はてなキーワード: 自己完結とは
>「男性向けコンテンツを『性的消費』という言い方をして批判する人々は同じように腐女子のことも『性的消費』という言い方で批判すべきなのに、
ツリー下まで見てきて思い出したけど、
同性愛当事者から腐女子に対する「オナネタとして消費するな」って批判は、たしかまさにここ「はてな」で一時期活発に見た覚えがあるんだけど。
ゲイ、ビアン、バイ、それぞれのセクターから総袋叩きになってたな。腐女子。
だって、そりゃ、自分のオナニーの為に相手に幻想を擦り付けて「その通りに振る舞いなさいよ!」的アピール平気でしたたし。
リアルのゲイに対して「それは私の妄想するBLと違う!」とかって、平気で言って回ってたりしてたんだぜ。
で、日々同性愛者として生きにくさの中を生きている当事者たちから、理論だてられた批判をバッチリ受けてたけど(当然だ)、
当時のやりとりはまるで今にいかされていないんだね、ってのがよく分かるエントリ。
あと、「男性向けコンテンツを『性的消費』」って批判なの? 男性向けコンテンツでそれが性的に消費されているのって、
その性的消費の中での性的ファンタジーがリアルの女を阻害している云々の批判はあると思うけど、
男側がきちんと消費の中で自己完結してリアルの女にそれを持ち込まなければ、別に男性向けコンテンツで男が性的消費をしていることが批判されるいわれはない。
余計なお世話、って話。
ブサメンのゴールは、『性欲の衰える40歳までに性犯罪を起こさず、素人童貞を貫く』ことだと思う。
よく、中年の居ない歴が馬鹿にされているが、俺にとってはアレは「勝ち」だ。
コスプレイヤーのカメコの50代、60代のおっさんがいるが、あの人達は、「到達した」人だと思う。
そこに使ったお金が、18~40歳までで、150万(月1万くらい)までなら、大勝だと思う。
これがいかに適切で、難易度も適切に高いゴール設定かと考える。
たとえば、いま40歳の中年童貞は、20年前の1990年代に、何を得られたか。
当然、ブサメン設定だぞ。
彼女はいなかっただろう。AVもイマイチ。パソコンもまだまだ微妙で、セイゼイにちゃんねるで暴れるくらいか。
が、2000年代から、そいつらは急に楽になる。AVも質が上がった、エロゲーもいい感じ、同人誌もクオリティーがあがる、オナホールはマンコを超えた。
ドンドン、楽になり、ゲームなんかにかけるお金も減り、ネットのおかげで暇つぶしも楽勝になった。
つまり、耐えれば耐えるほど、エロに関してはブサメン有利になっていく。
今目の前の恋愛だの、彼女だの、愛人契約だのに飛びつくのはやめよう。それらは、もっと上位互換になって次の時代に安価に手に入るかもしれないし、そもそもブサメンには背伸びしすぎなわけだ。
今でも童貞サポートは結構あるが、マダマダ風俗に行ったりということもあるだろう。
風俗は高い。ソープなら15kくらいか。高いと30kとかだ。ヘルスなら10k、ピンサロなら5kか。とてもじゃないが、18~40までの12年を150万では抑えられないだろう。
これらの誘惑を拒否しきるのはマダマダ難しい。
エロゲーやxvideosの使い方も工夫しなければ完全に性欲を自己完結させるのは難しいだろう。
まずもって、ツイッターやブログ、匿名系のsnsは必須だと思う。人寂しさを晴らす場所が絶対的にブサメンには必要。じゃないと頭おかしくなる。
次に、オナホール、エロゲー、同人、エロ漫画、xvideosは必須。これらをうまくまわす技術で、「普段のオナニー」のレベルが決まる、普段のオナニーが充実しなければ風俗に金が流れてしまう。
これらを見につけたその上での話しだが。
最初は、風俗で月2万くらいならいいと思う。オナホールとローションで5k、エロゲーで10kくらいは仕方ないと思う。学生ならバイトしよう。
あるいはガールズバーなどに行ってアンマリ解消できないとか、JKカフェみたいな危ない場所に行ったり、あるいは出会いカフェなんかで3万とか痛い目をみたりするだろう。
これらは、金持ちのオッサンや頭の足りないサラリーマンが行く場所であって、ましてやブサメンが行く場所ではないw素直に、ピンサロやソープに行け。
こういう失敗を繰り返して、エロゲーやオナホール、xvideosを安定させていくってのが、20代の課題だと思う。
まだおれ自身が20代なので言い切れないが、知り合いのアラフォーのモテ無いおっさん友達(競艇や麻雀、将棋で知り合いになったやつら)を見ると、ど~も30代で散財しだす。
使えるだけ金を使ってしまうパターンが多い。それも、クッソくだらないんだけど、出会い系とか、ガールズバーとかだよ。そんなやれもしないものに、なけなしの金使うってビックリするんだけど。
東大卒とか、慶応卒とか、高学歴のおっさんでもそんな感じ。貧すれば鈍するってやつか?
