はてなキーワード: ダースとは
私は二ヶ月前からゴルフをはじめた。しかしゴルフ道具一式は何年も前から持っていた。ゴルフ靴もボールも何ダースも買いこんで持っていたが、二ヶ月前までゴルフをやらなかったのである。
なぜやらなかったかというとむろん然るべき理由はある。そしてそれは一つの訓戒を守ったためであるけれども、訓戒を守ることは大切だということを、その結果として近ごろ痛感しているのである。
私は子供の時から胃弱で、それが唯一の持病である。そのため適度の運動が必要で、終戦後キャッチボールをやった。手軽にできる運動はそれだけだからだ。
ところが私の年齢ではキャッチボールは無理だ。十ぐらい投げただけで肩の痛さが堪えがたくなり、運動の役にたたない。
そのとき、さる人がゴルフをすすめて、胃弱にこれぐらい適当なスポーツはないから是非これにしなさい、道具を格安でゆずろうという。その人は大金満家でゴルフ狂であったから、最高級のゴルフセットを四つも五つも持っていた。その一つを私にゆずってくれることになった。
五十本ぐらいもある大きなセットでウィルソンの最高級品とかいう話であったが、十万円か十五万円ぐらいか、売る方も値のつけようがないらしい。買う方に至っては、そんな大金が有りっこない。そのうちに金ができたら買いましょうなぞとお茶を濁していた。
そのころ獅子文六さんと会ったら、ゴルフをしなさい安吾さんや、とすすめるから、実は拙者もそのつもりで、十万円だか十五万円だかの金策に頭をなやましている旨を有りのまま伝えた。
すると文六さんは話半ばにカンラカラカラと笑いとばして、おもむろに眉をしかめて、
「昔の金に換算すると、十五万円でも格安らしいですがね」
「いけませんよ。十万円は天下の大金です。初心者がそんなゴルフセットを持つ必要はない。お前さんは四万五千円で犬を買ったろう。犬に四万五千円の大金を投じるとは、なさけない人だね」
その席に坂西志保さんがいた。坂西さんは犬猫の大経験者であるから、
「コリーは高価な犬ですよ」
と取りなしたが、微醺びくんをおびている文六さんは受けつけない。
「安吾さんの買い物には乱世の兆があるね。私が格安で手頃のゴルフセットを世話するから、乱世の商談はやめにしなさい」
その晩は文六さんのウィスキーの肴にされたが、もともとゴルフ道具は高価なもので、特に私が買う筈だったのは最高級品だったから、乱世の兆があるほどのソロバンとも思われない。要するに私は文六さんのウィスキーの肴にされただけだろうと考えて、当夜のことは忘れてしまった。すると、そうでないことが起ったのである。
2
みんな忘れたころに、運送屋が大きな荷物をドサリと持ちこんだ。同時に文六さんからのハガキがとどいた。
弟が新しいセットを手に入れて古いのが要らなくなったから君にゆずらせる。高級品ではないが、初心者には十分と思う。代金は二万円だが、ついでの時でよろしいという文面であった。
ちょうど東京でゴルフ道具のブローカーをやってる人が来合わせていた。アチラ物なら五万円ぐらいでお世話しますというような話の最中であった。
文六さんが送ってくれたセットは、アイアンは全部マクレガーであった。ちょうど五万円という話の最中の品物であるから、相場にしては安すぎるが、と訊くと、
彼はいきなりシャッポをつかみとって、さっさと帰ってしまった。文六さんはブローカーを走らせたのである。
ところが文六さんが私にゴルフをすすめるについて、特に一ヶ条だけ訓戒を垂れたことがあったのである。
「ゴルフというものはヘタがたのしむ遊びであるが、ヘタにも限度があって、我流でやると進歩がない。習いはじめに悪いフォームが身につくとそれまでだから、最初の何ヶ月はプロについて正しいフォームを身につけなければならない。この一ヶ条は堅く守らなければいけませんぜ」
ということをまア五六ぺんはコンコンと訓戒をうけた。よほど我流の悪癖を身につけ易い人物と見立てたらしい。
一しょにゴルフ場へでかけようと計画をたててるうちに、張本人の文六さんが胃カイヨーで入院手術した。退院して湯河原で静養中に、ゴルフボールを一ダース退院祝いにぶらさげて遊びに行くと、さっそく箱をあけボールをとりだして眺めたり撫でたり、まるで舐めやしないかと思うような喜びようであった。しかし、そのあとが、よくなかった。
「ニューボールというものは仲間同士がトーナメントでもやる時に三つほどずつおろすようにしなければならない。初心者がニューボールで練習するなどとは言語道断の話で、ゴルフ場へ行くとキャデーが中ブルのボールを安い値で売っているから、練習はそれで間に合う。ニューボールを何十ダース何百ダース所蔵するのは心あたたまるものではあるが、それは使わずに、時に眺めつつ所蔵せることを楽しむ境地がよろしいな。安吾さんもゴルフとともに、この心あたたまる境地を会得して欲しいな」
