はてなキーワード: エビとは
最近ミナミヌマエビを飼いはじめた自分としては図らずもホットなウェーブに乗ってしまった気持ちだ。
あいつら割となんでも食う。かわいい。でも飼育環境が安定したら生餌にする用なんだ……。
なんにせよエビダンスブームと聞いてルンルンのウキウキのピッチピチだ。
ホタルイカはおいしいけど、生を買ってきて家で茹でると爆裂して頭と体が分離したセパレートホタルイカちゃんが大量発生して切ない。
だがすでにボイルされて売られているものに比べてミソが美味いぞ。食うてみよ。
私は頭とか尻尾とか殻が好きなのよね。
おっと、
それはGの羽の成分と一緒だぜ!って言うのはノーサンキューよ。
そんなの、
で、本当は本当は頭と尻尾が美味しいのにって思って恋しく見つめていたの。
店員さんがお皿を引いちゃった。
しくしく
でも、泣くわけにはいかないわ。
しばらくして
すっかり、もうそのエビの頭とか尻尾とかのことをと忘れたときに
イノキボンバエー!
イノキボンバエー!
私の中では。
で、塩気の抜群に効いたそれは
瞬く間にみんな食べてなくなっちゃったわ。
なんだ、姿変えればみんな食べるじゃない。
私1人で独り占めできると思ったのになー!
なんて。
今朝の朝ご飯は
サンドイッチばかりだけど
白い苺とか売ってるけどあれって甘いのかしらね?
すいすいすいようび!
今日も頑張ろう!
お腹すいた。
人気のメニューらしい鉄板焼きナポリタンも食べてみたいなーとずいぶん前から思っているのだけど、「ナポリタンが食べたいっ!」という気分の波が来ているときに限ってプロントが近くにないのでいまだにその願望は叶っていない。
プロントのように、コーヒーチェーン店(正確にはカフェバール?)でありながらパスタの美味い店はありがたい。
女子はなぜパスタが好きなのかという記事を以前見かけたが、単純に美味しいからだと思う。見た目が華やかで気分もアガるし、バリエーションも豊富だし、飽きない。
さて、プロントはパスタが美味いが、ドトール、および同じ系列のエクセルシオールはミラノサンドとかのサンド系が美味い。パン好きにはたまらん。
いっぽう、スタバは美味しいフードがほぼ無い(異論は認める)。見た目もアメリカンな感じというか大雑把な感じがして苦手。しかも値段も高い。
私は常々スタバはコーヒー屋というよりフラペチーノ屋ではないかと思っているのだが、フラペチーノが飲みたいときとMacでドヤりたいとき以外にスタバに行く理由が見当たらない。
んで、タリーズ。スタバとは違いタリーズのフードは見た目は華やかで美味しそうなものが多い。
しかし見た目の華やかさに釣られて食べてみたら味は普通だった…というのが大体のパターンで、気が大きくなっていて財布の紐が緩んでいるときしかタリーズでフードは注文しなくなった。
以前、たまたま気が大きくなっていたとき、マンゴーのパンケーキにバニラアイスをトッピングして食べてみたのだが、絶賛するほどではないものの普通に美味しかった。
しかしパンケーキとコーヒーでお会計約1500円だったから、やっぱり味のわりには高すぎると思う。
話は飛んで、コメダ珈琲に行ってみたいと最近よく思う。コメダは東京にはあまり店がない。シアトル系やバール系などのイマドキのオサレ系チェーン店とは異なるが、こういう古くからあるレトロなチェーン店にも独特の魅力がある。シロノワールというやつを食べてみたいのだけど、コーヒーの味も気になる。
それにしてもお腹がすいた。
まずはコーヒーでも淹れてくるか。
こういう話が盛り上がる様は知性の堕落だ。きのこたけのこ論争や犬派猫派なんかと同じだ。一見ファイティングポーズを取っているようでいて、その内実は当たり障りのないどうでもいい事だ。みな「そんなの勝手でしょ」で消化できることが暗に分かっているから、空気を読んで安易にノってしまう。そんなぬるま湯に浸かる姿勢は、はてな匿名ダイアリーを愚弄している。もっと人間の心の闇、ネットの闇に切り込む鮮烈な一閃のようなエントリを書くべく、みなが知恵熱を出すべきだ。角が立つような物言いもするだろう。そのための匿名なのだ。その思想を茶化してスカしてみせるような、日和ったネタ、短文のイチャモン、それらは存在してもいいがメインになるべき器ではない。
