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はてなキーワード: 自己完結とは

2016-06-13

○○恐怖症

対人、電話

電話なんか周りの人すべてが聞き耳立ててるんじゃないかって気になるくらいヤバい

「誰もお前のことなんか興味関心ねーよ」と自己完結したいところなのだが、まれに「何の話?」とかツッコまれるので、やはりひやりとさせられる。

他人自分のことには確かに興味はないが、他人マイナスポイントにだけは敏感に反応する。

他人の不幸は蜜の味なのだろう。

こうして恐怖症はますます加速する…。

2016-06-11

エンターテイメントがしぬかもしれないはなしその2

エンターテイメントがしぬかもしれないはなしの続き。

前回は2000年2010年あたりのアイドルジャニーズお笑いジャンルでなにが起こっていたのかということをさらっと(わたしの十代の記憶と共に)振り返った

では現在虫の息である若手俳優の世界でなにが起こっていたのかということも一応書き記しておく

まさに2.5次元ミュージカル王様(なぜ若手俳優の舞台はつまらなく、客席が埋まらないのかおたく真剣に考えてみたブログ参照)であるテニミュが初めて上演されたのは2003年のことである

当時の話はパイセンたちからのお話でしか聞いたことがないけれど、はじめは客席が埋まらないのでキメ様のライブをおわりにやったりして、キメ様のおたくとかでがんばって埋めていたらしい

ちなみにみんな大好き氷帝学園、いまをときめく斎藤工が出演していた氷帝公演が行われたのは、2005年の話であるから、テニミュ(若手俳優)の世界も前述の通り、やっぱり2010年向かって右肩あがりの時代だったんだと思う

それでは今度こそ2010年以降、おたく世界になにが起こってきたのかをふんわり考えてみようと思う

現状として、大きくふたつの問題がエンタメおたく界の中に発生している

ひとつは、村社会としてのおたく世界におけるおたく高齢化社会、ふたつめは、生産的おたくの少数化である

このふたつは繋がった大きなひとつの問題である

⚫︎「おたく高齢化社会」とは

その名の通り、おたく高齢化が進んでいるという話である

変な話だと思うかもしれない。今日本は国として、ずっと偏見を持たれて消極的に虐げられてきた「おたく」という異常な世界ひとつ国民性としてピックアップしていって、それを日本の特色としてビジネスにしようとしている

そして、おたくではない人たちがおたく世界に土足で踏み込んできて、自分たちが興味を持った部分のみを取り上げて「これがおたくなんです!」とテレビ雑誌なんかで言っちゃってる

元々こういうサブカル推しの政策になるまでにおたくになっている人たち(わたし含め)は昔の閉鎖的なおたく世界の中での「みんな違ってみんなとりあえずよし」というのに慣れているからあんまり気にしてないかもしれないけれど、

新規参入してきたおたくの人たちはひょっとしたら、マスコミたちが取り上げた「おたく世界ひとつの側面」を見て、自分でなにか実体験として掴み取ることもせずにこれがおたくなんだとぼんやりと捉えているだけなんじゃないかとわたしは危惧している

おたくというのは長らく村社会である

村のコミュニティーの中に入れていようが、村八分されていようが、そこに存在する限り、とりあえず全員村民である

例外ももちろんあると思う。

例えばワンピースが好きだったとして、毎週ジャンプを買い、単行本を買い集め、アニメを視聴し、自分なりに設定についての考察を行う

これをネットなどに発表することなく、誰に見せることもなくひたすらノートに書き綴っていたら、自己完結しているので、他者から村民として認知されることはないと思う

けれど、この人が例えばホームページを立ち上げて自分なりの考察世界に発表したら、例え誰かと交流を持たなくても、わたし村民として世界に存在していることになると考えている

他のワンピースおたくは誰かしらそれを読むだろうし、感想メールする人もいるかもしれないし、リンクフリーと書いてあったら、リンクページやブログにその考察サイトのURLを貼るかもしれない

かたや、HPを立ち上げたもののアクセスがなかったら、自らサーチに登録するかもしれない

こうして、村の中へと入っていくのである

村の中には色んな人がいる。

一流企業で働いているエリートもいれば、ニートに近いフリーターもいるし、学生もいれば、子持ち主婦もいる

けれど、暗黙の村の掟というものがおそらくどのジャンルおたく世界にも存在して、もちろん可視化されたものではないので、最初はわからないのだけれど、どの村にも、RPGゲームで話しかけてくる村民みたいなやつがいて、

これはこうすればいいんだよ、これがどうなんだよ、とふんわりと村の掟を教えてくれていた

物事というものは、完全にゼロから創造されることはない

そこになにかが存在して、そして、基礎とされるルールが存在して、初めてそこからなにかが生み出される

ことにおたくという生き物は、おたくという側面においてイチからなにかを創造する生き物ではないと考える

何かが存在して、それになにかアレンジを加えて、別のなにかに変化させるのがおたくだと思う

なにが言いたいかというと、アイドルがいて、おたくがいる

漫画があって、おたくが読む、舞台が上演されて、おたくが観る

おたくというのは、創造されたなにかを完成させる上で不可欠な存在ではあるが、まずはじめは受け手

受け手として、その世界に存在するにあたって、どんな世界にもルールがある

けれど、情報化社会の中で、おたく世界の中の村という概念が何年も前から崩れている

これは、若い子に限ったことではない。

マスコミが取り上げたおたく世界を見て、おもしろそう!と新規参入してきた年配おたくも同様である

そうすると、どういうことが起こるのかというと、新規参入おたくたちはSNSなどのツールばっかりは立派に持っているのだけれど、RPGゲームで話しかけてくれるおたくがいないものだから、

レベル上げの方法を知らずにずっとマサラタウンの横の草むらでコラッタキャタピーや同じようにそこに留まって地図を持たないおたく同士で、これがおたくなんだー!たのしー!となっている(もちろん例外もいる)(自ら見つけていけるんだから、わたしと違ってまじ天才的だと思っている)

村民おたくマサラタウンおたくとのおたくの分離化が進む中で、旧型のおたく高齢化が止まらない

⚫︎「生産的おたくの少数化」とは

どのジャンルにもいると思うのだけれど、ツイッターに常駐していて、キチガイを名乗っている若い自称おたくの子たちがわりと一定数いる

これは本当にかわいそうだ。

なぜならなんの生産性もないツイッターに常駐して時間を無駄に浪費しているということはおたくでもキチガイでもなんでもなくて、生産性の低いただのかまってちゃんだからだ

けれど、それでも時間が潰せるものだから、若い子たちはきっと常駐してしまうんだと思う

ツイッターがリアの頃に普及していなかった世代からすると、完全に異常なので、正直積極的にリプを飛ばして関わり合いになろうとは思わない(自分のことを棚に上げてこんなことを言っているがわたしも相当別のベクトルやばいヤツなので、関わり合いにならない方がいいと思う)

わたしが若い頃は、ツイッターがなかったので、ひまだったらもっぱらブログを更新するか、様々な匿名掲示板を眺めるか、仲間内でチャットメールをするか、などしか暇つぶしツールがなかったのだけれど、完全に村社会だったので、

なぜかそんなわたしを見ておもしろそうと思ってくれた色んなお姉さんが色んなことを教えてくれて、暇つぶしの中でも生産性のある暇つぶしツールを与えてくれたというか、

ジャンルおたくの先輩として、例えばこのライブはどのアーティストのどのライブの影響を受けているから、そっちも見ていた方がいいだとか、

この作品を見て、こういう感想を持つなら、きっとこの作家のこういった本が好きだろうから、読んでみたら?だとか様々なアドバイスをもらった結果、

10年以上かけて、こんな神の視点からブログを書くような高尚おたくに育ったのである

(十代の頃から3歳から10歳以上年上の友達とばかり遊んでいたので、地方の女子高生の身分で東京女子大の講義にこっそり潜りこんだりしているような変な女子高生だった)

はっきり言って、おたくおたくとして存在している時点で9割は凡である

だから、自分でなにかを創造することはできないと思った方がいいし、レベル上げの最も簡単な近道は先人に教えを乞うことである

テニミュに関してだってそうである

素晴らしいことなのか、残念なことなのか、若い子たちはどう捉えるかわからないが、テニミュというコンテンツが好きでファーストから通っているおたくはたくさんいる

DVDで当時の公演を振り返ることは不可能ではないが、ネルケは財布をしめていくことを決して許さないので、きっと過去の公演のDVDまで買いあさるなんてなかなかできることではない(それに残念ながら逮捕者がでている公演のDVDは発禁になっている)

ひとりそういうババアおたくと仲良くなって、そういう話を教えてもらって、自分の中にインプットして、そこに自分なりの仮説と解釈を加えるだけで、高尚おたくになれるのに、

ツイッターを眺めていると結局同世代同士でつるんでいるのが多い気がする

その点において、タレコミとかで叩かれているような痛いおたくの子たちの方が結局現場で昔からいるババアたちと顔を合わせて、情報戦で勝てないババアたちといかにうまくやっていくかという課題と直面しているので、

よっぽど要領がいいというか、低姿勢で吸収力があるなあと個人的には思う(ババア側の人間)

⚫︎なぜ生産性の低いおたく多数派だとダメなのか

ここまで読んで、どうして生産性の低いおたくだとだめなんだ、ツイッターで同世代で楽しくつるんでなにがだめなんだ、痛いワタシみたいな高尚おたくになる必要性がどこにあるんだ、と思った人が多数だと思う

なぜダメなのか、

まずひとつめは、マサラタウンの草むらには何年もいられないということ

ふたつめは、マサラタウンの草むらにいただけではポケモンプレイしたとは言えない

ので、布教ができないということである

例え話だとぴんとこないかもしれないので、それぞれについて解説していく

まず、ファンではなくおたくとして存在する以上、ただ消費するのではなく、消化(昇華)できるおたくにならないと、自分でなにがおもしろくて今コレに時間とお金を費やしているのか、わからなくなるとき絶対くる

おたくを自称するくらい、何かが好きなのだから、どうして自分はそれが好きなのか、それにはどんな魅力があるのか、その魅力は他のものと比べてどう秀でているのか、せめてこれくらいは言語化できた方がいい

というか、これをきちんと言語化できる人は、ロジックリーなんかに頼らなくてもたいていのことは物事の本質と原因を分析できる人になるから、生きていく上でもたぶん役に立つから便利だと思う

言語化するには、その世界を知る必要がある。

何年もおたくをやっているババア絶対たいていは厄介なので、積極的に関わり合いになれとは言わない

けれど、ロム専だとしても(もはやロム専という言葉は死語かもしれない)(黙って眺めてヲチっているという意味だと思ってください)自分でなにか発信している人は見ていた方がいい

そこには自分と異なる考えがあるので、自分の考えと比較対照することができ、自分の考えがどういったものなのか、再検討することができ、より強固なものにすることができる

なんでそんな難しく考えなきゃいけないんだろう、ただの趣味なのにと思う人もいるんだろうなあと思う

けれど、よっぽどの天才ではない限り、エンタメを作る側もいきなり完璧なものを作り出すことはできない

特に制作側の人間はおたくが少数派なので、おたくの「これがこうだったらもっと好きになれるのに」ということをことごとく外すことにおいて、才能に溢れている

自分が何かを楽しみ続けるとなったとき、舞台だったらアンケートを書くなり、アイドルだったらツイッターで運営のエゴサにひっかかるようにあーだこーだ言うなり、直接現場制作に話しかけるなりしないと、

