はてなキーワード: 考察とは
作品と作者、それを取り上げるメディアに文句言っている奴は全員、嫉妬。単なるジェラシー
あの程度の絵なら俺(私)にも描ける
あの程度の話なら俺(私)にも書ける
あの程度の作者なら俺(私)のほうが!俺(私)のほうが!
嫉妬って醜いよね
題材として陳腐だから、似たような作品から色々持ってこようって発想が生まれるわけだし
その過程で生まれたコラ作品を否定してもしょうがない気がするんだけど
なんか変な考察とか読み取れる何かを語るやつは問答無用で殺していい気がするけど
ところでテレビに出てる作者。あれ本当に本人?漫画家にしては顔整いすぎてない?
替え玉じゃない?
並の精神の漫画家だと今後の罵詈雑言が飛んでくる状況には耐えられないだろうし、そこは電通も矢面に立たせるやつとして替え玉用意してると思うんだが
商業的には(出版・映画化・主題歌・グッズ展開)いいのかもしれないが、
作品の良さを見事に100日目に殺してくれたなぁと思う
結構ストーリー的にも良い印象を持っていたため、裏切られた感が強いのも事実。
余韻というか、感情的にはしばらく間が欲しいのよ。(49日とかね)
時期を逃すと売れなくなるかもと言うのは、商業的には正しいと思うし、スポンサードしてたら当然の懸念だとは思うけど
やっぱ作品の内容的には、一番やめて欲しい道だったわ
どっかの掲示板に、「まさに100日後に死んだよなあ」という意見にいたく共感した
いろんな考察(時系列・SNSの表示・交差点の謎)や感想が多かったが、かなりの割合で
「商業展開の急激展開に冷めたワ~」
の意見が多いこと。更に電通絡みが明らかになり、ますます冷めたという意見も多数。(自分もこれに該当)
更に、1週間前くらいに急に大手キー局の朝・夕の情報番組で「SNSで話題の漫画~」って取り上げられてたのは思い出すと草。
(確実に2社・2番組以上はあったぞ。新聞の番組欄でも載ってたからそれ以上かも。なぜ急に?とは思っていたが・・・)
マジレスすると、別に商業展開も何も悪いわけではない。ただ、商売にする人が、全員、作者自身も含めてワニを悼んでいないことが反感を生んでるんだと思う。
「悼む」というのは、この場合、ある人の人生やその死に対して、真摯な思いを抱いていることを意味する仕草であり、そういう態度表明のことである。ワニの死をいま「悼んで」いる人々は、言い換えれば「100日目に死んでしまうのだろうか…」と心配しながらその物語を見つめ続けていた人だ。ワニを身近に感じ、共に泣き、笑い、あるいは儚い存在としての自己を投影してきた人々だ。そういう人に対して、その関心の持ち方自体がすでにゲスいだろ、という批判も散見されるが、それを言うなら当然それを商売にするのはもっとゲスいことになってしまうので、批判への批判としては意味がない。そういう人を批判できるのは、「そういうゲスい漫画は最初から読まない」というスタンスをとっていた人だけだ。
したがって、「悼んでいる」人から見れば、「悼んでいない」作者、商業展開に関わる広告業者、出版社の人々はみな、心情的に同志ではない。なぜなら、彼らはワニを「悼んで」いないからだ。たとえば葬式の場で遺産の話をあけすけにし始める親戚のようなものだ。彼らは「悼んで」いない、それが、それだけが感情的反発をもたらす。「どうせ貰うんだから一緒でしょ」「所詮フリでしょ」「タイミング逃したら大事な話(商業展開)ができないっしょ」……等のもろもろは、確かにその通りだとしても彼ら遺族の不興を止める根拠にはならない。彼らの感情的批判を止める種にはならない。