増田は遊びではない。仕事につかれた人間が息抜きにやるしょうもない作業ゲーの如きものに成り果ててはならない。試行錯誤を繰り返し最適パターンを見いだし、体に刻みこむような、そんな本格的ゲームのように、どっしり腰を据えて、マジになって、世の中や人間に対して、怒りや憎しみや不満を大いにぶちまけてほしい。別に議論にしなくていい。建設的でなくてもいい。狭窄で偏屈な主張でいいから、ただただ本気の筆致を感じる文章を読みたいし、書きたい。少なくとも自分にとって、心に残った増田はすべて本気の熱を感じるものだった。
この論にべつに共感してくれなくてもいい。どうせこのエントリはブクマもトラバも0だ。あってせいぜい「キモっ」だ。そもそも長文で、しかもトラバである時点でまともに読まない人間が多いだろう。暇を持て余したニートが何かほざいてる、とでも察されて、「触れちゃいけない人」感を全員が感じ取り、協調するように何事も起きないままネットの海に埋もれていくのだ。そういう孤立的な状態や無反応を極度に恐れる空気があるから、くだらなくても何か盛り上がるネタや、他人をひっかけるレス乞食のような物言いをする人ばかりになっていく。そして自分の尖った体系的な意見を表に出せる人が極端に少なくなる。言えてせいぜい、感情的な短文の罵倒だ。twitterを想像してもらうといい。これが現代のコミュニケーションの病理であり、他愛無い話がぐんぐん伸びて幅を利かせる理由だ。たまに飛び出る長文ブログがやたらと炎上する理由でもある。だからあえて今ここで、孤独に醜態を晒す。「空気を読まない」を実践する。そんな訓練ができる場が、ここなのだ。
実際この論がかなり偏屈で、他人に無茶を求めていることは自覚している。けれど、世の中にあふれる偏屈を見て見ぬふりして、なあなあにしていると、気づくと自分も何らかの偏屈な思想を一部取り込んでいるものだ。そしてそれに無自覚でいる人が多くなると、ついにはヒトラーやトランプ氏のようなポピュリストの主張が支配的になるような事態に結びつく。だから自分の中の偏屈の種をさらけ出し、また他人がひり出した偏屈の種に向き合って、大真面目に思いを馳せ、「我がふりなおす」時間が大切なのだ。実は、そんな意識は誰しも持っている。誰もが日常のなかで他人の偏った主義主張に触れ、無意識のうちにメタな視点を持っている。だから、他人の考え方につっかかって、自分の中で醸成されたバランス感覚を披露したくなる欲求は常にあるのだ。
元増田も、そういう欲求から生まれたものだ。けれど、下手だ。欲求の発散のさせ方が下手。いや、逆に上手すぎる、適応しすぎているのか。当たり障りなく、適当に手短に欲求を発散させ、かつ反応を引き出しやすいやり方を心得ている。それでもやはり、欲求を満たす機会と時間を、こんなチャチなテーマで消費してしまうのは実にもったいない。「いいや、どんなテーマでも大真面目に普遍化して思考訓練の材料にすることは可能だ」という向きもあろう。でもエビ嫌いdisとカキ嫌いageというテーマで本気になれる人がどれだけいるだろう。それを配慮すると、やはり最初からハードコアな話題を振ったほうが良い。でも大仰なことを書こうとするほど、言い出しっぺにかかる期待と責任は増していく。ここが難しいところだ。本気の増田が求められるほどに束縛感が増して、萎縮を招く。でもある程度そういう風でいいと思うのだ。緊張感が大事だ。
不愉快な正論やご大層な暴論の刃をぶつけあう、殺伐とした場になれるポテンシャルがある。2chよりも。それが増田だ。増田には半匿名のtwitterに馴染めなかった人の受け皿としての側面があるのも分かるが、せっかくダイアリーという形で長文が書けるのだから、たまにはあなたにもこういうクソみたいな長文を書いてほしい。この文章のように、推敲もされておらず、同じことを言い続けた挙句言い逃げする時間泥棒のような文章で構わない。私は読んであげないけどね。
