はてなキーワード: アブデカとは
(出典:http://www.theguardian.com/world/2015/oct/31/somalia-fishing-flotillas-pirates-comeback)
5年前、エイル(Eyl)の町外れにある砦が、ソマリアでもっとも悪名高い海賊の根城になっていた。
インド洋から素晴らしい波が打ち寄せる朽ちかけた町では、拿捕された船が浅瀬に抑留され、大物海賊達が権謀術数を巡らし、彼らの乗り回す大型のSUVが連なっていた。
エイルはソマリアに存在したあらゆる悪徳の見本市だった。内戦と20年に及ぶ戦いがもたらした無政府状態は国家のもっとも基本的な制度すら破壊し、銃と身代金がすべてを支配する場所となった。
無法状態と命の危険を伴う混沌状態は、2012年の映画「A Hijacking」(訳注:原題はKapringen。邦題は『シージャック』)で見ることができる。この映画ではデンマークの貨物船が海賊によって拿捕され(訳注:以下ネタバレにつき削除)
遅ればせながら、西側諸国が海賊退治のために軍艦の派遣を行い、NATO、合衆国とEUの軍事力が、海賊を無力化し、乗っ取りと人質の時代を終わらせ、戦いに勝利したかに見えた。
5年後、エイルは大いに変わった。海賊は去り、根城となっていた砦だけが残された。ソマリアの各地で見られるように、この歴史的な建物も長い間整備されなかったため、荒廃している。海岸に立つ小さな砦は、エイルが以前は何で名を知られていたかを思い起こさせる。サイイド・ムハンマド・アブドゥラー・ハッサン、19世紀のジハード主義者で民族主義者の詩人にして、20世紀初期にはイギリスと戦い「狂気のムッラー」と呼ばれていた人物のことを。
地元民にとって不幸なことに、海賊が去るとともに、別の侵略者が帰ってきた。
世界の関心は別の場所に移ったが、イエメンやイランや韓国のような国々からやってきた漁船団が、国際条約を無視して、ソマリアの豊かな漁場を略奪しはじめた。町の経済を支える地元の漁師達は壊滅的な打撃を受けたこの乱獲こそが10年前、沿岸の村々の生活のすべを破壊し、最初の海賊行為を生み出したとされている。
ソマリアの3000kmに及ぶ海岸線は、世界でも最も豊かな漁場に面しており、サメやマグロやイワシやエビやロブスターに満ちている。不法操業する漁船団は、便宜置籍船制度(訳注:船舶の登録料を軽減するために、リベリアやパナマのような安い国に船籍を置くこと。漁業資源管理においては、他国の漁船になりすますことで、本来の国別の漁獲高割り当てを無視した操業を行うこの種の行為が問題視されている)を隠れ蓑にしている。彼らは他の地域からやってきたソマリア人の武装船によって守られており、近づいてきた地元漁民の船に体当たりを行ったり、銃で撃ったり、漁具を破壊したりする。これらの恐ろしい戦いの大部分は外部の目の届かない場所で行われ、報道もされていない。
エイルの漁師達の間では、外国の漁船団を苦々しく思う気持ちが広がっている。
多くのソマリア人は、無力なソマリア政府に代わって、NATOとEUの軍艦がより多くの密漁船を取り締まるように求めている。
湾岸諸国から資金援助を受けたプントランド(訳注:ソマリア内の半独立地域。実質的な国家内国家となっており、独自政府が地域内の司法・行政も担当)の海洋警察はボサソの港に拠点を置き、紅海で不法操業する船の取り締まりで多少の成功を収めているが、エイルまではなかなか手が回らない。
「海賊行為があったからNATOが来た。しかし、海賊行為の原因は、密漁だ」とエイルの職員ファイサル・ワイスは言う。
「NATOが海賊を追い払えるなら、密漁船を追い払わない道理なんてないでしょう」
このことは、プントランドの海賊取り締まり担当大臣であるアブドゥラー・ジャマ・サレフも指摘している。西側先進国は「こそ泥を捕まえることはあっても、大物はそのままだ」と。
55歳の精悍な漁師、ムーサー・ムハンマドは最近受けた攻撃の被害、洋上で切断された彼の漁網を示した。