俺は、このパターンが怖い。無理に性欲ってか、性愛っていうのかな、人とのつながりを拒否するってのは、多分人間的におかしい。
おかしいものを成立させようとすると、このパターンが相当来るんだろう。
あるいは、エロゲーに飽きるとか、あるいは、オナホールでいけないとかか??
だからこそ、アラフォーの素人童貞がうらやましいと思うんだよ。
30代の戦略はできないが、ミスしないように、「こうなるぞ」っていうパターンを知っておくのが大切だと思う。
未来は、今よりよくなる。
ラブドール、3Dメガネ、あるいは激安の移民風俗、3Dプリンター、整形技術の進歩と安価化(美人の価値が落ちる)、性欲を抑える薬。
こいつらに俺は期待してる。
現在は、オナホールは毎月毎月新しい商品、アイディアがでてすばらしい。
40歳まで性欲を自己完結させるメソッドの研究グループ、作れないかな。
そういうSNS作ったら、人集まるかなあ。
作品中におけるキャラの背景描写全然足りない。 デレマス22話を観てしまむら卯月に不安を感じない人はめちゃくちゃ脳内で補完してたり、アイマスのお約束に飼いならされすぎている。
アニメだけ見てる人間からすると、22話のしまむら卯月は詰んでる。完全に詰んでる。少なくともちょっとやそっとで復帰できるような状態ではない。
でも、どうせ23話の後半に入ったころには回復してるんだろう。それってもう納得行かない。 全然納得行かない。
アニメ中でもしまむらの強さが全く描かれてないとは言わない。 言わないが、今までアニメで描写されたしまむらのつよさは待ちの強さや信じる強さであって、内発的な強さの種は一切描かれていない。むしろそういうものが無いキャラとして描かれてる。
「頑張りつづけていればなんとかなる」という信念を持ってひたすら辛抱強く待ち続ける強さ、しか描かれてない。あえていえば1話で渋谷凛にアプローチを続けたことだけが例外。
そうやって今まで本田奈央や渋谷凛、プロデューサーを信じることで成り立たせていた信念が壊れた状態だよね。
この状況だと、渋谷凛と本田奈央が助けに行く以外に方法ないじゃん。 でもそれじゃ現状復帰が精一杯じゃない?
