はてなキーワード: 経済格差とは
大昔のフェミニズムは、「自由に恋愛する・性向を表明することを社会的に禁じられた女」という社会のなかで育ったが、今はそれはかなり解消されているからというのもあるのでは。meetooの迷走やエマ・ワトソンへの非難なんかは、そもそもフェミニズムの流れ自体が次のフェーズの手前で迷走しているから結果的に怒ったことという気がする。
ちょっと話はずれるが。
今は、牧歌的でシンプルな男女間の対立ではなくて、「リッチ・男女」vs「貧困男」vs「貧困女」という三すくみ状態になっているような気がしている。性別差ではなく経済格差がより問題意識としてクローズアップされる、一方で簡単に覆せない規模の社会・経済格差において上流(ワインスタインのセクハラ事件のような)はまだ男性優位である、というマダラ色になっているからこそのカオスというか。
おばちゃんの個人的な意見としては、「経済的に自立してるけど好みの男はマッチョで頼れるタイプ」、とか寝言っぽいことを言えることは、むしろ大事だと思っている。ただしこれは経済格差の緩やかな解消が社会で共有されていく未来が前提ではあるけど。
社会・経済的な自立度合いと性的な好みが直結する必要はないし、むしろ、「社会的に自立している=養いたいタイプが好み」であれ!と押しつけるのも違う。典型的なジェンダーロールの押し付けだから。
男だって稼ぎの多寡とは関係なく、守ってあげたいタイプの女だろうが自分で生きていけそうな野性味ある女だろうが、どっちがタイプとして表明したっていいし、そうあってほしいと思うし。
実際、昨今の2、30代の上流男性は、同じ社会階層の(社会・経済に自立的な)上流女性とカップルになるケースも増えているしね。そうすると社会階層も固定化しやすくなるし、あんまり好ましくないなーと思ったりはするが、これも男女論ではなくて貧富論になっちゃうから、フェミニズムの中だけで話す話ではなくなるというか。
ただ、私がモテの条件としてわかりやすさを提示したのは、それこそ、感情が言語的表現に向いてないからなんだ。
私たちが私たちの感情を表現するのは、他者にしめすためだけでなく、自分自身を納得させるためでもあるわけで、そうなれば、わかりやすさというのは、愛の表現のしやすさ、あるいは納得のしやすさというのにもつながる。
だから、ルッキズムや、差別による愛の肯定と否定というものがあると私は考えていて、そういったものを無視して恋愛できるというのも実のところ、自由だの輝いているだの、あるいは夢があるだのというわかりやすさに依存しているのではないかと思っている。もちろん、これが後付けならなんら問題ないのだ。しかし、いざ恋愛やジェンダーを語るというタイミングでは、これを前倒しにして語らなければならない。そうすると、清潔感だったり誠実さだったりの便利ワードに頼らざるを得ない。
非モテへの助言が、常に的を得ないのはこのせいだし、さらには便利ワードを使い一辺倒に言語化することで、自身の感情さえも捻じ曲げてしまう危険性がある。もっといってしまえば、非モテへの助言が疲れるのはこのせいで、いったん納得した愛を再定義しなければいけないからだ。
でも、しかし、だとすれば余計に私たちは、これを言語化していくべきなのだが、どうも愛はずいぶんと歪んでしまったようで、非モテに愛が体現されるようになるまで、愛をたたき直すのは時間がかかる。しかし、誠実さはどうだろうか。清潔感はルッキズムに根差したもので、外見によって愛を得られない人々にとっては厳しい現実を見せるだけだが、誠実さは違う。
たとえ精神病であっても、単に性格が悪いのだとしても、誠実さを示すことはできる。誠実さは実に便利な言葉で、他人を思い行動するというただそれだけで、誠実と表現できる。疑念があり信用を得なければならないとはしたものの、誠実そのものは実はかなりシンプルであり、ツーカーで行える、分かりやすい概念だからだ。
私は、競争社会から脱して共生社会へと向かおうとする流れを信じたいし、それが私的領域にあっても評価される、性愛の対象になるという言葉をとても信じたい。それが男尊女卑やあるいは経済格差によるルサンチマンによるものだとしても応援したい。