やはりというか最後の2センテンスが理解されなかったようなので、ロックじゃないけど言っておく。文章の中段で書いたように、他人に反応してもらうためではなく、まず自分のために書いてほしいんだ。だから、読者への配慮すらも気にせず、拙い文章でもがむしゃらに書いてほしい。私は読んであげないというのはツンデレのようなもので、誰かに読まれることを期待するような媚びた精神を振り払うための呪文だ。内なる情動から湧いてくる言葉をガーッと綴るときに、自分がどう思われるか、誰に読んでもらえるか、なんて視点は一旦置いておかねばならん。エクスキューズやポリティカル・コレクトネスを脇における機動性が匿名の良さなんだから。それこそ、真意を伝えるためには自分が憎まれるような言い方だってできる。それが、最後の皮肉の意味だ。
「改行くらいしないか」と言われているので前々から思っていたことを書く。増田における改行はpタグの挿入を意味する。つまりパラグラフを区切りたい時に改行するのが正しい。二言三言の簡潔な文章のエントリなら1センテンスごとに改行…という名の段落分けしたほうが見やすいだろうが、このくらいの長文になるとパラグラフごとに改行すべきだ。個別ページでみれば、ちゃんとパラグラフごとに字下げと適切なマージンが取られているのが分かる。これなら一般の書籍と似たスタイルで、読みにくいとは思わないはずだ。ただ、トラバの吊り下げリストを展開した表示だと字下げもマージンも取られずに見づらくなる。それは承知しているが、それははてな側の問題であって、HTML上妥当な書き方をしておいたほうがベターだし保守性もいいだろうという判断でこうしている。だから現状、トラバが長文だと思ったら個別ページを開いて読んでもらうのがいい。
「最後はうんこ漏らした話で締めるのが美学」? それは、このエントリで表現を変えながら主張してきた内容に反する。本当に読まれたのだろうか。まあそれに憤る気はない。私の技量の問題でもあり、読み手にとって巡りあう時ではない文章だったという事もあろう。いずれにしろ主張は変わらない。そうやって読者受けを狙って媚びたおちゃらけで締める事こそ、惰弱な精神の象徴。そういう内輪ノリみたいな軟派なコミュニケーション欲求を排して、最初から最後まで舌鋒鋭く自分の言葉で斬りつける。それが私の思う美学だ。ブコメに応えている時点でそれも揺らいでいるが、コミュニケーションを第一目的とするわけではないからあえてidコールもしていない。書くことで自分を研ぎ澄ませるのが目的だから、本来は「伝わらなかった」ことに苦慮する必要もないのだ。ならローカルのメモ帳でいいという批判もあるだろう。だが、あえて直接的に反応を見ない等と決めていても、自分の残したミームの一部がどこかに化学反応を起こしたら、と考えるとワクワクするだろう。それを物書きの動機付けにする程度なら、良いことだと思う。
なぜそこまでコミュニケーションを、他人の反応を忌避するのかと思うかもしれない。その理由は、効率が悪いからだ。ネット上の他人は年齢も育ちも見識も人格もあまりにも多様すぎて、その差異をカバーすることに労力を使っているとアウトプットの量も質も落ちるからだ。とかく我々は、相手も自分と同じような能力や規範を持っていると勘違いしやすい。だからいちいち説教して回りたくなるものだが、その欲求のために個別に相手をしていたらすぐに人生を使いきってしまう。だから、言いたいことがあったら、このエントリで述べてきたように、増田を利用した放言スタイルで重量級のをカマしてみてはどうか、という話だ。
この前まで嫁と口を聞かない仲になっていた。浮気や不倫ではなかったが、原因はいろいろあった。喧嘩も多かった。
嫁は夕食を作ってくれなくなった。それから、嫁は嫁の夕食を作り、俺は俺の夕食を作っていた。そして食べる時間も全然違う。寝る時間も違う。一緒に住んでいながら別居している状態だった。
最初はとても腹が立ったが、時間が経てば人間は順応していくのか、自分で自分の分だけ料理を作ることに何の疑問も持ってなかった。調理棚も、明確に俺のスペースと嫁のスペースが分かれ、お互いのスペースに侵食した調味料や器具はお互い何も言うこと無く捨てていた。