また乱世の兆しについて一本クギを打たれたのである。文六さんが乱世の兆しを排撃するについては、口頭だけでなく実質的に力行の士であることを体得していたから、論争の余地がないのである。
「半年後にはゴルフができると思うから、それまでにプロについて正しいフォームを身につけておいてくれたまえ」
約束して別れた。
強力粉に目覚めてからしょっちゅうパンを焼いているくせにどのレシピを参考にして作ったのかすぐに忘れてしまってはまた検索して「どれだっけ・・・」となるのでまとめておく。
表面を湿らせて200℃で22分。
粉を振って180℃18分。
卵黄を焼く前に塗る。全卵でもよい。水で薄めて塗ってもOK。180℃18分。
(追記)
>「m_insolence 強力粉に目覚めたおじさんだ。強力粉とイーストがあるなら、中華まんを作るのもいいよ。おうちでほかほか蒸したてなの最高だよ。」
中華まん…そうかそういうのもあるのか。
正直言ってしまえば、増田のようにフリーランスでも結局エリートコースとか上級職と言っていい職業と収入の奴らは
リスク犯してまで女漁るリターンが見合わないからやってないだけで
例えば増田がその技術と知識と地位を悪用すれば、女子高生くらいダース単位で付き合える程度にはポテンシャル凄いからなぶっちゃけ
でもリスクに見合わないからやってないしやる意味が見出せないと増田が判断するのはむしろクレバーといえる
逆張り底辺がよくいうDQNの場合は失うものがないから稀にホームラン打てるだけで大半は普通の奴よりはるかにモテない
そしてDQNに引っかかる女も校門前に親方から借りたとかレンタルのアルファードで
こういっちゃ悪いけど
フェミさんには悪いがいくら煽っても負け組が勝ち組と交尾して一発逆転なんてないのだ
遊びで逆はあってもな
本記事では、自分が今までまとめてきた服飾史についての記事のリンクをまとめる。また、それぞれの記事のブックマーク数を、各々の記事の内容や傾向、投稿時刻などと比較し、どのような記事が増田ではよりバズりやすいかについて考察する。
導入で述べたように、ブルマーに関する記事についての傾向を調べる。また、項目の一つとして、どの程度IMRAD形式に従っていたかについても調査する。
IMRADとは論文を書くときの基本的な文章の構成方法だ。Introduction, Methods, Results And Discussionの略称で、おおよそ次なような構成に従っている。
もちろん、これはまったくの趣味で書いた文章であるので、ところどころ自分語りが挿入されるなど、厳密にIMRADの形式には従っていないし、結果と考察も一つにまとめられている。そこで、どの程度厳密にIMRAD形式の通りに文章を書いたかを三ツ星でランク付けする。例えば、導入部が省略されているときには、星を一つ減らす。自分語りが長いと感じた場合も、星を一つ減らす。
また、ブルマーとは関係なく書いた随筆についても後ほどその結果を掲載する。
タイトル | 執筆時点のブクマ数 | 投稿日 | 投稿曜日 | 投稿時刻 | IMRAD度 |
---|---|---|---|---|---|
日本人のブルマーとイギリス人のブルマー | 382 | 2020/06/28 | 月 | 07:56 | ★★ |
ドイツ人のブルマーとソ連人のブルマー、となりのトトロのパンツ(1) | 37 | 2020/07/27 | 月 | 07:44 | ★★★ |
イタリアと南米と中国のブルマー(修正版)、その1 | 2 | 2020/08/25 | 火 | 07:45 | ★★★ |
チアリーダーのブルマー、テニスのアンダースコート | 51 | 2020/09/01 | 火 | 08:02 | ★★ |
フィギュアスケートの見せパン、新体操のレオタード、陸上のブルマー | 488 | 2020/09/07 | 月 | 07:52 | ★ |
競泳水着と全裸水泳、海女さんのふんどし | 27 | 2020/09/08 | 火 | 07:55 | ★ |
ビーチバレーのユニフォーム、極小ビキニ強制の歴史 | 272 | 2020/09/14 | 月 | 07:38 | ★★ |
バレエのチュチュ、スカートの中のフリルとパンツ | 40 | 2020/09/17 | 金 | 07:50 | ★★ |
