はてなキーワード: 自己評価とは
非常事態宣言で行く宛てなくしてうだうだ過ごすよりマシな時間になるから、下の質問の答えて家族とでもシェアしとけ。一人暮らしの引きこもりは、どっかのSNSででも呟いとけ。暇だったらとりあえず1ヶ月後にまた同じこと聞いてやるから、答えがどう変わるかメモっとけ。
三十路になったのを機に、結婚したいなと思って結婚相談所に登録して出会った人と付き合った。
付き合ったはずなんだけど、色んなふわふわした問題があってこのまま進めていいのか分からなくなってしまった。
・30歳
・年収500万くらい
・30歳
・顔は中の中、可もなく不可もないが私の好みではないかもしれない
・年収800万
少し私の話をすると、中学、高校、大学、社会人と彼氏が途切れたことはほとんどなかった。幸運なことに男関係で苦労した事がなかったように思う。
20歳を超えたあたりから付き合った人とはそれぞれ3年以上付き合ってきたし、プロポーズもされていたから、自分の市場価値はそこそこあると思っていた。
なぜそのプロポーズを受けなかったのかというと、私は高校大学と奨学金をもらっていて、その返済が残っていたし、奨学金は自分で返すつもりでいた。だから返済残額が100万円をきる30歳までは結婚はしないと決めていた。
仕事も順調だったし、独身仲間との貴族的な遊びも「結婚はまだいいや」と思わせる材料の一部だった。
そして気付いたら三十路になっていた。
会社の同期は早々に結婚して子供もいるし、予定通り奨学金も来年くらいまでには返せそうだ。
周りには出会いがないし、ここは思い切って結婚相談所に頼ってみよう!と思い立ち、「まずは話を聞きに行こ」と思って聞きに行った某結婚相談所で煽てられ、あれよあれよという間に登録が完了していた。
その例の彼氏(的な人)とは、某結婚相談所に登録して1ヶ月目に出会ってお茶、その1週間後に仕事終わりに晩御飯、そのまた1週間後に休日ドライブデートした。
ドライブデートの帰り際に「好きだから付き合ってください」と言われてOKした。
晴れてお付き合いということになったのだが、ここに来て困っている事や謎な事がある。
謎その1
えっ、高校生の悩みかな?って思っちゃうけど、付き合って数日なのに1日のLINEの件数は1-2往復程度。しかも未読無視の時間が平気で8時間とか。
年度末および年度始めで仕事が忙しいとか、そもそも仕事中は携帯を見れないのかもしれないけど、移動中とかトイレ休憩の時とかランチの時とか、返せるだろ。と思ってしまう。
私としては即レスはしなくていいものの、2-3時間起きにLINEできたら楽しいのにな、と思っている(けど言えない)。
謎その2
1ヶ月記念日に温泉旅行行きたいと言われた。これってさ、ぶっちゃけ心と毛の準備しとけってことでOK?
謎その3
私の身長167、普段はヒールを履くので外では170cm越えの女。
かたや彼の身長は165(自称)。なので外を歩くと私の方が背が高いという現象が起こっている。
私個人としては自分の好きな靴を履きたいし、彼氏が私より低身長でもぜんぜん構わないのだけど、一般的に男性はそういう所を気にするのかな?とふと思った。
彼にコンプレックスがあるのなら、ほじくる様な事はしたくないし。
しれっとペタンコの靴を買いに行けばいいのかなぁ。似合わないからあまり乗り気じゃないんだけど。
謎その4
どの程度かと言うと、室内だと「…おや?」と感じる程度。
今は手術もサクッとできるし、ワキガで良い事ひとつも無いと思うから是非手術してほしいんだけど、これも彼のプライドを傷付けるような気がして言い出せない。
どんな方法でお知らせするのがいいのか、誰かアドバイスください。
別れろ。
というか、無理になったっていう結論で良かったと読む側としては思った。
これでこんな彼だけど寂しいのは嫌だから別れられないとかいう結論だったらPC放り投げてたところだ。
今はわからないかもしれなくても、あんな人に時間を使うくらいなら一人の方がずっと良かったと思うことってあるよ。
寂しさは自分だけのものだけど、どうしようもない他人と一緒にいるとその他人の荷物まで背負うことになって、しかも報われないのが基本。まぁ、報われたいと思う人なら明らかに損な他人の荷物を背負うことなんかしないから、そういうの背負っちゃうのは概ね報われたいとか思わない自己評価が低い人とかだったりするけど。
でもさ、自分を大事にしてくれない人と付き合ってると、自分も自分を大事にしなくなっちゃうからさ。
心配しているのはあなたが植松みたいに事件を起こすことじゃなくて、あなたの心身の健康です。たしかに植松の事を引き合いに出したのはよくなかったかも。ごめんね。
こう言うときは、自分のやっていることを客観的に羅列してみよう。すると見えてくるよ。
例えば
まず自分の行動を書き出してみよう。まずそれが第一歩かもしれない。