自分の中で、あれ?と思ったもやもやは解消されない

そういうことをしないとエンタメ側もレベルアップしないんだと思う

だいたい、大きくなりすぎたエンタメが衰退する理由として、ひとつエンタメおもしろくなっていくということに関して現状のツールでは絶対限界がくるときがあるということ、

そして、大きくなりすぎたエンタメは、ビジネス化されすぎていて、「こうなったらいいのにな」というおたくの考えの届かないことろへいってしまっていることがあげられるんじゃないかとわたしは思っている

おもしろエンタメがあると、どうしてもそこにお金が集まってしまうので、ビジネス化されてしまうのは、仕方のないことなんだと思う

けれど、今の日本においてそれが悲惨なのはたまたま様々なエンタメジャンルが同じようなタイミングでピークを迎えてしまい、エンタメ世界が、大爆撃でもあったのかという惨状になってしまっていることだ

しかもその間におたく側も情報化社会の中で変形していって、おもしろエンタメを育てていく体力のあるおたくが少数派になってしまった

アイドル世界戦国時代が終わって、きっとこれからあの2009年2010年ドラマに溢れたAKBのような盛り上がりを見せてくれるアイドルはもうしばらく現れない

仕事や現実疲れたアイドルおたくを癒すために様々なハコやショッピングモールで特典券を武器に細々と生きていくアイドルたちとおたく世界になってしま

モーニング娘。ミスタームーンライト愛のビッグバンド以降ハロプロ世界に帰ってしまったように、元々アイドルおたくだったひとたちのためのエンタメとしてきっとこれからは存在していく

お笑いも今、バラエテイこそあるものの、若手が芸を披露する場がほとんどない

お笑いは漫才やコントをやって、初めてお笑いとして成立する

バラエテイでの面白さなんてその場にはまれば誰でもおもしろいので、お笑い芸人である必要性などなにもない

芸人はなんでもやって当たり前なんだから、それと比べて木村佳乃がなんでもやった方

おもしろいに決まっている

お笑いジャンルは今、現場難民(芸人側の) に溢れている結果、おもしろい漫才どころではないんじゃないかという印象だ

ジャニーズも、嵐の人気はおそらく今よりでることはないだろう

そんな中で、わたしたちの青春だった若手三組がそれこそ大爆撃を受けたみたいにメンバーが半分くらいに減っている中で、じゃあその下にくる平成ジャンプが元気なのかというと、最近伊野尾がようやくそ美少年さを世間に認識され始めたが(といっても伊野尾わたしと同い年なのでもう少年ではない)

まだ平成ジャンプブレイクするという実感はない

セクゾもメンバーが増えたり減ったりするので、正直ジャニヲタあがったババアはついていけない。デビューしたユニットでそんなことありえます?よくわからない

じゃあウェストはというと、今の関ジャニくらいになれたらいいねーくらいの認識でしかない、わたしの中では

ファンのひとは怒るかもしれないけれど、こう見えて一応彼らがジュニア時代に松竹や梅芸でお仕事していたときにそれなりに見ていたので、ブチギレするのは超古参のお姉さんたちだけで勘弁してほしい

関西ジャニーズの抱える問題と可能性と闇については触れ出すと話が終わらなくなるので割愛

けれど、上記ジャニーズたちが決して売れないと言っているのではなく、現状の悲惨なエンタメ界を今すぐ引っ張っていく力があるかと考えたときに今すぐは無理だという話なので本当に怒らないでください

若手俳優の世界はおそらく痛みを伴う革命でも起きない限り、もう無理である

アミューズドリフェスとかやり始めちゃった時点で、あー事務所もそう思ってんのかなーとわたしはおもったぜ

大したビジネスでもなかったのに、いろんな大人がよってたかってダメにした感がある

たぶんこれからたくさんの失業者が発生するというか、まあ引退する子たちがどんどん増えていくと思う

まあ若手俳優はあんまり稼げるお仕事ではないので、その点においては大丈夫かなあと思っているけれど、元ジャニヲタとしてはジュニアが引退したのちに逮捕される流れにはうんざりなので、ちゃんとそれぞれに生きていく道があればいいなと思う

それがエンタメ世界だったらどんなにいいことかとは思うけれど、今若手俳優の世界にはそんなに飯のタネがないので、なにも言えない

結局、若手俳優のあとに台頭してきた読モジャンルも、KPOPも若手俳優よりも早くマイナー世界へ帰っていってしまったので、

今どこでなにが元気で盛り上がっているのか、わたしの目には見つけられない

それがおそろしくて色んなおたくにこの話をして、今なにが盛り上がっているんだろうと聞いても、みんな首をかしげる。

広告で働いている男の子にもこの話をしてみたけれど、スポーツなんじゃない?と言われてしまった。

残念ながらわたしスポーツには一切興味がない。あとオリンピックに向けてスポーツが盛り上がるというのは、長らく当たり前のことなので、それはこれまでのエンタメに取って代わるものではないし、

そもそもエンタメではないんじゃないかという疑念が拭いきれない

だいたい女ヲタ世界において、あの人どこにいったの?という話をすると、二次元だと聞くことが最近は多い

けれど、二次元絶対すぐ今の異常な熱は終わるんじゃないかと思っている

なぜなら今の二次元の盛り上がり方はグッズ収集だが、グッズの収集という盛り上がり方は、これ以上の発展があるんだろうかとハタから見ていて思うから

わたしは本当に理解できない、これだけお金をかけるくらいこのキャラが好きなんです!みたいな競争をするくらいだったらホストじゃだめなんだろうか、きっと何回か寝れる

若手俳優のおたくをやっていて同じことを何十回も言われるので、もちろんそれじゃだめなことはわたしもよくわかっているが、俳優と違って二次元キャラ特別扱いしてくれないし、そもそも概念でしかないので、非常に難しい盛り上がり方だと思っている

しかし、その一方でわたしみたいな変なタイプじゃない女子の欲求を満たしていることも理解している

みんなでこアニメならこのキャラが好き!みたいに推しを分けてみんなで朝から池袋やらスカイツリーやらTSUTAYAやらに並ぶのが楽しいんだろうなというのは知識としては知っている

団体行動好きの女子にはたまらない「みんなで一緒になにかをしている!」感なんだろうなと思う

だからかなり前の記事になるが日経MJとかはグッズ収集女子を特集する際にもっとそのへんに重きを置いて取材をするべきだったと思ったよ

そもそものそういった子たちの行動心理ってたぶんそこなんだから。

現地で交換したりとか、そういうのが楽しいんだと思うよ。

表面上はキャラへの愛でこんなことになっちゃうくらいこのキャラが好きなわたし!ということになっているが、実際半分くらいはグッズ収集に付随する様々なことを楽しむタイプの女子が大多数のはずだ、女の子は自分を思い込ませるのがうまい

でもそれはもはやアウトドア的な楽しみ方であって、エンターテイメントではない

水道橋に行けばいつでも誰かしら友達がいる!みたいなテニミュなどのアウトドア的側面がピックアップされた趣味だと思う

このままエンターテイメントはなにも新しいものが生まれることなく、これから冬の時代を迎えて、大勢がなにかに熱狂することがない時代になるのだろうか

わたしはそういった大盛り上がりジャンルに身を置いているタイプではなかったけれど、このままなんの盛り上がりもない状況というのはとても不安になる

そして、なによりエンタメを作ってきた側のひとたちが、この危機的状況に気づいているのかしらと非常に不安になる

おたくからするとこれは結構やばい状況である

わたしエンターテイメントがなかったらこの年まで生きてこれなかったかもしれない。

本当にどこかで尽きて死んでいたんじゃないかと思う

今の若い子達にわたしエンターテイメントに救われたようになにか別の救いがあるんだったらいいのかもしれないけれど

ストレス社会と呼ばれて久しい日本で、現実逃避ツール代表であるエンタメがしにそうだ

そして、みんな違ってみんないいという考えを浸透させたせいなのか、国民が多様化すると見せかけて、思考停止した人たちを量産しているだけな気がする

若い子たちと働いていて本当に思うのだけれど、「どうしてこうなんだろう」ということを考える力に欠けている子達が多すぎる

このままだと日本のエンタメどころか、日本自体がいつか沈没するんだろうなと思う

このままだと日本は確実にヤベエ

そんなもうすぐアラサーババアのつづった生産性のない、エンターテイメントがしぬかもしれないはなしでした。ちゃんちゃん

エンターテイメントがしぬかもしれないはなし

エンターテイメントが死ぬかもしれない話

⚫︎前提

・元々自分のfc2ブログからの転載です

・とにかく長い

・とにかく辛口

・怒らないでください

おたくも長く続けていくと色んなジャンルに友達が散らばり、色んなジャンルに対する浅い知識が増えていく。

なんとなく今どこのジャンルに活気があるのか、雰囲気でわかるようになる。それはツイッターがあるからだろうし、昔では考えられない量の情報を簡単に手にすることができるからだと思う

そんなわたしひとつの仮説としてわりと真面目に考え、色んな友人に話していることがある

それが「エンターテイメントが死ぬ話」である

自分の年齢をはっきりと明記するのがそろそろ嫌な年なので、ぼかした表現にするが、わたしゆとり世代であり、就職すればゲッという顔をされた平成生まれであり、ジャニーズで言えば八乙女世代、堀越で言っても八乙女三浦春馬世代、アミューズでいうところの三浦春馬戸谷公人水田航生あたりの世代のそろそろしっかりクソババア世代である

だから、エンターテイメントが死にかけているように感じるのは、わたしアンテナが腐って倒れそうになっているからなのかもしれないし、わたしの知らない世界で新しいエンターテイメントが誕生しているのかもしれない

けれど、わたしの目の届くところにあるエンターテイメントはみんな死にかけている

具体的にどういったことが言いたいかということをわたしが若手俳優のキチガイヲタになった2010年あたりを軸に色んなジャンルのことを考えていきたい

2010年、若手俳優の世界は非常に盛り上がっていたと思う。

テニミュファーストの最後のドリライがあった年だ。身内がDDでドリライに行っていたから知っている

その年のゴールデンウィークは、戸谷公人誕生日イベントがあり、新宿御苑サンモールではたしかDステが行われていたように思う

当時の身内に誘われて遊びに行くとサンモールにものすごい数のおたくがいた。

わたしはというとバースデーイベントチケットを両部合わせて5枚余らせていたので、その場にいた子達を誘ってみたが、Dステの千秋楽だから無理だと断られた

2010年はそんな年だ。

アミューズでいえば宝石シリーズ及び黒白シリーズが始まった年でもある。

赤坂ボーイズキャバレーに夏を費やしたおたくが何人いたことか。

特撮で言えば、丁度2009年平成ライダー10周年記念のデイケイドの放送年で、一区切りついたところで、今をときめく菅田将暉が初々しく日曜8時で戦っていた年だ。

とにかくお祭り騒ぎだった。どこの現場も非常に盛り上がり、頭のおかしおたくがたくさんいた

他のジャンルにも目を向けて行こうと思う

例えばお笑いでは10年連続で開催していたM−1が一度幕を下ろしたのも2010年のことであった。ずっと優勝できずにいた笑い飯がようやくM−1王者に輝いた年である

アイドルではAKB48の第二回総選挙が行われた年である。このあたりがわたしは国民的アイドルという視点でAKBを評価したときの最高潮に盛り上がりを迎えていた瞬間だと思っている

