はてなキーワード: 考察とは
それはあまりにも突然のことだった。
2月末にはほぼ全部屋キャンセルとなり、稼働率は一気に一桁にまで落ち込んだ。
ただでさえ今年は雪が少なく、「パウダーの聖地」の名が泣くような状況だった。
パウダー日和と言える日は全部で1週間もなかったかもしれない。
ただホテル自体はほぼ満室で、ピークシーズンを忙しく過ごしていた。
正社員を含めた通年雇用者も有給の使用が励行され、出勤が減らされた。
3月半ばには外国人観光客は完全に消え、メインストリートのひらふ坂はゴーストタウンになった。
判断の早い会社は、3月後半の時点で正社員のリストラも敢行した。
自分がいる会社も4月に入りいよいよリストラの声が出始め、希望退職制度が始まった。
現在、ほとんどの飲食店がクローズ。またホテルもかなりの数がGWを待たずにクローズとなった。
ニセコのバブルは未知のウイルスによって弾けたのかもしれない。
これが一時的なものなのか、根本的なものなのかはまだ分からない。
ただ一つ間違いなく言えるのは、
ニセコの現在の隆盛が外国人富裕層(よくいうインバウンド)に大きく依存しているものであり
バブルが弾ける前(つまり今年の1月まで)のニセコはそれはすごい勢いだった。
開発ラッシュはまだまだ続いていて、ホテルが雨後の筍のように建っていた。
一部では供給過多の声も聞かれたが、それでも勝算があると見込んだ大手外資が開発を続け
スキー場には外国人しかいないし、ひらふ坂周辺の看板には日本語よりも英語の方が先に書かれている。
ローカルエリアとなる倶知安町の中心街もスキー場周辺で働く外国人に溢れ
田舎のはずなのに日本人と外国人がミックスされた不思議な世界が形成されていると感じた。
スキー場周辺で大金を使う外国人富裕層をビジネス的に分析していく過程で
比較的早く疑問を感じるようになった。
「このバブルはいつまで続くのか、どうやって弾けるのか、弾けた後の準備はできているのか」
その時点ではバブルはまだまだ続いていた。
初期投資こそお金がかかるものの、簡単に、びっくりするくらい利益が出る。
その状況に甘え、ハードこそ立派だがソフトが素人レベルのホテルが林立した。
1泊100万円もするペントハウス(最上階のスイートルーム)があるのに、
対応するフロントスタッフはスノボしに遊びに来ているホテル初経験の季節雇用者なんていうのは普通だ。
簡単に利益が出てしまうので経営者も厳しい目をスタッフに向けないし、スキルアップという考えも薄い。
将来的にこれは火種になるのではと思った。
こんな噂が蔓延すればニセコを避ける外国人富裕層も増えるだろう。
「雪」だ。
今年は雪が少なく、また質も非常に悪かった。
雪を楽しみに来ていた外国人季節雇用者の落胆は半端なかったと思う。
ところがこれは今年に限った話ではないらしい。
昔からニセコにいる人に聞くと10年前と比較して質が落ちてきていると。
自分はあと数年で、雪の劣化によりニセコバブルが崩壊すると予想した。
もしかしたらこれがトリガーとなって、根本的なバブル崩壊になるかもしれない。
一時的だとしても、結局は雪の劣化によってニセコのバブルは近いうちに崩壊すると思うが。
バブルが弾けた後の事を誰も考えていない。
誰もは言い過ぎかもしれないが、少なくとも、自分は近しい人とこの件で議論をした事はない。
繰り返しにはなるがバブルに甘えてしまっている、楽をしすぎていて
自分は考察を経た上でバブル崩壊に備えてこういう事をしておくべきだという答えを持っているが
周りを見る限りそのような動きをしている会社やホテルはあまり見られない。
このままバブルが崩壊したら、ニセコはかつて崩壊した日本の有名温泉街のようになるだろう。
立派でオシャレな建築物が朽ちていく様は見たくない。
今ニセコでビジネスをしている人は、このコロナをきっかけに目を覚まし
根本的な部分からビジネスを再検討してほしい。バブル崩壊に備えてほしい。
それがニセコの永続的な発展に繋がると思っている。
「弱者の味方」に対しては批難しにくいという立ち位置を最大限に活かして、言いたいこと言いまくってるね。
問題なのは、多面的な考察が足りないのでバランスが悪いというのと、あくまで「(ぼくの考える)弱者」なのでこれまた偏っている。
更に困ったことに、意見の軸足が結構コロコロ変わるので、コメンテーター個人個人を見てると一貫性のなさに混乱する。