彼にとって、このことは海賊のための武器を手配し、かつてやっていた生活に戻るための小さな一歩に過ぎない。
NATOとEUの両方が2016年の終わりに派遣期間を終える。西側諸国は監視任務に当たっている艦船を、地中海やその他の必要とされている場所に移したがっている。
「NATOが去れば、おれ達は奴らを攻撃する」ムハンマドは言う。彼の目に写る西側の軍艦とは、密漁船を守っている存在に過ぎない。
「おれ達は殺る。覚悟はできている」
困窮した漁師たちが、その原因である外国の密漁船から金品を強奪したことが、現代ソマリアの海賊行為の始まりだった。
韓国の大型原油タンカー、サンホドリーム(Samho Dream)の解放のために950万ドルの身代金が支払われたことで、それは何百万ドル単位の金が動く組織犯罪へと成長した。
2011年の初めに、海賊は700人を超える人質を拘束していた。
エイルの海岸線で小さなホテルを経営する女性、アシャー・アブデカリムは言う。
「あのときは本当にめちゃくちゃでした」
彼女は、少なくとも、海賊がいなくなったことについては感謝している
「みんな武器を山ほど持っていたし、しょっちゅうそれを撃っていた。チャット(qat。カートとも。嗜好品もしくは弱い麻薬)も使いすぎてましたし。平穏とはほど遠い状態でしたね」と彼女は回顧する。
一方、エイルの職員、ファイサル・ワイルは苛立ちと共に「何も変わっていない」と言っている。
「振り出しに戻っただけだ。密漁船は戻ってきた。こうなってしまうと…私は海賊も復活するのではないかと恐れている」
「密猟が、立ち直ろうとしているソマリア経済の貴重な財源を強奪しているのです。本来の収入があれば、たとえば不可欠なインフラを整備したり、医療を改善したり、教育を再建したり、荒廃した牧草地を復活させたりといったことができたはずなのに」ソマリアの沿岸地域の援助に携わっているNGO、Adeso(African Development Solutions)の代表、Degan Aliは言う。
しかし、ソマリアの沿岸地域で多くの雇用を生み出せるはずの水産業を育成しようという国際援助の試みのうち、この地で行われたものは、無数の既得権益の網に絡み取られてあえなく沈没してしまった。エイルに国連の援助で建設された冷凍設備は、完成から1年以上経っても稼働していません。これを使えば漁師達は水産物を輸出することが可能になるのですが、誰がそれを仕切るのかということでの論争が続いている
海賊は依然として、ソマリアでは広く共感の対象となっている。外国で逮捕され、2年から24年の刑を言い渡された海賊達が刑期を努めるためにソマリアに送還されて来るが、プントランドのボソサとガローウェの刑務所に投獄されているのは、言わば将棋の「歩」に過ぎない。海賊の首領たちは依然として逮捕されていない。「取引」で得た莫大な資産があれば、弱体な警察当局からの追跡から逃れることなど造作もないだろう。
3月に海賊はイランのダウ船2隻を中部ソマリアで捕らえた。うち1隻は後に脱出した。一月後、国連の報告書では、悪名高い海賊、ムハンマド・オスマン・ムハンマド「Gafanje」がこの攻撃を企てたとされた。
「海賊時代がいまだ終わったわけではない、ということが見落とされています。依然として50人ほどの人質が捕らえられています。その大部分は密漁船の乗組員です」海賊問題を扱うNPO、Oceans Beyond Piracy (OBP) のジョン・スティードは指摘する。
しかし、現状が、西側諸国がインド洋に引きつづき海軍力を展開するコストを負担し続けるほどかは、はっきりしていない。彼らが急にいなくなれば、情況は悪化するかもしれない。
プントランドの海賊取り締まり担当大臣であるサレフは、ソマリア人は厳罰化が進められたことを知っていると言う。
「死刑を含める厳罰化がなされた。みな、海賊行為が容赦されなくなったことを知っている。以前は金の問題だったが、今回は海賊自身の命の問題になった。やるなら死ぬ覚悟が必要だ」