2010年は、エンターテイメントを時の流れで区分したときに大きな区切りとなる年であると考えている

では今度は2010年以前の10年くらいのことを考えてみたいと思う。

わたし小学校低学年の頃に一斉を風靡したSPEEDが電撃解散をして、その数年後に現れたのがモーニング娘。だった

しかし、ザ☆ピース以来、モーニング娘。は国民的アイドルというポジションを離れ、ハロープロジェクトというジャンルの中に入っていってしまった。

そしてそれ以来、AKBが大学の頃に国民的アイドルと呼ばれるようになるまで、特にアイドルらしいアイドルわたしの視界には入らなかった

むしろモーニング娘。のあとは、いわゆる巨乳グラドルが台頭してきた時代のように感じるが、残念ながらあんまりわたしグラドルに興味を持つ性別でも年頃でもなかったので、あまり記憶がない

小池栄子は気付いたら女優としてもタレントとしても非常に大成していたのでまじですごい巨乳お姉さんだと思っている)

中学校の頃(2000年代前半)は芸人の黄金時代だったように感じる(わたしは芸人のおたくをしていたことがないので実際にいつが黄金時代と定義されるのかはわからないのだけれど)

イメージとして、このあたりから盛り上がって2010年お笑いの盛り上がりのピークと捉えている

思えばわたしエンターテイメントに恵まれた世代だったと思う。

小学校のときには体育大会でモーニング娘。のザ☆ピースが流れ、組立体操をした。

高学年のときには笑う犬の冒険を熱心に見て、それがいつのまにか水10になり、中学校文化祭では先輩たちに目をつけられながらも、有志でゴリエミッキーを踊った

やんちゃな子たちはごくせんに憧れ、みんなで文化祭クラスの出し物でごくせんをやり、最後にはスマスマキムタクたちが踊り流行っていた恋のマイアヒエンディングで踊った。

週末をこえて学校に登校すれば、みんなエンタの神様の話をしていた。誰がおもしろい、誰のネタがどうだ、誰がかっこいい

ジャニーズも、いわゆる若手三組と呼ばれるNEWS、関ジャニ∞KAT-TUNが立て続けにデビューした頃で、みんな通学鞄に好きなジャニーズメンバーの名前をポスカで書いていた

(ここで一度力つきた)

エンターテイメントがしぬかもしれないはなしの続き。

前回は2000年2010年あたりのアイドルジャニーズお笑いジャンルでなにが起こっていたのかということをさらっと(わたしの十代の記憶と共に)振り返った

では現在虫の息である若手俳優の世界でなにが起こっていたのかということも一応書き記しておく

まさに2.5次元ミュージカルの王様(なぜ若手俳優の舞台はつまらなく、客席が埋まらないのかおたくが真剣に考えてみたブログ参照)であるテニミュが初めて上演されたのは2003年のことである

当時の話はパイセンたちからのお話でしか聞いたことがないけれど、はじめは客席が埋まらないのでキメ様のライブをおわりにやったりして、キメ様のおたくとかでがんばって埋めていたらしい

ちなみにみんな大好き氷帝学園、いまをときめく斎藤工が出演していた氷帝公演が行われたのは、2005年の話であるから、テニミュ(若手俳優)の世界も前述の通り、やっぱり2010年向かって右肩あがりの時代だったんだと思う

それでは今度こそ2010年以降、おたくの世界になにが起こってきたのかをふんわり考えてみようと思う

現状として、大きくふたつの問題がエンタメおたく界の中に発生している

ひとつは、村社会としてのおたく世界におけるおたく高齢化社会、ふたつめは、生産的おたくの少数化である

このふたつは繋がった大きなひとつの問題である

⚫︎「おたく高齢化社会」とは

その名の通り、おたく高齢化が進んでいるという話である

変な話だと思うかもしれない。今日本は国として、ずっと偏見を持たれて消極的に虐げられてきた「おたく」という異常な世界をひとつ国民性としてピックアップしていって、それを日本の特色としてビジネスにしようとしている

そして、おたくではない人たちがおたくの世界に土足で踏み込んできて、自分たちが興味を持った部分のみを取り上げて「これがおたくなんです!」とテレビや雑誌なんかで言っちゃってる

元々こういうサブカル推しの政策になるまでにおたくになっている人たち(わたし含め)は昔の閉鎖的なおたくの世界の中での「みんな違ってみんなとりあえずよし」というのに慣れているからあんまり気にしてないかもしれないけれど、

新規参入してきたおたくの人たちはひょっとしたら、マスコミたちが取り上げた「おたくの世界のひとつの側面」を見て、自分でなにか実体験として掴み取ることもせずにこれがおたくなんだとぼんやりと捉えているだけなんじゃないかとわたしは危惧している

おたくというのは長らく村社会である

村のコミュニティーの中に入れていようが、村八分されていようが、そこに存在する限り、とりあえず全員村民である

例外ももちろんあると思う。

例えばワンピースが好きだったとして、毎週ジャンプを買い、単行本を買い集め、アニメを視聴し、自分なりに設定についての考察を行う

これをネットなどに発表することなく、誰に見せることもなくひたすらノートに書き綴っていたら、自己完結しているので、他者から村民として認知されることはないと思う

けれど、この人が例えばホームページを立ち上げて自分なりの考察を世界に発表したら、例え誰かと交流を持たなくても、わたしは村民として世界に存在していることになると考えている

他のワンピースおたくは誰かしらそれを読むだろうし、感想をメールする人もいるかもしれないし、リンクフリーと書いてあったら、リンクページやブログにその考察サイトのURLを貼るかもしれない

かたや、HPを立ち上げたもののアクセスがなかったら、自らサーチに登録するかもしれない

こうして、村の中へと入っていくのである

村の中には色んな人がいる。

一流企業で働いているエリートもいれば、ニートに近いフリーターもいるし、学生もいれば、子持ち主婦もいる

けれど、暗黙の村の掟というものがおそらくどのジャンルおたくの世界にも存在して、もちろん可視化されたものではないので、最初はわからないのだけれど、どの村にも、RPGゲームで話しかけてくる村民みたいなやつがいて、

これはこうすればいいんだよ、これがどうなんだよ、とふんわりと村の掟を教えてくれていた

物事というものは、完全にゼロから創造されることはない

そこになにかが存在して、そして、基礎とされるルールが存在して、初めてそこからなにかが生み出される

ことにおたくという生き物は、おたくという側面においてイチからなにかを創造する生き物ではないと考える

何かが存在して、それになにかアレンジを加えて、別のなにかに変化させるのがおたくだと思う

なにが言いたいかというと、アイドルがいて、おたくがいる

漫画があって、おたくが読む、舞台が上演されて、おたくが観る

おたくというのは、創造されたなにかを完成させる上で不可欠な存在ではあるが、まずはじめは受け手

受け手として、その世界に存在するにあたって、どんな世界にもルールがある

けれど、情報化社会の中で、おたく世界の中の村という概念が何年も前から崩れている

これは、若い子に限ったことではない。

マスコミが取り上げたおたくの世界を見て、おもしろそう!と新規参入してきた年配おたくも同様である

そうすると、どういうことが起こるのかというと、新規参入おたくたちはSNSなどのツールばっかりは立派に持っているのだけれど、RPGゲームで話しかけてくれるおたくがいないものだから、

レベル上げの方法を知らずにずっとマサラタウンの横の草むらでコラッタキャタピーや同じようにそこに留まって地図を持たないおたく同士で、これがおたくなんだー!たのしー!となっている(もちろん例外もいる)(自ら見つけていけるんだから、わたしと違ってまじ天才的だと思っている)

村民おたくマサラタウンおたくとのおたくの分離化が進む中で、旧型のおたく高齢化が止まらない

⚫︎「生産的おたくの少数化」とは

どのジャンルにもいると思うのだけれど、ツイッターに常駐していて、キチガイを名乗っている若い自称おたくの子たちがわりと一定数いる

これは本当にかわいそうだ。

なぜならなんの生産性もないツイッターに常駐して時間を無駄に浪費しているということはおたくでもキチガイでもなんでもなくて、生産性の低いただのかまってちゃんだからだ

けれど、それでも時間が潰せるものだから、若い子たちはきっと常駐してしまうんだと思う

ツイッターがリアの頃に普及していなかった世代からすると、完全に異常なので、正直積極的にリプを飛ばして関わり合いになろうとは思わない(自分のことを棚に上げてこんなことを言っているがわたしも相当別のベクトルやばいヤツなので、関わり合いにならない方がいいと思う)

わたしが若い頃は、ツイッターがなかったので、ひまだったらもっぱらブログを更新するか、様々な匿名掲示板を眺めるか、仲間内でチャットメールをするか、などしか暇つぶしツールがなかったのだけれど、完全に村社会だったので、

なぜかそんなわたしを見ておもしろそうと思ってくれた色んなお姉さんが色んなことを教えてくれて、暇つぶしの中でも生産性のある暇つぶしツールを与えてくれたというか、

ジャンルおたくの先輩として、例えばこのライブはどのアーティストのどのライブの影響を受けているから、そっちも見ていた方がいいだとか、

この作品を見て、こういう感想を持つなら、きっとこの作家のこういった本が好きだろうから、読んでみたら?だとか様々なアドバイスをもらった結果、

10年以上かけて、こんな神の視点からブログを書くような高尚おたくに育ったのである

(十代の頃から3歳から10歳以上年上の友達とばかり遊んでいたので、地方の女子高生の身分で東京の女子大の講義にこっそり潜りこんだりしているような変な女子高生だった)

はっきり言って、おたくおたくとして存在している時点で9割は凡である

だから、自分でなにかを創造することはできないと思った方がいいし、レベル上げの最も簡単な近道は先人に教えを乞うことである

テニミュに関してだってそうである

素晴らしいことなのか、残念なことなのか、若い子たちはどう捉えるかわからないが、テニミュというコンテンツが好きでファーストから通っているおたくはたくさんいる

DVDで当時の公演を振り返ることは不可能ではないが、ネルケは財布をしめていくことを決して許さないので、きっと過去の公演のDVDまで買いあさるなんてなかなかできることではない(それに残念ながら逮捕者がでている公演のDVDは発禁になっている)

ひとりそういうババアおたくと仲良くなって、そういう話を教えてもらって、自分の中にインプットして、そこに自分なりの仮説と解釈を加えるだけで、高尚おたくになれるのに、

ツイッターを眺めていると結局同世代同士でつるんでいるのが多い気がする

その点において、タレコミとかで叩かれているような痛いおたくの子たちの方が結局現場で昔からいるババアたちと顔を合わせて、情報戦で勝てないババアたちといかにうまくやっていくかという課題と直面しているので、

よっぽど要領がいいというか、低姿勢で吸収力があるなあと個人的には思う(ババア側の人間)

⚫︎なぜ生産性の低いおたく多数派だとダメなのか

ここまで読んで、どうして生産性の低いおたくだとだめなんだ、ツイッターで同世代で楽しくつるんでなにがだめなんだ、痛いワタシみたいな高尚おたくになる必要性がどこにあるんだ、と思った人が多数だと思う