玉川氏はずっと変だけど、白鴎大学の先生も、最初の頃はまともな部類かと思っていたのだけど、最近は疲れているのか変な具合になってきているし。
とりあえず最近だと、政府批判をしつつ国家は口出しするな監視するな、と声高に叫ぶ一方で、ロックダウン(から呼び込まれる国家による制限)を推奨するような発言をするという。普段から視聴者を煽って政府の足を引っ張っているくせに、変なところで頼るんだよね。
ちなみに、番組自体がネットだと叩かれてるのは承知しているけど、聞き流す分には比較的マシだと思っていつもつけてる(誤報含め)。
話はちょっとズレるけど、
が、どうも被っているように見えるんだよね。
「5年間に3人出産することは可能である」という一点の事実だけですでに
「元増田の書いたことが書いた通りに起きた」という可能性を否定できないので
レアケースだって起こる時には起こるんだから「どれほどレアか」の考察はなんの証明にもならんのよ。
わかったらもうあきらめなさい。
それなりに理由があるのだろうけどそれを説明してくれる必要もないしそれがあっても良いと思う
同じくだれかの行動にその個人本人の思うところがあっても自分が理解する必要があるかどうかを鑑みる
自分が知ろうとした結果知りたかった事にたどり着いたかたどり着けなかったかその道程は根源的な問題について解決の糸口を成すかもしれない
けれども自分がその知識を得られていない状態であることだけを宣言することは
それを知らせるべきか知らせて理解をされるものかその知識を得たことで何に利用するのか想像した時点で
説明すべき事柄でないと判断されやすいものだと感じているし現に行間について説明をあなたにするつもりがない
なぜあなたはその行間をあけるという行動に意味があると感じそしてその意味はなにかと思考するが考察はしない理由は何なのだろうか
これは良い考察!
栗原ひろみ女史だったか、「電子レンジが無かったら(それでしか加熱できないので)どうやって作ったらよいかわからないレシピ」と自身の一部の献立について述懐していたが、そういうことだとおもう。
指摘されている問題は、製品をリリースしている対象(この場合はバンダイスピリッツ)に向けるべきか、
もしくは、模型のレビューを性的な事を主眼に行っているブログに向けるべきでしょう。
筆者のブログは、模型のモデル(キャラクター)が高校生である事を必然としていませんし、可笑しく書くために情動的に書いてはいますが、その論点は「高校生の表象が性的に扱われること」ではありません。
しかも、ブ米に書いたように筆者は「ここで、「破廉恥だ!」「変態だ!」なんて感想を述べた瞬間に、そういう考え方をする機会は失われてしまう。」と、論点が異なる事を明言し、それと同類になり論ずる機会を失われる事を望んでいません。
しかし、読み手がどう受け取るかは自由と(私は)考えますので「主張されてる事は理解しますし」と私は書きました。
「退場して下さい」そして「一部、同意します」と同意は一部に限ったのは、著者のブログのブ米に書くべきではないからです。
トラックバックで貴方のブログで批判するのであれば、私は「退場して下さい」というブ米は書きません。
筆者個人のブログのソーシャルブックマークで、かつ筆者が望んでない議論、批判を書いたので、この場からは立ち去ってくださいと書いたのです。
ソーシャルブックマークのコメントも個人の場とする考え方もあるかと思いますが、
個人ブログのブ米で書いたことは、個人の家前の道路で叫んでいる事と同じと。
著者の他のエントリを見て頂ければ分りますが、造形に関してとても深い観察を考察を行われています。
今回のエントリも写真を見れば分りますが、明確に下着を撮影しているのは(いわゆるパンツを撮影している物ですね)2点で、
どちらも性的に撮影しているのではなく、そのつなぎの部分の自然らしさを注視しています。
性的に撮影するのであれば、フィギュアのレビューサイトなどの様に、顔が見える全体像や、下着をあおる様なローアングルの拙者になるでしょう。
著者の個人ブログである点(exciteの公式ブログは編集部の選定であって本人の申請では無い)
著者が高校生を性的に扱うのが目的でなく、模型の発展のアプローチを論じている点
なので、私はブ米で
本文読めばわかるが、トランスルーセントが主題になっている模型で、肌の質感や眼球の光彩を物理的に構成するだけではなく、衣服の下着をデザインするというのが論点。変態性を論じる貴方は退場して下さい。
