はてなキーワード: ROMとは
はい。出ましたまたお前の主観。もう、女性専用車両がどういうものかは結論出てんの。裁判でも、鉄道会社の広報でも明らかにしてる。
ウィキペディアによると
とあるが、この認識が違うと申すか?広報が言ってること、建前が全てだと?君頭大丈夫?違うのなら、名前を「痴漢対策車両」にでも変えればいいのであるが変えないのはこの認識を持っていただけるよう顧客に甘えてるからだという推測が成り立つ訳であるが。推測と感情からでてくる主観を一緒にしないでくれ。
お前が出来てないんだよ。思いっきり間違ってんの。それはもう指摘してる。反論しないで思い込みだけ語ってんのはお前の方だから。いい加減にしろよ。
間違ってるなら俺のように引用を用いて、ここが矛盾してるぞ!と指摘してくれ。というか、ここまで教えられないとできないのは煽り抜きで面倒だから、半年romってみたら如何だろう?
なんかまたコミケの女性レイヤーは過激だ露出狂だみたいな内容の放送が地上波で流れるらしいので、先に書いてみます。因みに私はただのカメコです。
確かにコミケに於けるコスプレでは、極希に肌色が多すぎる人を見かけることはあります。
全体からすれば誤差みたいな程度に過ぎませんが、肌色が多いが故に人を集めてしまい、結果的に悪目立ちすることがあります。なにせ「過激なコスプレほどRTされたりまとめサイトで取り上げられる」のですから。
特に前回の冬コミでは、エントランスと庭園エリアに於いてはもうちょっと空気読めという主旨の注意が出ました。
では何故、彼女らはそんな露出をするのか?という問になりますが、この問題を難しくするのは単にレイヤーといっても色んな考えの人がいるという点です。
二次元をただ忠実に再現した結果、そうなってしまった人の場合はきちんと露出対策をしています。遠目には分からないかもしれませんが、タイツを履いていたり谷間はシリコンの塊だったりするものです。
「そこまでして何で肌色が多い(ように見える)コスプレするの?」と問うのは、超マイナーネタの同人誌を書く作家に「何で殆ど売れないのに同人誌なんか出すの?」と問うのと同じことです。コミケは表現の場であり、一定のルールにさえ従えば表現することを許されます。何かを作りたい、表現したいという欲求の媒体として、紙を選ぶか自らの肉体を選ぶかは表現者の自由です。
では問題は、二次元の再現ではなくご自分の肉体美を見せたくて仕方ないと思われる極一部の方々……と、いうのは実は不正確な表現だと思われます。
勿論可能性としてそういう人もいるのかもしれませんが、わざと肌色を見せるアレンジをしたり布を捲って肌色を見せようとする方々は所謂コスプレROMをサークルで頒布するROMレイヤーと呼ばれる方である可能性が高いです。
確かに表現の手法やアレンジは各々の裁量であり、自由であるべきです。しかし、年齢制限を課しているROM収録のコスプレとほぼ同じ衣装をそのまま外に持ち出すのは果たして適切なのでしょうか。別イベントやサークル参加日にROMを買いに来いよ、という広告塔に見えて仕方ありません。
先の冬コミの庭園でも約1名、臀部にサークルスペースを書いたタトゥシールを貼り付けたROMレイヤーの人を見かけて大変残念に思いました。
(尚、多少は注意文の効果があったのか、毎度治安の低下を叫ばれる庭園は(その人が来たとき以外は)平和に感じたことを付け加えておきます)
コトノハ〇×(http://kotonoha.cc/)とは、数年前までは人気があったSNSサイトである。
mixiで一時期流行した「人生の経験値」を元ネタとし、トピックに対して〇×で評価するという独自のスタイルが特徴である。
トピックは「コト」と呼ばれ、ユーザー自身が投稿することも可能である。
しかしながら、少し前にそれを乱すユーザーが登場した。
ここでは、筆者が分かる限りのそのユーザーについてのいきさつを書いていく。
「鉄道ファンは俺の敵」、「〇〇(鉄道ファンのユーザー)は嘘つき」などと言った鉄道ファンを目の敵にするような投稿が増える。
上記の投稿を行うユーザーが、アイコンなどから鉄道ファンだとわかるユーザーの投稿のコメント欄を荒らすようになる。
駅名コトが同一ユーザー、並びにその同一ユーザーの副垢と思われるアカウントから大量に投稿されるようになる。
それに対して、「鬱陶しい」などの苦情を言うユーザーが多くなり、駅名コトの連投に辟易してコトノハから去っていくユーザーも増える。
他のユーザーが上記の連投行為に対して否定的だったことから、上記の副垢を大量に作成して連投を行ってきたユーザーが運営を騙るようになる。
「俺が運営だからみんな従え!」、「コトノハのルールは改革された!これから連投やエ〇投稿は自由だ!」などと言うようになる。
本当の運営者であるオオヒダタカシ氏が不在なことを利用し、運営気取りが始まる。
要約すれば、「リアルジャイアン」の登場。
今度は、「俺に同調しない奴はみんな敵!」、「ルール違反者なのだから何やっても良いだろ?」ということで、同調しないユーザーに嫌がらせを行うようになる。
特に、同調しないユーザーのアイコンに誹謗中傷の落書きを加えたアイコンで副垢を作成し、連投や暴言などのやりたい放題の行為を行うようになる。
上記のユーザーは、ユーザーの誹謗中傷や一部ユーザーの投稿晒し、自己正当化コトを行うようになる。
自己正当化コトとは、「自分の行為は全て正しい!」、「自分は人から嫌がらせされるのは嫌いだけど、人に嫌がらせするのは好きだ!」などの自己中そのものである。
ここまでくれば、なりすましなどの嫌がらせが嫌になってアイコンやアカウント名を変更するユーザーが増えてくる。
最初は複垢連投厨に反抗していても、変化なしでコトノハを辞めていくユーザーも出てくる。
殺害予告などの脅迫や、人権侵害等の違法行為を含めた個人攻撃も行われているため、警察や弁護士、IHC等への相談・通報を行うユーザーも登場する。
2018.07.19【New】
最近、コトノハには出戻り、若しくは全くの新規のユーザーで、純粋な心でコトノハに参加しており、複垢連投オヤジの実態を知らないと思われるユーザーが時々見られている。
このユーザーの何人かは大量連投されたコトに異常性を感じ、連投コトへの批判コメント、若しくは連投は可笑しいというようなコトを投稿することもある。(例:◯◯町長とか◯◯市長って削除しないんですか?)