できたらそのまま医療を利用することを検討して欲しい。けど、難しかったらそれを身近な知り合い(できたら家族とかではなく、知り合いぐらいの人)に見せて「こう言う行動をとってる人がいるんだけど、どう思う?」って意見を聞いてみよう。
社会人になってから三次の推しにハマり、趣味の絵描きを辞めた。
全通したり、雑誌を買ったり…三次のオタ活も金と時間が中々に忙しい。
三次の推しでBL妄想することはあれど、アウトプットしている余裕はなかった。
このままでは死んでしまう…と思い、また同人の世界に帰ってきた。
三次の推しを変えても良かったんだけど、三次の応援してる時って、推しを一方的に消費しているだけで、自分が何も生み出していない事に焦りを感じていたので、三次は卒業することにした。
しばらく漫画などを読み漁り、このジャンルで活動したいな、と思える作品に出会えた。
自分の年齢も年齢なので、若い子たちが好きそうなジャンルはなかなかハマれなかったが、おっさんや筋肉が出てきてストーリーも面白い!と思える作品。
十年以上絵を描いて居なかったので、漫画を描ききる自信がなかった。
こんな無名の奴が書いたお話なんて、1冊でも売れたら万々歳だな…と思っていた。
何事も記念だよな!という感じ。
気を良くして、二冊目の制作に取りかかった。
やっぱりマンガが描きたい!と思った。
まずは画力を取り戻そうと、三ヶ月くらいデッサン等の練習をした。
また三ヶ月かけて、何とかマンガが完成した!
めちゃくちゃに嬉しい。
コロナの影響とかもあるけど、いやぁこれは売れない。
自己評価だけど、私の小説力は100点満点中60点、漫画力は35点くらいだと思っている。
小説読みもかなり多いよ。
こいつ、「オタク」じゃねぇんだよ
そういうのに関わる「イケてる自分」を一段高く自己評価していて
他人を見下してる
ただアニメやゲームが好きで、自分が語れる場がそこにしかなかった奴
昔よくいた、クソだ
ただのクソ
今はどうか知らんが、昔はサブカル畑の奴がオタク顔して活動してたんだよな
批評とか論考とかやっちゃってさ
普通には食えない作家が、エロ畑なら好きなことをできるってんで
その後、ラノベやなろうみたいなのが台頭して、好きに発表できるようになったのと
ブームの衰退もありいなくなるんだが
エロゲは泣きゲと呼ばれて、泣けないのは駄作みたいな時代だった
「俺はエロ目的じゃない」みたいな厨房(年齢ではなく精神性)が増えて
んじゃ、オフ会とかではどうかというと
そういう、「作品を語らず自分語りするやつ」ってのは、昔っから嫌われてた
でも、気付かないんだよな
だから、その場では誰も何も言わない
裏で呼ばれなくなるだけ
今になって老害になったのじゃない
卒論なんてそんなもんだし、他の男子も30人くらいは似たようなものだからそこは気にしないで良いと思う。
修士では勉強や研究のやり方だって変わってくるし、「真面目」と自己評価できるだけでも素晴らしい。
男性の多い分野・コミュニティに参加してくる女性はあえてそこを選んでくるから優秀、というバイアスはあるかな。
実際優秀で魅力ある人が経験上多いし。
そこはしんどさに加担していると思うので申し訳ないが、ズルでも下駄でも工学部卒業できるなんて世では十分有能な部類なので、今後も精力的に研究がんばってください。
※ブコメその他がためになったので追記した(2/23 18:23)
※あとこの投稿は「最底辺に落ちれば自信が出るからそうしろ!」とかいうものでは一切無いです。そういうニュアンスが出ちゃってたのは大変申し訳ない。少しでも浮上してるならそれに越したことはないし下がれなんてとんでもない。この投稿は助言でもなんでもなくて、自分はこうだったなぁという糞自分語りに過ぎない(最後のオナニー以外)からそれを踏まえていただければ大変うれしい
自分も自己肯定感はそこそこ低い方で、 増田と同じく学生時代は自分以外の全員がド有能の聖人に見えてたんだけど、増田のもちょっと違う気がするんだよな。
「私と仲良くしてくれる人は何を考えているんだろう、こんなグズに優しくしてくれる聖人たちに何を返せばつりあうだろう」
そう、ここまではほぼ一緒。でも俺の場合はこの次の段階があって、
「こんなに有能な聖人が言ってる事をグズの俺が否定する権限はない」
って理論が発生するんだよな。
少し場面を想像してほしいんだけど、数少ない友人と会話してる時、案の定おれの「俺なんてゴミやし……」とかいう発作が起こるよな? グズの俺と違って友人は有能の聖人だから、まぁ「いやそんなことないよ」とか、たまに「増田の〇〇なとことか凄いじゃん」とか言ってくれる。俺の脊髄は(いやいやそんなことなくて俺はゴミでぇ……)とか反射しそうになるんだけど、"グズの俺が否定する権限はない"ので、お世辞であれその言葉を甘んじて受け入れないと絶対におかしいんだよ。ここで「いやそんなことはない、私はゴミだ」と言える時点でまだそこそこ自己肯定感あるから安心していいと思う。向きはともかく、自分の思考や理論を相手のそれより強いと思えてるから。