気が済んだので、またブルマーについて書くとはあまり思わないが、書くとしたらほどほどに私事やユーモアを入れてくつろげる文章にしたい。ブルマーについてだけではなく、日常で感じる素朴な疑問についても調査し、読んだら疑問が解消されてすっきりするものを目指したい。
また、具体的にどんな文章がバズるかは、どんな文章が読みやすいことと表裏一体だと考えられるので、こうした知見も仕事やブログの記事に役に立てていきたい。また、自分語りをするときであっても、読者にどう配慮すれば読みやすくなるかも、考え続けたく思う。
イギリス人のブルマーの調査から、ずいぶん遠くまで来た。脱線に脱線を重ねてきた結果だ。しかし、昔から気になっていたので、バレエのチュチュ(ふわっとしたスカートみたいなあれ)についても調べておこうと思う。子どもの頃に、やっぱりこれがエッチだと思ったからだけではない。どんなことでも、疑問を持ったならば調べることは大切だからだ。それに、こういう素朴な疑問だけれども面と向かって聞きにくいことについて調査し、書き留めておくことは、誤った憶測に対抗する上での価値があると信じている。
これは、単純にお尻フェチだとかパンチラ萌えだとかだけの話ではない。僕たちの欲望がどのような仕組みになっているのか、そして欲望を喚起するシステムがどのように働いているのかを理解することは、逆説的に欲望の暴走をコントロールすることにつながるはずだ。言い換えるならば、社会が求めている女性像/男性像から自由になる手段であり、政治や広告から発せられる都合のいいメッセージから身を守るすべにもなる。
前置きが長く、堅苦しくなってしまった。どうか肩の力を抜いて読んでいただきたい。
https://tutusthatdance.com/blogs/faq/parts-of-a-tutu
これは、クラシック・バレエのチュチュの基本的な構造である。pantyと書かれている項目に、「ここにフリルが縫い付けられる」と書かれている。要するにお尻の曲線はそこまで丸見えにはならないのである。
しかし、このフリルにもいくつか種類がある。英語版wikipediaのtutuの項目には、現代のチュチュとして、次の4つが挙げられている。
短く硬い、釣り鐘状のスカートを持ったチュチュ。通例、パンケーキ・チュチュより長い。ドガの作品で多く見られる。
これだけを調べるのにも、意外と時間がかかった。当たり前だが、カタログの写真では普通、スカートの中まで写さない(というか、写すべきでもないだろう)。「inside pancake tutu」では、こういう資料は見つけたが。
https://www.pinterest.jp/pin/560487116124411506/
http://4.bp.blogspot.com/_Ozo7z2zkqWs/S-i2wVfcR1I/AAAAAAAACYQ/zDek9ewzWno/s1600/platter.jpg
世の中には私と同じような疑問を持つ御仁もいらっしゃるようである。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11205496201
さて、ウィキペディアのチュチュの項目を見ると、「ツン」というパンツ部分を指す言葉が出ている。引用すると「ツン(Tune)はスカートと一体になったチュチュのパンツ部分。……(中略)……構造的にロマンティック・チュチュには存在せず、ロマンティック・チュチュではバレリーナは下着としてステージ・ショーツを別途着用する(広義では、これもツンと称する場合もある)」となっており、幾分ややこしい。
また、その下着の項には「チュチュを身に付ける際は下着として薄手のキャミソールレオタード状をしたバレエ・ファウンデーションを着用する……(中略)……色はほとんどの場合ベージュ系である」との記載がある。
要するに、レオタードみたいになっている場合は普通に下着を身に着けるし、パンツ部分がチュチュと分かれているものでも、オーバーパンツをはいているわけである。当たり前ではあるが。
ロマンティック・チュチュは1832年、「ラ・シルフィード」で初めて案出されたらしいので、先ほどのツンについての記述と比べれば、現代につながるフリル付きの見せパンの起源はそこにある、と判断できそうである。ただし、英語版wikipediaには「ツン」の項目はなかった。
また、興味深いのは注釈の「ただし、アンダースコートとは異なり、ツンのフリルは横方向よりも縦方向に付けられる場合が多い」という個所だ。確かにさっきの画像でもそうなっていた。フリルの趣味の時代的変遷だろうか?