勿論、批判した新規、出戻りユーザーに対しても、複垢連投オヤジの目に留まればアイコンに落書きした副垢作成やユーザー名名指しコトなど、以前からの例外に漏れず複垢連投オヤジは攻撃するようになる。
複垢連投オヤジは「コトノハオールスターズのおかげで新参や出戻りが増えた」と豪語していたが、実際に増えたのは複垢連投オヤジの副垢だけで、本当の出戻りや新参は今のコトノハを異常に感じ、複垢連投オヤジの行為を快諾する者は皆無なのであった。
2018.08.30【New】
複垢連投オヤジに対抗するため、複垢連投オヤジを叩くためのアカウント(叩き垢)が登場するようになる。その叩き垢は、今までコトノハに投稿せずROMっていた(閲覧専門だった)ユーザー、今まで通常のアカウントでコトノハに参加していたユーザーなど、コトノハに関して様々な境遇のユーザーが作成、操作しているものと思われる。複垢連投オヤジに対する批判や苦情は、メインアカウントで投稿しても意味は無いし、投稿しても上記のように複垢連投オヤジから攻撃を受けるだけであるため。
複垢連投オヤジはこのような叩き垢のことを便乗荒らし等と呼んでいるが、そもそも複垢連投オヤジが大量の複垢による大量連投やユーザー罵倒等をしなければこのようなアカウントは最初から存在することはないのである。
複垢連投厨は、様々な別称(蔑称)で呼ばれている。
主に5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)のコトノハスレとその界隈では「漫湖」。
コトノハ内では、「(複垢)連投オヤジ」、「(複垢)連投厨」、「(複垢)連投魔」、「(複垢)連投バカ」などが主流である。
※複垢は、複数のアカウントを所持・利用していること、副垢はメインアカウントに対するサブアカウントのことであるが、両方用いられることがある。
また、複垢連投厨は基本的に自分のことを「コトノハオールスターズ」と名乗っている。
これの略称として一度だけKAS(Kotonoha All Stars)と名乗ったことがあったが、KAS(カス)と読めてしまうため、「カスか、名は体を表すだな」というようなコメントを受けて一切KASという略称を使用しなくなった。
それ以降、稀ではあるが複垢連投厨が「コトノハオールスターズ」と名乗って投稿やコメントしているコトに対して蔑称として「KAS」が使われていることがある。
という流れである。
オタク歴も同人誌読者歴も20年くらいだし、ツイッター歴も長い私は、最近ようやく自分でも小説同人誌を出した。
といっても、これまでもweb日記を書いていたり、前ジャンルでは1年くらいだけど偽名でpixivに小説をポツポツあげてた。
でも今回は、イベントに出る時にちょっとくらい知り合いとか欲しかったので、小説書き用の名前でツイッターのアカウントを取った。
同ジャンルの人と交流したり、好きな書き手さん・描き手さんに感想を伝えて(これは読み専時代からやってるけど)認識されたり、読み専さんの突然の連投妄想に激しく同意したり、オフ会に出たり…と楽しくやっている。
作家さんに感想を伝えるのは緊張するけど、萌えの創造神達が迷いや不安に惑う時、少しでも負担を排除する要因になれればと思うから送る。もちろん、仕事のメールよりも100倍は気を使って、けれど興奮した気持ちだけは伝わるよう、最新の注意を払ってる。(結果、好きです…とかで終わる事もあるけど)
オフ会だって楽しい。好きなカプの話やプレイの話を、同じようにソレが好きな人とできるのだ。最高に楽しい。
…と思ってるんだけど。
pixivさえチェックしていれば、作品や同人誌情報は入ってきたから、ツイッターはリアル友達としか使ってなかったのだ。いや、中にはサークルしてる子もいるけど、二次創作界隈の話は流れて来なかったのだ。
だから今、すごくびっくりしている。
…あまりにも「二次創作小説が無価値なんて言うヤツは理解できない!小説はエロくていいぞ!あたしは大好き!」みたいなバズったツイートが複数流れてきすぎる。
もちろん私のTLに小説を否定する人はいない。とはいえ、同カプの絵描きさんで、字書きをひとりもフォローしていない人は何人もいる。でもまぁ、一般書籍を含め「小説を読まない人」なんて珍しくもないから、その方の神作品に心を込めてふぁぼを送る程度だ。神との距離は、本来これが適切だと思っているので特に気にしてない。ブロックさえされなければいい、見れればいい。
字書きdisったRTを見た字書きさん達が落ち込んで、過去の闇を吐き出したり、そんな事言う人ムカつく!と怒ったり。それを慰めて怒る絵描きや読み専の、一連のわちゃわちゃが、なんかすごく嫌だ。
大前提として、本人に聞こえる悪口はアウトだ。それは社会で生きる人間として当たり前のマナーだ。
それを踏まえた上で、
②擁護ツイートのいくつかは、小説の価値はエロだけだと暗に断言している事
③字書きのすり寄りが嫌い説が雑い事
コレが気になりすぎてヤバい。思わず語彙力も消し飛ぶくらいやばい。
①
街の人々が直近1年で、娯楽のために読んだ小説が平均何冊かご存知だろうか。
プロ作家ですら読まれない「小説」というものの、それも素人が書いたものを読まない事に、何故腹をたてるのだろうか?
世の中には様々な人が存在する。クラシックを聴かない人、運動しない人、オリンピックを見ない人、声優に興味がない人、オタクじゃない人。二次創作小説を読まない人も、普通にいるだろう。私だって、男女カプの同人誌や少女漫画は読まない。…なんだか気恥ずかしいんだ…もちろんdisったりはしないよ!
そういう娯楽についての嗜好は、誰かにただされる必要はないのでは?
漫画だって、下手なら読まれないし、変態レベルの高いエロだと嫌いな人もいるし、片想い止まりは読まない人はいる。読む人が何を読みたいかは、読む人の自由なのだ。
②
小説同人のエロ最高説で反論されても、エロの無い小説は??と思ってしまう。
感動する話やカップリング要素のない話に価値はないのだろうか。
私自身、二次創作小説はエロとギャグと、渾身のガチ考察ifルート感動系など、何でもかんでも読むし買う。エロのある本だとニッコリ笑顔になるので、エロはあるほうが嬉しい。けれど、小説にはその価値しかないと暗に言われてしまうのは、とても残念だ。
バズった擁護ツイートへの感想なので、前後にはなんらかのフォローがあったのかもしれないけど。重要なのは、バズってる(=皆が同意・注目した)のはソコだけ、という物理的な事実なのだ。
まぁこのあたりも、「世の中にはエロ必須な人もいる」という前述の現実で解決するんだけど。小説擁護の旗としては、あまりにも悲しい物だったなと思った。
③
字書きが他人と交流すると、それはすり寄りになるのか?このあたりの同人界隈作法は、初心者の私にはよくわからないので、誰か解説してほしい。
絵描きさん同士ですり寄りは存在しないのだろうか?というより、すり寄りって何?仲良くなったらダメなの??
コスプレ界隈のすり寄りなら、その人と並ぶと注目されるとかROMがどうとかあるのは想像できる。けれど、個人で作品を作る二次創作界隈において、他人と仲良くなる事に「楽しい」以外のメリットがあるのだろうか…?
合同誌や表紙挿絵など??嫌なら断ればいいのでは…?依頼もウザいってこと??
私にはよくわからない。少なくとも今、字書きさんとも絵描きさんとも読み専さんとも交流してるけど、仲良くなりたいのは性癖かノリが同じ人だけだ。共に推しカプをチュッチュペロペロして男ふたりの未来に乾杯したい人だけだ。皆それが目的で交流してるんじゃないの??
これについては、自分が何らかのタブーを犯してしまう前に、界隈のマナーみたいな物は学びたいと思っている。
バズった罵倒を参考にしようとしたけど、ゼロ距離タメ語がどうとかリクエストがどうとか、字書きに限らずオタクとして犯してはならない常識ばかりだったので参考にならない。『字書き=すり寄り』って何なの??