逆に自分が否定された時はそもそも自己肯定感が最底辺なのでノーダメージ。ゴミな自分は有能な他の全人類に否定されて当然だし不当でもなんでもない。当たり前の事を当たり前に指摘されただけなので悲しくもならない。でも[ゴミと友人になってくれる有能な聖人]とただの[有能]だと前者のほうが優先順位が高いので先述した友人の言葉が消えるわけではない。仮に消えたら聖人の友人に失礼極まりないのであり得ない。周りに当たるなんて選択肢はどうやっても発生しない。
このマインドを続けてると、基本的に肯定感が正の値になることはあってもマイナスにはならない。ふとした拍子に2とか3くらいゲージが溜まってちょっとウキウキな気分の時だと、理不尽な否定と正当な批判の切り分けなんかも意外にできるようになったりするので、ただでさえ鉄壁の防御力にさらに磨きがかかる。余裕ができると「ほんとにちょっとだけなら"俺の〇〇なとことか凄い"んじゃね……?」とか思えてきたりこなかったりする。
要は、自己肯定感低いアピールは人が多いところでやると時に不快感を撒くことになるから、基本控えめにしてある程度自己評価あるフリでもしてたほうが周りの人を尊重してることになるし、結果的に自己評価を見つめ直すことにも繋がる。理論的に考えればそういう考えに落ち着くのが真っ当じゃね?っていう話ですわよね。
まぁなんというか、自己憐憫って蜜の味なんだよな。だから癖になってるひとも多いと思う。今は夕方一人外で歩いてる時とか、中高の時に毎回テスト最下位で赤点で居残り勉強してた時間とかを思い出して「相変わらず俺ってゴミだなぁ」とか思いながら自己否定オナニーして自己憐憫欲を解消してる。もちろんオナニーは心の上での比喩だけど、めっちゃ気持ちいいからおすすめしたい。
珍しくブコメが色々ためになったので(自己肯定に溢れた感想)、お礼と言うにはおこがましい自分語りだけど返事をさせてもらいたい。
oratansu よく「最底辺に落ちたのであとは上がるだけ」みたいなコメントする人いるけど、それ以上に落ちるかもしれないのによく今が最底辺だと定義できるなあという感想しかない
読み直すと「死ぬこと以外はかすり傷!(ドン!)」とかいうどっかのゴミ自己啓発本と同じ台詞言ってるように見えてめっちゃ恥ずかしい。ごめん。(自己啓発本は悪だって言いたいわけじゃないんだけど、なんというか基本強者の理論だと感じちゃうんだよね)
今の自分の絶対値的なこの場所が最底辺、というよりは"自分=ゴミ"の図式が無条件で成り立っちゃってるから、落ちたところで自動的に認識が再修正されるので特に何も感じない、というほうが正確だろうか。こう書くとより救いがない感じがするな。でも気は楽。弊害は未知数なのでオススメはしない。
fukazawakyoko これ、元増田もそうだけど最底辺感がないんだよな。能力が低くてガチで自己肯定感が低いというより、どっか余裕のある人が考えた自己肯定感の低さって感じ。
あ~やっぱそういう感じ出ちゃってるよなぁ。言い訳させてもらうなら、現状、そこそこ自信というかなんだかんだ俺もそれなりに大手を振って生きてていい(≒他の人間も大した理由があって生きてるわけじゃない)って思えるようになってるから、この立場から何書いても薄っぺらいってのはあるかも。一時期は何言われても「おっ悲しいなぁ(諸行無常)」みたいな感情しか湧かなかったから、這い上がろうという気力も湧かなかったのはホントのところだとは思うけどね。
コメントにも出てきてるけど"余裕"は本当に大事だと思う。これが枯渇してるとホントに何も考えられなくなるし、シンプルに周りにも迷惑がかかる(その迷惑で自分を卑下する必然性もないんだがそう考える余裕も無くなる)。自分の少しの余裕がどこから湧いてきたのか考えると、やっぱカウンセラーとか薬ってことになっちゃうのかなぁ。ラッキーだったのは、「精神科に行って薬まで出された自分は欠陥人間だ……」とか、どうしても先生を信じきれずに(orあってない先生をずっと変えなかったりして)ネットのメンヘラ界隈的な場所ででくだをまいちゃったりすることはなかったって点だろうか。一応心理学専攻で、治療に対してそんなヤバい行為だとは考えてなかったってのもあったし、治療受けるのってどんな感じなだろう……!みたいな好奇心が少し先行してたのも大きい。
でもカウンセリングや薬ってなんだかんだお金かかるし、1割負担にするのもちょっと抵抗感ある人もいるかも知れないから、こういうのも含めた余裕を考えると俺もまだまだ序の口ってことなんだろうなぁ。保険で色々試せるのおもしれえなぁとか、ビンシャリってこれかよ草、みたいなノリは万人にできるものではない。
Caerleon0327 自分よりできない人を見たり、自分より大変なことになっている事象(例えば、今回の新型コロナパンデミックとか)見て、それと比べて自分の目の前のことはマシだと慰めている