ただ、たぶん作者、広告業者、出版社の人々もそんなことは分かっているのだろう。そして、そうしない理由はただ「多少の不興を買って炎上しても結局は儲かるからいいだろう」なのだろう。いや分かってる。彼らのお客さんはただ「流行りに乗りたい」人々だけだからだ。「なんか話題になってるんだって。おもしろそー。」って理由で本を手に取って「うわー、泣けるー」って言ってくれる(チョロい)人々だ。決して、ネットでポチポチと毎日無料のSNSで無料で広告漫画を見続けてきたファンではない。彼らにとってファンとは、ただ話題を作るだけの存在だ。作者、広告業者、出版社から見れば、話題を広げてくれる物好きなボランティア、言ってみれば読ませてやる代わりに無料で使える下働きなのだろう。彼らにとって「読者」とは、実際に小銭を出して何かを購入してくれる「お客様」のことなのだ。そして、「悼む」仕草は前者にのみ効き、後者には効かない。だから彼らは「悼まない」。分かりやすい話だ。何ならこれまでもさんざん繰り返されてきた構図だ。
この問題の背後にあるのは、「作品は誰のものか」という古くからあるテーマだ。
作者、広告業者、出版社は、全て「作品は俺(たち)のものだ」と思っている。俺(たち)が作り、俺(たち)が計画し、俺(たち)が煽り、俺(たち)が成功した、その結果だと思っているのだろう。だが、それは正しくない。「読み手のいない物語」というのは「誰にも解読できない言葉」と同じで、そもそも意味がない。すべての「物語」は「誰か」に向けて語られるものであり、その前提でなくてはいかなる物語も存在しない。いかなる孤高の作家であろうとも、自分の書いたものを「読む人」を想定して作品を書かない人はいない。この、想定される読み手のことを「(作品に)内在する読者」と言ったりする。
一方で、作品には、更に大きな意味で一種の社会現象としての側面がある。ある時代、タイミングで社会に送り出された作品は、そういう「文脈」をもって読まれ、受け止められることを避けることはできない。たとえば、KANが皮肉のつもりで作った「必ず愛は勝つ」が皮肉でない意味で流行したが、この場合、作品の「正しい読み」は皮肉なのだといくら作者が叫んだところで、意味がない。この場合、多くの人がそう受け止めたという事実があるのであって、多くの人のその受け止めが「間違っている」ということにはならないのだ。その原因を作品内部に求めることは、全く不可能ではないだろうがあまり意味がない。多くの人に受けたという現象がその作品を歴史に残すのであって、内在する意味が残すのではない。これは「外在する読者」ということになる。
これらの考察から分かることは、作品は「誰か特定の側のものではない」ということだ。そして、一定の読者を想定して作者、広告業者、出版社がうつキャンペーンは、それ自体として作品の一部であり、かつまた、それらの行為によって「外在する読者」自体も変化する(新たなファンが流入する)という形で、両者は相互に影響しあうということだ。何なら、「旧来のファンが文句をつける」という行為まで含めて、それは作品の一部なのだ。ある作品を評価するなら、それを全て含みこんで論じる必要があるだろう。
今回の作品やその展開は、革新的だと褒める人もいるが、使用した道具が新しいだけで、特に手法として新しいわけではない。このようなメディアミックスによる話題作りは、明治の終わりころから新聞小説などでもよく見られた手法だ。何なら、広告・宣伝というものが世に生まれたそのときから、普通に行われてきた手法だ。彼らがみたところ「節操がない」のは、今に始まった話ではない。広告・宣伝に関わる人は、自分自身のそういう性質を十分理解しているから、そういう批判を全く気にしないのだから、批判者も、今更彼らに良心など期待しない方がいい。
ブックマークのお気に入りに入れてるid:lady-joker氏がよく似たエントリを上げていて面白かった。
https://lady-joker.hatenadiary.jp/entry/2020/03/21/072217
いや、まあ大体そういうことなんすよ……。
ヨーロッパの方には死者数もすごいことになって明らかにコロナ対策失敗してるところがあるよね
ああいう国は、いったい何が悪かったんだろう
対策だとすればどういう対策をとった/とらなかったのが悪かったのか
