はてなキーワード: 自己憐憫とは
【警告】
以下、作品の内容について触れているので閲覧注意。特にロリコンにヘイトをぶつけてくるフェミキチガイBBAの閲覧は厳禁
注意したからな?
意欲的な作品だなとは思うが、個人的には単調だし抜けなかったしで微妙。
ストーリーはシンプルで、生粋のロリコンがずっと付け狙っていた少女を河原の高架下に引きずり込んでレイプした挙げ句、「自分が間違っているのは知っているし、全てを失うけど一番欲しかったものは手に入れられたから有意義な人生だった」みたいなことを言って終わる。
竿役の顔は一切描写されず、しばしばモンスターとして描かれる。これは彼自身の自己認識で「そう」であり、そのモンスターが「正常な人々」に殴り殺される描写もあることから、自身の願望が社会的に許されないことも知っている。
ただその程度の描写は「安全に痛い自己反省パフォーマンス」とでも言うべきものであって、ありふれており、何ら心にひっかかるものがない。
そもそも襲う前やレイプ中の竿役のテンションが低すぎるのが問題だと思う。竿役は体が成長してもロリにしか関心が持てないロリコンで、今回レイプした少女はずっと付け狙っていた(「頭の中では100回話した」とモノローグ)にも関わらず、ようやく悲願を達成したであろうその瞬間にも「俺を救ってくれ」とモノローグする有様で、性的に興奮してる様子は伺えない。最初から最後まで自己憐憫に浸ってるような感じ。最初に「個人的には単調」としたのはそういうところ。
竿役は大人になっても少女にしか関心が持てないロリコンだ。しかし少女と恋愛関係を結べれば解決するという感じでもなく、「7歳児の膣の感触」を知られたから有意義な人生だったとしながらもそこに興奮する様子はなく、一方でレイプした後で少女にトラウマを植え付る言動をし、それが望みだという雰囲気も出す。
承認欲求なのか、性的欲望なのか、復讐心なのか。竿役が少女をレイプし、それで何が達成されるから「救われる」のかが定まってなくて座りが悪いのである。
レイパーなんて支離滅裂で頭おかしいやつに決まってるでしょみたいな意見があるかもしれないが、それはこれが漫画であり物語であるということを放棄することにほかならない。漫画として成立させるためには、支離滅裂なら支離滅裂な一貫性というものが必要なのだ。
というところまで書いてみて、「微妙」としたが「レベルが低い」と評価を下方修正することにした。
たしかに「7歳児の膣の感触」を「救い」とするセンスにはビビるが、それを十全に活かしきる表現力はない感じ。編集がまともに仕事してないんじゃないか。
この作品を「凄い」と言ってる人を何人か見かけたが、実際どこが凄いのか語れる人はいないと思う。こういう張子の虎のような作品を安易に「凄い」ともてはやすのは作者にも誰にとってもいいことじゃないと思うな。
この文章を読んで、こういう感じ方をする人もいるんだなぁと思って新鮮だった。傷付くのもムカつくのも、「周囲の人々や環境が自分の思い通りに動かない」ことによって起こるマイナスの感情には違いないが、「こんな扱いを受けるなんて悲しい。私って可哀想」と自己憐憫の方向に行くのが傷付くことであって、「あいつら何で私の思い通りに動かないの?」と怒るのがムカつくことだと思っていた。
だから元増田の言い分が正しいとすれば、期待を裏切られたことによって発生した悲しみと怒りは同じものだということになるが、それを全部「ムカつく」の方にまとめてしまうのもずいぶん大ざっぱな話だと思う。「傷付いた」と主張する人の言い分に被害者意識と自己憐憫が含まれるのは確かだと思うが、それを全部「ムカつく」という怒りに変換してしまうのは違う気がする。
元増田は「傷付く」という表現が許せないのではなくて、その被害者意識と自己憐憫に対してムカついているんではないだろうか。「私は何も悪いことしてないのにこんなひどい目に遭った」と主張されると、「だったらやり返せばいいじゃん。可愛こぶって誰かに頼ろうとする態度が許せん」となっているのではないだろうか。自分のことは自分で解決しろと。
話は変わるけど、私は機械モノに弱くて何かトラブルが起こるたびに誰かに頼ろうとする女が嫌いだ。自分はそういう時に自力で解決せざるを得ないことが多く、「私が困っていたら誰かが助けてくれるのが当然」という思考回路が許せなかった。「ぶりっ子もいい加減にしろ」「甘えればどうにかなると思うな」といつも怒っていた。元増田が「傷付く」という言葉を認めようとしないのは、そういう甘えた考えが嫌いだからではないかと思うんだがどうだろう?
