好きの反対は嫌いなのか。
食べ物、匂い、人の外見など自己完結できる感情に対しては好き嫌いの2値で良い。
しかし、嫌いという言葉を使うことによって、対象を変化させるのは違う気がする。
好きや嫌いの感情とは心の原動力で、社会において素直に表現して許されるのは、恋愛や自己の作品に限られるのではないか。それ以外で他者や他者の作品に嫌いという感情をぶつけるのは幼稚に思う。嫌いと思う対象に対して許されるのは改善を促すことか、もしくは無関心になるかだ。
消滅して欲しいと思うということは、その対象は既に嫌いな物や相手ではなく、敵であり、攻略しなければ自己の尊厳や身体に危害があるものだろう。それは攻略対象であり、嫌いという単純な感情で防げるものではないのだろう。
だから好きの反対は無関心と作品では述べている。より社会が円滑に進むために個人が出来ることだから。嫌いが蔓延しても混乱するだけだから。だからあまり軽々しく嫌いなんて言葉を使うもんじゃない。