この理論で生きてると、自分よりできない人が他の場面で自分より高い性能を発揮する現場を目撃すると総崩れになるから注意したい。そこで「できないように見えた人にも得意なことがある」なら「できない自分にもなんかいい点がある(≒自分をある程度認めないとその人の優れた点まで否定する事になる)」と考えを反転して良い感じにしてたんだけど(これも自己啓発の謎理論っぽくてキモいな)、まぁこれもある程度の余裕がないと出来ないことだよなぁ。
自信がない状態から立ち上がれるかどうかは周辺環境に左右されまくる、ってのは本当そう思う。そこにつけ込まれると色々厳しい。弱ってる人間につけ込んで追い打ちかけてくるゴミなんて生きてる価値無い、社会に害を振りまく俺以下のゴミじゃん、って思えれば楽なんだけど、そう思えるまでが長いんだよなぁ。これを個人でどうすべきかはちょっとわからない。今の自分はそういう人間の屑を見るとめっちゃイライラする性格と化したからそれに関係する仕事をしてるんだけど、そういう支援もまず最初に人の目に触れないと始められないし……難しい。
aeka そんな言葉遊びしてる次元じゃないんよ。「自分なんてクソで…」などと人様に聞いていただこうなんておこがましいこと思ってるようじゃまだまだ下がいてだな…いやこんなことわざわざ衆目集まるところですみません。
俺もすまん(挨拶)。寧ろそれを伝えたい文章だった。俺の作文力の無さが光る。そう、自分が糞という意思をもってる時点で自分を肯定できてるから、そんな奴らの言うことなんて何の参考にもならない。これはポジティブ思考でもなんでもなく、ただただそれを出来ない自分が沈んでるだけで、良い事はなにもないから安心してほしい(?)。
アドバイスなんて身の程知らずなことは一切できないけど、それこそカウンセラーがダイレクトに助けられる数少ない場面な気がする。先生は仕事だから聞くのは毎日のことで一人が増えても大差ないだろうし、自己開示はただするだけである程度意味がある。今は心療内科もいっぱいいっぱいだから難しいかもしれないけど、それに準じた相談をできる場所は結構あって、意外と人のいない穴場もあったりするからちょっと頭の隅に置いておくのも悪くないかもしれない。
結婚の挨拶とかそういうんではなく、彼氏が地元で車を買ってそれを取りに行くついでに地元案内したいから旅行ついでに行こう。という話になった。
彼女と地元に帰るという旨を向こうの親に伝えたら、流れで会うことになった。
結果は惨敗。
4月からの就職までの間に楽しむ相手なら何も言わないけど、その先、結婚するってことは賛成できない。と言う評価だった。
①年齢
彼の家はどうしても世継ぎが欲しいらしい。
そう考えた場合、31から順調に進んだとしても2,3年はかかる。子供が生まれるかが不安だ。
②容姿
168cm 90kg の私は親戚一同に紹介するのは恥ずかしいとの事だ。かつ、これから先歳をとったら諸々の病の発病リスクが高いだろう。
主にこの2つがお気に召さなかったようだった。
己に対してのメンタルの弱い私には十分すぎるほどのダメージだった。
たいてい顔面コンプレックスを小中高で抱えて、なぜかメイド喫茶やらアイドルやら顔面が売りのところに自ら飛び込む。
顔面コンプレックスを抱えているのにそんなところに飛び込む勇気があるから整形もできる。
顔が売りの職業についたら、すぐに予想できる「可愛い子がいっぱい」という現実に打ちひしがれ整形を決意する。
整形を決意して一気に仕上げかと思いきやなぜか細かい一箇所のみの整形をする。(二重の埋没や涙袋ヒアルロン酸注入、目頭など)
自己評価全体に高すぎて笑える。
で満足できなくてまたいじる。
でゴールを見極められる人が全然いない。たいてい中間地点が一番可愛かったと言われる仕上がりになってしまう。
だんだん感覚やらいろいろ麻痺しているのかマジでやりすぎる人が多い。
ツイッターとかでちやほやされすぎてなぜか変な方向に舵を切り失敗する人多数。
整形をオープンにする風潮は別になんとも思わないけど、最初から自己評価高くて自分大好きでアイドルやメイド喫茶に行けちゃうやつは好きじゃない
夜中になると、なぜ自分がこんな目にあわなければならなかったのかと思い、涙が止まらなくなる。現在21歳、大学3年生。半年前に目が8年ぶりにちゃんと見えるようになった。中学1年生の頃からである。8年間本当に長かった。
8年前の秋頃、中学1年生だった私は小学校以来のゲームのやりすぎで視力が低下していた私は黒板の字が見えづらくなっていることに気づいた。眼科に行き、視界が悪くなっていることを告げられ、まだ外見などあまり気にしていない半分小学生脳だった自分はメガネをかけることに決めた。いわゆるガチャ目で、左目が0.2とかなのに対し右目がほとんど見えない0.01みたいな状態だった。ゲームをやるときの姿勢が悪かったのが原因かもしれない
ここまではよくある話だし、目が悪くなるというのが怖かったとはいえ周りにもメガネをかけている子供はたくさんいたので、絶望感のようなものはなかった。メガネをかければ普通に周りが見えるようになったし、日常生活に支障はなさそうだったからだ。