俺は俺で料理が趣味になりつつあった。だが昔、結婚してすぐは料理なんか作らなかった、というか作れなかった。少なくとも嫁みたいにレパートリーに富んで、手早く美味しい料理をつくることは夢のまた夢だった。だが自分のために料理をするとなって自分の料理の腕に辟易し、レシピ本を買って作り始めたらこれが楽しくなってきた。気づけば、一通りの料理は作れるようになっていた。
ある日、俺はエビフライを生エビを買ってきてイチから作った。パン粉までまぶしてあるものを買って作ったことは何回もあったけど、生エビに小麦粉をまぶし、卵を付けて、パン粉をまぶして油で揚げたのは初めてだった。味は上出来、思わず「うまっ」と声が出た。一人で食べるには多すぎる量を作ったが、完食してしまいそうだった。
そうしていたら、何を思ったのかこれまで全く口を聞いてこなかった嫁が「食べたい」と言い出した。最初は断った。これは自分が作ったものだからと言った。今考えればこの言葉ってかなり感覚が麻痺している。でもその時はとても機嫌が良かったので、まあひとつくらいはいいかと思い、あげた。嫁は「おいしくできてるじゃん」と言った。
嫁は、俺が炊いた白米を、嫁専用の茶碗によそった。いつもなら「なんで俺が炊いた米に手を付けるんだ」って怒ってただろうけど、その時は不思議と何も感じなかった。俺の斜め前に座ってエビフライをくれとせがむ嫁、もう満腹だから全部やると、俺は嫁にエビフライの残りを全部あげた。本当は、もう少し食べてもよかった。
おもむろに嫁が「こんな美味しい料理作れるんじゃん」と言った。俺は「おう」とだけ答えた。ここから先は一言一句覚えているわけではないけれど、嫁は「あんたと一緒に料理作れたら楽しかったのかな」と、俺の予想だにしなかったことを言い出した。俺は不思議とその言葉が胸に刺さった。
嫁と不仲になり始めたころを思い出した。勤めていた会社が倒産し、引っ越しをする金もない、来月の生活費をどうしようと焦る中、俺は幸いにもすぐに転職を決めた。でも焦りすぎてしまった。その会社の雰囲気が全く俺に合わずに、今思い返せば俺は嫁に当たり散らしていた。そこから、嫁は俺に対して何も言わなくなった。反論することもなくなった。俺がやっていたのは喧嘩で、その原因は嫁にもあると思っていたが、冷静になれば俺が一方的にまくし立てているだけだった。
その会社でなんとか踏ん張って2年経った。俺はだいぶ立ち回れるようになり、以前のように情緒がおかしくなることは無くなった。けれども俺と嫁の関係については、完全に麻痺してしまっていた。
俺は久々に嫁から聞いた言葉で我に返った。そして「ごめん」と謝った。嫁は何も言わなかった。俺が行ったこと、したことは嫁にとって許せるものじゃないと思う。だから、許してもらえないことも考えていた。
嫁は何も言わずに立ち上がった。そして「買い物に行こうか」と俺に言った。
店で食うのよりずっと安いし、味も変わらないし良いなと思った。
たらふく牡蠣食える。
で、なんか他にも店で食べちゃってるけど
実は家でも同じクオリティのものがコスパよく食えるものあるんじゃないか
と考えてるんだが、意外と思いつかない。
なんか他にあったら教えて。
(追記)
いろいろなるほど、と思うものもある一方で、
コスパって言い方が悪かったのか微妙に意図が伝わってない感じもするので、一応補足。
まず、自分は割と外食する人間だし、よく飲みにも行くので別に店で飯を食うのがもったいないとかそういうこと言いたいわけじゃない。
居酒屋やら外で飲むほうがいろんなつまみつまめるし、凝ったもの出てくるし、酒の種類もいろいろあるし、雰囲気もいいし、メリットは十分に感じている。
改めて考えると、自分の中におけるオイスターバーというのがちょっと特殊な立ち位置なのだなと思った。
自分がオイスターバーに行くときは、おしゃれに飲みたいとかより、無性に牡蠣を、特に生牡蠣を食べたいときなんだよね。
行ったらもちろん焼き牡蠣やらフライやらいろいろ食べるわけだけれど、基本的にそれは「やっぱ牡蠣は生牡蠣だよなぁ。。。」と思うための箸休め的な意味合いが強くて、
そういった意味で、「オイスターバー≒白ワインを飲みながら生牡蠣を食べるところ」と言っていい感じなんだわ。
だから、特に調理が必要ない生牡蠣なら家でやったほうが全然いいじゃんと思ったという話。