もしかすると、傷ついたとムカついたの区別がつかない人なのかな。
他の人だったら傷ついたと思うような場合も、ムカついたと思うような場合も、同じ感情しか抱かない(または抱いたことがない)。
言ってみれば、青色と緑色の区別がつかず、「青色ってなんだよ?要は緑色だろ?」と言うような感じ。
「拗ねとるだけやん」「本当に「傷付」いてるの?」「自己憐憫」ってくだりを見ると、
弱さを許せないタイプの考え方なのかな?とも思ったけど、
傷付いた感情を外に出すかどうかではなく、傷付いたという感情を抱くこと自体に
疑問を抱いているようにも見えるので、単に区別がついていないのかなと思った次第。
「まとめて「ウザい」「ムカつく」等の大雑把な表現しか出会わないと自分の感情が理解できなくなり」、
とのブコメの指摘の通りかも?とも思ったが、
両者の違いを言語化できていないのにとどまらず、感覚的にも両者を区別できていない、のかもしれない。
ちなみに、「むかついてるならやりかえせよ」という主張は、それはそれでよいのだけど、
自分に非がないにもかかわらずやり返すことができない場面で、人がどういった感情を抱くかに
見事なまでに想像が及んでいないのだなと思った。
私は傷付いたことがないんですよね。
「傷付く」って中学生ぐらいの頃に少女漫画とか女性向けコンテンツによく出てくるのを見て「これなんなんやろう?」と思ってました。
なんやそれうざったい。気に食わないことあって拗ねとるだけやん。
と思っていました。
いや今でもそう思っています。
「傷付く」っていったいなに?
私も中学生時代なんか人並みにいじめられたり頭おかしい教師と激突したりもしましたが
「傷付」いたことなんかないんですよね。
ムカついたことは沢山あるけど。
みんなに聞きたいのは
本当に「傷付」いてるの?ってことなんです。
陶器かよ。
いや泥沼のベトナム戦争に放り込まれて一週間もベトコンにおびえながらジャングルをさまよったり
爆弾で吹っ飛ばされた戦友のはらわたかき集めて脚を探したりしてたら
それはなんか後遺症とか出るのかもしれない。
でもさあ、普通の社会の人間同士のやり取りで「傷付いた」ってなんなの?
リアルで「傷付いた」とか言ってる奴って、少女漫画の恋愛をリアルの恋愛で生かそうとしてるのと同じぐらい痛いでしょ
なんか傷付いたらすごい人生全体にデバフがかかることになってるんですよ。
いやそれ自分でそうやってるだけじゃん。
自分で自己憐憫して浸ってそういう方向に自分で向かってるんじゃん。
「傷付いた」っていうののほとんどは単にむかついただけだと思う。
むかついたら一旦そのむかつきに正当性はあるのか、相手と立場ひっくり返したりして考える。
それでもむかついてるならやりかえせよ。
私はなんか電車で結構おっさんに絡まれる方で2年に1回ぐらい強めのトラブル起きてるんだけど
相手がどれぐらいの気持ちでやってきたかに関わらず本気で「殺すぞ」の勢いで瞬発で行くからね。
まあ身体も大きんだけどさ。小さくても負けることは無いと思うね。
顔中汗かいてブツブツ言いながら逃げていくおっさん、走って逃げていくおっさん、いろいろ見てきたし
ほんとに深夜で人通りが無かった時には口から血をボトボト出させてたやったこともあるね。(そのへんは今後の人生で2度と通らんからいいやと思ったし。)
でもそのあとは全く引きずらないし、傷付いたことなんかない。
そんなこと言って自分を縛ってどんどん人生を暗い方に自分で持ってってるんでしょ。
まあそういうことをする余裕がある人なんだろうなとも思うけど。
なんも余裕なくて必死に生きてる奴は傷付いたーとか言ってられんし。
ただムカついたりビビったりするだけ。
>でもそのあとは全く引きずらないし、傷付いたことなんかない。
それにしては詳細に覚えてるし、それをわざわざ書くのはむしろ引きずってるように見える。
なんで覚えてるかって、印象的だからだよ!
私は結構暴力的な事件に巻き込まれる方ですが、それでもエキサイトした体験は一件一件印象には残ります。
ていうか、
「何人も〆てやった」「相手はおっさん」「一度口から血がどばーって出るほどしばいたことも」
程度の記述は言うほど詳細か?
人を〆ながらきみは傷付いていたんだよ!って言われても、それどんな奴なの。
やっぱり「傷付く」って言葉を擁護する人間は少女漫画文化にやられてる気がする。
厄介イケメンてだいたい人間としてめっちゃ悪質だと思うんだが、彼は傷付いてるの!的に免罪されるの謎すぎるよな。
髪の白い悪質イケメンじゃなく髪の黒い真人間イケメンのほうにしとけと。
自慢じゃないけどわりと円満でゆるくて裕福な家庭に育ったんだ。
ていうかさ「傷付いた」の内容物、コンテンツはなんやねん、ほんとはそんなんないやろ、という申し立てをしてる人間に対して
「君は幼少期に傷付いたのではないか?」って質問は日本語噛み合ってなくないか?
「傷付いたとはこれこれこういうことなんだ、だから君のご指摘は当たらない。」
という風に、傷付くってことの説明をまずせーよ。
あんたの無茶な理論で行くと、印象的な思い出は全部「傷付」いてたことになっちゃう。
でも「傷付く」ってそれぐらいガバガバであいまいな言葉なんだよね。
使ってる奴らもよく考えてないでしょ絶対。
今から書くこと全部外れてて欲しいんだけど
とか言いながらこんな雑な心理分析もどきでなんとか煽ろうと顔真っ赤にして頑張っちゃってるじゃん?