しかしいざメガネ生活が始まると、以前とはどうしても変わってくることがあった。一つはメガネキャラが定着してしまったこと。もともとそんなに明るくない性格だったのがメガネをかけたせいでさらに暗くなってしまった。別に友達づきあいは変わらないんだけど、中3にかけて子供が見た目を気にしだすようになるなか自分の見た目の悪さも気になるようになってしまった。
そしてもう一つは激しい運動がフルでできなくなること。メガネをしているのでサッカーとか野球とかできるだけ端っこで見るだけになってしまった。中学の時はサッカーに無理やり参加してメガネが割れたことがある。中学3年生の頃には自分のことがのび太のように見えたし、周りからもそう言われるようになった。
ここで何故コンタクトを使わないのかと思うかもしれないが、これがこの悩みの大きな問題点だったのだ。自分はどうやらコンタクトが合わない体質らしく、眼科に行ってもガチャ目だからコンタクトが合わない、メガネじゃなければダメだと言われていた。実際コンタクトをつけてみると、とにかく気持ちが悪い。つけていると船酔いのような気分がして額から汗がだらだら出てくる。一回コンタクトをつけて学校に行ったことがあるが耐えきれずにコンタクトを外してしまった。いわゆる眼精疲労というやつなのだが、本当に眼精疲労?と思いたくなるような症状が出てくるので、いやいやメガネに戻さざるを得ない。
そして高校生活が始まると、この外見コンプレックスに散々悩まされることになる。もともとメガネが似合う顔でもなく、絶対ないほうが良いのだけど、メガネを外すことができない。この消せないコンプレックスが悩みの種で奥手な性格がさらに奥手になり、高校ではあまり周囲に心をひらけなかった。別にいじめられていたわけではないのだけど、とにかく自己評価が低くて周りと上手く接することができなった。なんというか顔に傷がある感じなのである。だから人前に出るのがいやだった。
それだけ自己評価が低いので、常になんか暗いオーラが出ていた。自分の姿が嫌で写真に写りたいとも思わない。だから高校時代の写真はほとんどない。だけど頑張れるところは頑張ろうと思って勉強は頑張った。順位が貼り出されて学年一位という経験もしたのだがクラスで友達がいないためご飯を食べる時は一人という惨めな思いを味わっていた。今思えばそんなの気にしなければいい話なのだけど、それがいやでいつも教室の隅っこの方にいた。運動も十分にできないのでだんだん運動神経は落ちていき、本当に勉強のできるのび太くんみたいになっていた。自分の長所が勉強しかないのが嫌だった。
だから高校1年生くらいの時から視力回復トレーニングを色々やって見たのだが、如何せん効果がない。あの手のトレーニングはたまにネット上で効果があったとか書いてあるが、ほとんど無理である。一度目は悪くなったら自力で視力は回復しないと思う。だから高校12年生の頃は本当にどうしようもなくて、とにかく外見コンプレックスに苦しんだ。
そうこうしてるうちに高校3年生になった。17歳という、人間として容色がもっとも美しくなる頃、受験勉強とともに私のこの外見・視力コンプレックスはさらに肥大化した。大学受験の不安よりも私は一生このままなのか、見た目にコンプレックスを抱え続けなければいけないのかという不安の方が大きかった。本当にメガネが外せないのかと悩み苦しみ、勉強そっちのけで眼科に何件も通い、なぜかメガネを10本近く買った。大学病院での検査も検討したが、大学受験との兼ね合いで断念した。そんなものだからそれまで維持していた成績は下がり始め、大学受験は第一志望に受かることはできず、コンプレックスも解消されないまま大学に進学した。浪人という選択も考えたが、当時のコンプレックスははっきり言って異常で、浪人したら今受かっているところにも受かるような気がしなかったため浪人を断念した。
大学に入ってからもこの外見コンプレックスに悩まされた。最初の頃は無理やりコンタクトをつけて登校していたが、だんだんきつくなってメガネに戻してしまった。そしてメガネにすると人前に出られない(?)ので、サークルも次第にフェードアウト。大学1年の秋には学内で自然と孤立の道を選んでしまっていた。そんな人間が生きる道はインターネッツで、授業から帰宅してはネットサーフィンをする毎日を一年冬〜二年秋まで送っていた。ネットサーフィンをしているうちにコンプレックスを忘れようとしていたのかもしれない。だが、20歳になったタイミングでまた忘れていたコンプレックスが再発がした。成人というのは大きなイニシエーションで、私の忘れようとしていたコンプレックスがまた復活していたのである。
今度はさらに孤独コンプもこじらせていて、高校の同期が大学で楽しくやっている中自分は部屋で一人ネットをしているのがコンプレックスになった。正直もう外見なんか気にしないで普通に人と付き合えばいいというのはわかっていた。でももう二年が終り、就活が始まるという段階で今更人付き合いを増やせるとも思えなかった。だから二年の冬休みはとにかく暗くて、どうすればいいんだろうという気持ちになった。不安と苛立ちが爆発し、家族にわけもなく当たり散らすようになった。散財もするようになった。一種のパニック症状である。原因不明の病というのはどんなに軽傷でも人の精神を不安にするもので、私の心は不安に押しつぶされていた。人間の思い込みというのも一つの病だと思う。