家で食べるものではないというイメージもあったので余計目から鱗だった。
で、基本的に調理があるものはそれなりに手間がかかるし、作り手で味にも差が出てくると考えるとトラバで言ってる人いるけど、
調理調味不要で外食クオリティって条件は厳しすぎるのでほとんど無いと思う。 そのまま食えて量買うと安くなる生もの限定でしょ。
と同じ考えに達していたわけだ。
そう考えると意外となくて、例えば、魚もそのままで食べられるかというと刺身の切り方が大切なのでやっぱプロの切った刺身とは違う。
新鮮な魚を仕入れられる魚屋さんとか近くにあればいいのかもしれないけど。
手巻き寿司とか酢飯まで作らなきゃいけないので論外。
エビとかカニは確かに行ける。甘エビ食べ放題とか楽しそう。アレルギーになりそうだけど。
肉も焼かなきゃいけないしなぁ、
と思って除外していたんだけど、調理の装置とおいしいつけダレさえあれば、焼肉としゃぶしゃぶはいける気もするね。
すき焼きはちょっと難しそうだけどどうなんだろうか。ステーキは焼き方でだいぶ変わりそうだから難しいかなと思う。
餃子は、どうなんだろう?なんか焼き方大事な気がするんだけどな。
ものが一緒なら素人が焼いてもプロが焼いても味変わんないのかな?
確かにおいしい新鮮な野菜をちょっと高めの塩やマヨにつけて生で食べるとかいい気がする。
ホワイトアスパラなんて抜いた瞬間から味落ちるというけれど通販で直送して貰えばおいしいの食べられるんだろうか。
ちなみに、牡蠣を家で食うときも全く店で食うときと同じかと言われるとそうでもない。
頑固なヤツをこじ開けようとすると殻を削ってしまって、身の上に落ちると食べるのに手こずる。
そういうのが嫌なら店で食べるのは良いのかもしれない。
ヘーイヘイヘイヘーイヘイ!
リッスントゥーミー!
エビバディホーセイ!
私の歌を聴いて!!!
「きょうのわたしはラップだYO!OYだぷっらはしたわのうょき」
正直、冒頭はかわいいコックさんガチリスペクトでの歌い出しだっただけど、
たぶん、これが世の中の見解かしら?
てっきり忘れてて
消されちゃってたのかと思ったらまだあったのでよかったわ!
まあ、disられないようにまた2番の歌詞も考えなくっちゃね!
ロードみたいに256章とかは無理だけど。
何でも無いようなことが、
ということで、海苔巻き食べました。
ああ無情だわ!
お願い!この冬は温かいシリーズをと言うことで白湯と粉末昆布だしで
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう
ファミマのプライベートブランド餃子108円
ファミマのプライベートブランド麦チョコ108円
ファミマのプライベートブランド極小粒納豆1パック
チャーハンうまかった。こないだはエビピラフと同時に買っちゃって、どっちか一つでよかったと後悔したから今日はチャーハンにした。
餃子。うーん微妙。相変わらず皮がゴムっぽくて全然パリパリじゃない・・・つい買っちゃうけどもうしばらくいいかな・・・
チョコマシュマロが想像以上にうまかった。ふわふわでチョコも甘くて。チョコはなくてもよかったな。マシュマロってめっちゃおいしい。全部食べちゃった。
麦チョコ。イワッチが好きだったとかいうの見てチョー久しぶりに食べたら、思ったよりビターなチョコで甘すぎずに予想以上にうまかった。全部食べた。
ほんとはアメリカンドッグも食べたかったけどおいてなかったから買えなかった。
明日吹き出物ができてませんよーにっ
(出典:http://www.theguardian.com/world/2015/oct/31/somalia-fishing-flotillas-pirates-comeback)
5年前、エイル(Eyl)の町外れにある砦が、ソマリアでもっとも悪名高い海賊の根城になっていた。
インド洋から素晴らしい波が打ち寄せる朽ちかけた町では、拿捕された船が浅瀬に抑留され、大物海賊達が権謀術数を巡らし、彼らの乗り回す大型のSUVが連なっていた。
エイルはソマリアに存在したあらゆる悪徳の見本市だった。内戦と20年に及ぶ戦いがもたらした無政府状態は国家のもっとも基本的な制度すら破壊し、銃と身代金がすべてを支配する場所となった。