だからこそ、例えばジェンダーを語る際に提示される誠実さというものについて語っていき、その実態が何かを考えていくべきだと思っている。内省という言葉を使ったのは私の政治的な意味があるのだ。私は、「誠実さによる性愛を信じているし、そう語ったあなたはモテるに足りうる誠実さを示すことができますよね」「そして、それが誠実さでない場合に、あなたのルサンチマンによって、モテる定義をやっぱり外見であったり、金であったりというのに引き戻すことなく、私の言う誠実が違ったのだ、と内省できますよね」という脅しである。
実際のところ、私は一般的な意味合いで誠実であるよう心がけているが、同時にとんでもない卑怯者だ。レトリック死刑令ができたのなら私はすぐに市中引き回しだ。だけれども、繰り返しになるが、誠実さによる性愛も誠実さ自身も信じている。苦しい。混乱している。
だから、利己的な言い方をすれば、人類でもなく、男性でもなく、非モテでもなく、ただただ私を救うためだけに、モテる誠実さの解像度を上げてほしい。像が見えた瞬間、私は嗤うかもしれない、あるいは信じた私を喜ぶのかもしれない。少なくとも今、目の前にある靄は晴れていくだろうから、私は少し前に進めるし、少し先のことも見えてくるはずなのだ。卑怯にも、あの手この手で、私利私欲を満たそうとする私を許してほしい。これを読んでいる人の気を楽にさせる為に言うが、私はモテない。こんな人間がモテるはずがない。それどころか、私の本性を見抜いたと報告してくるような変わり者は少ししかいない。友人が少ないということである。当然恋人がいた期間もほとんどない。その恋人だって、私の論を証明するのと、私の“性的趣向”を実証してやるためにやった実験であって、実験は成功したが、そのような誠実さに欠けた遊びの後始末は悲惨だった。ご想像にお任せする。
それでも私は誠実さを信じたいし、私のような人間でなくても、多くの人が誠実さを信じたいのだと信じている。みじめだが、実際そうなんだ。
両足の間に足がもう一本生えた醜い獣。男女お構いなしの性欲の塊。
この大元の増田に貼ってあったリンクに鏡のたとえ話が出てくる。自分が何の属性を負っているか、というのが鏡に見えるのだそうだ。女性であれば女性、黒人女性であれば黒人女性。男性には一人の人にしか見えないそうだ。私には鬼が見える。やせこけた鬼がそこにいる。人に良くすればよくなると、信じ込んでいる惨めな異形がそこにいる。
私は私の思う誠実さを示してくれたあなたに告白する。そんなこと重いよと思うかもしれない、自己憐憫に浸るなというかもしれない。けれど、私の誠実さというのはこれなのだ。この短時間のうちについたくだらない嘘を明かし、惨めな姿をさらし、伝わりにくい方法で真実を要求する。それが今のところの(歪んでいるのは承知の上だが)、私の誠実さなんだ。
でも世代間の格差が激しいから起きてるんだよ。親であれ上の世代は若者にとってマイナスが大きすぎる。
年功序列+世代間経済格差が大きく、もはや家族間でもマイナスばかり。
親は大きくとっていった上に行動でも貢献を要求。
アメリカカナダだって親の方が収入も資産も社会福祉も権利も総取りな世代間格差だったら家族で断裂起きてるよ
システムの問題で、民度ではない。親世代が自分たちは過去最高の景気を味わいさらに過去最高の福祉を要求し雇用を維持するために子供世代を非正規に落とし込まなければ、子供たちだって世代的な対立で物を見なかったよ。
うちの職場でもいっぱい契約社員雇ってるけど、毎年更新で上限5年。いちおう正社員雇用への道はあるけど、受かる人数が限られてるし、それ以外の人は5年目終わったらどうするんだろうと心配になる。
仕事の出来は個人差が激しいので、正直一部の優秀な子だけ正社員として残ってくれる方がありがたい。彼らの中でそこそこ以上優秀なのを見ていると、「昔だったら普通に正社員として採用されたんじゃない?」というのが多いけど、たぶん選択肢があまりなくて、「とりあえず契約社員でいいから就職したい」と就職したような感じを受ける。あと、仕事の出来不出来に関係なく、学歴はやや低めな感じ。日東駒専もしくは同レベルかそれ以下ぐらいの子が多いように思う。逆に本社採用の正社員はものすごい高学歴化していて、有名大学を院まで出て、「司法試験の勉強してたけど受からなかったからこっちに来ました」みたいな感じでギャップが激しい。けど、高学歴の正社員が仕事できるかっていうとそうとも限らなくて、特に男の子では「W大の院まで出ててこれかよ…」っていうのはいる。逆に学歴的にはあんまり高くないけど、上司や先輩から教えられたことをきちんとものにして、着々と仕事をこなすのもいるから、学歴と仕事の出来は比例しないと思う。