そして2019年の5月に、最後の望みをかけてそれまで行った事のない眼科を受診した。もう大方視力回復に間することはやり尽くしていたので、唯一やっていなかった。オルソケラトロジーという治療法にかけてみた。治療内容はググって欲しい。結果、オルソケラトロジーでも視力は回復せず、私のコンプレックスは解消されないみたいだった。
オルソケラトロジーを行う際に渡されたレンズを目にはめても一切気持ち悪くなかったのである。
オルソケラトロジーは夜間に角膜を矯正するためのレンズをはめて就寝し、翌朝になったら角膜が矯正されているので視界がよくなるという治療法である。この夜間にはめるレンズを昼間につけていても、全く気持ち悪くならなかったのである。
中学1年生以来、およそ8年の時を経て裸眼で見る世界はとにかく新鮮だった。少し度が弱かったが裸眼で道路を歩ける。水泳もできるしサッカーもできる。近くのビルの社名が裸眼で読める。夜は月がブレずに見える。鏡をみてもあの忌々しいメガネはない。あの時は嬉しかった。私が8年間、青春の間ずっと苦しんできた悩みはいとも簡単に解決したのである。
8年間の悩みが解決した理由もよくわからないのだが、私はどうやら「ソフトコンタクトだと体質的に無理なのだが、ハードコンタクトなら大丈夫」という事だったらしい。理解不能である。確かに私はコンタクトなんてどれも同じと思って、安いソフトの方を買っていたが、そんな意味のわからない解決法はネットでどれだけ探しても見つかったことがなかったし、中学一年生の時から百回は受診したどの眼医者もしてくれなかった。
目が治ってから、私は号泣した。普通病気が治ったら嬉しいと思うかもしれないし、私もそうだろうと思っていたが、こんな意味のわからない理由が原因だったこと、外見コンプレックスのせいで今まで失ってきたものが多すぎることに嗚咽し、自暴自棄になり、さらに家族に当たり散らすようになった。8年間もコンプレックスに苦しんだこと、そのコンプレックスが実はすぐに治ったことを受け入れることは難しかった。ストレスの度合いでは大学受験に落ちたことなんか大したことではない。私は12-20までの8年の間でもっと色々なことに挑戦できただろうし、もっと色々な人と仲良くなれたはずなのである。
8年間の理不尽は私から自尊心を奪い、一気に自暴自棄に陥らせた。3年春学期の単位は全て落とし、gpaは目も当てられない数値になった。部屋は片付けなくなった。暴食を繰り返し、体重は半年で10キロ増えた。家中の皿を割った時は家族から家を出て行けと言われた。
学生時代のほとんどを思うように過ごせず、就職というラウンドまで来てしまった。現実を受け入れられなかった。3年の秋はなんとか学校に行っていたが、授業を受けている間も病的にずっと後悔していた。後悔先に立たずだけど、あの時ああしていればというのをずっと考えてたら1日が終わるとかザラであった。留年したので就職なんてどうでもいい。21歳の誕生日は家族以外誰も祝ってくれなかった。家族からも暗くて一言も喋らないから怖かったと言われた。
カウンセリングに年明けから行ったが、正直今できることをやれ、気にするなとしか言われず、自分でもそれしかないとわかっていたので行く意味はないと思ってやめた。しかしテストを受けるまでずっと落ち込んでて、単位も半分くらい落としたと思う。せっかくコンプレックスが解消した顔は激太りした上にやつれきっていた。
ただテストを終えたくらいから、ずっとこのままでもどうしようもないというのは体がわかってきた。ようやく、現実に脳みそが追いついて気がする。もう一度三年生が始まり、就職活動も始まる。何一つ悪いことはしていないのだが、人生を再スタートさせなきゃ行けない。今まで失ってきた分、これからはいい人生を歩みたい。
クソ真面目に生きてきた。私としては、全く自分は不真面目でだらしがないと思っていたのだが。
これまでの人生、クソルールクソマナーもクソ真面目に守ってた。なんでかっていうと、そういう性分だったからとしか言えない。守る気があったんじゃなくて、破る理由が見当たらなかったので破らない。ルールを破ってないだけのダメ人間、が自己評価。周りから見たらクソ真面目だったらしい。
仕事をやり始めて、このつまらない仕事を如何にこなすか、を考えていた。どのくらいつまらない仕事かというと、お櫃についたご飯粒を一粒どころか欠片も残さないように正しい姿勢正しい箸の持ち方で食べる仕事、くらいつまらないし、意義が感じられない。粒がくっついてるのは私も嫌だが、欠片はしゃーないやろ。箸の持ち方がちょっとでもズレたらアカンの?猫背になってるからダメ?なにそのクソルール?
