自己憐憫についての厳しい意見を見て、モヤッとしたのはこれで2回目
何がいかんのか、ということを考えてみた
それは私でない何か、他者や世間や世界が私に酷い、と嘆くことなのではないかと思う
自分で能動的に自分を幸せにしようとしてない、できないと思っている
そういう無力感と他者依存を、自分自身の力でなんとかしようと頑張ってる人からは、幼い・甘えている、と見られてしまうのではないか
そう思った
また、自己憐憫は不幸な自分を憐みつつも、自分は悪くないと自身を慰めることでもあると思う
そうなりたくないという気持ちから、自己憐憫を殊更に嫌ったりするのでは
これも似たような発想かもしれない
私自身は愚痴や自己憐憫が強いたちだと思うので、こういう表現を見ると、何がいけないのかとつい考えてしまう
逆に自分が、自己憐憫の強い人を見た時にはどう感じているだろうか
…ああ、たしかに、幼いと感じる
自分が出来ないことを周囲に知らしめ、周囲に自分を労るよう強要するような態度に見えるから
他者から見ると自己憐憫や愚痴は、自身を可哀想がってほしい、構ってちゃんにしか見えない
それはみっともなくもあり、また他人からしたら他人の人生には大して興味もなく、友情愛情なんかもそれほど感じていない相手にそれをやられると
はあ、大変だね(苦笑い)
とはいえ、そういう弱い人を鬱陶しく思っても、嫌うところまではいかない
ただそれをよしとしない人もそれなりに居て
自分本位な人間は嫌われやすいってだけの話しでしょ 弱い人間っていうかむしろ強情だと思うけど
精神疾患の症状で、仕方なく自分と他人の区別がつかない言動をとってしまう人まで嫌われてしまうのは気の毒だ。
病気だろうが性格だろうが受け手の不愉快さは変わらんだろ
なるほど、他人を前に自身の話を切り出す時点で、身勝手で不快ということか
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キモくて金のないおっさんですが私はあくまで当事者として日本社会の風潮や社会問題に対して 私からはこう見えているということを発言させていただいています キモくて金のないおっ...