すげー。
ワニに対する反応でその人の作品消費の仕方を炙り出した。
便乗する人、作者を騙る人、単行本の宣伝でお気持ち表明する人。余計なものまで表に出した気がするが。
これ、ワニのことを考えさせただけで作者の手の内でしょ。
いやー、たった一つの漫画を100日連載しただけでここまで話題を生み出せるのすごい。
だと思う。今はほぼ書いてないが。話題になっていたらしいので読んでみた。
一言で言えば原作と他人の二次創作は切り離した方が精神的にはいいと思います。
それは解釈の問題だったり自分の力量が関わっていますが、自分が書く推しと原作の推しがはっきりと乖離してる自覚があります。
ではなんでキャラ改悪二次創作が生まれるのか、自分の思ったことを書いてみる。
真面目に二次創作してる人はイラっとくるかもしれない。あくまで偏った個人の意見です。あと腐視点。
・あるシチュエーション・要素が好きで好きで仕方ない
・他に書きたいものがあっても原作の設定を間借りすることに意味がある
1つ目は性癖の問題。どのカップリングに行っても、必ずあてはめるシチュエーションがある人はいると思う。
きっと元記事の筆者は、好きな要素を優先させるより原作考察から発展した二次創作が読みたいのだろう。
だがこの世には萌え先行というタイプがいる。とりあえず好きなものに好きな推しを足し算して萌える。原作に馴染ませようとする人から、最悪辻褄が合わなくても萌えれば正義な人まで様々。
どちらが支持集めるかは、正直タイプに関係ない気がする。二次創作者は考察してるつもりでも読者の捉え方と一致するとは限らない。
そして読者は全員が全員原作を考察しているとはいえないと割り切った方がいいと思った。
私は推しが自分好みのことしてくれるだけで興奮するので、それを書いている。ここの捏造が原型を留めていないと改悪と呼ばれるのだろう。
改悪とわかっているのに書く理由は、「そこに原作があるから」だ。
2つ目はそもそも原作を下敷きにしたIFが見たくてやっている。これが原作の否定に見えるかもしれない。
IFといっても、これも考え方が色々だ。公式でないカップリングの存在自体がIFだとか、そもそも原作以外はIFとみなすこともできる。
現パロやオメガバース、女体化など世界観ごと置き換えるパラレルから、「もしもAじゃなくてBを選んでいたら」レベルも全部IFだ。
たまに根幹を守ったままIFに落し込む作品に出会えると感動もひとしおだ。脱線した。
元記事によると界隈では原作設定を無視したパラレル設定が流行したということだろう。それをまるでA×Bの本流みたいにされると違和感がある気持ちはわかる。
ではなぜそれが流行るのか。それは書いた人がめちゃくちゃ文章が上手い人なのかもしれないし、単に大手の人の性癖に刺さって拡散されたからかもしれない。
でも極端な話、「このキャラがこんなことする訳ない!」という話は「絶対に原作じゃやってくれないこと」だ。
ギャップ萌えといえば聞こえがいいか。怖いものみたさかもしれないが。
それらは原作があってこそ「ありえない」と感じられる。その「ありえなさ」に説得力や文章力がついて面白かったりすると、ある種のIFとして読めてしまう。
最初は「○○さん次元のA×B」と消費していたつもりが、あまりに斬新だったり強烈だと侵食されてしまうこともしばしば。
他人の解釈に影響されやすい人って意外といると思うんですがどうだろう。
こんな風に原作を踏み台にして、二次創作が前面に出ていることが「リスペクト不足」にみえているのではないか。
それは…書いている本人にしかわからない。ヤバめな欲求だって表に出さなければ、普通の原動力だ。
諦めるぐらいなら二次創作するなという意見もあると思う。まっとうな正論だ。
まず、よっぽどの上手い人じゃないと一次創作で書いても人に見てもらえない。
一次創作に持ち出すとして、設定はどこまで寄せたらパクリになる?見た目?世界観は?