そんなクソくだらないことにでも本気で取り組む。スピードを追求するなり、お櫃の形を変えるよう進言したり、箸の形状を工夫したり。うんこ食わなきゃいけないならせめてカレー味に。うんこ食わなきゃいけないならせめて少量に。
saebou先生の献血ポスター問題についてを読んだが、当初はよく分からなかった。
なお、私はこれについて日赤のデザインが理念に合致しないので問題があるという話をしており、これを見て性的好奇心や劣等感をかき立てられた人が献血しかねないとか、この漫画を広告に使うべきでないとかいうような話は一切、していません。
てっきり件の広告ポスターが献血者の健康や血液の安全性に悪影響を及ぼす可能性があるために批判しているのだろうと考えていたが、その点は論点ではないらしい。しかし、献血者の健康や血液の安全性に悪影響を及ぼす可能性が見いだせないならば、あのポスターに一体何の問題があるというのか。ブログを最後まで読んでも、よく分からなかった。
しばらく考えていたが、以下の氏のツイートが目に入った。
高い倫理性は安全を保証するための理念としてあるわけですよね?それだけでは安全が保証できないとして、全体としての理念の一貫性のために広告などに高い倫理性を期待していけない理由はありますか?
そして以下のように解釈すれば意味が通るのではないか、という結論に至った。
1. 一般論として、日赤は種々の倫理規定に合致した広告をすべきである(そしてそれは現に実践されていると思う)。
2. そして倫理規定に反した広告をした場合、その広告が実際的な悪影響を及ぼす懸念がなかったとしても、日赤は非難されるべきだろう。例えば、問診で嘘を申告することを暗に勧めるメッセージが入った広告ポスターを作ったとしたら、たとえそれが実際的な悪影響を及ぼす見込みがないとしても、日赤は厳しく非難されるだろう。
3. saebou氏のブログ記事によって、件のアニメ広告ポスターが倫理規定に反していることが論証されたと仮定する。
以上のように考えると、saebou氏が憤る理由が理解できる。問診で嘘を申告することを暗に勧めるメッセージが入った広告ポスターが非難されるべきなのと同様に、件のアニメ広告ポスターも厳しく非難されるべきである、と。
問題は、saebou氏のブログ記事は、件のアニメ広告ポスターが倫理規定に反していることを論証したといえるのか、ということである。氏の論証は以下の通り。
なぜこの広告が日赤の理念に反していると考えたかというと、この広告内では性的好奇心や劣等感に訴えて人に献血をさせることがまるで面白いことでもあるかのように描かれているからです。
さらに問題があるのが台詞です。宇崎ちゃんが、注射が怖いから献血しないのではないかと劣等感を煽っていますが、これは自発性を尊重する倫理的理念からして、本来は「これはやってはいけません」という例になるような状況であるはずです。
saebou氏は上記の指摘を以て、件のアニメ広告ポスターがストレートに倫理規定に反したことを論証した、と自己評価しているようである。しかしこの文章ではせいぜい、件の広告ポスターの表現や言動を敷衍すると日赤の理念に合致してないと解釈できる余地もあることを、論証したに過ぎないように思われる。
saebou先生の献血ポスター問題についてを読んだが、当初はよく分からなかった。
なお、私はこれについて日赤のデザインが理念に合致しないので問題があるという話をしており、これを見て性的好奇心や劣等感をかき立てられた人が献血しかねないとか、この漫画を広告に使うべきでないとかいうような話は一切、していません。
てっきり件の広告ポスターが献血者の健康や血液の安全性に悪影響を及ぼす可能性があるために批判しているのだろうと考えていたが、その点は論点ではないらしい。しかし、献血者の健康や血液の安全性に悪影響を及ぼす可能性が見いだせないならば、あのポスターに一体何の問題があるというのか。ブログを最後まで読んでも、よく分からなかった。
しばらく考えていたが、以下の氏のツイートが目に入った。
高い倫理性は安全を保証するための理念としてあるわけですよね?それだけでは安全が保証できないとして、全体としての理念の一貫性のために広告などに高い倫理性を期待していけない理由はありますか?
