久しぶりに実家に帰った。
今帰省中である。親は俺のことを心配そうな目で見つめてくる。ああ、配偶者をみつけたしもうこの子は安心だなと思わせることはこの先ないんだなと思った。俺のことを一人前になったと思うことはなく、親は俺のことを心配し続ける余生を過ごすことになる。
とはいえ、それは親の自業自得でもある。つまり、その程度のスペックにしか産み育てることができなかったという話だ。
こういう話をすると自分の駄目さを見つめずに親のせいにしているという反論も聞こえてきそうだが、むしろとことんまで見つめた結果、親のせいだとおれは気付いた。
俺はダメな人間だ。生きている価値がない。なんでこんなクソみたいな性格をしてクソみたいな人生を送っているんだ。うつになるぐらい考え抜いた。過去のことをひとつづつ紐解いていくと最後は親にぶち当たる。当たり前だ。親の遺伝子を受け継いで、親が用意した環境で育ったんだから。
全ての子供は生まれるか生まれないかの選択肢を与えられないまま生まれてきているが、親は自分の意志で子を産んでいる。産まないという選択肢もあったのに。当時子供を産まないといけないという社会的圧力が強かったにせよ。
だから、子供には親を怨む権利があると思ってる。親は子を恨む権利はない…お前の選択の結果だろ?じゃあ最初から産まなければよかったのに、という理屈だ。
とはいえ、年を取るにつれて彼らも彼らなりに一生懸命俺のことを育ててくれたんだという考えも芽生えてきた。親を赦す気持ちにもなった。親を怨む権利を放棄するようになった。
ただ、反出生主義的な考えは消えないわけで(論破不可能じゃね?)、さらに親を赦したところでスペック値が上昇するわけでもないので、親を安心させるために結婚しようと努力するモチベーションは全く生まれてこない。不細工で挙動不審な非モテだし。
まあ結婚=子供産むでもないんだが(精子も腐ってるだろうし)、どっちにしろモチベーションはわかない。付き合う以前に、男として見られるためのスタートラインがあまりにも遠すぎる。そのスタートラインに立つためにどれだけの努力をしなければならないのかと考えると気が滅入るわけだ。結婚なんて、宝くじに当たる方がはるかに簡単だと思える。
ともかく、親がそういう余生を送る羽目になったのはこんなスペックにしか産み育てることができなかったことの当然の帰結だと思う。だから言ってしまえば自業自得なのだが、やはり親はかわいそうだと思うわけだ。親を怨む権利はもう放棄したから。ただ、俺としてはどうしようもなく悲しい気持ちになる。スペック的に俺には親を喜ばせることはできない。親の心配そうなまなざしに途方に暮れるしかない。自分を責めても親に刃が向くだけだ。
せめて親孝行ぐらいはしようと思った。結婚して安心させるとか孫の顔を見せるとかは無理だけど。メシおごるくらいは定期的にしてやろう。
ああ、あと、男らしさの呪縛から降りろみたいな話。俺が降りたとしても親が降りるかどうかはわからん、というか無理だろうなと。親が価値観をアップデートしたら心配から解放されるのかどうかは知らんが、まあちょっと無理があるよね。古い人間だから。
反出生主義者は自己評価高杉 言い訳はいいからナンパしろ