Wikipedia英語版のballetの記事でバレエの歴史を振り返ると、拾い読みだが、次のような流れになっている。
まず、バレエの起源はルネサンス期の宮廷でのダンスにさかのぼる(ルイ14世も踊ったほどだ)。それが徐々に劇場で公演されるようになった。
17世紀の頃は、女性の衣装は重たい生地と膝丈のスカートで構成されていて、動きやしぐさを出すのが難しかった。しかし、これでは動きやジェスチャーに制限ができてしまう。これが18世紀になると、スカートは地面から数インチの高さになる。色はパステルカラーが主流となり、さまざまな飾りが華やかでフェミニンなスタイルを強調するようになる。現在踊られているバレエでは一番古いものがこの時代で、「ラ・シルフィード」「ジゼル」が知られる。以下は18世紀の絵画だ。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/49/MarieSalle.jpg
19世紀初頭には、身体にぴったりとフィットした衣装が用いられるようになる。具体的にはコルセットが導入され、身体のラインが見えるようになった。また、花冠、コサージュ、宝石などの小道具も導入された。クラシック・バレエでは「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」「白鳥の湖」がよく知られる。次の画像では、少しスカートが短くなっているのが確認できる。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/72/Giselle_-Carlotta_Grisi_-1841_-2.jpg
そして20世紀、バレリーナのスカートは膝丈のチュチュとなった。正確なポワント(足の技)を披露するためである。舞台衣装の色も鮮やかに変わった。20世紀の作品としては、「牧神の午後」「春の祭典」が名高い。1910年の写真を貼る。
https://en.wikipedia.org/wiki/Ballet#/media/File:Agrippina_Vaganova_-Esmeralda_1910.jpg
https://en.wikipedia.org/wiki/Ballet#/media/File:Grace_in_winter,_contemporary_ballet.jpg
画像をご覧いただければ、スカート丈がどんどん短くなっていくのがよくわかる。
さて、結論を述べよう。Wikipediaによれば、衣装が重いと細やかな表現ができないのと、脚を使ったテクニックを見せるようになったため、スカートが短くなったようである。
ちなみに、海賊というバレエでは、へそ出しの衣装も存在しているらしい。確かにbunkamuraに食事に行ったとき、バレエの衣装を展示していたが、そこにへそ出しファッションの衣装があったことを思い出した。バレエにしては大胆だと思った覚えがある。
ブックマークのコメントはありがたく読ませていただいており、不快だというお叱りも真摯に受け止めたく思っている。確かにパンツじゃないのにパンチラに見えてしまって欲情する人がいるってのは幾分デリケートな話題であり、増田ではないとやりづらい。また、どの程度ユーモアを交えて描くか匙加減も難しい。それを受けて、少し考えておきたい。
僕は割と美術鑑賞が好きで、ドガの作品も好きなのだが、その背景を知っていると、手放しで褒めることはできない。再びウィキペディアから引用しよう。日本語版からだ。
エドガー・ドガがバレエダンサーを描いていた頃、バレエダンサーは現在と違い地位の低い人が身を立てるためにやっていたため、バレエダンサーは蔑まれていた。主役以外のダンサーは薄給で生活しており、パトロン無しでは生活するのが困難だったとされる。パトロン達は当然男性が多く、女性ダンサーを娼婦の如く扱っていたと言われる。かくして、フランスのバレエ界から男性ダンサーはいなくなり、フランスのバレエは低俗化することになる。
もちろん、どんな事情があったとしても、弱い存在を表現しようとしたドガの作品の価値は損なわれない。しかし、僕は問わねばなるまい。スカートが短くなったのは、果たして本当にダンサーの意志だったのか、と。そして、女性が身体を見せるようになった流れの誕生は、観客も共犯だったのではないか。こうして性的好奇心を持ってしまう僕も、同じではないか。