どうやって自分を信じるって方向性に持っていくの。 どうやって自分が本当にやりたいことに目覚めるって展開になるんだよ。
もし違った展開にしたかったんであれば、アニメの中で、しまむらの本来持っていた別の強さであるとか、成長への芽をちゃんと描いとくべきなんだけどなかったはずだ。
21話の未央についてもそう。本田未央をアニメ前からよく知ってる人は、本田未央の行動は非常にすんなり納得出来てるんだろう。
だが、やはりアニメから見てる人間には、そういう考えもある、となんとか納得することはできるが、自然な行動には思えなかった。
本田未央は非常に気遣いであり、小心者であるが、それでもムードメーカーたらんとする、であるとか実は内向的なため独りよがりで自己完結して突っ走りやすいキャラである、というのは
断片的にはわかるが、アニメの演出だと、その断片がうまく組み合わさらず、ただの空気読めない娘という印象の方が強くなってしまう。
そういう薄っぺらさとうか無理やり予定調和で包み込んで、いい話なんだからいいように解釈しろっていう押し付けがなんかすきになれないぞ。
でもどんなご都合主義でも薄っぺらい予定調和でもいいからUDK姉さんの輝くような笑顔が見たい。それだけは間違いない。UDK姉さんが幸せであればそれでいい。(複雑)
私は文章は「ある例外を除いては」誰にも届かないように書く。特定の誰かに向かって語りかけないように、自分でノリツッコミして自己完結させるか、誰にも届かないように対象をすごく薄く引き延ばしてしまう。あくまでも「私の話」か「誰についてでもない話」ばっかりにしてしまう。
それだけならいいんだけど、他人が何か話をしてる。ネットで気になる話題を見つけた。そういう時でも似たような反応してるような気がする。
あえてわかり悪く書いたけどつまりこういうことです。
相手が「Aという人がいてさ」という話をしている時に、相手に返すんじゃなくて「私もそういうところ有るので気をつけなければ」とか「私もこうしようかな」みたいなことをそういうことを言ってる気がする。どこまでいっても主語が私。
相手が、その話によって私に何かを学び取ってアクションして欲しいならともかく、たいていは単に話したいから話してる。その話題を共有して盛り上がりたいはず。
なのに、なんで私は相手に話を返さずに一人で自己完結してるんだ。アホなのか。
それなりにスターを集めてるようなブクマカさんがエヴァを知らないのかと思うと時代を感じる
「レゾンデートル」って▼では「他者の価値と比較して認められる存在価値ではなく、あくまで自己完結した価値を意味する」とあるけども、そうなるとこの増田の使い方は正しいの?教えて哲学詳しい人!
レゾンデートル「自身が信じる生きる理由、存在価値を意味するフランス語の「raison d'etre」をカタカナ表記した語」http://www.weblio.jp/content/%E3%83%AC%E3%82%BE%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB へぇ。
んーブサメンで高収入かあ。何もしなくても女が寄ってくるのが理想なんだろうけど、現状でそうなっても、どうせお金目当てなんだろって斜に構えちゃってるから、どう転んでもアウトだよね。
何にしてもこじらせた輩は勝手に自己完結して勝手に世間を憎んでるから、まともにとりあうのが時間の無駄なんだよな。
端的に言えばメンヘラと同じ。
一万ポ譲って可能性を考えるなら、カネ目当てなんだろっつってそっけなくしてたのに、それでも真摯に誠実に猛アタックしてくれるような黒髪ロングの処女がいたらまあ結婚できるかもねって感じか。
ありえねーなwwwwww
世の中のビッチどもは俺の本当の魅力なんかわかるわけないってか?wwww
ほんとこじらせメンヘラは近寄っちゃだめだねw
最近ますます増えていると話題のハイスペ風アカウント。スラッシュでそれらしいキーワードを並べてみるものの、書いてる内容は田舎の女子大生の妄想したような成金ライフ。今夜のクローズアップ現代はハイスペ風アカウントの心の闇に迫ります。
時々見かけるbioが英語で書かれているアカウント。しかしツイートを追いかけると日本語のツイートのみしかなく、一体何のために英語で書かれているのか意味が分からないと指摘されています。今夜のクローズアップ現代はそのbioは誰に向けてのものなのか、英語bioの謎を追いかけます。