交流なんか、個人同士のやりとりなんだ。外野がとやかく言うべきではない。
そして、小説書きにそういう奴しかいない!と嘆くなら、絵描きにそういう奴はいないのか、そもそも小説書き何人と絵描き何人の割合で判断したのか、その年齢分布数などもあわせて出してほしい。それも無く「字書きに多いすり寄り系、嫌いだわ」だけ言われても、そこに自分が含まれているのか、含まれる含まれないの明確な境界は何かわからず、ただただ落ち込むだけである。
他人に牙を剥くなら、それ相応の準備をすべきだ。殺すならしっかり殺してくれ。貴様が気楽に握ったその曖昧なナイフは、すでに他人に向けられているのだ。それ相応の覚悟で突き立ててほしい。
けれど、これと似た台詞は、たくさん投げつけられてきた。
最近の若者はなっとらん。
私の人生でいくつも見かけてきた、なんだか乱暴なdisの数々だ。
狭い世界で生きている人間が、1人や2人から与えられた数少ない体験を、さも世の理かのように語る。井の中の蛙じゃないか。愚か者め、恥を知れ。
一連のRTでモヤモヤした事を書き出してみたので、だから何とかは無い。けれど、140文字で呟くには、あまりにとモヤモヤが大きすぎたので、この場を借りた。
「長い」
それは…まぁ、…すいません。
長いよね…うん。
でも短いと伝えきれない事がある、だから今回は、長い事は必要な事だったんだ…。
でもまぁ、とにかく。
二次創作界隈の「字書きdisと、それに対する怒りと擁護」には、なんだかちょっぴりうんざりしている、この気持ちだけは無かった事に出来なかった。
それに触れてツイートする事で、それを知らない人がどんどん嫌な気持ちをおすそ分けされているんだ。今の私のように。どうせ腹の立つ思想と戦うなら、もっと本気で戦おうよ。
悪い感情を否定するのに、悪い感情を返すだけだと意味がないんだよ。
もしそうやって戦うのが難しいのなら、せめて落ち込んだTLの空気を一新すべく、何か楽しい話題を連投しよう。無理ならちんちんの話でもしよう。
腹の立つ思想のやつもいるだろう。けど、そいつに引き摺られて、怒りを撒き散らしても何のメリットもないんだわ。
私はTLでは、絶対にこの話題には触れない。匂わせもしたくない。何度もやりかけたけど、あれ以上空気を濁したくないからやめた。
そういう話題が流れて空気が重くなった時こそ、楽しい話をするのだ。腹立つ奴をぶん殴るには、それが一番手っ取り早い。相手にしない事だ。
私は、嫌な思想を引き摺って撒き散らすだけの人間には体験できない愉快なTLで、同じ性癖の人たちと、おもしろおかしく暮らしていくつもりだ。
====
私はROMが基本だが、たまに好きなものを好きなときに二次創作をしストレス発散もしている。
そのCPは旬ジャンルの王道CPだった。Aジャンルとする。Aジャンルは需要も供給もあって、たくさんの人がいて、私もそのCPが好きなので二次創作をしていた。
私ははっきり言って技術は拙いし、面白い話もかけない。けど誰かに見てもらって評価されたいというよりは、日ごろのストレスを推したちを幸せにしたり、苦難を乗り越えさせたりすることで晴らしていたんだと思う。
そんな私の作品を見てフォローしてくれたり、フォロバを返してくれたりするひともちらほらいて、ツイッターで交流もそこそこさせてもらっていた。
私は二次創作を好きなときに好きなだけして、かきたい部分をかきおわったらROMに戻るというのがよくあるパターン。
ジャンルに冷めたというより、私は二次創作をしていることでそのジャンルが好きだよと伝えているつもりはない。どちらかというと原作の情報を追わなくなったときが冷めたときだ。もちろん、二次創作をしなくなってもそのCPのことは好きだし更新がないかを確かめたりもする。
今回も、そのCPでかきたいことは今のところかき終わったかなあと一か月ほど思っていた時。私はとある別ジャンル(Bジャンルとする)に出会った。
もうすごい勢いで二次創作したくなった。
というかした。
十年以上前かつマイナーなせいもあって、人はほとんどいなかったが、私はその漫画の推しCPの話をひたすらかき殴り続けた。楽しかった。
すると、その漫画が好きなひと(かなり古参の方)が数人フォローしてくださり、私はこんなこともあるのかと感動し咽び泣いた。そして楽しくおしゃべりしていたのだが、Aジャンルのフォロワーがとつぜん「もう〇〇のこと好きじゃないの?」(これはかなりマイルドにしたほう)などと当てつけのようなことを言ってくるようになった。
かなり驚いた。
好きだけど?と言っても信じてもらえない。
そういう遠回しな嫌味が続き、なんだかもう面倒くさくなってきた。
好きって言っても信じてもらえないんじゃどうしよもないじゃんか。と思っていたころ、Aジャンルの推しCP、もうかかないの?と聞かれた。
今のところはかくネタもないし、かかないよと言った。
Bジャンルはかくのに?と言われた。
そりゃ、Bジャンルではまだかきたいことがあるしね。
なんだかAジャンルのフォロワーと何かがかみ合わないことに気付いた。
私はひとつのジャンルだけで10年二次創作をすることはまず出来ないしするつもりもない。
10年以上好きなゲームはあるけど、そのゲームの二次創作だけをしているとかではない。
向こうが望んでいるのはそういう一途な私なのだろうか?と思った。
旬ジャンルだからか、そのジャンルの話をずっとしている人は多い。
対して10年以上前の漫画ともなると新たな展開もなく、それが好きな人も違うジャンルの話や二次創作を普通にしている。
急にAジャンルが窮屈に感じた。
すると大好きだったAジャンルの推しCPにもぜんぜん萌えなくなった。
そんなことで…と思うかもしれないが、苦手になる理由のきっかけは些細なことが私は多い。
二次創作をしていないと、そのジャンルを好きだと言えないのかな?
私は二次創作なんて公式から見逃されて成り立っているグレー趣味なのだから、そんなことはないと思う。
そんなことよりグッズをたくさん買うとか、原作を布教用に追加で買うとか、アニメ化したら円盤を買うとか。そっちのほうが偉いんじゃない?