もちろん、過去のことだからわからないことが多いし、究極的には真相は明らかにならないかもしれない。女性が美しい肢体を見せたいと思ったとしても、それは男性が主流だった時代の文化の中で育ったからそう思っただけなのかもしれず、どこまで本当に主体的に判断したかの判断は難しい。とはいえ、過去の人間が何を考えていたのか、それはどの程度自分だけの決断によって決められたことか、証拠が不十分なままでこちらが断定するのは越権行為だろう。
しかしながら、現代に生きる僕らは、自分が主体的にしていると思っている行動の多くも、無意識のうちに同時代の文化に支配されていることには、自覚的であることが求められるだろう。欲望の仕組みを知るとは、そういうことだ。読者諸氏も、自分のフェチの起源を考えてみると、きっと得るものがあると思う。
身体を使った表現と性の問題は扱いが厄介だ。ただでさえスポーツは厳しい師弟関係でパワハラになる危険があるうえに、新体操などの身体表現のあるスポーツでは、性暴力にまつわる訴訟は絶えない。
スポーツではないが、芸術と性も深い関係にある。どちらも人間の根源に根差しており、安易に善悪を論じることが困難だ。バレエも例外ではない。師弟の間で身体が親密に触れあい過ぎて恋愛関係になってしまう例がある。美しさへの憧れが恋愛感情や欲望と混同されることだってある。現に、男女だけでなく、ディアギレフとニジンスキ―の同性愛関係もよく知られている。こうしたことが、後から振り返ってみれば不適切な関係だった、師弟の力関係を利用していた性暴力だった、と判断されることにもなるかもしれない。とはいえ、これらは個々の具体例によって判断すべきだ。正直なところ手に余るし、多くの人の人生について書くことになる。ここでは語りつくせない。
今までこうした社会的な側面から女性のファッションの歴史に触れてこなかったのは、元々は衣装そのものの歴史を書きたかったのであり、社会の反応まで行くと本題がその中に埋もれてしまうことを恐れてのことだった。しかしながら、ドガが好きな自分としては、いい機会なのでここで一言断っておく必要がある、と感じた次第である。
何を好きになっていいし、対象にはどんな感情を抱いてもいいと思うけれど、歴史や経緯は知っておきたい。それが、芸術やスポーツに励む女性に性的な魅力を感じてしまう僕なりの折り合いのつけ方だ。そして、盗撮などの犯罪には断固反対する。
今回の調査では、見せパンの起源と推測される年代までは確認できた。しかし、細部は依然として明らかではないため、何らかの形で補完したい。
そこから、メイド服、またはロリータ服における、見られても恥ずかしくない下着について調べるかもしれない(知識がほぼないのでとんでもない誤解かもしれない)。または、キャバレーでのラインダンスやバニーガールについて、になるかもしれない。あるいは、再びブルマーに回帰するかもしれない。それは明日の気分次第だ。
とはいえ、しばらくは休みたい。自分の欲望やその起源について考えることは有意義であったし、文章化することで過度のブルマーへの執着やフェティシズムは手放すことができたからだ。一段落した感じがある。この言語化は妖怪に名前を付けて対処法を見つけたようなものだろうか。どろどろ、もやもやした不可解なブルマーに対する欲望が、知的なものとして把握できるようになった。
つまり、増田に欲望を垂れ流すことで、落ち着くことができた。知識が増えて勉強になったという肯定的な意見、ねちっこく不快だという否定的な意見、どちらも自分の姿を客観的に見せてくれた。すべての意見に対して、ここに感謝の言葉を述べたい。
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Miss_La_La_at_the_Cirque_Fernando#/media/File:Edgar_Degas,_Miss_La_La_at_the_Cirque_Fernando,_1879.jpg
筆者はもともとブルマーのほうが好きで、ビキニは露出しすぎがと思うけれども、お尻に関係しているから書く。
ところで前回の競泳水着の記事はあまり伸びなかった。ふんどしまで扱ったのがマニアック過ぎたのか?