要するにあんたは私にムカついたわけよ。
簡単に言えば「こいつなんかエラそう」っていう反発だし、
もうちょい深く言えば「定義不明コンテンツ不明な言葉を振り回してる自分の日頃の無考えを指摘されてカチンと来た」わけ。
これは単に「ムカついてる」んだと思う、私は。
でもあんたの理論だとすべて「傷付」いてることになるんだっけ?
増田を書くのは傷付いてるからで、おっさんを〆てるときも傷付いてたと。
それに対してめっちゃ煽ろうと頑張るあんたは私が傷付けてしまった被害者なのだと。
世の中傷だらけすぎかと。アホかと。
そんななんでも全部「傷付」いてることになるんなら、
「ムカついてる」よりはるかに乱暴で大雑把な概念じゃない?「傷付く」って。
sds-page 感情が無い設定のキャラ、だいたい感情がある 増田
2020/09/08
人の話聞いとるんか。
感情がないなんてどっこにも主張してないだろ。
「傷付く」ってなんなんですか?「ムカつく」とか「ビビる」じゃないんですか?と言ってる。
私は情緒は豊かな方だしなめてきたおっさんにムカついてカッとなって〆たことは何度もあると供述もしてる。
pptppc2 傷ついたことがない増田 VS ギザギザハートの子守歌に出てくる触るものみな傷つけた奴 VS ダークライ
2020/09/08
けどあんなん要は「やなことあってイライラしてて弱いやつ狙って当り散らしてる」ってだけじゃん
イケメンだから許されてるけどきたねえおっさんがやってたらどうなの
alpha_zero alpha_zero 幼少期にこういった繊細な概念を学ぶ機会がなく、まとめて「ウザい」「ムカつく」等の大雑把な表現しか出会わないと自分の感情が理解できなくなり、キレやすくなるケースがあると児童心理の本で読んだことあるなぁ
2020/09/08
お前らと私とどっちが思考が細やかかをフェアに見比べてほしいわけ。
脳が粗雑だと難しいだろうけど。
何でもかんでも「傷付いた―」に放り込む人間と
「いや、それはムカついただけ。それはビビっただけ。
傷付いたってなんだ?ほんとにそんなのあるのか?」って懐疑を提示する人間と。
今回の文はつまり「傷付いたーとか言ってるやつは雑に生きてるせいで頭悪いんちゃうか?」と疑ってるんです。
「俺はお前らよりタフガイ」ではなく「私はお前らよりは頭いい」と言ってるんです。
反論は大歓迎だけど、ちゃんと問題文読解したうえで反撃してほしいな。
それは貴方の傲慢と人生経験の不足です。他人の心の中は文字通り想像を絶する程わからない。貴方には嘘としか思えないクソみたいな理由で人は傷ついたり自殺したりします。他人の心中を嘘と断定できる訳が無いのです
うんだからそれはただのアホでしょ。
傷付いたーって深刻ぶっみたせいで始まっとるでしょ。
「ムカついたから自殺します」ならこれただのアホやんけって気付いて自殺しなくてすむでしょ。
あと「じゃあムカつくってなんだよ」という質問が結構あるから答えると、要するに怒りですよね。
怒りってなんなのか、「自分の思う通りでない」ってことです。
例えば女に告白したのにフラれてムカついた。
思う通りでなかったことへの瞬間的反応です。
でもフラれる可能性なんて当然あったのになんでムカついてんだ?と。
そこを掘り下げると、
もしくはなんかうぬぼれてたんだなとか、
もしくは告白しながら実は相手の女のこと見下してるとこあったんだなとか、
客観的に見れるでしょ。
そしたらこのムカつきは単に自分でやってるだけじゃんてなって終わりでしょ。
これを「フラれて傷付いた」にしたら大変で、自己陶酔したまま逆恨みで相手をストーカーしたり悪口言ったり刺したり、自分が死んだり、大変でしょ?
ムカついてる自分を平易にムカついたんだねって認める人と、
大袈裟に傷付いたーって言い出す人と、
どっちが人に迷惑かけず自分の人生を無駄に暗くしない人間ですか。
みたいに一生懸命煽ってる奴、
要するにこんな話でムカつくーとかムカついたーとかを「傷付いた」扱いしえ頑張ってるわけで、
私の懐疑である「単にムカついただけのことを大袈裟かつよくわからん感じにするために「傷付いたー」って言ってない?」はますます当たりなんじゃない?