それに二次創作でついたフォロワーを失いたくないという人もいるだろう。二次創作を求められたらどんなに歪んでいても「推し」を書くことでしか界隈にいられなかったりする。
最初は原作の推しが好きだったけど、だんだん自分の欲望を優先させたくなった人もいてもおかしくない。
というか三次創作まで発展してしまうような影響力がある人のことは全然わかりません。それを持ち上げる人のこともわかりません。
交流がとても楽しくてそっちの方が本音だったり、推しを改変することに生き甲斐を覚える人なのかもしれないし、あるいは本気で原作に沿ってると確信して書いているのかもしれない。
正しい推しより原型のない萌え、原作よりキャラ改悪が支持される界隈。
それはつまり仲間内で騒ぐ燃料として、その人の二次創作が選ばれただけです。
正直良さはわからないけど、この二次創作いいね!と言っておかないと輪に入れない。本気で面白い解釈だと思っている。三次創作を通してさらに仲良くなりたい。なんか流行っているから乗ってみた。
推しカプが好きという名目で集まっているけど、その内実は人それぞれ。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いってことですよね。考えすぎです。界隈のとばっちりです。
大体元ネタがある創作をインターネットに上げて、それに賛同するのって不思議な現象ですよ。
あんなIFが見たい。推しを書いて人に求められたい。同志で仲良く萌え語りしたい。書きたいものが書きたい。
表では言わないけど原作への尊敬だけが創作の原動力ではない人ばかりだと勝手に思っています。
リスペクトゆえに言えないけど、本当は自分の書いた推しが原作より好き。むしろ原作より面白いものが書ける自信がある…人もいるかもしれない。
とにかく共通設定が守られている(と作者が考える)だけで『二次創作』でくくれるって中々乱暴で懐広いですね。すごい。
また話がズレた。
そこまで考え込んでしまうなら、二次創作は等しく人形遊びの発表で交流ツールだと思ってみるのはいかがでしょうか。
原作にまで悪影響を及ぼしているなら、尚更二次創作を切り離して同姓同名の別人だと見切り付けるべきです。
リスペクトしたら面白くて萌えるものになるとは限らない。していなくても読者は萌えるときがある。そんなもの。
創作者の方々、原作からわざとキャラを改変させている際は注意書きを忘れずにしていただきたいです。
なぜなら、キャラ崩壊が性癖なんです!!!大好物なんです!!!
意味深なボカロ曲のYoutubeコメント欄とかヒプノ◯スマイク等有名コンテンツの考察ツイート、マジで義務教育が敗北しててさぶいぼ立つ。
まあすごい考察はたまにあるよ。エヴァのによくあったような聖書とか古代神話の文献理解前提にしたようなやつ。
歌詞中のごく一般的な常用漢字・熟語・英単語の意味並べ立てて歌詞を解釈(笑)したり、ひどいのは書いてあることそのまんま簡単な文章に直しただけの考察(笑)もある。なにも疑問点解決してねーぞ???
でもリプとかで「天才か?!」「すげー」とかが並ぶわけ。頭おかしい。小学生しかいないの???作者が分かってほしい内容の前提すら分かってないヤツが大半なの??虚しすぎるだろ
>プロフィール画像の背景は、 http://twitpic.com/81moa2 福島原発事故の危険性について(個人的考察): http://bit.ly/hPeUyF 物性理論の研究者@東京大学物性研究所
韓国やイタリアなどは、軽症あるいは無症状の感染者も最大限捕捉して、そこから感染が広がるのを抑えようとしています。専門家会議は、そのような努力は日本では非現実的として既に放棄したわけです。もはや全国的な蔓延は諦めており、ピークを抑えられるかどうかの「瀬戸際」を論じています。 https://t.co/vukyBWqFec— Masaki Oshikawa (押川 正毅) (@MasakiOshikawa) 2020年2月24日
>大学教員。専門はこの世。Literature, Culture, and Society. Kunitachi, Tokyo.著書に『戦う姫、働く少女』(堀之内出版)など。 講談社現代新書ウェブサイトにて「イギリス階級物語」を連載中。ご連絡はs_kono400あっとhttp://yahoo.co.jp まで。
テレビではイタリアや韓国の徹底的に見えるウイルス対策を報道してて、明らかに日本の無策が浮き彫りになっているのだけど、それは言わないのね。— 河野真太郎/Shintaro Kono (@shintak400) 2020年2月24日
>東京大学 東洋文化研究所 教授 (マイケル・ジャクソンのブログはこちら http://ameblo.jp/anmintei/ )平智之氏より、二代目「とんち博士」を襲名。
イタリアがやってるんだから、日本もやるべき。 https://t.co/zKAGocQqHR— 安冨歩(やすとみ あゆみ) (@anmintei) 2020年2月24日
じゃあ考察すんなよ
「古典は本当に必要なのか」と今訊かれたら、どう答えるだろうか。(この問いを「高校で必修科目にするべきか」に矮小化して競うのはズルいなあ)