1895年にウィリアム・G・モーガンが始めたバレーボールの派生競技である、とされているが、他にも説がある。1920年代のカリフォルニア起源説、1915年のハワイ説がある。
プレイする人数も変遷があったようだ。草創期には6人制でであったが、1930年には現在と同じ、ダブルスで競技した記録が残っている。もちろん、当時の女性の水着は、まだおとなしいものだ。
その後、この競技にはセクシーなイメージがまとわりついてしまう。たとえば、1927年にはフランスのヌーディストビーチにおけるレクリエーションとして親しまれた。ヌーディズムは元来、性の解放というよりは身体の解放に近いのだが、部外者からするとそういうイメージを持ってしまう。また、1950年代米国では美人コンテストやテレビ番組とタイアップしたショーの一部として、ビーチバレーがマスメディアの注目を集めたそうだが、このあたり、少々露骨である。
その後の紆余曲折を経て、ビーチバレーがオリンピックの正式な競技になったのは、1996年のアトランタ以来である。意外と遅い。
さて、英語版のウィキペディアによれば、国際バレーボール連盟が1999年にユニフォームを標準化したとき、女性の衣装は2ピースのビキニであることが求められた。一方の男性の水着は膝までのショーツで、これは一部の選手の間で強い憤りを生んだ、と書かれている。もう一度書こう。女性選手は、ビキニを着ることを強制されたのである。
しかも、次の記事によれば、2012年以前は幅7cm以内のビキニを着ろ、とされていたそうである。いくらなんでも小さすぎる。ブクマにより修正。2012時点では幅7cm以内のビキニか、ワンピース型の水着。ただし、ワンピース型でもハイレグで露出度は高い。僕はセクシーなものは大好きだが、こういうのを強制するのはおかしい。
https://www.stuff.co.nz/sport/olympics/82926043/evolution-of-womens-beach-volleyball-uniforms
上の記事にあるように、幸いなことに、この規定は2012年に改訂された。これには、文化的・宗教的な理由から、肌の露出を好まない選手も参加できるようにするため、という理由もあったし、天候に合わせるため、というのもある。図版で示されているのは、再度の改定である2016年のものであるが、女性も男性も、肌を見せたくなければそうしない自由を得た。当たり前のことのはずだが、普及が遅れた理由はよくわからない。どこかでビーチバレーにセクシーなイメージがついてしまったのか、日本のショーツ型ブルマーのように、とりあえず前の世代から受けついだしこれでいいか、みたいな幾分怠惰な姿勢があったのか、そこはわからない。
https://www.insider.com/why-do-women-beach-volleyball-players-wear-bikinis-olympics-2016-8
この記事の冒頭では「女子のビーチバレーはとても注目されているが、不幸なことにそれは選手が何を着ているかであり、彼女たちの腕前についてではない」と記載されている。その通りである。こんな記事を書いている僕がいるくらいだ。
しかし、責められるべきは僕だけではなく、カメラもそうである。ウィキペディア英語版によれば「2004年の夏季オリンピックにおいて、カメラアングルに関しての調査がなされた。20%は胸部に、17%は臀部に争点を合わせていた。研究は、これは選手の見た目が実際の身体能力よりも注目されていることを暗に示している、と結論付けている」そうだ。
確かに、性的な面も含めて、運動している人間は美しいと思う。けれども、そういう姿を期待されるのはおかしいし、ましてや強制されているのは筋違いだ。何を着ようが基本的に選手の勝手だし、それをきれいだと思うのはこちらの自由だ。
美を競う競技に関してはまた別の論点が出てくるし、美と性愛に関しても一言でまとめるのは難しい。ただ、外野の過度な期待に対して、選手がノーと言える環境、そしてそれが炎上したときに選手を守り、サポートする人物や団体が必要ではなかろうか。
Kerri Walsh Jennings選手の声を、一部試訳する(インタビュー当時37歳)。
「ビーチバレーでは、華氏100度(摂氏37.8度)で運動しないといけません。私たちは本気でやっていて、セクシーさをアピールしているのではないのだと、公衆に知ってもらわないといけません」
「御覧の通り、私は女性です。私は鏡を見るときに、自分を厳しく評価してしまいます。けれども、私はスポーツをするときと身体を動かしているときだけは、私たちの精神に対して肯定的になれるのです」
(訳がこなれていなくて失礼)
スポーツのみならず、舞踏・広告などの表現における見せパンやブルマーについて、引き続き調査したい。
・ ホップからビールを作った。夏でもストーブつけっぱなしだったので部屋温度調整に失敗して全滅した
・ ガチョウを買った。意外と温度調整がシビアだったらしく有精卵1ダースが夏の暑さで即死した
・ 原住民の襲撃で住民の足が吹っ飛んだ。移動速度めっちゃ遅くなったので義肢手術をした
・ 地中からの機械虫の襲撃で住民の耳が吹っ飛んだ。義体化したくて不機嫌な人だったので人工内耳つけた
・ タバコ的なものの中毒になった者をドラッグ使用不可にしたら禁断症状で住人を罵ってメンタルマイナスにさせるようになったので毎日ビール投与して黙らせたらアル中になった