だけど、正社員と契約社員だと恐ろしく待遇が違う。そもそも60歳まで雇用を保証されているのが最大の違いだけど、夏と冬のボーナスも計算方法が違うので、圧倒的に正社員の方がたくさんもらえる。契約社員から正社員になった子の給料って、皆が期待するほど高くない(…というか契約社員時代とあまり変わらない)んだけど、ボーナスが上がるから年収アップの差額はすごいと思う。
別に学歴が高ければいいってもんじゃないけど、少なくともうちの業界に入るなら、高学歴の方が有利だなぁ…と思う。これだけ差が付くなら、韓国みたいにお受験に命を賭ける連中がいっぱい出てもおかしくないと思うんだけど。親世代の経済格差が影響してるのかなぁ…。地頭は同じぐらいでも塾とかに行ける子とそうでない子がいるし、私立に行きたくても国立でないと親が学費出せないとか、そもそも実家出て仕送りしてもらうのが無理とか、学費がそのまま本人の借金になってしまうことがあるとかいろいろな家庭があるから。
うちの業界の場合は学歴で判断しているわけではなくて、ペーパーテストのウェイトが高いだけなので、地頭が良ければ学歴に関係なく受かるはずなんだけど、面接とかで正社員の採用決めるところはどうなんだろうね。少なくともこの問題は本人たちの努力不足ではなく、なるべく雇用調整をしやすいように人材派遣や契約社員という雇用制度にシフトしていく時代にもろにぶち当たってしまったからだと私は思ってる。
弱者であれ強者であれ個人はミクロな存在なので、マクロから見た場合統計的にしか補足できない。
「(マクロな意味で)弱者(の総体を)救えば、(マクロな意味で)強者であるあなた(の属する強者の総体)も(一定範囲内で)利益を受ける(可能性が高い)」ってのが真実で、()の中が省略されているだけだよ。
でも個人の人生はあくまでミクロベースなので、個人レベルでの生活論で言えば上記理論に私財(生命にしろ財産にしろ自由にせよ)を投入すれば、多くの場合は不利益のほうが大きい。例えば金持ちが全財産をまるごと寄付して、即座に寄付総額よりも大きな利益を受け取れるってのはまあ、概ね間違いだ。そんな事例は検討する必要が無いほどレアだ。
どっちかって言うと確実なのは「弱者を虐待しすぎると自暴自棄になった弱者が強者をぶち殺しに来るぞ」ってことで、宗教テロにせよ経済格差テロにせよ本質的にはこれだ。強者が弱者に気を使う必要があるのは、別の、そして決定的レイヤである「物理的な暴力」で逆襲をされないようにするという一点にかかっている。
そもそも最初の「弱者を救えば強者も救われる(利益がある)」ってのにおける「強者が得る利益」ってのは「殺されない(その可能性が低下する)」って言う利益だ。文明が進んで先進国になった現在、個人間の格差はジャンルによるけれど、数十倍から数百倍にたっする。例えば資産とか、生涯賃金(稼ぐ能力)とかがそれ。先行者(富裕層)絡みて一番イヤな種類の公平はファイトクラブ的な裸で拳な暴力世界であって、その世界では彼らのアドバンテージはなくなってしまう。それはある意味とても公平ではある世界だ。そして現代社会だって一皮むけば中身は全くそのまんまなのだ。
でも「すべての人民の間には物理的暴力がある」っていうただの現実は、先進国において強者(多くの場合経済的&知的富裕層)にとっても、弱者(同じく経済的教育的貧困層)にとっても不愉快な事実だ。強者側から言えば自分たちが脅迫されうるっていうのはストレスだし、そもそも弱者側にも武器があるってことを知らせるのが不都合だ。弱者の側から言えば自分たちの要求が武力を背景にした強請りたかりであるってのは不都合な事実だし、人権だとか考えておいたほうがストレスがない。そもそもこの件をほじくり返せば共同体(この場合国家)に「分断」が発生してしまって、それが国力低下を招くのは西欧見ればあきらかだ。臭いものは蓋をしてなあなあにしておいたほうが全員にとって都合が良い。