例えば、今『幸福な監視国家・中国』を読んでいるが、これを読むとどうも中国政府が作ろうとしているのは、ある意味で儒教の理想社会なのではないかと思う(明天子としての国家主席)。
社会信用システム、個人の信用を数値化し、数値が低いと各種サービスが受けられなくなる。法と刑罰で縛るのではなく緩やかな制裁、不便さ生きづらさを与えることで自発的な服従を引き出す(馴致)。「修身斉家治国平天下」をIT技術の力を駆使して実現しようとしている、ように俺には見える。
儒教とは民主主義とは異質な、いわば統治者の統治者による統治者のための政治哲学。人には身分があるという前提の上で、礼儀正しく他人に優しくしましょうねという思想。現在の中国政府が目指す路線もそれで読み解ける部分が大きいのではないか(少なくとも内政に関しては)。
すなわち、支配する中国共産党と支配される中国国民という大前提の上で、高い教養と徳を兼ね備えた選ばれた君子ならぬ党執行部が、民草ならぬ国民を善導し仁政を施す、こういうイメージ。「天網恢恢疎にして漏らさず」というが、その天網を技術の力で人為的に構築しようとしている。その結果生まれた(生まれつつある)「監視国家」では、人々の暮らしは便利になりマナーも向上し犯罪も減ってきた。そもそもの大前提に疑問を感じないのであれば、それなりに暮らしやすい社会なのかもしれない。
「自由で平等な個人からなる市民社会」を唯一絶対の価値とする西洋近代から見れば、今の中国社会はディストピアにしか見えないだろう。だから人権とか環境とか、相手にとって響かない言葉を批判材料に持ち出してしまう。全く噛み合ってないのだ。
しかし、「君子が民草を善導する儒教社会」を念頭に置いて見るなら、(好悪は別として)それなりに理解できる。したがって噛み合った対話が可能となるし、上手な付き合い方も見つけられるのではないか。
以上のような推論が正しいのかは措くとしても、こういう考察ができるのは俺が漢文を読めるからだ。
勿論四書五経を精読した訳ではないが、要点はかいつまんで把握していて、必要があれば誰かに訳してもらわずとも自分で読めるからだ。
もしある人が中国や中国経済に関心を持っていても(あるいはビジネス上持たざるを得なくなっても)、彼が漢文を全く読めなければどうか。影響力のある著名人が「修身斉家治国平天下を連想させる」と指摘するまでそれに気づくことはできないだろう。また、仮にそれを聞いても出典である『大学』を読めなければ指摘の真意を理解できず、したがってその当否も自分では判断できないことになる。
つまり漢文の素養がある人は、ない人に比べてより早く、より多くの可能性を想定することができる。したがって対象への理解の程度もより深くなる可能性が高い。その知見をビジネスに生かすこともできるだろう。
要するに古典というのは、今起きていること、起こりつつあることを理解するうえで役立つ枠組みを我々に提供しているのではないか。
というより話は逆で、理解の枠組みとして多く参照された作品が結果古典として残っているのではないか。たくさん引用された論文がそれだけ権威を持つように。
「高校の授業が古文漢文の真価を学生に伝えられているか」は大いに疑問だし、厳しく問い直されるべきだと思う。が「古典は本当に必要なのか」と問われれば、俺は躊躇なく是と答える。
現在、そしてこの先しばらく国際社会に大きな影響を与える中国という巨大な異文化と対峙した時、日本には他国にない大きなアドバンテージがある。漢字の読み書きができる、そして中国文化を受容し改変してきた伝統がある。このアドバンテージをむざむざ捨ててしまうのは愚かしいと言わざるを得ない。
この主張だと「では日本の古典は勉強しなくていいのか?」という反論が想定されるが、それについてはまた機会を改めて考えよう。
これだけの影響が出れば、ただでさえ死に体のライブハウスに致命傷を与えることでしょう。
ちなみに、ここでのライブハウスとはZeppなどの大きな箱ではなく、キャパ300未満の小さな箱のことを指します。
さて、ライブハウスの一番の収入源はもちろんライブです。そしてその次にドリンクの収入があります。
皆さんもやたら高いオレンジジュースを飲みながら、ギリ知人と言えるか言えないかくらいのバンドマンのライブを見たことがあるとおもいます。
多分水曜日の19時開演で、同じ日に4バンド前後、聞いたこともない下手なバンドが演奏していたことでしょう。
あの臭くて汚いライブハウスが、有名な人も出演しないのに、なぜずっと営業できるかの答えがここにあります。
ライブハウスでブッキングをする人は「ブッカー」と呼ばれています。
ライブハウスの店長や、3ヶ月前に入った大学生や、もうすぐ勤続2年になるバンドマン崩れのフリーターが主な割合です。
ブッキングとは、その名の通り予約のこと。
大学2年生でメジャーレーベルとの契約を夢見るバンドや、31歳で定職につかず週3でライブをやっているバンドなど…
ライブハウスが空いている日にイベントを組み、タイムテーブルにそれらを押し込んでいくことが仕事です。
フェスのように統一性があるわけでもなく、弾き語りシンガー(17)の次にハードロックバンド(30代)が出演するなんで惨状も茶飯事です。
さて、そんなライブイベントにあなたはいきたいとおもいますか?
