ツイッターで同人字書き学級会が起こる度にいつも不思議に思うんだけど、小説を書くという行為そのものの動機は人それぞれなのに、どうしてそこは無視されがちなんだろう。
例えば、
・最初から小説が書きたくてそれを選んだ人
・絵が描けないから小説という手段を選んだ人
この両者にとって「小説を書く」という行為が同じ意味であるはずがない。
更に、
・受けor攻めどちらか、又は双方が流動的で多様なCPを書く人
・固定CPかつそのCPしか書かない人
この場合、当然前者の方が作品を閲覧する人の母数も多く、ファン(フォロワー)獲得のチャンスも多い。
恐らくこの両項目がいずれも後者だった場合は、自己評価が低くなる確率も高いのだろう。余程ずば抜けて文章が上手いか、ジャンルのインフルエンサー的な友人に拡散して貰える環境であれば話は別だろうけど。
そういう大前提をすっ飛ばして「字書きは云々」っていう話題になるのが本当に不思議でならない。
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