まぁ、ブ米を書くお気持ちも分りますが、それによって(ブ米に書く事によって)不必要な論点が外れた批判で埋もれるのも問題だと思うんですよね。
※補足ですが、高校生の下着を記事の対象に挙げている時点で、のような事を言い始めてしまいますと、子供をモチーフとしたデッサンも、骨格、そして肉付け(いわゆる裸ですね)を主題とします。チャイルドポルノの問題があるので論ずるのは慎重に行うべきですが、主題に上げる事をNGにしてしまうと、多くの物が失われてしまいます。
これはわかりやすい。彼ら選民・信者は「王道のものはつまらない」という逆張り中二マインドでしか動いていないからである。
一方、彼らのアンテナは決して感度が高いとは言えず、未知のタイトルを発掘する意欲があるわけでもないため、マイナーすぎればそもそも捕捉されない。何事もほどほどが肝心だ。
卓越した腕がなかろうが、物語を深く理解し考察する頭がなかろうが、メタに走ればプレイヤーもまた一段上から見ている気分に浸れる。
ゆえにゲームに限らず、メタ要素を含むコンテンツはだいたい頭の弱いパワー系信者を量産する傾向にある。
これもまたメタに通じるが、逆張りしか能がない奴を優しく肯定し甘やかしてくれる点にこそ、これら選民・信者コンテンツの需要はある。
「倒している敵にも家族がいるのではないか」など、プレイヤーの大多数はそんなことをいちいち考えても面白くないから無視しているだけなのだが、それに気づかぬ彼らはただただ哀れである。
劇場版ハイスクール・フリートを平日の昼間から仕事さぼって映画館で見てきた。やっぱりアニメを映画館で見るというのは最高の贅沢だ。
公開からだいぶ時間が経って上映館も少なくなっていたけれど、運よく通り道の映画館でやっていた。券売機で座席を見ると半分くらい埋まっていて、あれっ?と思ったらコロナ対策で一席づつあけて座らせているらしかった。劇場に入ると後ろのほうに大学生風の若者が5人ほど、私の前にはおじさんが一人。つまりここにおじさんは二人。こんなにスカスカの劇場で映画を見られる贅沢は初めてでよかった。
映画の内容は前半陸上パートと後半海上パートとはっきりわかれていて、前半に撒かれた種が後半の盛り上がりにちゃんとつながって大団円という意味ではよかった。だけれどこのアニメはストーリーとか考察とかそういうのは無力で女の子の可愛さを純粋に楽しむやつだよ。お風呂シーンで前席のオッサンがモジモジしてたのが気になって仕方がなかった。劇場まで来たんだから覚悟して堂々とサービスシーンぐらい凝視しろやァッ!
動きに欠ける前半の後はハイパー戦艦バトルの後半だったけど、これが最高。もう、砲撃の雨あられでバンバン打ちまくるし爆雷投げて戦ったりクソデカ魚雷で難局打破したり、びっくりドッキリメカで大爆発だったり。ああやっぱり映画館の大迫力で聴く爆発音は最高だぜ。めぐみんが爆裂しか愛せないのも納得の重低音で満足。もう最後のほうは「もっとバシバシ砲弾を打ちまくれぃッ!!!」という気持ちで思わず見入ってしまった。黒パンストお姉さんの白兵戦もよかったし、動いて音が付くというアニメーションの快感をこれでもかというほど味わうことができた。
物語を振り返ってみると、「誰も悪い美少女はいなかった」という「ごちうさ」並みの優しい世界への配慮が感じられる構成も悪くなかった。
このアニメを一言でまとめると前半の美少女、後半の(美少女以外)誰も傷つけない優しいバイオレンスというTVシリーズから続くツボを押さえた最高の映画だったと思う。
(蛇足)
任天堂は前から批判されてるぞ。はてなーはいい加減洗脳から覚めろ
なぜ米国で『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』が反人種差別主義のシンボル的存在になったのか? 「マリオは金と女のために戦うがソニックは違う」 | ロケットニュース24 https://rocketnews24.com/2017/08/19/941141/
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なぜ、彼がソニックを選んだのかというと、ソニックは反体制のヒーローで、いつも全体主義体制に反抗してきたからなのだとか。全体主義とは、個人の利益よりも全体の利益を優先させる政治体制のことで、ナチズムやファシズムもこれに相当する。
また、彼はTwitterで「スーパーマリオは金と女のために戦うが、ソニックは正義のために立ち上がるんだ」ともコメント。ソニックは反人種差別主義を訴えるキャラクターとして、まさに適役だったのだ。
