はてなキーワード: ヒュー・ヘフナーとは
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%AB
なお、バニーガールがウサギをモチーフにデザインされた理由として、「ウサギが1年を通して発情期だから」という説が語られることがある。
プレイボーイクラブの開店に先駆けて発売された雑誌「PLAYBOY」のシンボルマークである「ラビットヘッド」にウサギを用いた理由が「ウサギが1年を通して発情期」というものであった。
ラビットヘッドはあくまでロゴであり、ロゴに対してどんなに卑猥な意味付けをしようが、それが原因で被害を被る人が出るわけではない。
しかし、人間が勤務する店に対しては、安易に同じ意味付けをすることはできない。プレイボーイクラブのバニーガールは客との同席すらない「ウェイトレス」であり、客からホテルへ行こうと誘われても、応じてはならないという規則もあった。
このような店のコンセプトを、ロゴと同じ「ウサギが1年を通して発情期」とする必要性はなく、客に誤解を与えるようなコンセプトをあえて採り入れる必要もない。
フェミニストの活動家「グロリア・スタイネム」が身分を隠して自らバニーガールになり、プレイボーイクラブの実態を暴く記事を執筆したのは有名である。
しかし、グロリア・スタイネムは記事の中で、店のコンセプトについては一切触れていない。もし仮に店に「ウサギが1年を通して発情期」というコンセプトがあれば、それはあからさまな性の商品化であり、グロリア・スタイネムが真っ先に槍玉に挙げただろう。
そもそもヒュー・ヘフナーが目指したプレイボーイクラブのコンセプトは「大人の社交場」であり、安っぽい売春宿を作りたかったわけではない。
それらの根拠から、プレイボーイクラブのバニーガールには「ウサギが1年を通して発情期」という意味付けがないことは明らかである。
「ラビットヘッド」の意味付けが、プレイボーイクラブにもそのまま流用されていると早とちりした人によって、その説が広まったものと考えられるが、その説には明確な根拠がないことを知っておく必要がある。
高校生って設定の未成年少女に「ウサギはいつでも発情期=いつでもやれる女」が由来のバニーガールという衣装を着せるのはド直球のエロなの。つまりあのポスターは「さあ、みんなで未成年を性消費しよう!」ってポスターなのであって、その異常性がひたすら擁護派の皆さんから無視されつづけてることに疑問をもっている。
性に目覚めたのがいつだったか、覚えている者は少ない。たとえば、裸がエッチだということを知っていて、のぞいて見たいと思うことがあっても、その願望とおちんちんをいじっていて気持ちよくなることと結びつくのは、おそらく思春期以降なのだと思う。性欲は、具体的な対象を持つよりもずっと前から心の奥に不可解なエネルギーとして蓄えられていて、それが将来何に向かうのか、誰にもわからない。
小学生の頃の自分にとって一番エッチだったのは、成熟した女性の裸やおっぱいよりも、同級生のパンチラだった。姉妹と一緒に風呂に入っていたので、女性の体など珍しくなかったのだろう。それよりも、めったに見る機会のない同級生の下着のほうが、性器そのものよりもエッチだった。
スカートめくりはしてはいけないことだと知っていたので、掃除の時間の雑巾がけの時間に、ばれないようにのぞいていたことを覚えている。どうして中身よりも布切れに興奮していたのか、今になってもわからない。ただ、今でも生のおっぱいよりも長袖レオタードやブルマーに興奮してしまうのだから、おそらくおっぱいよりも、パンツというかお尻の曲線に対する執念が根深いのだろう。
そういうわけだから、初めてチアリーダーを見たときには、子どもながらに衝撃を受けた。なぜなら、パンツが見えていると恥ずかしがる普通の女の子たちと違って、彼女たちは大胆にも片足を上げてスカートの中を見せるし、時には飛び上がって開脚しながらブルマーを見せる。スカートの色とおそろいのブルマーはかわいらしいし、逆にスカートとブルマーの色が違っていたときには、ますます本物のパンチラっぽいというか、見てはいけないものを見てしまったとき特有の興奮があった。今にして思えば、あれだけの体を鍛えている人に対して欲情してしまうのは失礼だと思うのだけれど、きれいな人が多いし、性に目覚めたばかりの少年にとって性欲は未知のもので、どうやってコントロールすればいいのかもわからず、困惑するばかりであった。