そういう攻撃性や「ムカつく」という感情の背後、識閾下には深い悲しみがあることが多い。怒りはあくまで第二感情。その悲しみが意識されれば無駄に少女漫画に切れるというようなことも多分なくなる。
逆だと思うな。
怒り、「思い通りでないこと」に対する不満が全てで、悲しいって言うのは怒りの亜種だよね。
身内が死んでなく人は「ずっといてほしかったのにいなくなった」っていう現実に不満で泣いてるわけ。
ていうか感情を意識してないのは、そういうことをきちんと分析して考えることがなく「傷付いた」ですませる雑な人達の方では。
思考が雑な人の特徴は明瞭で、語彙が雑。あと辛抱して読む力がない。これは怠惰なのではなくてやろうとしても出来ない。
この文にしたってどの辺で少女漫画にキレてるのよ。
ちゃんとした読解力や洞察力ある人ならむしろ「こいつ相当少女漫画好きやろ」と気付く。
少女漫画というのは精神的快楽をすごい突き詰めて分析して再構築する勝負なのであんな面白いものはなかなかないし頭のよい人間が読むに足るコンテンツだから。
少女漫画の文法や約束を現実にそのまま適用しようとするのは毒されててキチガイじみてるからやめろと言うだけ。少女漫画自体は卑下してないだろ。
mozukuyummy 勝てると思ったおっさんに反撃されて血ぃドボドボにされたら傷つくのではないかな?
2020/09/08 リスト
それはどうだろうなー
ていうか反撃しとるのはこっちだし
ただああいうことって色んな状況を想定しながらその瞬間に全力で行くわけ
後から傷付いたとかゴニョゴニョいうならその瞬間に全力でやってみなとは思ってる
やっていくうちに慣れてくるし慣れてるからこその緩みとかも出たりする
勝つか負けるかじゃないんだよ
汗流して逃げてったおっさんも口から血がドボドボ出たおっさんもその体験をどうとらえるかは
別に毎回必ずやり返せとか言ってるんじゃなくてちゃんとやれと言いたいわけ
ムカついたけど考えたら自分にそんなに理はないなってときはやるべきではないしさ
そういうことをちゃんと考えずに全部「傷付いたー」
瞬間に全力で当たらずに後からぐずぐずぐずぐ「傷付いた―」
それは雑に生きてるだけじゃない?
「傷付いたー」って言ってるだけの人間がなんで自分をなんかとても繊細でよく考えてるかのように思い込めるのかがわからんのよね
「熟考したけどそんなんないやろ」って言葉を尽くして疑問を提起する人間が、
傷付いたとは何なのか説明もできないのになんでも傷付いたー処理のやつより粗雑って
そんなことあるか?
konikko 関係ないけど過去の暴力行為をペラペラ喋る奴はマジキチ認定されるからリアルでは言わないように気をつけてな!まともな奴は去ってマジキチとペテン師に取り囲まれるぞ。
2020/09/08
ak248 傷ついたと言ってまわる若い女はうざいのはよくわかる。アイツらは地雷。同時に静かに黙って色々なところで涙を流して悲しむ人がいるのも事実。人の心は自分にも他人にも正確にはわからない。
2020/09/08
それどっちも等しくアホちゃう?って思う
imash 傷心:悲しく思うこと
悲しいって要するに思い通りにならんて泣いてるだけで
大したこっちゃないよね
2020/09/08
むしろ傷付いた傷付いたっていうのを中学生ぐらいで学んで盛んに言うようになるじゃん?それやるのが好きな奴はさ
そんで大人になってもまだおんなじことをやってるんなら、
「本当にこのやり方は自分の人生を豊かにしてるか」って一度真剣に検討した方がいいと思うんだけどね
同じでしょ
たとえばはてなとかでよく見る、痴漢のおっさんのことずっと恨んでる女
曖昧な「傷付いた」よりずっと精度が高くて対処しやすく分解できてると思うけどなこれ
unigame 傷ついたことなくて増田よかったじゃん。そんないい人生歩んでる上に他人の事嘘つき呼ばわりして傷つけるとかマジ許せんな。お前それ新型コロナかかってないからって「新型コロナとかいうデマ」言う奴と同レベルやぞ
だから傷付けてるんじゃなくて怒らせてるんでしょ
ムカつく―!ってなってるだけやん
違うんならムカついてるのと傷付いてるのが厳然と違うってことを説明してみなよ
違わんからろくに反論も出来ずにムカつく――っ!キーーーーっ!ってなってるんでしょ
①
一、周りのせいにしない、言い訳をしない
五、過去のことは全て忘れる、クヨクヨしない
六、深刻に考えすぎない、ある程度気楽に生きる
七、本当に困った時は周囲に助けを求める
②
一、嫌いな人とも上手に付き合う、距離を取る
二、自分は特別でも、才能があるわけでもないないことを常に自覚する
三、悪いこと、無礼を働いたら素直に謝る
七、今あるものを大切にし、育てる
八、身だしなみを整える、散らかさない
③
三、無理なものは無理だと潔く諦める
六、自分を大切にして、周りにも気をかける
七、無謀なことはしない、地に足をつける
九、自己憐憫に陥らない、いいところを見つける
十、逃げない、ただし無闇な戦いはしない
④
三、悪さに憧れない、悪影響に流れない
四、楽しいことばかりを優先しない
七、つまらないことは気に留めない、受け流す
九、他人を見縊ったり、下に見たりしない
十、自らを把握し、コントロールする
⑤
一、他人を羨んだり、妬んだりしない
三、偽ったり、騙そうとしない
四、どうでもいい、などと尊大ぶらない
五、失ったものは、また帰ってくる
非常に面白かったけど、やっぱりというか、
リアルな等身大の女性を描く漫画って、いつも男性の描き方に違和感だらけ。