思いませんね。
しかしながら弾き語りシンガー(17)の物販にあるチェキを毎回購入するおじさん、ハードロックバンド(30代)の追っかけをやっているアラサー女性など、お客さんはいるんです。
それでもライブハウス側の利益が出ないので、アーティストからお客さんを呼べなかった罰として、チケットノルマを回収します。
30分出演するだけで1バンドあたり2万から3万円。バカらしいですよね。平日夜、30分のために2500円プラスドリンク代なんて払う人いませんよね。めちゃくちゃ服タバコ臭くなるし。
ブッカーやライブハウスの偉い人は、音楽業界とつながっている風を装い、ライブへの出演を促します。
出演者は、いつかでデビューにつながるコネを与えてくれるのでは、とノルマを払い続けます。
これが8割方の理由です。
ここまではライブハウス関係者であれば誰でも書けるような内容でしょう。
ここからは元バンドマン、1リスナーとして残りの2割、オワコン化した本質的な部分について考察していきたいと思います。
ライブハウスのノルマは、実際お客さんを呼べばそんなに悪いものではありません。
2500円のチケットを10枚売るというノルマで、実際に20人30人集客し、利益を出すバンドもいます。
それがライブハウスにとっての正義です。ではどうすればお客さんが集まるか?
正攻法としては、対バンのお客さんを自分のバンドのファンにさせるという方法。
ファンにさせるには…?集客の多いバンドの曲をパクるのが一番です。
パクリ対象のバンドの曲が、自分たちの技術では成立しない場合があります。
これさえ守れば、正直5回目からの出演でノルマクリアできるでしょう。
あくまで感情系ギターロックは昨今の流行の一つではありますが、色々なジャンルで同じことが繰り返されてきました。
リスナー側の視点に立てば、2回も見れば十分です。大抵そういうバンドはセットリストが5年くらい同じなので。
というか誰も幸せにならないんですよね。
でも大抵ノルマの負担で音楽辞めちゃうんですよね。ライブしたらレコーディング代払えなくなるし、レコーディングしたらレコ発でめっちゃ金飛ぶし。
バンド=ライブハウス=ノルマみたいな方程式が出来上がっちゃってるので。そこだめだよね。
音楽業界もさ、カスみたいな出来レースオーディション辞めたら?
本来マイノリティ的な音楽を選ぶはずが、かたっぱしからもう売れかかってるバンドをブーストしようと大人の力使っとるやん。そんなのAandRって言います?
ライブなんてYoutubeで見れるのにフロアがヤニ臭くてハイが刺さりまくってゴミ音響のライブハウスなんて行かないでしょ。
ブッカーとかですごいいい人もたくさん知ってるけど、頑張る方向性間違ってるよね。いい人ほどすぐ蒸発するし。
そういう人は音楽なんて仕事にしようとしないで、趣味程度でやって欲しい。それ以上にクズな人間もいるし。
てか売れたいバンドマンも深夜にTwitterで客がスマホ見てたとかくだらんこと呟いてんじゃねえよ…。年1でアルバム出してくれ
なんの話?