みんなが自分の利益を最大化したいと思いつつも、自分以外の参加者を決定的に怒らせて団結を壊すのは全員の不利益であるので、なあなあでみんなが少しずつ我慢できる結果を模索する――その現場が福祉政策の政治的な合意をさぐる国会であり、今回のような選挙だよ。
元の主張からはずれるかもしれないけど、 子供の育成にかかる費用を社会全体で負担すべきという考えには賛成している。
そもそもの始まりは親子の関係が、 人類の起源(よりもずっと前)から存在する社会的に特別な人間関係だから それに引きずられた社会システム上(経済上)の問題がいつまでたっても解決できないのではないか。
だからこそ、 親子の関係を特別視することをやめるほうに進むべきではないかという主張だ。
民族の風習や個々人の生まれによってはそうではないこともあるが、 現在の主要国のほとんどが親が子を育て、 子は親に育てられることが当然のこととして社会が成り立っている。
生みの親と育ての親が違うということはあるし、 いわゆる孤児というかたちで育った人もいるが、 社会的には弱者(少数派)としてとらえられることが多い。 (実際どうかではなく、多数派の人々が彼らにその社会観を押し付けるのだ)
そういう価値観のもと社会が形成されているので、 親は子供を産めば育てなければならない義務を負うことになり、 子供も親に育ててもらっている以上、 家族として拘束されるという力関係が生まれる。
子供が一人、成人するまでにかかる費用は莫大だ。 実際のところ、日本でもこの経済的な問題は認知されていて、 教育費の無償化や子供手当、だとかまあ色々な経済対策は取られている。 (独身税というのが導入されるとしたら、この一環になるだろう)
ではなぜ親が子供を育てるのかという議題もあるが、 それは人の価値観それぞれなので省略する。 ここでは、教育費無償化や子供手当(さらにいうと独身税とやら)を負担する社会側にとって、 出生率が下がり人口バランスが崩れることが、 社会全体にとってリスクや損失になることを考慮しておく。
では、親が一切子供を育てる費用を出さなくてよいと仮定してみよう。 これなら子供を出産できる環境にある人が、 経済的な理由で出生を拒むことはないだろう。
残念ながら、子供が一人で生活していくことも困難だ。 そもそも働くだけの十分な能力を持っていることは稀で、 能力が十分だったとしても、児童労働は法律で制限されている。 他、子供は多くの社会的活動に「親の許可」が必要だ。
親は子供を育てることで、かなりの経済的負担を強いられているが、 子供はそれ以上に親によって自分の人生を左右されているのだ。 (奪われていると言っていい)
親の子育てに対する経済的負担の軽減は、当然主張されるべきことだが、 これは、親が子供の人生にどれだけ影響を与えるか考慮しなければならない。
親ではなく社会が子育ての経済的負担を支払うようになるなら、 親が子供から搾取しないことが担保されなければならない。 仮に子供を産んでから成人するまでの費用(育児時間含)を100%社会が負担するなら、 親が子供の職業選択や進学選択に口出ししたり、 老後の介護を期待することはナンセンスになる。
ここまでの主張はこういう形でまとめたい。
という認識のもと、生みの親・育ての親に対して十分な報酬を与え、 さらに親が子供を自分の所有物だと誤解しないように、 子供の経済活動を社会側が支援し、親に搾取されないようにする必要がある。
今では私たちは自由な経済活動を謳歌できるようにっている。 職業選択は自由になり、手続きを踏めば住居の移動や国籍を変えることだって不可能ではない。 同性婚は認められつつあり、かつての社会的性差による不自由は取り払われてきている。
親子の関係から経済的な拘束を取り払おう。 そして、出産と育児に携わった人に対して社会から十分な報酬が支払われるようにしよう。
さて、最後にここまでの話を前提のもと、具体的な施策をまとめる。(時系列順)
おしまい。
結局この問題のポイントは筑駒の運命がどうなるのかに尽きる。というか、もうちょっとはっきり言うと、この有識者委員会メンバー
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/koutou/077/meibo/1376860.htm