ところで、チアリーダーの歴史は古い。チア衣装のコスチュームは1920年代にまでさかのぼる(https://cheer.epicsports.com/cheerleading-shorts-history.html#:~:text=Cheer%20shorts%20or%20bottoms%20worn,of%20spectators%20at%20football%20games.)。もちろん、保守的な時代のことだから、今みたいに下着のようなものを見せることはなかった。
流れが変わったのは1960年代だ。スカートの長さが膝丈くらいになり、下着が見えるのを防ぐために、ブルマーを導入したようだ(同上)
ただし、あまりにもスカートを短くしすぎてブルマーが丸出しになるのもだめらしい。次の資料によれば、米国の高校のチア連盟では、スカートの丈は12から14インチ、(30から35センチ)と指定されている。また、ショーツ型ブルマーよりも2インチ(5センチ)、ボクサーショーツよりも1.5インチ(4.25センチ)長くないといけないらしい。
(https://www.wisegeek.com/what-is-cheerleading-underwear.htm)
NFLでは、さまざまなチアの衣装があって、かっこいいけれども、やっぱり高校生のチアみたいにシンプルで、色気がありすぎないのが、私は好きだ。
(https://www.insider.com/history-of-nfl-cheerleader-uniforms-2017-2)
純白のテニスウエアの下にブルマーをはいているところにとてもドキドキしてしまった記憶がある。やはり、見られることが前提ではないものを見てしまったことによる戸惑いなのだろうか。それとも、同級生の女の子がパンチラ防止にブルマーをはくようになったせいで、ブルマチラにまで欲情するようになってしまったのだろうか。
さて、古い英国の小説を読んでいると、しばしばテニスをやる場面が出てくる。当時のことだから、やはり長いスカートを身に着けて行っていたようだ。それが、やはり60年代にミニスカートが流行し、そういうスタイリッシュな姿で運動することがもてはやされた。その結果、パンチラを防止するためにアンダースコートを身に着けるようになったのだろう。
https://www.allure.com/gallery/tennis-fashion-history
ただ、資料が少ないために、フリフリのアンダースコートと、今のようなホットパンツのようなアンダースコートがどのように移り変わったのかの資料は、まだ見つけられていないわざわざ写真に残している人が少ないというのもあるのだろう。下着の服飾史を研究している人々は、こういう人々の恥じらいというか慎み深さで、苦労しているに違いない。
ところで、とある人から、テニス部の少女でスカートの下にはアンダースコートを身に着けているのはレギュラーで、それ以外の子はブルマーだ、という説を聞いたことがあるのだが、本当だろうか?
スカートの中が見えないようにブルマーあるいはそれに準ずるものをはく習慣は、おそらくミニスカートが流行しだした60年代に端を発する。そうしたファッションを受け入れる下地が、その時代までにはできていたということか。とはいえ、ビキニの発明は1946年のこと、ずっと早い。
今後は同じようにレオタードやバニーガール、競泳水着の起源について調べ、脚を見せるようになる習慣が同時多発的に発生したのかどうかを検証したい。時間もあまりないので、今調べた範囲でごく簡単に述べておくと、バニーガールについては、ヒュー・ヘフナー氏が1960年2月29日に、バニーガールコスチュームを発表したそうである。
https://www.pixiv.net/artworks/64464179
また、レオタードについては、元は男性の衣装だったように記憶している。
それが、自由を求める女性の間で1960年代以降に広まった、と書かれている。ただし、資料によっては年度のずれがある。
https://fashion-history.lovetoknow.com/clothing-types-styles/leotard
また、暇ができたときにでも調べるつもりだ。