なぜダメなのか、

まずひとつめは、マサラタウンの草むらには何年もいられないということ

ふたつめは、マサラタウンの草むらにいただけではポケモンプレイしたとは言えない

ので、布教ができないということである

例え話だとぴんとこないかもしれないので、それぞれについて解説していく

まず、ファンではなくおたくとして存在する以上、ただ消費するのではなく、消化(昇華)できるおたくにならないと、自分でなにがおもしろくて今コレに時間とお金を費やしているのか、わからなくなるときが絶対くる

おたくを自称するくらい、何かが好きなのだから、どうして自分はそれが好きなのか、それにはどんな魅力があるのか、その魅力は他のものと比べてどう秀でているのか、せめてこれくらいは言語化できた方がいい

というか、これをきちんと言語化できる人は、ロジックツリーなんかに頼らなくてもたいていのことは物事の本質と原因を分析できる人になるから、生きていく上でもたぶん役に立つから便利だと思う

言語化するには、その世界を知る必要がある。

何年もおたくをやっているババアは絶対たいていは厄介なので、積極的に関わり合いになれとは言わない

けれど、ロム専だとしても(もはやロム専という言葉は死語かもしれない)(黙って眺めてヲチっているという意味だと思ってください)自分でなにか発信している人は見ていた方がいい

そこには自分と異なる考えがあるので、自分の考えと比較対照することができ、自分の考えがどういったものなのか、再検討することができ、より強固なものにすることができる

なんでそんな難しく考えなきゃいけないんだろう、ただの趣味なのにと思う人もいるんだろうなあと思う

けれど、よっぽどの天才ではない限り、エンタメを作る側もいきなり完璧なものを作り出すことはできない

特に制作側の人間はおたくが少数派なので、おたくの「これがこうだったらもっと好きになれるのに」ということをことごとく外すことにおいて、才能に溢れている

自分が何かを楽しみ続けるとなったとき、舞台だったらアンケートを書くなり、アイドルだったらツイッターで運営のエゴサにひっかかるようにあーだこーだ言うなり、直接現場で制作に話しかけるなりしないと、

自分の中で、あれ?と思ったもやもやは解消されない

そういうことをしないとエンタメ側もレベルアップしないんだと思う

だいたい、大きくなりすぎたエンタメが衰退する理由として、ひとつエンタメおもしろくなっていくということに関して現状のツールでは絶対に限界がくるときがあるということ、

そして、大きくなりすぎたエンタメは、ビジネス化されすぎていて、「こうなったらいいのにな」というおたくの考えの届かないことろへいってしまっていることがあげられるんじゃないかとわたしは思っている

おもしろエンタメがあると、どうしてもそこにお金が集まってしまうので、ビジネス化されてしまうのは、仕方のないことなんだと思う

けれど、今の日本においてそれが悲惨なのはたまたま様々なエンタメジャンルが同じようなタイミングでピークを迎えてしまい、エンタメ世界が、大爆撃でもあったのかという惨状になってしまっていることだ

しかもその間におたく側も情報化社会の中で変形していって、おもしろエンタメを育てていく体力のあるおたくが少数派になってしまった

アイドルの世界は戦国時代が終わって、きっとこれからあの2009年2010年ドラマに溢れたAKBのような盛り上がりを見せてくれるアイドルはもうしばらく現れない

仕事や現実に疲れたアイドルおたくを癒すために様々なハコやショッピングモールで特典券を武器に細々と生きていくアイドルたちとおたくの世界になってしまう

モーニング娘。ミスタームーンライト愛のビッグバンド以降ハロプロの世界に帰ってしまったように、元々アイドルおたくだったひとたちのためのエンタメとしてきっとこれからは存在していく

お笑いも今、バラエテイこそあるものの、若手が芸を披露する場がほとんどない

お笑いは漫才やコントをやって、初めてお笑いとして成立する

バラエテイでの面白さなんてその場にはまれば誰でもおもしろいので、お笑い芸人である必要性などなにもない

芸人はなんでもやって当たり前なんだから、それと比べて木村佳乃がなんでもやった方

おもしろいに決まっている

お笑いジャンルは今、現場難民(芸人側の) に溢れている結果、おもしろい漫才どころではないんじゃないかという印象だ

ジャニーズも、嵐の人気はおそらく今よりでることはないだろう

そんな中で、わたしたちの青春だった若手三組がそれこそ大爆撃を受けたみたいにメンバーが半分くらいに減っている中で、じゃあその下にくる平成ジャンプが元気なのかというと、最近伊野尾がようやくその美少年さを世間に認識され始めたが(といっても伊野尾わたしと同い年なのでもう少年ではない)

まだ平成ジャンプブレイクするという実感はない

セクゾもメンバーが増えたり減ったりするので、正直ジャニヲタあがったババアはついていけない。デビューしたユニットでそんなことありえます?よくわからない

じゃあウェストはというと、今の関ジャニくらいになれたらいいねーくらいの認識でしかない、わたしの中では

ファンのひとは怒るかもしれないけれど、こう見えて一応彼らがジュニア時代に松竹や梅芸でお仕事していたときにそれなりに見ていたので、ブチギレするのは超古参のお姉さんたちだけで勘弁してほしい

関西ジャニーズの抱える問題と可能性と闇については触れ出すと話が終わらなくなるので割愛

けれど、上記ジャニーズたちが決して売れないと言っているのではなく、現状の悲惨なエンタメ界を今すぐ引っ張っていく力があるかと考えたときに今すぐは無理だという話なので本当に怒らないでください

若手俳優の世界はおそらく痛みを伴う革命でも起きない限り、もう無理である

アミューズドリフェスとかやり始めちゃった時点で、あー事務所もそう思ってんのかなーとわたしはおもったぜ

大したビジネスでもなかったのに、いろんな大人がよってたかってダメにした感がある

たぶんこれからたくさんの失業者が発生するというか、まあ引退する子たちがどんどん増えていくと思う

まあ若手俳優はあんまり稼げるお仕事ではないので、その点においては大丈夫かなあと思っているけれど、元ジャニヲタとしてはジュニアが引退したのちに逮捕される流れにはうんざりなので、ちゃんとそれぞれに生きていく道があればいいなと思う

それがエンタメの世界だったらどんなにいいことかとは思うけれど、今若手俳優の世界にはそんなに飯のタネがないので、なにも言えない

結局、若手俳優のあとに台頭してきた読モジャンルも、KPOPも若手俳優よりも早くマイナーの世界へ帰っていってしまったので、

今どこでなにが元気で盛り上がっているのか、わたしの目には見つけられない

それがおそろしくて色んなおたくにこの話をして、今なにが盛り上がっているんだろうと聞いても、みんな首をかしげる。

広告で働いている男の子にもこの話をしてみたけれど、スポーツなんじゃない?と言われてしまった。

残念ながらわたしスポーツには一切興味がない。あとオリンピックに向けてスポーツが盛り上がるというのは、長らく当たり前のことなので、それはこれまでのPermalink | 記事への反応(0) | 11:26

エンターテイメントがしぬかもしれないはなし

エンターテイメントが死ぬかもしれない話

⚫︎前提

・元々自分のfc2ブログからの転載です

・とにかく長い

・とにかく辛口

・怒らないでください

おたくも長く続けていくと色んなジャンルに友達が散らばり、色んなジャンルに対する浅い知識が増えていく。

なんとなく今どこのジャンルに活気があるのか、雰囲気でわかるようになる。それはツイッターがあるからだろうし、昔では考えられない量の情報を簡単に手にすることができるからだと思う

そんなわたしひとつの仮説としてわりと真面目に考え、色んな友人に話していることがある

それが「エンターテイメントが死ぬ話」である

自分の年齢をはっきりと明記するのがそろそろ嫌な年なので、ぼかした表現にするが、わたしゆとり世代であり、就職すればゲッという顔をされた平成生まれであり、ジャニーズで言えば八乙女世代、堀越で言っても八乙女三浦春馬世代、アミューズでいうところの三浦春馬戸谷公人水田航生あたりの世代のそろそろしっかりクソババア世代である

だから、エンターテイメントが死にかけているように感じるのは、わたしアンテナが腐って倒れそうになっているからなのかもしれないし、わたしの知らない世界で新しいエンターテイメントが誕生しているのかもしれない

けれど、わたしの目の届くところにあるエンターテイメントはみんな死にかけている

具体的にどういったことが言いたいかということをわたしが若手俳優のキチガイヲタになった2010年あたりを軸に色んなジャンルのことを考えていきたい

2010年、若手俳優の世界は非常に盛り上がっていたと思う。

テニミュファーストの最後のドリライがあった年だ。身内がDDでドリライに行っていたから知っている

その年のゴールデンウィークは、戸谷公人誕生日イベントがあり、新宿御苑サンモールではたしかDステが行われていたように思う

当時の身内に誘われて遊びに行くとサンモールにものすごい数のおたくがいた。

わたしはというとバースデーイベントチケットを両部合わせて5枚余らせていたので、その場にいた子達を誘ってみたが、Dステの千秋楽だから無理だと断られた

2010年はそんな年だ。

アミューズでいえば宝石シリーズ及び黒白シリーズが始まった年でもある。

赤坂ボーイズキャバレーに夏を費やしたおたくが何人いたことか。

特撮で言えば、丁度2009年平成ライダー10周年記念のデイケイドの放送年で、一区切りついたところで、今をときめく菅田将暉が初々しく日曜8時で戦っていた年だ。

とにかくお祭り騒ぎだった。どこの現場も非常に盛り上がり、頭のおかしおたくがたくさんいた

他のジャンルにも目を向けて行こうと思う

例えばお笑いでは10年連続で開催していたM−1が一度幕を下ろしたのも2010年のことであった。ずっと優勝できずにいた笑い飯がようやくM−1王者に輝いた年である

アイドルではAKB48の第二回総選挙が行われた年である。このあたりがわたしは国民的アイドルという視点でAKBを評価したときの最高潮に盛り上がりを迎えていた瞬間だと思っている

2010年は、エンターテイメントを時の流れで区分したときに大きな区切りとなる年であると考えている

では今度は2010年以前の10年くらいのことを考えてみたいと思う。

わたし小学校低学年の頃に一斉を風靡したSPEEDが電撃解散をして、その数年後に現れたのがモーニング娘。だった

しかし、ザ☆ピース以来、モーニング娘。は国民的アイドルというポジションを離れ、ハロープロジェクトというジャンルの中に入っていってしまった。

そしてそれ以来、AKBが大学の頃に国民的アイドルと呼ばれるようになるまで、特にアイドルらしいアイドルわたしの視界には入らなかった

むしろモーニング娘。のあとは、いわゆる巨乳グラドルが台頭してきた時代のように感じるが、残念ながらあんまりわたしグラドルに興味を持つ性別でも年頃でもなかったので、あまり記憶がない

小池栄子は気付いたら女優としてもタレントとしても非常に大成していたのでまじですごい巨乳お姉さんだと思っている)

中学校の頃(2000年代前半)は芸人の黄金時代だったように感じる(わたしは芸人のおたくをしていたことがないので実際にいつが黄金時代と定義されるのかはわからないのだけれど)