二次創作が宣伝になるとか思ってるなら調子に乗るなと思う。たとえ二次創作から原作に興味を持った人がいたとしても、二次創作をしている側がそういう考えを持つのは恥ずかしいことだと思う。
個人的にだけど、二次創作をしてグッズを買わないオタクより、グッズを大量に買って痛バを作るオタクのほうがかっこいいと思う。
平成生まれ、今までずっとROM専だった私が、結婚してから同人活動を始めたらとんでもなく楽しいっていう話。
腐女子になったのは小学生だったかな?きっかけは従兄弟に読ませてもらった某少年漫画のweb二次創作小説。今までそんな世界があることを知らなかった私はそれはもうのめり込んだ。だって今まで原作しか語られなかった好きなキャラの、過去や未来やifが読めるなんて!元々本を読むのが好きだったのもあって、好きな作品のありとあらゆる小説を、漫画を、BLもオールキャラギャグも夢も読みまくった。
ただ、きっかけがwebだったから、イベントの存在なんか知らなくて、もちろん二次創作雑誌も知らなくて、リンクやサーチを廻ってはROMするだけの毎日。周りの友達にそういう話は一切しなかったから、感想などをいう人もいないし、自分で二次創作もしないし、ただただ読むだけの受け手だった。
ROM専だったのは、自分の知らない物語を読むのが好き、から入ったせいで完全雑食なのも理由だと思う。本当に駄目なものがなくて、周りには沢山の知らないお話があって、それだけで満たされていたから。自分で創作する必要がなかった。
もうどうしても感想とかを言いたくて、ツイッター垢をとって。そこからイラストを描きはじめて。ツイッターでみんな即売会の話をしてるから興味を持って。
実際行ったら私の知らない世界だった。みんなとってもキラキラしてた。熱気が凄かった。一体感があった。みんなの好きが溢れてて、テンションマックスになって、思わず涙ぐんでしまった。
スポーツとかで感動した時とか、心臓破裂しそうになってドキドキして、涙が出そうになるときあるじゃん?あれと同じだった。本当に凄かった。みんな、こんな楽しい空間を知ってたのか!!って思った。
一度その空気を味わったらもう駄目だった。向こう側の空気も知りたくなった。一般参加でこんなに最高の空間なら、サークル参加してしまったらどうなるんだろう?って。気がついたらサークル申し込みをしていた。
サークル参加するからには、なんとしてでも本を出したかった。スペースの上に本があるのに憧れたから。全然慣れないイラストで、人生ではじめての入稿をした。
最近はいいよね、知りたいことは大抵ネットに載ってるから。同人友達がいなくても、気軽に聞ける人がいなくても、自分だけでなんとかなるもの。
当日。
3人の人が本を買ってくれた。まさかだった。実はジャンル最大手CPなので他に沢山の素晴らしい作品があったから、お世辞にも上手いとは言えないイラスト本(愛と気持ちは込めたけど)に出すお金は余るとは思えなかったから。だって凄くない?沢山あるスペの中で、沢山ある本の中で、限りある予算の中で、私の本を買ってくれるなんて!!って。3人だよ3人。凄い。
他にもハンドメイドグッズを出してたんだけど、わざわざお品書きを印刷して買いに来てくれた方とか、通りすぎようとして戻ってきて買ってくれた方とかいて。本当になんかもうサークル参加してよかった、って思った。
買ってもらえたとき、買わなくても立ち止まって見てくれたとき、もう心臓バクバクで。例えるならスポーツで一発逆転大チャンスのときみたいな興奮で。これは病みつきになってしまう、って思った。
同人誌出したら、出さなかった頃の側にはもう二度と戻れない、って言われる理由がわかった。
誰にも買ってもらえなくても、全然気にしないつもりだったから余計にそう思ったのかもしれない。
このジャンルにはまるまではROM専だったから、イラストなんか描いてなかったし、お世辞にも上手いとは言えない絵で。
ただ大きなジャンルだからサンプルはまあまあの人に見てもらえたんだよね。それだけでもテンション上がってて、もう満足だった。
沢山の人に見て欲しいとか、勿論承認欲求もある。でも元々ROM専だから感想もらえたらラッキーぐらいのテンションだったし。サークル参加の空気を吸いたかっただけで参加したから。
でももう私は知ってしまった、他人に自分の創作物を認識してもらう快感を。手にとってもらえる感動を。イベントの空気を。参加者の一体感を。あれはシャブだね。本当にすごい。死ぬほど楽しい。やばい。語彙力がないけど本当に本当に筆舌に尽くしがたいものがある。
ここまで書いて結婚のけの字も出してないことに気づいてしまった。
同人活動にはまるのに年齢は関係ないし、遅くてもすごく楽しんでるよ、って世の中に言いたい。私は今毎日楽しいし、次どうしよう、って何を描こう、って思ってる。
勿論パートナーの理解があるからこそ楽しめてる、っていうのはあるけど、結婚してるから、って思わなくていいよ、って言いたい。
自分も今すぐ無言粘着は辞めるべきだと思うけど、粘着って一度始めちゃうとかなり強い意志や時間による風化がないとやめられない
という経験からの他ジャンルで気を紛らわせたらどうかなあ…でした
これは自分もすごく気になっている。どうして自ら創作もするのに人の作品に対してROMに徹しようとしたのか知りたい。
本気で好きでここまでの情熱があるのなら、Twitter捨て垢取ったり、支部捨て垢とって長文メッセージを送ったりなんて匿名でやろうと思えばいくらでもできるはず。
それらの行動に至らなかった点で口だけだなあと思った。
以下想像だけど、多分元増田はCPやその作家に対する愛よりも、自己愛が勝っちゃったのかな?と思う。
二次創作はするけどこの作家には勝てないから保身のため公開していない。
勝ちたいというか、CPが好きな気持ちは自分の方が最近は勝っている。
だから感想を伝え、影響されたと本人に伝える今の自分は負けだ。
しかし作家が居なくなって、今までの自分はなんだったのかという虚無感。
好きと嫌いって似てるし、相手が好きで見ていたいだけじゃなく、
相手に自分が勝ってるか負けてるかを確認するためにtwitter粘着してたのかなあ、とか
飛躍しすぎかもしれないけど。
やべぇ腐女子のやべぇ言いがかりだし、文章も感情的で取り留めないのでご留意ください。
めちゃくちゃにハマった。
何をやってもそのカプのことを考えてしまうくらい、これを書いている現在もハマっている。
ちなみにBLのカップリングです。ここではそのカプをA×Bとする。
なぜめちゃくちゃハマったかというと、めちゃくちゃ最高な二次創作に出会ったからだ。
人によってカプにハマるきっかけは色々あると思うが、その勢いを加速させるのは最高な二次創作との出会いであることが多いのではないか。