無法状態と命の危険を伴う混沌状態は、2012年の映画「A Hijacking」(訳注:原題はKapringen。邦題は『シージャック』)で見ることができる。この映画ではデンマークの貨物船が海賊によって拿捕され(訳注:以下ネタバレにつき削除)
遅ればせながら、西側諸国が海賊退治のために軍艦の派遣を行い、NATO、合衆国とEUの軍事力が、海賊を無力化し、乗っ取りと人質の時代を終わらせ、戦いに勝利したかに見えた。
5年後、エイルは大いに変わった。海賊は去り、根城となっていた砦だけが残された。ソマリアの各地で見られるように、この歴史的な建物も長い間整備されなかったため、荒廃している。海岸に立つ小さな砦は、エイルが以前は何で名を知られていたかを思い起こさせる。サイイド・ムハンマド・アブドゥラー・ハッサン、19世紀のジハード主義者で民族主義者の詩人にして、20世紀初期にはイギリスと戦い「狂気のムッラー」と呼ばれていた人物のことを。
地元民にとって不幸なことに、海賊が去るとともに、別の侵略者が帰ってきた。
世界の関心は別の場所に移ったが、イエメンやイランや韓国のような国々からやってきた漁船団が、国際条約を無視して、ソマリアの豊かな漁場を略奪しはじめた。町の経済を支える地元の漁師達は壊滅的な打撃を受けたこの乱獲こそが10年前、沿岸の村々の生活のすべを破壊し、最初の海賊行為を生み出したとされている。
ソマリアの3000kmに及ぶ海岸線は、世界でも最も豊かな漁場に面しており、サメやマグロやイワシやエビやロブスターに満ちている。不法操業する漁船団は、便宜置籍船制度(訳注:船舶の登録料を軽減するために、リベリアやパナマのような安い国に船籍を置くこと。漁業資源管理においては、他国の漁船になりすますことで、本来の国別の漁獲高割り当てを無視した操業を行うこの種の行為が問題視されている)を隠れ蓑にしている。彼らは他の地域からやってきたソマリア人の武装船によって守られており、近づいてきた地元漁民の船に体当たりを行ったり、銃で撃ったり、漁具を破壊したりする。これらの恐ろしい戦いの大部分は外部の目の届かない場所で行われ、報道もされていない。
エイルの漁師達の間では、外国の漁船団を苦々しく思う気持ちが広がっている。
多くのソマリア人は、無力なソマリア政府に代わって、NATOとEUの軍艦がより多くの密漁船を取り締まるように求めている。
湾岸諸国から資金援助を受けたプントランド(訳注:ソマリア内の半独立地域。実質的な国家内国家となっており、独自政府が地域内の司法・行政も担当)の海洋警察はボサソの港に拠点を置き、紅海で不法操業する船の取り締まりで多少の成功を収めているが、エイルまではなかなか手が回らない。
「海賊行為があったからNATOが来た。しかし、海賊行為の原因は、密漁だ」とエイルの職員ファイサル・ワイスは言う。
「NATOが海賊を追い払えるなら、密漁船を追い払わない道理なんてないでしょう」
このことは、プントランドの海賊取り締まり担当大臣であるアブドゥラー・ジャマ・サレフも指摘している。西側先進国は「こそ泥を捕まえることはあっても、大物はそのままだ」と。
55歳の精悍な漁師、ムーサー・ムハンマドは最近受けた攻撃の被害、洋上で切断された彼の漁網を示した。
彼にとって、このことは海賊のための武器を手配し、かつてやっていた生活に戻るための小さな一歩に過ぎない。
NATOとEUの両方が2016年の終わりに派遣期間を終える。西側諸国は監視任務に当たっている艦船を、地中海やその他の必要とされている場所に移したがっている。
「NATOが去れば、おれ達は奴らを攻撃する」ムハンマドは言う。彼の目に写る西側の軍艦とは、密漁船を守っている存在に過ぎない。
「おれ達は殺る。覚悟はできている」
困窮した漁師たちが、その原因である外国の密漁船から金品を強奪したことが、現代ソマリアの海賊行為の始まりだった。
韓国の大型原油タンカー、サンホドリーム(Samho Dream)の解放のために950万ドルの身代金が支払われたことで、それは何百万ドル単位の金が動く組織犯罪へと成長した。