を見ても、たぶん生涯筑駒、開成、灘とかとは無縁だったのではないかなぁという人たちばかりで、この有識者委員会の本来の議論の対象は地方の大学付属校ではないかと思われ、自らの議論可能な能力を大きく逸脱する範囲に議論を広めてしまっているように思われる(まあ、むかしから筑駒に関わる大人はそういうのが多くて、教官はよく守ってくれていたと思う)。都心の超進学校であり、大人でも解けない国際数学オリンピックとかにいけちゃうような学生を何人も擁するような筑駒とか、そこまでではないにしても学附や筑附とはなにかを知っている人間はいないように見える。
ところで歴史的経緯を見れば、筑駒というか教駒がそのレベルを上げたのは、学区制度が導入され都立日比谷が急激に凋落した時期と一致していた。筑駒の教官は十分それを認識していて、目をつけられる時が来れば文部省(当時)はすぐにでも筑駒を潰そうとするだろうと語っていた。だからできるだけ目立たず隠れようとしていると。生徒のレベルは筑駒>開成であるのは明らかなのだが一般紙にはなかなかその事実は載らない。それはマスコミの取材をできるだけ避けるなど一応努力しているから、みたいだった。
財務と外務の中央省庁に多くの出身者がいて(文科にはあまりいないけど)、政治家もいるし企業トップ、大学トップ(これが一番多い)もたくさんいるような筑駒なら、国にその出身校を潰させるような施策を決定させることはないかというと、都立日比谷が潰された経緯を見ればそんなことはない。教育関係者が潰そうと思えば潰されるだろう。
まあ、そういうことだから、都立日比谷が潰された後に教駒のレベルが確定したのと同じように、筑駒が潰されれば何か他ができるんでしょうけどね。都立日比谷や筑駒のような学校が嫌いな人には、この運動をしてもどうせほかにまた同じものができる、と単に伝えたい。それがもし、昔に戻って都立になるというのなら、筑駒とは違って横浜とか千葉とかさいたまの人は通いづらい高校になってしまうだろうな。そしたら県立がのびるからいいのかな。
あと、都立日比谷や西のレベルが学区制度導入でコテンパンに潰された後(都立日比谷から東大入学者がゼロになった年に、都教育委員会がガッツポーズしたという噂もあり・・・)、それら高校の教員のそれなりの数が予備校に流れ、そのため予備校のレベルが大きく向上したとの話がある。つまり、塾や予備校に行かなければよい講師がいない、という意味での教育の経済格差を生み出したのはむしろ(そういうものをなくそうとしたはずの)学区制度導入であったのではないかという見解。
ここに書いたのは単なる噂話のみだ。真実性はあると私は思っているけど、それを担保するものはなにもない。しかし、もう少しきちんと専門家がこの辺りを調査して、科学的に結論を与えてから、筑駒を潰すかどうかは考えてほしいものである。
全文読んだよ、エマ・ワトソンのアレ。
とても素晴らしいと思ったのと同時に「なんでこれがモテや非モテに繋がるのか?」皆目見当がつかない、本文にないから。本文にまったくないんだよ。
パートナーの存在は自分の存在の根元的な自信を与えてくれることは確かだ。しかし必須ではない、私もあなたも生きてるだけで社会を回してる。
エマ・ワトソンは社会のジェンダーの価値観が個人の存在の根元的なところを脅かすのであれば、やめろ!と言ってる。正しい。強い男もいる、「「男勝りな女」」もいる、「「女々しい男」」もいる。私は問題はこれで切り分けたと思うがどうだ、もてないは個人で解決しろ(私も頑張る、セックスしたいしイチャイチャしたい)。
「女より収入が低いからもてない」と思ってる? それもエマ・ワトソンが言ってる。
女が収入多くても、男が収入多くても、なにも気にせずに人と人として付き合えればいい社会の方がいいんだ。
追記)Trackbackに反論。まず生きてるだけでいいなんて言えることが特権であることを知れ。それすらできないやつが巨万といるんだよ。すまんがそんなこと私はまったく言ってない。社会を回すだけで人としての尊厳を保つだけの価値はあると思ってる、ちなみに貧困の話しはしていない。「社会の歯車になって労働してるが対価が十分ではない人として尊厳がもてない」問題と、モテないは別だと思う(労働問題と恋愛は分けないと、金稼いでるけどモテないやつだっているでしょ)。