「最終のご案内いただきましたが他社の選考と被ってしまったため辞退させていただきました。とても良い企業だったので残念です。」とか書き込む奴は絶対オナニーばかりしている(偏見)
女性と食事に行ったら本当に食事だけで終わった件と非モテコミットについて - 傾向 http://udon-zuruzuru.hatenablog.com/entry/2015/07/24/163012 …
このブログの人は相互フォローなので、なかなかコメントし辛いんだけど、読んでて思うのは、他者を鏡にした自己評価が行動基準になってるんだなぁという点。真に相手の事を思ってるのか、好かれたいという欲望によるのかの前に、相手の感情を自分と切り離して推察するのが欠けてる気がする。 >RT
他者との関係性に他者が存在せずに全て自己完結してしまう人は時々いますよね。
他者にどう思われてもいいやと開き直れる訳でもなく、然りとて相手の気持ちを推察するのは面倒くさい、でも好印象を持ってもらいたい、みたいなアンビバレントな思考になると、生きにくさのハードルが上がるんだろうな。
「これを言われたらキレるしかない、というポイントを持ってたほうが人間的に厚みが出る気がするし、舐められないで快適にすごせる(ただし絶対嫌われたくない人にはキレない)」というような理由でキレ地点を設定する「ファッション地雷人間」を目にするたびに、弥勒菩薩半跏思惟像みたいな顔になる。
本質的な質問は彼らが知っていたのか知らなかったのかではなく、ひとは知らないからといって無実だと言えるのか、玉座にのっている愚か者は、ただ愚か者というだけで、あらゆる責任を免除されるのかということだ《存在の耐えられない軽さ》
http://by-s.me/article/114949248404390372
ざっくり言っただけかもしらんが、実際は複雑
これ以上に有ったり間違ってたらすまない、認識不足だと言っておく
└周囲に隠してる(クローズド。世間体を気にしてゲイであることを否定する)
└周囲に打ち明けてる(オープン。開けっぴろげにしてる人は少ないと思われる)
└好きになる相手は男女どちらも(バイ)
└気分で相手を切り替える(ファッション、男が好きな時、女が好きな時が存在するらしい)
└結婚した、異性と付き合った後に男が好きになる(後天的に目覚めた)
└外見を変える(女になる)
└手術する(性転換)
└外見を変えない(男性のまま)
└男の娘(若い男が若い女の格好をする、顔立ち・スタイルが女性的)
└心は男性
マツコなんかはこれだけど、公の場だけじゃなかったかな
└性転換手術済み(戸籍まで変える人も)
└手術まではしてない(ちんこついてる、格好は女)
おネェ言葉使う人
私が好きなジャニーズのアイドルが出演するコンサートには「ファンサ」という文化がある。
それは「ファンサービス」の略で、ステージ上のアイドルがファンに、例えば手を振ったり、指差したり、投げキスしたり等の"サービス"を行うことを言う。
(ちなみに、この「ファンサ」は特定の個人に向けられる仕草を指す言葉で、辺り一帯のファンに向けたお手振りなどは「空気ファンサ」「エアファンサ」などと呼ばれ、ありがたみが一段どころか十段くらい落ちたものとされている。)
ジャニーズのコンサートと言ってもベテランから若手まで色々だけれど、このファンサ文化は色濃いものらしく、どのグループにも必ずと言っていいほどファンサをするための時間がセットリストに組み込まれている。
それは大体アイドルがトロッコに乗って会場のファンの座席近くを移動する曲のときで、トロッコに乗ったアイドルは目の前を流れるファンに、手を振ったり、指差したり、投げキスしたりする。
ツアー名に自分たちのグループ名を冠したデビュー組は、会場全部のファンを楽しませなくてはいけない(という建前)に対し、先輩グループの後ろで踊るジャニーズJr.は、自分のファンを増やすきっかけの一つとして積極的にファンサを行う。
…と言うのが、本題に入る前の「ファンサ」のざっくりとした説明。
本題は、「アイドルにファンサを求めるファンを心底バカにしていた自分がファンサを求めるようになってしまう」までの心境の変化だ。
これまで私は、コンサートにファンサを求めるファン(いわゆる「ファンサ厨」)に対して、
構ってもらえれば誰でも良くて大してそのアイドルのこと好きじゃないんだろ、