「能天気で何も考えてない平凡な男」でなければ「王子様のように素敵な男子」か。
女友達の心理描写についてはこれでもかというくらい丁寧なのに、
男については、はっきり言って表面的なことがあまりに多い。
女性はリアルなのに、男性は記号化・パターン化されたキャラクターで描いている。
男性が仕事や人間関係で悩んだり辛い目にあったり苦しんだり悔しい思いをしたり、
男子が描いたら膨大に湧き出てくるはずの情景が全く出てこない。
男子がこんな何も考えていない能天気だったら、自殺率が女性の3倍なわけないでしょ。
もう少し男性の心理描写について、男性が最低限共感できるレベルまで頑張って欲しい。
他にも、別れた男についてはいいところがなく欠点だらけみたいに描くのに、
私はどうも同僚の昇進や友人の幸せそうな妊娠にすごく嫉妬しているらしい
この間までこんな会社辞めるとか結婚なんてしたくない1人最高!とか思っていたのに、身近でこんな事を見てると嫉妬心がメラメラと湧いて来る
あいつ大失敗しないかな、旦那が浮気でもしてたら面白いのにと思ってしまった時は雷に打たれてスケルトンになるかと思った
こんな事考えていてはダメだと思い、思ってしまった反省も兼ねて自ら、昇進して上司になった元同僚に素直に敬意を表するつもりで、すりよるも粗探しをしていたり、妊娠中の友人を気遣うつもりでLINEをしたらまた幸せそうな返信が自慢に聞こえたりする
この醜い感情はどこから来るのかと考えれば考える程自分が情けなくなるばかりかそれは自己憐憫にとって変わりまた嫉妬にもどる悪循環
と言う事は私も昇進したかった?結婚妊娠したいの?と自分に問うものの特にピンと来ない
早く抜け出したい
「世界一周旅行しました!」「100カ国を回りました!」って言われたらすげえ感じするけどよく考えると地球の七割は海なので雑魚ですね
俺たちはせっまいせっまいクソみたいな土の上でイキって食物連鎖の頂点・地球の支配者なんて抜かしてるバカ 大体表面積上は水のほうが多いんだから地球じゃなくて水球だろ 土なんてどこにでもあんだよな ゴミですよ 水のほうが格段に良い
俺はビンボーだから今後たいした旅もせんと死んでいき、途中それこそ100カ国回ったりしてる連中を見て「俺は籠の鳥、奴らは自由で良いな」なんて自己憐憫に浸ったりするかもしれないが、奴らの自由のフィールドは所詮三割の陸にすぎず実にしょぼい 何が自由か 何が世界中か
海 母なる海に背を向けて陸でいきり始めた結果溺れ死ぬようになった、という惨め極まりない事実こそが知恵の実による失楽園に対応してるんじゃなかろうか?服なんかしょぼいよ ヌーディストには原罪がないのか? 火なんかしょぼいよ プロメテウスくんもIHヒーター使いなよ
海は怖い 海にロクな思い出がない クラゲには刺される、波にはさらわれる、魚は怖い、溺れたら塩辛くてつらい
違うんだな〜ッ 悪いのは海じゃない 俺でもない 人間という劣った生物の低性能です 鰓呼吸くらいやってみろよなあ なーにが万物の霊長じゃ めだかでもできることができない真性の雑魚 洗面器で溺れ死ぬ低能生物の哀れ
本当は海で生きたかった なんせ広い 青いし 深くもある 地震きても死なん 地震でダメージ喰らうのは雑魚の仕草 情強は波に乗って楽しむのみ
月の満ち欠けで潮があるっていうのも良いよねえ かっこいいですよ あの美しい白い球体 あれの生み出す流れに乗れるっていうのは光栄だあ
地球の地面なんてきったねえですよ 緑色したキモチワルーイ生物がびっしり蔓延っていて最悪 地球本来の自然は緑色じゃねえからな
ああー海 海よ
でも学生時代にいじめられたこともあるし、いじめたこともある。
先生に反抗したこともあるし、やんちゃな子を諫めたり先生に報告したこともある。
職場ではいろんな自分を試して、あまり主張しないキャラで生活してみたり、
リーダーシップバリバリ発揮するキャラを演じてみたり、いろいろためした。
その経験からすると、結局、どんな立ち位置であれ視点を変えれば加害的な要素はあるのだ。
いじめられていた時は、自分の思い通りにならない時に不機嫌になってグループの楽しい雰囲気を台無しにしていた。
いじめていた時は言わずもがな相手の子に精神的なダメージを与えていただろう。
先生に反抗したことも、視野の狭い自分の意見を振りかざして授業時間を削り、先生に負担を強いていただろう。
やんちゃな子を諫めた時も、それを諫めようが諫めまいが誰も傷つかないはずなのに、規範を彼らに押し付けていた。
主張しないキャラでいることは、こちらの意思伝達コストを相手に丸々ぶん投げる行為でもあるし、
リーダーシップを発揮することは、チームの個々の利益(楽して稼ぎたいとかプライベートを充実させたいとか)を損ない、自分の社会的評価を獲得することでもあっただろう。
そんな具合で、どの立場であっても加害性というのは多かれ少なかれ存在する。
にもかかわらず、twitterやnoteなんかで見かける、「自分は絶対的な被害者だ」と言わんばかりの未熟な主張を見ると共感性羞恥とやらを感じると同時に、社会悪を見た時のようなモヤモヤした気持ちがわいてくる。
私の日常にある似たもので言えば、会社の禿げた課長が毎日鏡とにらめっこして、日本人なのにハゲててもクールなナイスミドルですねという称賛を強要してくるのだが、そんなナルシズムと同じ気持ち悪さだ。
20代前半ならまだいい。あれぐらいの年頃は自分が一番かわいくて、自分が一番かわいそうだって思いたいものだ。
だけど40代主婦です!30代です!なんてプロフに書いている人が、誰にも言うことができなかった状況なの!