・ ラブラドールレトリーバーを買ってコロニー内で放し飼いにした。定期的に住人が和むので雰囲気が良くなるらしい
・ 殺人鬼ヨークシャーテリアの大集団が来た。タレットとライフルで全滅させた。20匹くらいいた。捌いた肉は全部ペットフードになった
性に目覚めたのがいつだったか、覚えている者は少ない。たとえば、裸がエッチだということを知っていて、のぞいて見たいと思うことがあっても、その願望とおちんちんをいじっていて気持ちよくなることと結びつくのは、おそらく思春期以降なのだと思う。性欲は、具体的な対象を持つよりもずっと前から心の奥に不可解なエネルギーとして蓄えられていて、それが将来何に向かうのか、誰にもわからない。
小学生の頃の自分にとって一番エッチだったのは、成熟した女性の裸やおっぱいよりも、同級生のパンチラだった。姉妹と一緒に風呂に入っていたので、女性の体など珍しくなかったのだろう。それよりも、めったに見る機会のない同級生の下着のほうが、性器そのものよりもエッチだった。
スカートめくりはしてはいけないことだと知っていたので、掃除の時間の雑巾がけの時間に、ばれないようにのぞいていたことを覚えている。どうして中身よりも布切れに興奮していたのか、今になってもわからない。ただ、今でも生のおっぱいよりも長袖レオタードやブルマーに興奮してしまうのだから、おそらくおっぱいよりも、パンツというかお尻の曲線に対する執念が根深いのだろう。
そういうわけだから、初めてチアリーダーを見たときには、子どもながらに衝撃を受けた。なぜなら、パンツが見えていると恥ずかしがる普通の女の子たちと違って、彼女たちは大胆にも片足を上げてスカートの中を見せるし、時には飛び上がって開脚しながらブルマーを見せる。スカートの色とおそろいのブルマーはかわいらしいし、逆にスカートとブルマーの色が違っていたときには、ますます本物のパンチラっぽいというか、見てはいけないものを見てしまったとき特有の興奮があった。今にして思えば、あれだけの体を鍛えている人に対して欲情してしまうのは失礼だと思うのだけれど、きれいな人が多いし、性に目覚めたばかりの少年にとって性欲は未知のもので、どうやってコントロールすればいいのかもわからず、困惑するばかりであった。
ところで、チアリーダーの歴史は古い。チア衣装のコスチュームは1920年代にまでさかのぼる(https://cheer.epicsports.com/cheerleading-shorts-history.html#:~:text=Cheer%20shorts%20or%20bottoms%20worn,of%20spectators%20at%20football%20games.)。もちろん、保守的な時代のことだから、今みたいに下着のようなものを見せることはなかった。
流れが変わったのは1960年代だ。スカートの長さが膝丈くらいになり、下着が見えるのを防ぐために、ブルマーを導入したようだ(同上)
ただし、あまりにもスカートを短くしすぎてブルマーが丸出しになるのもだめらしい。次の資料によれば、米国の高校のチア連盟では、スカートの丈は12から14インチ、(30から35センチ)と指定されている。また、ショーツ型ブルマーよりも2インチ(5センチ)、ボクサーショーツよりも1.5インチ(4.25センチ)長くないといけないらしい。
(https://www.wisegeek.com/what-is-cheerleading-underwear.htm)
NFLでは、さまざまなチアの衣装があって、かっこいいけれども、やっぱり高校生のチアみたいにシンプルで、色気がありすぎないのが、私は好きだ。
(https://www.insider.com/history-of-nfl-cheerleader-uniforms-2017-2)
純白のテニスウエアの下にブルマーをはいているところにとてもドキドキしてしまった記憶がある。やはり、見られることが前提ではないものを見てしまったことによる戸惑いなのだろうか。それとも、同級生の女の子がパンチラ防止にブルマーをはくようになったせいで、ブルマチラにまで欲情するようになってしまったのだろうか。
さて、古い英国の小説を読んでいると、しばしばテニスをやる場面が出てくる。当時のことだから、やはり長いスカートを身に着けて行っていたようだ。それが、やはり60年代にミニスカートが流行し、そういうスタイリッシュな姿で運動することがもてはやされた。その結果、パンチラを防止するためにアンダースコートを身に着けるようになったのだろう。
https://www.allure.com/gallery/tennis-fashion-history
ただ、資料が少ないために、フリフリのアンダースコートと、今のようなホットパンツのようなアンダースコートがどのように移り変わったのかの資料は、まだ見つけられていないわざわざ写真に残している人が少ないというのもあるのだろう。下着の服飾史を研究している人々は、こういう人々の恥じらいというか慎み深さで、苦労しているに違いない。
ところで、とある人から、テニス部の少女でスカートの下にはアンダースコートを身に着けているのはレギュラーで、それ以外の子はブルマーだ、という説を聞いたことがあるのだが、本当だろうか?