さらに追記)私は男女の給与格差はなくすべきだし男も女も育児休暇が取れるべきだと思うので社内会議でも時々言う、変わったらいいと思うから。例えば男が金を稼いで女は専業主婦という人生プランはくそだと思ってる(経済格差により女の方のリスクが高まるから)。エマ・ワトソンが解決策のない綺麗事を言うとTrackbackの人は言うが、私はそうは思わない。彼女はモテ非モテを語っておらず、性別の有無によって行動が何故か制限されることを問題にしている。それは解決できると思う。
とりあえず現状日本では「キモくて金のないオッサン」(こういう表現好きじゃないけれど)というのはどこに存在するかと言うと、
☆☆☆ここ!☆☆☆
くらいじゃないかなと思ってるんですけど。ものすごくざっくりしているし、男性同性愛者と女性同性愛者の違いや個人差、場合によって違いがあるのはちょっと目をつぶっていただくとして、それでもいわゆる弱者男性とされる人たちは結構上の方に行くのでは。
多分弱者男性(と主張する人たち)は自分たちはもっと下にいるし女尊男卑と認識しているから話がおかしくなっているのでないだろうか。
日本では女性と男性の賃金にかなりの差があるのはもうご承知の通り。管理職も女性はぐっと少なくなる。議員数も言わずもがな。能力の差だと思われるだろうが、子持ちの女性議員が結構バッシングされているのをはてブでも見たのでは。妊娠すれば仕事はなくなり、母になれば正社員に就くのも難しい。映画館などのレディースデーとかはそれを見て女性でも来やすいようにっていう配慮だったけど性差別との声があったのか今ではほとんど見ない。誰でも割かメンズデーが併設されているのが大体だろう。
女性専用車両は?あれは痴漢が多すぎるから出来たものであって、本来ならそんなものない方がいいに決まっている。こんなやり方でしか解決できませんなんて恥ずかしすぎる。それに男性専用車両も作るなら反対しませんと大方の女性はアンケートで答えているはず。なのに男性専用車両が出来ないのはこれは鉄道会社の責任で女性のせいではない。なのに女性専用車両にわざわざやってきて怒鳴り散らし、その様子をご丁寧に動画にアップしている馬鹿もいる。その情熱をもっとどこかに費やしてください。
女性ホームレスはいないじゃないか。そりゃレイプの危険性があるからだよちょっと考えたらわかるでしょう。
男性の方が自殺率が高いのは。これも印象だけで語ってはいけないと思うが、やはり今までの価値観だと男性が家や社会を支えなくては、というような世界だからではないか。その価値観を壊したらもっと生きやすくなるかもしれない。
エマワトソンの該当発言を読んでいないのだが、フェミニズムに少し足を踏み入れた私の視点から言うと、「キモい」(かなり主観入りすぎてそもそも基準がわからない)とか「お金がない」(私もない)とか「童貞あるいは恋愛経験少ない」(以下同文)みたいな属性で誰かを排除するのはやめよう、それに当てはまる人も、そういう属性がマイナス要素に傾いている、他人は自分を嫌がっていると勝手な価値観で落ち込むのも良くないよ、誰もそこまで気にしてないよ、少なくとも私は、というのが恐らく彼女の言いたいことだと思う。私もそう思う。
エマが付き合うのはみんないい男の金のある男だ!ってそりゃ彼女がいるのは俳優界なんだから同業者やそれに近い人間とどうしても付き合いが増えるからでしょう。社内恋愛と同じと誰かが言っていたが言い得て妙だと思う。わざわざお恵みでまったく知らない男と付き合えセックスしろと言う主張はさすがにみっともなくないか。
男女が付き合わなくては、結婚しなくては勝ち組ではないという呪いから解放された私はとりあえず今のところ楽にはなった。お金はないけど趣味は出来るしなんとか生きてる。
弱者男性の主張をあまり読んでなくて申し訳ないが、貧困や経済格差はなんとかしなくてはいけない。誰であれ貧窮した時や困った時に誰かに助けを求めるのは恥ずかしいことではない。恋愛経験の多寡で差別することはおかしい。姿形の良し悪しなんて主観に基づいたものは無視していい。もちろんそう簡単にはいかないだろうが、これではダメなんだろうか。自分の価値観は自分で壊すしかない。他人の目とか幻想だ。
いわゆる勝ち組男性(とされる人たち)が饅頭三個、弱者男性が饅頭二個を持っているとして、その他の人は饅頭なかったから少しずつでいいから一個ずつ分けてね、というのが現在や少し前の話だと思う。勝ち組男性がそれでも二個持ってるの変だからそこも改善していきたいね、という話をしているのに、弱者男性と叫ぶ人たちは、不当だ!俺たちの饅頭なのに!ずるい!ひとかけらだってやるもんか!と駄々をこねているように見えているんだ。