2011年の初めに、海賊は700人を超える人質を拘束していた。
エイルの海岸線で小さなホテルを経営する女性、アシャー・アブデカリムは言う。
「あのときは本当にめちゃくちゃでした」
彼女は、少なくとも、海賊がいなくなったことについては感謝している
「みんな武器を山ほど持っていたし、しょっちゅうそれを撃っていた。チャット(qat。カートとも。嗜好品もしくは弱い麻薬)も使いすぎてましたし。平穏とはほど遠い状態でしたね」と彼女は回顧する。
一方、エイルの職員、ファイサル・ワイルは苛立ちと共に「何も変わっていない」と言っている。
「振り出しに戻っただけだ。密漁船は戻ってきた。こうなってしまうと…私は海賊も復活するのではないかと恐れている」
「密猟が、立ち直ろうとしているソマリア経済の貴重な財源を強奪しているのです。本来の収入があれば、たとえば不可欠なインフラを整備したり、医療を改善したり、教育を再建したり、荒廃した牧草地を復活させたりといったことができたはずなのに」ソマリアの沿岸地域の援助に携わっているNGO、Adeso(African Development Solutions)の代表、Degan Aliは言う。
しかし、ソマリアの沿岸地域で多くの雇用を生み出せるはずの水産業を育成しようという国際援助の試みのうち、この地で行われたものは、無数の既得権益の網に絡み取られてあえなく沈没してしまった。エイルに国連の援助で建設された冷凍設備は、完成から1年以上経っても稼働していません。これを使えば漁師達は水産物を輸出することが可能になるのですが、誰がそれを仕切るのかということでの論争が続いている
海賊は依然として、ソマリアでは広く共感の対象となっている。外国で逮捕され、2年から24年の刑を言い渡された海賊達が刑期を努めるためにソマリアに送還されて来るが、プントランドのボソサとガローウェの刑務所に投獄されているのは、言わば将棋の「歩」に過ぎない。海賊の首領たちは依然として逮捕されていない。「取引」で得た莫大な資産があれば、弱体な警察当局からの追跡から逃れることなど造作もないだろう。
3月に海賊はイランのダウ船2隻を中部ソマリアで捕らえた。うち1隻は後に脱出した。一月後、国連の報告書では、悪名高い海賊、ムハンマド・オスマン・ムハンマド「Gafanje」がこの攻撃を企てたとされた。
「海賊時代がいまだ終わったわけではない、ということが見落とされています。依然として50人ほどの人質が捕らえられています。その大部分は密漁船の乗組員です」海賊問題を扱うNPO、Oceans Beyond Piracy (OBP) のジョン・スティードは指摘する。
しかし、現状が、西側諸国がインド洋に引きつづき海軍力を展開するコストを負担し続けるほどかは、はっきりしていない。彼らが急にいなくなれば、情況は悪化するかもしれない。
プントランドの海賊取り締まり担当大臣であるサレフは、ソマリア人は厳罰化が進められたことを知っていると言う。
「死刑を含める厳罰化がなされた。みな、海賊行為が容赦されなくなったことを知っている。以前は金の問題だったが、今回は海賊自身の命の問題になった。やるなら死ぬ覚悟が必要だ」
http://anond.hatelabo.jp/20160111054109
ヤバいのは
精製された砂糖(果糖ぶどう糖液糖など)が入っているお菓子やジュース
スナック菓子、スーパーの惣菜、冷凍食品など極端に油の多い食品
この2種類だ。
体脂肪30%超えるような極端なデブは、必ず2種類の内どちらか、或いは両方を好んで食ってる。
とりあえず、油をカットして菓子類を食わずジュースを飲むな。これだけ守れば必ず痩せる。
流行りの糖質制限は、知識と自制心の無いデブがやった所で継続しない。
特に女の糖質制限はカタボリックを起こしやすくリバウンドが激しい。
トレーニングしながら糖質制限出来るならやればいいが、怠惰なデブに出来るとも思えない。
ジュース、スナック菓子、チョコレート、飴、洋菓子、和菓子など全部禁止。
腹が空いたら焼き芋でも食ってろ。バター無し、砂糖無しでな。無脂肪ヨーグルトでもいいぞ。当たり前だが砂糖、シロップ、ジャム等甘いものを加えるのは却下だ。