イメージとして、このあたりから盛り上がって2010年お笑いの盛り上がりのピークと捉えている

思えばわたしエンターテイメントに恵まれた世代だったと思う。

小学校のときには体育大会でモーニング娘。のザ☆ピースが流れ、組立体操をした。

高学年のときには笑う犬の冒険を熱心に見て、それがいつのまにか水10になり、中学校文化祭では先輩たちに目をつけられながらも、有志でゴリエミッキーを踊った

やんちゃな子たちはごくせんに憧れ、みんなで文化祭クラスの出し物でごくせんをやり、最後にはスマスマキムタクたちが踊り流行っていた恋のマイアヒエンディングで踊った。

週末をこえて学校に登校すれば、みんなエンタの神様の話をしていた。誰がおもしろい、誰のネタがどうだ、誰がかっこいい

ジャニーズも、いわゆる若手三組と呼ばれるNEWS、関ジャニ∞KAT-TUNが立て続けにデビューした頃で、みんな通学鞄に好きなジャニーズメンバーの名前をポスカで書いていた

(ここで一度力つきた)

エンターテイメントがしぬかもしれないはなしの続き。

前回は2000年2010年あたりのアイドルジャニーズお笑いジャンルでなにが起こっていたのかということをさらっと(わたしの十代の記憶と共に)振り返った

では現在虫の息である若手俳優の世界でなにが起こっていたのかということも一応書き記しておく

まさに2.5次元ミュージカルの王様(なぜ若手俳優の舞台はつまらなく、客席が埋まらないのかおたくが真剣に考えてみたブログ参照)であるテニミュが初めて上演されたのは2003年のことである

当時の話はパイセンたちからのお話でしか聞いたことがないけれど、はじめは客席が埋まらないのでキメ様のライブをおわりにやったりして、キメ様のおたくとかでがんばって埋めていたらしい

ちなみにみんな大好き氷帝学園、いまをときめく斎藤工が出演していた氷帝公演が行われたのは、2005年の話であるから、テニミュ(若手俳優)の世界も前述の通り、やっぱり2010年向かって右肩あがりの時代だったんだと思う

それでは今度こそ2010年以降、おたくの世界になにが起こってきたのかをふんわり考えてみようと思う

現状として、大きくふたつの問題がエンタメおたく界の中に発生している

ひとつは、村社会としてのおたく世界におけるおたく高齢化社会、ふたつめは、生産的おたくの少数化である

このふたつは繋がった大きなひとつの問題である

⚫︎「おたく高齢化社会」とは

その名の通り、おたく高齢化が進んでいるという話である

変な話だと思うかもしれない。今日本は国として、ずっと偏見を持たれて消極的に虐げられてきた「おたく」という異常な世界をひとつ国民性としてピックアップしていって、それを日本の特色としてビジネスにしようとしている

そして、おたくではない人たちがおたくの世界に土足で踏み込んできて、自分たちが興味を持った部分のみを取り上げて「これがおたくなんです!」とテレビや雑誌なんかで言っちゃってる

元々こういうサブカル推しの政策になるまでにおたくになっている人たち(わたし含め)は昔の閉鎖的なおたくの世界の中での「みんな違ってみんなとりあえずよし」というのに慣れているからあんまり気にしてないかもしれないけれど、

新規参入してきたおたくの人たちはひょっとしたら、マスコミたちが取り上げた「おたくの世界のひとつの側面」を見て、自分でなにか実体験として掴み取ることもせずにこれがおたくなんだとぼんやりと捉えているだけなんじゃないかとわたしは危惧している

おたくというのは長らく村社会である

村のコミュニティーの中に入れていようが、村八分されていようが、そこに存在する限り、とりあえず全員村民である

例外ももちろんあると思う。

例えばワンピースが好きだったとして、毎週ジャンプを買い、単行本を買い集め、アニメを視聴し、自分なりに設定についての考察を行う

これをネットなどに発表することなく、誰に見せることもなくひたすらノートに書き綴っていたら、自己完結しているので、他者から村民として認知されることはないと思う

けれど、この人が例えばホームページを立ち上げて自分なりの考察を世界に発表したら、例え誰かと交流を持たなくても、わたしは村民として世界に存在していることになると考えている

他のワンピースおたくは誰かしらそれを読むだろうし、感想をメールする人もいるかもしれないし、リンクフリーと書いてあったら、リンクページやブログにその考察サイトのURLを貼るかもしれない

かたや、HPを立ち上げたもののアクセスがなかったら、自らサーチに登録するかもしれない

こうして、村の中へと入っていくのである

村の中には色んな人がいる。

一流企業で働いているエリートもいれば、ニートに近いフリーターもいるし、学生もいれば、子持ち主婦もいる

けれど、暗黙の村の掟というものがおそらくどのジャンルおたくの世界にも存在して、もちろん可視化されたものではないので、最初はわからないのだけれど、どの村にも、RPGゲームで話しかけてくる村民みたいなやつがいて、

これはこうすればいいんだよ、これがどうなんだよ、とふんわりと村の掟を教えてくれていた

物事というものは、完全にゼロから創造されることはない

そこになにかが存在して、そして、基礎とされるルールが存在して、初めてそこからなにかが生み出される

ことにおたくという生き物は、おたくという側面においてイチからなにかを創造する生き物ではないと考える

何かが存在して、それになにかアレンジを加えて、別のなにかに変化させるのがおたくだと思う

なにが言いたいかというと、アイドルがいて、おたくがいる

漫画があって、おたくが読む、舞台が上演されて、おたくが観る

おたくというのは、創造されたなにかを完成させる上で不可欠な存在ではあるが、まずはじめは受け手

受け手として、その世界に存在するにあたって、どんな世界にもルールがある

けれど、情報化社会の中で、おたく世界の中の村という概念が何年も前から崩れている

これは、若い子に限ったことではない。

マスコミが取り上げたおたくの世界を見て、おもしろそう!と新規参入してきた年配おたくも同様である

そうすると、どういうことが起こるのかというと、新規参入おたくたちはSNSなどのツールばっかりは立派に持っているのだけれど、RPGゲームで話しかけてくれるおたくがいないものだから、

レベル上げの方法を知らずにずっとマサラタウンの横の草むらでコラッタキャタピーや同じようにそこに留まって地図を持たないおたく同士で、これがおたくなんだー!たのしー!となっている(もちろん例外もいる)(自ら見つけていけるんだから、わたしと違ってまじ天才的だと思っている)

村民おたくマサラタウンおたくとのおたくの分離化が進む中で、旧型のおたく高齢化が止まらない

⚫︎「生産的おたくの少数化」とは

どのジャンルにもいると思うのだけれど、ツイッターに常駐していて、キチガイを名乗っている若い自称おたくの子たちがわりと一定数いる

これは本当にかわいそうだ。

なぜならなんの生産性もないツイッターに常駐して時間を無駄に浪費しているということはおたくでもキチガイでもなんでもなくて、生産性の低いただのかまってちゃんだからだ

けれど、それでも時間が潰せるものだから、若い子たちはきっと常駐してしまうんだと思う

ツイッターがリアの頃に普及していなかった世代からすると、完全に異常なので、正直積極的にリプを飛ばして関わり合いになろうとは思わない(自分のことを棚に上げてこんなことを言っているがわたしも相当別のベクトルやばいヤツなので、関わり合いにならない方がいいと思う)

わたしが若い頃は、ツイッターがなかったので、ひまだったらもっぱらブログを更新するか、様々な匿名掲示板を眺めるか、仲間内でチャットメールをするか、などしか暇つぶしツールがなかったのだけれど、完全に村社会だったので、

なぜかそんなわたしを見ておもしろそうと思ってくれた色んなお姉さんが色んなことを教えてくれて、暇つぶしの中でも生産性のある暇つぶしツールを与えてくれたというか、

ジャンルおたくの先輩として、例えばこのライブはどのアーティストのどのライブの影響を受けているから、そっちも見ていた方がいいだとか、

この作品を見て、こういう感想を持つなら、きっとこの作家のこういった本が好きだろうから、読んでみたら?だとか様々なアドバイスをもらった結果、

10年以上かけて、こんな神の視点からブログを書くような高尚おたくに育ったのである

(十代の頃から3歳から10歳以上年上の友達とばかり遊んでいたので、地方の女子高生の身分で東京の女子大の講義にこっそり潜りこんだりしているような変な女子高生だった)

はっきり言って、おたくおたくとして存在している時点で9割は凡である

だから、自分でなにかを創造することはできないと思った方がいいし、レベル上げの最も簡単な近道は先人に教えを乞うことである

テニミュに関してだってそうである

素晴らしいことなのか、残念なことなのか、若い子たちはどう捉えるかわからないが、テニミュというコンテンツが好きでファーストから通っているおたくはたくさんいる

DVDで当時の公演を振り返ることは不可能ではないが、ネルケは財布をしめていくことを決して許さないので、きっと過去の公演のDVDまで買いあさるなんてなかなかできることではない(それに残念ながら逮捕者がでている公演のDVDは発禁になっている)

ひとりそういうババアおたくと仲良くなって、そういう話を教えてもらって、自分の中にインプットして、そこに自分なりの仮説と解釈を加えるだけで、高尚おたくになれるのに、

ツイッターを眺めていると結局同世代同士でつるんでいるのが多い気がする

その点において、タレコミとかで叩かれているような痛いおたくの子たちの方が結局現場で昔からいるババアたちと顔を合わせて、情報戦で勝てないババアたちといかにうまくやっていくかという課題と直面しているので、

よっぽど要領がいいというか、低姿勢で吸収力があるなあと個人的には思う(ババア側の人間)

⚫︎なぜ生産性の低いおたく多数派だとダメなのか

ここまで読んで、どうして生産性の低いおたくだとだめなんだ、ツイッターで同世代で楽しくつるんでなにがだめなんだ、痛いワタシみたいな高尚おたくになる必要性がどこにあるんだ、と思った人が多数だと思う

なぜダメなのか、

まずひとつめは、マサラタウンの草むらには何年もいられないということ

ふたつめは、マサラタウンの草むらにいただけではポケモンプレイしたとは言えない

ので、布教ができないということである

例え話だとぴんとこないかもしれないので、それぞれについて解説していく

まず、ファンではなくおたくとして存在する以上、ただ消費するのではなく、消化(昇華)できるおたくにならないと、自分でなにがおもしろくて今コレに時間とお金を費やしているのか、わからなくなるときが絶対くる

おたくを自称するくらい、何かが好きなのだから、どうして自分はそれが好きなのか、それにはどんな魅力があるのか、その魅力は他のものと比べてどう秀でているのか、せめてこれくらいは言語化できた方がいい

というか、これをきちんと言語化できる人は、ロジックツリーなんかに頼らなくてもたいていのことは物事の本質と原因を分析できる人になるから、生きていく上でもたぶん役に立つから便利だと思う

言語化するには、その世界を知る必要がある。

何年もおたくをやっているババアは絶対たいていは厄介なので、積極的に関わり合いになれとは言わない

けれど、ロム専だとしても(もはやロム専という言葉は死語かもしれない)(黙って眺めてヲチっているという意味だと思ってください)自分でなにか発信している人は見ていた方がいい