キモくて金のないオッサンとやらが嫌がられているのはキモいからでも金がないからでも年を取ったからでもなく、充分権力を得ているのに自分が弱者ですと哀れっぽく叫び、まだ自分の権利は足りてないんですくださいと言っているからではないか?しかも大体の場合こういうことを言う人は自分たちより弱い人間のことを口汚く罵っていることが多いので嫌気が差しているのだと思っていた。
うまく書けたかわからないけれど私はこう考えている。色々穴があって申し訳ない。
トラバが案の定文章読めてなさすぎて笑った。貧困をなんとかするのはそれはもちろんみんなでやってかなくちゃいけない社会の問題。私にキレてもなんもならんよ。私もお金ないもん。みんなそれぞれしんどい。だからそれをみんなで考えよう、公的な支援が必要ならそれをもらいやすくしよう、楽になるようにしようねという時にいちゃもんつけるのはだいたい弱者男性を名乗るidだった気がするが。
多数の怪我人が出てる時の災害時のトリアージを思い浮かべてね。より重傷の人から治療するのは道理ではないか。あなた方のやってるのは、血まみれで死にそうな人間を治療している時に、ほんのかすり傷の人間が「こっちが先だ!こっちの方がつらい!お前が痛かろうがこっちだって痛いんだよ!どうせそんなの詐病だろ!」とわめく行為だと思うよ。
文句言うべきは社会であってフェミニスト(を名乗るのはとても恐れ多いくらいだし自称したことは一度もないが)にいちいち絡みに行ってお前らは俺たちのことを無視してる!攻撃してる!って被害妄想すぎてみっともない。
可能じゃないんだなこれが。単にアメリカ地域において平定されてるだけ。確かに経済格差が均質化されたという前提ならEUのイギリスみたいなことは起きない。ただアメリカだってついこなだまで、奴隷が合法かで戦争してた国だぞ。つまり、奴隷的な制度・文化がある地域に対しては戦争を持って解決するしかない。あるいは、アメリカ地域に攻撃を仕掛けて奴隷を認めさせるしかない。宗教だって国内にISを抱えることになって黙ってない。
統一国家の政府は国民の生命財産を保証する義務があるから中東の戦争アフリカの部族闘争にも介入しなきゃいけない。そうすると、その地域の人たちは独立を宣言するか、統一政府が自治権を認めることになる。あるいは攻撃を仕掛けるとソマリアのように抵抗にあえばその地域は無法状態に陥る。
結果、その境目というのは今の国境と同じ意味を持つものに成り下がるだろう。だから、統一されたという状態が文化、宗教、民族あらゆるものが均質化された前提じゃないとその時点から崩壊がはじまるだけ。
世界統一の過程はすっ飛ばして、統一が完了したとしたらどうなるかなって感じかな。
文化や宗教の違いがあっても一国になることは可能でしょ、今のアメリカがそうであるように。
経済格差はなことが前提。
デリヘルで来てもらったのよ。もろもろグッドな感じの娘で、第1ラウンドも最高な感じで終えて、休憩がてらおしゃべりしたのよ。んで昨年タイの実家を新築し直したよ。ってんで、その写真を見せてもらったんだけどさ。これがさ。もうさ。すーーーんごく立派なのよ。お屋敷。日本でこんなの建てたら地方であっても相当の値段すんじゃね?ってぐらい立派。デザインもいい感じ。広過ぎて掃除が大変だからベトナム人のお手伝いさん雇うかもだって。いやいやいやいや。オレが今からどんなに頑張っても、日本に居続ける限りあんなの絶対建てらんないわ。いやー。まいった。結構まいった。んで驚いてあれこれ話しを聞いてるうちに、すっかり第2ラウンド決める時間が無くなったんだけどさ。それはまあ良いとして、なんつーか認識あらためたわ。ショックって訳じゃないんだ。話した感じしっかりしてるっぽい嬢だったから、それほど身持ちを崩さずに稼いだ分をプールしてる感じはしたし。それにしてもこれ程までにしっかりしてるとは予想外だったので結構驚いたのさ。アジアと日本の経済格差は縮まってるよ。的な話しはリクツでは理解してたつもりだったけどさ。なんかそれを超具体的に感じられた気がする。無駄使いしてる場合じゃないんかもな。本当に。