というか、私の場合はそうだ。
私にとってその「めちゃくちゃ最高な二次創作」はかなりの衝撃だった。
読んだ瞬間から私に決定的なカプ観を植え付けるとともに、
何度も何度も、台詞を覚えてしまうほど読み返し、「はじめにその二次創作ありき」と言えてしまうほど、私の中ではジャンル自体の象徴にまでなった。
そのくらい、一瞬で心をガシッと掴まれ、体ごと持っていかれた。引き摺り込まれたというやつだ。とにかくその作品が私に与えた影響はすさまじかった。
私は作品を読んだ後、すぐにその作者(以降Aさんとする)のツイッターを覗いて、ホームをブクマした。
…これを聞いて引く人もいると思うが、私はファンになった作家のツイッターは、鍵垢でもない限り基本はフォローせずブクマするタイプで、
さらに言うとツイートだけではなく個人へのリプライまでもくまなく見るタイプだ。
Aさんのツイッターアカウントはほとんどが日常のつぶやきで、それも一日に多くて2、3ツイート程度の、とても大人しいアカウントだった。
そういうものなんだと思ってしばらくは黙って見ていたけれど、
私はとにかく飢えていた。
私の好きなA×Bというカップリングは世に言うマイナーカプというやつで、毎日どこかで誰かが作品を更新してくれるようなカプではない。
(絶対数が少ないというのもあって、Aさんの作品は私の中でより神格化されていたんだと思う)
飢えていた私は、Aさんの語るA×Bの話がなんでもいいから見たくて、彼女のツイッターを遡れるところまで遡った。
すると、どうやら、Aさんは2、3ヶ月前まではけっこうA×Bについてあれが萌える、こういうシチュが見たい、という話をしていたし、
A×Bの妄想だけで一日に数十ツイートを費やす日も多くあったようなのだ。
むしろ日常ツイートのほうが少なく、当時のAさんの話題のほとんどは、A×Bや、Bという推しキャラクターについてだった。
一年ほど前には、『これからもずっとA×Bの妄想だけして生きていきたい』などと熱の入った発言までしていた。
それが、ある頃からカップリングの話をあまりしなくなり、ツイート自体も減っていき、私の知るような大人しいアカウントへと変わっていった。
その状況を私はROMとして見守るだけの、さみしいような期間がしばらく続いた。
ある日、変化が起きた。
ツイッターに、Aさんが別のツイッターアカウントのリンクを貼った。
AさんはA×Bを描いてはいるが、読み手としては雑食らしく、雑食アカウント的な位置づけとして新しくアカウントを取ったということだった。
当然、私はそのアカウントを見に行く。
そのアカウントは作られてからそこそこ日数が経過していたようで、そこでのAさんは、
元のアカウント(A×B垢とします)での大人しさが嘘のように、あれやこれやと別カプの話を楽しそうにしていた。
A×B垢に姿を見せない間、Aさんはずっとここにいたのだ。
多分、その新しいアカウントでAさんが語っていた話がたとえば、C×B(攻め違いの別カプ)の話であったなら私は、こんな記事を書いてはいなかった。
けれど、Aさんが雑食と言いながらも新しいアカウントでメインに語っていたのは、C×Aだった。
私からすると、自カプの攻めが、受けをやっているカプ。
これを見て、だから何だよ、と思う人がきっと多いんだと思う。私もそういう、雑食気質なら良かったんだけど。
でも私は、うわっ、と思ってしまった。
地雷というほどの拒否反応はないけど、好きではないカプだったから。
よりにもよってそこに行くのかよ、と思わずにいられなかった。
だけどそのアカウントでのAさんはとにかく楽しそうで、活き活きとしていた。
Aさん曰く、A×B垢ではフォロワーの地雷を憂慮してできなかった話が自由にできる!とのことだった。
それからのAさんは、C×Aの話をメインにその雑食用アカウントに常駐するようになった。
A×B垢では、ほとんどつぶやかなくなった。
Aさんは、新しいアカウントではA×Bはおろか、Bの話をほとんどしなかった。AさんはB推しだと言っていたはずなのに、まったく、名前すらもでない。
B推しの人たちが沸かずにはいられない熱い展開が原作にあったときですら、Aさんは別アカでC×Aの妄想をずっと話していた。
Aさんの心が、C×Aにハマったことをきっかけに、A×B、ひいてはBから離れていっているのだと、否が応にも察することができた。
それでも、A×Bアカウントでたまに、Bの話をしてくれるなら。
頻度は落ちてもまたA×Bを描いてくれるなら。
そう思って私は、新旧どちらのアカウントも眺めつづけた。
私はドキッとした。
焦った。
その焦りは、AさんがもうA×Bに戻ってこないかもしれないという焦りだった。
読んでいるだけのときと、一度でも自分が創作する側に回ったあとでは、カップリングへの愛着に格段の差がつくってこと。
C×Aを読むだけで満足していたAさんが、ついに二次創作を始めた。
本格的にハマる、ハマってしまう、そう思った。
Aさんは素晴らしい作品を描く。
私はそれをよく知っている。
C×Aは、A×Bの10倍以上の投稿数がある、言ってしまえばジャンル内最大手の王道カプだった。
Aさんは素晴らしい作品を描くのだ。
A×Bのときの比じゃないくらいたくさんの人に読まれ、感想を送られ、Aさんは感激していた。
Aさんの承認欲求というやつが、王道カプの勢いによってじゃぶじゃぶに満たされていくのが見えた。
絶望的だった。
C×Aでこの快感を味わってしまったAさんは、このままC×Aでの活動を続けるだろうと思った。
前ジャンルと言った。
おそらくA×Bのことだろう。
彼女にとってA×Bはもう、『前』のジャンルになってしまっていた。
ああ、と思った。
ぐるぐるしていた焦りが消えて、いっぱいの泣きたい気持ちに変わった。
そうじゃないと信じたかったけど、やっぱり、AさんはもうA×Bに飽きてしまっているんだ。
AさんはBを好きじゃなくなってしまったんだ。だってBの話、全然しないもん。
ショックだった。C×Aというカプに強い嫉妬心を覚えたし、Aさんの言う『前』ジャンルにいる私が、否定されているような気にすらなった。
ちょっと、待ってくれ、と引き留めて縋りたかったけど、何もできなかった。
なぜなら私はAさんのアカウントをフォローすらしていない、Aさんにとって何者でもない、見えない存在だ。
Aさんがどういう行動をとったところで、私はけっきょく、何もできないのだ。
それからは、Aさんの些細な発言に私はいちいち卑屈な反応をするようになった。
自分がみるみる嫌な奴になっていった。
『C×Aで××なシチュが見たい!』
『××はC×Aソングだと思う!』
…その曲、A×Bソングとして挙げてた曲だ。
『C×A界隈ほんといい人ばかり!楽しい!』
…A×Bはそうじゃなかったから楽しくなかった?