スカートの中が見えないようにブルマーあるいはそれに準ずるものをはく習慣は、おそらくミニスカートが流行しだした60年代に端を発する。そうしたファッションを受け入れる下地が、その時代までにはできていたということか。とはいえ、ビキニの発明は1946年のこと、ずっと早い。
今後は同じようにレオタードやバニーガール、競泳水着の起源について調べ、脚を見せるようになる習慣が同時多発的に発生したのかどうかを検証したい。時間もあまりないので、今調べた範囲でごく簡単に述べておくと、バニーガールについては、ヒュー・ヘフナー氏が1960年2月29日に、バニーガールコスチュームを発表したそうである。
https://www.pixiv.net/artworks/64464179
また、レオタードについては、元は男性の衣装だったように記憶している。
それが、自由を求める女性の間で1960年代以降に広まった、と書かれている。ただし、資料によっては年度のずれがある。
https://fashion-history.lovetoknow.com/clothing-types-styles/leotard
また、暇ができたときにでも調べるつもりだ。
増田の言ってる華々しい学歴やエンジニア歴とか年収が本当にあるのであれば
彼氏彼女がいないのなら、自分でも余裕で主導権握れそうなくらい極限まで相手に求めるスペック下げたら、0.5秒くらいで彼女や彼氏くらいできるだろうと思う
女なら中卒とか高卒の頭悪そうなホスト崩れやマイルドヤンキーとか、高卒の警察官の下っ端とか自衛隊の下っ端とかみたいに世間あんまり知らん奴金で釣って得意の年収800万ちらつかせてたら余裕でギリシャ彫刻の様な肉体の若いイケメンと乙女ゲー並の逆ハーレムで付き合えるんじゃないの?
男なら得意の定時帰宅フレックス年収800万のエンジニアっていう肩書が本当なら高卒の年収200万前半くらいの貧困女子とか年収とスペックと学歴ちらつかせたら若い女がダース単位で甲斐甲斐しく尽くしてくれるだろ、コスプレイヤーとかアキバのメイドさんとかさ
付き合ってたり結婚したりしてることに愚痴る増田の言うスペックが本当なら、そんな古谷実の鬱漫画みたいな拗らせ切った恋愛相手や結婚相手なんて奴なんて選ばないし結婚しないだろうし、というかそんなのになったらパソコン買い換えるみたいにとっとと捨ててふさわしい相手と結婚したり付き合えばいいじゃん、そんだけの収入と社会的地位があるってんなら
なのに何でできないとかいって社会や思想に憎悪をぶつけてんだ?顔が昆虫のスケッチ図みたいにキモいとか、話しただけで回りから人が50mは退避しそうな変態性癖あるとか、努力したけど家は親父がヤ〇ザでおふくろは立〇んぼみたいな毒親家庭を越えた毒親家庭出身だからマトモな人間が付き合ってくれないそういう事情とかでもないんじゃろ?
どうも不思議なんだよな、実はほんとはそんな経歴や年収じゃないとか?
でも増田「最低で年収800万」が自称じゃん、1000万超えとか単独で稼げるようになれば
若くて金に困ってる相手に付け込んで金で釣れば、何でも言うこと聞いてくれる若いイケメンや若い女幾らでも作れるじゃろ
「もう金とかの問題じゃない」ってレベルで相手が嫌って反乱を起こすほどであるのならば、それはもう増田の方に全面的に問題があるだろ