なんて錦の旗をブンブン振り回して自省をしない様を見ていると、彼女らが苦労するのはある種自業自得だと思ってしまう。
ちょっと前にはてなで本当にヤバイ奴らは風俗などですらセーフティーネットにかからないって書いていたけど、
まさにそういう人たちはたくさん存在して、ほんの少しの画力や表現力が添加されているだけで、人間性としてはあまり関わりたくない、そんな人々たちが犇めいているんだなあと思うと、
やっぱり社会はまだまだまだ不条理で生きづらいんだろうなと、明日の出社準備をしながら悲しくなってしまった。
いや、この悲しさは明日出社しなくちゃいけないという憂鬱由来が8割だな。
憂鬱だからこそどうでもいいことを嘆いてモヤモヤしているだけなんだろう。歯磨いて寝るわ。
思ったより見てもらえてびっくりしている。
が、寝る前に勢いで書いたのでところどころ雑だなあと我ながら恥ずかしくなった。
さて、私はたぶん絶対的な弱者ではなくて偏差値で言えば40くらいの弱者だと思う。
記事中では自身が絶対的弱者だと主張していないのだが、ブコメを見るに私は強者だということになっているので、
せっかくなので、私の記事を見てもやっとしたり、攻撃されているという気分になった同じ偏差値40くらいの弱者の人にアドバイスがしたい
私は弱者を克服してはいないのだが、個人的な感覚としてはだいぶ生きやすくなった
未だに人が多い食堂は利用できないし、バスや電車に乗ると定期的に気持ち悪くなって降りてしまう後遺症があってもだ。
不便ではあるが絶対的な不幸ではなくなった。
ここでいう偏差値40とは、本人の自己研鑽で主観的な生きやすさが偏差値48~52くらいには上げることができる人を指したい
弱者の中にも努力でどうしようもならない人もいるし、努力をすればある程度は不便が解消される人もいる。
努力をすれば生きやすくなるのに、絶対的弱者に落ち込むことで努力をしない状態に自分を固定してしまう人もいるだろう
だけど、最近の風潮としては弱者に努力を要求することはご法度だ。
その中にはそれでこそ生きにくさを解消できる人も大勢いるとしても。
弱者に甘んじるということは、一般の人から見ると権力の行使としてとらえられる。
それはそれで生きにくいし、なんなら属性を明かさない方が生きやすい人も多いだろう
けど、絶対的な弱者は椅子取りゲームのようなもので、そこでも目に見えない戦いがある
また、人は遠くの石油王より、身近な時給が100円高い人に憎悪がわくものだ。
弱者を少しばかり克服して、医者から薬が必要ないことを仲間に告げたときに、
陰でいろいろ噂を流されたり露骨に嫌がらせをされたり人格否定をされたりと、
だからこそ、最近の風潮ではマチズモとレッテルを貼られて見向きもされないかもしれないけど、
気持ち悪い話し方だと言われたら3日坊主を何回も繰り返して話し方を改善したり、
生きやすくなった私のような例も示したいのだ。
もちろん、疲れた時に毒を吐くのもいいし、感情的になるのも大切なことだ
だけど、研鑽でのみ救われるタイプの弱者はそれに加えて自省内省が必要なのだ。
だれもそのことは表で言わない。今なら袋叩きになるだけだから。
そして、弱者は自分の身を立てることだけを考えて、絶対的弱者に近づいてはいけない。
上述の通り足の引っ張りあいも存在するし、何しろそこで他人に配慮している余裕なんてないのだ。
同情している健康な人たちは、気持ちを注ぐことである種の消費をしているものだ。
加えて、それを心得るだけで、ある種の人からは好かれるようになるのでオススメだ。彼らはいい人が多いので、少しばかり繋がることで本当に生きやすくなる。
こんな感じで、私は病名がつく障害を持っていて、
非正規で低所得で独身でも弱者の中の強者らしいので、強者は強者らしく振舞いたいと思う。
私の中にペットに対する釈然としない気持ちがある。ここで言うペットとは通常「ペット」という言葉で想像されるだろう、人間に飼われている人間でない動物(例えば犬、猫)を想定している。私のもつその気持ちがどういうものか、それを上手く表現できないからこそ「釈然としない」と書いたのだが、ともかく他人からペットにまつわるエピソードを聞き、他人のペットとの関わりを目にするとき、私の胸にしばしば芽生えるネガティブな感情がある。それらの感情を抱く理由は――無論断定できる類のものではないが――恐らく私のペットに対する考えが由来となっている。
しかしそれらの考えは非常に表層的で熟慮されたものではない。反論を自ら思いつくものさえある。これまで折に触れてそれらを検討し自分にとっての結論を出そうと試みてきたのだが、考えるのが下手なせいか、その表層を撫でまわすばかりで一向に考えは深まらなかった。