『私がこれだけC×Aにハマれているのは、C×Aの描き手さんの素晴らしい作品のおかげ!』
そんなつもりで言ってるわけじゃないと分かっているのに、勝手に卑屈になって、AさんがC×Aを持ち上げるたび、A×Bというジャンルに当てつけられているような気になった。
AさんがBの話をまったくしないことも相まって、AさんはC×A(A受け)の人たちに溶け込むためにA×B(A攻め)だった過去を消そうとしている、A×Bに砂をかけている、とも思った。
そんなことはないと理解していても、やっぱり勝手に、そう思った。
べつにAさんが、何か悪いってわけじゃないのに。
Aさんの中でA×BやBに対する興味が薄れたことが明らかになっても、それでもA×B垢のほうは一応、ほぼ放置アカウントのような状態で存続していた。
AさんはC×Aメインの人になってしまったけど、でもA×Bのアカウントはまだあるから、メインカプではなくなっただけで、まだきっとA×Bのことがちょっとは好きなはず。
私はそれを拠り所のように感じていた。このアカウントがある限り、やっぱりいつか、AさんはふらりとA×Bに戻ってきてくれるんじゃないかと希望を持てた。
だけど、Aさんは結局、A×B垢を消してしまった。
すごく軽い感じに、消しますね〜(^-^)と宣言して消してしまった。
さらには投稿していたA×B作品も、特に反響の大きかったもの以外ほとんどを削除した。
Aさんは雑食と称した実質C×A垢に完全に移行し、C×Aの二次創作を投稿をする人に変わった。
私はストーカー気質のやべぇ女なので、A×B垢が消えた瞬間に、AさんがC×Aアカウントでフォローしている人をすべてチェックした。
Aさんのフォローのなかに、A×BまたはB受けを扱っている人はひとりもいなかった。
A×B垢で相互フォローだった人たちとも、新しいアカウントではほぼ繋がっていなかった。
Aさんが軽いノリで消したA×B垢には、数年分の、けっこうな数のフォロワーがいた。
それらすべてを、A×Bというジャンルで得たものすべてを、Aさんは切り捨てたのだと私は感じた。
C×Aに移るために、C×Aの人たちと仲良くするために、A×Bで得た繋がりや、交流は、邪魔だったのだと。
私はそれを、裏切られたみたいに感じてしまった。
雑食と言いつつ、たぶんAさんはもうA×Bを読んだりしていないのじゃないか。きっとそうだろう。
そう思うと、Aさんが憎いような気がしてしまった。
ツイッターのつながりなんてプラレールの連結よりも軽いものだし、
ツイッターや二次創作は個人の趣味であって他人のためにやっているものじゃないし、
アカウントやジャンルの移動、垢消しなんて、気兼ねなく各々の自由にしていいに決まっている。
そのとおり。正論だ。
でも、そういう正論を理解したつもりになっても、感情的な部分っていうのはうまく抑えられない。
私はAさんと話したこともないし、A×B垢もフォローすらしていなかったROM中のROMなのに、
こんな一方的な執着を持って、自分をたいがい怖くて気持ち悪い奴だとも思う。
だからこれは、本当に、
ただの、言いがかりなんだけど、
Aさんみたいに、簡単に好きなものが変わっちゃう感覚、信じらんないよ。
同人界隈では「宗旨替え」なんて聞こえがいい言い方をするようだけど、それって要は心変わりだ。
後から現れたほうに目移りして、コロッと好きが変わっちゃう人。
その軽さ、少女漫画の女の子みたいに浮ついていて薄情に思えるよ。
私は昔から一度好きになったものは変わらずずっと好きでいるタイプだったし、
子供の頃に遊んだおもちゃだって全部とってあるようなヤバイ奴だから尚更、理解できない。
そりゃずっと同じもの好きでいたら気持ちの鮮度は落ちるし、他の新しいものを好きになってそればかりに夢中になることは私もあるよ。
だけど、好きが増えることはあっても、今まであった好きが消えたことは私はない。
嫌な思いをしたというのならしょうがない。だけど、そうじゃないのに、
「新しく好きなものができた」という理由だけで一度好きになったものを簡単に捨てられる人、どんだけ薄っぺらいんだと思う。
今まであった好きだった気持ちはどこへ行くんだ?
消えるの? 無くなるの?
人間そうやって変化するのが当たり前で、ずーっと同じものに執着し続けられる私みたいな奴が異常なのかもしれないけど。
だけど私はそういう異常な奴だから、Aさんを見てこう思っちゃうんだよ。
ずっと好きでいるみたいなこと、気軽に言うなよ。信じちゃったじゃん。
信じちゃったから、あなたのこと、嘘つきって思っちゃったじゃん。
『前』ジャンルの人から見える場所で、そんなに楽しそうにするなよ。
それを言われるたび、『前』はつまらなかったって言われているように捉えちゃうんだよこっちは。
今のC×Aで得たつながりを、Aさんは有難いですって事あるごとに言う。
言うけど、
同じように有難かったはずのA×Bで得た繋がりを、あなたは簡単に捨てたじゃないか。
だったら今のC×Aで得た繋がりも、また少女漫画の女の子みたいに好きなものがコロッと変わったときに、あなたは簡単に捨てるんじゃないのか。
それなのに、いずれ捨てる可能性があるのに、それを、今だけ大事なものみたいに扱うの、よく分かんないよ。
あなたがそうするたびに、私みたいな、他人の変化を受け入れられない異常な奴はきっと、裏切られたって思うよ。
…もちろん、好きなものに正直でいるAさんが悪いことは、ひとつもない。
これはただの異常な奴の言いがかりだ。ごめんね。
そうして私はいまだに、AさんがまったくA×Bの話もBの話もしなくなったC×Aのアカウントを、フォローせずブクマしてツイートを毎日追っている。
Aさんが楽しそうにC×AやA受けの話をするたび、つまらない気持ちになりながら、それでも見ている。
楽しくないならやめればいいのにと思うのに、やっぱり見てしまう。
自分に圧倒的な画力があって、上手な漫画が描けて、それで最高の小説が書ければ、
離れてしまったAさんのA×Bへの関心を再び取り戻せるような、そんな作品を生み出せるのに、と。
そういう、ガキみたいなことを考えてしまう。
そして毎日、悔しいと思う。
そんな作品はたぶん空想の世界にしかないんだと分かってもいる自分が。
いっそC×Aの人たちが致命傷を負うような絶望的な展開が原作に訪れたらいいのにな。
そうすればスカッとするかも、とか、性格が悪いことを考えたりもする。
Aさんの好きなC×A作家たちが一斉にA×Bにハマりだして、
Aさんも焦って「私もじつはA×B好きだったんです」みたいなこと言いださないかな。とかね。
我ながら呆れるくらい幼稚な発想なんだけど。
自分じゃどうすることもできないから、自分以外のありえない力や奇跡みたいなものを空想して、そうやって自分を慰めるしかないのだ。
じつに虚しい。
たとえば一方的にフラれた恋人にすぐに新しい恋人ができたりしたら、こういう心境になるんだろうか。
つまり私は半ば恋に近いような執着を、Aさんに抱いているんだろうか。
いや、でも、こんなしょうもない感情が恋心に近いものだとは思えないな。じゃあ何なんだろうな。
今の私の中にあるきもちは、もうファンの心理とは言えないような気がする。
それは作品を楽しむというよりは、A×Bを捨てたAさんがC×Aでどんなものを描いているのか確認してやる、という思いで読んでいる。
もはや監視の一環みたいな。
純粋にAさんの作品に感銘を受けた、あの最初の気持ちが今はもうどこにもない。
Aさんが好きなのか嫌いなのかよく分かんない。
なのにAさんに執着している。
Aさんの気持ちがA×Bから離れてつらい、寂しい、という気持ちだけが、
はっきりと私の中にありつづけている。
はーー。
なにが虚しいって、こんだけの文字数で思っていることを吐露しても、まったく心に変化がないってことだ。
Aさんが楽しそうに今のカプを語るたび、遣る瀬無い思いをし続けるんだろう。
いつになったらAさんのことがどうでもよくなるんだろ。
早くそうなってほしいな。そうなってくれ。
ところでこれを読んでいる人は、ここまでの内容を一体どういう目線で読んでいるんだろうか。
うわっ世の中にはやべぇファンがいるんだな、めんどくせぇ、んなこと知らねーよ、好きにさせろ。て感じかな。
そんな事でそこまで拗らせるのはおかしいよ…他人に執着しすぎだよ…大人になれよ…。て感じか。
どっちも正しい感覚だと思う。
ただ、世の中にはこういうおかしい奴もいるんだという、それだけの話だ。
唯一救いがあるとすれば、ここに書いた煩悶はすべて私の中だけで閉じた感情であって、
Aさんになにか批判的なメッセージを送ろうとか、嫌がらせをしてやろうとか、