そこには自分と異なる考えがあるので、自分の考えと比較対照することができ、自分の考えがどういったものなのか、再検討することができ、より強固なものにすることができる

なんでそんな難しく考えなきゃいけないんだろう、ただの趣味なのにと思う人もいるんだろうなあと思う

けれど、よっぽどの天才ではない限り、エンタメを作る側もいきなり完璧なものを作り出すことはできない

特に制作側の人間はおたくが少数派なので、おたくの「これがこうだったらもっと好きになれるのに」ということをことごとく外すことにおいて、才能に溢れている

自分が何かを楽しみ続けるとなったとき、舞台だったらアンケートを書くなり、アイドルだったらツイッターで運営のエゴサにひっかかるようにあーだこーだ言うなり、直接現場で制作に話しかけるなりしないと、

自分の中で、あれ?と思ったもやもやは解消されない

そういうことをしないとエンタメ側もレベルアップしないんだと思う

だいたい、大きくなりすぎたエンタメが衰退する理由として、ひとつエンタメおもしろくなっていくということに関して現状のツールでは絶対に限界がくるときがあるということ、

そして、大きくなりすぎたエンタメは、ビジネス化されすぎていて、「こうなったらいいのにな」というおたくの考えの届かないことろへいってしまっていることがあげられるんじゃないかとわたしは思っている

おもしろエンタメがあると、どうしてもそこにお金が集まってしまうので、ビジネス化されてしまうのは、仕方のないことなんだと思う

けれど、今の日本においてそれが悲惨なのはたまたま様々なエンタメジャンルが同じようなタイミングでピークを迎えてしまい、エンタメ世界が、大爆撃でもあったのかという惨状になってしまっていることだ

しかもその間におたく側も情報化社会の中で変形していって、おもしろエンタメを育てていく体力のあるおたくが少数派になってしまった

アイドルの世界は戦国時代が終わって、きっとこれからあの2009年2010年ドラマに溢れたAKBのような盛り上がりを見せてくれるアイドルはもうしばらく現れない

仕事や現実に疲れたアイドルおたくを癒すために様々なハコやショッピングモールで特典券を武器に細々と生きていくアイドルたちとおたくの世界になってしまう

モーニング娘。ミスタームーンライト愛のビッグバンド以降ハロプロの世界に帰ってしまったように、元々アイドルおたくだったひとたちのためのエンタメとしてきっとこれからは存在していく

お笑いも今、バラエテイこそあるものの、若手が芸を披露する場がほとんどない

お笑いは漫才やコントをやって、初めてお笑いとして成立する

バラエテイでの面白さなんてその場にはまれば誰でもおもしろいので、お笑い芸人である必要性などなにもない

芸人はなんでもやって当たり前なんだから、それと比べて木村佳乃がなんでもやった方

おもしろいに決まっている

お笑いジャンルは今、現場難民(芸人側の) に溢れている結果、おもしろい漫才どころではないんじゃないかという印象だ

ジャニーズも、嵐の人気はおそらく今よりでることはないだろう

そんな中で、わたしたちの青春だった若手三組がそれこそ大爆撃を受けたみたいにメンバーが半分くらいに減っている中で、じゃあその下にくる平成ジャンプが元気なのかというと、最近伊野尾がようやくその美少年さを世間に認識され始めたが(といっても伊野尾わたしと同い年なのでもう少年ではない)

まだ平成ジャンプブレイクするという実感はない

セクゾもメンバーが増えたり減ったりするので、正直ジャニヲタあがったババアはついていけない。デビューしたユニットでそんなことありえます?よくわからない

じゃあウェストはというと、今の関ジャニくらいになれたらいいねーくらいの認識でしかない、わたしの中では

ファンのひとは怒るかもしれないけれど、こう見えて一応彼らがジュニア時代に松竹や梅芸でお仕事していたときにそれなりに見ていたので、ブチギレするのは超古参のお姉さんたちだけで勘弁してほしい

関西ジャニーズの抱える問題と可能性と闇については触れ出すと話が終わらなくなるので割愛

けれど、上記ジャニーズたちが決して売れないと言っているのではなく、現状の悲惨なエンタメ界を今すぐ引っ張っていく力があるかと考えたときに今すぐは無理だという話なので本当に怒らないでください

若手俳優の世界はおそらく痛みを伴う革命でも起きない限り、もう無理である

アミューズドリフェスとかやり始めちゃった時点で、あー事務所もそう思ってんのかなーとわたしはおもったぜ

大したビジネスでもなかったのに、いろんな大人がよってたかってダメにした感がある

たぶんこれからたくさんの失業者が発生するというか、まあ引退する子たちがどんどん増えていくと思う

まあ若手俳優はあんまり稼げるお仕事ではないので、その点においては大丈夫かなあと思っているけれど、元ジャニヲタとしてはジュニアが引退したのちに逮捕される流れにはうんざりなので、ちゃんとそれぞれに生きていく道があればいいなと思う

それがエンタメの世界だったらどんなにいいことかとは思うけれど、今若手俳優の世界にはそんなに飯のタネがないので、なにも言えない

結局、若手俳優のあとに台頭してきた読モジャンルも、KPOPも若手俳優よりも早くマイナーの世界へ帰っていってしまったので、

今どこでなにが元気で盛り上がっているのか、わたしの目には見つけられない

それがおそろしくて色んなおたくにこの話をして、今なにが盛り上がっているんだろうと聞いても、みんな首をかしげる。

広告で働いている男の子にもこの話をしてみたけれど、スポーツなんじゃない?と言われてしまった。

残念ながらわたしスポーツには一切興味がない。あとオリンピックに向けてスポーツが盛り上がるというのは、長らく当たり前のことなので、それはこれまでのPermalink | 記事への反応(1) | 11:25

2016-06-03

自己完結

したい。

すべて自己完結して生きていけたらいいのに。

他人とかかわるの面倒だよ…。

2016-05-17

[]よくある質問

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

Q.知り合いの愚痴に、どう対応すればいいのでしょうか。

難しく考える必要はない、君がやるべきことは「聞く」ことだ。

後は相手に悟られない程度に、相槌をうっておけ。

おっと、間違うなよ。

「内容を把握して建設的な答えをする」だとか、「助言をする」だなんてことはしないほうがいい。

正論は人を救わないしな。

愚痴というものは、他人意見を求めず、自己完結している。

フィクション世界などで、ヌイグルミ相手に話しかけるシーンがあるが、あれの延長線上に過ぎないんだ。

そもそも感情表現なのだから、思慮深さだとか客観的意見などは必要がない。

勘違いしている人もいるが、「愚痴」というものコミュニケーションにおける「相談」などとは性質が違う。

愚痴とは思慮分別が足りない、愚かな行為だ。

そこに君という「個の考え」が介入する必要はない。

もし違うのならば、君の知り合いのするソレはそもそも愚痴ではないということだ。

まり、仮に愚痴対応について難しいことがあるとすれば、それは愚痴であるかどうかを見分けることだけだな。

今回、学ぶべき教訓はこうだ。

相手のことを想うなら、相手のことを想わないこと」

愚痴をこぼす人間受け手のことを考える程度の思慮があるなら、そもそも愚痴なんてしないのだから、こちらも多少は不真面目なくらいが丁度いいのさ。

もちろん、君がその知り合いに関心がないのならば“親身”になってあげればいい。

2016-05-08

俺の人生、80点くらいかなあ

スペック

両親とも頭がいい。

母はアメリカの優秀な大学出てる、経営者。ただしヒス持ち。年収3k万くらい。

医者医者の中でも頭がよく金も医者の中で勝ち組、ただしアスペ年収5k万くらい

俺、1980年代中ごろ生まれチビデブハゲADHD医者IQ高い。

  

<幼少期 30点>

学校でも、家でも基地外すぎていじめにあう。

休み時間は誰とも遊べないで校内フラフラ歩いて、毎日誰かしらとけんかになる。

ほぼ毎日先生に殴られるほど怒られる。

ピアノ先生特におかしヒス女で、叩き込まれる。

  

<中高 90点>

小学校高学年あたりで塾に行きだし、そこでコミュ力を上げる。

他人に嫌われるのわかっていたためいろいろ癖とか考え方や話し方を治す。

すると、マアマア人気者になれて、中学でもマアマア人気者だが、今でいうスクールカースト底辺とばっかりつるんでいた。

このころはまだかわいらしい顔をしていたため、女子バスケット部なんかの間では俺のブロマイド写真取引されていた。女子ロッカー掲示板イケメンに並んで俺の決め顔写真なんかが張られていたらしい。

クラスかわいい女の子からモコミチに似てるなんて言われたけど、今じゃ思い出もいいところ。よく考えたら女の子アプローチされてたかもしれないけど、勘違いかもしれないが気づかずスルーしてしまった。中学卒業後に、あまり絡んでいない女からメールとかあったりしたけど、何も考えずスルーしてた。

このころ底辺男子からビジュアル系ホラー小説なんかを教えてもらうが、はまり微妙。後にその底辺男子ビジュアル系バンドマンになる。

中二のころに中二病になり、いつか死ぬという恐怖からハゲだす。

高校は優秀なところへ行き、勝ち組への道を確信する。

  

大学 50点>

医者になることに失意を感じる。俺がやりたいのは死を克服する研究じゃないか?と思うけど、彼女いたことないとか、オナニーしたことないことへ劣等感が沸いてきた。

暗記が苦手なため大学勉強になんとかかんとかついていくレベル

享楽的スポーツゲームに取り組んで、スポーツゲーム結構自慢できるレベルな成績を残す特にゲームは食っていけるレベルになる。

しかし、デブハゲが進行。もともと奇形もありチビフツメンということを聞くが、たぶんブサメンなんだろうと思う。

人付き合いも段々周りのレベルが上がり、ついていけなくなる。もちろん、会話とかするのは問題ないけど、人と人がつながってコミュニティを作ってるのが厳しい。自分自己完結した世界じゃないと苦しいのを自覚する。ファッションなんかもまったく美的センスがなくわからず、とりあえず美容院、とりあえずユニクロジャストサイズレベル

エロゲーアニメゲームプログラミングにもハマり、大学フリー生活孤独につぶし続ける。

合コンに1回も誘われなかったことを考えると、やっぱ他人との付き合いは下手だったのかな。

  

医者 30点~70点>

医者としては、並みレベル医者やってる。フツーのことはフツーにできる。

体力もあるほうなので、特に仕事キツイってのはあんまりない。

しかし、当初の目標の死を克服するなんてのはどこ行ったのか。人生選択がどうだったのか気になる。

酒や風俗を覚えてだらしなく生きている。結局俺は、机の上のお勉強しか興味なかったのかもしれない。

そろそろ、人生やり直しがきかない(すでにかもしれないが)時期に来ている。

貯金も親からもらったのも含めれば2500万ほど。マンションも一部屋俺名義で持ってる(親からもらった)。

医者フリーターくらいにしても十分余生は生きていけるんじゃないか?と思ってる。

2016-04-02

http://anond.hatelabo.jp/20160402150902

取れてねえよw

自己完結したいなら増田じゃなくてスーパーチラシの裏にでも書いときなよ。

そっちのほうが疲れないよきっと。

2016-03-21

http://anond.hatelabo.jp/20160319153759

まじめなトラバついててびっくりしたありがとね。

でも僕は「二十歳〜」が「倫理的にこれってどうなのか?」って議論が成立するような物だとは思ってないし

そんな風に書いたつもりもなかったんですよね。なんかごめんなさい。

描写がすごいってところを誤解されているような気がして歯痒かったかトラバつけることにしました。

僕は、「エロ同人は”ただ人が性的に消費される様を描いただけ”だという枠の中からは出られない」という前提が当然あって

それは常識的ものとして共有された認識だと思っていました。

なのであくま増田がいうように「添加物」というのか、

ムードを作るため、話に厚みを出すための肉付けの一つとして描写のことをだしただけなんですよね。

じめじめした樹海たまたまくっさい銀杏の木みつけてなんか銀杏いっぱい採れた、糞みたいな体験でしたけど銀杏はおいしかったです、みたいな。

ちがうか。

やっぱり僕からすると、クジラックスさん含め作者や愛好家は

この手の同人は如何わしく非倫理的ものと扱われて当然だと思っていて、

なのであまり表立って展開される活動ではないと認識しているように見えるんだよね。

性的搾取(あえてこの言葉を使う)の対象として主人公が出てきてなぶられる。」

そのことを吟味してただ楽しむだけに制作され売り買いされるのがエロ同人界隈であり、

内輪の外からは見られることはないという暗黙の了解を掲げることで成り立っている世界なのかなと思っている。

「『泣けるエロ漫画』として紹介されている」というけど、それはアフィリエイトブログの類で

クローズドされた集団の様子を外から面白がってパブリック空間晒しているのではないのかな。

(まあ僕もそういうの経由して流れてきた情報しかクジラックス漫画を知らないんだけども)