他のJr.に手厚いファンサもらったらさっさとファン鞍替えするんだろ、
薄情なやつらめ、と思ってバカにしていた。
コンサートでファンサを第一に求めるなんて彼らのパフォーマンスの足引っ張ってるようなものじゃないか、なんて憎々しくも思っていた。
自分は、ファンサなんてもらえなくても良い、ステージで精一杯ダンスしてるアイドルを見ているだけで充分幸せだし、誰かにファンサ貰ったからってサクッとファン止めるとか絶対ない。自分こそが"正しい"ファンだと思っていた。
だから、私はコンサートでもアイドルの名前が書いてある団扇は持つけど、「○○して」という要望を書いた「ファンサ団扇」的なものは持たなかった。
そんな私が変わったのは今年の春。
好きなアイドル、ジャニヲタ的に言うと自分の担当するアイドル=自担、が出演するコンサートツアーが始まった。
今まではチケットが当たった席でコンサートを観ていたけれど、せっかくのコンサートツアーなんだから自担がよく見える席に座りたい!と決意を新たにして、ここぞと思う場所を選んでチケットを手に入れるようになった。(チケットを定価以上で買っている時点で一般社会を生きる人間として一線堕ちたとも言える。)
自担がよく見える席とは、すなわち自担の視界に入ることのできる席でもあるので、だいたい公演の度に自担が私の団扇を見つけると、「あ、気づいてくれてる」と私が実感することのできる反応が貰えた。もちろん、それは私個人を認識しているわけではなくて、自分の名前団扇を持ったファンがいるな、という反応だけれども。
でもこれまでのコンサートでは、自担に気づいてもらうなんて発想はまったく無かったから、「こっち見てる!!!」って実感する衝撃はとても大きかった。
ファンサが手厚いアイドルはお手振り指差し投げキスに留まらず、エアハグとかエア壁ドンとかファンと2人で指でハート作ったりとかetc、もはやファンサ自体も一つの見せ場であるかのように張り切って色々見せてくれるので、そういうのに慣れている人から見れば私が喜んだ自担のファンサなんてファンサとも言えない仕草かもしれないけれど、でも喩えようのない嬉しさだった。
それは華やかなステージ上のパフォーマンスと同等か、それ以上の興奮で。
全国に何万人いるか分からないファンの一人でしかない私だけど、自担に私が応援しているということを知ってもらえる嬉しさ、あなたのファンがここにいると分かってもらえる喜びは、自己満足だけど抜け出せない快感で。
そのおかげで、今春のコンサートツアーの概要はほとんど覚えていない。
いつ自担が私の方を見てくれるか分からないから自担の視線から目を離せない。○○くんがバク転したというレポートを読んでも、そのバク転が会場の視線を集めている内にもしかしたら自担はこっち見てるかもしれないなんて思ったらよそ見なんてできない。豪華なステージセットも、今話題のJr.の活躍も、迫力ある大人数でのダンスも、全部観れてない。自担の視線しか追ってない。
これは"正しいファン"と言えるのか?と疑問が浮かぶようになった頃。
自担に干された。
「干され」とは、わざと自担にファンサしてもらえなかったの意で、私のように自担が私個人を認識していない状況ではわざとも何もないので、厳密に言えば「干され」と言うより、きっとただ単に気づいてもらえなかっただけなのだが、福岡も横浜もほぼ同じ席入って反応くれていたことを踏まえるとショックだった。
そして、自担に反応貰えたかどうかがコンサートの満足度に影響するようになったことを自覚した。
ただ平穏にパフォーマンスを観て自担のかっこよさに感動していた今までの自分とは違ってしまっていた。
もう"正しいファン"ではなくなっていた。
自担も、コンサートに出演している皆も、一回一回の公演に全力で臨んでる。
その努力と熱意のステージを目の当たりにしてもなお、自担が私に気づいてくれなかっただけで、そのコンサートは色褪せてしまう。
自担の気まぐれとサービスである「ファンサ」を何よりも望んでしまう。
これは、自分が何より馬鹿にしていた「ファンサ厨」ではないのか。
「○○して」というファンサ団扇を持たないことで自分はファンサばかり求めるファンとは違うと自負していたが、心の中では誰よりも「自担こっち見て!気づいて!何かファンサして!」と念じて会場に突っ立っている自分は立派な「ファンサ厨」ではないのか。