そういう気持ちが…まったくないとは言わないけど、
それを実行しようという気が私の中に無いことがせめてもの救いだ。
自分のわがままに他人を巻き込んじゃいけないっていう当たり前の倫理観が、ちゃんと機能してくれている。
それだけは本当に、良かった。
私は最初から最後まで一貫して、Aさんの視界には映らない何者でもない存在であり続けるのだ。
Aさんのことをちゃんとフォローして、あなたのA×B作品が何よりも好きですと一言でも伝えていたらよかったのかな。
そんなことは無いかな。どうだろう。今更か。
結局わたしは、憧れていたAさんが私と同じものを好きじゃなくなったって事実を、許せていないだけなんだろう。
それだけのことでこんな長文の駄々をこねて、精神がガキすぎて話にならんな。
こんな地雷女のいるA×Bから離れたAさんは正解なのかもしれない。
せめてまったく別のジャンルに行ってくれていたら、こんなことは思わなかったのに。
同ジャンルの苦手な別カプに行くって。大好きだった分きついよ。
いっそこの気持ちを糧に片思いストーカーBLでも描いたらいいかな。
ガハハ。
あー。ままならねぇ
最近、というか数年前からのSNS界隈を見ているとどこを見ても情弱ばっかりでうんざりする。
TwitterでもFacebookでも5chでもあからさまな創作やデマに釣られる奴ばっかり。
これを見て、「わざと釣られてるんだよ。」「ネタもわかんねぇのか。」と思う人もいるだろう。
ひろゆきの言葉に『うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい』と言うものがある。
インターネット黎明期の2chでも今とやっていることはあまり変わっていなくてやっぱり創作やデマで溢れていた。
でもみんなはそれらが嘘だってことをわかっていてその上で嘘を楽しんでいた。
でも今はどうだろう、やっぱりみんなが嘘を楽しんでいることは変わりないけど嘘を本物と思っている人がいる。
それに、匿名性がどんどん薄れてきてニュースも扱えるようになって情報インフラになりつつある。
そんな時代にSNSユーザーが情弱ばっかりだったらどうだろう。
インターネットの世界では情報の正確さは拡散力には負けてしまう。
その時の被害は動物園の人がちょっと忙しくなっただけで済んだ。
学ぶことと考えることを知らない情弱野郎達は再びデマを撒き散らすだろう。
情報弱者の略語ではあるが、意味はよりシンプルだ。バカ。著者のことである。
今日まで、9年に渡ってiPhoneとApple製品を使い続けてきた自分は、少なくともこの類の人間ではないと信じていいた。
2008年 秋 日本発売された直後のiPhone3G欲しさに、「お義父さんストラップが貰える」『料金が安くなる」などと吐き、家族全員をドコモからソフトバンクへ移行させることに成功する。11月 当時中学2年生オタクまっしくぐらの自分はついに念願のiPhone3Gを手に入れた。
説明書はない。今のようにまとめサイトや聞けば誰かが優しく教えてくれるSNSもない。
ひたすらGoogleで調べ、信頼できそうなブロガーの記事を見つけ、そこのコメント欄からコミュニティーが広がり、
更に別の良質な記事を見つけ、トライアンドエラーを繰り返すことで、iPhoneを使いこなしていった。
SBの店員すらもよく使い方や設定すらもよく分かっていなかった当時、頼れるのはネットの向こうの見知らぬおじさんたちしかいなかった。
某巨大掲示板で半年ROMってギズモード・ジャパンやライフハッカー、ギガジンのリンクを踏み、痛いコテハンをつけたり、最初は手探り手探りでiPhoneの設定や使い方をマスターしていった。
その中でも最もよく利用していたのが、個人ブロガーするぷ氏の和洋風(現在は和洋風カイ)とスタートアップ期のAppBankの運営するiPhoneBBSだ。
書いてるだけでも懐かしくなってきた。
するぷ氏の優しいお兄さんのような語り口の文章は厨房の自分にも非常に分かりやすく、かつブロブのデザインもおしゃれでセンスが良かった。たまーに出て来る技術的な話も、グーグル先生片手に必死に読んでいた記憶がある。
このするぷ氏の匠な技のせいで、私はAppleとジョブズ、そしてiPhone さらには水樹奈々を愛するようになってしまった。
iPhoneBBSでは主に他のユーザーとの情報交換が主だった。
どうすればプロバイダメールをiPhoneで受信できるか?といった何気ない話から、最強の脱獄アプリは何かと言った少々アウトローな部分まで。
流石に当時の少ないアプリ数ではAppleの監視の目が厳しかったのか、
脱獄関連のスレッドはAppBank運営サイドによって一瞬にして消されるようになり、運営兼ライターの方「配信停止になるから脱獄の話は頼むからやめてくれ」と懇願されるまでになったことをなんとなく覚えている。(違ったらごめんなさい)
ほかにも高校生起業家 うめ◯ん や 勝間某といったiPhoneやTwitterの黎明期の有名人が色々いたような気がするけどまぁいいか。
閑話休題。
先述のような試行錯誤の成果が全て自分のiPhone3Gの中に入っていた。
アプリの配置から、内容まで自分だけのiPhoneが仕上がっていたと自負していた。
最新版のOSの動きが鈍い事にしびれを切らし、契約更新の際、iPhone3Gは一気にiPhone4に進化した。
圧倒的に美しいRetinaディスプレイ、信じられないにパワフルになったA4プロセッサに加え、従来のデザインを刷新して両面を強化ガラスに変更。側面の削りだしのアルミもかっこよかった。
この時、私は、iPhoneの、性能やデザインとは全く異なる強さを痛感するのだ。
iTunesとバージョンアップ機能のお陰で、ボタン一つで今日買ってきた新品のiPhone4の中身が昨日まで使っていたiPhoneと同じになった。なってしまった。
アプリ、写真、メール、電話帳 その他設定などがすべてが一瞬で引き継げた。
2年間、ネットとリアルの間で四苦八苦し続けた成果や思い出の写真、音楽などがお蔵入りになるはずが、一瞬で新しい端末に引き継げたのだ。
これほど嬉しいことは無かった。
中身のデータは何一つ昨日と異なるところはないのに、動作は一気にパワフルに、本体のデザインはさらにスタイリッシュになった。
以降は2年の更新月が来る毎に、時の最新機種に乗り換えて、中身のデータの引き継ぎを行い続けた。
13年には5Sにバージョンアップ。この頃には、iPhone OSの名称はとっくに無くなり、ジョブズ当人ですら帰らぬ人になってしまった。
16年春 水没した5Sの後継としてPhone6sを契約。
いつものようにバージョンアップから復元し、昨日までの環境を再現、新たなスタートを着り、今日2018年1月12日に至る。
約9年 4台に渡ってiPhoneを使い続けた結果、その中のデータは、私が中学1年生から大学4年生の今に至るまですべての成長の記録すべてと言っても差し障りない。
写真データなどはとうに1万枚を超え、中1のクラス写真や、中3の修学旅行で友人が軍艦島の策を乗り越えようとするところを、柔道家の先生に取り押さえられるシーンなどが含まれる。
音楽などは、より顕著かもしれない。アニソンに始まり、ロック、パンクロック、フュージョーンに流れジャズに回帰する 自分の音楽ブームの流れが見て取れる。
さて、そんな私のすべての詰まったiPhoneが再起不能となってしまった。
火曜日から原因不明の40℃を越える高熱に悩まされていたとはいえ、全く合理的でないことばかりをしてしまった。
熱に魘され、寝ぼけながらパスコードを変えてしまい、それが分からなくなってしまった。
なぜかは全く覚えていない。
大方、このまま死んでしまったら両親は簡単にiPhoneの中身を見ることでき、それが恥で嫌だからややこしいパスコードに変えたのだと思う。自分が。
思いつく限りのパスコードを今日1日使って総トライするも、当たるはずもなく、ついてにiPhoneに使用不可のロックが…。
また、バックアップデータも移動のつもりが誤って消してまうという、全くもって理解できない行動が続いた。
こうして、中1から約10年の筆者の成長記録はそのすべてが無になってしまった。
一番惜しむのは、我が家で買っていた初代の飼い犬の写真が、iPhone以外に自分は持ってないということ。
その分2代目の写真を多く取っているけど、2代目の写真を取れば撮るほど初代の子を忘れていくような気をしてします、
ただ、このタイミングで熱が出て、パスコードが分からなくなってデータが消える意義はあるのか?