報道されている内容は、不倫があったという事実を裏付けるのに証拠不十分ではないのか、という投稿です。
今件に対して報道された内容は、主に以下の通りです。
基本的にこの投稿内では、画像の存在するものを、証拠として取り上げて考察します。
東出・唐田が共演していた映画「寝ても覚めても」の収録内で撮影されていたものとのこと。
唐田は撮影中、オフショット撮影をフィルムカメラで行っていました。のちにそのオフショットは、映画の企画として写真展が行われました。今回文春がリークした写真は写真展の中では利用されていませんでしたが、撮影後仲間内に配ったものであるという報道からも、先述の写真展向けに撮られたスナップの内の一枚であることが考えられます。
背後の空き缶などの本数、また、撮影構図から見ても、二人きりの状態ではないと考えられます。
唐田のインスタグラム上で、ベッドの上でくつろぐなどプライベートな様子の東出の写真が公開されていました。
これも一部で匂わせなどと報じられていたようですが、これは映画の企画として行われた写真展内でも展示されたものです。
https://natalie.mu/eiga/news/296224
ちなみに映画の原作小説内で、唐田演じたヒロインは、写真が趣味という設定がありました。映画内ではその設定は採用されませんでしたが、唐田演じたヒロインが美術館に写真展を見に行く場面があるなど、「写真」は作品そのものに関わる小道具でもありました。
これをプライベートな「匂わせ」であるとは言い切るのはナンセンスです。
声明は、報道された内容はほぼ事実であると、認めるものでした。
ですが私はこれに対し、いわゆる「強要された自白」程度の証拠能力であると考えています。
なぜならば、この状況下で報道内容を否定したほうが印象や状況は悪化します。両事務所からの声明は、この時点での最善の振舞いとして選ばれたものでしょう。
よって、不倫関係が存在したことを裏付けるには、証拠能力不十分です。
唐田から東出に対する好意は感じられる投稿でしたが、具体的にどういった関係であるかを示す内容はありませんでした。
また、2ショットすら公開されていません。
あくまでも大学時代の写真・エピソードであり、今現在の状況を直接証拠づけるものではありません。
具体的に何をどうしたのかという自白はありませんでした。
主に題材として取り上げられていたのは以下3点。
それ以外での新規取材や新規内容は殆どなかったように記憶しています。
1年半以上前からネット上に公開されていた内容に対して今更であり、内容はどれも憶測レベルのコメントでした。
唐田のインスタグラムについては、先述の写真展の件もあり、完全にプライベートなものであると扱うのは不自然です。
自称関係者は殆ど名や立場も明かされておらず、証拠写真の一つも添えられていません。
そもそも東出側関係者からの、唐田との関係を示すような内容は、殆ど見かけられませんでした。
東出の翌週に文春が掴んだ鈴木杏樹の件は、2ショット現場が二度に渡って押さえられており、ラブホテルに入っていく写真もありました。
一方で東出の件では、上記のとおり、文春以外のメディアは碌に取材もしておらず、文春であっても、はっきりと裏付けるような証拠を出していません。
苦手と表現していいのかわからないけど、ナウシカについて思い出した
金ローでやるたびにチャレンジしてた時期があったけどなぜか毎回地下?に落ちるところで寝落ちして、オームに乗ってるとこで目が覚める
3連続でやって諦めた
入間くんEDの類似例では、ガンダムWのEDでリリーナが1人でドヤ顔し続けるのが苦手。ガンダムW自体は好き
男児向けアニメでたまになぜかヒロインだけがフィーチャーされる系EDがあって、あれは大体苦手
それ以外の苦手要素は大体、色合いとノリに分類されると思う
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/日本のテレビアニメ作品一覧
色合いやキャラデザが苦手で鼻の奥が臭くなる系はいぬかみっ!、東京ミュウミュウ、スラムダンク、タイバニ、ガンダムSEED、鋼の錬金術師、魔術師オーフェン、ミルモでポン!、NARUTO、マクロスF
逆に色合いが好きっていうのはゆるゆり、アイカツシリーズ(特にフレンズ)、ベイブレード2002、THEビッグオー、明日のナージャ、魔法使いTai!、ストロベリーパニック
作品の好みには関係ないけどシンカリオンのリュウジの水色白コンビのカーディガンは見ていると鼻の奥が臭くなる