問題集団構成員がそういったネットの流れを黙殺しているところでしょう。

当人たちがコントロールできないところでああいった漫画なりイラストが公開されているって現在も知らないなんてことはさすがにないはずだから

クジラックスさんは「わんぴーす」って漫画ツイッター児童ポルノに絡んだ描写入れてたみたいだし。

公共ネットスペースに筒抜けの状態でそれでも背徳的な描写を描き続け持ち上げ続けてるわけで、

彼らは愚かにも、一時話題になったバカッターと変わらない精神構造をしているのではないかとすら思えてくる。

大勢いるロリコンエロ同人作者のなかでクジラックスさんがある種突出した存在であるのは、

ということを感じさせる、犯す側の人間が抱える劣等感孤独感を軸にしたストーリー展開なんだと思う。

興味本位で調べただけだから言い切れないところはあるけど、

クジラックス作品(といっていいのかな)は性癖を介することで犯す側の人間が人との繋がりが見つけ出すか

女児が傷つき孤独に苛まれる(犯す側のフィールドに引きずり込む)かのどちらかだけなんだよな。

駄目なことだとわかっているといいながらそれを排除できない自分本位な心情があって、

それを必然的ものだとでもいうように自らの孤独さを強調する言動というものロリコンたちは共感しているのかもね。(でもこんな危ない感覚を持った奴がごろごろいるのか?)

クジラックス作品に限らず多くのエロ同人にいえることだと思うけど、

どの作品も犯す側の自己完結した思考ベースになっていて、

それは表に存在が知られないように内輪で読んでる分には問題なかったけど、

それが一旦外部に広く知れ渡ってしまった以上人々の不快感や恐怖心は拭い去れないわけで、

やはり未だに”今の環境で”作品を発表し続けているということの有害性をもっと真剣に捉えてほしいな。

2016-03-01

自己完結型のフリして強がって構ってちゃんしないとアイデンティティを保てない

その手の馬鹿だって一目見たら分かるもんなのに、みんな構わずにいられないんだな

本当に馬鹿だと思うならレスして構ってちゃんの承認欲求に加担し貢献せずに

無視したらいいだけなのに絶対できないんだから、そりゃこの手の強がりくんは居なくならないわ

寂しくなったら適当にお題考えて構って行為すれば簡単に承認欲求満たされるんだから

現実に話し相手がいないからこんなところで他人からの反応を求めようとしてるやつらが母体なんだから

当たり前の状況っちゃ当たり前だけどさ

たまに本当に気づいてないやつもいる

もしくは気づかないフリしてるやつもいる

かまってちゃんを構うことにアイデンティティを感じる馬鹿とか

2016-02-15

ちょっとイラッとしたから書いた

別にオタク男子が何で抜こうが、お見合いしようが結婚しようが子供産もうがあるいは孤独エンジョイしようが、お前ら自身がどう生きようと、そんなの興味もない、知ったことじゃない。

ただ、一般向け作品からといってそのキャラストレートかどうかなんて作中ではっきり言わない限り、男女カップル「確定」っていうのだってお前らの"魔改造"だかんな?

その作品本来のファンの神経を平気で逆撫でしておきながら「自分絶対的であるから、俺の気に入らない物、受け付けないもの排除する」とかって贅沢いうなっていうの。

それをいっていいのだとしたら、一次創作エロゲとかのヒトタチだけ。

あるいはオタク男子御用達作品の中でのみ自己完結してるひとだけ。

他人作品寄生して勝手に"魔改造"してるのは別に腐女子だけじゃねーだろ?

それを周囲に「この(本編では誰と付き合ってるとも性的嗜好ノーマルだとも明言されていない)ただのエロ本をお前らは認めろ!公式もっと男の好むエロシーンよこせ!俺ら金払いいい優良顧客なんだからな」って言ってるのが多くのオタク男子

妄想するなとはいわん。するなら、閉じこもってろ、そういうのが好きな身内だけでやれ。周りに触れ回るな、公式突撃するなっての。



ここまではSNSで見かけた要約すると「腐女子は出てくるな」という意味で書かれた文章の内容をだいたい逆にしたものである

この分野で必要なのは「年令によるゾーニング」と「嗜好によるゾーニング」の2つなんだと思うけれど、前者はともかく後者が実現するのは100パー無理だろうから、両者を規制するか、両者を開放し(てお互いに見たくないものは見なかった振り)ていくことなんだろうなと思ってる。

2016-01-15

私が結婚しない(できない)理由

1.年齢相応の十分な貯金がない

もはや言葉はいらない。

これでは誰も寄り付かない。

2.借金がある

自動車ローンが1つ。

それも、労金で組んだごく普通のもの

決してアヤシゲな街金などで借りたものではない。

他はスマホ本体代金分割払いくらいか。

このくらいなら抱えている人も少なくないのかもしれない。

ただ、過去に「自動車ローンがある=借金がある」ことを理由に交際を断られたことがある。

このあたりの捉え方は人によるといえばそれまでだが、マイナスにこそなれ、プラスにはならない。

3.親が破産者である

10年ほど前だが、親が営んでいた自営業破綻した。

家をはじめあらゆる財産をもっていかれ、負債は帳消しになったが現在借家暮らしで持ち家はない。

なお、田舎なので持ち家が当然という環境である

また、借金取りや債権者に追い回されるということもなければ、私名義の負債があって破産処理されず残っている負債があるということも一切ない。

ただなにより「破産者前科者」という世間の目、これだけは揺るがない。

実際は破産犯罪ではないが、これも田舎であるが故かこのような偏見・色眼鏡を向けられないということはない。

1.や2.はわずかながらこれから改善余地があるが、自分の中では永遠に消えることのない3.が特に大きい。

もちろん、3.の事由がなかったからといって結婚できるほど私は魅力的ではないが、「破産者前科の子」を結婚相手として認める親はいない。

通常はこのような事情を知られることはないし、話す必要もないのだが、結婚ともなれば打ち明けないわけにはいかない。

打ち明けたとき相手およびその親族から向けられる反応を考えると、恐ろしくてとてもじゃないが結婚など考えられない。

世の中にはこうしてあえて結婚しない/できない人間もいるのだ。

無論、これとは比較にならないほど深い闇を抱えている人間だっているだろうがな。

結婚しない(できない)理由自分以外に責任転嫁しているだけと見る向きもあるだろう。

しか結婚は相手があるものであり、自分だけで自己完結できる性質のものではない。

いずれにしても、私はそもそも結婚を考えるというスタートラインに立つ資格すら備えていないのである

2016-01-13

http://anond.hatelabo.jp/20160113151158

馬鹿なのに一生懸命自己完結してくれるなんてなかなか高性能な馬鹿だな。気に入った。

2016-01-06

http://anond.hatelabo.jp/20160106142228

元増田姉妹がお互い自己完結しているようなので、突っ込んでも仕方ないけど、この後のストーリーを紡ぐなら。とりあえずその半生に及ぶ壮大な苛めの内容次第だな。サラッと流せる内容ならストーリーはここで完結。

想像を絶する苛めの内容であれば、復讐すべきかどうか、どの程度の復讐妥当かの議論(のネタ

で、どんな苛めだったの?

2015-12-21

http://anond.hatelabo.jp/20151221160322

こっちもいっておくけどIDの無いこんなところで俺は誰じゃないとか言っても何の意味もないから

俺は元増田に向けて話しているというスタイルでいることに意味がある、

まり相手が受信してようがしてまいが確認すらできない信号を送ってるようなもんだ。

極論、匿名掲示板は全部そうだ。会話をしてるようで実際は一方通行同士で自己完結しているようなもの

お前が元増田を名乗ろうが名乗るまいがどうでもいいよ。

かめ方法がないから

ただ俺の中では元増田と思って返す以外俺にできることはない。

お前こそなんで俺がさっきまでレス返してきている相手だと確信してるわけ?

2015-12-20

はてな5年みて思ったのは、はてな左翼の人って右翼が大好きだなってこと

ネット右翼って中国韓国北朝鮮大好きじゃん

おなじように左翼って、何かにつけて右翼を例に挙げるんだよね

いま右翼どうのこうの関係なくね?みたいなのでも右翼右翼いう。

思ったんだけど、ネットにおけるマウント競争として左翼が何に対してマウントを取りたいのかって話なんだろうな

左翼マウントを取りたいのは右翼なんだろうと

俺が学生のころ大学反米思想のなかなかな活動家がいたんだけど

このひと古風だなって思ったんだよね

なんで俺は古風だと思ったんだろうって考えたんだけど

視線アメリカに行ってる今時珍しい左翼だったからなんだよね。

それで、あれ?こういう人あんまりはてなで見ないなぁって思ったわけですよ

はてな右翼はてな左翼くさすように村喧嘩やってたりするけど

中韓ヘイトのついでなかんじだけど

はてな左翼あくまでも右翼ありきの、純度の高い感じが特徴なんだよね

この人らシリア空爆とか難民問題とか意識ひっくいなぁって思うのよ

なんでこのニュースとかであいつら書き込まないんだ?って

ブコメするしか能のない奴らなんだからブクマするにきまってるのに

左翼ならなおのこと書き込むだろうって思うんだけど、はてな左翼書き込みしない。

なんか外国人権問題に対する関心の低さってあるよねはてな左翼って

まぁそんなの俺の勝手だろっていうんですかね。まぁいいや

でもね、このまえ例外的難民に関心が激増することがあったよね

それが、あの難民ヘイトポスター事件

そうやっぱり右翼ありきでのカウンターとして登場するんだなって

そこで確信したよ

なるほど、はてな左翼ってのは、右翼が何かやって初めて行動するんだなって

なんていうか自己完結型の意識高い人たちじゃないんだなって

あくまでもネットマウント取れる時にだけ動くbot左翼みたいなもんなんだなって思った

2015-12-18

http://anond.hatelabo.jp/20151217220609

普通にセクハラだし、セクシャル以前にそもそも不快なことを言われたんだから

それ不快からやめろと言った方がいいよ。

勝手に「はー非モテはつれーわー」って自己完結してても、何も変わらない。

長くセクハラれてきた女には、場を壊さない程度のマイルドな切り替えしテクニックから、猛然と戦うためのノウハウサポートまで

いろんなバリエーション方法が蓄積されてきつつあるが、男性もそろそろその辺のノウハウを共有して頑張ってほしいところ。

2015-12-12

http://anond.hatelabo.jp/20151211131343

元増田です。

記事一方的削除や一方的な終結宣言がその象徴である

>「彼女にとっての」理由はちゃんと書かれているが、相手がそれに納得するかは別である

>というか、係争中の相手が記事は消さないで欲しい、と言ってる。

>それを無視して一方的に消すあたりどこまでも自己完結な人だという印象は拭えない。

確かに、鋼兵氏の言い分をガン無視して終結宣言したのは事実なんですよね。

ただ、その理由ってのは→https://logl.net/301

>鋼兵:自分事実誤認による拙速拡散、その他ミスリードや連絡が無かった事、全て何も誤りも訂正もないで終わらせる気だ。

霊夢:これ見るとアンタを説得して折れさせたみたいに見えるわね。

>鋼兵:勝手に指摘部分全て盗用と決め込んだことをAさんも謝って、晴れて私の濡れ衣が消えるわけだろう?私的にはお互いが悪かったところは悪いと言い、間違ったことがあったら曖昧にせずきちっと終わらせないと何も解決してない。