そして以下のように解釈すれば意味が通るのではないか、という結論に至った。
1. 一般論として、日赤は種々の倫理規定に合致した広告をすべきである(そしてそれは現に実践されていると思う)。
2. そして倫理規定に反した広告をした場合、その広告が実際的な悪影響を及ぼす懸念がなかったとしても、日赤は非難されるべきだろう。例えば、問診で嘘を申告することを暗に勧めるメッセージが入った広告ポスターを作ったとしたら、たとえそれが実際的な悪影響を及ぼす見込みがないとしても、日赤は厳しく非難されるだろう。
3. saebou氏のブログ記事によって、件のアニメ広告ポスターが倫理規定に反していることが論証されたと仮定する。
以上のように考えると、saebou氏が憤る理由が理解できる。問診で嘘を申告することを暗に勧めるメッセージが入った広告ポスターが非難されるべきなのと同様に、件のアニメ広告ポスターも厳しく非難されるべきである、と。
問題は、saebou氏のブログ記事は、件のアニメ広告ポスターが倫理規定に反していることを論証したといえるのか、ということである。氏の論証は以下の通り。
なぜこの広告が日赤の理念に反していると考えたかというと、この広告内では性的好奇心や劣等感に訴えて人に献血をさせることがまるで面白いことでもあるかのように描かれているからです。
さらに問題があるのが台詞です。宇崎ちゃんが、注射が怖いから献血しないのではないかと劣等感を煽っていますが、これは自発性を尊重する倫理的理念からして、本来は「これはやってはいけません」という例になるような状況であるはずです。
saebou氏は上記の指摘を以て、件のアニメ広告ポスターがストレートに倫理規定に反したことを論証した、と自己評価しているようである。しかしこの文章ではせいぜい、件の広告ポスターの表現や言動を敷衍すると日赤の理念に合致してないと解釈できる余地もあることを、論証したに過ぎないように思われる。
大学時代の友人
「被告は『職員が死んだ魚の目をして希望なく働いている』と話すこともありました。しかし『でも障害者はかわいい。いつも寄ってきてくれるし俺がいないと生きていけないんだ』とうれしそうな口調で言っていて、ようやく被告が楽しく仕事をするようになったと安心しました」
大学時代の後輩
「就職活動について相談したところ、被告は『仕事は金のためじゃなくやりがいだと思う。入れ墨を入れている自分でも、障害者の人たちはきらきらした目で接してくれる。自分にとって天職だ』と話していました」
自己の尊厳の低さを、障害者という依存的存在への奉仕という行動で自己の尊厳を満たしてるんだろうなって感じが見受けられる。
「俺がいないとこいつら生きていけない」という状態に喜びを感じているんだろうなと感じた。そこに健全さを感じない。
恐らくだが、被告は当時の自分に自己肯定感は抱いていないんじゃないかな。
「入れ墨を入れている自分でも、障害者の人たちはきらきらした目で接してくれる。」は高い自己評価を持つ人間だったら出てこない発言。
「2年ぐらいたったときに、『障害者はかわいそう。食べているごはんもひどくて人間として扱われていない』と話すようになりました」
3年経過。社会に貢献している、素晴らしい仕事に従事しているという認知フィルターが外れた状態。
もし健常者が体験するなら地獄のような非人間的環境に対する冷静な評価。その状況に対するリアクションを行えない事に対する重度のストレスも見受けられる。
「6月ごろ突然『意思疎通できない障害者は生きている意味がない』と私に言うようになりました。あんなに仕事に満足していたさとくんがそんなことを言うようになったので仕事で何かあったのかなと思いました」
地元の友人
仮説1:
『何もできない障碍者をケアするという社会的意義のあり、必要とされる仕事に従事している』(入社時)
↓
『地獄のような環境に障碍者を隔離、放置する倫理的に許容しかねる状況に加担している』(2,3年経過)
↓
「正しい事は何だろうか」
↓
主張
想定しうる主張の論拠
・社会的情勢として、社会に対する生産性の低い、貢献度の低い人間が積極的に排除されている
・介護従事者が現在の倫理的に許容しかねるような非人間的環境の維持、加担というストレスフルな状況から解放される
・障碍者の尊厳死という考え方。障害者施設に隔離され、介護従事者から「尿と便の詰まった袋」扱いされながら一生を終える状態を人間として尊厳を保ってないのではないかという考え方
多分被告は死ぬ直前まで自説の正しさを疑わないだろうなと思う。
・非常に高ストレスな環境にも関わらず、相応の報酬が得られない
こういう環境なわけでしょ?よほど自己犠牲的な傾向が高くないとやれない仕事だと思うわ。
俺は絶対こんな仕事就かないし、働いているやつはホントすごいと思うよ。
れいわの議員さんとかがこういった構造に対する認知を広めていってるけど、
結局のところこれ、こういう福祉に対する予算、人員、ルールをどう整備するかって所でしか解決できない問題だよな。
後期高齢者に対する医療費が天文学的に膨れ上がってて、他の予算がshrinkしてる現状だと、
正直現場の人や、障碍者の人達は報われて欲しいと思うけど、多分そうはならないんだろうなって思う。