「アイドルがグループとしてどんなステージを魅せてくれるのか」よりも「自担が私にどんな反応をくれるのか」なんていう些細でちっぽけなことが自分の中で重要になっていく。
アイドルヲタクなんて、アイドルの夢に乗っかってばかりの自己満足でしかないけど、それにしても自己満足、自己完結過ぎる。私のファンサ欲を満たした所で自担の道はどこにも繋がらない。自担の道はファンサとは別の場所にあるべきだ。でも、私はファンサが欲しい…。
というファンサ沼に腰まで浸かったところで、ファンサに溺れて初めて気づいた悩みの種がもう一つ。
コンサートツアーで今まで反応を貰えてたのに初めて干されたことで、「応援すれば自担は喜んでくれる」という今まで信じてきたことが揺らいでしまった。もしかしたら、毎公演の様に視界にねじ込まれる私の団扇は自担にとって気持ち悪いものではないのか。自信を持って作り上げるコンサートは一人でも多くのファンに観てもらいたいのに、なんで同じ奴ばっかなんだよ!って憤っていないとも限らない…そう思うと、足がすくんだ。
もし次の公演でまた反応もらえれば「毎回同じような反応を求めるのは贅沢だし、スルーされる時もあるよね」と前向きに思えるけど、次も干されたら、「やっぱり私の応援は必要とされてないんだ!」って気持ちがメキメキ大きくなって、これまで通りに自担を応援できなくなってしまう。
コンサートで披露されるパフォーマンスも、自担の視線という局所的にしか楽しめなくなってしまうと同時に、自担に干されたら即ち自担は私の応援なんて必要としていないんだぁぁぁわぁぁぁん的な袋小路に突っ走ってしまう私は、きっとファンサなんて知らなかった頃より地雷が多いし、コンサートを楽しめてない。"正しいファン"が聞いて呆れる。
たった半年前までは、ファンサ厨は自分の幸せしか考えてないからファンとしての質が低い、くらい思って見下していたのに、自分がファンサを貰ったらその魅力にあっさり堕ちた。
そんな自分をとても情けなく思うし、この先ファンサを貰えなければすぐ「自担にウザがられてるかも...」と疑心暗鬼になってしまうし、何より自担に気づいてもらえる席を買い続けるお金のことを考えると頭が痛い。ファンサ厨なんて自縄自縛の沼だ。
でも、もう戻れない。自分がいることを担当が気づかない席でコンサートなんか観たくない。
時間は不可逆で、自分がいることを気づいてもらえた瞬間の興奮を味わってしまったら、その瞬間が無いコンサートなんて気の抜けた炭酸だ。
こうしてファンサ厨が一人できあがりました。
違うだろ。「個人的」に「良い」と「考える」だろ。
興味ってのは、その分野を極めた先に何か魅力的で素晴らしいモノがあるはずだと信じているからこそ、持てるものなんじゃないかな。
「仕事を極めたところで、給料が5%上がって仲間に褒められておしまい…」
と言った感じで、頭の中で想像して自己完結してしまうと、それ以上興味は持てないのが自然だと思う。
そう考えると、興味を持つために必要なのは想像力なのかなって思う。
大人に園児向けのアニメを見せて「どう?」ってまじめに聞いても「どうって言われても…」って感じで答えに詰まる…ようではダメで、
勧善懲悪型のストーリーは園児の情操教育に良いかどうか?とか、
なぜ大半の園児はこのキャラクターを好きになるのか?キャラクタの造形や色使いから意見を述べられる程度の想像力が必要じゃないかな。
一昔前にエロ本規制で論争になったけど、エロ以上なんかに問題なのって「ヤンキー漫画」だよね。
ヤンキーの反社会性を素直に描く一方で、仲間思いとか筋は通すとか、ヤンキーを良いように、かっこよく描く。
でも実際のヤンキーなんてただの害悪でしかない、うんこ、社会のゴミなんだよ。
年頃の子供がそういった漫画を読んで感化されるのは何も不思議ではない。
少年の中で悪=ヤンキー=かっこいいという図式が構築され、そうやってヤンキーが増えていく、社会のコストも増えていく。(年頃の子供の行動原理は「かっこいいか否か」なのである)
今話題の川崎の事件だって、ヤンキー集団の仲間入りしてしまったのはそういうヤンキー漫画の影響もあるんじゃねーの。
エロ本は自己完結するだけだから規制する必要なんてほとんどないんだよ、でもヤンキー漫画は社会の害悪となる。はやくヤンキー漫画を規制しろ。
“入場制限がかかるような混雑日”で“アトラクションは軒並み100分越え”なのに午前中だけで希望の乗り物全部乗り尽くすってすごいな!