あとアニメではないけど、同様の現象は白・クリーム色・ボーダー柄のニットやボア、サンタ服、ノルディック柄、ニット帽を見た時にも起こる
ノリが寒く感じて恥ずかしくなった系は民放ではおそ松さん以外にあまり思い浮かばない
ここまで書いて思ったのは、民放アニメは元々好きなシリーズの新作か、結末までの細かいストーリーや裏設定、評判や考察を見てほぼ好みだろうとある程度の確信を持った作品にしか手を出していなかったかもしれない
色合いが苦手なアニメを見続けるかは物によるけど、ノリが合わなければすぐに切る
詳しく調べた上で見てみてノリが合わなかったってことはあまりないから上述のように例が少ないんだけど
実家がNHK大好きNHK垂れ流し一家なのでNHKアニメは興味なくても目に入り続けてしまい、嫌悪感が増幅するということかも
それはそれとして「鼻の奥が臭くなるデザイン」「寒気がするノリ」という単なる好みの感覚をうまく伝わる言語で分類できるようになったら面白いな
友人や家族に漏らして角を立てかけた話を吐き出したことで少しもやもやが整理された気がする
バーチャルさんはみている、色合いは割と好き
1話を少し見てノリは問題なく、これが垂れ流されていても嫌悪感は湧かないと思われる
ただ喋り方等が不自然なので、真剣に見ていると家族に勘違いされたら恥ずかしくなるかな…
単純に展開に興味を引かれず、たまたまテレビがついている時に垂れ流されていなければ敢えて見ないと思う
それでも例えば大どんでん返しの鬱展開やあからさまな他作品のオマージュ等でインターネットが盛り上がっていたら詳しく調べた上で見直す可能性はある
https://note.com/papurika_dreams/n/n08a864b6d0fd
こういうの
共感を是としている、現代社会とは異なるが悪いものではない村!みたいな読み方な
死にたくないと思ってる人間を強制的に儀式に巻き込んで殺すって行為に人間への共感があるとは到底思えないんだよな
クリスチャンくんもかなりいろんなところで悪し様に言われてるけど、実際自分に関係ないところでメンタルのバランスを頻繁に崩してそのたび頼ってくる人間の相手をするのってメチャクチャきついからなあ そりゃイヤにもなる
岩田教授のインタビュー記事に基づく考察である。https://www.targma.jp/j-ron/2020/03/04/post727/
まず、対戦相手の選手同士で濃厚接触することがない、試合会場は屋外か、屋根が何十メートルの高さにある屋内なので、会場リスクも低い。
客も入れられるが、満員にはせず、席を隣合わせない程度の人数までなら可能。キャパの1/3程度か。またラッパを使った応援や、選手コールなどは自粛すべきだろう。
懸念点は主審とキャッチャー。この組み合わせで濃厚接触が発生するため、主審は飛沫の元となる声を発さずにジェスチャーだけでジャッジするなどの工夫が必要。
センバツ甲子園は無観客での開催が決まったが、無観客にする必要まではないだろう。
試合会場リスクについては野球と同様。客も少しなら入れられる。ただし応援については野球同様自粛が必要。
選手間の感染リスクは非常に低いが、ディフェンダーで密着マーク型の選手が居る場合は、その選手は出場を見合わせるべきだろう。記事にもあるが密着マークはご法度である。
選手間の感染リスクが高い。スクラム・モールなど密着戦闘の嵐だからだ。従って試合開催不可。折角人気が出てきたラグビートップリーグだが、今期は開催をあきらめるしかない。アメフトも同様。
ダブルスは選手間の感染リスクが高いので難しい。シングルスなら誰とも濃厚接触しないので感染リスクは低い。試合会場も野球・サッカー同様に「屋外または屋根が高い屋内」なので問題ない。客は少しなら入れられる。
選手間の距離はラグビーほどではないが比較的近いので選手間感染リスクが中程度ある。また試合会場は屋根がそこまで高くない屋内会場なので会場リスクは野球・サッカー・テニスよりは高い。ライブハウスほどではないが。
体をぶつけ合う競技だが、競技時間は長くても1分と短い。これをどう見るか。濃厚接触には該当しないが体をぶつける機会がある。微妙。
取っ組み合いを長時間続ける時点でアウト
騎手間の感染リスクは低い。一方客同士の感染リスクが高い。競馬場も場外馬券売り場も客の人口密度が高すぎる。すでに無観客+場外馬券売場全閉鎖の開催に切り替えているが、これを継続すべきだろう。
岩田教授は「正しく恐れろ」というが、正しく恐れるということと、いままで自粛していた行動を全部取り戻すのは違うというのを市井の人達は認識すべきだろう。