「マリオもキモイ」から始まる【お気持ち】論争 - Togetter https://togetter.com/li/1314208
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Sophia @studentFem_N
マリオもキモい。マリオみたいなおっさんとピーチみたいな若くて綺麗な女がくっつく展開、小学生の頃からキモい無理と思ってた。男キャラはブサイクなおっさんばっかに加えていくらでもバリエーションあるのに、女キャラはほぼピーチとデイジーくらいで、特徴は「若くて綺麗」なだけ。
マリオにみられるメディアとしてのゲームの再考 https://keiolaw.org/wp/wp-content/uploads/2019/06/173-197_%E8%8A%A6%E7%94%B0%E6%B2%99%E4%B9%9F%E5%8A%A0%E6%B0%8F%E3%83%BB%E4%B8%8A%E5%8E%9F%E9%9B%85%E5%BF%97%E6%B0%8F%E3%83%BB%E9%87%91%E6%9D%B1%E7%86%99%E6%B0%8F%E3%83%BB%E5%B0%8F%E6%9E%97%E6%9D%8F%E5%A4%AA%E9%83%8E%E6%B0%8F%E3%83%BB%E8%97%A4%E6%9E%9D%E6%9C%89%E5%92%B2%E6%B0%8F.pdf
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1 はじめに
マリオの世界において、主人公がマリオで、姫がピーチという図式は変容していない。それと同時に、敵は人間でないという図式も同じく変容していない。マリオは道中で、キノコを具現化しているクリボーや、亀を象徴するノコノコを殺してゴールへと目指す。そしてボス戦では巨大な亀の怪獣を思わせるクッパを退治する。他にも「敵キャラ」と示すことのできるものは、花や魚などのように必ずしも人間のキャラクターでないことを共通項として述べることができる。同じキャラクターにはそれぞれに差異がない「アイコン化された」動物を殺すことで物語が進むのである。ゲームにおいて、マリオはキャラクターを一匹踏み殺すごとにコインという形で報酬をうけ、それが百コイン貯まるとライフが 1 つ増えるという仕組みを採用している。抽象化していえば、人間が動物を殺すことは正当化されているというより、むしろ推奨されているのである。ここには動物に対して、なにか絶対的な根拠を持たずに敵視し迫害するといった人間の種差別的な側面が明確に現れていると述べることが可能であろう。動物は人間により搾取される存在であり、人間は、当たり前のこととしてそれを教授する。現代において、動物差別をはじめとする種差別は、非難の対象になり得る。例えば、各国は、日本の伝統的な捕鯨猟に対して難色を示し、駅前では動物愛護をうたって募金活動をする集団も珍しくはない。つまり、現代の社会のなかで、動物の権利という論争は、珍しいものでなく、社会に広く浸透した論点なのである。しかし、マリオの世界観において、動物愛護派の目線から作品が提示されたことはない。構図は変化しないのである。それはどのような理由によるものなのか、社会とゲームはどのような関係性を持っているのかということについて本論では考察する。
単にファントミが人気上がってるからそっちに取られただけじゃ?客層もろ被ってるでしょ。
女児特撮シリーズも三作目で大分知名度広がって定番感も出てきたし、
リアリティ求める子はそっち行くよね。実写だし。
オウフwww
おっとっとwww拙者「言いました!?」などとついプリキュア用語がwww
ドプフォwww
ついマニアックな考察が出てしまいましたwwwいや失敬失敬www
まあ『まどか☆マギカ』へのカウンター・アンチテーゼとしての『プリンセスプリキュア』は純粋によく書けてるなと賞賛できますがwww
私みたいに一歩引いた見方をするとですねwww
ポスト魔法少女のメタファーと戦隊物のコマーシャリズムを引き継いだフォーマットとしてのですねwww
『アラモード』の幼児吸着性はアンパンマンでも見られる概念形成の発達がですねwwww
フォカヌポウwww
拙者これではまるで"ひまり"みたいwww
拙者は"やよい"でもござらんのでwwwコポォ