社会人になる2018年、過去の遺物との繋がりを断ち切るために消えた?
バカが。
情報弱者の略語ではあるが、意味はよりシンプルだ。バカ。著者のことである。
今日まで、9年に渡ってiPhoneとApple製品を使い続けてきた自分は、少なくともこの類の人間ではないと信じていいた。
2008年 秋 日本発売された直後のiPhone3G欲しさに、「お義父さんストラップが貰える」『料金が安くなる」などと吐き、家族全員をドコモからソフトバンクへ移行させることに成功する。11月 当時中学2年生オタクまっしくぐらの自分はついに念願のiPhone3Gを手に入れた。
説明書はない。今のようにまとめサイトや聞けば誰かが優しく教えてくれるSNSもない。
ひたすらGoogleで調べ、信頼できそうなブロガーの記事を見つけ、そこのコメント欄からコミュニティーが広がり、
更に別の良質な記事を見つけ、トライアンドエラーを繰り返すことで、iPhoneを使いこなしていった。
SBの店員すらもよく使い方や設定すらもよく分かっていなかった当時、頼れるのはネットの向こうの見知らぬおじさんたちしかいなかった。
某巨大掲示板で半年ROMってギズモード・ジャパンやライフハッカー、ギガジンのリンクを踏み、痛いコテハンをつけたり、最初は手探り手探りでiPhoneの設定や使い方をマスターしていった。
その中でも最もよく利用していたのが、個人ブロガーするぷ氏の和洋風(現在は和洋風カイ)とスタートアップ期のAppBankの運営するiPhoneBBSだ。
書いてるだけでも懐かしくなってきた。
するぷ氏の優しいお兄さんのような語り口の文章は厨房の自分にも非常に分かりやすく、かつブロブのデザインもおしゃれでセンスが良かった。たまーに出て来る技術的な話も、グーグル先生片手に必死に読んでいた記憶がある。
このするぷ氏の匠な技のせいで、私はAppleとジョブズ、そしてiPhone さらには水樹奈々を愛するようになってしまった。
iPhoneBBSでは主に他のユーザーとの情報交換が主だった。
どうすればプロバイダメールをiPhoneで受信できるか?といった何気ない話から、最強の脱獄アプリは何かと言った少々アウトローな部分まで。
流石に当時の少ないアプリ数ではAppleの監視の目が厳しかったのか、
脱獄関連のスレッドはAppBank運営サイドによって一瞬にして消されるようになり、運営兼ライターの方「配信停止になるから脱獄の話は頼むからやめてくれ」と懇願されるまでになったことをなんとなく覚えている。(違ったらごめんなさい)
ほかにも高校生起業家 うめ◯ん や 勝間某といったiPhoneやTwitterの黎明期の有名人が色々いたような気がするけどまぁいいか。
閑話休題。
先述のような試行錯誤の成果が全て自分のiPhone3Gの中に入っていた。
アプリの配置から、内容まで自分だけのiPhoneが仕上がっていたと自負していた。
最新版のOSの動きが鈍い事にしびれを切らし、契約更新の際、iPhone3Gは一気にiPhone4に進化した。
圧倒的に美しいRetinaディスプレイ、信じられないにパワフルになったA4プロセッサに加え、従来のデザインを刷新して両面を強化ガラスに変更。側面の削りだしのアルミもかっこよかった。
この時、私は、iPhoneの、性能やデザインとは全く異なる強さを痛感するのだ。
iTunesとバージョンアップ機能のお陰で、ボタン一つで今日買ってきた新品のiPhone4の中身が昨日まで使っていたiPhoneと同じになった。なってしまった。
アプリ、写真、メール、電話帳 その他設定などがすべてが一瞬で引き継げた。
2年間、ネットとリアルの間で四苦八苦し続けた成果や思い出の写真、音楽などがお蔵入りになるはずが、一瞬で新しい端末に引き継げたのだ。
これほど嬉しいことは無かった。
中身のデータは何一つ昨日と異なるところはないのに、動作は一気にパワフルに、本体のデザインはさらにスタイリッシュになった。
以降は2年の更新月が来る毎に、時の最新機種に乗り換えて、中身のデータの引き継ぎを行い続けた。
13年には5Sにバージョンアップ。この頃には、iPhone OSの名称はとっくに無くなり、ジョブズ当人ですら帰らぬ人になってしまった。
16年春 水没した5Sの後継としてPhone6sを契約。
いつものようにバージョンアップから復元し、昨日までの環境を再現、新たなスタートを着り、今日2018年1月12日に至る。
約9年 4台に渡ってiPhoneを使い続けた結果、その中のデータは、私が中学1年生から大学4年生の今に至るまですべての成長の記録すべてと言っても差し障りない。
写真データなどはとうに1万枚を超え、中1のクラス写真や、中3の修学旅行で友人が軍艦島の策を乗り越えようとするところを、柔道家の先生に取り押さえられるシーンなどが含まれる。
音楽などは、より顕著かもしれない。アニソンに始まり、ロック、パンクロック、フュージョーンに流れジャズに回帰する 自分の音楽ブームの流れが見て取れる。
さて、そんな私のすべての詰まったiPhoneが再起不能となってしまった。
火曜日から原因不明の40℃を越える高熱に悩まされていたとはいえ、全く合理的でないことばかりをしてしまった。
熱に魘され、寝ぼけながらパスコードを変えてしまい、それが分からなくなってしまった。
なぜかは全く覚えていない。
大方、このまま死んでしまったら両親は簡単にiPhoneの中身を見ることでき、それが恥で嫌だからややこしいパスコードに変えたのだと思う。自分が。
思いつく限りのパスコードを今日1日使って総トライするも、当たるはずもなく、ついてにiPhoneに使用不可のロックが…。
また、バックアップデータも移動のつもりが誤って消してまうという、全くもって理解できない行動が続いた。
こうして、中1から約10年の筆者の成長記録はそのすべてが無になってしまった。
一番惜しむのは、我が家で買っていた初代の飼い犬の写真が、iPhone以外に自分は持ってないということ。
その分2代目の写真を多く取っているけど、2代目の写真を取れば撮るほど初代の子を忘れていくような気をしてします、
ただ、このタイミングで熱が出て、パスコードが分からなくなってデータが消える意義はあるのか?
社会人になる2018年、過去の遺物との繋がりを断ち切るために消えた?
バカが。