「鋼兵氏の言い分を汲んだ納得できる結末」は↑の実現しかないわけです。

解説動画の言っているように、実際に盗用は事実で鋼兵氏の言ってることは端的に全部間違いなんで、

それは百合子氏としてはとてもじゃないけど承服しがたい要求だったのではないでしょうか。

から「逃げ」と言われることは承知で、事態の出来るだけ穏便な収束を図ったのではないかと。

まあ、本人があん自己弁明動画を出して勝手自爆したので

彼女気遣いは全部ムダ、いや鋼兵氏支持者の批判が続いていることを考えると、むしろ間違いであったわけですが。

結局、ゴロツキ相手に(どんな形であれ)折れてはいけないということではないでしょうかね。

2015-12-11

yurico氏が記事を削除したのはとても残念

http://anond.hatelabo.jp/20151211040204

yurico氏の主張自体は正しいと思っている。

こうへい氏は明らかに自分に都合の良い用に話を歪めている。

だが、こうなった原因の半分くらいはyurico氏の態度に問題があると感じている。

主張が正しかたからこそ、彼女コミュニケーションのやり方が酷すぎるということが言いたい。

記事一方的削除や一方的な終結宣言がその象徴である

彼女にとっての」理由はちゃんと書かれているが、相手がそれに納得するかは別である

というか、係争中の相手が記事は消さないで欲しい、と言ってる。

それを無視して一方的に消すあたりどこまでも自己完結な人だという印象は拭えない。

ちゃんとコミュニケーションを取るということができない人ではないのか。

本人もアスペルガーであるとか、他人の言い分を理解できないということを書いているが

それに起因するトラブルを、だって仕方がないじゃないとか、そういうものですよ、と開き直っている節が感じられる。

どうしようもない、改善するつもりもない、相手もそれを了承しておくべきだ、というのであれば最初からそうだとわかるようにしておいて欲しい。

今回の件も、一方的に騒ぎ出して、一方的に打ち切ろうとする態度は誠実とはとても思えない。


さすがにその後kyoumoe氏のブログブコメしてるのはどうかと思ったわ。

ネット右翼の逆っているよね(ネット左翼とかじゃなく)

いわゆる、外国のいいところしかみない馬鹿っていうのかな

とくに欧州、そしてさらに言うなら北欧

http://togetter.com/li/911072

これ読んでて思ったんだけどさ

いや、あの国って素敵ねっていう分にはいいんだけどさ

自己完結しないでまわり巻き込みたがる連中っているじゃん

レベルでやるやつ

こういう連中って決まって比較するじゃん

日本SUGEEEEの逆バージョン

つじつまの合わないいろんなところが見えないうちに、きれいなところばっか見て日本比較しまくるんだよね

ああ、この人100年前だったら絶対アカくなってただろうなぁって思うよ

その制度はいいけど10年後20年後50年後はどうするの?っていう

100年前、裕福なソ連不況で沈んでたアメリカをみて当時のこの手の人が社会主義に傾倒していったんだろうね

民主党がそれだよね

発言根拠とか裏打ちがない

きれいなことしか言わない

汚いことをやる覚悟がない

自民党は糞だしどうしようもないけどいまだ俺が自民党投票してしまうのはこういうところなんだよね

にしてもあれだよね

昔のはてブだったら、外国きれいなところしか見ない馬鹿であふれてたのに

http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/911072

みてると意外と冷静な人増えたよね

なんかあったの?

2015-12-10

人目に付く場所愚痴を書くということ

愚痴を吐くのが癖になっており,度々長文の愚痴を書き散らすのがストレス解消の一環となっている。取り留めの無い愚痴文章化するメリットとしては,①書いているうちに頭が整理される,②後日読み返すことで当時の自分思考の偏りを見つけることができるという点が挙げられる。

一方でデメリットというか,これは自分に関してのみ当てはまるかもしれないデメリットであるが,愚痴を吐く場所としてこっそりやればいいものをそれをSNSなどに書いてしまうという点である。人目をはばかる思いから,「mixiの「一部の友人にのみ公開」機能(そもそもmixi最近閑古鳥が鳴いているのでリスクは小さいであろうという考え)」や「増田匿名から)」などを主に選んでいるが,それでもたまに少しだけ騒ぎになる。大抵が思考を整理する前のとりとめの無い愚痴であるため,読んだ相手に不快感を与えてしま危険性が少なからずあるようだ(ちなみに増田だと,別に炎上してもへいちゃらだが,一番気持ちの行き場がないのが釣り認定だ)。クリックしなければ読めないのだし,私自身は他人愚痴を読んでも「ふーん大変だね」としか思わないタイプだが,一方で自分公然わいせつをしているという事実は変わらない。けれども一方で,人目につくところに愚痴をかくとたまに驚くほど的確な助言がもたらされることもあり,それに救われているのも事実だ。自分の中に複数他人視点を持ったり,あるいは建設批評ができるようになれば,他人の目に付かないところでひっそりと,もっと自己完結的に事が行えるのだが。

2015-12-02

就活を「真面目に」やって、婚活を「真面目に」やったら

自分経済不況期に就活した。就活就活本を買いあさって、「真面目に」自己分析し、企業研究した。

現在社畜だが、それなりに気に入っている。仕事顧客層が自分に合っているし、経営方針自分に合っているので、辛い時も「ここから逃げてもこれ以上にやりがいを感じられる仕事には二度とありつけない」と踏ん張れるからだ(今の所。潰しが利かない、というのもある)。

そんな自分が、もうそろそろ結婚したいなーと思い始めた。異性がいる環境ではないので、結婚相談所登録するつもりだ。その前に、「真面目に」自己分析してみる。

Q:自分はどんな人間ですか?(自己PR・志望動機

A:私は何事も楽しめる人間です! 趣味は〇〇ですが、これはお金をかけずに何回も楽しむことができ、その度に新たな発見があります。勤務先の〇〇社において、人が倦厭する〇〇業務に携わり、最初は右も左も分からない状態でしたが、勉強し新たな切り口を拓き、また人と話すのが好きな私なので多くの人と新たに協力関係を築き、〇〇という業績を達成しておりますハードながらなかなかにしかったのですが、他の人が避ける仕事でも私は楽しみを見つけ、より上を目指して結果を残すことができます。以上の経験から、私はどんな状況でも柔軟に、何事も楽しめる人間です。結婚後現れる様々な困難への対応力があります!(自分を選択してもらうためのポイント提示

Q:結婚後、どのような分野で活躍したいと考えていますか? また、苦手な分野はありますか?(自己PR・志望動機

A:特に力を入れたいことは2点ございます。まず、経済分野ですが、結婚後は、収入家計に入れつつ、将来の親戚付き合い・出産育児・急病などの起こりうるライフイベントに備えて月〇万円を貯金することをお約束します。小遣いについては婚約後に相談させていただければと思います。二点目、家事ですが、私は大学時代一人暮らし経験があります。そして現在実家暮らしで平日帰宅が遅いのですが、土日に平日のおかずの作り置きをする習慣がありますので、これらの実績は結婚後の衣食住を保証できるかと思います。苦手な分野についてですが、これまでの人生の中で、掃除が手間がかかり私にとっては若干苦手な分野です。これについては今後クイック〇ワイパーやモップスリッパ、取り回しの効きやす掃除機の導入によって、現在改善中です。(結婚生活の具体化)

Q:では、(相手)さんを選んだ理由は何ですか?(自己PR・志望動機

A:私は(相手)さんが望む「〇〇」という条件を満たしておりますし、食事やお金の使い方などが似ており、正直これまでの約云十年を別々に暮らしてきたとは思えないほど、シンパシーを感じております。なにより、これまでお話した時間の中で、(相手)さんの「ガシーン、ドーン。アタシは死んだ。すいーつ(笑)」という何事も楽しんでらっしゃるお人柄に触れ、(相手)さんとなら、長い人生を楽しめると私が実感しているからです!(相手から要求を満たす、お互いの価値観性格の一致、相手の具体的な長所自分に合っていること)

……こんな婚活現実味面白味もないな!(自己完結

そして、結婚生活で最も重要なのは、「婚活」ではなかなか聞けない「性の一致」なのではないだろうか?

2015-11-15

嫌いという言葉を軽々しく使う奴が嫌い

http://nekokone.hatenablog.com/entry/2015/11/14/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%8D%E3%83%86%E3%82%B9%E3%82%92%E8%A6%96%E8%81%B4%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%8B%E3%82%89%E5%A5%BD%E3%81%8D%E3%81%AE%E5%8F%8D%E5%AF%BE%E3%81%AF%E5%AB%8C%E3%81%84%E3%81%98%E3%82%83

好きの反対は嫌いなのか。

食べ物匂い、人の外見など自己完結できる感情に対しては好き嫌いの2値で良い。

しかし、嫌いという言葉を使うことによって、対象を変化させるのは違う気がする。

好きや嫌いの感情とは心の原動力で、社会において素直に表現して許されるのは、恋愛自己作品に限られるのではないか。それ以外で他者他者作品に嫌いという感情をぶつけるのは幼稚に思う。嫌いと思う対象に対して許されるのは改善を促すことか、もしくは無関心になるかだ。

消滅して欲しいと思うということは、その対象は既に嫌いな物や相手ではなく、敵であり、攻略しなければ自己尊厳や身体に危害があるものだろう。それは攻略対象であり、嫌いという単純な感情で防げるものではないのだろう。

から好きの反対は無関心と作品では述べている。より社会が円滑に進むために個人が出来ることだから。嫌いが蔓延しても混乱するだけだから。だからまり軽々しく嫌いなんて言葉を使うもんじゃない。

2015-11-07

好きの定義

一分間のうち心臓が何回動いたらそれが恋愛感情です、みたいな定義を設けてほしい。

昔はどきどきが2割増しくらいで好きカウント入れてたけど

今はどきどき7割増でも「疲れてんだなあ」と自己完結してることに気付いた。

好きってなんだろう。言葉作るんだったら一緒に明確な定義も作っといてくれればいいのに

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