そこで一旦曖昧なりにも考えを文章にまとめ、ウェブに公開することで有益なアドバイスをもらうことを期待して、この文章を書くことにした。本来であれば理路整然と自論を展開してそれを問うのが読み手に親切だとは思うものの、上に記したように、そう出来る程まとまっていないのであくまで「愚痴」として、ぼんやりとした不快感を少しでも形にして提示することにする。
私のもつ不快感、それは前置きで記したように複数の要素が不明瞭に混合したものだ。それらは互いに相関をもつのかもしれないが一旦切り分け、今回は一つに絞る。今回問題にしたいのはペットの命名についてだ。
論の立て方の拙さで言いたいことが曇るといけないので、先に不満点を端的に述べる。不満点はペットの名前に可愛らしい印象のものが多いことだ。そして不満な理由も粗略に述べておくと、そのような名前を付けることによってペットが人間の満足のために愛玩されるものだという信念を強めると考えるからだ。
そう複雑なことを述べているわけでもないので上に短く記した不満点とその理由で、私の意図するところを概ね把握することが可能だろう。ただ私が動物を愛玩のために扱うのを嫌悪する理由の説明は必要だと思うのでそれを少しする。
私が嫌悪する背景にはペット動物に対する人間の原罪のような意識がある。まず前提としてある種の動物の生き方の選択肢は狭い。例えば日本で犬が生きていくにはペットとして飼われる以外の選択肢は殆どない。野犬は狂犬病対策のために保健所に捕らえられるからだ。猫の場合はもう少し緩やかで放し飼いも許されてはいるし、野良猫もある程度は許容されている。ただし避妊・去勢され生物としての機能は制限される。犬、猫に限らず公衆衛生や人間の安全のために生き方を制限されている動物は色々といるだろう。
私はこのことを考えると申し訳ない気持ちになる。無論動物と細かな意思疎通ができる訳でもないし、動物にとっては他の生き方という考え自体も恐らく無いだろうから、この申し訳なさは一種の自己憐憫に過ぎないのかもしれない。しかし人間による地上の征服の結果、人間へ従属するか人間社会の隙間で生きるしかない動物のことを考えると申し訳なくなるのだ。この申し訳なさから派生して、どうにかそれらの動物に報いることはできないかと考えるとき、改めて意思疎通がとれず、相手の願望を把握することができないことに気づき、行き詰まる。それで結局のところそれらの動物が狭められた生き方の中で幸福に過ごせるよう、ある種独善的に判断して行動するほかないということになり、そしてそうする責任があると感じるのだ。
話を戻してそれが何故可愛らしい命名をすべきでないという点と繋がるのかというと、可愛らしい名前でペットを呼ぶと、その瞬間それが幸福を祈るべき対象であることを忘れ、一つの愛玩すべき物体になってしまう気がするからだ。例えば自分が好ましいと感じる外見の人間に対し、それを「格好いい」、「綺麗」、「可愛い」といった感嘆と共に見つめるとき、その人間は内面や背景を失った一つの物体となってはいないだろうか。可愛らしい名前を付けてペットの名を呼ぶことは「可愛い」と言いながらペットを呼ぶのと類似で、それはやはりペットを単なる恍惚の対象にしてしまわないだろうか。そして名前を呼ぶ行為は常習的に行われるため、徐々に意識の奥底に愛玩するものだという意識が蓄積し、いつしかそれが自明のことなってしまうのではないか。こういう懸念から可愛らしい名を付けることに不快感を感じている。
ではどのような名前がいいかいくつか具体例を考えてみた。ひとまず「ゲレゲレ」、「ボロンゴ」、「$$(ドルドル)」あたりを挙げたい。これらの名前は愛らしさがなく、異質さを強く感じさせ、結局のところ人間と動物が相容れない存在であることを認識させてくれる。
konk********* 漫画家がえらい避難されてるからあえて擁護側に回るけど、聞き手がこんな感じでギョッとしたり分かりやすく沈黙するようなのだったら話す気失せるわ。どんな興味ない話題でも相槌うって知りたいフリくらいする。
→それはその「当該聞き手さん」個人が悪いに過ぎない案件なのに、無関係な人全体に対して「共感されないアタシ」という自己憐憫に浸っている姿をアピールしているから不評を買っている。
mato***** 厳しい意見が多くて困惑中。鉄道好きでも撮り鉄と乗り鉄と時刻表鉄では視点がまるで違うとか、小説好きでも古典SFと恋愛小説とミステリーじゃ知ってる作家すらかぶらないとかの単なるあるあるネタだと思ったのに
→あるあるネタに過ぎない事象を肴に「共感されないアタシ」にドップリ浸っている姿を見せられて不評を買っている。
lueg********* うーん、趣味は「違う意見ぶつけてなんぼ」って批判的なコメントがあるけど、他の人と共感する楽しみ方だってあっていいと思うけどな。
→「共感して幸福を感じること」を批判しているのではない。「共感されないアタシ」に焦点を当てて自己憐憫にふける語り口が不評を買っている。