スモールワールド縛りでもしてたのか!
“八方美人”が過去に通用していたのはこの“おっさん”相手だったのか、それとも他の男性だったのか。
ディズニーランドは何度目のデートだったのか、それとも初めてのデートだったのか。
自分で家で5分ネットに繋いでクリアしようとは思わなかったのか、それとも何かの理由があって徒歩で15分の人に丸投げしたのか。
ディズニーランド当日まで1ヶ月間連絡とろうと思わなかったのか、それとも“おっさん”から連絡がくるのを待ち続けていたのか。
ってか、釣りなんだろうなーとも思うんだけど、もしほんとだったとしたら、気の毒な話だなとおもう。
おっさんが。
1ヶ月連絡しないって時点でお察しなんだけど、たぶん増田さんは“自己完結する”タイプなんだろな。
チケットとれたか確認しようかな… でもきっととれてるよね ←終了
案の定チケット忘れられてたから行列しなきゃ… でももしかしたらわざわざ行列するのが好きな人なのかも ←終了
パレード待ってる間に食べ物買ってこよ……あ… ありがとうとか言わないんだ… そうなんだ ←終了
お金足りない… でも200円だし我慢しようか ←終了
楽しそうな顔はしてるけど言葉で説明してくれないのね… きっとほんとは楽しくないんだろうな ←終了
いきなりだけど解散しよ!…… なんでって聞いてくれるよね… 聞いてくれないんだ……
じゃあまたね! … またなんて無いよね… もうわたしたち終りだよね ←終了
楽しいかそうでないか知りたいのなら聞けばいい。
“仏頂面で文句ばかり”なのが不満なのなら、あなたはどうして仏頂面で文句ばかり言うの?と聞けばいい。
「わたしといて楽しい?」と聞けばいい。
それで「楽しくない」と言われればそうなんだろうし、「楽しいよ」と言われればそうなんだろう。
聞けばわかることも聞かずに自己完結して、かわいそうな自分に酔いたい人は酔えばいい。
ただ、振り回される方はたまったもんじゃない。
がんばってディズニーランド誘ったのに残念だったな!
おっさん、この恋には破れたけど元気出せよ!
おっさんに合う人、きっとどっかにいるよ!
自分の頭のなかでぐるぐる色々考えて、勝手に結論出して、それを決定事項、世の中の真理と思い込んで行動するタイプ。
まさに「お前がそう思うんならそうなんだろう、お前ん中ではな」の典型。
そして、自分の中だけで結論を出したことが、そいつの頭のなかでは「決定事項」や「あたりまえのこと」になっているので、他のメンバーに共有しない。
おめーが独りでどこで何考えてるかなんてしらねえし、そんなこと追いかけるほどのヒマも興味もねえよ。
・会話に勝ち負けを持ち込む
自分の意見に否定的・批判的な反応が出ると、まったく関係ないことを持ち出してても「勝った状態」で会話を終えない限り話を止めない。
そこを指摘すると、さらにふてくされる。
結局、意見や仮説についての妥当性評価や論理の批判的強化を通じてチームとして良い物を打ち出そうなんて意識は微塵もなくて、自分の意見に賛成して欲しいだけのタイプ。
くっそめんどくさい。
・会話の要点が見えない
「話は長いが、中身はない」タイプが多い。
共感が欲しいだけで、解決や発展を求めてないトークがひたすら続く。
・ロジカルに会話ができない
これから何について話をするのか、を整理しないで話始める、今何について話をしているのか、がすっ飛ぶタイプ。
目的やスコープが不明瞭な状態で会話が始まるから、終わりもはっきりしない。
え、今の話そこで終わり?で、誰が何するの?その話を聞かされたこっちはどうすればいいの?
男がすべて素晴らしいとか思わないし、こういう素養を持っている男もくさるほどいる。
良し悪し抜きにそれぞれの個性だとも思うが、男女比較本なんかにもあげられる典型的な女性脳。
べつに、仕事抜きのお付き合いならかわいいものと許せることもあるけど、仕事ではマジ勘弁。
#3つで書き始めたら4つになってた