け取ったことや、好意的な態度をとったことで非難された。)シンドラーは何人かの名前を提案したが、リストのほとんどの人を知らなかったとクロウ氏は言う。他の5つのリストの作成者は不明である。
「そもそも、「シンドラーのリスト」はなかった」だなんて、ほとんどの人が「えっ?」と驚くに違いない。タイムズ紙も妙な書き方をするものである。だが読み進めれば分かるとおり、映画で描かれたようなシュターンとシンドラーが二人してリストを作ったというようなことはなかった、とクロウ教授は言っているだけなのである。そして、記事に書いていない内容を記事から類推するに、シンドラーは刑務所から釈放後、ゴールドバーグらが作成したリストに何人かの名前を加えるよう提案した、としてリストに関わっており、何れにしてもリストは存在していたのである。実際、原作者のトマス・キニーリーが使ったとされるリストはオーストラリアで発見されている。
'Schindler's list' found in Sydney
ともかく、西岡の記事だけを読めば、シンドラーのリストの話自体が全部嘘のように読めてしまうが、事実は、単に映画には細かい相違があるというだけの話なのだ。こんなの余程うるさい人でもなければ「映画は事実ではなくウソである!」だなんて言わないレベルの話でしかない。ホロコースト否認論者ってどいつもこいつも常にこの調子で読み手を騙しにかかるので注意されたい。西岡の場合などは特に、イスラエルがどうたらこうたらと余計な印象操作まで含めているので、より悪質度は高い。ただし否認論者としては必須のはずの「スピルバーグはユダヤ人」を入れなかったのは否認論者としての自覚が足りないとは言える(笑)
最初に書いた通り、ホロコーストそれ自体の知識はあまりないので、どこが史実でどこが違うのかなどの細かい話は、Wikipediaレベルの知識しかない。その上で言えば、オスカー・シンドラーはリーアム・ニーソン演じたような人物ではなかったと思うけど、概ね的なレベルでは史実通りと見なして良いと思う。「所詮はフィクションだから」と言う人も多いけど、現代の基準から言えば、信じがたいレベルの惨劇が起きていたことは事実だし、映画ではそれを描き切れてなどいないとさえ言える。そもそも描き切るなど無理だろう。今年もホロコースト映画が何本も公開されていて、食傷気味だという意見も多いし私もそれら映画を見る気もないけど、『シンドラーのリスト』や『戦場のピアニスト』程度の代表作はぜひ見ておいて欲しいという気はする。
私は残念なことにリモートワークが難しい仕事に就いていて、毎日毎日通勤している。
なんと、ワクチンは1度も打っていない。
高齢者の次は基礎疾患保有者、高齢者施設等で仕事をしている人が優先されるらしい。ふむふむ、それは素晴らしい。
39歳以下は8月30日から摂取を始める???遅いんだわ!!!
地方に住んでいる歳下の友人ですら既に2回目を打っている。都内の同じ年齢の友人も当然打っている。
調べるとワクチン1回接種した人数は国民の4割は超えているというニュースもある。
慰めのように、集団接種会場の予約ログインページには「なお、当システムを利用していない、市内約1,550か所の医療機関では、年齢に関係なく
予約をすることができます。このうち、かかりつけ患者以外にも接種を行う医療機関が
約1,000か所あります。 」と書いてあるけれど、調べるとかかりつけ患者優先接種ばかり。かかりつけ患者以外を受け入れていても、優先接種の対象者限定になっていたりするし、実質年齢制限があるのではないか。
近所の診療所も「ワクチンの入荷量が少ない、あるいは不確定。」「だから年齢制限やかかりつけ患者を優先する。」といった内容が書かれている。この条件を乗り越えたところで予約は取れない。
確実にワクチンが足りてない。
弊社では全く言葉を聞かないが、職域接種なんて不可能なんだろう。
そして増え続ける感染者。
私はこの1年半ずっと人と一緒に食事もしていないし仕事以外の外出も控えている。自粛していた方の人間だと自負しているが、いつかどこかで感染してしまうのだろうなと思う。
RubyやRailsでどう書くかを知っているか知っていないかだけでそれがプログラミング能力だと勘違いしてる人が多い。全員というわけではないが……
「このライブラリでこう書ける」とか「こういう書き方がある」とか「こっちに書くとここがこうなる」とか、そういった規約覚えゲー的なところに目を取られて、どれだけRuby on Rails関連の規約をたくさん覚えているかでプログラミングスキルが高いか低いかを考えてる人が多い。もちろんそうした覚えゲーもある種プログラミング能力の一部なのだが、一方でライブラリを単に入れただけでは実現不可能なパフォーマンスを考えたコードを書くときやアーキテクチャ設計の段階では、何年も経験しているはずなのに役立たずになる。
ググるのが面倒なシンタックスシュガーや、ライブラリを導入した人しか辿り着けないconfigなど、規約(笑)とかいう発見非可逆なルールによって、それを導入した人だけが知っていて既得権益を得られるような構造になっている。そのために、ある機能を新しく利用したときに、それを知らない人にRails知識マウントを取れるようになっている。この気持ち悪さは、例えるなら、刑法を全部読んでからじゃないと街を歩くだけで逮捕されて、しかも何の罪で逮捕されているのか教えてもらえないようなものだ。
それで、全員というわけではないが、そういったRailsしか書けないおじさんは別言語で書くときに平気で今までプログラミングしたことないかのようなレベルの最悪のクソコードを生み出してくる。そもそも他言語が書けないおじさんも多い。
なぜなら、Rails知識こそがプログラミングスキルだと考えていて、Rails知識すごいワールドでしか生きてないからだ。覚えゲーをやっていただけで、スキルとしてはポケモンの名前を覚えただけにすぎない。社内スキルのようなものだ。
自分としてはRubyやRailsが直ちに滅びるとは思っていないが、Railsをメインで使ってる会社からしても、こうしたRailsしか書けないおじさんは今後不要になってくると思う。
去年の今頃はイベントなんてひとつもなく、年が明けて少し復活して、ゴールデンウィーク前にまたバタバタなくなって、明けてからこの夏にかけて、かなり平常運行になってきた。
今年のゴールデンウィークになくなったときは、かなり会場への規制が多く掛かっていた。会場が使えなくなり中止、という理由付けをよく聞いた。商業施設と一体化しているとほぼ不可能だったように思う。
だが、このバカみたいに感染者増えまくってる今、全然イベントなくならない。出演者がコロナ感染しても、代役を立ててやります、が普通になってきた。もちろんなくなる時もあるが。
ここで出てくるのが素朴な疑問。
もう都は規制を掛けないの?それとも掛けても誰も聞いてないだけなの?50%or5000人の基準は、zeppなら満席でも問題なくなってるから、マジで大きなイベントしかなくならない。
ある限りオタクはどこからでもくる…九州の知人が現場で都内連泊する!とツイートしてたし、そんなオタクはどこにでもいる…もちろんなくなればいろんな人の給与やコンテンツ存続に関わるなんてわかってるけど、演者も練習とかするの危ないんじゃないの…