このマンガは同情されたくて描いてるのかマウント取りたくて描いてるのかはわからないが、とにかく「音楽が好き」というのが事実なら、自分の「好み傾向」や「聴き方」に自己陶酔するだけの段階は脱却すべきと、勝手ながら思った。
音楽とは本来音の調和を楽しむこと。音は空気の振動。物理学である。
地球に生まれたことに感謝しよう。大気がある星。真空の宇宙では音は聞こえないのだから。
耳が健常なことに感謝しよう。いくら音が調和したところで、それを感じ取る術がなくてはとても広大で素晴らしく興味深い音楽と出会うことすらできないのだから。
好むジャンルの違いや時代の違いや詩の有無なんか顛末である。何を聞いてどう心を動かすのかも、どう愛するのかも、もっと自由なもんだよ。
語りたくないのに無理に語れとは言わないが、「他人に共感されないアタシ」の殻に閉じこもって、自縄自縛の自己憐憫オナニーマンガを描くことに終始するのは、音楽を愛するものとしては悪手のように感じるな。
調子に乗っていたがために、境界性人格障害に自己愛性人格障害まで付け加えて
あまりの酷さに
助けてくれそうな人さえ手放し
周りに人もいなくなり
孤独で
チャンスも逃し
男だから助けも来ないし
同級の奴らは会社でバイトしてたので実力があるものの、私はするなと言われていたがために実力もなく(最近まともになった)
金もなく
自分は食わせられないし
人を食わせる自信もないし
どうやっても生きていく自信がない
虚勢を張る
無理なの分かっているのに
自分で育ててきたんだ
口先だけは達者になり
大きなひびさえ入り
もう、昔のイケイケだった俺はそこにはない
色々可能性に満ち溢れていた俺はない
わざわざ可能性の低い方を選んでやってきた
人の嘘を信じ
あまり調べず
考えもろくにせず
方向修正もせず
自己憐憫ばかりし
いつの間にか酒浸りになり
やっていきたくない
自己憐憫についての厳しい意見を見て、モヤッとしたのはこれで2回目
何がいかんのか、ということを考えてみた
それは私でない何か、他者や世間や世界が私に酷い、と嘆くことなのではないかと思う
自分で能動的に自分を幸せにしようとしてない、できないと思っている
そういう無力感と他者依存を、自分自身の力でなんとかしようと頑張ってる人からは、幼い・甘えている、と見られてしまうのではないか
そう思った
また、自己憐憫は不幸な自分を憐みつつも、自分は悪くないと自身を慰めることでもあると思う
そうなりたくないという気持ちから、自己憐憫を殊更に嫌ったりするのでは
これも似たような発想かもしれない
私自身は愚痴や自己憐憫が強いたちだと思うので、こういう表現を見ると、何がいけないのかとつい考えてしまう
逆に自分が、自己憐憫の強い人を見た時にはどう感じているだろうか
…ああ、たしかに、幼いと感じる
自分が出来ないことを周囲に知らしめ、周囲に自分を労るよう強要するような態度に見えるから
他者から見ると自己憐憫や愚痴は、自身を可哀想がってほしい、構ってちゃんにしか見えない
それはみっともなくもあり、また他人からしたら他人の人生には大して興味もなく、友情愛情なんかもそれほど感じていない相手にそれをやられると
はあ、大変だね(苦笑い)
とはいえ、そういう弱い人を鬱陶しく思っても、嫌うところまではいかない
ただそれをよしとしない人もそれなりに居て
これまでの私の行動の結果、不幸な結末を招来しているのだが、結局、自分の中で悪魔を育てていたことが原因だっていうことが分かって絶望した。
悪魔とは、
である。
良い子でいようとする。
自分の本来の生き方ではない生き方、直感に従った生き方でもよいとする。
もともと優等生であろうとした私に自然に芽生えたものかもしれない。
これがあると最悪である。
もともとそんなになかったんだと思うけれども、某元北海道地方のローカルバラエティ番組に影響を受けて形成されてきたんだと思う。
それを真似してしまって、これがウケるものだから取り入れてしまった。
確かに、人生つらいときはある。それを笑いに変えるのは天性の才能だと思う。
しかし、それをわざわざ自分の人生に取り入れて悲観することはない。
これについては、院生時代の不遇な時期に、取り入れてしまったこのぼやきを、人に披露することで育ててきてしまったんだと思う。
小人閑居して不善を為す。
バイトをしなかった結果、生活リズムも必然的に乱れ、自分で何かを成すこともなくなる。
種銭があれば殖やそうとも思うのだろうが、ないから諦める。チャンスを逃す。
悪徳以外の何物でもない。
これらの悪魔に水をやり、食糧をやり、としてやってきた結果、30代の今がある。
手元には何もない。
転職できるだけのスキルもなければ実績もないし自信もない。配偶者もない。孤独と不安感のみがある。
さて、どうしたものか。
詰んだな。