お菓子、ジュース、油を抜いて天然に近い物だけ食っていれば、太るほど喰う事は困難を極める。
デブは加工食品ばかり食ってるからデブになる。自炊しろ、外食や惣菜に頼るな。
どうしてもジュースや菓子類が食いたくなったら食った後に1時間散歩しろ。
最低5キロ移動な。途中休憩は時間に含めない。1時間以上かかっても、絶対に5キロ以上歩け。
一般人なら1時間で5キロは普通に歩ける。デブでも全く問題なく出来る。今できなくても2週間も継続すれば出来るようになる。
菓子食って5キロ歩くか、全く食わずに普通に生活するか、好きな方を選べ。
158cm90キロなら上記を3ヶ月実践すれば必ず痩せる。痩せなきゃサボリだ。
ダイエットは努力に対して嘘をつかない。食べてないのに太るというデブ、お前がウソついてるだけだからな。
基本的にダイエットは食事9割運動1割だ。ご飯1膳のカロリーを運動で消費するのに30分はかかる。メシを食うのは早けりゃ2~3分だろ。
要するに、メシを管理出来れば運動よりも10倍以上効率よく痩せられる。
逆に言えば、デブは運動不足ではなく過食でデブになっているんだよ。
3ヶ月実践後はトレーニングが必要だから、近所のジムにでも連絡しろ。
筋肉つければ、男も女も理想の体型になれるぞ。顔が不細工なのは仕方ないが、体型が不細工なのは管理不足だからな。
自力で何とか出来る所を放置するなら、今後一切生まれや環境に文句言うなよ。お前がサボリなだけだからな。
ジュースも当然禁止なんだが、書いてない所がありました。追加しときます。
極端な制限をしろなんて言ってないんだがな。ストレスが貯まったら好きなだけ食っていいぞ(禁止物除く)
油をカットしろと言っても、増田位の知識で完全なカットなんて不可能だしな。基本的にどんな食品にでも油は入っている。
デブに運動はNGとのブコメ、歩けないほどのマジキチデブなら病院行って胃を削れって話にしかならんぞ。90キロでもウォーキングは出来る。
食っていい物
基本的に肉+野菜、あるいは魚+野菜のオカズに、味噌汁やスープの汁物+主食。
フライやムニエルなどの油調理は禁止、焼いたり蒸したり茹でたりは好きなだけ食って良し。
フライパンで焼く場合の油は小さじ1まで。新しいテフロン加工のフライパン使え。
肉全般(牛豚はバラ肉よりはヒレやモモがいい、鳥は胸かササミオススメ、まぁ神経質にならなくてもいい)
魚介全般(魚卵、エビ・カニ、貝類は食い過ぎると痛風になるので気をつけろ)
野菜全般(油、チーズ、バター、砂糖など不使用ならいくらでも食え)
ごはん(白米か玄米限定。オカズ+汁と食うなら好きなだけ食え。チャーハンやリゾットなど加工系NG)
果物全般(おやつとして好きなだけ食え。食事と一緒にとってもいい)
さつまいも、じゃがいも(そのままか塩ふるくらい。バターやチーズをのせたり、ポテトサラダにしたりの加工はNG)
少量の無添加ナッツ類(無添加限定で1日20~30グラムまで)
伝統食材(豆腐やこんにゃくなど100年以上前から有る加工食品、ソーセージやハムは伝統製法の物ならOK)
食ってはダメな物
基本的に油と砂糖を食わない。大半はお菓子とジュースから来るので食わない飲まない。
スポーツドリンク、エナジードリンク、野菜ジュース、フルーツジュースも禁止(自分で絞ったジュースはOK)
加工食品全般に気をつける。原材料名を見て「何なのか?」がわからない物を食わない。
カレー、シチューなどは油の塊のため、スパイスやソースから自作する以外はNG。
コンビニ弁当、おにぎり(メシに油が散布されている。添加物の宝庫)
小麦粉系全般(うどん、パスタ、お好み焼き、パンなど。パンはコンビニやスーパの物は絶対ダメ、パン屋なら多少はOK)
揚げ物全般(1料理に小さじ1以上の油を使う物は全て揚げ物扱い)
基本的に加工食品を避ければ太らない、というか太れるくらい食う前に多分吐くw
精製された油、砂糖、小麦粉だけ避ければ、極端なデブにはなりようがない。
ある程度まともな食事を続ければ、満腹中枢が正常に戻って多量食いが出来なくなる。
目安としては、スーパーの惣菜コーナーから漂う揚げ物の臭いが悪臭に感じるようになる頃。